18 温かく、包み、守るもの。
空気とは、奥深いものである。
終始見えず、周囲に溶け込み、重さを感じる事はない。更には酸素と混同され、生きとし生けるものには不可欠な絶対の存在。
グラビティ・ゼロ。
宇宙というダークエネルギーが凝縮された未知の空間から、生命を包み込み維持し温かく見守る、ある意味、理想的母親的な存在でもある。
だが我が国に於ける空気とは、それだけには収まらない。ありとあらゆる現場の空間、全てのものの感情さえ支配下に置き、それを上下に揺さぶり右へ左へ中央へと現場を差配するのだ。時に腹を下すような緊張感を有し、時には緩和状態に穏やかな午睡を推奨する。
しかし全てのものに不可欠な絶対の存在だが、時に流行り廃れに翻弄され、今や失われつつある悲しきものも中にはいるのだ。
ーーケイ・ワイ氏。
流行りに敏感な若者から見いだされ華々しくデビューした後は、子供からお年寄りにまで幅広く親しみを持ってその名を呼ばれたケイ・ワイ氏だが、今は昔と過去をさかのぼる存在と化してしまった。
過去に一世を風靡したケイ・ワイ氏は、忘れられた有名人発掘企画にも登場する事はない。『どうせ、見えないからでしょ?』などの、安易な理由からではない。何故ならば、ケイ・ワイ氏はその道のプロフェッショナル。読めない空気と見せかけて現場の空気を支配し、実はいち早く読める事が出来るからである。それを証拠に忘れられたケイ・ワイ氏は、空気を読んで時代の流れと共に、表舞台からは潔く身を引いたのだ。
そんな忘れられし、プロフェッショナルの称号を、私はこの異世界で手にすることが出来た。
(天性空気カミナメイ。空気の称号は他と一線を画する、まさに天上の領域。天上の巫女、レベルアップ。最終進化形態となるには、外せないスキルの一つである)
そのスキルを装備中の天性空気は、つぶさにこの不穏な空気の会場を観察している。
魔女の本ギレ、それに怯える若社長、周りの役員達は異世界風に空気を読み、司会進行役の色黒おじさんへ全てを丸投げる。
事の発端はおそらく、チャラソウの空気を読まない発言からなる。珍しい事に、何でも丸める丸める職人、自身も丸いぷるりんさんだが、今回は何も丸めることが出来ないらしい。
(きっと、私と同じ年代、ユトリサトリフシギタイプの若社長、あいつの自由奔放我が道と、堅物真面目職人のぷるりんさんの会話の全てが噛み合わないのだ)
私はプロフェッショナルとして、この場の空気を、そう結論づけた。
(にしても、出てってって言われた。色黒おじさん、やっぱりぷるりんの無作法を根に持っている。魔女も私をまた落人って呼んだし。空気悪いな。ここ。)
私の予想では、悪の組織の空ビニール、その幹部の一人に魔女が参加していると思う。いつもは口から始まるぷるりんも、あの魔女の前では口数が少ない事も気にはなる。
(もういいよ。出てってっ、てっ言われてる。早く行こう。エルビーや姉さんとか、かっぱちゃんが気になるもの。それにアピーちゃん達も心配してるよ)
一向に姉さん達の話題が出ない。ぷるりんもそれを聞かないのが問題なのである。しかし天性空気カミナメイとしては、空気を読んでこの場に登場する事は無い。だって、帰り道にまた、ん?
(カツラを発見)
青空ミーティングの中、会議のメンバーのおじさんの一人に、明らかなるカツラを発見。真白いベレー帽の様なカツラだが、あの下はぷるりん氏と同じ形状に違いない。
サーチ・開始。
色黒おじさんに帰れコールされているのに、のんびり辺りを見回すぷるりん。その間に私はカツラ疑惑の頭を数える事にした。年代的に該当しそうな頭は五人。
(しかし、残念ながら、今日の収穫は一人だけ・・・)
薄毛などの身体的特徴、それを口に出して揶揄する事はしない。薄毛をネタに笑いに出来る猛者はいいのだが、誰しもが笑いに変換できはしないのだ。中には直接的な指摘に、繊細な心を痛めてしまう人もいるだろう。
(なので私は心の中でだけ。心の中でだけ、観察させて下さい)
この異世界で初めて遭遇したカツラさん。絶妙に少しズレている。良い。良い感じだ。そして私はこの青空の下、あるものを待ち続けるのだ。しかし、待ったところでそう簡単に奇跡は起きるものでは無い。帰れコールに動かないぷるりんさんに、色黒おじさんは警備員を呼んでしまった。私の後ろにじりじりとにじり寄る気配がする。
限られた時間、青空ミーティング会場に、揃う奇跡の一手を待ち望む。
ーーさあ、
風よ!吹け!!
