19 回帰 19
「魚の、皮の剥ぎ方を知っているかい?」
〈・・・・〉
「獣は声帯があるから煩いけれど、魚は煩くないから殺しやすいんだ。でも魚人には声帯があるし、前に大聖堂院で下位の魔法士が何人か、音波によって殺された事があるからね。確か、やったのは珍しい銀髪の魚族だったんだよ。君だよね」
〈・・・・イ、〉
「この部屋はね、僕の研究室なんだ。君の立っていたその場所は、地の聖霊が編み込まれた絨毯だから、水の属性の者には苦しいだろ?水の魔素の者達も、この部屋は息苦しいって言っていた。僕は木性の魔素だから、踏む度に流れる様に聞こえる精霊の歌が逆に心地よいけどね」
〈メ・・・イ、〉
倒れるスアハの前に立つ魔法士は、地の精霊の悲鳴を歌と言った。
部屋の扉を開くと、中に居た褐色の肌の青年に笑顔で手招きされたスアハは、それに素直に従い部屋の中央まで歩き寄る。すると毛足の長い絨毯を踏んだ瞬間に、精霊の怨嗟が身体に纏わり付いて床に引き倒されたのだ。
「でもこんなに簡単に、逃げた魚族の肢体が戻るなんてね。魔戦士を次から次に造るのに忙しい僕に、天が幸運をくれたのか?この獣人の皮を差し上げれば、お母様はお喜びになる。エールダー公が城に出入りする様になってからは、・・・少しお疲れのようだから、ちょうど良かった」
「エミーを悩ますエールダー公爵は、先ほど討ち死にされたと聞きましたよ」
「そうだな。場内をファルド兵が走り回っているのは、エールダー公が負けたからだから、結局はお母様の悩みは増えたのだけど」
〈メイ、メイ、〉
「さっきから何だ?めい?名前か?メイなんて知らないけれど、女の奴隷のことか?」
倒れたまま弱々しく呟いた獣人の少年は、一人の名前を繰り返し呼び続ける。だが華奢な背中の中央に地の魔石を置くと、か細い声も出なくなった。クレイオルは続き間に護衛として待機していた魔戦士と共に少年を台に乗せようと持ち上げるが、想像以上に重く全く持ち上がらない。何度も繰り返す内に、少年の背中の魔石が床に転がり落ちた。
〈メイ・・・〉
再び漏れ聞こえた誰かの名前。重たい少年に無理だと首を振る十五と、溜め息にそれを見下ろしたクレイオルは疲れたと椅子に座ってお茶を飲み始める。
「メイちゃんも魚族なのか?直ぐに殺される事は無いよ。お母様は奴隷たちの子宮を借りて、新しい自分を造る事を研究されていた。その作業も外の竜騎士達が煩い所為で進められずに困っていたから、きっとまだお母様の研究室に居ると思う。・・・それよりも残念だな。作業台に乗せたくても、君、見た目よりも重すぎて、僕と十五だけでは無理みたいだ」
「両手足を外せば、一つ一つなら持てそうですが」
「・・・そうだな。胴回りが特に重たいから、腰から切らないと駄目かも。出来れば縫い目を作らずに広く剥がしたいのだけど。まあでも、今すぐには作業出来ないし、このまま絨毯の上に寝かせておくのも・・・!」
銀の膜が覆う美しい少年の白い肌、見た目は細い腹回りは何故か鉛よりも重たい。それを確認しながら会話をしていた十五へ目を向けたクレイオルは、魔戦士の背後にある逆さづりに笑い裂けた赤い口に悲鳴を漏らした。突然に現れた気配を振り向きざまに殴打した十五は、空振りに二三歩前のめりに振り仰ぐ。天井から釣り下げられた細い紐に片腕片脚でぶら下がる黒い羽の男は、呆れた表情で這い蹲る少年を眺めて笑った。
******
「俺の身体を返しやがれ」
(俺の身体・・・?え?、ぷるりんの身体、硫酸的なものに溶けて・・・、え?十九?)
