12 離別 12
グルディ・オーサ西方最前線基地、居住棟と兵舎の正面には、移民の集落がいくつか固まり村や町を形成している。西側にはトライドの魂の眠る森があり、北側は、嘗て広大な農村地帯を潰して作った演習場が広がっていた。
心地よい風が吹く午後。防風林が点在する演習場には、いつものように訓練を行っていた第五師団の兵士達が、休憩の為におのおの木陰に座り始める。
「今日あれだよな、帝都から第四の連中が来るんだろ?」
「朝に向こうを出てればそろそろ着くかもな、やだなあ、俺達。何処に配属されると思う?」
第五師団はリマやそれに関わった上官の更迭により、第四師団が到着次第、内部の再編成を告げられていた。現在、この西の田舎の基地には、第九師団小隊、第十医療師団小隊両団長が、この基地をまとめている。
本日到着予定の、第四師団は中隊でやって来るため、逮捕者や更迭者でがら空きだった基地内は人で賑わう事になる。明日からは人数編制を行って、第五師団に配属された者は第四師団と入れ代わりに任務場所に移動を始めるのだ。動揺もある中、隊員達の間では現在別の不安も広がっていた。
「あの噂、ほんとかな……」
西方最前線基地、異例の三団長の集結に、近々戦争が起こるのではとあちらこちらで噂が出始めていた。
「俺、出来ればここから移動したい」
「噂だろ、ここ五十年、戦争なんて無いんだ。ファルドの貴族院だって、ガーランドに嗾けたって、山があるから無理だってわかったんだろ? こんな立地で、竜騎士なんかに勝てないって」
「全く…前は皆、無駄死にだったよな」
兵士の一人は、昔遊びに訪れたこの地に、広大な麦畑が広がっていたことを親から聞いている。今は見渡すかぎり、荒涼とした演習場があるだけだ。
「?」
ふと、一人の兵士が立木の間に人を見た。
遠目だが、見たことも無い鮮やかな色の布鞄を背に背負っている者が居る。禁色の黒を上下に纏った男は、ふらふらと左右に揺れながら兵舎へ入っていった。
「おい、あれ、」
「落人だ!」
******
痩せた男は右肩が外れて、右足がねじれていた。ところどころ裂かれた衣服は上下黒色で、茶色に染まった襟元には衣服と同じ黒の紐が巻かれている。
身体を揺らす不自然な歩きだが、突然動きが早くなり、見境無く動くものを潰し始めた。初めに潰した死体から奪った長剣で、今度は手当たり次第に人を、物を破壊していく。
男は斬りつけても、殴りつけても、弓で射ても止まらない。不用意に近寄れば、容赦なく逆に殺されてしまうのだ。
突然走り出す、突然屋根に登る、行動の全てに予測が立てられず、兵士達は距離を保って取り囲み、首を落とせる機会を窺っていた。
「火は!?」
「駄目だ。奴らは火をつけてもそのまま動く。こちらに被害が増すだけだ!」
「状況は?」
「中尉!」
後方から駆けつけたのはエスク。彼は被害状況を確認すると、陣形を組んで波状に攻撃させる指示をする。しかし落人は嘲うように渡り廊下の屋根に飛び移り、窓を割って兵舎に押し入ってしまった。
***
ーーーグルディ・オーサ中央棟第五室。
「これは、まるで落人じゃないか、」
ステルの呟きに、目の前のエルヴィーは咆哮を上げて衣装箱を叩き潰す。見れば手は血だらけで、形相は白眼を向いていた。そして動く度に堪えるように歯を食いしばり口端に血が滲む。
「エルビー、エルビー」
メイは彼を必死で呼びかけるが、その声は全く届いていないようだ。ステルは室内の少女の位置を目だけで確認すると「クソヤロウ!!!」と、エルヴィーに罵声を浴びせて抜刀する。
だが喉から唸り声を上げる男は、一度ステルに目線を向けたものの迷わず傍の少女へ足を進めた。
「こっちだ!!!」
「え…、エルビー?」
弱者から息の根を止められる事は、自然界での鉄則である。
エルヴィーは歯を軋ませ顎には涎が垂れる。明らかに正常な状態では無い。一歩、また一歩遅い足取りは少女に近寄り、それと同じだけメイは後ずさりした。
「こっちだってんだ! 馬鹿野郎!」
ステルは走り込み、胴を横薙ぎに一線。しかし、入ったと思ったその攻撃は、エルヴィーに上から剣の腹を叩き折られて刃ごと柄を掴まれると、逆に胸部に重い踵をくらう。強打にステルは倒れ込み、部屋にはメイとエルヴィーだけが残された。
「エルビー、エルビー」、
『どうしたの? どうなっちゃったの?』
か細い声が響く。声に向かってエルヴィーがまた一歩前に出ると、横から激突した何かに激しく叩きつけられた。
ーードオンッ!
