14 ライト?オア、レフト?
ガタゴトガタゴト、荷馬車が揺れる。
地下道でパン女の頰をパンした私だが、何故か今は一人きりで荷馬車の中の箱の中。
(聖人は、頰をパンされてもパンされてない方の頰を差し出すべきだと言うが、私は聖人ではないので、パン女にパン返しした)
意外にも素振りは的を外さずヒットして、その後は叩かれた色黒パン女がブチ切れた訳だが、大量の熱いもくもくが地下道に充満し、何故か私からぷるりんが零れ出てしまった後に強く腕を引かれて今に至る。
私の腕を引いたのは、見ず知らずの冴えない男だったのである。
視界が悪い中を小脇に挟まれ全力疾走。初めはエルビーかマスク代表だと思っていたのだが、地上で降ろされるなり箱に入れられた。もちろん抵抗して逃げ出そうとしたのだが、男の力で頰をパンされて倒れ込んだところで蓋を閉められた。
(口切れた。熱持ってる)
ガタゴトガタゴト、衣装ケースの様な箱の中に蹲って数時間。いや、もしかすると数日。たまに外に出されてトイレタイムの後に水を飲まされる。食事は無し。猛烈な空腹感が過ぎ去った後は、頭がぼーっとし始めてガタゴトガタゴトを聞くだけとなった。
実は私は、すぐに誰か助けてくれるだろうと、この状況を甘く見ていた。
もくもくが発生して、私の隣にはエルビーが立っていた。すぐ後ろにはマスク代表とカッパ少年。ぷるりんが抜け出して、何か騒がしくなったと思ったらすぐに連れ去られたのだ。だけど近くに頼もしい仲間たちが居たから、その一人が私を小脇に挟んだのだと、連れ去られる事に自ら助けてを発しなかった。
箱に入れられてからも、根拠は無いのに何故か助けが来ると思っていた。きっと、彼らはすぐに、来てくれる。そう、攫われた状況に高をくくっていたのだ。
(だけど、けっこう離れたし、誰も来る気配は無し)
数時間、数日、時間が経つにつれて、私はぷるりんが自分から抜け出た意味を考える様になった。
パン女が分からない言葉でぷるりんの名を呼んだ。その後だ、すぐにぷるりんは私から抜け出てしまった。初めはパン女が何かしたと思っていたが、もしかすると違うのかもしれない。
私の所為でぷるりんは、この世の自分の身体を、無くしてしまったのだ。
卑怯にも私は、自分の保身のためにぷるりんに真実を聞かせまいと、とっさに耳を覆ってしまった。
(ぷるりんは、自分の意思で私から抜け出したのかも、)
その事が、誰も私を助けに来てはくれない理由なのではと、そう悲観的マイナス思考に陥っている。
「・・・・、・・・、・・・・」
冴えない男の声がする。
私を連れ去った誘拐犯。名前も知らない奴が箱を開けると私は外に連れ出される。そして場所も分からない森の中、首にロープを巻かれて野トイレタイムになるのだ。
長い紐、茂みにしゃがみ込む私。もしかすると強く引っ張り走り出せば逃げ出せるのかもしれないが、私は自分の脚力に自信が無いのでまだ試してはいない。
それほどに、男に顔を叩かれる恐怖が優ってしまったからだ。
暴力には屈しないと、簡単には口には出せない。それぐらい心に傷を負わせるものなのだ。
そこでパン女をパンした話に戻るのだが、やはり私は、あの時彼女を叩かなければよかったと、今は後悔している。
あの色黒パン女が、昔のエルビーにしたことは絶対に許せない事ではあるが、それと私の仕返しを混ぜ合わせた事はやはり違うのだ。その後悔を出られない箱の中で考えた。
右の頰をパンされたら、左の頰を差し出す。
暴力には暴力の抑止力が絶対的に必要だと私も理解できるが、いつか誰かがヤーメタ、とこの暴力のループから抜け出さなければ積もり積もって戦争になるのだ。
ミギノ頰をパンされたら、ヒダリノ頰を差し出す。
だけど、これは、左の頰を差し出す側が右の頰をパンした者より権力を持っていなければ、ただの泣き寝入りになる可能性もあるのだ。全てのパンする側が、罪悪感を備えるなんて性善説。夢ノマタ夢のファンタジーなのである。
でもきっと、我が星に普及するワールドワイドな様々な宗教は、始まりはきっと、権力者だけの不平等社会に抵抗する、全ての差別を超えた小市民の砦だったのかもしれない。でもいつの間にか、その宗教自体が誰かの利益とさじ加減に左右される、宗教という名の家族経営、もしくは巨大カンパニーに変わった気がしてならないのだが。
(ミギノ頰を・・・、私、あの古びたアパートの、左側に住んでいたら、ヒダリノ・カミナメイになっていたんじゃない?)