オルディオールはメイと一緒に来た男を見て、人々が冗談のように崇める天上人の少女が、自分の身体を連れて戻って来たと錯覚した。だがそれは、ペチリと弾かれた憐れな音と共に現実に引き戻される。自分を受け入れるはずの自分の身体に拒絶され、それによりはっきりと目が覚めた。
*
「誰だ、お前は、」
くるくると子犬の様に自分を親しげに見上げていた大きな黒目は、今は半目に眇められている。それを不思議に見下ろしていた十九は、ファルドで噂されていた天上人の巫女の噂に少女が英霊に憑かれていることを思い出した。
〈お前が、オルディオール・ランダ・エールダーか〉
「俺の質問に答えろ。お前は、誰だ」
血の臭いでむせ返る大広間で、褐色の肌の男と黒髪の小さな少女は緊迫した周囲の状況を気にせず睨み合う。失われていたと思っていた自分の身体。その金朱の瞳をしげしげと見つめていたオルディオールは、黒目の奥を探る鋭い視線に気が付いた。
〈俺に名前は無い。この身体をお前に渡すつもりも無い。・・・それより、お前が表に出ている事が不自然だ。メイは今、何処に居る?〉
(私!?、この会話の流れに私?)
今までに無く自分を意識したメイだが、心のどきどきとは裏腹に眉間の皺は深くなる。
「・・・・ガーランド語、俺の身体、そうか貴様、ファルドの隠し部屋に居た魔戦士だな」
(まさか十九、私の心配をしてくれたの?でも大丈夫。目の前で、他所の男の身体を追い求めるぷるりんを目撃したけど、ぷるりんが私の身体に飽き飽きなのは想定内。しかも十九の身体欲しさに俺のもの宣言。モンスターチルドレン、極まる侮蔑、青い玉め)
爆風で飛ばされた瓦礫の下にあったのは、痩せ細った魔戦士の遺体。切り刻まれて炎で焼かないと動き回る魔戦士の死に方としては不自然だった。
[なるほどね。魔法液で消失されたと思われたオルディオールの身体が存在し、それに魂となった魔戦士が入り込んだのだとすれば、動かなくなった痩せた魔戦士の遺体は理解できる]
アリアの呟きに反応した玉座のエミー・オーラは、興味深げに嘗ての英雄を見つめている。そして自分が隠し部屋に置き去りにしてきた魔戦士の数字を思い出した。
「十九、」
エミーが思っていた通りの数字を、別の男の声が呼び掛ける。戸口に現れた美しい青年は、制御できない狂った危険物として廃棄命令を出していた作品。
「お前、四十五?」
美しい唇から零れ出た自分の数字に、エルヴィーはエミーを控えめに見つめてから黒髪の少女に微笑んだ。そして再び〈メイは何処だ?〉と低く問われた言葉にエルヴィーが答える。
『ここだよ。ここにいるよ』、
「だよね?、ミギノ」
(・・・エルビー、私の保護者第一号。なんだか、久しぶり・・・。この異世界で初めてインプリンティングされたエルビーを見ると、存在感が薄くても安心感は半端ではない。そうだね、中に居るよ、私)
「ミギノは天上人だから、オルディオールに身体を貸してあげられるんだ。その身体の権利は彼女のもので、オルディオールは魂となっていつでも出される。例えばくしゃみで簡単に飛ばされたりとかね」
「玉狩り、余計な事を言うな」
(くしゃみ、鼻水、オルディオール詰まり)
〈・・・・〉
「十九、エミーの愛を返してあげたのに、なんでここに来たの?それもこんな場所に、ミギノを連れて」
〈ミギノとは、メイの事を言ってるのか?〉
頷くエルヴィーに十九は、生意気に口を歪めて自分を敵視している小さな少女を見下ろす。その黒目の奥の揺らぎにメイを感じて、無表情のエルヴィーを強く見返した。
〈エミーへの愛を、確かめに行く。メイは、それを見届けてくれる証人だ〉
「はあ?」
その本人が知らないと侮蔑に疑問を吐き出したが、それを無視してエルヴィーは軽く目を閉じ再び灰がかる青い瞳を開く。
「エミーから愛を貰っていた君が、それを確かめに行くの?・・・なんだか、不思議だね」
〈・・・・〉
オーラ公王の窮地に新たに現れた二人の数字持ち。黒髪の少女の無事な姿に改めて玉座に向けられた刃。追い詰められるエミーを無視して交わされる会話だったが、エミーを護る魔戦士との交戦が始まり目線は刃音を追った。
「いいからお前、とっとと俺の身体を返しやがれ!」
周囲の喧騒と共に掴み掛かった小さな白い手、それをひらりと躱した十九は、オゥストロに首を跳ね飛ばされた魔戦士を流し見ると、フロウに剣を突き付けられ、細い首を斬り落とされる寸前の銀髪の女の元へ素早く走る。
ーーーギィン!!!
