19 覚悟 19
王城へ運ばれる食料品、山となった荷車が列を成し城門裏を通過する。その車の一つに紛れ込んだエスフォロス達は、城内に入り込むと衛兵の一人を襲い衣服を剥いだ。
(さて、ここまでは楽だと言っていた通りだったが、問題は、どうやって大聖堂院の区画に潜入するかだ)
隊長の拘束、それにより全権を任されたエスフォロスは、潜入不可能とされる難所、大聖堂院へ残る数名で乗り込む事を実行した。
開戦の日に集う将校達は、今日の夜はのんびり祝賀会に興じるらしい。グルディ・オーサ基地、西方最前線の布陣は完璧だと豪語するファルド国の兵士達を横目に、エスフォロスは大聖堂院が隠される城の奥地へ近づいた。
外を見回る兵士達との遭遇を避け、躱しながら進むことで刻を要する。それぞれの通路で大聖堂院へ向かう特殊部隊の隊員は、城の職員に混ざり込んでいる。エスフォロスは衛兵に扮装したまま城外に出ると、目の前に高い塔がそびえ立っていた。
(これが、裁きの塔)
ここでアラフィアは処刑されるだろうと、隊士の一人が予測を立てていた。
〈・・・・〉
その塔には入らずに奥地へ向かう。裁きの塔より更に奥、幾つかの施設を越えて大聖堂院はあるという。城内の奥地は広大な実験施設が数多くあり、本院である大聖堂院の敷地までは、比較的潜入がしやすいとのことだった。
ただ、以前に大聖堂院の手前まで入った事のある隊士は、人と認知されない獣人の者達の被害が酷いと声を落としていた。
「あの、これを落としましたよ」
振り返ると年寄りの調理人が立っている。皺だらけの彼の手には、身に覚えの無い階級章が握られていた。
「すまない」
近寄ると笑う調理人は、そこに食材の塵捨て場があってと指をさすが、会話の内容は別のものだった。
〈アラフィア隊が連れていた子供が二人、そこの施設の一つに、昨日入れられました〉
〈二人?〉
〈目撃では、ユベルヴァールと共に居た大犬。アラフィア隊長と連行された蛇魚。そこから先は、その階級章でも入れません〉
「・・・わかった。ご苦労」
笑顔で会釈した老人は城の裏口へ消えていく。振り返ったエスフォロスは、手にした階級章を襟に付けると施設の外周を回り、高い石壁を見上げた。それをどうするか思案して、辺りを再度見回すと、そこにある人物を発見する。
〈・・・あれ、〉
大聖堂院外壁の反対側、城内の渡り廊下に見覚えのある男が居た。真白い隊服に身を包んでいるが、黒髪に褐色の肌の男は間違いなく北方で見た顔。
(あいつだ、)
アピーの諦められない恋心は、旅の仲間であったエスフォロスは知っている。だが命に関わる立場の違いに、少女の恋は憧れで終わるものだと思い込んでいた。鳥の報せの中に、ファルド兵ユベルヴァールと内通したと、アピーの姿が記されていたのを見るまでは。
人気のない回廊、早足で目的の男に近寄り先回りをする。正面から二人の騎士がやって来るのを一兵士として上官に敬礼すると、エスフォロスはすれ違いざまに一人の襟元を掴み上げた。
「なんだ、貴様!」
突然の兵士の暴行に、壁に押し上げられたエスクは驚愕と怒りに目を見開く。
「離せ!!」
背後から連れの男が抜刀して斬りつけるが、それを回し蹴りで難なく弾き飛ばした。
「竜、騎士、?」
驚愕に漏れ出たエスクの言葉に、それを射抜く金の鋭い瞳は、ねじり上げた手に力を込める。
「文化の違いとは、割り切れないなあ。ファルドは騎士道というより、人の道から学び直した方がいい」
「ぐっ、」
身を捩り膝を振り上げたエスクを躱し、エスフォロスは回廊の端へ飛び下がった。
「中尉!」
立ち上がる若い騎士が体勢を立て直すと、背の高い下級兵士の衛兵はそれを見下ろし鼻で笑った。
「エスク・ユベルヴァール、貴様には、大して思うところはなかったが、自分を慕う子供の皮を剥ぐとは、人ではないな」
締め上げられ、喉を潰されそうになったエスクは肩で息をするが、向き合う敵に身に覚えの無い言いがかりをつけられて怒りに眉をひそめた。
「何の事だ、」
自分を慕う子供、それに身に覚えが合ったエスクは少女を託した後輩へ目線を向ける。
