ファルド帝国騎士団長 23
繊細な彫刻の列柱、同じ様な造りの廊下の何処を走っても、目的の場所へも人へもたどり着かない。少女メイの場所へ案内すると言った先頭のアラフィアが、迷ってばかりいることにヴェクトは怒り、道を逸れて勝手に走り出した。
微かに残る少女の香り、それを頼りにたどり着いた場所は、今まで訪れたどんな教会よりも華やかだ。
〈なんだ?、ここ、神殿か?〉
獣人の能力頼りにそれを追ったアラフィアだが、見上げた華美な天教院に眉をひそめる。
〈居ない。しかも臭せー。変な葉っぱ燃してやがる〉
大きなヴェクトを見た巫女達が、遠くから悲鳴を上げて走り去る。教会内から立ち上る、アラフィアでさえむせ返る貴婦人の香料の煙に身を引いた。煙に更に不機嫌になったヴェクトは、案内人のアラフィアを睨み見下ろす。
〈お前、あいつの居場所、知らないんだろ〉
〈・・・道に迷っただけだ。メイは、ヴァルヴォアールの野郎と居るはずなんだが、この城の上の階なのだが、階段が見当たらないのだ〉
目を逸らさず嘘をついたアラフィアに金色の目を眇めたヴェクトだが、後方から武器を構えて走り寄る煩わしい者達に気が付いた。
〈まずい、騎士が来たぞ!〉
「あれ、第一師団だ」
見知った顔に呟いたエルヴィーは、騎士団を回避すべく走り逃げる。それを追ったアラフィアは、同じ道を巡らない迷いの無いエルヴィーの走る姿に訝しんだ。
「おい、玉狩り、お前まさか、城の中、分かってんのか?」
「当たり前でしょう?君が付いてこいって言うから、さっきまで後ろにいたけど、迷ってたんなら早く言ってよ。なんで同じところ走ってるのか、不思議だったんだよね」
〈・・・!!!〉
処刑場からの逃走、周囲を気にして走り回った初めて入る他国の王城内で、とりあえずメイの居そうな上層階を目指していたが階段にさえたどり着かずに、同じ柱の回廊をぐるぐると走り回っていた竜騎士の自分。
〈・・・・野郎、〉
そのことを知っていて言わなかったエルヴィーに怒りが滾ったが、後方からの追っ手から逃げる事が先決だ。エルヴィーを先頭に難なく上階への階段が現れて、駆け上がろうと足をかけたが無数の弓矢に遮られた。
〈邪魔くせえ〉
ヴェクトは、無駄に彷徨い足の遅いアラフィア達に合わせていたことで苛立ちを募らせている。更に邪魔をする者達が現れて、怒り振り返りざまに宙を舞うと、追っ手に飛び掛かった。
***
ーーーファルド帝国、大広間へ続く通路。
(面白い事になった)
エルヴィーが基地に連れてきた、身寄りの無い小さな少女。
黒髪、黒目、北方の顔立ちだが色白で、ファルド式では無いが品のある所作も身についている。
(食事に関して見苦しくない姿だった。食べ方には生い立ちが現れるからな)
しかも空腹で自分が飢えた状態の少女は、魔物に食事を分け与え、貴重な自分の取り分を、その場で腹が満たされたからと残したのだ。誘拐か遭難という有事の際に関わらず、食事を残した黒髪の少女。常に貧しいトライド国は、賊に捕らえられた王女を始め食糧確保に目の色を変える。ファルド帝国貴族でさえ、続く戦争を経験し危機管理に与えられる食糧を粗末にはしないのだが、それを少女は不要だと、執着無く残した。
(飢えた状態で与えられた食べ物を確保せず残し、それを手放す事が出来るのは、飢えを経験した事の無い王族か、余程の無知無能の愚か者の二択。だがミギノは前者だろう)
見慣れない小さな板、縫製が甘い縫い目の弱い飾りの鞄、足を保護できない短い靴、旅装束では無い柔らかい薄い布地の服を身に纏い、傷だらけでグルディ・オーサ基地に少女は現れた。
(メアーも知らない場所、北方大陸の辺境は沢山あるのだ。北方の王族、又はそれに続く貴族。いずれにせよ、危機感と戦争、飢餓を経験した事の無い民族かもしれない)
故に間者ではない。
(そうだとしても、筋力の無い小さな身体の造りから、大したことは出来はしない。だが中尉の報告では、ミギノは口調性格共に豹変し、身の丈に余る剣で二刀流を披露して見せたという。剣舞は、民族によっては女性でも舞う。北方には、巫女の剣舞もあったはずだ)
