届かない思い 18
鼻を麻痺させる薬臭、異様に明るい室内には区切られた檻の小部屋が五つ。埃に弱い無人よりも、更に顔全体を大きく覆う布を巻いた無人が居る部屋に連れられ来たスアハは、檻の小部屋の一つに大犬族の子供を見つけた。
(弱い奴、こんな所に居たの?)
五つの小部屋は既に三人が使用しており、スアハの様にそれぞれ口に棒を咥えさせられ蹲る。開いた扉からスアハが連れられ入って来たのを見た大犬族の少女は、黄色の混ざる緑色の大きな瞳を潤ませると、悲しみに青ざめ俯き丸まった。
(臭い。しばらくって、いつまで?メイはいつ来るのかな?)
小さな白い指先で、スアハの唇を押さえたのはメイだった。静かにしようと約束する刻、少女は必ず自分の口に指を付けそれをスアハに押し当てる。弱い大犬族の少女にはしない、スアハとメイだけの儀式。
(うふふ。メイ、かわいい)
大勢の無人が来る前に、その約束を言ったのはオルディオールだったが、スアハと儀式をしたのは間違いなくメイだった。この儀式の後にはメイは甘い菓子をくれるのだ。スアハは大人しく待っていたのだが、しばらくの長さが分からなかった。
(でもやっぱり臭い。)
大犬族の少女の隣の扉が開けられて、招待を断らずにそこにスアハも入ってみる。臭い部屋の中を見回すと、少し離れた所に長い台が置いてあり無人が群がり死骸の皮を剥いでいた。見る物がなくそれを見つめていると、無人達はスアハの近くにきて意味の分からない事を話しては去って行く。
(なんなの?こいつら)
台の上が片付けられて、端の小部屋が開かれると尾長犬族が連れられ台に乗せられた。嫌がる長尾犬族が棒の隙間から悲鳴を叫び、そこでスアハは初めてこの場所の意味を知る。
〈・・・・〉
無人は嫌がる弱い者を押さえ付けていたぶり、散々悲鳴を上げさせてから息の根を止める。そして長い尾を切り落とすと皮を剥ぎ始めた。
〈・・・・〉
スアハの隣の檻からは、少女の嗚咽が漏れ聞こえる。全ての作業に刻を長く使用した。その日の解体はこれで終わり陽も暮れたのか、続きは明日だと無人達は去って行き鍵のついた厳重な扉は閉められた。
******
アラフィアを始め、囚われた仲間をエスフォロスは通りの見物人に紛れて見ていた。
黒い箱車が馬犬に引かれて進んでいく。黒衣の隊服の騎士団を先頭に、異様な行列に住民達は怯え隠れながらそれを見ているが、行列に背を向け歩き出したエスフォロスの肩を少年が去り際に叩いた。
「こっち、」
路地裏に走り去る不審な少年は、シオル商会の幹部候補だという。また複雑な通り道に案内されるかと思ったが、角を曲がると全身白色の男が立っていた。
「シオル商会、白狐だな」
顔に傷は残るが見れなくはない。だが母国の上官であるオゥストロよりは劣る。何故か色の対比に上官が思い浮かんだ。
「ヴァルヴォアールの野郎と、処刑人が乗り込んできた。ミギノは王城行きだ。思ったよりも、軍が早く動きやがった」
手短に教会での出来事を説明され、事態の急変にエスフォロスは息を飲む。白狐の話では、処刑人と呼ばれる大貴族が現れると、猶予なく刑は執行されるのだという。
「だが、処刑人エールダーというのは、メイ、巫女殿の、精霊殿の身内だと聞いたぞ」
「・・・よく分からねーけど、助けるつもりがあるんなら、あんな檻で連れてかないだろ?」
同じ騎士団の行列なのに、初めてこの国を訪れた刻に見た華やかな行軍とはまるで違う。引かれる罪人を忌避し、列を成す騎士団から国民は畏れに身を引いていた。
「どうやら、すぐにガーランドとファルドは揉めるらしい。この先、ファルドは大きく荒れる」
「開戦か!?、この状況で、・・・何でファルドが荒れるんだ?荒れるのはトライド国だろ?・・・お前たちが何かするのか?」
それに赤い瞳は何も応えなかったが、遠くから呼ぶ声に振り返った。
「もう行く。俺はこれからミギノの為に動く。あんたはどうすんだ?」
「問題ない。情報感謝する」
