架け橋 26
ガーランドでの定例会議を終え、直ぐにトライドに飛んだオゥストロは、婚約者である少女と出掛ける事も無く仕事に二日を費やした。夕食に訪れるだけの診療所では小さな少女はくるくると動き回り、医療班の指示に従い今は検温を手伝っている。
少女は甲斐甲斐しく負傷者の世話を焼き、未だ蟠りの残る四ヵ国の人々の間を往き来し架け橋となっていたという。天上の巫女である小さな少女がどの国の者とも気兼ねなく話すことにより、診療所内では他国の兵士との衝突が減ったという。
立場を関係無く大勢で大部屋での夕食を取り、その中で少女は保護者の青年と獣人の少女、オゥストロの部下たちに囲まれて常に笑っていた。
青い星の祭り、慰霊祭の当日にグルディ・オーサの森に神殿は出来上がった。トライドの教会職人とガーランドの大工職人が作り上げた、美しい小さな神殿から少女は天に帰るのだとエスクランザの皇子は告げる。
業務的にオゥストロに天への道のりを説明した皇子は、いつもよりも険が少なく覇気もない。北方の言葉で述べられた天上への経緯を理解は出来たが、魔法に関する転移の詳細は少女の身に何が起きるのか黒竜騎士には想像出来なかった。
[エミー・オーラの遺体はバラバラになっていた。しかもところどころ欠損箇所まであったが、それと天への道のりは同じということか?]
[テスリド・メアー・オーラの説明から、エミー・オーラに関しては、魔方陣の設置環境に故意に不足があったと考えられる。それに魔石と人の力では転移者を維持する事が出来なかったんだろうね]
[研究者であるエミー・オーラにしては、杜撰が過ぎる結末だが]
[・・・それだけ、双頭と揶揄されたメアー・オーラが巧妙に仕組んだのではないの?・・・結局は、残されたオーラ一族の中でも彼だけは、首謀者を死に追いやった功績と医療技術保持者の権威に死刑を恩赦される訳だし、それも計算の内かもね]
ファルドの塔に囚われたメアー・オーラは、少ない刑期で釈放が決まる方向に話が進んでいる。彼にはトラヴィス山脈を爆撃したことにより、人全体の危機を招いた事実はあるのだが、真存在の意味を理解出来ない人々には危機が何か分からないのだ。その事を思い出したアリアは、また覇気無く目線を逸らした。
[まあ、要はメイ様の転移には、大地と大気の力が通じる神樹が道となるのだから、そんな心配は要らないんだよ。我々が死して天に帰る刻とは違い、天上人は常に身体と共に移動出来るのだからね。・・・後は、本当に道が繋がるのか、メイ様がその道に乗るかは、それは僕には分からないよ]
〈・・・・〉
[もしかすると、僕と共に過ごすために、天に帰る事を留まってくれる可能性もあるしね]
いつもの自己中心的な強気な発言は、どこか力強さに欠ける。軽く手を肩に払いオゥストロへの退席を促した皇子は、溜め息と共に背を向けて空を見上げた。
皇太子に会釈をして退出する。ノイス家の客間を後にしたオゥストロは窓の外の丘に寛ぐ飛竜たちを見下ろした。そしてアリアと同じく、何の変哲もない青い空を見上げてみる。彼の得意ではない魔法の領域だが、死して天に帰る事を想像し、その場所に少女の国を思い浮かべて空を注視するがやはり何も見えなかった。
以前に少女は、天上には飛竜は存在せず、代わりに大きな鉄の乗り物で数百の人々を運搬し、空よりも上から見下ろすものが天上の道の全てを監視すると言っていた。
(空路とは違う空の道、それを監視する役目の天上人によって、天の道が開かれるのか?)