女性ながらに二刀流で舞う。昔、フロウが幼少期に、奴隷の異国の女が剣を両手に舞っていた。その異様な光景を神秘と見上げたフロウは、懸念する部下の報告にそれを少女に当てはめる。
(まだまだ、少女を問題視する内容ではない。むしろ北方貴族ならば利用する価値がある)
だが少女はガーランドへ逃亡し、それを追わせた部下は捕虜となり、潜入部隊の二名が敵国で殺された。
その後月日を経て、天教院の巡礼者が東各地を巡り、どこからか下らない噂話を持ち帰って来る内容の中に、黒髪の小さな巫女がガーランドで最強最悪の非情な黒竜騎士オゥストロと婚約したとの噂があった。既にガーランド竜王国に潜入していた第八師団の潜入部隊から同様の報告は上がっていたが、天教院信者の口から民衆へ噂話は瞬く間に広まる。その噂話には尾ひれが付き、最新のものでは、少女には生まれる前より定められた北方大陸の皇太子の求婚者も居るという。そしてフロウはこれに自らも乗じる事にした。
(古来より、婚姻とは利用価値から生じるもの。生まれる前からや、過去の婚約などは大した問題にはならない。現状にこそ意味があるのだ。巫女は、ファルドに来たという現状)
「巫女ミギノ・・・」
思い出した少女の小さな姿。
不安げな表情で身体に合わない椅子に腰掛けて本を読む。腹違いの兄弟にも何かを教えた事など無かったフロウだが、初めて他者に文字を覚えさせた。自らが教え習得させた文字、更に拙い言葉で意味の通じる返事が返ってきた事に、今までに得たことの無い気持ちが湧き上がる。
ーー「了解っ!」、
『繰り返される呪文リピート方式、もう、無理。インプリンティングオーケー!イエッサ、イエッサ、』
資料整理に不眠不休で疲労していた部下たちが、少女の力強い言葉に手を止めて笑顔になった。フロウへ感謝を表し日々懐いていく少女。ファルドに戻ると部下の一人がその事を口の軽い第四師団に渡し、歪曲された内容でフロウの幼女愛好者説は巷に広められていく。大貴族には付き物の民草の為のくだらない捏造話。だがこれを利用し、ガーランド竜王国の間者に向けて、黒竜騎士オゥストロと北方大陸の婚約の噂の出所を揺さぶる事にしてみた。
(牢獄内での、あの女竜騎士の自信は、天教院の神樹の使いに舞い降りた巫女をガーランドと北方の象徴とし、ファルド帝国から救出するという大義名分とするはずだ。その事でファルド帝国信者へ罪悪感を与え、騎士団へ不信を煽ろうとするのは目に見えている)
フロウが逆の立場なら、天上の巫女が敵国で命を落としたとして、悲劇の報復戦と戦場を奮起させる事を考えるが、黒髪の少女の未だの生存に黒竜騎士の甘さを見る。
(婚約者と公表しながら手元から離し、敵国へ送り込んだのだ。それが第一目的かとも思っていたが)
天教院の教えは、聖なる教えに背けば天へ帰れず地を彷徨うと、恐怖を植え付け人々を掌握している。貴族から庶民、破落戸まで信じるものは先祖代々から多いのだ。その天上から降りてきた聖なる巫女の立ち位置を、北方からガーランドは現在、巫女姫の死の演出はせずに、分かりやすく婚姻を語り強調している。
(ならばその大義を、私の大義にするだけだ)
ユベルヴァールにより散布されたフロウへの幼女愛好疑惑、それを真実としフロウと天上人の巫女が事実愛し合えば、天教院信者も丸め込める。国民は簡単に騙されて、天上人の巫女がファルド帝国へ降臨したと思い込ませることが出来るのだ。
(落人ではなく、天上人の降臨か。天上人の巫女ならば、私の伴侶としてどんな家の者も口を出せないだろう。張り合うものが、神樹となるからな)
定まらない結婚、跡取りの子供を産む家の派閥争いに十代で辟易し、その後は子を成す事の無い商売女で事をすませていた。ヴァルヴォアールの一族は、家に得になる派閥からの貢ぎ物の見定めに忙しく、フロウの屋敷には子を産む候補として二人の貴族女が主の了承無しに既に住み着いている。家格と跡取りの為のものは一族に選ばせようとそれを放置していたフロウは、ここに風変わりな少女を持ち帰れば、煩わしい親戚一族はどんな顔をするだろうかとほくそ笑んだ。
