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ぷるりんと異世界旅行  作者: wawa
天へ帰る歌~オーラ公国
215/221

25 帰路 25


 〈鷹豹トーライドか、こんなところで出会うとは、珍しいな〉

 

 〈珍しい?あなたの方が珍しいね。鷹豹おれたち無人ハグ結実ウォエラはとても珍しい。・・・羽は無くなっちゃったんだね〉


 「・・・ウォエラ、」


 〈そう、愛する子供。真存在ゴウド無人ハグ結実ウォエラ。特に鷹豹トーライドは多種族と子供を持つ事が難しいって言われてたのにね。あなたは既に、無人ハグの血が強くなってしまったね。それに他の獣人ものの血も混ざってるみたいだ〉


 「・・・・、」


 自分の祖先についての真実、奴隷から逃げ出し父に救われた母の血か、それとも噂通り父の遠い先祖の混血かは分からない。笑う鳥族の男が飛び上がるのを見上げた男は、自分の褐色の肌の手首に目をやり、腰骨に薄らと浮き上がっている斑紋を寝屋で指摘された事を思い出す。

 

 〈結実ウォエラ、ね、〉

 

 大きな翼を広げた鳥族の男は、陽の光を背に黒い影となって高く高く舞い上がる。嘗てそれを持っていた祖先は、生まれてきた子供に翼が無かった事をどう思ったのだろう。何も特徴の無い無人ハグと蔑まれた家畜との子供に、それを生み出した者達は無償の愛を授けたのだろうか。


 男より背に濃い斑紋がある事により、獣人だと蔑まされて幼少期から狭い檻に閉じ込められて居たという少女。英雄オルディオールが施行した奴隷保護法を擦り抜けて、闇から闇へ転売される寸前に、中央第九師団として奴隷商に潜伏していた青年に救われた。


 その後救った少女と恋に落ちた第九師団の青年は、一族の反対を押し切り結ばれる。生まれた子供には、赤児の頃に獣人としての特徴が全く現れていなかった事を、母親は涙を流して喜んだという。


 「・・・・・・・・」


 初めから、在りもしない翼への憧れなど無い男は、自分を覆った黒い大きな影から抜け出すように、魔戦士デルドバルの遺体が転がる荒涼とした世界へ歩いて行った。









******









 「帰ります」


 迷いの無い黒髪の少女の一言に、エスクランザ皇子は軽く目を伏せ頷いた。傍で見守るアピーも、メイの強い決意に別れを感じて悲しみに尾が下がる。ただ一人、蛇魚メアハの少年だけは口を引き結び首を強く横に振った。


 〈何のお話し?今の、メイが天に帰るって聞こえたよ。間違いだよね〉


 少年の場を弁えない我が儘に守護騎士テハは目を眇めたが、アリアはスアハの強い問いを静かに否定する。


 〈真存在ゴウドのスアハ、これは天上エ・ローハ神子姫サー・ミスメアリの決断だ。君たちの介入の外にある〉


 〈メイ、帰るのは、スアハのお家だよね?〉


 〈スアハくん、私は家に帰るぜ。自分の〉


 初めて出会った頃より小さくなった少女。だが媚びるように身を丸めて、いつものようにメイを下から覗き込む様に見上げたスアハは碧だけの瞳をうるうると潤ませる。


 〈・・・・・・・・・・スアハとつがいになって、スアハのお家に帰るんだよね、〉


 〈スアハくん、私の家は〉、

 『ここには無いんだよ』


 〈スアハのお家は水の中じゃないんだよ、半分は水の中だけど、半分は陸だからメイも楽しいの。あのね、昔は頭の悪い子が、お気に入りの無人ハグと水のお家でくらそうとしてね、次の日はお水の飲みすぎで死んでたりとかね、スアハはそんなお話も勉強したよ。スアハのお家では無いのよ、だからね、〉


 『・・・ごめんね』


 少女の悲しげな表情に、聞き慣れた謝罪の異国語を聞いた。スアハの要求が通らない刻、メイは困った顔でいつもこの言葉を口にする。


 〈・・・・、う、ヴ、〉


 咽の奥からゴロゴロと響く音。じわじわと碧い瞳は紫色に染まり、引き結んだ唇から細い牙が零れ出る。握り締めた拳に、大きく広がった光沢のある耳鰭。それに怯えたアピーの全身は総毛立ち、不気味な低い唸り声の異音にテハも素早く身構えた。だがメイを除く一同は突然現れた気配に硬直し、物陰で小刀を構えるトラーの腕と全身にも緊張が走る。



 〈スアハ〉



 少年の背後に立ったのは大獅子セブン。窓から飛び込んだ大きな影は目に映ったのだが、巨体の重さを感じさせずに音も無く舞い降りた。


 〈それがメイの意志なら、遮る事は出来ないぞ〉


 〈・・・でもスアハなら、メイを攫って連れて行けるよ。ヴェクトはしないんだね?スアハはするけど良いんだよね?〉


 〈攫って繋いで飼うのか?それは対等なつがいでは無い。家畜だ〉


 〈家畜じゃないよ、メイが良いいの。一緒に居たいんだもん。スアハは馬鹿じゃ無いからね。スアハがメイと天に帰れない事は知ってるよ。だから海に連れて行く〉


 〈なら俺がお前を処分してやる。対等な、大人の男としてな〉


 〈それはヴェクトはしたいのに、出来ないからスアハの邪魔をするってこと?・・・卑怯だよね?〉


 ヴヴヴヴヴ、と低い唸り声を上げたスアハの瞳が赤く赤く染まり始めた。それを見てますます怯え後退るアピーだが、メイは目の前の少年の異変に首を傾げて眉間に皺の寄る額に手をぺたりと当てる。


 ーー〈!!!〉


 全身が震えた臨戦態勢の蛇魚メアハ。危険な状態の少年の額、更に頬に手を当てて首を傾げたメイに、そんな事をする者が、居るはずも無いと思っていたヴェクトも身構えて息を飲む。そしてようやく周囲の不穏な空気に気付き、きょろきょろとヴェクトやアリアを見回し焦るメイは、震えだしたスアハの背中を優しく摩り始めた。