薄皮を裂いて跳ね上げられた銀の長剣は宙に浮き、褐色の肌の男は玉座を庇うように立ちはだかった。持ち直した剣を現れた英雄に構え治したフロウの背に、血塗れに転がる剣を拾い上げたエルヴィーが声をかける。
「エールダー公は、穏やかな表情をしていたね。・・・フロウ、僕たちの誓約の決着をつけようか」
「エルヴィー、今ここで、それを言うことは、お前は逆賊と見做される事になるぞ」
「四十五・・・?」
愕然と目を見開いたのはフロウだけではない。嘗てのファルド英雄に庇われた女も、自分が廃棄しようとしていた狂った作品を見つめていた。
「皇帝陛下に不問にされたけど、誓約を破棄した僕へ、フロウの魂が苛立っているでしょう?」
「・・・・・・」
「自分を活かすため、生きるための矜持、気概、他者と命を懸ける誓約。これほど他人が生きることを邪魔をする呪いは、他には無いよね。僕はミギノと他国を見て回って、他国の者の考え方の違いから、誓約とは、誰かのただの矜持なんだと気付かされた」
「矜持が無ければ、生きる意味を見失う」
「それが良いものだと洗脳し、他者を殺すことを正当化する。子供の頃から擦り込まれた癖は、なかなか抜けないものだよ」
「お前も同じ気持ち悪さを抱えているから、今、私と決着をつけたいのだろう?」
にこり、と言葉無く明確に微笑んだエルヴィー。高級娼館に飽きた頃、城下街を当てなく歩いていたところに声を掛けて知り合った玉狩り。初めは大聖堂院の情報を得ようと思ったが、何度か顔を合わせる内に大貴族としてのフロウしか見ていない周囲の者達よりも、気心の知れた友人と思える存在になった。
「僕には矜持は無いけどね。フロウとの誓約をこのまま放置することは、確かに気持ちはよくない。守りたい女にも、やましいところが無いと誠実で在りたいからね」
「・・・それを矜持と言うのだ」
静かに向き合ったままの二人の間に、ヴェクトに飛ばされた魔戦士の剣が突き刺さる。それを合図に長剣が鍔迫り合いにぶつかり合った。
玉座ではオゥストロとヴェクトと対峙する魔戦士二体の代わりに、褐色の肌の男がエミーを背に庇っている。自分を護るように戦い始めた玉狩りを見ていたエミーは、今までに無いくらい頬を赤らめて微笑んだ。
「そうだったのね、あれは、失敗なんかじゃなかったのよ、」
呟いたエミーを無視した十九は、こちらへ怪訝な瞳を向けるアリアとアラフィア、更に遅れて走り寄った小さな黒髪の少女を見下ろした。
「俺の身体で、その女を庇うとはな」
〈エミーを護る事に非難される事は無い。それにこの身体はエールダー公の血族。彼の軍隊はファルドから離反し、この城を護っていた〉
「魔戦士って奴は、ペラペラと話しをしない印象なんだが、お前はよく、喋るなあ?」
〈何を言ってる。数字持ちは、普段は無駄なことばかり話している。俺はファルド言葉をあまり話さないけどな〉
揶揄したつもりが正論で返ってきた。悔しそうに口を噤んだ少女を見下ろしていると、聞き慣れた懐かしい言葉に話し掛けられる。
〈あんた、いや、貴男は五十年前に、我が国ガーランドからグルディ・オーサへ攻め入った隊士の一人ではないのですか?〉
自分を見上げる赤毛の女はガーランドに多い日に焼けた肌を持ち、背はファルドの女たちよりも高い。それに懐かしみ頷くと〈ならば何故、その女を護るんですか!!〉と、悲痛な叫びが返ってきた。
