21 家族 21
掲げあげられたトライド王国の国旗には、深い緑色の布地に金色の穂が刺繍されている。たわわに実った大粒の穂が三本、重なるように交差され周囲を繊細な小さな葉が円を描く。
古びて手入れの行き届かない王城の門扉にひっそりと記されていた紋章は、今はトライド王国とファルド帝国の国境線の丘に反意を示す黒色の長い旗と共に高々と掲げられていた。
隊服など失われたトライド王国の集められた兵隊は、ただの破落戸の集団である。武器も磨き上げられた剣では無く、鎚でも鞭でも各々好きな物を所持している。そして自由気ままに居並ぶ馬犬は、軍用として整列できずに、だらしなく首を振ったり唸ったりを繰り返していた。
「頭!」
棚引く国旗を見上げていたアールワール・ノイスは、副官である腹心のイエルス・エルドーに呆れた顔で振り返った。
「頭、それを改めてくれないか?」
「はい、あ、そうですね、」
ファルド帝国からの独立の宣言と共に、伏していた貴族の立場を公にすることにした。だが、幼い頃から破落戸として生きてきた彼等には、突然の貴族の振る舞いを強いても無理がある。未だに破落戸の頭領として呼ばれる事に、シファルという別名を持つアールワールは苦笑していた。
「ゼ、団長、ガーランド国が、グルディ・オーサへ入りました」
それにアールワールは頷くと、整然とはしていないが居並ぶ逞しい男達を見渡す。破落戸では無く、これからは正規のトライド王国兵士となる彼等に、アールワールは団長として片手を挙げるとグルディ・オーサ領とファルド帝国を最短で繋ぐ、トライド王国の田畑を潰して造られた長い軍用道へ進軍を開始した。
*
不審な少女ミギノがトライド王国を訪れて、縁もゆかりも無いトライドの独立を手伝うと言いだしてから、年を越して数ヶ月の刻が経った。そしてお節介な不審な少女は、どういう魔法を使ったのか、ガーランド竜王国という強国の使者を連れて舞い戻る。
天上人の巫女、更には落人、そしてオルディオールを名乗る者、様々な肩書きを持つ小さなミギノ。オルディオールに取り憑かれているからとはいえ、トライド王国に関わる真意を探れないままに、彼女はファルド帝国へ大聖堂院に手を出すと出立して行った。
少女から促されたファルド帝国からの独立宣言、これを保留に濁していたが、決断を遅らせるアールワールの元に復活した白狐より緊急の報せが入る。
イエルスから渡された白狐からの手紙、お世辞にも上手いとは言えない部下の汚い文字を解読しながら読み始めたが、冒頭から少女ミギノがエールダー公家に連れ去られた焦りばかり綴られていた。
「・・・・」
「どうしましたか?」
眉間に皺を寄せたまま、顎に指を当てて考えているアールワールへイエルスが尋ねるが、難解な文字とエールダー公家の名前に更に皺が深くなる。
「大聖堂院に捕まる前に、最後の良心に捕らえられたようだ」
「最後の?エールダーの処刑人ですか?」
道徳的良心と国民に慕われているが、非道な犯罪者にとっては即死刑を宣告する双頭の片割れ。それに捕らえられたと聞いたイエルスは、絶望に顔を歪めて「なんで、こんなに早く」と、呟いた。入国早々に大貴族と関わり合える事の方が奇跡であるのに、何をすれば軍より先にエールダー家に捕まるのかが分からない。
「大方、オルディオールを名乗りでもして、目を付けられたのだろうな」
続く部下の手紙の内容は、大聖堂院が難攻不落だとの言い訳と、他の組織との話し合いの進捗についてだった。赤い馬犬、大蛇の巣、海渡る人形、獅子の会、ライド家、現在シオル商会と縄張りを争う組織、これは全て誇るべき祖国をファルド帝国に奪われた者達である。
