天上の巫女と英雄 16
[天は北のオーラ領へ落ちた!]
〈我ら連合軍は、天上の巫女を攫いし敵の本拠地へ、怒りの槍を投下する!〉
エスクランザ皇太子アリアがトライド王国に到着して一刻、元よりオーラ領へ攻め入る事を想定としていたガーランド駐留軍は、対オーラ領特殊部隊の到着と共に進軍を開始する事を宣言した。
これに先駆けて、ファルド帝国軍は地上北東から進軍を開始。同刻、反乱軍への本格的な帝都での武力鎮圧が皇帝アレウスの命により実行される。
**
人気のない小さな古びた教会に、一人の男が立っていた。天井硝子から差し込む柔らかい光、真下に照らされた野花に囲まれた床を見下ろしている。その背に硬質な女の声が掛けられた。
「あの子、役に立ったわね」
何の事かと振り返った男は、土に塗れた手を前掛けで拭いながら歩いてきた女に向かって一礼する。
「あんなに小さな存在が、こんなに大きな力になるなんてね。すごい事よね?うらやましいわ」
「オーラに攫われた事がですか?」
「そうよ。北方の天教院から竜王国、東側までを一気に動かした。そして、今まで二つに割れて揺らいでいたファルド帝国の貴族院までまとめる事になったのよ。彼女一人の死は、過去の歴史に無いほどに効果があった。これってすごい事じゃない?あの黒蛇の死より価値があった」
「まだ、死亡は確認していませんが」
「そう?あの子が攫われた事で、連合軍は大義を得た。天上人を攫ったオーラは悪だと位置づけて、それに与するエールダーや全ての離反者を、ファルド帝国の公然の敵とする制裁の理由と出来たのだから。あの子が死ねば、より天への結束が増すわ」
「・・・・」
「エールダーを最後の良心だと慕う信者達や、中途半端に揺らいでいた者達は、全てファルド帝国に身を固めたでしょう?落着して良かったわね。この世に存在しただけで、国や軍を簡単に動かせる力を持っている。さすが天上の巫女と崇めるべきなのかしら?」
「・・・・」
「そういえばクラインベール、あなたは今はファルドで仕事をしていたのではなくて?、こちらの診療所はおじ様の弟子が上手くやっているわよ。あなた、毎月ここには来てたけど、まさか今月も会えるとは思ってなかったわ。そんなに信心深いとは知らなかったけど、ファルドには教会は無いの?」
「ありますよ。無駄に金をかけた娼館みたいな外観の教会ならね。・・・ラーナ様、ここの花は、そのまま飾られているのですね」
野花の飾り床、今は誰も踏むことの無いその場所をイストは再び見下ろした。
「・・・そうよ。だって、子供たちが直ぐに新しい花を飾ってしまうのよ。片付ける事が面倒なの。天上の巫女様の言うことは・・・子供達もよく聞くわね・・・」
「そうですか、・・・でも花は、奇麗ですね」
**
〈北方のように救出作戦ではないんですね〉
トライドの丘から北に飛び立ち、次々に空を灰色の飛竜が整列する。北の山を覆う黒い影、総勢は百にも満たないが、グルディ・オーサ戦よりも数は多い。飛竜の群れを初めて見上げたファルドの町外れの子供達は、天が闇に食べられたと母親の背に隠れて騒いでいるのを青年は見下ろした。
トライド王国の子供達も、滑空場の丘で同じ様に隠れながらこちらを見上げていた。それを見ていたクレイスは、数ヶ月前に自分達が北方から救出した小さな少女の姿を思い出す。
〈オゥストロ隊長、あの子の事、どう思ってたんですかね〉
東ファルド戦線に志願したが、グルディ・オーサ戦線には配属されなかった。だがその後続いたファルド帝国オーラ領戦に特別部隊として加わったクレイスは、新しい部隊長に疑問を投げ掛ける。
〈なんだ?、それは今回の隊長の作戦に不満があると言いたいのか?〉
〈いや!違いますよ!俺はオゥストロ隊長の事は、すごい尊敬してて、むしろ隊長みたいに強くなりたくて、・・・っていうか、いつもと変わらないなって思って〉
北方の港で、はしたなくも足をむき出した小さな少女を抱き上げたオゥストロを見て、クレイスは初めて見る黒竜騎士の優しい姿に動揺したのだ。
犯罪者である獣人賊への慈悲無き一掃戦や、彼を巡る女性を素気なく切り捨てる非情。立ち居振る舞いに常に緊張感を漂わせるオゥストロが、小さな少女を大切に抱え上げた姿に、クレイスは彼が本当に少女が大切なのだと思っていた。
だがエスクランザ皇太子の巫女行方不明の報告に表情も変えなかったオゥストロは、軍議幕舎で広げられた地図を見て〈ならば和平条約による枷は無くなったな〉と呟いたのだ。
ファルド帝国皇帝が内政や内乱に動きが緩慢な中、ガーランド竜王国としては和平条約に重きを置き、オーラ領を統治領とするファルド帝国の出方を窺っていた。だが、それも天上の巫女が攫われるという凶事に全ての制約が開放される。