(断じて私は、子供に性欲を感じる異常者では無い。それにミギノは、あれで自分が十九だと言っていた。まあ、見た目は、動物的に可愛くなくも無いのは確かだが)
優秀なエスクに少女の行方を追わせたのは、決して自らの好みによる執着では無い。自分よりメアー・オーラの名に頼った少女に、苛立ちと悋気を感じた訳でも無い。あくまで成り行きと計略だと内心に言い訳をしながら、フロウは黒髪の少女との婚姻の事実を急がせた。だが、その少女の真の正体が判明する。
ファルド帝国貴族、エールダー公家との繋がりを臭わせていた落人の少女には、オルディオール・ランダ・エールダー公爵の魂が宿るという。
不審な少女の正体は、本当に北方エスクランザ国の間者だと思っていた。そして、背後にファルド帝国に利益の無い、害ある家名が判明すれば、捕らえた神官騎士共々、敵だと両断すれば良いだけなのだ。そうではなく、王族や害なき貴族であるのなら、国交の無い秘められたエスクランザ国の内情が知れると踏んでいた。後は北方が何故、ファルド帝国に関与するのかを問い詰めるのみ。だがそこには、理解しがたい英霊が登場する。
(筆頭大貴族、エールダー公爵、)
英雄オルディオールの残した手記を元に作られた、第九師団。
先代の第一師団騎士団長から、引き継ぎにオルディオールの手記を手渡された当初は胸が踊ったが、フロウが大聖堂院を不審に思ったのは別にそれが始まりでは無い。騎士団と大聖堂院の仲が良くないことは、二つの組織の方向性の違いから、入団当初から誰にでも分かる事なのだ。
第九特殊師団に選ばれた精鋭は黒の隊服を身に纏い、属せない者からは常に羨望の眼差しで見られるが、フロウにとってはそれは煩わしいだけで意味は無い。羨望を受ける事など、大貴族ヴァルヴォアール公家に生まれた者としては当たり前なのだから。
それにヴァルヴォアール公家は、予てより英雄オルディオールのことは行き過ぎた善行だと警戒し、牽制していた家の一つである。騎士団長としての憧れや、奴隷保護法設立の行動力は尊敬するが、フロウの先人への気持ちは宗教の様に盲信的では無かった。
だが、そのオルディオール隊の残した手記から予想された、次のガーランド竜王国進軍時に使用の可能性がある大魔法の発動の懸念。今回はトライドの騎士団では無く、自国のファルド騎士団の多くの犠牲者が予測されたのだ。
それに向けてフロウは、グルディ・オーサ領の布陣を対ガーランド竜王国だけではなく、大聖堂院対策も講じた。
(本陣には変わり者ではあるが、実力者のウェルフェリア率いる第四師団、左右軍の指揮には第一師団の副団長である剛腕のメルビウス、そしてこの国に欠かすことの出来ない最重要師団、第十医療師団のメアー・オーラを配置する。途中でロールダートがしゃしゃり出て、まさかここまで足を引っ張るとは思わなかったがな)
第三師団を任されたロールダート公爵は古くからのファルド国の大貴族であり、大聖堂院との癒着が強い。不要だとは伝えたが、魔戦士の参戦許可を凍結されたままのエミー・オーラの申し出を、若き皇帝アレウスが不憫だと聞き入れてしまったのだ。それをエールダー議員長は問題ないと甘受し、騎士団は受け入れざるを得なかった。
(メルビウスに左右軍を任せた事が、一将を欠いたと徒になった。出来るから任せたのだが、対ガーランド進軍の強化の為だと第三師団をねじ込まれたのは、私の落ち度か)
長い王城内の廊下を駆け抜けながら、フロウは今回の対ガーランド戦について考える。
ロールダートがねじ込まれはしたが、これは大魔法、大掃上を防ぐための布陣であったのだ。五十年前の国境線の戦い、それと同じ魔法を容赦なく使用すれば、ファルド帝国は騎士団の中枢を失う事になる。どれ程の竜騎士が攻め入ってくるかは想像でしかないが、国境線戦が全軍投入であるはずがない。第四師団、国の精鋭部隊、そして最重要の医療師団を得体の知れない魔法で全て失えば、残る竜騎士団の攻撃により、ファルド帝国は更に大きな被害が予想された。