〈エミーは俺に愛をくれたからだ〉
自国の英霊の信じられない言葉に歯を噛みしめた女竜騎士に、男の背後で満足そうに微笑む銀髪の女。そして新たに始まったエルヴィーとフロウの戦いの最中、大扉から現れた医療班が騎士団長の戦いに広間に入るのを躊躇い入り口で足を止めた。それを邪魔だとかき分ける様に押し入った美しい女は、野太い男の声で現状を見て怒鳴る。
「何だテメエら?まだ終わってねえのかよ、遅え。腐るぞ負傷者が!女一人に手こずりすぎだろう?、まさかファルド騎士団長、ガーランド黒竜騎士将軍、エスクランザ皇太子をお相手に、逆にエミーちゃんにヤリ抜かれたとか言わねえよなあ?、笑える。後世まで語り継げるぞその話題は、あ?、居た。」
数々の負傷者を踏み付けるように跨ぎ越し、大声で下品な言葉を言い放ち大股で現れた。だが話題の対象と目が合ったイストは、刻が経って既にエミーが拘束されていることを見越した玉座に、まだ座り続ける女と少しの間を沈黙で見つめ合う。
「・・・・・・・・」
無差別に動く落人の戦士とは違い、魂が生粋の戦士であればあるほど戦い方を知っている。エミーを護衛していた三人は、五十年前に戦場で名を馳せた者達でありオゥストロとヴェクトは長期戦を強いられていた。その中に現れた軍医であるイストは、男達が激しく戦い続ける広間を横切り、玉座の前にたどり着く。
「・・・貴男は、イスト・クラインベール」
「俺の事を、覚えていましたか、先生。」
「どんなに頭が悪くなっても、貴男を忘れる事は難しいわ」
「・・・・・・身に余る、光栄です。あ、ブスガキ!、生きてるじゃん!」
エミー・オーラに注目しすぎて見落としていた小さな姿。この少女が攫われた事が、オーラ公領に踏み込む切っ掛けとなったのだ。だが感動の再会も労いの言葉も何も無く、不満げに口を曲げて憮然とイストを横目で確認した黒髪の少女は、対峙する褐色の肌の自分の身体から意識を外さない。
「おいお前、中身は大丈夫なのか?エミーちゃ、エミー・オーラにいじくり回されてねえ?」
(・・・・医師オカマ、お変わりなく、現場の空気を読むことも無く、我が道を突き進む)
「・・・・」
「エェエ?応答無し?、おいおい、この俺様が、ブスを心配してやってんだぞ?、それとももう、黒蛇以外のおかしな奴、身体の中に入れられ「うるせえっ!!、黙れ!!女男!!!」
(・・・ぷるりん。オブラートオブラート。ブスブスと、私へ美醜のオブラートは一切無いけど、ここは仮にもオモテナシ我が国出身者として、直接的な悪意の対応には、要オブラート必須で、はっ!)
既に遅く、見上げた医師の顔は氷の表情でこちらを見下ろしている。黒髪の少女はフンッと、鼻息を吐いてそれを睨み上げて目の前の褐色の肌の男へ視線を移したが、中身のメイはイストの視線にピリピリと何かを感じてぶるりと震えた。
(オカマ、やばい。オカマとは、本来女性に対しての評価がとても厳しい事で有名な職種であるはず。しかもこのオカマは、医療という一般人には不可侵領域の技術を兼ね備えている。そんな人類最強種族・医師オカマを、敵に回したらぷるりん、駄目だって、色々と、駄目だって!!、外見は私なんだって!!!)
