01 哀惜 01
ーーくしゅっ。
鼻がむずむずくしゃみ出た。
何だが身体がとっても怠い。
と、ゆうか、動けない。
「******、******」
「**、*****」
遠くで誰かが話ししてる。
『頭、痛い』
「*? ***、******」
ああ、そうか、ここ、病院だ。
きっと、お医者がなんか言ってる。
「***、ーーーーエワ」
ああ、そうか、名前ね。
『神名』
「カミナ?」
そうそう、神名芽依。保険証は財布の中。貧血か何かで倒れたとかかな。バイトに通勤途中、穴に落ちる訳無いもんね。
やな夢見た。
アパート出て、いつもの通り道。大きな街路樹付近で中番の時にいつもすれ違う、個性的な蛍光色のリュックを背負ったスーツのお兄さん。顔は私好みのイケメン純和風。黒の細身のスーツで決めているのに、何故かピンクの蛍光リュック。そのリュックが気になって、顔の素敵さに集中出来ない。
そんな、お兄さんの、首が跳ね飛ばされる夢。
白昼夢でも見たか、貧血か、とりあえず病院に担ぎ込まれたのか、記憶に無い。
恐るべし、独り暮らし。
病院は近くに確保しておかなければ不安だ。実家のように、用も無く声をかけてくれる両親や、二つ下のクールすぎるが、実は面倒見の良い妹が安否確認には来てくれない。
しかし、ようやく夢から目が覚めた。
(長い旅に出ていた気分…。寝過ぎ、ダルイ…)
瞼が重くて目が開かないが、目の前の医者に症状は伝えておこう。
『怠いです。そして、とても頭が痛い。熱い』
熱がある。
そう伝えたかったが、分かっただろうか。
白衣のお医者様は、何度か頷いた気がした。
******
「頭、車用意出来ました!」
「おー、立派な荷馬車じゃねーか。酔いそうだなぁー」
ソーラウドは長身を屈めて軋む荷台に乗り込む。彼の手には、黒髪の小さな少女が抱えられていた。
西方の田舎の僻地で、ただで軍に捕まえられるつもりはなかったが、こうもあっさり抜け出せるとも思っていなかった。
しかも土産付きで。
「だけど、死にそうだなぁ」
ミギノという名の小さな少女。
ソーラウドの剣を盗り、それを突きつけ男を脅した。見たことの無い剣の型、少女には似合わない不敵な物言い。その不均衡な全てに興味をひかれた。
自身の油断を少女への興味を理由に言い訳し捕まってはみたものの、意気揚々とソーラウド達を捕らえた少女は拷問の場に全く現れず姿を見せなかった。
一度目の取り調べの最中に落人騒ぎが発生し、それに乗じて牢を破り、同じく捕らえられたサザス家の子供達の牢も覗き見たが、目的のミギノはそこにも居ないようだった。
落人は基地内を虫の巣を突いたように騒がせ、ちょっとした裏街抗争並みに荒らしてくれた。これ以上ここに居ては、せっかくの落人騒ぎが無駄になる。ソーラウド達は遭遇した兵士を数人倒すと、大した戦利品も無しに悠然と裏門から外に出ようとした。
だがそこで、同じように西の兵舎裏から少女が飛び出してくるのが見えたのだ。
茂みに隠れ辺りを見回す少女に、ソーラウドは同業の空気を感じる。
彼女は軍から逃げ、身を隠しているようだ。後をつけようと追おうとしたが、林道に入り直ぐに少女は倒れて動かなくなった。
**
「サザスの坊ちゃんにやられた傷が、熱持ってますね」
少女の身体は抱えると、ふにゃふにゃだった。筋肉の欠片も無いような、鍛えられていない柔らかい子供の身体。これはソーラウドにとってかなり意外だった。
(二本の剣を握る者の身体…? だが、サザス家で見たあれは、付け焼き刃で出来る類いじゃなかったけどな)