「……!!!」
反射的に目を瞑ったメイが恐る恐る辺りを見ると、鉄格子の窓下にエルヴィーが横たわっている。その横には茶髪を一つの三つ編みにした男が立って、無表情にエルヴィーを見下ろしていた。
(誰…?)
「そうなっては、もう終わりね」
突然室内に響いた声は、女性のもの。
「ロウロウ、後始末をしておいて」
「かしこまりました」
声の主が室内に入って来た。背が高く褐色の肌、朱金色の瞳、長い癖のある黒髪の妖艶美人。しかしメイは、それに構わず倒れ込むエルヴィーに必死で駆け寄った。
「エルビー、エルビー、大丈夫? 大丈夫?」
女は少女を観察すると、ロウロウと呼ばれた美しい男に顔をやる。そして頷いた男を見てにやりと笑った。
「お前が、報告の落人なの? …ふぅーん、確かに特徴はあるけれど、ただの子供に見えるわね」
メイは女の粘つく話し方に一度振り返って顔を見たが、言葉に無視をすると倒れるエルヴィーとステルに声をかけ続ける。
「エルビー! 巨乳好き! 巨乳好き! 大丈夫」、
『どうしたの? マジでやばいよ』
メイはステルの名前を正確に思い出したと、それを必死に呼びかけるが反応は無い。すると不意に女の哄笑が室内に響いた。
「ずいぶんと、下品なもの言いなのね!落人が喋るなんて初めて見たけど、これはこれで面白いわ」
この状況で笑う女を横目に、話しも価値観も合わないと察知する。メイは再び意図的に女を無視するが、それを生意気だと黒髪の女は目を眇めた。
『医者、医者を、…そうだ、メアーさんに……った、』
立ち上がったメイは、突然強く突き飛ばされる。背中を突き上げられて、強かに壁に打ちつけられ見上げると、先ほど自分が居た場所にロウロウと呼ばれた男が立っていた。
『何なの、一体』
「ふぅーん、異国語の方が話せそうね。資料を作成するのに使えるわ。ロウロウ、お母様も喜ぶわよ」
ロウロウは女の母親に褒められると聞いて、無表情な顔に喜色を浮かべ礼を述べた。
「さあ、こんな田舎から直ぐに帰りましょう。それの首と足を刎ねたら、子供を連れて来てね。私は先に戻るわ」
(今、なんて言ったの?)
エルヴィーを見て、それと指さした女を驚愕に見つめる。頷くロウロウは、エルヴィーが持っている物と同じ様な袋から細長い棒を取り出すと、カチンカチンと組み立て始めた。
(ノコギリ? 嫌な予感しかしない)
無表情なロウロウが倒れ込むエルヴィーに近寄る前に、メイは庇うように飛びついた。
『何する気、やめて』
常識的に、この状況はおかしい。
そして、そこに飛びついた自分もおかしい。
それは分かっているのだが、やはり男がエルヴィーに迫る恐怖の状態でも、メイは今、自分が簡単に気絶が出来ないのだと考えていた。
エルヴィーを背後に庇いながら冷や汗に青ざめ、自分の頭部に向かうロウロウの大きな手のひらをぼんやりと見つめる。
「ロウロウ、子供は欠損させては駄目よ」
扉をくぐり抜ける前、女は興味もなさそうに室内を一瞥してそう言った。
(ヤバイ。ヤバイヤバイ来た、)
目は閉じなかった。
不意に少女の手が、大きな手の甲を掴み込むと男の小指辺りを内側に捻り込む。メイが身体全体を素早く引くと、大きな男は宙を飛び壁に叩きつけられた。ドスンという異音に褐色の肌の女が振り返ると、女の目の前には戸口に走り出した落人と呼ばれた少女が迫っている。
ーー「きゃあっ、!!!」
小さな少女は、戸口に立ち塞がる自分より大柄な女に肩から体当たりすると突き飛ばし、勢いを足場に扉を抜けるとそのまま廊下の奥に走り去った。
「な、なんてこと、」
突き飛ばされた女は呆然としながらも、屈辱に身を起こすと逃げた少女の背を睨む。そしてロウロウという連れの男の失態を詰ろうと、部屋の中を見て更に悲鳴を上げた。
「オルヴィアさん、ミギノ何処?」
部屋の中央で、立ち上がったのはエルヴィー。彼の手には、ロウロウの持っていた細い鋸がぶら下がっている。その足下には、本来エルヴィーがなるはずだった姿のロウロウが血塗れで横たわっていた。
オルヴィアとエルヴィーに呼ばれた女は、自分の想像を越えた出来事に思考が停止し、呆然と歩み寄るエルヴィーを恐怖に見つめる。
「オルヴィアさん、ミギノ、何処?」