天上の巫女救出作戦だと招集された者達は、天幕の中、オゥストロと隣に立つエスクランザ皇太子へ敬礼した。
〈陣形は〔天の槍〕〉
低い声で告げられた作戦名、これに幕舎では分隊長達に響めきが漏れ出る。救出作戦と銘打ったオゥストロが、地上の者の全てを生死不問と考える掃討作戦を口にしたからだ。
人質や地上住民の事を考えない掃討作戦は、ガーランド国内でも使用される事が殆ど無い。過去には凶悪犯が田舎の村を占拠し、住民の生存が無いと確認され発令されたのみだった。
今回は他国領土、しかも天上の巫女の救出を大義としているのに、オゥストロは掃討作戦を口にしたのだ。
分隊長であるアラフィアとテイファル、センディオラは眉を顰めて作戦の全容を聞く。それを各隊に伝えたが、やはり反応は一様に動揺が走っていた。その一人であるクレイスは、本戦を前に自分の中の疑問を解消したかったのだ。
〈精霊の加護ある天上の者だとはいえ、彼女の身に危険の及ぶ可能性は想定出来る。ファルドの英霊を宿しているが、身体の造りが軟弱なのは砦で情報を分析済みだ。もちろん隊長も知っている。その上で決断されたのだ〉
〈身体の造りの話じゃなくて、いや、それも重要なんですけど、気持ちの問題というか、なんというか〉
答えは返ったがやはり納得はいかない。募る疑問にクレイスは再び問い掛けた。
〈でも、掃討作戦では、もしあの子が生きていても巻き込まれる可能性だって、・・・せめて別働で救出隊を編制するのかと、俺は思っていました。皆もそうです。でもそんな隊は、誰も聞いてないって〉
その救出隊には、必ずアラフィアかエスフォロスが編制されるかと思っていたが、彼らは憮然と首を横に振り口数も少なかった。少女と長く旅をした彼らの冷たい反応。その事もクレイスは気になっていたのだ。
〈エスフォロス、あいつ、あの子が作ってくれたフエルの紙折り、あれでフエルと離れてた間を乗り切ったって、俺に自慢してたんですよ。なのに、救出じゃなくて殲滅なんて、・・・もし生きてたら、〉
〈人質の生存の想定、塵にも満たない希望は、打ち砕かれた場合に倍加の負となって跳ね返って来る。それはこちらの弱味となり死を招く。戦場では最も不必要なものだ。我らは何も考えず、目の前の敵を掃討する。それだけだ〉
厳しく冷たく言い放たれた言葉に沈黙したクレイスは、ある事に気が付いて少し前を飛ぶ背中に問い掛けた。
〈・・・それって、やっぱり、打ち砕かれるほどあの子を心配してるって事ですか?、オゥストロ隊長も、センディオラ分隊長も?〉
〈・・・・天上の巫女は我らガーランドの護りの象徴。メイ様を思う気持ちは皆、オゥストロ隊長と同じくして当然だ〉
力強く空を羽撃く飛竜、貴族の上官としては精鋭部隊の第三の砦に長く配属され、追撃部隊では常に上位に位置するセンディオラ。新しい分隊長の背を誇らしく見つめたクレイスだが、再び彼の言葉の違和感に呟いた。
〈・・・・・・え?、メイ様?〉
**
〈町、次は何処?〉
〈次はエリドート。海が見えるぜ。まあ、一言で言うと、海賊の町だな〉
見えてきた大きな船が停泊する港町。それに目を輝かせた少女は、興奮気味に男を振り返った。
〈魔戦士がエミーの指示で、港町はエリドートの生命線だから壊さないで残したのに、第四のディルオートの奴らが壊滅的に破壊し尽くしたんだ。でももうほぼ元通りだろ?〉
ファルド帝国統一戦で魔戦士が極東に攻め入った作戦では、町は半壊程度で姿を残していたが、残党の住処を残すことは手緩いと追撃に派兵された第四師団に荒れ地にされたエリドート。残された住民は逞しく、半年後には浜町を復興させたという。
〈エミーはここの町の雰囲気が好きだったのに、壊されて落ち込んでたってクレイオルが言ってたよ〉
到着した海の町、馬犬を休ませ預けるため、町や村の入り口には必ずある馬犬舎へ向かう。ここで待てと飛び降りた十九に、黒髪の少女は素直にこくりと頷いた。
「珍しいな、ガーランドから来たのか?俺はファルドの奴らより好きだぜ」
十九の片言の言葉、笑う馬犬舎の男はこの町は〔海渡る人形〕という賊の支配下にあると教えてくれた。
「ちょっと前にオーラの奴らがファルドと揉めただろ?あの後、本格的にファルドとやり合うって人形の奴らも張り切ってるぜ」
ファルド帝国内で軍に目を付けられていた破落戸の一派。十九は彼らとの交流は殆ど無いが、一度クレイオルと下町を歩いた時に白髪の破落戸を探し回った事を思い出した。
(海渡る人形って、シオル商会とどっちが厄介だったかな?)