生き残る選択肢は様々で、敗戦後にファルド帝国へ従属し爵位を維持した者達も大勢いるが、それに反した者達は裏街で落ちぶれ未だ祖国奪還に燻っている。親の代から破落戸として関わり続け、ファルド帝国への恨みに結束しようと各組織に接触を繰り返していたアールワールだが、手紙の内容には、訪れたガーランド竜王国の関与に、良い顔をしなかった連中の心変わりがあったと記入されていた。
「それに巷で噂の天上人の巫女、この不審者の情報が、錯綜しているな。彼らにとっても、ファルド帝国ヴァルヴォアールに目を付けられている巫女が、ガーランド人を供に引き連れていることが気になるらしい」
「ミギノちゃん、ファルドの連中も掻き回してるんですか?、あの子、ガーランドの黒竜騎士のモノだって噂もありますしね。あとは天教院の信者共も、本院の王子様と何かを誓約してるって、物騒な噂になってます」
「ミギノちゃん、?、」
不審者へ馴れ馴れしい呼び方をした部下を横目に、アールワールはファルド帝国の別組織、破落戸達の心の揺らぎを考える。
(だが、どれだけ集まろうと、所詮は軍隊を持たないチンピラだ。結束を仄めかし続け反旗を意識させてはいたが、ファルド帝国騎士団の矛先をガーランドからこちらに本気で向けられれば、全ては無に帰す)
ファルド帝国の第二師団は国内の安定を目的に王都に配備されているが、現状は近衛騎士団として第一師団と実働精鋭の第九師団が直ぐにでも飛び出して来るだろう。結末の想定できる無謀な反旗、決断出来ないそれを歯がゆく溜め息を吐き出したが、二枚あった手紙から小さな別の紙がヒラリと絨毯の上に落ちた。拾い上げ、何気なく目を通したアールワールは動きを止める。
ーーあとこれは、大聖堂院を調べてた奴から聞いた内容で、潜入とは関係ないんですが、シファルの頭達、トライドの人なんで書いときます。昔、大聖堂院で働いてた奴が言ってたそうで、大聖堂院とオーラ公領の間の崖下に、昔のトライドの人達とガーランド兵を、大量に捨てたって言ってたって。もちろんその崖側から潜入は無理なんですが、なんていうか、関係ないんですが、俺のただの意見なんですが、天教院の婆さん言ってたんですが、死んだ奴って、埋めてやらないと天へ帰れないって言ってて。気になって、それだけですーー
「・・・・、」
「どうしましたか?頭、」
「・・・大黒蛇の犠牲者、運ばれた兵士達の墓は、トライドとファルドの国境線、あの丘陵に置かれた石碑が合同墓地だと言われてきた」
「はあ、?、そうですが、何か?」
トライド国王は、善意のファルド帝国の使者にそう告げられたと言っていた。それを信じてトライド王国の者達は、毎年その丘陵に行き失った家族を思い天での幸せを祈るのだ。
「我々の祖父達や叔父達は、オーラ公領と王城の間の崖の下に、放り投げ捨てられたらしい、」
怒りに語尾が震えたアールワールの声に、その内容を聞いたイエルスは呆然と立ち竦む。塵のように扱われた犠牲者と、それを偽り空の墓を立ててトライド国民を踏みにじったファルド帝国へ、反旗は掲げられた。
******
「魔戦士だ、」
高い石の塀、大聖堂院の区画からあと少しで外に出られるはずが、入場で強引に押し通った事により、来た刻にはいなかった青年が立っていた。
「魔戦士だと?、あれが!?」
見た目に美しいただの貴族の青年が、門前に一人立っている。それに立ち止まり物影に隠れたエスクは、周囲を確認して振り返った。
「まずいことになった。あれは俺では対処出来ない」
同じ様にエスクの後ろ、積まれた箱の影に隠れたがエスフォロスは首を傾げて門を覗き見ている。それに続いたスアハも、同じ様に首を傾げてからアピーの首へ目を移した。
〈血が出てる〉
スアハの目線にエスフォロスも続いて見ると、流れ出ている赤い血に目を見開く。
〈あいつら、・・・〉
〈舐めれば治るよ。舐める?〉