 『あの、これ、震えだして目の充血が半端じゃないけど、かっぱの体調不良ってどうするの?、お皿に水?、お皿が無いかっぱは?』、

 〈熱あるのか?大丈夫だぜ?〉、

 『なんか魔人怒ってない?顔が。振り返ればチカンと元気な少年もピリピリしてるし』、

 〈どうすんの?これ、〉


 背中には温かい手の感触。旨そうな匂い。そこにある柔らかい肉へ噛み付きたくなる衝動。ビリビリと震える身体を抑え込み、全てに殺気を放っていたスアハは拳を強く強く握り締める。そして歯を食いしばって瞳孔を大切な少女に見定めた。


 〈メイ、〉


 〈大丈夫だぜ、大丈夫だぜ〉、

 『震えてるし、スー、ハー、ってゆっくり呼吸して。お水持ってきてあげるから、ちょっと待ってて』


 ぽんぽんと額を撫でると立ち上がろうとするメイを強く掴んだ少年は、柔らかい腹に顔を埋めて腰に巻き付いた。愚かにも自分に気を向かせた、獲物である無人ハグの少女の急所に顔を埋めた蛇魚メアハ。それを剥ぎ取ろうとヴェクトは素早く腕を伸ばすが、少年の肩を掴む前にその手はピタリと止められた。



 〈うわぁああああああああああああん!!!やだぁーーーーっ!!!〉



 〈嫌だ帰らないで〉と泣き叫ぶスアハに、それが自分が帰ると言った事への引き留めだと気付いたメイは困り果て、銀色の美しい髪の毛を何度も撫で摩る。


 『ごめん、ごめんねかっぱちゃん』、

 〈スアハくん、ごめんなさい〉


 ガタガタとスアハの鳴き声に共振する窓硝子、怯えたアピーは尾を丸めて身を縮める。謝罪を繰り返す少女に、腹に押し付けられた顔は上げられなかったが、背に回された腕の力が強く抱きつぶされたまま、息苦しさに呻き声が響く。だが大獅子セブンの手が少年を無理やり引き剥がす前に、メイは強く突き飛ばされてアリアにぶつかった。


 『痛た、!?』

 

 身を起こして振り返ると、立ち竦む銀髪の少年がこちらを見下ろしている。窓の逆光を浴びて影を纏っているが、全体が真っ赤に染まった瞳は大きく見開かれメイを凝視し、強く閉じた唇は噛み締められて血を流していた。


 『か、血が出てるよ』


 白眼が無く表情の読みにくい少年は、伸ばされたメイの手から逃げるように走り去る。彼の入れ替わりには、鳥族の青年が困った笑顔で肩を竦めてやって来た。


 〈種を超える結実ウォエラ。無力な無人ハグつがいとする真存在ゴウドは、無人ハグの意志を最大限に尊重しなきゃならないからねえ〉


 走り去る蛇魚メアハの少年の背を振り返り見たフェオは、彼よりも大人の大獅子セブンに首を傾げた。


 〈力無きものからの屈辱と肉への欲望と渇望。これが真存在ゴウドの掟だなんて、辛いよね。ヴェクト〉


 〈・・・・〉


 去った少年の波打つ美しい銀髪を見ていたメイは、腹に押し当てられた温かみに気付き見下ろす。そこには長衣の下腹部に血の滲む跡が残っていた。



 『かっぱちゃん、ごめんね・・・』




**

 



 フロウの居る診療部屋を後にしたオルディオールは、階段の踊り場から揉める声に気が付く。ころころと転がるルル達を避けて辿り着いた最上階の廊下では、不穏な空気に走り去る獣人の少年とすれ違った。


 (・・・?なんだ?、あいつ)



 〈では君たちは、つがい宣言を取り下げるんだね〉



 確認にアリアがヴェクトに尋ねると、大獅子セブンは首を傾げて腕を組む。そして軽く否定を横に振った。


 〈まだそいつはここに居る。帰郷の意志は認めるが、俺との繋がりがあれば、再び俺の元へ落ちてくるだろう。そうなれば、無人ハグ決闘デートなど必要なく連れ帰る〉


 〈それは、・・・来ない者を待ち続けるということなのかな?〉


 〈それがディエラってやつだ。お前達、年中誰とでも発情出来る無人ハグには、到底理解出来ないだろうがな〉


 〈なんだかメイに執着してる言い方だけど、大獅子セブンは一夫多妻制だからね。ヴェクトが良い女だと判断したら、片端から子供を産ませるよ〉


 〈それは地長グートの役割だ。俺には関係無い〉


 窓辺に笑う鳥族を睨みつけるが効果は無い。次代を継ぐ者の筆頭として名の上がるヴェクトは、族長となれば血を多く残す事になる。風変わりな少女の成長を期待している大獅子セブンは、相変わらず恐怖心無しで自分を見上げている小さな少女を見下ろすと、別れの言葉を掛けることも無く背を向けて歩き去った。


 『怖い魔人に獲物認定されたまま?ディエラって、確かそんな意味じゃなかった?』


 呟くメイの肩の上には、いつの間にか青い玉が乗っている。それに注目したフェオは、他のルルと見比べて何度も首を傾げた。


 〈ディエラって、真存在ゴウドでは魂に刻み込まれるのさ。失ったら、引き裂かれちゃうくらいにね〉


 『・・・ん?ムガッ、〈スアハとヴェクトがどうした?揉め事か?〉


 拙い言葉だが、メイよりもしっかりとした発音が聞こえた。それに目の前で、口に滑り込んだ青い玉の正体を確認したフェオは笑う。


 〈メイに引き裂かれちゃったんだよ。ディエラになりたいあいつらの魂がね〉


 〈ディエラ?、ああ、そういえば〉


 少女を取り合い決闘しようとしていた男達。その件をすっかり忘れていたオルディオールは、見上げた鷹豹トーライドとエスクランザ皇太子を交互に見つめる。 


 〈スアハは決闘デートに負けた?・・・ああ、メイはスアハを振ったのか〉

 