騎士団の情報は大聖堂院で共有される事が無い。噂でしか知り得ない破落戸の事を考えて歩いていると、その本人達が十九の連れに寄り集まっていた。
子供ならば泣き出しそうな人相の悪い厳つい男達。だが彼らに囲まれた少女は、怯えもせずに黒目を眇めて睨んでいた。
〈おい、賊を挑発するな。ガキ〉
頰の腫れは紫色から黄色に薄まってきてはいるが、薬を塗って傷当て布を張ってある。何処かの村の子供は奴隷を連れ歩く大人の男が怖いと泣いたそうだが、奴隷だと連れ歩かれた本人は自分を取り囲む柄の悪い破落戸達を、怖がりもせずに真っ直ぐ見つめていた。
〈退けろ。邪魔だ〉
「なんだお前、・・・ガーランドか?」
賊を無視して少女を馬犬から降ろしてやる。降ろされた少女が想像以上に小さいことに男達は顔を見合わせ、十九は脅しに取り囲む破落戸達をぐるりと見回す。
〈海渡る人形だったか?、・・・人形、人形と言われれば、俺の方が人形みてーかな?〉
「兄さん、ここから先の入国料にその小さいの置いていきなよ」
〈入国?、って言ったか?、いつの間にか極東もファルドから独立したって宣言してたのか?知らなかったなあ〉
凄み睨み付けてきた柄の悪い男達だが、その中の一人が何かに気付き「あ!」と間抜けに声を上げると隣の男に耳打ちする。一番目付きの悪い男はそれに目を見開くと、直ぐに囲みを解いて去って行った。
〈何だろうな、たまにあるな、あの反応。この顔のせいか?〉
新しい身体になってから、オーラ公家のクレイオルによく間違えられていた。だが年寄りや物々しい奴らは別の反応でじろじろとこちらを見つめる事がある。それに首を傾げた十九だが、まあいいかと少女と共に町へ入っていった。
*
「エールダーの者?オーラの娘にも似てなかったか。オルヴィア、あの女、マジでファルドで攫っとけば良かった。すげえいい女だったよな、ヤリテエ。」
「魔戦士に殺されっから」
「でもよ、オーラの姉弟に上なんて居ないはずだぞ」
「いや、違う。オーラじゃねえよ。俺、軍の資料で見たことあるんだ。絶対あいつ、あの英雄オルディオールの転写絵にそっくりだった、」
「そっくりってだけだろ?もう死んじまってるし、実際生きてても爺さんになってるだろ?」
「でもよ、二刀流に憧れて、俺もファルド英雄の真似したことあるわ」
「二刀流?って言えば白狐だろ?、奴の真似したの?、ヤベえなお前」
「ザケンナヨ。ファルド英雄って言っただろーが。オルディオールの事だよ」
「どっちにしろ、奴が騎士なのは分かった。殺るにはガルドを呼んだ方がいいな。あの貴族を殺ったのは奴だろうしな」
「ガルドですか?あの黒竜騎士オゥストロと殺り合える、東一の豪腕を?」
*
少女を連れ歩き食べ歩く。人の多いエリドートでは迷子にならない様に手を引いてやると、恥ずかしいのかもじもじと赤くなりうつむいた。
〈カミナメイ、お前魚は食べれるか?〉
〈・・・十九、私は名前はメイ・カミナ〉
〈え、?、メイ・カミナ?、カミナメイじゃないのか?〉
『神名芽依ですが、呼ばれるたびにフルネーム。あだ名というより堅苦しさで息苦しさが募ります』、
〈メイ〉
〈メイ〉
頷く少女の顔は未だに赤いまま、十九が握る小さな手も心なしか熱く汗ばんでいる。
〈お前、手繋ぎはプルリンダ?〉
『え?、何処?ぷるりんが居たの?』
嫌なら手を離そうと思ったが、きょろきょろと辺りを見回すメイの手は十九を強く握りしめる。異界語で嫌な物をプルリンダと話した少女の真似をしたが、手を繋ぐ事は嫌では無いと判断した十九は、そのまま町の露店を覗き始めた。
〈ほら、お前には小さい魚な〉
手渡した焼き魚、食べ方を教えていないのにパクリと齧り付く。骨まで柔らかい魚だが、女子供は大抵食べずに残すのに、メイは頭から全て食べてしまった。
『メザシ、シシャモ風、美味。塩加減最高。あと三本はいける気がする』
「偉いぞ。尾まで食えるとは大したもんだ」
魚屋の店主に褒められたメイは二本目を狙っていたが、少女の食が細い事を知っている十九は次の店に移動する。
〈ここは魚屋が多いからな。色んなの食べようぜ〉
色々な露店を覗き見る。見たことの無い鮮やかな翠や桃色の魚、露台に飾られた人を丸飲み出来そうな大きな魚の骨を見て、ぽかんと口を開けているメイ。通りすがりの者達は、子供の素直な反応を見て笑う。
『ジョーズ!、人食い鮫?それとも鯨の骨?』
〈興奮しすぎだろ〉
〈この、大きな魚、人を食べようぜ?〉、
『展示物大きすぎて、ぞわぞわする!』
〈食べない食べない。これは島魚。人を乗せて運んでくれる奴だ〉
「ははは!可愛いな、チビ。海の島は人を喰わねえし人も食えねえぞ。そいつらは漁師の友人だからな」
「でも浜辺に打ち上げられた彼らの骨は、家の守り神になってくれるのよ。だからそこに祀ってあるの」
豪快に笑う店主と男の妻は、大きな骨の口の中に頭を入れて興味津々なメイを笑う。そして「そうだ」と手を引き窓枠に並べられた珍しい小さな貝殻を見せるため、少女を連れて奥に入って行った。それを見送った店主は、穏やかな表情から一転、珍しい他国の旅人に声を潜める。
