少女の使い道 08
「お兄様、あの雌の犬、まだ子供が産めないんですって。私、早く子犬が見たかったのに。つまんない」
薫り高い紅茶を飲みながら、赤毛をゆるく巻き、睫毛を縁取る大きな緑色の瞳を潤ませて少女は言った。
「せっかく高い値段で買ってきたのに。使えないな。雄も二匹も手に入ったのに。いつ産めるようになるんだ?」
「見た目はもう大人だったから、今年中じゃないかってお父様が言ってたわ。私、こんなにがっかりしたの初めてよ」
口を尖らせて怒る妹に、兄は優しく彼女を諭す。
「キアラ、わがままを言っては駄目だよ。これから子犬を沢山産ませて、それを売るって父様は言っていた。腹が立つからって、虐めては駄目だよ」
兄のガーラは今年十五になる。大人として二つ下の愛しい妹の頭を撫でた。
「どうしても我慢出来ないのなら、雌ではなくて、雄を虐めて遊びなさい。この前、小さい方で試してみたけど、良い声で鳴くよ」
「ほんと? じゃあお兄様、連れて来てよ。私も鳴かせてみる」
甘えるキアラに、ガーラは我が侭な妹にあきれた顔をした。
「やだなあ、最近あいつら臭いんだよ。父様、買ってきたはいいけど、全然洗わないんだもんな。世話係も餌をやるだけだし。デラウに言いつけなよ」
「嫌よ。デラウ、うるさいもの。私も地下の扉を開けるのは嫌よ。真っ暗で怖いもの」
「あいつらも臭くなければ問題ないのに…そうだ、じゃあ、庭で洗ってやろうか?」
今日は陽が陰り少し外は肌寒い。だが犬なら大丈夫だろう。帝都に買い物に行く予定が、急の来客で明日に変更になったことにも二人の兄妹は鬱屈が堪っていた。
二人は、地下に飼っている犬で遊ぶ事にした。
******
「十、九……?」
「嘘だろ……」
ミギノの質疑応答に利用されている部屋は資料室ではなく、会議室の一部屋に変わっている。ここには基地の書類関係は一切なくエルヴィーも立ち入りを許可されて、今日はメアーも訪れていた。
この二週間余り、ミギノに対する敵の間者説は消えていた。次に今後の対応として、第十師団で奴隷逃亡者として保護するか、ただの迷い人として放免するかで意見が分かれているのだ。
フロウとメアーは、玉狩《ルデア》りエルヴィーの行動の変化、落ち人の所持品使用など、ミギノが大聖堂院に対する新しい情報を持っていると考えていたが、それも全く出てこない。
ミギノの唯一怪しい行動といえば、地図を見たいと言った事だが、それも彼女の「タイシカン。探す。家、帰る」との言葉に合点がいき地図を見せてみた。だがミギノは、地図の見方さえ分からなかった。
薄い板という最新技術も回復せず使用出来ず、敵国の間者でもなく大聖堂院の情報も無い。しかし少女とのやり取りは、一見とても無駄な事のように思えるが、実際大きな収穫があった。
彼女と共に居る、ルルはこの二週間、全く無害だったのだ。
ルルに関する情報は全て大聖堂院が握っていた。実際、落人の近くに発生していたことや、多くの戦死者を出した戦地であるトライドの森を発生源としていた事が、騎士団を含めて人々からルルを遠ざけていのだが。
死に関する忌みごとは、人は避けるものだ。
それにつけ込んだ大聖堂院側の策略だったのだろう。天教院や、一般住民にさえルルとの接触を遠ざけていたのだ。
玉狩りに採取させるなどして集めていることから、ルルには軍事利用出来る価値があるのだろう。これは大聖堂院を目の敵にしている騎士団にとっては、シオル商会の手がかりと同等か、それ以上に価値のある内容だった。
これに伴い、落人の回収物もこれからは騎士団が管理するために、大聖堂院と奪い合う事になるだろう。
危険な森は危険ではなくなった。実際フロウもメアーも、ミギノの持つルルに触ってみたが、痺れも何も起こらなかった。
これは大聖堂院による情報操作の確固たる証拠になるが、大聖堂院側のエルヴィーは、ルルに関しては危険だという主張をしたまま曖昧に終わらせた。
玉狩りを問い詰めたところで、大聖堂院には損害は何も出ない。ぞんざいに扱われている玉狩りであるエルヴィーが、切り捨てられて終わるだけだ。
結局のところミギノは、逃亡奴隷ではなく、本人も片言で主張する異国からの誘拐被害者ということで落ち着きそうだった。未だ流暢に話せない彼女の言葉からは、犯人の特定は出来ないが、出身は北方大陸辺境に決定した。