そんなどうでもいいような、重要な名前の真実に気付いた私だが、未だ目的地にたどり着くことなく箱の中は蒸し暑い。
ガタゴトガタゴト、荷馬車が揺れる。
更に数時間?それとも数日?
もはや色々なことが麻痺している。そして少し前から同じ考えがループするようになった。
(水だけで、まだ私、生きてるね・・・)
まだ生きてる。
断食修行僧は、あんなにガリガリに痩せて辛くなかったのだろうか?
彼を思い出すと同時に、ぷるりんの身体を無くしてしまった自分の後悔に押し潰される。そんな時は何も考えず、車輪の音に集中するのだ。
ガタゴトガタゴト。
(私、まだ、生きてる・・・)
不思議と、我が国の事は思い出さず、何故かこの異世界で出会った人々の事だけが走馬灯の様に頭を過ぎる。そして今生きている事に集中するのだ。
ガタゴトガタゴト。
(私、まだ、生きてる・・・)
それだけを頭に巡らせて更に数時間、また外から声がした。
「・・・!、・・・、・・、」
幌をめくる音、箱が開いて光が射し込む。野トイレタイムだ。でももう、立ち上がる事なんて出来ない。そしてきっと、何も出ない。
〈お前、小さすぎ、*******・・・・〉
『・・・・、』
黒い影、顔は見えないが冴えない男とはどこか違う。そして大きな手が箱に入ってくると、私は男に抱え上げられた。その時、男が屈み込んで首元から光る何かが零れ落ちた。
(見たことある。これ、私の指輪に似てる・・・)
透明な美しい石だけの指輪には、花の模様と黒い石がはめ込まれている。ネックレスの主は私を抱えたまま荷馬車を降りると、何処かに座り込み水を飲ませてくれた。だがいつもと違うのは、その水がほんのり甘いこと。
暖かい布に包まれた私は、ゆっくりと甘い水を飲むことが出来た。
**
目が覚めてから、何処かの部屋の一室に居る。
久しぶりに小さな箱から解放されて、伸び伸びと出来る広いベッドなのだが、私は必ず隅に転がっている。
(隅っこに寄ってしまう。大きなベッドに馴染めない、小市民な私・・・。あと私が五人は眠れる広さ)
だけど、ここは何処だろう。
寝泊まりさせてもらっているが、場所は全く分からない。箱からの解放はありがたいが、未だ身体はギシギシと痛く頭もフワフワとふらつく。そしてしばらくぶりにお腹がギュウッと空腹を訴えた。
〈お、自分で起きたの?、ならそろそろ*****、食ってみるか?〉
扉の無い続き部屋、そこから現れたのはあの色黒さんだった。色黒といってもパン女でも威圧的なおじさんでも無い。私の中では好印象、木から落ちたときに助けてくれたあの彼だ。
(確か、この人)、
『くれいおる・・・』
〈んん?クレイオル?来たのか?俺が居ない****?〉
どうやら、彼の名前はクレイオルではないらしい。マスク代表やチャラソウは、目の前の救世主の名前をクレイオルと呼んでいたのだが、今の反応では別人のようだ。
〈まあ、とりあえず食え。麦水、柔らか***あるからな〉
〈麦水、知ってるぞ〉、
『お粥もどき、薄味ですね。一度、弟に食べさせられました』
私の返しに色黒青年はにこやかに笑う。少しつり目気味の不思議な色の瞳は、榛色の中にオレンジの色が混ざっている。私が知る限りのドローン語で返事を返すと、彼は少年の様に何度も笑った。
(なんか、この笑顔、とても好き)
照れは無く、異性の笑顔に自然にそう思えた私は、きっとまだ身体が疲れているのだ。食事をしながら教えてもらったのだが、冴えない男に攫われた私は五日間荷馬車に揺られていたらしい。アウトドアにもサバイバルにも不慣れな私。身体を丸める狭い箱、与えられるのは水だけで意識朦朧としていたが、六日目にこの色黒青年に助けられたのだ。それから更に二日間、この見知らぬ部屋で医者に診て貰い看病された。
〈ゆっくり飲み込め〉
ほんのり温かいお粥もどき。少し塩味がする。少量一匙ずつ飲み下す私を見守る彼の瞳はとても優しい。黒髪褐色の肌、朱色が混ざる榛色の瞳。まるで黒猫の様なこの男の人は、やはり何処かで見たことがある。だがパン女の親戚説は消えたので、となるとやはり残るは色黒おじさんの・・・。
(いや待てよ。確かエールダーって、ぷるりんの親戚って、ていうか、ぷるりんはそういえば、パン女のお父さ・・・)
〈どうした?〉
少し脳内を検索しすぎた。体調不良な今は、これ以上、身体に負荷が掛かるページを開くのは止めておこう。強制終了しかねないのである。今は食べる事に集中する。そして目の前の恩人が、パン女の親戚のクレイオルではないと分かっただけで十分だ。だから私は先入観を捨て、この恩人様と一から関係を始めようと思います。
『ごちそうさまでした。あの』、
〈名前、お前ら、どうなってんの?〉
〈お前ら?〉
〈お前ら、名前〉、
「教えて下さい」
〈ああ?俺の名前***か?〉
ようやく通じたと頷く私。そして何故彼が、私の指輪に似たものを身につけているのか、それもさり気なく聞き出さなくてはならない。この人が誰で、ここが何処で、更にぷるりん達が今どこに居るのか、それも探らなければならないのだ。一つずつ、疑問を消していかなければいけない。
(もしかして、あの現場にこの人は居たのでは?)