呼ばれた方向とは逆へ進み、手前の古びた民家へ踏み込み白狐は居なくなる。来た道へ歩き出したエスフォロスだが、再び短く声を掛ける者が現れた。くたびれた庭木職人の服装の男は、先に潜入していた兵士の一人。
〈鳥より、王城内への潜入経路を確保しました〉
頷くエスフォロスは、すれ違いに渡された紙切れを握ると、路地裏を走り出した。
***
ーーーファルド帝国、王城内、天空議場。
ファルド皇帝アレウスは、宰相であるエールダー公家の言いなりに玉座に座ったが、即位後は言われるままの行動しか出来ずに窮屈な思いをしていた。
上皇妃である皇母からは幼いと呆れられ、口には出さないが態度で威圧してくるグライムオールに怯えて過ごしてきたのだ。そのアレウスの初恋はエミー・オーラで、自分を理解してくれる彼女の存在だけが心の支えとなっている。会議の場では大貴族達がアレウスを疎外し政を進め、それを察して慰めてくれるのはエミーだけなのだ。
(早く終わらないものか、)
分からないつまらない軍会議は、アレウスが参加をしても発言権が殆どない。だが今日はガーランド竜王国との開戦の前に、各将軍を労わなくてはならないのだ。そのため朝から軍会議へ参加をしているが、同じ様な布陣の説明に飽きた頃に要のヴァルヴォアールが居なくなった。だが程なく戻ってくると、風変わりな小さな北方の少女を連れて来たのだ。
(オルディオール?・・・って、確か)
昔の英雄の名を騙る風変わりな巫女は、アレウスの耳にも届いていた天上人というものだった。面白いと少女に発言の許可を与えると、いつになく動揺したエールダー議長グライムオールが話に割り込み少女を遮る。それが面白く彼らをからかう為に、風変わりな来訪者の同席を認め少女をこの場に留め置いた。
「ヴァルヴォアール将軍の良き人であり、我が国に祝福を授けてくれるのだ。そう無下にする事はない」
「ですが陛下、」
食い下がる師でもあるグライムオールを、手で軽く振り遠ざける。強く出れば誰も逆らえない立場に、皇帝アレウスは改めて己の権力を実感した。
「さて、オルディオールを名乗る巫女姫よ、開戦の日に我が軍へ勝利の祝福を賜ろうか?」
席をフロウの隣に用意され足がつま先までしか届かないが、少女は浅く腰掛け胸を張る。周囲をぐるりと見渡すと、大袈裟に近衛騎士に囲まれているが、無力な婚礼衣装の少女には何も出来はしないのだ。この場で小さな少女を真に警戒している者は、フロウとグライムオールの二人だけ。アレウスの許可を得た少女は感謝に頷くと、遮られた言葉を繋いだ。
「東大陸ガーランド竜王国への進軍、これを取り止める事を強く願い申し上げます」
祝福の言葉を期待した皇帝アレウスは、自分の気分を害した少女へすぐに苛立ちを顕わにする。
「陛下、我が婚約者は天上人。まともに言葉を捉えてはなりません。彼女は戦争により訪れる災い、陛下の身を案じているのです」
フロウの言葉にアレウスは頷くが、小さな少女はそれに首を横に振る。
「五十年前の悲劇、大掃上、この犠牲者達が今もなお苦しめられています。大聖堂院、彼等の狂気を陛下は止めなくてはなりません」
「まぁ・・・、」
自身の組織を指摘されたエミーは微笑みアレウスを見つめると、青年皇帝は頬を染めて顔を逸らす。憧れの女性の誇るべき功績を否定され、アレウスは更に少女への苛立ちを募らせた。
「安心しなさいミギノ。今回の作戦に、大聖堂院は参加していないのだ。君が不安に思う大魔法の大掃上、これも私が把握し対処している」
「どういうことかしら?」
聞き捨てならない言葉に、エミーはフロウへ強い口調で尋ねると、これにフロウは笑顔で答えた。
「過去の過ちを繰り返しはしません。五十年前は貴族院の許可を得ていた大魔法かもしれませんが、今回の作戦には大聖堂院は関与できない。ですが、伝達に滞りがあったのか、何故かグルディ・オーサ領に聖導士を五名発見しましたので、グルディ・オーサ基地にて作戦関与の経緯を調査中です」
(なんだと?五名の魔法士、大掃上の陣を阻止したのか?)