「あんたら〔人形〕の奴らに目を付けられてるよ」
〈また人形か?、海渡る人形の事を言ったか?〉
「ガーランドの客人、こっちの言葉は聞けるかい?今この町じゃ、ここから三つ離れた村の森で貴族の男の変死体が見つかったって噂で持ちきりだ。大概は獣に喰われたが、奇麗に両脚の骨が切り落とされて転がってたってさ、」
〈・・・・〉
「その貴族、今でも北方の奴隷の子供を連れてたってさ。・・・・それって、あの子の事だろ?」
〈・・・・〉
「睨むなよ、怖ーな。俺たちは何でもねえよ。昔と違って、今はエリドートも奴隷は海賊しか興味ねえから。それに今はオーラが荒れてる。ガーランド人なら会ったことあるのか?あの黒竜騎士が、オーラ戦の先陣に居るんだってよ。若い奴らなんか、馬鹿だから、戦地へ見に行った奴らもいるぜ」
店の奥から貝殻を手にして戻ってきたメイは、店先で女達と大きな骨を見てはしゃいでいる。それを流し見て、無言になった十九に怯えた店主は更に声を潜めた。
「とにかく〔人形〕の奴ら、絶対に兄さん達を狙ってるぜ。ここらじゃヤバイ奴の代表格、ガルドってのに気をつけな」
**
(黒竜騎士オゥストロ・・・、メイの言ってたプライラの子供の乗り手、)
ガーランドに思いを馳せて口数が少なくなったが、きょろきょろと辺りを見回す少女の手はしっかりと握っている。魚屋の忠告、通りすがりに向けられる破落戸達の視線。海渡る人形と呼ばれた者達の巣窟の町で、北方の奴隷と間違われる少女を連れ歩く事はとても目立つ。自然に子供の声が減り、厳つい男達が増えてきた通り、そろそろかと十九もぐるりと目だけで周囲を確認した。
久しぶりの荒事の予感に血の気が滾り始めた十九は、住民や商人が減る代わりに増え始めた破落戸達の露店通りの中、態と人気の無い路地裏を選んで奥へと進んだ。
*
〈お前が海渡る人形、ガルドか?、田舎の大将の名前はファルドまでは届いていないぞ?それに今、オゥストロの名前を出さなかったか?〉
路地に追いつめられ取り囲まれた二人の旅人。黒髪の少女を背に笑う褐色の肌の男に、対峙する人相の悪い大柄な男は青筋を立てた。
「お前、この状況で、何を笑ってんだあ?、まさか自分がオーラ公家の者だって言いてえの?貴族の余裕は通用しねえぞ!!」
「このガルドは、ガーランドの黒竜なんざ大斧で真っ二つにできんだぞ!」
十九の頭上に振り下ろされた大きな斧、だが横合いから鋭く叩かれ軌道は逸れて地面を砕いて突き刺さる。軽く鞘に収まった長剣で押されただけの大男は、叩き付けた斧が地面から抜けなくなり引き抜こうと奮闘し始めた。
〈メイ、そこの樽の影に隠れて耳を塞いで目を瞑れ〉
身振り手振りで指示をする。うんうんと素直に理解した少女は、裏路地に積まれた樽の影に走り出した。
〈・・・ん?〉
たったったったっ、と弾むように走り去った少女の背中。怒声や殺気が飛び交う裏路地で緊張感無く弾んだ歩幅に十九は吹き出した。その笑いに怒りで引き抜かれた大きな斧は、再び頭を狙って振り下ろされる。大男の手首を剣の鞘で払って横に飛び退くと、今度は待ち構えていた者に脇腹を背後から一突きに貫通された。痩せた男は手応えににやりと笑うが、突き刺さる抜けない槍、その刃先を強く握られた事に顔色が変わる。
「な、なんだ、てめえ、」
突き出た刃先は握られて動かない。更に腹を貫通された褐色の肌の男は、肩越しに振り返り金朱の瞳を弧に歪めて痩せた男を見た。
〈惜しいなあ、微妙に急所を外れたぞ。まあ、急所を突かれたところで痛くも痒くも無いけどなあ?〉
強く握られた槍の穂先、それを掴み柄ごと腹から逆に引き抜いた姿に、十九を取り囲む男達の顔色が変わった。
「おい、テメエ、何を笑ってやがる、」
「あいつ、痛くねえのか、?」
〈やっぱ、オゥストロを出したら駄目だろ?黒竜騎士がこの階級の実力なら、俺が飛竜から引きずり下ろしてやるよ〉
奪った血糊のついた槍、それを回転させて持ち主に叩き返す。突かれた脇腹より内側を突き返すと、痩せた破落戸は血を吐いて崩れ落ちた。
〈な?、ここが急所だ。一撃だろ?〉
腹に穴が空き血を流しているのに平然としている、不気味な褐色の肌の男に動揺した破落戸達は一歩後退るが、大声を叫んだガルドは再び大斧を何度も振り下ろす。それを身を翻して躱す十九は、鞘に収まる剣を抜き放つと大斧を横一線に切り裂いた。
「何だと!」
砕け散った大斧に目を見開いたガルドだが、踊るように身を翻した十九は、左手に持ったままの鞘を大男のこめかみに叩き付けた。白眼を向き地に倒れ込んだガルドの横に着地し佇む褐色の肌の男。十九は、掴んだままの鞘を見ると不思議そうに首を傾げる。
〈何でだろうなー、やっぱり右手で攻撃すると、左手が留めを刺そうと癖付いてるんだよな。二刀流か?、この身体の癖が強すぎだ〉
昏倒した大男、更に破落戸達の後退りの輪が広がる。それに気付いた十九は、疑問の続きに〈な?、今の俺って両利きだよな?〉と笑いかけた。
「何なんだ、こいつ、ヤバくねえ?」
「あいつの腹、槍が突き抜けたよな?」