「分かった。後で中身、調べてやるからな」
(!!!?、ナカミ?)
メイにとって不穏な言葉を頭上に聞いたが、自分の視線は十九を見つめている。その刻、背後からは耳障りな金属の擦れる音と共に、布を引き裂く様な鈍い音がした。
「ぐあっ!!」
フロウの一線に弾き飛ばされたエルヴィーの長剣は宙に舞い上がり、グサリと床に突き刺さった事で勝敗が決した。男の苦鳴に振り返った少女の黒目には、倒れるエルヴィーに立ちはだかったフロウの姿が映る。
(チャラソウ!?、エルビーに何してるの!?)
「俺とお前の誓約を、終わらせる」
(誓約を、終わらせる?終わらせるって、何?エルビーをどうするの?、止めて!!!)
エルヴィーに掲げあげられた銀色の長剣を見て、大広間に聞こえないはずの少女の叫びと女の声が響き渡った。
『止めて、エルビー、逃げて!!!』
「止めなさい!!ヴァルヴォアール!!!、十九、あれを止めて!!!」
今までどの魔戦士を失っても顔色を変えずに眺めていたエミー・オーラが、留めを刺される四十五番だけは救おうとした。そのエミーを背後から冷静に諫める声がして、再び少女は聞き覚えのある声に玉座を振り返る。
「あんた、人の心配してる場合じゃないでしょう?」
エルヴィーの首筋を狙って振り下ろされた銀色の長剣は、十九が投げ払った剣の鞘により軌道が逸れる。誓約の完遂を邪魔されて怒りに玉座を鋭く見たフロウは、玉座の女の背後から現れた懐かしい顔に驚きに目を見開いた。だが直ぐに、彼の立場に強い怒りを男に表す。
「メアー・オーラ、よくも我らを欺いたな」
癖のある黒髪は短く切られ、無精髭もすっきりと剃られている。何事にも気怠い対応をしていた医師は、見た目にだらしのない片鱗が全く無く厳しい顔つきでエミーの後ろに進み出た。
「俺は医者だぞ?患者に嘘はつかない。なあ、クラインベール。お前もだよな、我が同胞」
「職種に関係なく人を欺く性質は、昔からだよな?双頭鳥。お前がエミーちゃんの信者だって事は、俺は知ってたよ」
二人の医師は久しぶりの対面に険呑と睨み合う。それをハラハラと見ていたのはメイだけで、周囲は現れたメアー・オーラへの警戒に異様な緊張感だけが増す。
「で?、何でお前がここに居んだ」
「どこかの軍医が役目を放棄しやがって、隣の国の優秀な俺様が、ご迷惑にも駆り出されたに決まってんだろうが、この嘘吐鳥野郎、」
ファルド国民を貶める俗語、そのイストの言葉に憮然と片方の柳眉を上げたメアーの顔を、久しぶりに見つめていたメイの片方の眉毛も自然に上がる。
「熟女はそんなに具合が良いのか?」
続くイストの下品な挑発に苛立つメアー。それを遮った黒髪の少女は、本気の怒りに眉を顰めた。
「下らねえ話しは他所でやってくれ。それよりも、」
身を翻して立ち上がったエルヴィーは、蹌踉めきながらも少女の待つ玉座に歩き寄っていた。二人の魔戦士も現れたメアーの姿に玉座に走り寄ると、傷だらけの身体でエミーを護るように壁になる。増えていく公王を護る壁、だがその一人に、黒目を眇めた少女は哀しみを含めた瞳で問い糾した。
「どういうつもりだ、お前」
褐色の肌の嘗ての英雄を筆頭に、エミーを護る二人の魔戦士。遅れて壁に加わった最後の一人、少女の前に対峙したのは見慣れた無表情の美しい顔の男。
『エルビー・・・?』
責めるように睨み見つめる黒い瞳。だが小さな唇から漏れこぼれた少女の声は頼りなく、不安と困惑に満ちていた。それにエルヴィーは一瞬だけ口を引き結ぶ。
「お前は狂ってなどいなかったのね、」
微笑んだ紫色の瞳を振り返り頷いたエルヴィーは、再び正面の少女に向き合う。
「僕は狂ってなんかない。十九が、エミーへの愛を確かめに来た様に、僕もここで、エミーの愛を確かめる事にするよ」
「何だと?」
(・・・?、エミー魔女の愛を、エルビーが確かめてどうするの?エミー魔女に確かめたい事がある十九は分かるけど、エルビーは魔女に、何の質問があるの?)