怒りに呟いた竜騎士を横目に素気なく言ったスアハだが、青ざめた顔で震えるアピーは首を振って断った。
「・・・・」
エスクは再び辺りを見回して、抱きかかえていたアピーを見下ろすと素早く隊服の内側から薄布を取り出す。それをアピーの首に巻きつけた。
「すまなかった」
「・・・・」
心が状況について行けてはいないが、エスクが助けてくれた事に安堵して少し離れた温もりに寂しさを思う。だがいつも以上に涼しげな自分の頬に、無残に切り刻まれた髪を思い出して、それを確かめる為に頭に触れてしまった。
(ぼさぼさ、・・・、)
エスクの傍に行きたくて、大人に近づきたくて伸ばした髪は、憧れの人を目の前に長さもバラバラと幼い少年よりも短い。助けられた事は本当に嬉しかったが、アピーは恥ずかしくて悲しくて俯いてしまった。
「・・・・」
悲しみに俯いた少女の頭を、エスクは初めて会った刻と変わらずにぽんぽんと撫でてくれる。それをスアハの碧い瞳は感情なく見つめていたが、魔戦士と呼ばれた青年を注視していたエスフォロスが不意に首を傾げたまま聞いた。
「見た目は弱そうに見えるけどな。本当に、あれが魔戦士なのか?」
「ここはまだ、大聖堂院の内部では無い。こんな入り口の敷地で奴らを見かける事は無いはずだ。おそらく、俺たち以外に問題が発生したんだろう。・・・運が悪いな」
再び入り口を確認すると、先ほどと同じ場所に全く動かない青年が人形の様に立っている。
「他の出口は無いのか?」
エスクは首を横に振ったが、ふとスアハに目を留めてアピーを見下ろした。
「・・・そうか、こいつらなら、あそこから簡単に出れるかもしれない」
***
ーーーファルド帝国、天空議場。
天上天下、唯我独尊ーーー。
天を指さしたぷるりん、いや、私を客観的に想像してみた。異世界においては子供認識を常にされている私だが、ひらんひらんの巫女服をコスチュームに、生意気に不敵に笑い空を指す。
かの有名な、真に天上人の言葉を彷彿とさせるこのポージング。
(しかし、その有名な宗教はこの異世界には存在しない。私は風が吹けば落下しそうな場所に立ち笑う、ただの危険な子供の代表である。注意喚起として、けして真似してはいけませんと、首から自作看板をぶら下げたいのである)
高層ビルの縁っぺりを思い起こさせるこの端っこに、柵はない。もちろん命綱だってついてはいないのだ。白線は無いが、早くその線の内側におさがり下さいと、ただそれだけを祈り続けている。
(私が親ならば、虐待と罵られようが、この危険な遊びをする子供の手を引っ張って、安全を確保した後に、げんこつしてしまうかもしれない)
だが子供の頭は柔らかそうなので、やはりげんこつは躊躇ってしまいそうだ。更に暴力では纏まる話もまとまらない。子供を叱る時には、なぜ怒られたかを説明しなければ分かってはくれないそうだ。それを話すタイミングも絶妙とならなければいけない、高度なテクニックを要する。
猫パンチ、又は鳥のクチバシアタックである。
やりすぎたよね?今のダメ!わかった?ね?
一瞬でダメの判断を見極め、奥義を炸裂して相手に伝える神業。
(野生の判断力には敵わない。子供を適切に叱る判断力、出来そうで簡単では無い。そこに叱るではなく、怒りが伴えば虐待へ傾くギリギリの匙加減。親のスキルは習得が難しい)
小さくても人間、根気強く要説明。無力な子供は常に周囲の顔色を窺って成長している。子供の行動は全て周囲の鏡の反射のようだと、とある人は語っていた。それは私の母親である。
(などなど、仏様から子供についてを妄想したが、危険な子供のぷるりんを、周囲の大人は諭してくれないのである)
しっかりして!
チャラソウッ!
この場で唯一頼れるのは、講師であるあなただけ!
大人として、講師として、鑑になって!