少女の通る道のり、拙い言葉からつなぎ合わせて天上を想像するがやはり理解は難しい。全ての国の道を空から細かく監視することなど、ガーランド竜王国の騎士として空を支配する竜騎士にも出来る事では無いのだ。
その後何度かその方法を尋ねたが、天上から更に空に登り天を監視する者達は、特別な技術と能力を持つ一部の組織のようで全ての天上人が持つ力では無いことだと分かる。メイは彼等の力を借りて、小さな箱から覗き見るだけだったと絵に描いて見せてくれた。
『すまほ』という小さな箱も、グルディ・オーサに降臨した刻に壊れてしまいもう動かないと悲しそうな顔をしていた少女。
グルディ・オーサ攻略により基地を制圧した竜騎隊の最優先事項に、メイの私物の回収があった。そして少女の『すまほ』を発見する事は出来たが、見慣れない素材の薄い板には何も映らない。
調べ尽くされた衣服を手渡すと、少女は涙を浮かべて喜んだ。そしてメイ自身に『すまほ』を渡してもやはり何も映らない薄い板。溜め息を吐いた少女は笑い、その様子をつぶさに観察していたオゥストロは表情に嘘が無いと確信した。
もし本当に、少女自身がこの世を監視出来る力を有していれば、メイ自身を軍事兵器として秘匿しなければならないからだ。
だがこれは、少女の拙い言葉の間違いかもしれず、言葉の端と端を繋ぎ合わせてオゥストロが先読みをした懸念なのかもしれない。事実であれば途方も無い脅威の者が存在する天上人、メイにも何か役目があるのかと尋ねてみたら、少女は首を傾げて自分は菓子を焼いていると照れ笑いをしていた。オルディオールの居ない少女との会話に、正確に言葉が通じなかったと考えたオゥストロだったが、翌日には本当に菓子を焼いて持ってきた事に、少女の無邪気さに呆れると共に安堵した砦基地でのことを思い出す。
その風変わりな少女は自分の心と周囲に変化をもたらし、彼女自身に深く興味を抱く様になったオゥストロは、いつしかメイの幸せを考える様になった。
だがそのメイが選択した幸せは、天上に帰る事がオゥストロと共に過ごすことよりも優先されたのだ。
これをアリアに告げられたオゥストロは、自身の驕りが衝撃となり身体を貫いた。女は彼を取り合う事を当たり前とし、オゥストロが婚約者と認めた少女が、まさか自分を捨て帰郷を望むなど頭の片隅にも無かったのだから。口では帰ると言ったところで、それは男の気を惹く為で本心ではないと思っていた。
(御せない)
常にオゥストロの想定の範囲外の行動をする少女の、行く手を遮る愚か者にはなりなくない。それをしてしまえば、オゥストロは完全にメイに負け、対等ではなくなるのだ。
青い星が形となって空に浮かぶ。
別れの刻が迫り、口数が少なくなる騎士たち。居並ぶ竜騎士の見送りをいつものように素通りした少女は、この地を離れる為に差し伸べたオゥストロの手に笑顔で応える。対照的に瞳に涙を浮かべたままの獣人の少女を余所に、メイは毅然とトライドの騎士達に笑顔で片手を振った。
「ルーリエ!」、
『****!』
少女の見送りに集う騎士、王族を返還し新たにトライドの一貴族になったラーナ、教会の代表神官と不安げな子供たち。トライド軍を統括するアールワール・ノイス、そして軍医イスト・クラインベール・ティルオー。出会った全ての者達に告げたのは、一言の感謝と天上言葉。