 それに吹き出したフェオだが、メイでは無いオルディオールを見下ろして胡座に腰を下ろした。


 〈俺達より上に位置するもの、彼等は無人ハグの淘汰を見送った。だが、それは普遍じゃない〉


 「・・・?お前達より上、なんの話だ?」

 

 口元は嘲るように笑うフェオの言葉はメイの背後、エスクランザ皇太子であるアリアやテハ、無人ハグと呼ばれる者達へ強い厳しい視線で語られる。


 〈憐れなメイが、俺達より上の存在に、お前達の罪の謝罪を心から行った。それにより、彼等は無人ハグの淘汰を見送ったんだ〉


 「罪の謝罪?、お前達の上の存在って何だ?」


 疑問に首を傾げる黒髪の少女。その背後ではアリアは言葉の意味に気が付き戦慄する。


 〈無知で力無き無人ハグ、その中で更に犠牲となり、他に蹂躙されし憐れな無人ハグメイに、お前達は救われたって事だよ。滑稽だろ?〉


 [・・・・]

 「・・・・」


 〈ある意味これは、最高の結実ウォエラかもな。彼等の考えは、俺には難しすぎるけど〉 


 「真存在ゴウドの上に立つもの、・・・竜か、」


 少女オルディオールの呟きに羽を浮かせて肩をすくめたフェオは、切れ長の黒目を半円に歪めて獲物を見定める目つきで笑う。


 〈そのメイが天に帰って居なくなったら、彼等は無人ハグをどう見るのかな?〉


 [・・・・]

 「メイが天に帰る?そう言ったのか?」


 自分の事に驚く少女。それに再び羽を浮かせたフェオは笑い、膝を叩いて立ち上がる。そして突然鼻と鼻が触れる程に近寄った。興味があるのか無いのか、笑う瞳の奥底は見えない。


 〈帰るのが失敗して空から落ちて来るのが見えたら、そのまま鳥族の巣穴に持って帰ってあげるよ。大獅子セブンの巣に持ち帰られる前にね〉


 額と額が触れる間際で離れたフェオは、笑顔を残して窓辺から飛び立った。それを呆気に見ていたテハは、開いたままの窓から出ようとするルル達に気がついて、掴んで素早くぱたりと閉める。


 [何だったんですか?あの鳥族、]

 [・・・・物騒な話だね]  


 「真存在ゴウドが南から出ることは、俺達、無人ハグの淘汰を意味する。それを決定するのは、奴等の上に位置するもの、竜が決めると言ったと理解出来る」


 「え、竜?、というか、獣人ゴウドが南大陸から出てくると、なぜ私達の淘汰になるのですか?」


 フェオの言葉の意味を理解出来なかったテハは首を傾げるが、アリアは真存在ゴウドの真意に無言で黒髪の少女を見下ろした。向けられた視線に見上げる少女、メイのつり目の黒い瞳は同じ危機感を宿す。


 「トラヴィス山脈、竜の巣穴を攻撃した無人ハグ。あのグルディ・オーサ国境線の爆撃は、無人おれたちの淘汰に繋がるものだった」


 「・・・真存在ゴウドが南から出て来ると、どの程度の損害になるのだろうね?」


 「おそらく、真存在やつらが他の大陸に本気で進撃すれば、半年を待たずに人は蹂躙されて家畜化されるだろうな」


 [・・・・]


 「それを止めている者が〔竜〕なんだ。奴らは真存在ゴウドより、今は上に位置している。序列が上の竜がガーランドで人と共存する事により、奴らは無人ハグと呼ばれる肉餌ひとに距離を置いているんだ」


 「その竜の怒りに触れた無人ぼくたちだけど、いつの間にかメイ様が、それを沈める謝罪や償いをしてくれたの?君は知っているよね?オルディオール殿」


 「メイの謝罪の心当たりは無いが、そうだな、」、

 (おそらく、上に立つ者の代表格は黒竜だろう)


 それを確信したオルディオールだが、アリアは別の感慨に少女を見下ろしたまま額に手を当てた。


 [・・・・]


 「まあ、後でそれは何をしたかこいつに聞いてくれ。それで先程の話に戻すが、メイが天に帰ると言ったか?、そんな方法があるとすれば、エスクランザの術か?」


 額から指を流れるように顎に当てたアリアは、どこか上の空でオルディオールに答えを返す。さらりと瞳にかかる邪魔な前髪はそのままに、目線は真摯に見上げる瞳に合わさず逸らしたままだった。


 「・・・そうだよ。メアー・オーラの話を聞いていて、ある考えが浮かんだ。転移魔法に必要な、人の階級では操れない大きさの力とは何か」


 「人の階級では?それこそ竜の力か?」 

 

 「違うよ。これは飛竜シーダにも持ち得ない力だ。この世のものではあり得ない。でも僕はその奇跡を二度も目にしている」


 息を飲むテハの横にはアピーが聞き耳を立てている。考えが及ばないオルディオールは無言のまま、メイの顔で片方の眉毛を上げた。


 「一つ目は、グルディ・オーサで慰霊祭コゥホーンの途中に、空が捩れてまるで避けたかに見えた事」


 大きな神樹ハハキを祭壇の上、空の一部がぐにゃりと捩れた。


 「二つ目は、落人オル天上人エ・ローハ、メイ様だよ」


 頷きと共に見下ろされた黒髪の少女は、奇跡と言われて憮然と口を噤んだまま自分の身体を見下ろしてみる。だが理解出来ずにまた首を傾げた。


 「魂は天へ帰る。落人オルと呼ばれる天上人エ・ローハは天から落ちてくる。なぜ東大陸には落人オルが多いのか、なぜ我が国では数百年前から天上人エ・ローハの降臨が途絶えたのか。東へ追放されたのは白兎アルスニークルス、エトゥの巫女シストと数人の神官と巫女達、それに数種の禁呪と失われた聖歌シラー