「頭、そのガキ、どうするつもりなんですか?」
ガタゴトと揺れる粗末な荷馬車の中、坊主頭に刺青の男が少女の顔を覗き込む。
「そうだなぁー、少女の二刀流剣士なんて珍しいだろ? 性格も生意気だったし、調教するのもいい暇つぶしか、見世物に出しても小金が稼げるかなぁー、とは思ったんだがな」
「死にそうですね」
ソーラウドの腕の中の少女は、血の気が引いて息も絶え絶えだ。
「そうだなぁー」
つまらなそうに見ていたソーラウドは、御者に顔を向けた。
「追っ手は来たか?」
「いや、まだ見えません。グルディ・オーサ内での落人騒ぎが利いてるんじゃないですか?」
「そうだな、じゃあ、都行きは止めて、トライドの城下へ行け」
トライドの裏町にも支部があり、そこには医者が居るのだ。ソーラウドは、今回初めて上納金の回収に失敗した。埋め合わせはもちろんサザス家に後々してもらうつもりだが、それを邪魔したこの少女を、ただで放すつもりも無い。
(それに、死んだらつまらないからな)
荷馬車は道無き荒れ地を、夜通し走り抜けた。
***
ーーーグルディ・オーサ基地。
落人発生の被害は甚大だった。
グルディ・オーサ基地内で仕留められた落人は、基地にたどり着くまでに東の集落を歩いて通っていた。
姿が人で在るだけに、発見が遅れるのが落人の特徴だ。東の集落はもともと人数が少なかったのだが、生き残った者達は恐怖で外に出られず発見が遅れた。
基地内部の立て直し、東の集落から死の臭いを取り除く作業、亡くなったもの達の葬儀、少し遅れて到着した第四師団を含めても、その作業は日を跨ぐ。
元より、捕らえる予定のなかったソーラウド、自分達で出て行った獣人、それらの対応は必然的に後回しとなった。優先すべき問題は山の様にあるのだ。
「三班を、一班の増員としエルヴィーの捜索に当たれ。第二班は引き続きミギノの捜索に」
第一優先は、落人と同じような症状のエルヴィーだ。ステルの証言によれば、エルヴィーは身体の自傷を一切気にしない、まるで落人のように扉や棚を破壊したという。
(聖導士オルヴィア・オーラに手をかけていたあの場では、表情は正常に見えたのだが)
だが走り去るエルヴィーを見送った室内には、彼の同僚の玉狩りロウロウが殺害されていた。しかも落人を仕留める方法で。
(危険な症状の殺人犯を、目の前で野放しにしてしまった。ただでさえ厄介なことにエルヴィーは、大聖堂院が育成した魔法士なのに)
彼が本当に正気でなければ、落人と同じくらい危険な男を第九師団が逃した事になる。
これはフロウの失敗だ。
エルヴィーはフロウと誓約をしている。オルヴィアを締め上げているエルヴィーを、あの場で指揮官として留めておけば、この様に煩わされる事もなかったのだ。
大聖堂院のオルヴィア・オーラは門番や兵が再三留める事を待たず、事前の通達申請も無く勝手に押し入り、あげく最深部の監視対象者の部屋に許可無く無断で侵入した。
フロウはそれにも憤っていた。
「…エルヴィーは必ず捕らえなくてはならない。奴は法と誓約を破った、重罪人だ」
そしてミギノも追わなくてはならない。オルヴィアの話によると、エルヴィーはミギノの行方を追ったという。ならばミギノを追えば、必然的にエルヴィーは捕らえられるだろう。
(奴のミギノへの執着は本物だった)
**
グルディ・オーサ領、東。
その日、鳴り響くのは弔いの鐘と悲しみの声。天教院の祈りの歌は死を覆いつくす。
歌声と共に流れる灰と煙は、途切れること無く曇天の空へと帰っていった。