エミーに嫌われていたと落ち込んでいたエルヴィーは、その本人を前にして再び告白でもするのだろうか。その考えがメイに過ぎったが、意外にも冷静な医者の男の声が嘗ての疑惑を問いかけた。
「じゃあ、あんたが、調べていた紫の魔石を持ち出したのか?」
干からびた魔戦士から回収した紫色の石の首飾り。それは今、褐色の肌の男の胸に同じ物がぶら下がる。あの首飾りは大聖堂院で砕いて調べる前に、何者かによって盗まれ紛失していた。
思いたくはなかったが、犯人だと確信にエルヴィーを見つめるイスト。緊迫する状況に訝しむ少女と、エルヴィーを敵だと認識して間を遮るように進み出たオゥストロとフロウ。そしてヴェクトが堪えきれずに苛々と、仕留め損ねた獲物に飛び掛かろうと跳躍したところで、大きな地響きと共に城が揺れ動いた。
「なんだ!!?」
〈爆発か!?〉
フロウとアラフィアの声に窓の外には粉塵が立ち上り、列柱が崩れ落ちて瓦礫から身を躱す。玉座から立ち上がったエミーは集う者達を睥睨すると、長衣の裾を翻し奥の間へ歩き去った。それを追うことを瓦礫と魔戦士が阻むと、銀髪の女の後を追って褐色の肌の英雄とエルヴィーはメイに背を向ける。
『エルビー!!!何で!?』
少女の悲鳴を掻き消す様にガラガラと瓦礫は落ちる。最後にそれを見届けたメアー・オーラは、イストと目が合い薄い唇の端で笑った。
「あいつだ!、くそっ!俺を、刻の稼ぎに利用しやがった!!」
緊迫した状況で態とイストに声を掛け、彼がする話しに同調して刻を稼いでいた。怒りに叫んだ軍医を横目に、崩れ落ちてくる瓦礫の状態を見ていたオゥストロはフロウを振り返り退路を示す。だが塞がれていく玉座を見ていた大きな黒目は、立ち去った者達の後を追うように走り始めた。
〈行くな!!〉
「天井が崩れるぞ!!!」
小さな身体は器用に瓦礫を潜り抜け、落ちていた二本の剣を手に掴む。そして玉座に積み上げられた石壁の隙間に、屈むことなくするりと身を滑り込ませた。
あと一歩で掴み損ねた小さな姿、誰よりも早く少女に追い着いていたヴェクトは、大きな身体で頑強な石壁に体当たりするがズシリと振動しただけで壊れる事は無い。それにより僅かに広がった隙間では、ヴェクトの巨体が身を捩っても入れる事は出来なかった。そこをオゥストロは屈み込んで確認すると、アラフィアを振り返る。
〈お前に、後を任せる〉
〈隊長!?、何を!?〉
降り注ぐ瓦礫と揺れ動く床、人々の間を引き裂くように城壁が塊となって落ち玉座を破壊する。オゥストロとフロウが瓦礫の隙間に身をねじ込んで直ぐに、再び爆発音と共に壁が崩れて玉座の間は完全に塞がれた。
**
〈俺の目の良さって、自慢〉
空から城壁に現れる魔戦士を見つけては戦っていたフェオは、少なくなった標的の数に屋内を覗き込んで探していた。その一室に見つけた魔戦士を驚かせようと忍び込むと、床におまけが寝転がっている。
〈でもどーしようかなあー。スアハは海族の立派な男だしなあー、子供だったら、保護してやるのになあー。手を出したら、立派な男に失礼かなー?〉
〈フェオの、意地悪、〉