見上げるフロウのいけ好かない笑顔、それに歯噛みしたエミーを見たオルディオールは、大掃上の阻止をフロウが成し遂げたと確信する。小さな婚約者を見下ろした将軍は、それに微笑みで応えた。
「これも英霊オルディオールの加護を受ける、ミギノのお陰です」
「・・・・」
(・・・・)
先ほど、背後から殺気を感じたオルディオールは、フロウの真意を測りかねている。微笑みを消した大聖導士を心配し、青年皇帝は少し離れた席のエミーを気遣うが、怒りを飲み下せなかった女は激昂した。
「なんて、馬鹿なことを、してくれたの!?」
場を弁えず声を荒げたエミー・オーラに、驚いたのは青年皇帝だけではない。正面に座るグライムオール、フロウ、列席の大臣達は息を飲んだ。
「この日をどれだけ待ち望んでいたか、多くの、多くの飛竜が手に入る機会を、あなたは無に帰した!我々の発展を、滞らせたのよ!?」
立ち上がり、怒りに震えるエミーはフロウを指さし将軍を睨む。それを受け止めたフロウは、真摯にただ頷いた。
「飛竜が手に入れば、東大陸はおろか、北も、南も、全てが思いのままになるのに、この好機を、この国の将軍が無にした、」
未だ怒りに両手は震え、美しい顔を歪ませたエミーはフロウを睨み、そして隣に座る少女へ紫色の鋭い目を移した。
「新種の落人、いえ、私が待ち望んだオルディオール様。ならば、あなたで構わないわ」
「?」
訝しむ少女を見つめたエミーは、皇帝アレウスに少女を落人だと宣告しそれを大聖堂院が預かると願い出る。しかしこれにはアレウスも首を傾げて、この場を取り纏めるグライムオールに救いを求めた。
「エミー大聖導士、今日というこの場に相応しくない議題は必要ない」
「・・・これでは、開戦には意味がありませんわ」
「意味はあります!これは東大陸統一という、崇高な目的の為の開戦ですぞ!」
あちらこちらから、エミーへ批判の声は高まるが、そこに少女の高い声がエミー・オーラに賛同した。
「ガーランド竜王国より、和平交渉の為の使者が同行しています。陛下、この機に戦なき和平統合を果たせれば、陛下の名は、後世に名君として讃えられる事になりましょう」
その言葉に議場は紛糾し、強い否定の言葉が得体の知れない少女に降りかかる。本意をずらされたエミーも、和平交渉という聞き慣れない言葉に眉をひそめて落人を見たが、黒髪の少女は揺るぎなく年若いアレウスへ語り掛ける。
「ここで進軍を推し進めれば、グルディ・オーサ西方基地に留まらず、トライド、更にはファルド国土まで戦火は続く事になるでしょう」
「・・・なんだと、」
誰しもの想定、強国ガーランド竜王国との長期戦を視野に入れている騎士団は沈黙するが、戦線の後退はあり得ないとアレウスは少女へ嘲りを吐き捨てた。
「ヴァルヴォアールよ、私にはその娘の言葉が理解出来ぬ。エミーの言うとおり、その者が落人であると言うのなら、落人は大聖堂院で預かるべきだろう」
「ですが陛下、彼女は天上人なのです。我々と価値観が異なったとしても当然であります。そして私の婚約者でもあり、本日、陛下へその許可を賜りたく、こうして参上致しました」
順序は逆になったのだが、当初は先に式を挙げてからの事後報告を考えていた。
「我が国の誉れある第一師団騎士団長、ヴァルヴォアールを落人と婚姻させるわけにはいかない。その娘が落人ではなく、真の天上人だとの証明をエミーに任せれば良いのだ」
「・・・・」
肯定は出来ないが、否定も出来ない。絶対的アレウスの決定に、上手く纏めるはずの話が拗れてフロウはそれ以上言葉を発することが出来なかった。会議中に怒りの感情を吐き出したエミーは咎められる事はなく、手に入れた魔物入りの黒髪の落人を見つめて溜飲を下げる。