「おい、お前に預けた協力者の子供、あの子は、」
エスクを慕う獣人の少女、彼女を利用し怪しむべき天上の巫女一行を捕らえる事に成功した。その協力者の少女のことは、状況が落ち着けば自分が尋問するからと、後輩騎士に身柄を預けたのだ。
上官から向けられた問いに、若い将校は敵を気にしながらも、身を正してそれに答える。
「はい!あの獣人は、規定通りに、大聖堂院の施設へ送りました!」
「・・・・、」
大聖堂院処理区画、獣人室。
ーー皮を剥ぐ。
歯を食いしばったエスクは、自分を襲った敵に背を向け走り出す。戸惑う青年将校にかける言葉も無く走り去ったエスクの後を追ったのは、敵であるガーランド竜騎士だった。
***
ーーーファルド帝国、裁きの塔、最上階。
「空に待機させた飛竜。それを今すぐこの塔の下へ呼びなさい」
〈・・・・〉
円状の石畳、中央が少し高くなり傾斜になっている。罪人を取り囲む処刑隊が手に持つ長槍を突き刺せば身体が倒れ、血溜まりを刑台の外周溝に流すためだ。
大審判の指示に従わない敵兵に苛立ち、二人の審判補佐官は、先に玉狩りを処理して見せつけるのはどうかと意見を出した。上階から見下ろす見物の貴族達も、動きのない見世物に飽きてきたのか、ざわざわと不満の声が大きくなる。
「天教院北方の神官騎士よ、貴殿は我が国の最高指揮官、ヴァルヴォアールの預かりとなる。その場から退場せよ」
言われたトラーは審判を見上げるが感謝に動く気配がない。
「その場を出ねば、罪人と共に死罪となるのだぞ!」
肉付きの良い中年の大審判は、ファルド帝国に於いて裁きの塔で絶大な権力を持つ自分に逆らう者達に憤った。
「ガーランドの騎士!早く飛竜を呼ばないか!」
「呼ばねばこの塔の最上階に、貴様の死体を曝して呼ぶことになるぞ!」
〈・・・・〉
審判達の恫喝、見物人達の呆れた声が降り注いでも、刑場の三人は身動きしない。それに焦れた大審判は、これ以上は無駄な刻となると結論付けた。
「ならば、天教院の神樹の慈悲の下、最後の言葉を天へ祈りなさい」
名前も知らぬ犯罪者達。だが、死者の魂を天へ帰す天教院の慣例ごとだと、大審判は規則に従い経典を読み上げた。
その言葉に上階を見上げた女騎士は、腕を組んで肩幅に足を広げて石畳を踏む。だだ見上げられただけなのだが、金の瞳に射抜かれた大審判は、自分に届くはずのない階下の罪人の鋭い視線にたじろいだ。
「見えない飛竜の影に怯えたか?愚かなる、ファルド国民よ」
鼻で笑い吐き捨てた。腕を組んだ女騎士の言葉に、不様に命乞いをするはずの哀れな罪人の裁かれる姿を見に来た者達は耳を疑った。
「また、卑怯にも、魔戦士を潜ませて、国境線を越えるがよい。愚かなる、者達よ」
女性としては低い声、地を這う声は天井の硝子まで響き通る。
「その刻は、我が国の、黒竜騎士を先頭に、このファルド国には、血の雨が降ると心得よ!」
睨み上げられ身体に響き渡った女騎士の恫喝に、我に返った大審判は、弛んだ身体を揺らして声を張り上げた。
「け、刑を、執行せよ!!」
振り下ろされた審判の太い腕、それを合図に周囲の長槍が刑台の罪人を突き刺すが、躱され枷を嵌められた罪人に槍を奪われる。次々に槍は繰り出されるが、三人は躱して奪い取った槍を振り回し始めた。
死刑囚の反乱、死刑執行部隊との乱闘に沸き立つ貴族達。だがやはり、多勢に無勢で取り囲む兵士達に徐々に囚人達は圧されていく。そして遂に元の刑場台の上へと追いやられた。
〈クソ、この枷が邪魔だな!〉
「見て、やばいかも、」
〈アラフィア殿、増援です、〉
エルヴィーとトラーの緊迫した言葉に一つしか無い入り口を振り返ると、そこに新たな部隊が到着して列を成す。地鳴りのように響いた軍靴の侵入音に、アラフィアは肩でする渇いた呼吸に唾を無理やり飲み込んだ。
〈・・・、〉
そして屈伏を言葉には出さなかったが、周囲から突き付けられる槍を絶望と共にぐるりと見回した。
(ここまでか、)
ッガシャアアァァアン!!!!
ーーーーッ、ダアンッ!!!!