無機質な再度の質問にオルヴィアは我に返り、毅然とエルヴィーを睨みつけた。
「お前、一体どういうつもり? ロウロウからエルヴィーはおかしくなったと聞いていたけれど、まさか、お母様の言いつけを守らないわけではないわよね?」
女は気色の悪いエルヴィーの手は借りず颯爽と立ち上がると、赤い絹糸生地の長いローブの裾の汚れを叩く。そして更にエルヴィーを強く睨み据えた。
玉狩りは失敗作。オルヴィアの母親、エミーのただの使い捨て人形なのだ。オルヴィアが幼い頃から、彼らは大聖堂院で奴隷以下の存在として扱われている。
エミーを主上とし、聖導士オーラ家の人間には絶対に逆らえない廃棄物的存在。そのはずだった。
*
「ミギノ、何処?」
エルヴィーが目を開けると、メイが部屋には居なかった。そして目の前のロウロウが手にした鋸で全てを察し、彼が動き出す前に逆に行動を起こした。
扉の前の廊下には、不様に座り込むオルヴィアがいる。彼女がここに居るという事は、大聖堂院にミギノの存在が知られてしまったということは明白だった。
*
「お前、お母様よ、エミーお母様の言いつけを、守りたいでしょう?」
玉狩りというもの達は、全てエミーの言いなりだ。
エミーの為なら喜んで死ぬ。
そのエミーの娘であるオルヴィアも、母ほどではないが玉狩りを使えるのだ。彼女は幼少期から、よく玉狩りで遊んでいたのだから。
オルヴィア自身は彼らを汚いと思い直に触った事は無いが、通常の奴隷や使用人では出来ない遊びが出来る。それに、玉狩りは数が減れば、直ぐに補充が出来るとても便利な人形でもある。
その、奴隷以下の〔数字持ち〕が、まさか自分に逆らうとは、思ってもいなかった。
「何をするの!離しなさい!」
「……」
「無礼者!!!」
目の前の〔数字持ち〕は、オルヴィアの肌触りの良いローブの襟元を掴み、つま先が浮くほど捻り上げた。未だかつて、この様な暴挙を経験したことの無いオルヴィアは、屈辱を通り越し震え青ざめる。
「何処?」
「や、やめなさ、ひぃ、」
無表情、しかし抑える事の無い殺気に、オルヴィアは気圧されて少女の去った方をガクガクと指さした。
「エルヴィー!」
逆の廊下の方向からは、フロウと数人が駆けてくる。エルヴィーはオルヴィアから手を放すと、少女を追って走り出した。
「お怪我は御座いませんか?」
憤然と廊下に立ち竦む褐色の肌の美女。慇懃にオルヴィアに尋ねたフロウは、室内を確認して周囲に目配せをする。踏み込んだ兵士達は、ロウロウの有様を跨ぎ越しステルの身体を確認し上官に頷いた。
壁際に倒れていたステルに息はある。それを見たフロウは、悠然とオルヴィアに向き合うと微笑んだ。
「私の許可を得ずに、勝手に館内に入るからこうなるのです」
「何故、軍の敷地内で、聖導士の私が誰かに許可を得ないといけないの? これは国の建物でしょう?」
言った女はフロウを見て、これはお前の物ではないと負けずに艶然と微笑んだ。
「でも、聖導士の私を危険にさらした事は、議会に報告しておくわ」
「聖導士オルヴィア・オーラ、正式訪問の申請無く現れた貴方の警備を、私は許可していません。なので大聖堂院として重要警護対象の貴方でも、我々は保護をしかねます」
他人事の様に語り出した最高権限を持つ責任者を、オルヴィアは気色ばんで見上げる。すると今度はフロウが困った子供を見る目で微笑んだ。実際オルヴィアは今年で二十。フロウの喧嘩相手にはならないのだ。
「ですので、早めのお引き取りを。あ、館内には別の落人も発生しています。お気をつけて」
「なんですって!?」
そう言ったきりフロウはオルヴィアに背を向けて、兵士達を引き連れ颯爽と歩き去る。残されたのは担ぎ出されるステルと、室内に放置されたロウロウの遺体を処理するもの達だけであった。
「あの者たち、」
幼い頃より大聖導士エミー・オーラの娘として自身も聖導士となり、周囲に逆らう者の存在がいなかったオルヴィアは、激しい怒りを少女と狂った玉狩りに向けた。
「許さないわ」
***
ーーーグルディ・オーサ基地、中央棟一階。
「落人はどうなった?」
「はっ、現在四肢を処理しております」
基地内に侵入した落人は、散々に暴れ回り死傷者を数名出した。しかし報告を受けたフロウは被害の少なさに訝しむ。