だがしかし、頼みの綱のチャラソウは、誰より先にこの現場から、生徒を置き去りに、走り去ってしまった。
(あいつ、・・・生徒を見捨てた・・・)
***
ーーーファルド帝国、大聖堂院処理区画。
研究所内へ戻ったエスクの後に続く三人は、同じ様な白い壁だけの特徴の無い施設内を走り抜ける。
不気味に人気の全くない施設内、震えていたアピーも今はエスクの白い隊服の背だけを見ながら走り続けていた。
「本当に、上の階に行って大丈夫なのか?」
階段を五階駆け上がった。それを不審にエスフォロスは問うが、エスクは立ち止まらずに前だけを見ている。
「この建物の右側は切り立った崖になっている。落ちれば奈落だ、人の通る場所じゃない。東の屋上から外壁に渡り、崖側に伝えばこの敷地を出られるだろう。普通の子供ならついて来られないが、こいつらなら身が軽い」
「崖側か、」
王城敷地内の奥地、広大な大聖堂院の区画の東側はオーラ公領との間が底の見えない崖になっている。飛竜と共に行動すれば攻略場所として真っ先に選んだが、そうではないので除外していた。
「魔戦士が出てるのがまずい。あれが出された緊急事態が何なのか分からないが、この子達を獣人室から逃がした事で、奴らと話し合いになんかならない。俺たちは逃げるしかない」
表情は見えないが、エスクが相当焦っている事は伝わってくる。魔戦士の甚大な被害は基地で目にしたが、本体と遭遇したことの無いエスフォロスには未だ先ほど見た線の細い貴族の青年と、噂の凶悪な魔戦士が結びつかない。
(倒せそうに、見えたけどな)
アピーを救いに走ったエスクへの疑いは今は無いが、腑に落ちないまま走り続ける途中、大きな硝子窓の廊下に出たので階下に目を落とした。
「あれ?、おい、あいつ、入り口に居た奴じゃないか?」
一階の少し離れた場所に、青年が立っていてこちらを見上げている。走る自分達を視線が捉えている様に見えた。
「!?」
エスフォロスの言葉に初めて立ち止まり振り向いたエスクは、見下ろす窓の下に魔戦士を見た。
「捕捉された、全力で走れ!」
エスクは低い声と共に猛然と走り出す。直ぐに窓の下を振り返ったエスフォロスは、もうそこには居ない貴族風の青年の立っていた場所だけを見た。
「アピーかスアハ、奴の臭いとか、分かんないのか?」
必死に駆ける中、それに遅れず常にエスフォロスの前を走る二人に問いかけると、薬臭くて鼻が効かないと首を横に振る。遠目にしか見ていなかった青年がこちらを見上げていた不気味な姿に背筋が寒くなり、エスフォロスは駆け抜けた廊下の背後を曲がり際に振り向いた。
〈ーー!?、居るぞ!〉
廊下の奥、既に現れこちらへ駆ける人影から、猛然と走り逃げる。屋上まで駆け上がり分厚い木戸を閉めてから、横に積まれた大きな木箱で戸口を更に塞ぎ終わると直ぐに、ドンッ、と内側からぶつかる鈍い音がした。
〈えぇ!?、なんだ!?、早すぎねえ?、〉
飛び下がるエスフォロスを横目に、アピーとスアハを見下ろしたエスクは外壁を指さしてその奥の崖を進めと説明する。
「殆ど道は無い。落下すれば、獣人といえども助からないかもしれない。だが、抜ければ王城敷地内からも出られる。走れ!」
ドンッドンッと戸口から音が響く中、エスクの指は塀を示すがそれをアピーは不安げに見返した。
「アピー達、先に行くの?エスクさん、後から来るの?」
縋り付く大きな緑の瞳に頷き、手触りの良い三角の耳と共に頭を撫でるとエスクは笑って嘘をついた。
「少し後から必ず行く。振り返らずに、下を見ずに、崖を渡ることに集中しろ。急げ!」
言葉を信じた少女は強く頷きスアハと共に走り出す。衝撃で木っ端が舞い散り木戸がどんどん壊される中、素直に走り去った子供たちの背を見たエスクは、木箱を押さえたエスフォロスを振り返った。