「では余興は終わりだ。部外者には、退席してもらおう」
グライムオールの言葉に、動き出したのは周囲を取り囲んでいた近衛騎士。青年皇帝アレウスに届かない思いに、黒髪の少女は自分を大聖堂院まで拘束する近衛騎士が近寄るのを目の端に入れ、為す術無く開戦の狼煙が上がるのを想像し、晴れ渡る青空にファルド帝国の街並みを見つめた。
***
ーーーファルド帝国、裁きの塔、最上階。
高く円状の裁きの間は、吹き抜けの三階。上階の一段目に貴族院の司法官、そして二段目には観客が溢れていた。ガーランド竜騎士を一目みたいと集まった貴族の観客は、殆どが男である。
天井は球状の骨組みに光射す硝子がはめ込まれている。最後の天上の光、それを身に浴びた三人の罪人は中央に引き出され、女騎士は鋭い金の瞳で上階を見上げた。
*
地下牢獄から枷を嵌められ、続く螺旋状の階段をひたすら登る。前を歩くのはガーランド竜騎士の毅然と伸びた背筋。トラーは昨夜、隣の牢から告げられた言葉に、今は染められ一つに結われた長い黒髪を見上げていた。
ーー〈このファルドに巫女が居ることで、竜騎士と神官騎士は巫女救出の大義を持つ〉
(女性にしては、少し背が高いが、)
アラフィアは潔く美しいとトラーは思った。
ーー〈我が軍は、巫女を救う為の天上の使者となる〉
大義なき他国への進軍は、騎士道と天教院に反している。大軍を指揮する将、末端の兵まで行き届き、結束しやすいものは大義と信仰心。それを持つ誇り有る騎士を支援するものが民心なのだ。
使者として、それに殉ずるとアラフィアは言った。
*
(だが、ただむざむざと、殺される訳にもいかないな)
中央に立つアラフィアは、隣にぼんやりと佇むエルヴィーを横目に捉える。玉狩りの魔戦士化、それは確実とは言えないが、アラフィアは北方大神官アリアから方法の一つを託されていた。
(それをこの場で試してみるか、みないかは)
全ては隊長のアラフィアに一任された事ではあるが、その方法内容がとても気が進まなかった。そして魔戦士化は、本人の意思を喪失させる恐れがある。
(こいつは、もともとはトライドの戦争被害者なんだよな)
その事にも迷いを生じさせ、この場でエルヴィーを兵器として使えない決断力の迷い、それにアラフィアは母国の上官を思い出した。
(隊長ならば、悩みはしない)
非情と呼ばれても動じない上官ならば、エルヴィーの魔戦士化を今すぐに躊躇いなく試すだろう。
「・・・エルヴィー、お前に言っておかなければならない事があるのだが「ねえ、いつ逃げるの?」
呟いたエルヴィーの声は、アラフィアとトラーにしか聞こえなかったが、ここまで来て明確に逃げると言った夜明の行灯の様な男に言葉を飲み込み瞠目した。迷うアラフィアを嘲う様に、エルヴィーはいつまで刑場にいるのかと聞いてきたのだ。
「それって、逃げ方の話しだよね?一応、隊長である君の作戦を待っていたんだけど、ミギノを助けに行くよね?あの子、今頃きっと大聖堂院に運ばれてるよ。フロウなんかに、エミーは止められないからね」
アラフィアに問いかける感情の無い瞳は、どこか苛立ちを含んでいる。
「僕はオルディオールじゃないからね。トライドも、ファルドの事もどうでもいい。今はミギノの為にここに居るんだけど、君はどうするの?」
〈・・・・〉
ーー「口を開くな!!!」
恫喝に上階から見下ろす見知らぬ男達は、アラフィア達へ死の宣告をするためだけにそこに居る。ここは罪人の意見や言い訳を聞く場所ではないのだ。既に刑は決まっている。ざわざわと階上から物見遊山で見下ろす貴族達。読み上げられた罪状には、居るはずの無い飛竜の相棒の共謀に、空から国民を脅かしたとして、刑の執行前に相棒をここに呼べと告げられた。
(スロートが、空に居る?)