余りにも情無く簡素な別れを残して空に舞い上がった天上人に、王女だったラーナはぼそりと呟いた。
「せっかく生きて戻って来たのだから、そんなに急いで帰る事はないのにね」
「王女らしからぬ王女だった貴女とは、変わり者同士話が合ったかもしれませんね」
「・・・どうかしら」
空を見上げたまま同じように力無く呟いた軍医は、死ぬまで帰郷を望んでいた恩師の老人を思い出す。メイの帰郷を心から祝福するが、それが叶わなかった老人を重ねて寂寥に空を見上げた。
**
グルディ・オーサの森への空路には、天上の巫女の見送りに竜騎隊が空に列を成している。その先頭を飛ぶ黒竜ドーライアの背の上で、寒さに小さな身体をぶるりと震わせた少女をオゥストロは強く抱きしめた。毎日騎士と走り込みをしても、あまり変わりのない筋肉の乏しい身体。それを外套に包んだオゥストロは、普段口に出すことのない思いを告げる。
「この身体を始め、天へ帰る刻が来たら全ては地へ還さないといけない」
オゥストロの呟きにもぞりと動いたメイだが、身動きの出来ない上空に大人しく前を見る。そして頭頂に呟かれた低い声にこくりと頷いた。
「俺は石にも故郷にも物には執着は無い。死すればこの記憶さえ天へは運べないかもしれない。だからそれを容易に持ち運ぶ、天上人とはそもそも考え方が違うのだ」
分かっているのかいないのか、少女の頭は言葉の切れ間にこくりと頷く。それに苦笑したオゥストロだが、見えてきた到着地点に初めて空は狭いと考えた。
「天へ帰る事を選ぶのならば、俺と過ごした記憶は共に連れて行ってくれ」
女を不様に引き留める事は自分の矜持が許さない。だがオゥストロは、生まれて初めて他者に縋るように希う。
『・・・・』
「もし再びこの地へ戻る日があれば、俺の名を呼べ」
『・・・・』
「いつでもお前の元へ飛ぶ」
オゥストロの言葉に無言で頷き返す。メイを抱きしめたままのオゥストロの大きな手が小さな手に重なり、そこに指輪があることを確認して小さな後頭部に口付けた。
**
聖衣を纏い泉を取り囲む神官と巫女達は、昼夜に交代して祈りの歌を歌い続ける。慣れない新しい音階も数度で理解した彼等の歌声は耳に心地よく、高音低音が何層にも重なって森に響き渡った。
早朝には静かな旋律が奏でられ、それに微睡んでいたアピーは小さな神殿の階段の隅に丸くなる。だがかさりと木々を踏んだ雑音に、素早く身を起こし振り返った。
「・・・誰?」
見慣れない中年の商人の女性が神殿に歩いてくる。守護する竜騎士の検問を通り抜けてやって来た、見知らぬ女に警戒したアピーだが何かに気付いて風に乗る匂いに集中した。
(この人、ちょっとだけ犬狼の匂いがする。・・・あと、あの人の匂いもする・・・)
アピーの思い人であるエスク・ユベルヴァール。その男の匂いが他の女からした事に、アピーの気持ちはぐちゃぐちゃと絡まりそして結論に尾が下がる。それに微笑んだ商人の女は、どさりと大きな袋を背から下ろすと中から小さな包みをアピーに手渡した。
「あなたに贈り物ですよ」
背が高く細身の女は手渡した小箱に微笑むと、再び大きな荷を背負いアピーに背を向ける。竜騎士に声を掛け木々の中に踏み込む女をそわそわと見送ったアピーは、両手に包んだ可愛らしい包みの小箱に思い人の匂いを嗅ぎ取った。
泉の周りを半周し、落ち着き無く神殿の階段に戻ると包み紙の匂いを確かめる。
(エスクさんの匂い、なんで、なんでアピーに?)