「おい、こいつ、痛みが無いって、なんかを思い出さねえ、?」
重傷にも関わらず、普通にその場に立つ不気味な男。その姿に何かを重ねて見た破落戸達は息を飲んだ。
「まさか、魔戦士・・・・、」
誰かが呟き漏らした言葉に反応した褐色の肌の男は、その声の主を真っ直ぐに見た。金朱の瞳に射抜かれた男の肩はビクリと跳ね上がり、精悍な顔は白い歯を見せて笑う。
〈俺の数字を聞きたいのか?十・・・〉
十、と褐色の肌の男が呟くと、裏路地で北方の少女を攫おうと思っていた破落戸達は、まるで野良猫の様に一斉に飛び散り逃げ出した。静まり返った路地裏、昏倒したまま動かない大男。拍子抜けだと逃げた者達を見送った十九は、血糊で汚れた衣服をそのままに樽の陰に蹲る少女を覗き込む。
〈終わったぞ〉
大きな黒目は男を見上げるが、敗れた上衣に流れ出る血を見つめて少女の顔は蒼白になった。
『医者を、』
メイは慌てて首に巻いた風除けを、男の腹に押し当てる。それでようやく流れたままの血に気付いた十九は、そうだったと腹に手を当てた。倒れたままの大男を跨ぎ越し、路地裏から露店通りに出ると何故か全ての店が閉まっている。賑わう浜の市場も物騒な博打場も、がらんと誰一人居なくなっていた。
『なんで?閉店時間、早くない?』、
〈人、居ないぞ?不思議だぞ?、医者、何処だろうな?〉
〈ファルドではお馴染みの光景だ。魔戦士が通る道には、あまり人は居ないもんなんだよ。・・・それに軍医?、そんなもんはこの町には居ないぞ〉
慌てるメイが自分の腹の治療をしようとしている事に気が付くが、うろうろと右へ左へ移動する少女をしばらく観察する。自分の為に焦り動揺する姿に心がもやもやするような、むずむずするような不思議な感覚だった。
〈お前を見てると、俺は生きてるって感じるな。なんか〉
『どうしよう、メアーさんもオカマもここには居ないし、便利なチカンのお呪いも私、使えないし、あ!そうだ!』
十九の呟きは耳に入らなかった少女は、与えられた小さな肩掛けの革袋から紙の包みを取り出した。
〈天の木の薬だぞ〉、
『私はもう大丈夫なので、これを飲んで下さい。高い薬。妙薬口に苦し』
取り出された少女の為の薬。それを差し出された十九は〈大丈夫だ〉と頷いて薬を小さな手の平に返した。
〈お前の愛は、もう受け取っている。この傷は痛くないんだ。消毒さえしておけば腐らないし、そのうち塞がる〉
不安げに片方の眉毛を上げて首を傾げる少女は、手に押し戻された小さな薬の包みを見て口を哀しげに歪めた。
〈・・・四十五は、この愛をお前から貰っていたから、エミーの元から離れられたのかな?〉
誰も居なくなった広場の井戸から水を汲み上げ、傷口を洗って縫う。厚めに布を何度も巻くと薄く血は滲んだが見苦しくはなくなった。店主の居ない店から衣服を金と交換して着替えると、もう怪我人であるということは分からなくなる。
〈黒色、似合うぞ〉
〈そうだな、やっぱり俺もこの色の服が落ち着くな。・・・で服はいいけど、店が閉まったら食べ歩き出来なくなったなあ・・・〉
魔戦士が出たとエリドートの町に広まった。過去にファルドが蹂躙したこの町は、その恐怖が身に染みている。人々が避難経路から逃げ去った後の露店通りを歩く二人は、誰も居ない町を違和感に見回した。
〈なんだか、せっかく海の町に来たのに、ファルドに戻ったみたいだな〉
人影が少ないファルド帝国の道を、人を殺す為にクレイオルと二人で歩いていた過去。ぼそりと呟いた十九の手を、今度はメイがさり気なく握った。小さな手の温もりに驚いて見下ろすと、傷当て布に挟まれた少女の顔が照れくさそうにニコリと笑う。
〈・・・そうだな。ここは、ファルドじゃないな〉
穴が空いた心、痛みが分からない身体にも、少女の手の温もりは伝わってくる。
〈今は、ルデアみたいに腹が減るし眠くなる。魂からエミーの愛が無くなると、生きている実感が薄れるから、身体がこの世で生きるための行動を過剰にするらしい〉
『・・・・』
〈生きてるって実感を、心が満たされないから、身体の欲求でこの世に存在するんだ〉
『・・・・』
〈美味いとか、気持ちいいとか、あんまり分かんないけど、行動してる事で生きてるって思わせる。眠くなって横になるが周囲の気配は全て分かるから、休んでいるのは身体だけ〉
『・・・・』
〈でもな、お前と一緒に居て、お前が美味そうに飯を食っているのを見ると、俺も美味いとか思い出した。そしたらファルドでは異常に減ってた腹も、そうでもなくなってきた〉
『ご飯は、自分が好きとか楽しいと思う人と一緒に食べると、より美味しく感じる事があるんだって。確かに、気疲れする人と一緒に食べても、食に全神経を向けられるタイプじゃなければ、楽しくなくて美味しくないかもしれない』
〈・・・・〉
『ギスギスする会社の上司との、勤務時間外持ち上げ接待メシとか、ママ友達とのマウンティング・ランチタイム。それを主催しようとする人達の、空気の読めない感じが作為に塗れてそうで腹黒い』
〈・・・ハラグロイ?〉