アラフィアはそれに軽く笑うと、紙を読み上げるだけの何も知らない中年の審判を見上げる。
「ガーランド竜騎士、ファルド帝国への潜入、北方の巫女の誘拐により、同犯罪者、大聖堂院より処分を命じられた四十五番と共に、本日死刑を命ずる」
***
ーーーファルド帝国、王城内、天空議場。
大魔法、大掃上の発動の阻止。
(今、ガーランドへ合図を送れば、トライドは確実にガーランドの翼の下だ)
黒竜騎士オゥストロへ、オルディオールは大聖堂院を止める事が出来れば狼煙を上げると言った。それはガーランド竜王国にとって、得体の知れない大魔法をオルディオールが阻止した事を意味する。
それにより竜騎士団がグルディ・オーサ領に攻め込めば、総主力では無いファルド帝国軍は、間違いなく撤退を余儀なくされるだろうと予測した。
(今のファルド帝国の戦力は測りかねるが、総力戦とならない限り、俺の見てきたガーランド竜王国とぶつかる事は不利だろう。ヴァルヴォアールや師団長を王城に集めて決起を鼓舞する開戦前の今ならば、ガーランドがトライド王国まで攻め入る事は容易いはずだ。あとはそれにトライドが抵抗なく従うかだが、)
シファルの答えは曖昧だった。大きな軍を持たないトライド王国は、ファルド帝国へ反旗を示した後にガーランド竜王国が動かない事が怖い。即座にファルド帝国に蹂躙されて、この五十年が無駄になるからだ。
(しかし今、ガーランド竜王国との和平交渉、これを逃す事も問題がある。フロウの真意は分からないが、オーラ家を怒らせ大魔法を阻止した。この思いは、非人道的実験を否定する嘗ての自分と同じものを感じる)
だがフロウとオルディオールの確実な違い、それは現将軍は力によるファルド帝国統一を支持している事だ。性急な進軍を推し進める事を否定していない。むしろ天上の巫女を自分に取り込み、天教院とそれを支持する国民への緩衝材として利用しようとしているのではと、オルディオールは考えた。
(和平交渉を真に望むなら、開戦宣言の前にガーランドの使者との話し合いが持たれるはずだ。アラフィアとの話し合いが済み、それが上手くいけば性急な開戦宣言は見送られるはずだが、その気配は無い)
突き付けられた様々な機会、それを指揮する立場に居ない無力な自分。新しく若い皇帝からは、得体の知れない少女への興味は感じるものの、戦争回避への言葉には一切興味を示さない。
(ここまで来て、無力か、)
近衛騎士が背後に回るが、立ち上がらない黒髪の少女にグライムオールがフロウを見た。
***
ーーーファルド帝国、大聖堂院処理区画、獣人室。
眠れない一晩を過ごしたアピーは、大好きなエスクにここに運ばれたと知った。
*
初めての待ち合わせ、自分を待っていた黒い人に浮かれ、アピーは尋ねられる事をなんでも話してしまった。そしてエスクに言われるがままに付いてきて見知らぬ人に預けられる。
ーー「また、後で会おうね」
そう言って笑顔で去った黒い人を見送り、ここに連れられてきた。
閉じ込められた獣人、それに何かを思い出す。逃げようとしたが酷く叩かれて、恐怖で身が竦み狭い檻に入れられた。エスクにここに入れられた絶望感と悲しみに、頭がぼんやりしていたが誰かの死の絶叫に我に返る。
長い台の上、目の前で行われる惨劇に震え、恐怖で気が遠のきそうになった頃に開かれた扉。そこにはアピーを虐める怖い少年が立っていた。
(あの子も捕まった、)
エスクに何もかも全てを話した。滞在先と、一緒に過ごした仲間たち。大切な友人メイのこと、メイにくっつく苦手な少年のこと、全てをエスクに話した。
「・・・っ、っ、」
ボロボロと涙はこぼれ落ち、顔を合わすことが出来ないアピーは彼に背を向ける。悲しみと恐怖に震えた檻の中、隣に入れられた少年は、何もアピーに話しかけては来なかった。
*
「邪魔だな」
黒い人に大人になったと思われたくて、伸ばし続けた髪を切られる。大きな鋏で無造作に長い部分をジョキジョキと千切られる様に引かれて切られた。
台の上に乗せられたアピーは、出る涙も涸れ果てて力無く横に倒される。目線の先には檻に入れられた碧い瞳の少年が、感情なくこちらを見つめていた。
(ごめんね、)
アピーがエスクに話した所為で、少年は自分と同じ目にあうのだ。
「おい、尾を切る前に、先に声帯を切ってしまえ。昨日は少し、煩かったからな」
「・・・・」
薬臭い部屋、顔を隠した男達、その内の一人がアピーを押さえると仰向けに顎を掴む。ほっそりとした少女の喉が曝されて、男は鋭い刃物を近づけた。