探していた他の落人も村内外で気配が無く、ミギノへの不審も晴れそうな今日、フロウとメアーの今後の提案の内容によっては、エルヴィーは基地を直ぐに出て行こうと考えていた。
一方ミギノは、自分の今後の話を検討される会議の最中、主要な質疑応答が終わり暇をもてあます。そこで彼女は、会話に参加していないエスクとステルに周囲の年齢を尋ねていた。
「どう見ても十三か、よくて十四だろ? な、ミギノ、勘違いだよな」
「私は十九」
少女は頑として譲らない。それはフロウ達も巻き込む騒動となった。
「意外と、大人だったんだね…ミギノ」
何かを想像した、エルヴィーが顔を赤く染める。
「いやお前、十九って、もう子供が居てもいい歳だから。お前はまだ小学だろ?」
聞き慣れない言葉に、ミギノは片眉をメアーの様に上げる。幼い姿の、大人の真似をしたがるそんな様子も可愛らしい。小学の意味を尋ねたミギノに、エスクは説明した。
「この国では、十歳から十六歳までが小学、更に学業を上げる者は大学を進み、学者か教師になるんだ」
『中、高が飛ばされた』、
「学校、分かります。私は十九。小学違う」
貴族や騎士はまた別の学校らしい。ミギノは頷いて納得していたが、やはり十九という年齢だけは譲らなかった。訝しむ表情のフロウを前に、数字を一から数え始める。理解していることの強調に示したそれに、メアーは年齢に異を唱えることをやめた。
空気を和まずような、穏やかな数字の復唱に、ミギノは何かを思いついた様にエルヴィーに向き合う。それによって、今までの空気が一変してしまうことにも気付かずに。
「一、二、三、四、五、四十五!」
発見者の少女は、数字持ちと呼ばれる玉狩りに向かって、指をさし嬉しそうに笑う。表情を変えなかった上官二人に対し、エスクとステルは息を飲んだ。
魔戦士、玉狩りは大聖堂院の飼い犬にして使い捨ての駒。
彼等の出自が一切不明なことから、戦争孤児ではないかと噂される。一様に美しい男が多いのは、彼等の教育者であり選抜者、聖導士エミー・オーラが、顔貌の美しい男を集めているからだ。エミーは彼等に名前を封じて、自身達を数字で呼ばせる事を徹底している。
この公然の人種差別に、貴族院も騎士団も手は出せない。
戦争孤児を国内や周辺諸国に作り出しているのも、帝国統一を掲げて進軍した、ファルド国そのものだから。実際、ここ五十年余り戦争難民や流民、破落戸へ落ちる人々への対応に苦慮している事が事実だ。
その中、大聖堂院が戦争孤児や難民を保護し教育し職を与える行動を、反対派閥の天教院が口を出す事は一切出来ないのだ。
しかし初めこそ魔戦士や玉狩りの彼等に同情していた天教院も、敵対派閥として積極的に天教院の妨害をしてくる彼等に、次第に距離を置き始める。
そして盲信的に、大聖導士エミーを信奉しながら大聖堂院の手足となって動く〔数字〕を付けられた哀れな彼等を、何もしない自分達の罪と合わせて、遠ざけて蓋をしたのが現状だった。
軍においても、尋問、拷問、国益に伴うとされる非人道的暴力が存在する。その中でも、感情を失うほどの暴力、精神的暴行における教育洗脳は、行使する者も正常では無くなる諸刃のものだ。
フロウ達軍事従事者は、一般人よりもそれを理解している。
人形と呼ばれるほど表情も無く、見せかけの社交しか出来ない〔数字持ち〕には、軍関係者も様々な想いが混ざり必然的に触れたくはないものになる。ましてやその想いの根源に触れる、〔数字〕を嘲り強調する事は忌避していた。
『あれ?なんだこの空気』、
「エルビー?」
「……」
数字持ちの境遇を、天教院の教育で幼少期から物語で学んだステルは、騎士学校で更に詳しい内情を知る。しかし生まれた時から家族と共に敬遠していた〔数字持ち〕に態度を変えられず今に至るのだ。宗教を大切にする周囲の者も皆同じか、たいしてそれに興味も無い者はただ雰囲気で避ける事が多い。
全てが今更。
忌避すべき〔数字持ち〕達。
言われたエルヴィーはミギノを見てただ微笑んだ。何を考えているのか分からないそんな表情は、ミギノの前でだけ豊かに変わる。そして彼はいつものように、少女の頭を優しく撫でた。