断食修行僧が亡くなったあの現場。私達が向かう前に既に兵隊さん達が瓦礫処理をしていた。その中にこの人が居て、亡くなった修行僧が落とした指輪をたまたま拾ったとか?
そう私は仮説を妄想していたが、それを全て覆す彼の名前に驚いた。
〈十九〉
『え?、セルドライ?』
私には馴染みのあるその数字。この異世界では自信を持って何度となく繰り返したあの言葉。確認に疑問で返した私に頷く青年は、やはり十九というらしい。
〈この身体でお前に会うのは二度目だ〉
確かに、以前は木から落ちたところを救われた。頷く私に頷き返す十九。でも何かが引っかかる。この身体?
(あれ?待って、確か十九って、ぷるりんの身体と一緒に居た断食修行僧、彼は魔戦士の十九って、言われてた)
『まさか・・・そのセルドライ?』
〈前の身体では、プライラの話をした。覚えているか?お前はプライラの子供の話をしてくれた〉
〈プラーラ?〉、
『って、確かドローンの名前だったような?』、
〈黒竜ドーライアの子供?〉
〈そうだ、黒竜!、・・・の、子供じゃなくて、プライラは親の方だけどな。それだよそれ!〉
ドローンの話にはしゃぐ(自称)十九。いや念のため自称を付けたが年齢ではない。見た目は二十代後半にも見えるし無駄な貫禄を醸し出している。だが話の内容と笑顔は、二十代前半のエスフォロス弟によく似ているのだ。
では、ないのだ!
何でこの色黒青年が、断食修行僧と同じ話をしているのだ?しかも私のドローン語翻訳が確かならば、前の身体って言わなかった?今?
まさか、この人は、
『断食、修行僧ですか?』
キョトンとする切れ長つり目。間抜けにも我が国の言葉で語りかけていた私を否定せず、彼は傾げた首を戻すと満足そうに頷いた。
〈俺を理解出来たな〉
理解出来たと満足そうに頷かれたが、私は実のところ混乱中である。バイト先でもたまに店長に言われた事が理解できなかったが、なんとなく慎重に頷きやり過ごすことが出来た私。人生ってそんな感じで綱渡っていた私のスキル・ヤリスゴスが今まさに発動されていたようだ。
(ヤリス・ゴス、と区切ると、とても強そうなスキル・・・でも、実際には天性空気を読むが如くと同じく、この場とやり過ごした場を繋ぎ止めるという、職人の如き繊細な技、)
新技を妄想中、精悍な顔立ち、詰め襟の上着の首元から鎖が現れた。
〈お前の愛は、受け取ったぞ。ほら、〉
『え、?』
私の指輪に似たあれかと思ったが、鎖に繫がれていたのは大きめアメジストの原石。これは私が断食修行僧から預かって、医師オカマに預けていたら盗まれてしまったあのネックレス?
呆然と彼が手にする石を見つめる私に(自称)十九は更に首元から鎖を取り出した。
〈だからこれも、お前に返す。高価で大切なものだろう?*****か?〉
『え、なんて?』
神妙な顔付きの(自称)十九。ここでは解答を間違えてはならない予感がする。
〈それとも***?〉
『・・・・、』
肝心な質問ワードを、どちらも聞き逃してしまった私だが、ここで魔法の万国共通言語・パードゥン?や、ジャスト・モーメント・プリーズ・ミーが、通用するとは思えない。
(というか、雰囲気的に、パードゥンしちゃいけない空気感、張り詰める、)
そこで活かされるのが、先ほども発揮した私の熟練スキル、ヤリス・ゴスの発動だ。
ーーコクリ。
〈・・・・〉
『・・・・』
慎重に頷き、聞き取れなかった言葉、この場を穏和にやり過ごす私。
〈・・・・そうか!〉
ニコリッ!
『ほ、』
(自称)十九の満開の笑顔。どうやら、私のヤリス・ゴスは成功に終わったようだ。
(なによりなにより。)
その後私は(自称)十九のお陰で、翌日には通常食に戻り、翌々日には宿屋を旅立つ事になった。もちろん(自称)十九と共にである。