隠しきれない気持ちはふりふりと尾に表れるが、膝に置いた小箱の包みをそっと開くと箱の蓋を慎重にずらして中を覗き込む。
「・・・あ、これ、」
硝子窓に遮られ長い巻き毛の人形の頭に輝いていた、触れることの出来なかった花形の髪飾り。木々の間から差し込む朝日に照らされて、黄翠石はきらきらと輝いた。
「・・・・、」
外套に覆われたままの自分の短い髪の毛、それに触れたアピーは手の平に包まれた髪飾りを見て涙が溢れこぼれ落ちる。しばらく一人で肩を震わせていた少女は、数段上に閉じられたままの扉を振り返って縋るように見つめた。
「ミギノ、アピー、話したいことがあるよ。・・・帰って来て・・・」
**
「なあ、これからミギノは土に埋められるの?」
「は?、オメエ、縁起でもねぇコト言うなよ」
「だって、天には身体を土に埋めないと行けないんだろ?」
「え?、あ?、そうだっけ?いや、違うよな?・・・馬鹿だなオメエ、それは死んじまった場合の話だろ?」
不満に口を膨らませてテルイドに疑問をぶつけるが、厳つい表情のテルイドも質問に確信が持てずに首を傾げる。
「祭り、アピー全然来なかったし。俺達、なんでグルディ・オーサに行けないんだろう」
「そりゃあ、今はあそこ、ガーランドの縄張りだろ?」
「でも北方の奴らも巫女達も行くのに?」
「巫女や教会の奴らは歌うから、ガーランドは縄張りで見張りすんだろうし、俺達は森での役が無いんだから、しょうがねえだろ?」
出店が賑わう祭場にアピーは誘っても来なかった。異様に丸いクラウを食べ続けるテルイドは、不満をこぼし続けるアルドイドを放置し、黒竜騎士に見せ場を奪われた上官の背に何の気なしに語り掛ける。
「頭はミギノちゃんの見送り、グルディ・オーサに行かなくていいんですか?」
「・・・あーーー?」
無感情に人を殺す刻の赤い瞳で振り向いた。それに否定の首を振ったテルイドは、頬を膨らませるアルドイドを小突いて急かすように離脱する。
逃げる二人を睨み付けたソーラウドは、空を流れる様に飛んでいく竜騎士達を再び見上げた。それに重なり浮かぶのは、黒竜騎士に手を掴まれ、飛竜に引き上げられ他の男の腕に収まった小さな少女。それが大切なミギノを目にした最後の姿だった。
ソーラウド達、トライドを守護する者達にはグルディ・オーサでの役割が無い。そして単独での森への侵入は、ガーランド兵に遮られるのだ。目の前で他の男の腕に包まれた思い人、その屈辱を瞳に焼き付け丘を後にして、以前と変わらない薄汚い裏通りをふらつく。
(あいつをここに連れて来たのは、一年くらい前になるのか?)
傷を受けた少女を町医者に診せる為に連れて来た。その頃は、まさか少女の存在が、これ程大きくなるとは想像もしなかった。感動の再会から、刻が経つほどに世間で大きくなる黒髪の少女の存在。そして彼女を取り巻く男達の存在の強さに直面したソーラウドは、自分の存在の小ささと弱さを痛感させられた。
(ただ好き合ってるだけじゃ、あいつの隣は歩けねえ)
自分の事を好きと言ってくれた少女は、強い権力を持つ者達に常に翻弄されている。そしてソーラウド自身は、少女がオーラ動乱で攫われても現地に救いに行く事も出来なかったのだ。破落戸組織からトライド軍を形成して貴族の位を与えられても、ガーランドやファルドなどの巨大な軍隊を前に、足場が覚束ない状況では足手纏いになるだけだった。気持ちは急いたが救出された大切な少女が、黒竜騎士に抱え込まれて診療所に駆け込む姿を見て、ソーラウドは何も出来ない自分に呆然としたのだ。
「破落戸が、貴族の底辺に与したってな、」
地下組織や裏側を束ねても、本物の貴族、大きな権力を持つヴァルヴォアール公家や黒竜騎士オゥストロまでは容易に届かない。そんな不甲斐ない自分に愛想をつかせて、巫女となった少女は天に帰ると言い出したのだ。苛立ちに目に付いた塵の箱を蹴り上げたが、一向に気持ちは晴れずソーラウドは虚脱感だけが増した。
「何をしているの?貴男、ノイス将軍の部下でしょう?」