(仮に自国の騎士を犠牲にしたとしても、続けざまに大掃上を放つことは、魔石の使用量により出来ないのだ。それは軍会議でエミー自身が二発目は刻を要すると言っていた。それでは竜騎士の攻撃はファルド帝国に届いてしまうからな)
五十年前の様に、貴族院に軽々に大聖堂院の大魔法に賛同をさせない為に、自国の兵士を護る主戦力を初戦に投入した。
(まあ、第四とメルビウスだけで、どうにかなるガーランドだとは思っていないが。長期戦を見据えての第一陣は、想像外の奇襲によって崩された)
**
突然現れ走り去った第一師団団長に、大広間で皇帝を待ちわびていた指揮官将校達は狼狽えた。緊急事態かと走るフロウを追い掛けた新任の第五師団の男は追いつけず、徐々に距離を離されていく。
すれ違う将校達を振り返りもせずに、大階段を駆け下りたフロウは、控えていた従者に「英雄の旗を用意せよ」と言い付け馬犬場へ直行した。鞍を付けファルド帝国最速の馬犬に跨がると、貴婦人達が通る間は駆けてはいけない正門道を構わず疾走する。身を着飾った女達の軽い悲鳴を障害物に避けながら駈け抜けると、直ぐに正門が見えた。
「主様!」
見慣れた従者の青年が、十人の黒の隊服の騎士と門前に立っている。冴えない色の黄色の布が棒に付けられると、それぞれの騎士に配り始めた従者は、最後に騎乗のヴァルヴォアール家の当主に差し出した。
「これを、我が手にする日が来るとはな」
黄色の花は、北から南、そしてこの東のファルド帝国でも、少しずつ形を変えて全ての大陸に根強く育つ雑草の花。天教院で語られる一節に、天上人の巫女の訪れと共に、見渡す限りの黄色の花が咲き誇ったという。黄色の花は、寒くなると白い綿毛となり、一斉に種は空に舞って各地を巡る。そして天上でも咲き乱れるのだ。
全ての大地に根付く、その花の色で染められた旗は平和の象徴。そして戦場では、各国で停戦を意味する旗。
(今は英雄とされたが、嘗ての英雄が何を思ってこの旗を持ち、グルディ・オーサへ駆け抜けたのかは分からない)
トライドを救うためにファルド帝国を捨てた嘗ての騎士団長は、政治的利用により英雄と祭り上げられた。だがそれを聞いても、フロウには響くものは正も負も何も無いのだ。
結果、彼は命を落としたという事実だけである。
だが数奇な事に、現第一師団の騎士団長であるフロウ・ルイン・ヴァルヴォアールは、嘗ての騎士団長オルディオールと同じく現在未婚で、対ガーランド戦を止めるため黄色の花で染めた長い旗を持ち、戦場を駆け抜ける事になった。
(ありがとう、英雄オルディオール殿。あなたと五十年前の者達の犠牲、それにより今は在り、私は今回、大掃上を阻止する事が出来た。だが私は、あなたと同じくグルディ・オーサで死して英雄となるつもりは無い)
オルディオールから受け継がれた大聖堂院への敵意、それにより第九師団は継続して暗躍し探らせていた特別部隊は密かに魔方陣を描こうと画策していた魔法士を、グルディ・オーサ領内で捕縛する事が出来た。
この功績は、死しても現れたオルディオールの思いを、後に続く騎士団長が第九師団として形に残し、現在まで引き継がなければ為し得なかったのだ。
五十年後、フロウはオルディオールの手にした同じ黄色の旗を持ち、グルディ・オーサ領の戦場を十人の部下と共に駈け抜けた。
******
『社長、あー、えー』、
「飯、行こうぜ」、
『じゃなかった』、
「娼館、おごるよ?」
再び聞こえた、聞き慣れない言葉に振り返ったアレウスは、自分の背後に歩いていた英霊憑き巫女を振り返る。すると少女はアレウスが初めて直に耳にした言葉遣いで話し始めた。
(シャチョ?、飯、は、おそらく庶民が口にする食事の事だ。他には、娼館とは確か、庶民が金銭と交換に性遊戯をする場所ではなかったのか?)