〈ならこれは借りだ。お前が海族の上に位置したら、空族の弱い奴らを絶滅させるまで襲わない。むしろお前はそいつらを、見つけたら助ける。どうだ?〉
〈・・・・・・・・弱い奴が、悪いでしょう?〉
〈なら今、お前が死んでも文句は無いな?〉
〈・・・・・・わかった。少し残せばいいんでしょう?〉
ニヤリと笑った鷹豹は、ぐったりと横たわる少年を絨毯から蹴り上げる。そして崩れた本棚から起き上がった十五が自分に走り寄ると、羽撃ち宙に舞い上がった。フェオの登場に素早く逃げたクレイオルは既にこの場に居なく、鳥族の男は襲いかかる魔戦士相手に逃げたり突き飛ばしたりを繰り返している。
〈狭い箱の中、羽のある俺達は、こういうの不利だと思うだろ?〉
ふわりと肩に止まったフェオは、魔戦士を覗き込む。長い爪が食い込んだまま宙に浮くと、遠心力でぶんと放り投げた。十五が壁にぶつかる前に素早く回りこんだフェオは、再び肩口を掴んで壁に魔戦士を叩き付ける。反撃に足首を掴まれたが、今度は高い天井へと振り上げ叩き付けた。
〈鳥族って、見た目は優雅なのに、腕力と脚力は、女も男も結構あるから。こうやって狭い場所で遊ぶんだ〉
何度も何度も壁や床、天井に叩き付けるを繰り返し、既に骨が外れた魔戦士だが掴む力は変わりが無い。それに笑ったフェオは、ぶら下がり続ける魔戦士を面白がって部屋中を旋回し始めた。
〈なんか良い!このブランて重み、腰に来る!〉
〈・・・・スアハは、メイを探しに行くね〉
宙で楽しそうに笑う鳥族の男を横目に一言告げたスアハは、クレイオルの逃げた隠し扉を見つめる。そしてガタガタと細工扉を二三度揺すると、動かない頑強な扉に口をパカリと開いてみた。蛇魚が発する音波に扉は振動し、蝶番がガタリと外れる。音を立てて倒れた木の扉を跨ぎ越し、迷わずそこに踏み込んだ。
**
「お茶を飲んでいる場合じゃなかったのか、奥殿まで敵が侵入するなんて」
城内の隠し通路を玉座に向かって走る褐色の肌の青年は、追っ手が来ないことを振り返り確認すると息を吐く。戦況は押され気味だが、新しく開発された落人の戦士の投入により状況は好転するとエミーは言っていた。だが今のところその兆しは見えない。
(もし仮に、落人の兵士が使えなかった場合、)
ーーーズウゥゥン・・・。
(!!、メアー・オーラの合図だ、)
城内に響き渡った爆発音に、クレイオルは落人の戦士の不出来を知る。そして方向を玉座ではなく、屋上の避難経路に変更した。
(やはり魂の定着度合いが薄すぎたんだ。廃棄される物は使えないということか。新しい魔戦士も、数字による束縛も出来ない状態では大した威力を発揮できなかったしな)
自分が手がけた魔戦士、落人の戦士の作成の失敗要因が頭の中を駆け巡るが、ところどころ光射す薄暗い避難経路で自分意外の人影に立ち止まる。
「・・・?」
砂埃の舞う通路、崩れた瓦礫の隙間から身を捩って出て来た小さな少女。高低差をものともせずに瓦礫の上をぴょんぴょんと跳び、すたりと軽い音と共に着地した。
「お前は、?」
「お前の顔、」
生意気に見上げた黒目は、王族であるクレイオルを強く見据える。
「クレイオル・オーラだな」