飯屋の給仕の女と若い女は、これ見よがしに散らばった塵を拾い始めた。それに目を眇めたソーラウドは、女の顔を見て驚き口を開く。
「王女さん、あんた、・・・そうか、今は王女じゃ無かったな」
国民を救えない情けない王族だが、国民を救う為に簡単に権力を捨てた。それを世間では潔いと誉めたのだが、今も既得権益を貪る貴族達が抵抗しノイス家を筆頭とした破落戸組織の強い脅しにあっている。ただ国王とラーナ王女だけは、自ら王族の立場を返還に頷いたとアールワールから聞いていた。
「あんた、王族だったら、そんな塵拾わなくても良かったのにな」
「・・・・そうね。だけど形だけの権威など、実際には何の役にもたたないものよ」
生まれながらに持ち手得た権力の、有り難みも分からず手放した愚か者。生まれながらに塵のように捨てられたソーラウドは、扱えなかった権力の価値を分からず簡単に捨てた女をただの無能者だと嫌悪する。
「王族に生まれなかった俺たち塵には、あんたの考えは分からないってか?」
「落ちている塵一つ、身分や立場で手が汚れるからと拾えないのなら、それこそ役に立たないと言ったのよ」
「持たざる者には理解出来ねえ発想だ。面倒くせえ塵拾いを職種としなけりゃ生きていけない俺達にはな」
口篭もるラーナを見据えたソーラウドは、空を我が物顔で飛ぶ飛竜の羽音に更に苛立ちを募らせる。
「生まれながらの高みの見物も出来なくなる。後悔ってやつは、実際に地を這ってから理解出来るぜ」
塵に唾棄して通り過ぎる。珍しい白髪の男を横目に、ラーナは無言で塵を箱に詰め込み始めた。
「それぞれに、思いは異なりますからね。ラーナ様と王様は、トライドの国民を思って決断されたことを、私は知っていますよ」
口を噤んだままのラーナに微笑み、太った給仕の女は片付いた塵に満足して前掛けをぽんぽんと叩き埃を払う。
「でも私が天上人の巫女の立場なら、各国に必要とされたあの立場を、易々と捨てて帰るなんて事はしないわ。本当に価値が分からないのは、あの子なのよ」
誰しもが頬を染める黒竜騎士、それに並ぶ精悍なファルド騎士団長、美しい北方の皇太子に求婚された天上の巫女。崩れかけた王家のトライドとは異なる約束された将来。それを全て捨て去り天に帰ると言った風変わりな少女の考えは、ラーナには全く理解出来なかった。
「・・・天上の方には、天上への思いがあるのですよ。きっと」
「・・・・」
**
「ヴァルヴォアール殿、ファルドから迎えの車は明日の朝に到着予定です」
退出した医療事務長。イストに絶対安静を言い渡されたが、天上の巫女がグルディ・オーサへ飛び立つのを見届けたフロウは、慰霊祭の最中にファルドへ戻ると部下に告げていた。
窓辺から見える青い星。それが一番近付き大きくなる今夜、全ての魂は天へ帰るという。死により別たれる誓約をした男を思い出したフロウは、その先を想像して眉を顰めた。
(エルヴィーは、ミギノと共に天へ向かうのだろうか?)
慰霊祭により、小さな巫女は天への道を登るというが、フロウはそれにエルヴィーが連れ添う様で不快だった。
(まるで、近寄った青星が、ミギノを天に連れて行くようだな)
気怠く動きに痛みのある身体。腕を動かすことにもやっとな状態に苛立ちが募る。オーラ動乱により変動したファルド帝国。トライドまで侵攻したガーランド竜王国との緊張は増した現状。そして全ての国に密接に関わる稀有な巫女の少女の帰還に、それを連れ去る青い星を見上げた青い瞳は鋭く色を濃くする。
(まだ何も始まっていない。俺ならば、ここで天へ帰したりはしない)
**
真白い神殿の中には、太く大きな古い木の幹が聳え立っている。その幹に寄り添うように毛綿布に包まる少女は、腹が空くと備えられた木の実をぽりぽりと食べていた。
外から絶え間なく聞こえる歌声に耳を澄ませて、故郷や別れてきた人々を思い浮かべる。特に何も無い数日が過ぎた頃、木の幹を覆う枝葉の隙間からぽとりと青い玉が目の前に落ちてきた。
(・・・・)
『・・・え?、ぷるりん?』