〈刻を稼ぐ。あんたも行ってくれ〉
聞き慣れた言葉に、得体の知れない恐怖を追っ手に感じていたエスフォロスはエスクを見た。
〈手に負えないって、あんたこそ、言ってたよな〉
〈なんとかする。行け〉
褐色の肌、揺るぎない黒の瞳はエスフォロスへ顎を上げると、走り去るアピー達へ促す。その姿に精霊オルディオールを怪しみ、皇子見送りに集ったエスクランザ兵と特別編制された飛竜隊の全てを敵に回しても、毅然と対峙したファルド騎士を思い出した。
〈俺、魔戦士とやり合った事、無いんだよ〉
窮地に呑気に笑うガーランド竜騎士に苛立ち、だからなんだと怒りを吐き捨てたエスクへ更にエスフォロスは不敵に笑う。
〈遭遇しました、怖くて逃げました、って、俺の国では通用しないんだよ〉
〈・・・!!〉
苛立ちを通り越えてエスクが呆れた刻、壊れた隙間から追っ手は這い出てきた。
〈魔戦士の止め方は、両手両足を切り落とし、可能であるなら焼却する。初めに、足を切り落とせ〉
〈なんか、面倒そうな仕組みだな〉
衣服が裂ける事も構わずに器用に穴から這い出た青年は、戸口を塞いでいた木箱を乗り越え着地する。そして間を置かず、立ちはだかる不審者へ向かって走りだした。
**
無人よりも、遙かに高い跳躍力を持つ大犬のアピー、そして強靱な指と爪で垂直な壁を登れる蛇魚のスアハ。辿り着いた外壁を難なく越えて崖の岩場に手を掛けた刻、アピーの大きな耳は思い人の呻き声を捉えた。
〈ちょっと、止まらないでよ〉
後ろから続く不満な顔の少年の声を無視して、アピーは耳を後方へそばだてる。
〈早く行ってよ!メイが待ってる!〉
「ちょっと!うるさいでしょう!」
〈!?〉
スアハに歯向かい声を張り上げた弱い少女に驚き、碧い瞳はきょとんとそれを見つめた。そして「戻らなきゃ、死んじゃう」と、蒼白に呟いたアピーにスアハは笑い出した。
〈戻るって言ったの?あんた、すごく弱いよね。今聞こえてる声?まさかお兄さん達の場所に戻るの?〉
きゃきゃきゃきゃきゃ、と甲高い声で笑い出した少年に苛ついて、アピーは彼の位置と交代するために掴めそうな岩の突起を探す。それを見たスアハは〈馬鹿じゃ無いの?〉と、更に笑った。
〈あんたが戻っても、無駄にお肉が増えるだけでしょう?あんた、あのお兄さん達より、確実に弱いよね。スアハ達を追いかけてきたあの薬臭い奴、魂がぶれてたから、数字のお兄さんと同じなの、見たら分かるよね?〉
「どいてどいて、アピーはあんまり、ガーランド語ははっきりと分からないの!」
〈やっぱり馬鹿なんだね〉
碧い瞳を嘲りに眇めたスアハは、どうぞと壁際に張り付きアピーへ場所を譲る。少し動けば小石がカラカラと底の見えない奈落へ落ちていく。アピーはそれに構わずスアハの背中にしがみつく形で後方へ移った。
〈数字のお兄さんとメイは精霊と仲良しだから大丈夫だけど、あの薬臭い人は危ないの、分からないの?精霊がぶつかり合ってケンカしてると話しかけちゃ駄目だよって、父さま母さまは何度もスアハに教えてくれたよ〉
「今、お父さんとお母さんの事、言ったの?」
気になる言葉に振り向いたアピーに、変わらず少年は馬鹿にした様に笑っている。
〈あ、メイはオルディオールだから、精霊じゃないのかな?、いや、でもオルディオールからは水の精霊を感じるし、いいのかな?〉
噛み合わない二人の会話。アピーが知らなかった大切な〔家族〕は、黒髪の少女が教えてくれた。
(お父さんは家族をぼんやり守り、お母さんは子供たちをがっしり守る。年下の子はミギノよりしっかりしている人達が〔家族〕)
それをとてもうれしそうに懐かしそうに話してくれて、少女は今の大切な家族の説明をし始めた。