 メイへの意思確認とは違い、自分が行き着いた考えを英霊オルディオールにアリアは雄弁に語り、それは確信だと告げる。だが何故か、皇子の高慢な語り口調に視線は窓の外に逸らされたままだった。


 「・・・この東の教会シンシャーでは、聞き慣れない鎮魂歌ウールシャトゥを歌っていたんだ。その盗まれた聖歌シラーは東の地で歌い継がれ、それにより空は裂け、天上人オルはこの地へ落ちて来ていた」


 「ならば力の源は歌か?」


 「シラーが導く力場は神樹ハハキ。この世に生じる生命、全ての源になる大地と繋がるものは神樹ハハキなんだ。その力と聖歌シラーが共鳴すれば天への入り口が開くはず・・・」


 しかし過ぎる思いにアリアは声の力を落とし、ここでようやく見上げる瞳と目を合わせた。


 「だけど天上人エ・ローハは、空から現れるのみで地から登った記録は今までにない。メイ様には期待させたけれど、全ては可能性の話しだよ」


 「・・・そうか、だが、それが帰り道になる可能性は否定出来ない。・・・良かったな。メイ」


 (・・・・・・・・・・・・)


 肝心なところでは漏れ出て来ない。少女の強い無意識の頷きを期待したオルディオールだが、沈黙したままのメイが喜んでいるのかも分からない。それを内心寂しく思ったオルディオールに、再びアリアが言葉を続けた。


 「そこで君も探して居たんだよ、オルディオール殿。メイ様の帰り道、その足がかりとなる慰霊祭コゥホーンだけど、これにより、君たちも天に帰る可能性が出て来たんだ」


 「俺?たち?」


 「そう。残る数字持ちであるエルヴィー殿、オーラで居なくなった十九セルドライ、グルディ・オーサの森とここに集められたルル、そして君は、鎮魂歌ウールシャトゥにより天に導かれる可能性が高い」


 「・・・魂の鎮魂歌ウールシャトゥ、か」


 「完成された鎮魂歌ウールシャトゥにより、死者は等しく天に導かれる。この世に強い執着や未練が無い限りね」


 「強い執着と未練」


 その言葉に沈黙した黒髪の少女を見つめていたアピーは、今までの話に口を疑問に尖らせる。そして突然割り込んだ。


 「オルディオール玉さんはミギノと、同じ天に行くの?」


 慰霊祭コゥホーンが死者の為の祭事だと考えるアピーは、その天とメイの帰りたい場所が繋がらず、不満に不安げな顔をしている。


 「どうだろうね、残念ながら、僕は天に行った事が無いから分からないけれど、経典カオンや文献を見た限りでは違うだろう。天上人エ・ローハのメイ様達は、身体を地へ還さずに移動しているからね」


 「・・・じゃあ、ミギノが玉さんになる訳ではないの?良かった、」 


 (・・・・)


 アピーの心配を余所に、オルディオールの中に居るメイは、自分がこの世界から居なくなる事を惜しむアピーやスアハの事を考えていた。そしてメイ自身を認めてくれた人々との繋がりと、彼等との別れが迫った事に胸を詰まらせる。  


 哀しみに締めつけられた少女の心。それを感じたオルディオールは胸に手をやり、まだ変化の無い空を見上げた。そして見下ろした階下には、数人の者達と診療所を訪れる背の高い美丈夫を発見する。



 「そうか、なら、思い残しが無いようにしないとな」 



 青い玉が並べられる廊下、階段を駆け降り始めたメイに驚いたアピーはそれを追う。置き去りにされた皇太子を不安げに守護騎士は見つめたが、アリアは少女達が去った階下を見下ろして軽くため息を吐いた。

 



**




 「黒竜オウシーダだ!」


 「オゥストロ様が来た!!」


 

 現れた黒竜に歓声が上がり、町の人々が駐竜場の丘を遠巻きに眺める。飛竜の恐ろしさに始めに慣れたのは子供たちで、次にその母親達が黒竜騎士の美しい容貌の虜となった。今や噂はトライド中に広まり、黒竜騎士を目にしようと人々が黒竜の飛影に集って来る。


 だが目的の黒竜騎士はノイス公家の私有地である診療所に降り立ち、破落戸と変わりのないトライド自衛軍に睨まれ簡単に近寄る事が出来ない。自国ガーランドでも支持者の多いオゥストロは、群れとなり柵の外に集う人々には目もくれずドーライアから降り立つと、出迎えたアラフィアとセンディオラを引き連れ足早に診療所に向かった。



 〈・・・トライド王政の廃止〉


 〈元よりあって無き様な王族でしたが、反対する一部の氏族を除き、話は纏まるとの事です〉

 〈反対勢力もノイス家が封じるでしょう。全ては慰霊祭コゥホーンが終了次第始まります。王領地が解放されれば、広大な農地や産業地に切り分けて生産力を向上させる。我が国が投資した公的資金も、数年後には回収し収益となる試算が出来ています〉

 〈一部のものたちとは、例のファルドの貴族のことか〉

 〈はい。ファルドからの独立に拠点をトライドに移した元貴族たちを中心に、利権を主張し反対していましたが数は多くありません〉


 貧困に喘ぐトライド王国の解体、国民の生命線である医療や食料物資支援を優先し、次に整地、農業支援などに着手する。管理自治は解体されたトライド王政府の貴族達が担い、国の運営主導にガーランド政府軍が加わる事は無い。


 だがガーランド駐留軍をトライド国内に配置され、実質的に支配下に置かれたトライドは、数年先からガーランド竜王国に納税の義務を課せられる。これに直ぐに了承したのは他でもない、トライドの国王だった者なのだ。


 〈ファルド帝国にも大きな動きがありそうです〉

 〈オーラ動乱に、我が国の巫女ミスメアリメイ様が象徴となった事が幸いしました〉

 