ぺたりぺたりと木の床を跳ね、大木に寄り添う少女に近寄る青い玉。それを訝しみ見つめた黒目は、反射的に片方の眉毛が上がる。
『ぷる、オルディオールですか?・・・おかしいな?ぷるりん成仏するって話しだったのに。・・・それとも違うぷるりん?』
(・・・・)
『見分けがつかないよ。ただの青い玉だから。でもぷるりんじゃない玉を身体に入れるのも躊躇いがある。・・・油性ペンがあれば額に名前書いたのにね。ぷるりんのピーマーク、プフッ、あ、オーマークにしておく?プスッ、そもそも額が分からない』
鼻笑いに青い玉が少女に飛び付き、口に無理やりねじ込んだ。異物を咳払いに吐き出そうとする少女だが、それも虚しく黒目は侮蔑に眇められる。
「お前、俺をその哀れな呼称で呼ぶことを、自粛していたんじゃなかったのか?」
******
女は古い装束を身に纏い、長い長い道のりを一人で歩いていた。
家業により幼い頃から精霊を捕らえる卑しい身分であった女は、生まれつき色が抜け落ちて虐められる幼なじみと共に、人々から隠れる様に過ごしてきた。
だが転機は訪れて、幼なじみが高貴な女性の目に留まり、白兎に似ていると声をかけられる。男が貴人に気に入られ卑しい身分から抜け出ると、女も付き人としての権利を与えられた。そして月日が経ち、女と幼なじみが様々なことを学び誇れる仕事を与えられる様になった頃、ある問題が発生した。
白兎と呼ばれている男と話しをするだけで、高貴な女は悋気して様々な女達を遠ざけていたのだが、幼なじみであった女へある日突然激昂したのだ。
幼なじみには過去に淡い恋心はあったが、男が高貴な者の目に留まった日から、女は思いを胸に秘めて言葉にも表した事は無い。そして月日が経ちその思いさえも薄れて消えてしまっている。しかし白兎との仕事の立ち話で主に悋気され、詰られた言葉がそのまま女の呼称となってしまった。
後に高貴な言葉が編纂された書物を見た女は、自分が呼ばれた〔エトゥ〕とは[お前もか]という他の女達への悋気と同じ、侮蔑を含む意味だと知って悲しくなる。そして更に騒ぎは大きくなり、女は遂に国を追われる事になった。
高貴なる者への窃盗、暴言、覗き、虚言などの罪で国を乱した者として国外追放となったのは五人。何故か高貴な女を惑わせ国に害をもたらした者の代表として、幼なじみの男も中に含まれていた。流刑を言い渡された彼等は船に乗せられて、危険な大海に流される。
幸か不幸か、処刑場の南方大陸に流されたはずの船は海路を外れ、東への荒波に乗ってしまう。荒波は天候が良くなると直ぐに収まり、船は順調に東の海岸に向かって行った。
船の中では、五人は呑気に歌ったり海を眺めていたのだが、やがて理不尽な仕打ちに高貴な女の悪口を言い始める。それも飽きた頃[そうだ]と、一人が高貴な女の部屋の中から持ち出してきたという包みを床に広げて、中身を皆で確認し暇つぶしを始めた。
[だって私、この小さな指輪を盗んでないのに盗んだ罪でこの船に乗せられたから、本当に持ってきてやったの]
[よく持って来れたな]
[簡単よ。あの女、自分の部屋の大切な物、量が多すぎて覚えてなんかないんだから。見守り神官だって、女の部屋に入れないでしょう?置いてあった私の私物に紛れ込ませたの]
そう言って高貴なる者の傍仕えであった女が広げた包みの中を見て、五人は思い出話に花を咲かせる。
古い歌集。
精霊魔法集。
歴代の高貴なる者達が身に付けていた小石。
[こんな小さな石、魔石にもならないわね]
[だってあの女、そもそも魔素がないからな]
[だからきっと、全身の醜い傷痕が治らないんだよ]
[ああ君は、お風呂場を覗いた罪だっけ?]
[温度の調節に行ったら、裸のあの女が騒ぎ始めたんだ。こっちは見たくなかったよ。あんな醜い傷の痕]
[なあエトゥ、その小石、気になるの?]
[奇麗、この白い粒、よく見ると虹色だよ]
[真珠って言うんだって、なんか天上でも珍しい奇麗なものが宮殿の奥の部屋に仕舞われていたそうだよ。あげるよ。魔石にもならない塵だけどね。でもエトゥなら、こっちの青石の方が似合うんじゃない?]