周囲の近衛騎士の息を飲む動揺は、アレウスにまで伝わっている。だが大聖堂院や大臣達は不審な少女を落人だと怖れるが、アレウスはそもそも魔物に遭遇したことは無いのだ。突然自分に走り寄った姿は何をされるかと一瞬の恐怖は感じたが、今は背後に付き従い最敬礼をする少女を怖いとは思わない。
そして先ほどの会議の場で、アレウスは気付いてしまったのだ。全ての差配はアレウスがして良いのだと。
(私に指図出来る者はいなかった。エミーでさえ、私が自ら考えた答えに意見しなかった。しないのではない。出来ないのだ)
もう頷くだけの会議の参加はあり得ない。アレウスは皇帝として意見を述べ、場合によっては師であるエールダー公爵を諫められるのだ。おかしな少女の登場により、和平交渉に向かうという大きな決断を自らしたアレウスは、その切っ掛けとなった、嘗ての騎士団長を名乗る少女をじっくりと観察する。
「・・・・」
『・・・・』
皇帝たる自分が見つめる間、頭も下げず見返してきた。議場では物怖じせず、老齢な周囲の大臣達を睥睨し、エミー・オーラが居る前で彼女を拒絶しろと意見までした。初めはエミーを悪戯に傷つける嫌なものだと思ったが、少女の言葉は常に真っ直ぐにアレウスだけに問い掛けていたのだ。
ーー「陛下、お考え下さい」
ーー「今まさに、天がそれを陛下へ問うているのです。ガーランドの使者は、この地へ話し合いという平和的解決の道を用意しています」
(貴族院議長のエールダー公爵でもなく、大聖導士のエミー・オーラでもなく、天に選ばれた皇帝に問い掛け、答えを求めに現れた英霊付の巫女)
会議の結果にとても満足していたアレウスは、和平交渉を促した少女の観察を続けている。振り返ったアレウスを見上げたまま微動だにしない黒髪の少女は、何を考えているのかアレウスから目を逸らさない。
(面白い顔立ちをしている。子供のようだな。落人語なのか天上人語なのかは分からないが、先ほどの自信に溢れた話し方はどうしたのだ?)
青ざめた黒髪の少女は、明らかに周囲の兵士を横目で気にしている。その行動に企みがあるのかと怪しめば、顔を赤く汗をかき始めた。
「どうした?しゃちょ、ぼんぼんとは、何だ?」
「『ボンボン』、『社長』、良い人ですね・・・、」
(ボンボン、シャチョ、落人語で良い人という意味か?)