 〈東大陸の勢力図が変わる〉


 〈しかしやはり、メイの、いえメイ殿の事ですが、やはりここははっきりさせた方が良いと思います〉

 〈同意です。ファルド軍はヴァルヴォアール将軍だけでなく、過去の英雄、オルディオール殿の名を上げて主張しているのです。メイ様は隊長のものだと、皆に周知させなければなりません〉

 〈センディオラ殿の言葉には気になる部分はありますが、私も同意です。メイ殿は我がガーランド軍の巫女ミスメアリ


 〈・・・・〉


 攫われた天上の巫女の奇跡の救出に歓喜したのは、ガーランド竜王国だけではない。トライド国、ファルド帝国、北方大陸に南方大陸の者達までが祝福に沸き立ったという。東大陸を乱し、北方、南方にまで魔戦士デルドバルで進軍を企てたオーラ動乱。それを鎮めた象徴となった者が天上の巫女姫の生存と帰還なのだが、その巫女姫を救出した者が各国によって英雄が異なるのが最大の問題となり始めている。それぞれが自国の英雄が巫女を救出したと主張して、新たな争いが懸念されるのだ。


 ガーランド竜王国では当然の様に竜騎隊と黒竜騎士オゥストロの名を挙げ、北方セウスエスクランザ天王国は皇太子アリアの功績によるものだと信者に主張する。ファルド帝国は第一師団騎士団長ヴァルヴォアールと、彼に天から助力したとされる英霊オルディオールの降臨目撃を元に、皇帝アレウスが巫女はファルドの者だと公表し国民はヴァルヴォアールと巫女姫の婚姻に沸き立っているという。しかも今回は他大陸には干渉の無いはずの南方大陸の者までが、小さな黒髪の少女を保護したのは自国の強者だと宣言したのだ。


 〈和平は大切ではありますが、どの国が強国であるか、優劣は我がガーランドが上に立たなければ意味がありません〉

 〈事実上、トライドまで領地を広げた我が国に、もはや解体寸前のファルドなど敵ではありませんが〉


 〈・・・・〉


 看護隊の女性隊員がオゥストロの訪問に頬を染め上げ見つめる中、未だ負傷兵が溢れる玄関広間の階段上階から人目を憚らず高い声が響いた。ざわつく待ち人達が何事かと上を見上げると、北方の子供が一人吹き抜けの柵越しに手を振っている。


 「危ないよ!やめてよ、ミギノ!」


 〈なんだ?〉 

 〈あれ、メイじゃないか?〉


 見上げたアラフィアと眼鏡を押し上げたセンディオラが小さな姿に気付き、オゥストロが怪訝に少女を見返す。美丈夫を確認した小さな少女は、獣人の少女が止めるのを聞かずに不安定に柵から身を乗り出した。


 〈なんだ、メイ様、危ないぞ!警護兵は付いていないのか?〉

 

 腕の力で伸び上がって短い足を手すりにかける。そしてくるりと外側に回り込むが、少女の足は細い足場に届かずにぶらぶらと浮いていた。アピーの短い悲鳴に息を飲むアラフィアとセンディオラを余所に、小さな身体はずるりと下がりつま先立ちに振り返る。


 〈あいつ、何してやがんだ、〉


 アラフィアの怒りと焦りの呟きに、広間の人々の目線を一挙に集めた愚かな少女は目的の男に声を張り上げた。


 「オゥストロ!!」


 〈?〉


 「受け取れ!」


 婚約者である少女の目が覚めた。慰霊祭が始まる前に一度ガーランド竜王国に戻らなければならないオゥストロは診療所に立ち寄ったのだが、その目的の少女が中二階の柵から飛び降り黒竜騎士は外套を翻して駆け寄る。


 ーー「ああっ!」


 看護人の悲鳴、オーラ領で負傷したガーランド兵を始め、重傷となったファルド兵もトライドの診療所に運ばれている。負傷兵が大勢治療に留まる診療所、その玄関口で二階から飛び降りた小さな黒髪の少女は黒竜騎士に抱き止められて晴れやかに笑った。


 〈・・・・・・・・何をしている〉


 「お前には大きな借りがある。だがガーランドがトライドから先に進軍しない事を、〔天上エ・ローハ巫女ミスメアリ〕であるメイがファルド帝国に天上人エ・ローハとして〔盟約〕している。理解出来たか?」

 〈・・・盟約?〉

 「誓約クランデルーサではないぞ。神憑った巫女ミスメアリの託宣だ」

 〈・・・・・・・・〉

  

 ファルド帝国にオルディオールは巫女のメイとして、ガーランド竜王国はトライド領よりファルド帝国には天の力を持って進軍させないと公言している。しかしその内容は実際に天の力などでは無い。もちろん過去にガーランド竜王国のある大臣とオルディオールが、和平を見据えた誓約グランデルーサをしたからでも無い。


 「このトライド領でも、飛竜シーダは全て定められた高原から出ることはない。そしてガーランド軍の〔親切〕な特殊部隊は、トライド領に派兵されている整備工兵と同じくらい数が多い」


 〈・・・・〉


 「たかだか奴らの糞一つ、血の洗浄にそこまで気を遣う事は無いのになあ?、これはただの〔親切〕には行き過ぎる」


 背の高いオゥストロに抱き止められた小さな少女はにこりと笑い、不穏に眇められたオゥストロの黒い瞳を見上げている。ガーランドからトライドに派兵された特殊部隊の仕事は、飛竜の糞や血を取り除いて洗浄する。それは他領地へ進軍による礼節などでは無い事をオルディオールは確信に呟いた。


 「ガーランドが飛竜シーダの主食が東側に無いことにより、長期に渡りファルド帝国には侵攻出来ず、それをファルドに見透かされないように〔親切〕な部隊は糞や血を処理している。飛竜シーダが飛べない空には意味が無い、侵略しなかったでは無く出来なかったという事実を、侵攻させないという巫女ミスメアリの〔盟約〕とした」