〈ッ!〉
降り注ぐ砕けた硝子と共に、何かが上空から叩き付けられて、散々に血を吸った足下の石畳へ落下した。誰しもが息を飲むことも忘れ、刑場台の上、囚人達の足下に転がった物を見る。
「ッウッ!!」
それに一番近い場所に居た、一人の兵士は確認した物体を理解して恐怖に後退った。続いて次々に槍持つ兵士は後退し始める。
〈・・・これは、まさか〉
一度戦い、見たことのある隊服は、誂えの良い貴族の礼服によく似ている。
〈魔戦士、〉
アラフィアの呟きに、落下物が血塗られた胴体だと気付いた者達から、驚愕と恐怖の悲鳴が零れ出た。
「な、なんだ、なんだ、あれは!、ヒッ!」
驚き身体を揺さぶる大審判の横には、いつの間にか大きな男が立っている。自分と同じように階下を見下ろす大男は、首を傾げて大審判へ目を移した。
「・・・あ、あ、あ、」
三人の審判官は、身体を後ろへ倒すほど見上げる大男に後退り、入れ墨に縁取られた金の眼の中に、縦に切れた瞳孔を見た。
見たこともない、大きな獣人。首飾りの多い民族衣装を身に纏い、剥き出された二の腕は逞しく、大きな手には鋭い爪が見えている。言葉も出なく、少し後ろに下がっただけで動かなくなった審判達に、獣人は眼を眇めると興味を無くして階下を見下ろした。
〈・・・・〉
徐々に広がった輪の中、見知った顔を見つけると音も無くそこに飛び込んだ。
***
ーーーファルド帝国、天空議場。
皇帝アレウスに退席を命じられたが、席を立たずに周囲を見回した少女に周囲は困惑する。その刻、大きな風が議場に舞い込み、席に着いた者達の衣服を乱した。長衣を身に着ける大臣達の衣服は舞い上がり、エミーの美しい銀色の髪も乱れて舞う。それをぼんやり眺めたアレウスだが、聞いたことの無い言葉が耳に飛び込んできた。
『無、理』
訝しみそこを見ると、退席せずに座ったままの落人の少女を近衛騎士が拘束しようと、手を伸ばしたところだった。
プススッ!
『ブッ、プッ!グハッ!!』
「!?」
黒髪の少女は無礼にも、アレウスの目の前で肩を揺らして笑い始める。その笑い方は下々の笑い方で、腹を抑えて噴き出した。
『クックックックッ、ぶっ、あはははははっ!』
更には大口を開けて、涙目に卓を叩いて笑い出す。これに絶句した周囲だが、エミーだけは別の思いでそれを見ていた。
『うっ、くっ、あはははははっ!』
止まらない少女の笑い。これにフロウも困惑したが、背後から伝達が耳打ちと共に書状を差し出す。
「トライド王国、ソーラウド?」
笑い続ける少女を余所に、フロウは書状の中身を確認する。破落戸の頭領の名に訝しみ書面に目を落としたが、それにフロウは表情を引き締め、印を圧された名前を見つめた。
「・・・・アールワール・ノイス公」
「何がおかしい?」
強い皇帝の言葉に再び議場を振り返る。アレウスは怒りを顕わに少女を睨み、フロウは自分宛に届けられた緊急の書面に、不穏に笑い始めた少女を見下ろした。
未だ肩を揺らし笑う少女に戸惑い、フロウへ判断を求める近衛騎士達。
(この機会に、トライド王国が、何故)
訝しむフロウの横で、少女は退席に素直に立ち上がった。
「やはり、この進軍は否定される事になる」
素直に従ったはずの少女から、不敵な言葉が零れ出る。
「皇帝陛下、最後の良心としてお願い申し上げます。ガーランド竜王国との、和平交渉をお考え下さい」
祝うべき開戦の否定を再び口に出した少女に、最早フロウも庇うことなど出来ない。グライムオールでさえ、公の場で皇帝たるアレウスを、強く頭から否定したことなど無い。楽しい余興だと思っていた落人に侮られたと、アレウスは怒りで拳を握り締めた。その手を温かいエミーの手が包み込む。
「アレウス陛下、落人の言葉に耳を傾けてはなりません。あれは、私がきちんと管理致します」
「その手を取れば!」
「大聖堂院の手を取れば、未来永劫、ファルド帝国王族は、子々孫々、国民から怨嗟を受けることになりますが!」
強い口調で叱咤された。皇帝アレウスが、落人に。
「捕らえよ!!!」
怒りと共に立ち上がる。豪奢な指輪を幾つも嵌めた指を突き付けられた黒髪の少女は、後ろから素早く伸びた近衛騎士の手からすり抜けると、椅子を蹴って議場の大長卓へ飛び乗った。そして皇帝アレウスに向かい駆け走る。