不自然に重くなった周囲の空気を変える為、エスクは休憩を進めたがお茶をこの場に運ぶように指示される。会議は中断せずにこのまま進むようだ。話題の中心にいる少女は、想像以上に長引いた会議に「お手洗い」とエスクに付いて廊下に出て来た。
「場所は、わかるな?」
「場所は、わかります」
彼女はエスクと逆の廊下を、厠に向かって歩いて行く。それを見送ったエスクは長丁場にため息を落とすと、窓の外に佇む黒い鳥に気付いて立ち止まった。
**
青茶を用意し会議室に戻ると、団長達の決断を待っているミギノの今後の話ではなく、何故か彼女の年齢について会話に熱が入っている。それに再びエスクはため息を落とした。
(まだ終わってなかったのか…)
「十九…」
フロウは頻りにそれを繰り返す。
「年齢なんか関係ないでしょ。さっき話はまとまってたよね。ミギノは僕が北方へ連れて行くから問題ないよね」
決定口調のエルヴィーに、メアーが首を否定に振る。その横では、疲れた表情のエスクが卓に杯を並べ始めた。
「今が戦争状態ではなくとも、玉狩りのお前では北方に入国出来ない。大聖堂院も許可しないし、貴族院だって認めないぞ」
「えー…。許可がいるのか」
「当たり前だ。出国に旅券が必要なのは何処も同じだろう」
不満げなエルヴィーを他所に、眉間に皺を寄せたままのフロウはメアーを見る。
「そうか…北方の辺境。彼女の行動から考えて、高貴な者の出自かもと言ったな?」
「奴隷か仕える主人の居る者の行動では無いからな。ミギノの行動を見ていて分かるだろうが、然るべき礼儀作法が身についているのに、生き残る為の行動が伴っていない。典型的などこかのお嬢様だろう」
言われたフロウは足を組み、顎に手をかけ思案する。メアーの言った通りだ。フロウがミギノに感じていた、違和感の内容が全て当てはまる。ミギノには、小さな子供にさえ備わっている、生き残る為の危機感が常に欠如しているのだ。
なのでその危うさが、犯罪者特有の世を捨てた行動と重なり、フロウはミギノに対して疑心を煽られた。
「落人の物は、どう説明する? ミギノはあれを使いこなしていた」
「だからそれは、あの子は森で一人で居たんだよ。あの森にはところどころに落人の忘れ物が落ちているから、独りぼっちのミギノが拾ったって普通でしょう? 僕たちも拾うからね。それにミギノの危機管理が足りないのは、皆分かっているでしょう。落人の落とし物だなんて、あの子は考えもしないで遊んでいたんだよ」
「遊ぶ、ねえ、」
触れれば表示が動く、得体の知れない板だった。そして見慣れない不思議な文字を少女は理解している。
「あの情報を、瞬時に把握できるほどの学習能力を、あのガキが持っているとは思えないな。するとあの板は、北方辺境僻地ど田舎の、未知なる民族文字を変換して表示したことになる」
「文字は似てるだけかも。だってあの板、色んな記号が表示されていたし。でも落人の落とし物は、魔力や魔石を使わない原始的な物だってエミーは言ってたそうだよ。たまたま動く落とし物を、何も考えないご令嬢のミギノが拾っただけだよ」
「しかし、長年ガーランド国との緊張状態が続いている。大陸外だって紛争がある今、どんな深窓の令嬢だって危機管理くらいはあるぞ。…それに、令嬢ならば異性に抱きついたりしないだろう」
言われたエルヴィーは意味が分かっていなかったが、フロウはミギノが何度も気軽に彼に抱きつくのを目撃しているのだ。
「十九という年齢なら、尚更あり得ない」
「まあ、それはなんとも言えないが、よほど田舎で自由に育てられたのではないのか?」
「あの年齢までか? とっくに結婚しているだろう?」
ーーお前がそれを言うのか。
この場の誰しもが思った事だが、誰一人妻帯者どころか婚約者も居ないので、反論も肯定も出なかった。唯一ステルには、幼なじみで婚約者のような女性が居るが、個人の繊細な意見はしない。
子供では無く、逃亡奴隷被害者でも無い。誘拐被害者と本人は主張しているが、誘拐場所も犯人も曖昧。虚言で無いとは言い切れない。軍からミギノへの不審が晴れた今、彼女が大人であればこれからは個人での自立が望ましい。
異国では不自由な、言葉の教育支援は行ったのだ。北方へ渡る以前に、ミギノが軍に居る必要性は無い。
そう、エルヴィーは安易に考えていたのだが。ここでフロウが、考えていたある事を口にした。