 〈・・・・〉


 「おそらく糞を回収している事から、それが何かに利用されている可能性も考えられる。もしかするとそれは〈その先は口に出さない方が身のためだ〉


 低い声が耳朶に落とされ、小さな少女はぶるりと肩を振るわす。力加減を間違えば、簡単にオゥストロに抱きつぶされてしまう少女は、更に生意気な黒目を輝かせて微笑んだ。


 「過去にファルドを焼き討ちした赤蛇デウスローダや黒竜ドーライアは、他の飛竜よりも自力が強いか雑食で補えると考えている。どうだ?当たりか?」

 〈・・・雑食には違いない。彼らは人もその対象だ〉


 「そうだろうそうだろう」


 満足そうに頷く黒髪の少女は、オゥストロの肩に手を掛けもぞりと蠢く。抜け出そうと身を捩り腕に腰掛けた少女に、オゥストロは首を傾げて顔を見上げた。


 「精霊殿、貴公との誓約グランデルーサは我が婚約者の生存により終了したが、攫われ傷を付けられた」


 「・・・・」


 「心にも、この頬にも」


 白く丸い頬には、薄くなった打撲痕が微かに見える。オルディオールの不注意により攫われたメイは、敵であった魔戦士デルドバルに救われた。


 「・・・・・そうだな、結果として、十九あいつは俺の身体を使いこいつを救った。誓約グランデルーサの理に適う」


 〈・・・・・・・・誓約グランデルーサとは、確かに人と人では行わない方がよさそうだ。特に我が国ガーランドでは、その適当さは矜持を傷付けられたと決闘デートに値する〉


 「矜持は国によって変わるのさ。・・・まあ、こいつを傷付けた者の顛末は、お前もトラーに聞いただろ」


 〈・・・・〉


 少女を攫ったオーラの魔法士は、東の森で獣に食い荒らされていた。それを見届けた神官騎士は、別人のように様変わりしていた。無言になったオゥストロの腕に腰掛けて、ひそひそと不穏にこちらを見つめる群衆を見回す。


 「天の刻が来た。盟約これでお前への借りを、全て返したことにするぞ。そして〔これ〕はただの手土産だ」


 〈・・・なんの話だ?〉


 〈ウォル!!隊長、甘やかしてはいけません!、そのガキをこちらに!危ねえ事をしやがって!どっちだ?メイか?オルディオールか!?〉

 〈そうだぞ!お前は似ていても獣では無いのだ!!、しかも運動能力は皆無だと情報は揃っているのだぞ!!〉


 我に返り少女に走り寄ったアラフィアとセンディオラだが、オゥストロにしっかりと受け止められた子供に見える少女が、愚かなことをしたと苛立ち睨みつける。怒声に上階からも注目が集まり、更なる説教に口を開いた二人だが、次の少女の行動に動きを止めて目を見開いた。


 ーーちゅっ。


 慌ただしい来客たちに注目する人々、どこからともなく短い悲鳴が上がる広間。黒竜騎士に抱き締められた黒髪の少女は、突然オゥストロの首に巻き付き頬に口付けた。


 〈・・・・精霊殿、〉


 「これで相思相愛だよな。お前とメイは」 


 ずれた眼鏡を戻そうと一度外したセンディオラは、目の前で起こった出来事に動揺しカシャンと大切な眼鏡を落としてしまう。少女の企みの笑顔になる程と頷いたのはアラフィアだけで、その場は大いに荒れる事になった。



**

 


 小川と森に囲まれるノイス家の領地。そこで乗り手を待つ飛竜達は、各々好きなように寛いでいる。簡易竜舎とされる小屋では騎士の数人が飛竜の好む豆の選別に屈み込む姿を遠目に、黒竜ドーライアは木陰を見つけて腰を下ろした。


 〈裁決聞いたよ。でも、そのメイが居なくなっても、あんたはいいの?〉


 刺々しい言葉に下を見ると、銀髪の蛇魚メアハの少年が見上げている。黒竜であるドーライアに敵意を剥き出しにするものはあまり居ないので、珍しいものを見る目でドーライアは見つめた。


 〈スアハはメイが・・・・・居なくなったら、もう意味無いからね〉


 〈・・・・〉


 〈目に付いた無人ハグ、全部食べてやるよ〉


 〈・・・・〉



 〈おーい、スアハ?〉


 〈!〉


 物騒な言葉を発したが、小屋からの声かけにびくりと肩を揺らした少年は声から逃げるように走り去る。そして穏やかに流れる美しい川に飛び込んだ。


 〈・・・・〉


 遠離る少年の気配を感じ、鼻から息を吐くドーライアは上体をゆっくりと伏せる。そして小屋から聞こえる聞き慣れた者達の言葉に耳を傾け眼を瞑った。



 〈なんだ?あいつ、〉


 〈なんかドーライアに話し掛けてたけど、〉

 〈一緒に水浴びしようぜって、誘ってたんじゃねえ?〉


 〈ドーライアに?〉


 陰で散々に飛竜の悪口を言っている。そんな蛇魚メアハの少年が彼の大好きな水浴びに竜を誘うだろうか?エスフォロスはそれを疑問に眺めていたが、飛竜ロディウルの飼料豆の選別が終わったクレイスは、屈めていた腰を上げて背筋を伸ばすと〈そうだ〉と未だ豆を弾いている隣を見下ろした。


 〈それよりエスフォロス、エスクランザ皇太子の話聞いたか?巫女ミスメアリさん、天上エ・ローハに送り返す儀式するって噂になってるぞ〉


 〈え!?あ、〉


 フエルの好む白豆が、選り分けた他の種類の豆に零れて混ざる。パラパラと落ちたそれを再び地味に拾い集めるのに下を向いたエスフォロスだが、飼料小屋の戸口に慌ただしく別の同僚が駆け込んだ。

  

 〈大変だぞ!!、隊長がメイ様に抱きついて口吻て、それにキレたセンディオラ班長が隊長に決闘デートを申し込んで眼鏡を投げつけたって!!!〉


 〈はあ?、なんだ、そりゃあ、!?〉

 〈痛っ!あ、オイ!〉


 振り向いたクレイスのだらしなく緩められた隊服の金具の一つがエスフォロスの頭に当たり、あと少しで適量だった選り分けた皿の白豆が半分近く袋の中に落下する。だが会話の内容の奇妙さに顔を上げたエスフォロスは豆選別を中断して立ち上がった。

 

 

 ギャギャギャーーー・・・・!