『それなら公園で独りメシの方が、よっぽ精神と身体には健康的だよね?、みたいな話だよね?良いよ良いよ十九、楽しい話をしながら美味しく食べ歩こう』、
〈プライラ、話しなさい。たくさん、プライラ話しなさい。十九、プライラ好きだぞ〉
〈お前、何を言ってんのか分かんないけど、俺を慰めようとしたのは伝わった〉
警報が出て人の居なくなった町の宿で一泊し、預けた馬犬を連れ出すと次の町へ移動する。隣の小さな村は同じ様に不自然に人が居なかったが、少し離れた村には露店に人が立っていた。移動にメイが疲れて一泊し、翌朝から再び食べ歩く。それを繰り返し海岸沿いの町や村を数日間食べ歩きしていると、目的の場所が近くなってきた。
〈次は、何処の町の名前?〉
頰の傷当て布が口元のみになるが、未だ治りがけの黄味が少し残る。もう全く痛みは無いとメイは笑うが、痕が残らないように薬を毎日塗らせている。そして十九の傷の状態は少女が毎日確認していた。塞がってきた傷口にメイは安堵し、その姿を見て自然に口元が綻んだ。
〈また海の町?〉
〈当ててみな。お前も俺もよく知ってる名前の国〉
〈・・・ファルド帝国〉
少しだけ考えた少女の言葉から、楽しげな響きが消える。尻下がりに出た国の名に、十九も同意を頷き否定を示した。
〈否。〉
少女の背後から無造作に一つに結われた丸い頭を見ていると、長い髪を編み込んでいた頃の自分を思い出す。メイの髪は編み込むには少し短いと眺めていると、髪を下ろした姿、たまたま裸を見てしまった事を思い出した。子供の様に丸いお腹の上に少し胸が膨らんできていたメイ。十九が思っているよりも年齢が上かもしれない。
(そういやこいつ、いくつなんだ?・・・確かヴァルヴォアールの奴が婚約したとかしないとか、ファルドで女達が騒いでいたが、このガキと?、あの男、何考えてんのかな?あれ?そういや女達の話の中に、ヴァルヴォアールとこいつを取り合ってる奴の名前って、確かオゥストロ・・・、)
〈グルディ・オーサ!〉
〈違う!!、それ国じゃねえ。ただの原っぱだし、俺にとっては避けたい場所だし。〉
『・・・・げーる。もう、分かりません。出尽くしました』
〈そうだ、お前が教えてくれたプライラの子供、あちこちで噂になってるぞ。俺も誇らしい。乗り手のオゥストロって奴も、かなり名が通ってるな〉
驚き跳ねた少女の肩、思い出していた婚約の話を本人聞こうと思ったが、メイはオゥストロの名前に明らかに動揺する。娼館の女達はオゥストロを魔物の様な大男でヴァルヴォアールと比べものにならない怪物だと恐れる者が居たが、街の露店で王城に出入りした者の話しを聞いた店主は、盗み見た背の高いオゥストロが美丈夫すぎて王城の給仕の者達が失神したと噂していた。
(いずれにしても、どの噂も大男には違いなかったが・・・。そんなデカイ奴が、なんでこんなチビと噂になるんだ?・・・オゥストロ、すげー気になるな)
黙り込んだ少女の背後で首を傾げる十九だったが、森の先に見えた目的地に求めて止まないものが浮かんでいるのを発見し目を見開いた。
〈あれだ。俺たちの次に行く国〉
『!!』
〈オーラ国〉
攻め入られて居ることは知っていたが、想像以上の激戦に十九は身を乗り出す。
『これ、どこかで見た・・・。美術館の、お城を攻める群衆の絵みたい、』
〈見えるか?あれ。オーラはもうすぐ、陥落するぞ。この十五日、よく持った方だよ〉
地上からは銀色のファルド騎士団、上空からは黒いガーランド竜騎隊。
〈竜騎隊も、思ったより数が多いなあ。あれ、上から地上に線の様に繋がって滑空してるだろ?隊長格は、敵の殲滅を狙ってあれをやる。ほら、また城の一角が落ちた!〉
地鳴りのように音を立てて城が崩れ落ちていく。竜騎士だけでなく、大聖堂院が得意としていた魔法戦に対する魔法士を乗せた飛竜の姿も見えた。
『あれ、黒竜ドーライアだ、』
メイの呟きに見上げた上空、誰よりも高い位置に待機する黒竜には、立って騎乗する騎士が居る。
〈プライラの子供、ドーライア。そしてあれが噂のオゥストロか!〉
落下するよりも早く滑空し、魔石の攻撃を躱し地上で敵を薙ぎ払う。旋回して穴が開けられた塔の中に滑り込むと上階まで支柱を壊しながら一気に突き抜けた。
(塔崩し、単騎でやりやがった、)
崩れ落ちた一角により、城の内部は丸見えとなる。崩落の巻き添えに魔法士の一団も階下に落ち、そこから飛竜が城内へ傾れ込んだ。
〈確かに。良い隊長だ〉
落人の少女との婚約の意図は分からないが、竜騎士としては申し分ない。彼らへ会いに行く期待感を抑えて、十九は大切な確認をするために少女を見下ろした。
〈メイ〉
『!、はい?』
〈俺はエミーの愛で、この地に繋がっている。だが今は、エミーの他には、繋がるものはお前しかいない〉
黒目はきょとんと十九を見上げたまま。男は頷き言葉を続けた。
〈俺はプライラの名を思い出せたが、やはりガーランドでの自分の事は、あまり記憶にないんだ。・・・それにガーランドに戻って、プライラが生きていたとしても、もう別に相棒が居るだろうしな。生きて会えるのは嬉しいが、正直、他の奴を乗せてるあいつを見るのは辛い〉