ーー「アピーちゃんは、妹です」
「私たち、家族なの」
〈え?〉
「エスフォロスさんはミギノの弟なの!居なくなったら、ミギノ、とっても悲しむんだから!」
後から加わった新参者のスアハに、アピーは自分の方が先輩で、黒髪の少女と仲良くなって先に家族になったと言ってやった。だが口を閉じて無言になったスアハが恐ろしくて、来た道を急いで引き返す。足場の脆い岩場、壁面にしがみつき必死に前だけを見てエスクとエスフォロスの呻き声に耳を傾け集中した。
(助けに行かなくちゃ、何も出来なくても、行かなくちゃ、)
ようやく外壁に辿り着き、走り逃げてきた怖い施設の屋上を見てアピーは軽く悲鳴を上げた。
むせ返る血の臭いの中に、嫌な薬の臭いと混ざるものは大好きなエスクの香り、それと家族である大切なアピーのお兄さんの香り。尾から耳まで総毛立ったアピーは、血をまき散らし戦う三人を見た。
アピー達を追い掛けてきた恐怖の存在は、片方の腕がぶらりと下がっているがそれを構うことなく平然と剣を掲げ、エスフォロスに振り下ろされた剣を易々と受け止める。その合間に斬り込んだエスクは相手の腿を狙ったが、断ち切れず逆に蹴り上げられて床に叩きつけられた。
「!!!」
倒れ込み蹲ったエスクにアピーは我を忘れて、垂直の壁の僅かな窪みを足場に飛び降りた。
**
〈切れない、〉
腕や足を集中的に何度となく斬撃を繰り返しているが、太い骨を一気に両断することが難しい。静止している物では無く動き回る敵は、両断どころか一撃打ち込めば逆に斬り返されるのだ。蹴り上げられて飛ばされたエスクを横目に飛び下がったエスフォロスは、傷口から大量の血を流しても平然としている不気味な青年を見据え、再び長剣を構え直した。
(大したことはない、こいつの攻撃は、別に特別に強くない)
だが何処の急所へ打撃や斬撃を与えても、無反応に平然と同じ動きをする。無表情のエルヴィーとは違い、完全に無反応。決まったと思った一手に、手応え無く人形の様に立ち上がり、何事も無かった様に斬り返してくる。それを繰り返し疲弊して、こちらの攻撃は精彩を欠くが敵は初めと同じ力と正確さで返してきた。話で聞くのと実際に戦うのとでは大きく差がある。
「ぐあぁああっ!!」
倒れたエスクへ走り寄り、腿を貫通するほど突き刺した魔戦士へ、エスクが反撃に剣を腹に突き刺した。しかしそれを抜くことが出来ずに唯一の武器を奪われる。再び未だ片膝をつき起き上がれないエスクへ、魔戦士は無表情に止めの剣を振り上げた。
目を見開き、頭部への容赦ない斬撃を想像して死を覚悟したエスクだが、横合いから飛び出た何かが振りかぶる魔戦士の頭部に体当たりをして軌道が逸れた。打ち下ろされた剣はエスクの肩口をかすり、石畳を強打する。
「ううううっ!」
頭にしがみついた何かを掴み振り落とす。遠くに放り投げられた者は甲高い悲鳴と共に、床に叩き付けられ転がった。
〈アピー!?〉
怒りを含んだ驚きに、大きな耳はピクリと動き身を素早く起こす。擦り傷だらけのアピーは、今なお窮地のままのエスクを助けようと立ち上がるが、後ろから強い力に引かれて尻餅をついた。
〈来るなガキ!!〉
いつも優しいエスフォロスの強烈な怒りに身を竦ませたが、自分の代わりにエスクの前に飛び出した背中に翠の目を見開く。未だ立ち上がれないエスクに振り下ろされた長剣は、エスフォロスに横合いから弾かれ脇腹を蹴られると、魔戦士は蹌踉めき数歩だけ後ろに下がった。
〈おい、さっさと仕留めるぞ〉
腕を力強く引かれて立ち上がるエスクは、自分の剣が未だ敵の腹に刺さったままの状態に軽く息を吐き出したが、戻ってしまったアピーを後ろに了承を強く頷く。