 遠くから飛竜フエルの豆を求める呼び声が聞こえる。気紛れに水に消えた少年には構わずに、エスフォロスは診療所に向かって走り出す。川の畔の木陰で眼を閉じてそれを聞いていた黒竜は、スアハの言葉と乗り手たちの会話の内容に青い空を見上げた。


 〈・・・・〉


 なんの変哲もない青空には、未だ裂け目は見られない。虹彩の幕に被われた金色の瞳を閉じると、さらさらと流れる川の音を聞きながら身を横たえ丸くなる。



 この刻から、うろちょろと飛竜に喧嘩を仕掛けてくる、珍しい蛇魚メアハの少年を目にすることは無くなった。




**


 


 慰霊祭コゥホーンが終わり次第、仕切り直しで三大陸和平決議案が開催されると噂される昼下がり、出会いの噴水広場では人々の喧騒に紛れて男と女が壁際で睦み合っている。


 〈ファルド帝国は共和国として、反旗を示した領地を独立させるとの噂もあります。そしてトライドは、王家を廃絶し新たな政府を立てるとのこと〉


 〈共和国になろうと共同体になろうと、ファルドが大きな軍を持つことには変わりない。ガーランドを牽制する為にもこの均衡は必要だ〉


 〈何故かガーランドはトライドに留まり、ファルド領域に進軍せず。これも天上エ・ローハ巫女様ミスメアリの宣言通りとなりますか〉


 〈ガーランドの〔事情〕を知った上で、その情報をミギノに利用したんだろう。目聡いオルディオールと呼ばれる英霊ならば、考えそうな事だな〉


 出店で賑わう街の噴水広場には、様々な待ち合わせの者達が集っている。塀を背に笑顔で立ち話をする男と、それに口説かれている女。だが会話の内容は甘い睦言では無かった。


 〈オーラ戦から救出された巫女姫サー・ミスメアリは、目覚めと共に黒竜騎士の求婚を受け入れたと騒がれていたが、おそらくガーランドの捏造だろう。だがこれは放置すればファルドに不利になる。噂を止めてくれ〉


 〈はい、既に手配済みです。ガーランドに力が偏る事は、この世の長も望んでいないでしょう〉


 〈全てはこの世の長の決定に、三部族長とガーランドは従うだけだ。俺たち調停者ウォエラは、ただ精霊レリレウトの様にこの世を漂う事しか出来ないからな〉


 〈その割には、貴男は様々な噂を流されていますが、それも封じますか?〉


 〈刻と共に消え去るさ。戯れ言だ〉


 エールダーに飼われていた。

 エールダーを陥れ裏切った。

 男に纏わる様々な憶測。


 〈結局は真実なんて、始まりに遭遇しなければ歪曲されて知り得ないものですからね〉


 〈俺達ウォエラ真存在ゴウドと人の間を調整する。その役に流されて生きていくだけだ〉


 〈今回は、貴男は落人オル巫女様ミスメアリに振り回されていましたからね。そういえば、竜騎隊のある者に〔ハインの長〕に会ったことがあるかと問われた者がいます〉


 〈この世の長では無く諜報ハインの長、ね〉

 

 〈はい〉

 

 〈・・・俺は〔会ったこと〕無いけど、あんたは?ある?〉


 〈・・・・どうでしょう、あるのかもしれませんし、無いのかもしれません。存じ上げませんので〉


 〈だよな、皆、同じだよ〉


 会ったことは無いが、前長から引き継いだ後は鏡で長の顔を毎日見る。この世の長からの裁決は、飛竜の遠鳴きにより言葉を理解出来る様になった。

 

 誘いに乗らなかったのか、申し訳なさそうに立ち去る女を見送ると、男は人通りの多い噴水の広場にクラウの焼きたての匂いに出店を覗いた。一部始終を横目に見ていたクラウを並べる店主のおやじの冷やかしの声掛けに、男は挨拶変わりに照れ笑いで応える。

 

 「口説きは失敗しましたか?」 

 「そうなんだよ。手土産の一つも無かったからかな?」

 「隣の宝飾屋、子供から大人まで、女は毎日覗いてますぜ」


 窓辺の人形には、きらきらと輝く髪留めや腕輪が飾られ棚に並べられている。嘗て獣人の少女を騙して罠に掛けた男は、少女と待ち合わせた噴水広場で、装飾屋の中を背伸びに覗き込んでいた姿を思い出した。





**


    



 [皇子!どういう事ですか!?、メイを天に返すって!?]


 [返すのではない。帰るんだよ]


 診療所に駆け込んだエスフォロスは、目に付いたアリアに詰め寄り立場を弁えずに息巻いた。おどおどと腰が引けた少年騎士を押し退けて、詰め寄る竜騎士をうんざりと眺めたアリアだが、思い出し笑いに肩を揺らす。


 [何がおかしいんですか?あん、貴方は、この前メイを絶対に帰さないって、そう言ってたじゃないか!、それに隊長だってきっと]、

 〈・・・メイが帰りたいって言ったんですか?〉

 

 [これは天の意志だよ。我が天王国では、天上人エ・ローハの切なる願いは法を超えるからね。僕などの気持ちはちりのようなものさ]


 [・・・・失礼しました]


 [構わないよ。先程は、オゥストロ殿の間抜けな顔も見れたしね。あれで部下の非礼を相殺してあげるよ]


 再び笑い始めたアリアを訝しみ、首を傾げたエスフォロスは同僚の意味不明な伝令を思い出す。


 [隊長が、?、あ!、抱きついて、]


 [そうだね。大勢の前で飛びついたから、何事かと思ったけれど、あれはオルディオール殿なりに気をつかったみたいだね]


 [はあ、??、精霊殿がですか?]