『・・・・・・・・』
〈愛って、何だろうな?〉
『え?』
〈俺は、俺のエミーへの愛を試すために、彼女に会いに行く。お前も一緒に来てくれるか?〉
戻ってきた紫石の首飾り。だがもう、それからエミーの愛を感じる事は出来なかった。この地に存在する、自分の気持ちを確かめに十九はここに来たのだ。
〈俺はエミーに会いに行く。お前も一緒に来るか?〉
生きている実感を得るために、欲望を満たさなければならない。身体には痛みが無い。心には常に空洞があるが、メイの手の平の温もりを感じる事が出来た。それに縋るように少女へ問い掛けたが、黒目は自分を見上げたまま感情が分からない。
(久しぶりだ。こんな〔不安〕で心が苦しくなるのは、)
メイが行かないと言えば、崩れ落ちる危険な城へ連れて行く事は無い。この場所で馬犬から降ろしてここで永遠の別れとなるだろう。
〈私は十九と、オーラに行くぜ〉
行くと微笑んだ少女に、十九も心から嬉しさが込み上げた。続けてメイは異界語をつらつらと頬を赤らめて呟いたが、意味は全く分からない。馬犬の上、再び城までの穏やかな刻が過ぎた。だが思い詰めた少女の言葉が、忘れていた問題を思い起こさせる。
〈十九、エミー、オルビア、名前を呼ばれると、エルビーは首が痛い。すごく痛い、言ってたぞ。大丈夫?〉
〈真名か。そうだな、俺たちの名前はファルド兵より少ないから、当てられる確率は高いだろう。だがオルヴィアはここには居ない。・・・そうだな、もしエミーが俺の真名を呼ぶのなら、こうするさ〉
『わわわ!』
ガーランドの子供が怒られるとする、それ以上は聞きたくないと親に主張する行動だが大抵は失敗に終わる。冗談で覆った少女の両耳、楽しそうに笑い出した顔に十九もつられて笑う。だが彼らの穏やかな刻を引き裂く、不粋な足音に気付いて神経を後方に集中させた。
〈ようやく追い着いたのか。ファルドの鳥は風に乗れないな〉
追われている事は知っていたので、それを躱すために少し遠回りをした。だが次に聞こえたのは風を斬る金属音。紙一重で前倒しに身を躱すと、後ろ髪を掠めて中刀が木に突き刺さる。
(諜報じゃなくて、こいつの護衛か、)
[巫女様!!]
耳を覆ったままのメイには、彼女を必死で追う護衛の声は聞こえない。きょとんと見上げる黒目に安堵した十九は、抱きすくめた小さな少女を盗られない様に全速力で馬犬を走らせた。
*
しつこい追っ手から、優秀な馬犬は木々の合間を利用して逃げ切った。その所為か、もう少し少女と話をしながら進もうと思っていた道のりはなくなり、目の前に目的の城が迫って見える。荒野には貴族の私軍とファルド軍との衝突の痕が点在し、少し離れた先の岩場には死体が点々と転がっていた。
(クルースト、ロールダート壊滅、そして未だに旗が折れていないのはエールダーのみか)
オーラ城の正門前から城内はファルド帝国軍とエールダー私軍との戦闘が続いている。そして上空からの攻撃に、城内は半壊していた。
(数字持ち達が外に見えないな・・・)
ファルド軍の手薄な場所を探していると、もぞりと身動ぎした少女に気付いて見下ろす。不安げな黒目は十九を見上げると、帰る場所について尋ねてきた。
〈十九は、ガーランドに帰るぞ?それともエミーのオーラに帰るぞ?〉
〈・・・そうだな、帰る場所か。それは考えてなかったな〉
〈私は、私の家に帰るぞ〉
〈お前の家って、ファルドの天教院のことか?〉
〈違う〉
〈あ、そうか、落人だもんな。・・・なら、あのたまに口が裂ける空に帰るのか?〉
〈空?〉、
『そうか、そうなるのかな?』、
〈空だな。私は、私の家族の場所に帰るぞ〉
〈家族か。天に家族が居るって、なんかいいな。俺も天に帰れたら、俺の家族はそこにいるのかな?あいつら、覚えてるかな?〉
顔も名前も思い出せない、雰囲気だけの思い出の家族。十九は惚けたように空を見上げる。同じように少女も雲が遠くに見え始めた青空を見上げた。
『・・・・居るよ。きっと。だって、我が国の色んな宗教の神様が、死んだら神様や会いたい人に会える的なこと言ってるよ』
落人言葉はさっぱり分からない。だが少女が力強く肯定を頷いた事だけは理解できる。
〈イルよ、キット、ダッテ〉
〈居るぞ、待ってる家族は。十九、ガーランドには帰るぞ?〉
〈ガーランド、・・・そうか。そうだな。もしかすると、俺より若い奴らは、まだ生きてるかもな。まあでも名前もだけど、顔とかはっきり思い出せないけどな。思い出したらヤバいから〉
〈真名・・・〉
〈真名だな〉
馬犬は戦場の危険を回避して、城の裏側の岩場を駆け下りる。裏手門が迫る中、再び少女はぽつりと呟いた。
〈十九、私は、頑張ったよな〉
〈お?なんだ?何を評価されたいんだ?〉
〈私は、流される。ぷるりんオルディオール、とても強いんだぞ〉
〈オルディオール・・・〉、
(そういや、こいつが落人にされた理由、取り憑いたルルであるオルディオールは、真名を知っているのに消えていない)
〈でも私は弱いぞ。とてもとても弱いぞ。だからオルディオール、十九と同じ、強いんだぞ。でも私は、とても弱いんだぞ〉