「止まれ!!」
誰かが大声で叫んだが、長い婚礼衣装をたくし上げた少女は止まらず、予想外に自分へ突進してきた落人に、アレウスは恐怖に身を引き目を瞑った。
「きゃあっ!」
だが女の悲鳴に薄目を開けてそれを確かめると、ふわりと白い花がエミーの上空を飛び越える。大聖導士の椅子の背を足がかりに、後方に飛んだ黒髪の少女の重みで、椅子は大きく傾き倒れて激しい音を立てた。尻を強かに打ちつけ転がり倒れたエミーは、初めての屈辱に呆然と顔を上げる。
「な、何をしているかっ!」
激昂したアレウスに重なるようにフロウと近衛騎士は、小さな少女を追いかける。だが短い距離、直ぐに露台の端に追いやられて、行く先の無い少女はくるりと振り向いた。
「ミギノ、」
窓の無い露台、列柱に支えられるのは装飾の為の彫像。再び強い風が吹けば、端に立つ小さな身体は空に押し出されるだろう。だが、それを支えるために少女へ差し出されたフロウの手には目もくれず、後から悠然とやって来た怒れる青年皇帝を黒いつり目は見ていた。
「よくも、この私を侮辱したな」
未だ国勢を理解出来ずに座るだけの若き王。それを見つめてオルディオールは、王への忠言を繰り返す。
「目を覚まされよ。大聖堂院が、それを支持する貴族が今まで何をして、これから何をするかをご存知でしょうか?」
「まだ言うか、」
「命あるものを侮辱し、裕福なものにだけ実験結果の恩恵は行き渡る。五十年、未だ奴隷は解放されず、更には他国を蹂躙する。あなたは、何故、ファルド帝国が東大陸統一を目指しているのか、理解出来ていますか?」
これに悲鳴のように怒号を上げたのは、近衛騎士をかき分けて前に進み出た貴族議員の大臣達。崇高なる目的を侮辱したと、少女の死を唱える者まで現れる。それを背に受け胸を張る若き王は、哀れな小さな少女を見下ろした。そして未だ倒れたままのエミーに微笑み手を差し出して、括れた腰を抱き起こす。これ以上の言葉は無いと兵に目配せをすると、取り囲む騎士達は少女に進み出した。
「本当に、開戦の宣言をされますか?」
高く清んだ少女の声が、意外に大きく耳を打つ。それを不穏に見返すと、この場に味方は誰も居ない、小さな少女の片腕が天を指した。
何も出来ない無力な少女は、魔物の落人かもしれない。緊張に身を固くした近衛騎士の一人は、突然空に上げられた腕、天を指す指輪の嵌まる小さな指の先を仰ぎ見る。そしてそれは真上の空では無く、遠く地平線の奥へ向かっていることに気がついた。
「旗、?」
誰かの呟きに、目線は次々と指の先を追う。ファルド帝国王都より更に奥へ目を凝らすと、西側に黒と緑の長い旗が揺らめいていた。
「あれは、まさか」
グライムオールの呟きに、それにフロウは先ほどの書面を確信に呟く。
「反旗、トライド王国、」
ファルド帝国ヴァルヴォアール将軍宛に届いた書状、その内容にはトライド王国の独立宣言の主張を、国王代理のノイス公爵家が送ってきたものだった。
「閣下、」
近衛騎士の更なる声に目線をずらすと、王都を背にした小さな少女、その背後に色の違う旗が上がる。
「なんだ、あれは、」
アレウスの声に、貴族議員達も口を開けてそれを見た。あちらこちらと街中に漂う紋章の違う大きな国旗、その一つに身に覚えのあった者は、エスティオーサ左大臣を振り返る。
「エスティオーサ殿、あれは、エスティ公国の、国旗ではないのか?」
「・・・ですが、これは、身に覚えがありません、」
老齢なエスティオーサも、愕然と嘗ての自国の正式な国旗を久しぶりに見た。
「アミノ、ラウド、それに、あれは、イド国の国旗、これは一体?」
何事かと呟く大臣達、将軍であるフロウは黒髪の少女へ目を見開いた。
「これは、あなたの仕業か?」
それに少女は首を振る。
「俺では無い。これは天の刻だ。どうする第一師団騎士団長、足下に、火がついたぞ」
晴れやかに笑う少女をフロウは瞠目し、未だ理解できない青年皇帝と貴族議員へグライムオールは振り返った。
「内紛です。トライド王国、そして我らの王都に反旗が上がっております」