『社長、イケてますね』、
「あなたは良い人ですね」、
『ジュクジョ?ショウカイスル?』、
「とても、良い人ですね」
「じゅくじょ?」
『・・・・ぷるりん、ちょっとぷるりん、』
(人格が変わったようにおどおどと狼狽えているが、これが落人本来の姿なのか?噂で聞く凶暴な要素はまるでないな。・・・そうだ、この少女はエミーが譲れと願うほど貴重な落人。巫女だともいうし、良い落人なのだな。きっと、英霊オルディオールに憑かれていない状態がこれなのだ)
落人と天上人の分析に答を出したアレウスは、皇帝である自分の頭の回転の速さに流石だと頷く。嫌われ者の大聖堂院に手を差し伸べ、人々から誤解を受ける落人を理解する事が出来るアレウスは、実際の性格は冷たいエールダー公爵とは違い、真のファルド帝国の良心なのだ。それを見抜いた巫女は何度も良い人だと肯定し、アレウスの真の答えを導き出す。頷き続ける黒髪の少女に満足すると、和平交渉の為に続く回廊を、清々しい気持ちで突き進み始めた。
**
開かれる扉、落人の少女に導かれ、ファルド帝国とガーランド竜王国の、歴史上初めての和平の道へ進む場に踏み込んだ。既に待ち人は広間の中央に佇んでいる。厳かな空気の中、黒髪の落人の巫女を導くために手を差し伸べたアレウスは、すぐに皇帝の手を取らない背後の少女を振り返った。
(?、・・・居ないぞ、)
扉から数歩進んで振り返ったアレウスの後ろには、先ほどから振り返る度に、拙い言葉で「良い人」だと皇帝を鼓舞する少女の姿が無い。だが直ぐに、過ぎたばかりで開かれたままの扉の影、何かを衛兵に話し掛けている少女の姿を発見した。
「・・・・、」
手を差し出したまま硬直している青年皇帝を見て、焦る大臣の鋭い声が飛び交う。それに応じて衛兵は急ぎ少女をアレウスの元へ移動させようとするが、少女は明らかに厠と偽りこの場を逃げようと異国語で主張をしはじめた。だがそれを黙殺し両脇を抱えて進み出ると、少女はよほど悔しいのか哀しみで顔を歪ませ涙を流し俯いた。これには優秀な近衛隊も躊躇したが、それでも拘束を放すことはしない。
(なんだ、これは、?)
アレウスが待ち人を見定め進み出た数歩の間に、一体何が起これば号泣出来るのか。驚き不審に見下ろしていると、広間の中央に待機していた一人が、滔々と涙を流す落人の少女に気が付いた。
「メイか?」
少女は我に返った様に掛けられた声の主を見る。そして涙に濡れる頬はそのままに片方の眉毛を上げて、傷だらけの待ち人達を見回した。
「お前ら、よく生きてたな」
子供とはいえ、女性に差し出した手を無視された事など無い。しかし未だ宙を浮いたアレウスの手をすり抜けて、少女は足早に集められた不法侵入者達の元へ走り寄る。
「お前こそ、なんで泣いてんだ?」
衛兵に連行され、頬を赤らめ顔を歪めて嗚咽していた少女は、今はキョトンと傷だらけのアラフィアを見上げると、その後ろで不安げに少女を見下ろすエルヴィーとトラー、喉を唸らすヴェクトを交互に見る。そして濡れた頬に違和感を感じて手をやると、自分がぼんやりしていたことに気が付いた。
立ち去った甥である、グライムオール・ランダ・エールダーに背負わせてしまった幕引き。更に既に始まってしまった国境線の戦い、そして不穏に微笑んでいたエミー・オーラ。
今後の情勢を思案している最中、メイが漏れ出し発言し始めて、アレウスの背中を見上げながら歩いていた事は記憶には在る。そして異国語で厠の不満を喚いていた様な気もする。だが、尿意は我慢出来ないほどではない。なのに厠に行けなくて流れ出た少女の涙は、オルディオールに理解出来るはずも無かった。
「なんだろうな?、まあ、どうせ大した事じゃないのは間違いない。それよりも、」
振り返った先には、憮然とこちらを見下ろす皇帝アレウスが居る。
(・・・?、なんだ?さっきまで、機嫌よくメイと何か話していたが、あ、まさかメイの奴、何か余計なことしやがったか?)
にこり、とりあえず笑う黒髪の少女に、アレウスは不審な目を眇めたまま、宙に浮いた片手を下ろす。不穏な空気が漂う中、ガーランド竜王国の使者との和平交渉は開始された。