「北方の貴族として、それを助けたと、国に打診してみてはどうか?」
思ってもいない方向への話が出た。
「え、無理無理。フロウ、全然違うから」
焦るエルヴィーは立ち上がる。
「何がだ? そもそもお前が彼女の保護を依頼してきたのだ。お前にしては、珍しく遭難者を救助して来たと思ったが、結局、面倒だから基地へ運んで来たんだろう?」
「面倒じゃないよ! 面倒じゃなくて、えーと…最善策っていうか、」
落人の関係者とは口が避けても言えないのだ。この面々の前では余計な事は一切言えない。落人はルルとは違う。凶悪殺人魔物で、確実に排除対象だ。
「僕さ、えーと……ミギノを、エミーに知られたくなかったんだ」
以外なエルヴィーの発言に、周囲は彼を見る。
「それは、どういう事だ?」
メアーの問いに、エルヴィーは大聖堂院と落人を結びつけないように話そうと考える。
「エミーに浮気がばれたくなかったからか?」
「そうなんだよ! それだよ!」
「でもお前は今さっき彼女の年齢を知っただろう? 変な事を考えて、赤面していたではないか」
「いや、あれは…」
フロウの問いに、確かに幼い少女相手では想像しなかった事を考えた。そしてその欲に、エルヴィーはまた顔を赤くする。
「いずれにせよ、北方とは国交が無い。北方民族の奴隷被害者も数多くは無いが、帝都で天教院が保護しているままだ。今まで交渉の窓口が無かったが、ミギノが貴族か身分が高い者の一族ならば、それを助けて保護したと、ミギノ自身にも言わせればいい」
「無理無理」
「こちらの交渉人は俺が出ればいいか…」
メアーまでがフロウの話に頷き、エルヴィーにとって困った流れになってきた。
「ですが、ミギノが貴族でなかった場合はどうしますか?」
もっともなステル意見に、エルヴィーが大きく賛同する。
「その場合は、なんとかなる。違ったで済ませればいいのだ。こちらには確実に引き渡せる北方民族が居る。きっかけさえ掴めれば、今度は彼等を窓口に交渉する。今はお互い間に挟まっているガーランド竜王国の顔色を伺っているからな。兵の捕虜や民間人程度では交渉にはならないが、それが王族貴族ともなると話は別だ」
北方大陸へは敵国ガーランド王国を避けて、荒れる海流を渡らなければならない。そこまでするには、たどり着いて門前払いでは済まないのだ。王族貴族を助けた。それで門は開く。扉さえ開けばいい。その後は交渉人の腕次第だが、北方民族との繋がりが太く出来ればガーランド竜王国を、挟み撃ちも可能になる。
(半年以内に、ガーランドへは進軍を開始する)
その為にガーランド王国との最前線になる、このグルディ・オーサ基地を整え始めたのだ。今回の第九師団、第十師団は下見で地ならしである。更に第四師団が東方から移動してくれば、フロウ達第九は王都へ帰還し、第一師団として王都守備強化にあたる。
五十年後、再びガーランド王国への進軍が議会で決まったのは先月の話で、まだ一部の幹部しか知らない。決定した戦争への道筋に、有益な駒は多い方が良いのだ。その駒の中に、フロウとメアーは不審者のミギノが使えると判断した。
「ならば早い方が良い。天教院から貴族院を通し、王に北方への使いを出すよう進言しよう」
「まさかミギノを帝都に連れて行くの?」
「当たり前だ。直に第四師団が到着する。入れ替わりに第九は帝都に戻るが、一緒にミギノも連れて行く」
「駄目だよ! 絶対駄目だ!」
帝都にはエミーが居るのだ。
エルヴィーは、この場に居る者達を敵として認識したような顔をした。
「一体なんだ? そもそもお前は…」
フロウは、今までの小さな苛立ちをぶつけるように立ち上がった。冷たい碧の目がエルヴィーと対峙する。それを静観していたメアーだが、ここにきてあることに気がついた。
「おい、そういや、あのガキ。どこ行った?」
居ない。部屋の中には、見回せど渦中の少女は居なかった。
「さっき厠に…そういえば遅いな」
エスクも扉を開き、廊下を確認するが小さな姿は無い。代わりに兵士が一人、廊下の奥から駆けよって来るのが見えた。彼は今日の門番の報告で、フロウの連れの子供から外出の申し出がありその確認に来たと伝える。
「外出? ミギノが、」
内容に椅子を倒して詰め寄るエルヴィーに、エスクは室内を振り返る。フロウの頷きと共に彼は扉から飛び出した。