〈・・・・分かるような、分からないような。〉、
(四十五は、真名を思い出しているのか?、確か一度オルヴィアに落人化させられたと噂で聞いたが、奴は普通に存在していた)
〈私は流されるを、とてもとても頑張ったよな〉
(流される、を頑張る、)
少女の拙いガーランド語、思い詰めた顔に気付いた十九は、簡単な言葉の意味を改めて考えた。
『私はね、この異世界で何もしていないけど、でもね、流される事だけは、本当に頑張ったんだよ、十九。今ここに居るのは、故郷の過去の自分が頑張ったからなんだ。それをね、この世界の誰かに、聞いてもらいたかったんだ。でもね、』
理解できない異界語、未だ打撲痕の残る頬を恥ずかしそうに染めた少女は、必死に十九に何かを伝えている。そして涙を目の端に滲ませた。
『ぷるりんにもエルビーにも言えないけど、十九にだけは、聞いてもらいたかったんだ。・・・ごめんね』
ポロリと一粒こぼれ落ちた涙。だが十九はそれを拭ってやることが出来ずに手綱を握り締める。
〈しゃべるなよ、舌を噛む〉
背後から迫る追っ手の気配を感じ、馬犬を再び走らせた十九は木枠を利用し二階の大きな窓辺に駆け上がる。魔戦士との戦いに傷付き疲弊した者達は、突然窓から侵入してきた黒い陰に驚愕した。
黒い馬犬に騎乗する男の姿は、ファルド軍では第九師団の隊色と同じ黒。だが該当するエスク・ユベルヴァールではない見慣れない褐色の肌の男は、相乗りに小さな黒髪の少女を乗せていた。
「あれ、巫女様ではないのか?」
「誰だ、あの男は、どこかで見たことがあるような」
「巫女様は、ご無事なのか?奴に捕らえられているのでは?」
ざわざわと人が集まり馬犬上の人物に注目する。その中の一人が、記憶の正体に気付いて指をさした。
「エールダー公だ、あれは、オルディオール・ランダ・エールダー公だ!!」
王城の広間に飾られる絵姿。エールダー公家の大広間に飾られる絵姿。更には軍から国民に配布された回覧、王立図書館など様々な場所で目にする事が出来る、かつての英雄の転写絵の中のオルディオール。まさにその姿が目の前に佇む。
「英雄オルディオールが、巫女様をお連れになった!」
〈・・・・〉
兵士達を見下ろす金朱の瞳。廊下や階段で未だエールダー公家の私軍と戦う者達も、ざわざわと伝わる言葉に驚き手を止めて口を開ける。
黒い馬犬がゆっくりと歩き近寄ると、自然に兵は道を空けるために人垣は裂けて行く。そして間近で男の顔と少女の顔を確認すると、兵士達は確信にオルディオールと巫女を指さし名を呼んだ。
(オルディオール・ランダ・エールダー・・・)
エミーが特別扱いする、気にくわない男の名前。その名を呼ばれる度に、心に冷たい鉛が落とされていく感覚がある。
指をさされ呼ばれる英雄の名、それから逃げるように大階段を馬犬で駆け上がる。崩れかけた城、エミー・オーラの居場所は大体検討がついた。エミーの居城に行く前に馬犬を降りると、名を付けることも無かった黒い馬犬にメイが労い首を撫でて声をかけている。
「フルルル、」
長い毛の尾を振って挨拶した馬犬は、忘れないように少女の頭の匂いを嗅いでいた。
〈助かった。俺もお前の事は忘れない〉
オーラ城の公主の間を目指す中、広間や廊下に倒れる兵士達の間には火で焼かれた肉塊がところどころに転がっている。奥へと進むごとに、第一師団で見かけた名高い騎士が増え始めた。一様に目を見開く彼らだが、通り過ぎる十九と落人の巫女に声を掛ける者は現れない。
(ここから先が、オーラの居城。ファルド軍、ガーランド軍、更に、獣人が入り込んでいるな)
魔戦士の燃やされた亡骸、その近くの床の絨毯や壁には武器で傷つけた以外の抉れた痕が残る。大きな扉に隔たれた居城入り口。装飾の多い扉にも、よく見ると獣の爪痕が数ヵ所残っていた。
見上げた扉は、大聖堂院の魔石による結界はない。この先に待つエミーへの気持ちを確かめる前に、小走りで背後に駆け寄ってきた少女を見下ろした。
〈お前の愛は受け取っている。だからお前の気持ちも受け取った〉
ここまで語られてきた少女の思い。十九には理解できなかった落人語の呟き。
『・・・私も、十九が生きて、ここに居る事を、知ってるよ』
再び真摯に語られるその異界語に、彼女の言葉を理解したいと思っていた本音は、見えない未来へ約束の言葉を口にした。
〈それも受け取った。俺はこれから、お前の国の言葉を学ぶ〉、
『知ってるよ』、
〈意味は理解出来ているという事だろう?〉
『・・・・うん、そうだよ』、
〈了解!〉
見開いた両目から、今度は嬉しそうにぼろぼろと大粒の涙が零れ出た。先ほどは拭ってやれなかった一粒を目尻に押しやると、少女は頬を染めて照れたように笑う。
〈エミーへの愛を、俺が試した後は、別の町に行くか?〉
『!!』
誓約では無い、先の見えない未来への希望。他愛ない小さな口約束を重ねる事で、自分がここに居ることを確認する。
〈了解!!〉
力強く返ってきた少女の言葉に頷いて、十九は大扉に手を掛け押し開いた。