立ち上がったエスクに向かい、蹌踉めきながらも近寄り走り出した魔戦士を正面から見据えると、間合いに入りエスフォロスは下から剣を切り上げた。魔戦士は弾かれる剣をくるりと返し、刃を強く握る。そして短く掴んだ剣を至近距離にあるエスフォロスの首筋に、力強く突き刺したかに見えた。
〈!?〉
衝撃に息を詰めたエスフォロスだが、何故か痛みは訪れず、不自然に動きを止めた魔戦士に、エスクは体当たりして腹に収まっていた己の剣を取り戻した。そして倒れた魔戦士の首に向かって渾身の一撃に、それを両断した。
〈続けろ!〉
急所の完璧な断絶に気を抜いたエスフォロスを強く促して、エスクは更に両手両足を切断していく。直ぐに動き出した首の無い身体に驚愕したエスフォロスだが、砦での惨劇を思い出し、エスクに続いて油断を捨てた。
全てが終わり荒い息を吐く二人、一部始終を見ていたが、アピーは動く事が出来ずに腰を浮かせたままだった。酷く残酷な行為は同じだが、何故か檻の中から見ていた惨劇の様な恐怖は感じない。そしてエスクが生きて立ち上がった事に、心から安堵し肩を落とした。
〈お、終わったよな、〉
〈いや、本来ならば、肢体を燃やさなければ完全ではない。まあ、だが、ここまでやれば、な、〉
未だ胴だけ微かに動いているが、何も出来はしない。それを見下ろしたエスフォロスは、首を狙われたが助けられた事に礼を言った。
〈お互い様だ。だが、あの刻おかしな事があった。魔戦士の動きが、一瞬止まった様に見えたんだが〉
それに訝しみ周囲を見回したエスクは、きょとんとこちらの盗み聞きをしている、少し離れた場所に座り込む少女を振り返る。悪びれも無く聞いていた会話に首を否定に振った少女は、離れた外壁からこちらを睨んでいるスアハと目が合った。
〈そうだ、アピー!、お前なあ!、〉
危険なこの場に戻ってきた事を叱るべく、エスフォロスは怒りに振り向いたが、慌てた少女が指さす先にスアハを見つけて盛大な溜め息を吐く。
〈いや、彼女には助けられた。ありがとう、アピー〉
引きずる足で少女に近寄り手を差し出したエスクに、アピーは慌てて立ち上がると自分へ伸ばされた手、その指先を握りしめる。真白い隊服は切り裂かれ血塗れで、破れた場所から見える傷痕が痛々しい。しかし生きていて良かったと、アピーは温かい指先を握りしめたまま涙ぐんだ。
ーーーギギィ、ガタン。
屋上の入り口は、今は砕けた木箱と魔戦士の扉の破壊により蝶番が軋んでいる。戸板の倒れる音に振り返ったエスクは、そこに佇む人影を呆然と見つめた。
〈嘘だろ、またかよ、〉
愕然と呟いたエスフォロスと共に、アピーとスアハも現れた人影に目を向ける。一人の魔戦士、更に後ろにもう一人、再び現れた二人の敵に、満身創痍の男達は絶望と共にそれを見つめた。
〈アピー、今度こそ、振り返らずにスアハと走れ〉
今度は否定の首を振るが、言ったエスフォロスも増えた魔戦士と傷付き疲労した自分とエスクを見比べて、この場をどれほど維持できるか分からなかった。
すたすたと声かけも無く近寄って来る二人の魔戦士から、じりじりと後退に遠離り端へ追いやられていく。背後には垂直の壁、そして前方からは二人の魔戦士。戦況に死を覚悟したエスフォロスは、ここが空では無いことを悲しみ上空を仰ぎ見た。
〈・・・、?〉
その空に、ここには在るはずの無い姿を見る。青空に広がる大きな翼は陽を背に受け黒い影となり、くるりと旋回すると地上へ向けて、エスフォロスの元へ滑空した。
〈フエル!!!〉
現れた希望に相棒の名を強く叫んだが、大きな羽撃く音と共に、二人の魔戦士へ突撃して蹴り飛ばした男は、くるりと振り向き嫌みに笑った。
〈惜しい!俺の名前は、フェオだって。いい加減、覚えてよ〉