「それが、西棟で団長の少女が突然、落人の前に飛び出てきたのです」
「私の? …ゴホン。続けろ」
「はっ! その少女を見かけた落人が、何故か一度完全に停止したので、その機に対象の首を落としました」
「それで? ミギノ、少女はどうした?」
「それが、落人への対応の間に見過ごしてしまい…」
フロウは報告に眉を顰めると早足で向かって来るエスクにその対応を指示するが、更に凶報は重なった。
「報告致します! 地下のソーラウド他四名、東棟で保護していた獣人三名、騒ぎに乗じて逃走を図った模様」
「逃走? 獣人もか! 次から次と…」
苦虫をかみ潰すエスクに、フロウは答えず軽く息を吐いた。
*
エルヴィーの変貌、ロウロウとオルヴィアの登場、オルディオールはそれを悉に観察していた。
何故エルヴィーは、ラルドハートの名を尋ねた途端に気を違えたか。そして、遅れて登場したオルヴィアは、なぜエールダー家独特の赤みがかった琥珀の瞳をしていたのか。彼女は姿形を除けば、色合いはオルディオールそのものだった。
親戚かとも思えたが、エールダー家は大聖堂院に適した魔素を持ち合わせていない。五十年も経っているのだから、その間に血が混ざったのかもしれないが、家門と敵であった魔法院との血族が、どうにも腑に落ちなかった。
(問題ありの魔法院の登場で、そのまま玉狩りを奴らが葬ってくれることを計算したが、まさかこのガキ。飛び出やがるとは)
オルディオールはこの間、意図的に身体の主導権をメイに握らせ様子を見ていた。
(メイとの入れ代わりも、どうやら全て思いのままという訳ではなさそうだ。おそらく主導権は、精神力に左右される)
思い通りにいかない身体。それに苛立ちと焦りを感じる。
オルディオールの意思に反して、考え無しに危険なロウロウの目の前に飛び出た少女だが、その後の窮地は再びオルディオールが引き受けた。相手の体力を使う体術で、反撃に致命傷は無理だったが、なんとか窮地は免れた。
(しかし、今まさに、新たな窮地がやってきたが、)
下へ下へ、階段を駆け下りるがどうにも足が遅い。心なしか身体も動きが鈍い気がする。そんな最中に目の前の窓を破って現れたのは、おそらくこれが落人と呼ばれる魔物なのだろう。
『が、あ、あ、あ、あ、…あ?』
裂かれた肉、足も首も折れている。出血は大量で動いていることが不思議な状態。
(ヤバイな。これは非常にマズイ)
オルディオールは逡巡してしまい、少女は逃げることもせずに立ち止まる。すると不気味な男は、何故かぴたりと突然動きを止めて食い入るように目の前のメイを見つめた。
『き、…み、ぐぁあ、』
瞬間だった。四方八方から落人の四肢に縄が掛かり、目の前で大刀が首を跳ね飛ばす。
(!!!)
「!!、」
切り離されたものは宙に舞い、オルディオールはそれに構わず止められた足を動かすと、なんとか階段を走り降りる。辿り着いた一階裏門、遠くで兵士達の声が聞こえ始めた。物陰に潜み慎重に辺りを確認すると、演習場から木々が茂る森に向かって一気に走り抜ける。
木々の間に身を隠し、動きが鈍い身体を確認するが、多少打撲痕が熱を持っている程度で他に不調は見あたらなかった。
(いや、汗は異常に出ているな)
少し走った程度で滝のように流れる汗に違和感を持つが、オルディオールは構わず森の奥へ進む。しかし少しでもグルディ・オーサ基地から離れようと足を進めたところで、地を踏めずにがくりと前に倒れ込んだ。
(…なんだ? 身体が、動かない?)
起きあがろうとも、腕が全く動かない。これは少女が干渉しているものではない。崩れ落ちるように、力無く少女の身体は地に伏した。
(まさか、これは、)
「おや、苦しそうですねぇ」
顔さえ上げられない中、頭上から楽しげな声がかかる。聞き覚えのある声に、オルディオールとメイは最悪を想定し息を飲む。
「差し上げた剣は、お気に召しませんでしたか?」
「……」
(……)
ガチャリガチャリと音を鳴らし、横たわる少女の目の前に男の裸足の白い足が現れた。足首には、音の正体である千切られた鎖を引きずって。
「残念です」
少女の頬に、生温かい吐息と長く白い髪が一房かかる。そして屈み顔を覗き込み弧を描く、赤い瞳と目が合った。