 [公の場所で、メイ様自ら彼を選んだって事にしたかったのだろうけれど、どう見たって色事には見えなかったよ。子供が悪戯に黒竜騎士に飛びついて、それを驚いたオゥストロ殿が落とさないように受け止めて、危ないだろうと叱った雰囲気だった。おかしな事も言っていたしね]


 その後は手を繋いで階段を上る姿は、まるで親子のようだったとアリアは更に笑う。


 〈・・・はあ、そうですか、〉


 [さあ、そんなことより、君もグルディ・オーサ祭壇造りに協力してよね。青い星が引き寄せられるのは三日目の夜なんだから。忙しくなるよ]


 [はい。皇子は俺とフエルで森までお運びします]


 改めて身を正したエスフォロスに背を向けて、歩き始めたアリアは背後に呟いた。


 [慰霊祭コゥホーンが始まれば一週間、彼女は神樹ハハキの神殿に入られる]


 [一週間、ですか]


 [食事も寝床も用意があるようにしないとね。彼女が困らない様に]  


 〈・・・はい〉




**




 それぞれが祭事の準備に追われる中、メイとアピーは負傷者の手当てを手伝っていた。周囲が慌ただしい中で二人の少女も忙しく医務官を手伝い、それを横でエルヴィーが見守っている。目まぐるしく慌ただしい三日間はあっという間に過ぎ去った。




 英霊と呼ばれたオルディオールは、メイの身体に入ることはなく黒猫と共に行動している。そして大きな袋に詰められて、飛竜の足に掴まれた大量のルルを見つめていた。


 (メイが天に帰ることが出来るのならば、もう俺に思い残す事は無い)


 青い星が空に輝く前に、グルディ・オーサの森に運ばれるのは袋に詰められた同胞達。居並ぶ竜騎隊の列の前列、それを黒猫の頭の上で見送ったオルディオールは、次にオゥストロに引き上げられて黒竜に乗せられた小さな少女を見上げた。


 「行きますよ!ぷるり、っ、オルディオール、くろちゃん!」


 差し伸べられた小さな白い手は、オゥストロの大きな手に包まれる。黒竜騎士は黒猫とオルディオールに同乗の否定を示した。怪訝な表情でメイは背後のオゥストロを見上げたが、それに応えたオルディオールは黒猫と共にアラフィアの乗る飛竜に向かう。



 群れを成して丘から飛び立つ竜騎士達を見送るのはトライドの住民達。先頭に位置した黒竜の背の上で、冷たい空の風に晒されたメイは鼻をすする。それを背後からオゥストロが温かい外套の中に包み込んだ。


 最後になる空の逢瀬、交わされる言葉の中にオゥストロの告白を聞いたメイは大切な指輪を握りしめる。そして近づくグルディ・オーサに、この地で見た闇のように広がる森をある感慨に見下ろした。


 (あっという間に着いちゃった・・・)


 初めて見下ろした森は、地獄かと思えるほど不気味だった。だがオゥストロの体温に包まれた飛竜の上から見渡すと、故郷には無い珍しい異国の地形に美しいとさえ思う。


 次々に舞い降りた飛竜、ぽかりと木々が途切れた泉の畔には、美しい神殿が大きな古い木の根に建てられている。小さい神殿は三日で建てられたとは思えなく、美しい装飾まで細部にあしらわれていた。


 グルディ・オーサ基地に保管されていたぼろぼろの少年の様な衣服に身を包み、メイは神官と神子、各国の騎士達が居並ぶ祭場にアリアと進む。



 [ここから先は、天上エ・ローハへの架け橋となる]



 開かれた神殿の扉の前でアリアが止まり、大きな神樹ハハキに叩頭礼をすると厳かに階段を降りていく。一人扉の前に取り残されごくりと息を飲み込んだメイは、中に踏み込む前に後ろを振り返った。


 言葉少なくトライドで過ごした三日間では、一番多く話したアピーが目を潤ませてメイを見つめている。既にぽろぽろと翠色の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちているが、メイは込み上げる涙を堪えて無理やりに飲み込んだ。そして見送りに居並ぶ人々に控えめに手を振ると、オルディオールの真似をして晴れやかに笑う。


 「有難ルーリエう」、

 〈有難リウムう〉、

 [有難ファンシーう!]


 国が変われば言葉が変わり、少女はどの国でも初めの質問に必ずこの言葉を教えて欲しいと尋ねていた。それに気付いていたのはオルディオールとエルヴィーのみ。


 『****!』


 最後に放たれた少女の国の言葉、これに眉を顰めた青年は身を乗り出と、小さな背中に問いかけた。



 「ミギノ!直ぐに戻ってくるよね?」


 

 くるりと背を向けて神殿に踏み込む小さな姿だが、突然呼び掛けられた声に、振り返った少女は困った表情のエルヴィーと目が合った。青年の隣、オゥストロの肩に乗るのはオルディオールと名乗る青いルル。それを見たメイはぐっと口を引き結び、返事を返さず神殿の中に足早に歩き去る。悲しげな表情のエルヴィーの肩をポンと叩いたエスフォロスは、首を横に振ると祭壇を後にし、見送りの竜騎士達も神殿から離れて行った。


 「・・・・・・・・くぅん、」


 残された少女の婚約者とされる者達とアピーは、奏でられる鎮魂歌を聞きながら大きな神樹を見上げている。


 青い星が空に大きく輝き始めると、灯りに照らされた森の中のあちらこちらから歌が響き始める。人々の聞き慣れない葬礼の歌は森から村、町から街へ響き渡り、各地の教会シンシャーで奏でられる楽器や歌声は、一週間耐えることなく風に流れた。



 静かな旋律の歌が流れ続ける森の中、大きな木の根元に建てられた小さな美しい神殿の階段には、今は獣人の少女が一人で身を丸めている。朝露に濡れた耳をぴくりと動かしたアピーは、泉を取り囲み歌う巫女や神官では無い別の者の足音を聞いて目が覚めた。

 



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