塵と言われた色とりどりの小石。その中にぽつりと異物のように不透明な白い珠は転がる。
[塵かあ、]
大海に浮かぶ船の上、キラリと光る白い珠。女はガラクタの小石の中から一つだけ白い珠をつまみ上げて陽に翳す。そして幼少期の頃の小さな恋を思い出した。
目の前に初恋をした本人はいるのだが、年月が人を変え、男はもう女の思い人では無くなった。だけど女は、恋した思い出だけを大切に仕舞い込み、首から白い珠を下げることにした。
**
海を越えて奇跡的に東の地へ辿り着き、異国で必死に生き延びた五人はそれぞれに仕事を見つけて生きていく。
女は幼なじみの白兎と共に仕事をしていたが、大きくなる組織の中で意見が食い違うようになった。そして分かれた派閥に立場を追われ、定住していた大きな街を出ることを強いられる。
長く長く一人で歩き、流れ着いた異国の北の地に故郷でよく見かけた精霊を感じた。彼等との関わり方を知っている女は、深い森を歩き抜けると美しい人々の住まう国にたどり着く。
深い渓谷、深い森に覆われた陸の孤島であった国の人々は、見た目も心も浄く、見えない精霊を気配で感じて共に暮らしていた。旅人であった女は美しい王に滞在を許されて、北東の森の隅に小屋を建てさせてもらいひっそりと暮らし始める。
古びた総木造の建物は、質素で飾り気が一つも無い。だが女は、今まで帰る場所が何処にも無かったのでとても喜んでいた。そしてその場所に長く留まれる様に、自分が知り得るあらゆる知識を請われるままに披露する。
美しい国の人々は昔々に賊に王子を攫われ、その後直ぐに赤い空飛ぶ蛇に王女を攫われて以来、森の外の人々との交流を避けてきたのだという。美しい国の人々は、もうその悲しみを忘れてしまっていたので、異国の女は人々に喜び迎え入れられた。
人々や王に請われるままに、女は魔石を生活用品に変えていく。
そして王の求めるままに、目に見えない精霊を具現化することになった。精霊は人に囚われると苦しみ大きな悲鳴を上げる。それを王に聞かせたくはなかったが、住む場所を与えられた女は求められる全てに応じてしまった。
行われた精霊の具現化、だが不思議なことに、この地の精霊は囚われた事に怨嗟の悲鳴を上げずに簡単に形に成る。そして色を纏わない美しい透明な球体は、王に纏わり付くと、美しい彼の瞳と同じ色に染まっていった。
「きっと精霊達は、王の事が大好きなのですね」
「それは喜ばしいことだ。貴女にも、思われる者は居るのだろうか?その胸の首飾りの贈り主のように」
王に問われてふと胸元の白い小石を握りしめた女は「異性からの贈り物では無い」と慌てて否定したが、懐かしい気持ちに頬を染めて頷く。
「この精霊達と同じかもしれません。無欲な子供の頃はただ相手を思い、好きになる。大人になると様々な欲に塗れて、相手の何が好きなのかと色々考えてしまう。・・・初恋が塵と人に言われても、想った純粋な気持ちは、私には魂と同じくらい大切なもの。忘れたくない」
同意を微笑み頷く王に求められ、次々に具現化され紫色に染まっていく精霊たち。美しい精霊に囲まれて王は幸せそうだったが、それは長くは続かなかった。請われる便利な技術や魔法は、知らなかった者達の生活を大きく変えていく。
やがてそれは、愛でていたもの達の悲鳴に変わり、石に変わり、優しく美しい人々を愛した紫色の精霊は、この世から居なくなってしまった。
年月が経ち他国から攻め入られると、何も知らない人々に代わり女は他国との交渉に買って出た。もともと女と交流のあった人々との出会いもあり、話し合いにより戦争という大きな厄災は免れる事になる。
その後、女は小さな小屋で生涯を過ごし、故郷に戻ることは叶わなかったが、安らかに天へ帰って行ったという。