この絶妙のタイミングに、
風よ!吹け吹け!!
(・・・なんてね。そんな訳ないよね)
分かってはいたが、つい願ってしまったのだ。カツラを目の前に、私の暗黒属性に火がついた。だがそんな奇跡は起こらなーーービュウッ!!
ハサッ・・・。
ぽとり。
(!?)
「失礼」
(!!?)
風に舞ったカツラは、広い長テーブルの真ん中に飛ばされた。見事に磨き上げられた美しい頭を曝した紳士は、事も無げに立ち上がるとカツラを拾い上げ、再び乗せるだけの頼りない装着完了。
見た?今の見た?
目撃者募集中、それを共有する共犯者募集中。
私の目を通して一部始終を共有したぷるりんは、何故かプスリとも無反応。身体的特徴を笑うことは悪だとは重々知ってはいるのだが、これを、見過ごすことは、私には、
『無、理』
警備員に退出を促される為に腕を掴まれた。だが、待って。
プススッ!
『ブッ、プッ!グハッ!!』
会議室という笑いを封じた緊張感ある空間。そこに舞い降りた特大の奇跡に、何故、誰も反応しないのだ!
『クックックックッ、ぶっ、あはははははっ!』
ごめんなさい、ごめんなさい、おじさん!おじさんが悪いのではないの。この笑ってはいけない空気感が、更に、もうダメ。
『うっ、くっ、あはははははっ!』
我慢すればするほど、笑いの壷にはまっていく。突然笑い出した失礼極まりない私に、もちろん周囲はどん引いた。
腹を抱えて笑う私。だが、程なく彼と同じ形状のぷるりんさんにゴホンげへんと、無理やり強制退去を余儀なくされる。
(そうだった、そうだった。ぷるりん、カツラおじさんの仲間だったのだ。ごめんごめん。笑えるわけがないよね、あはは、)
久しぶりの大爆笑。しかし、おじさん個人を笑ったわけではない。私は薄毛とカツラに賞賛を贈ったのだ。笑いの歴史に遥か昔から必要とされてきた薄毛、先ほどの奇跡の遭遇は、むしろ笑わない事が失礼である。
(だが、やはり、身体的特徴を笑うことは悪である)
見回すと、周囲の空気は重々しく、視界の片隅に映る色黒おじさんから、ただならぬ負のエネルギーを感じる。
グラビティ・過重・***パーセント。
(見ちゃ駄目、見ちゃ駄目、色黒見ちゃ駄目。すり潰される!)
カツラおじさんはもちろん、ミーティングに参加しているおじさん達は揃いもそろって私を塵を見る目つき。
そして魔女、彼女も私を凝視中。瞬きがなく、怖い。若そうボンボン社長は、まあ、そんな感じだろう。
「何がおかしい?」
低い声で怒っているが、奴の心の中はお見通しである。おそらく、笑いのネタを見逃して、私が一人笑っていた事が気にくわないのだ。奴はただのお子様である。
「ミギノ」
おや?チャラソウ、どうしましたか?
(やばい。怒ってる。これは、子供の嫉妬ではなく、大人が子供をガツンと叱る、あの空気)
戸惑う警備員達、立ち上がる私。
残念ながら、ぷるりんにエヘン虫された私には、この場での謝罪は無理なのである。教会では、私がぷるりんの失礼を色黒おじさんへフォローしたのだから、この場はぷるりんに任せようと思います。
「やはり、この進軍は否定される事になる」
おや?
「皇帝陛下、最後の良心としてお願い申し上げます。ガーランド竜王国との、和平交渉をお考え下さい」
(ぷるりん、謝罪の相手は、若社長ではない)
「アレウス陛下、落人の言葉に耳を傾けてはなりません。あれは、私がきちんと管理致します」
「その手を取れば!」
「大聖堂院の手を取れば、未来永劫、ファルド帝国王族は、子々孫々、国民から怨嗟を受けることになりますが!」
何故か、ぷるりんは若社長と魔女を敵に回してしまった。
(やばいやばい。やばい空気、やばい、)
「捕らえよ!!!」
ぷるりんに、期待した私が馬鹿だった。




