断罪の黒い鳥 15
迫るガーランド竜王国との戦い。第三、第四、第十師団、それを除く各師団からの特別編制部隊が西方最前線のグルディ・オーサ領へ集った。ファルド王都を守護するのは、王城を第一、王都が第二師団となっている。今や北、東、南に国境線を必要としない東大陸は、対ガーランド竜王国に向けて、全てが西を向いている。配置された軍隊の西領の戦闘準備は整い、いつでも出撃可能態勢となっていた。
戦争への緊張が高まる国内、王都ではガーランド竜王国の捕虜となった中尉の無事を祈り、天上人の巫女が各地の教会を巡礼している。彼女はガーランド兵からの暴行から逃れる途中、ヴァルヴォアール公爵に救われファルド帝国に身を捧げた高位の巫女なのだ。そしてその北方貴族の希なる高貴な巫女の心を、ヴァルヴォアール公爵は射止めたのだという。
長く正妻の座を争っていた貴族の娘達の落胆は尋常では無いが、今やエールダー公家を凌ぎ双頭の片割れと噂される大貴族へ、天上人の高貴な巫女が導かれた事は、それが天樹の導きだと信者は喜んでいた。
**
ファルド帝国王都を護る第二師団、街中を警邏する彼等は突然現れた第九師団の黒色の隊服に驚いた。王都は第二師団の管轄であるが、誰も彼等の登場に職務領域を侵されたと眉を顰めたりはしない。全ての騎士の憧れである皇帝陛下の為の第一師団、その中でも、騎士団長ヴァルヴォアールに選ばれた精鋭しか黒い隊服を身に纏う事は出来ないのだ。
「天上の巫女姫の捜索ですか?」
下町を管轄する第三部隊分駐所、隊長は現れた黒服の上官へ敬礼し、使い込まれた卓に街の地図を広げた。
「ヴァルヴォアール将軍閣下の婚約者である巫女様は、お忍びで下町へ入られたのだが、破落戸共との遭遇を将軍閣下は懸念されている。民思いの巫女様は、独自の判断で将軍閣下の許可無く出歩かれてしまった。北方の貴族であるお方なので、この街の地理には疎いだろう」
「警護を付けていないのですか?まさか単身で?」
「巫女様の供は居るが、この界隈の者達の事をよく知らないだろう」
「危険です。急ぎ捜索しなければ」
慎重に頷く第三部隊隊長は、複数ある下町の破落戸の組織を思い浮かべる。赤い馬犬、大蛇の巣、海渡る人形、獅子の会、ライド家、そして一番厄介な組織がシオル商会である。
「第二師団の手を焼いた破落戸の組織シオル商会。城下街の裏町に蔓延り、違法な人身売買や薬物を貴族へ横流し、複数のファルド貴族の子供達が犠牲となった。奴らに見つかる訳にはいかない」
「はい。その組織の頭の代替わり、それにより実態の掴めなかった組織は表面化しましたが、直ぐに破落戸組織の抗争が始まりました。我々は今は待機中であります」
「組織のつぶし合い、機会を見計らい一挙に掃討するためだが、今回はそれが徒となったな」
更に大聖堂院の横やりにシオル商会が攻撃されて、抗争は散り散りになってしまった。その横やりに魔戦士が投入された事で、第二師団も周辺住民を落ち着かせる事に奔走している。
未だ燻り続ける下町の抗争、各組織が水面下でこそこそ悪巧みや悪事を重ねる混沌とした街に、異国の貴族の巫女は迷い込んでしまった。
「早急に各隊に通達し、破落戸組織の牽制をします」
頷いた黒服の上官に、背筋を更に伸ばしたところに定期報告がやって来た。緊張しながら街中の情報を若い隊士が報告する内容に、上官はある疑問に口を開く。
「空から獣の死骸?」
「はい。城下街各地で、その被害は報告されています。特に貴族街の区画、婦人達の集いの場所に被害の届け出が数件ありました」
落人では無い。新たなる空からの落下物。それに黒服の騎士は首を傾げる。
「目撃者の証言では、落下物の遥か上空に、大きな黒い鳥のようなものを見かけたそうです」
「!!」
大きな黒い鳥、その報告にある懸念が想定された第九師団の騎士は、足早に分駐所を後にした。
******
「生きてたか!」
短くなった白い髪、身体中の無数の傷、現れた懐かしい顔に黒髪の少女は微笑んだ。それに応えるようにソーラウドは長い腕を少女の身体に巻きつける。
「信じらんねえ、本当にミギノだ、」
涙こそ出なかったが、少女の存在を確かめる様に温もりを身体に押し付ける。自分より少し高い体温。変わらず小さな柔らかい身体に安堵して、ソーラウドはここが教会である事を思い出した。
「ここ、教会なんだけど、式挙げとく?」
離れていた間に募る恋しさ、少女の安否、何よりも自分を好きと言ってくれた気持ちの恋変わりを永遠に封じたい。その一つの形として、この場所での再会は無宗教のソーラウドにとっても、神樹が背中を押していると思えた。
〈・・・・・・・・・・・・〉
強い抱擁に息苦しく、顔が赤くなり始めた少女を見て、ますます気持ちを高めたソーラウドだったが、その温もりが突然他者に引き離された。思いのほか強く突き飛ばされて、痛みと共に叩き払われた腕。ミギノとの再会の邪魔をする、あり得ない敵を凄味を孕んで睨み付けたが、赤い目は驚きに見開いた。
「蛇魚だ、」
呟いたのは背後に立つテルイド。彼も驚愕に銀色の美しい少年に口を間抜けに開いたままだ。貴族の屋敷から盗んだ資料、その中にあった未知なる南方大陸の物語の本。暇な貴族の創作か、見たことも無い獣人達の絵姿を、下町の破落戸の子供達は暇つぶしで絵本の様に眺めていた。
「嘘だろ?」
その創作が、目の前に立っている。耳に虹色の鰭、銀の髪、白眼の無い青一色の瞳、銀の肌。少女の様な細身の肢体だが、ソーラウドを叩き付けた腕は動物用の硬い革の鞭の様だった。
〈メイに触らないで。白無人。食べるよ〉
「ほ、本物だ、」
低い唸り声と共に聞いたことの無い言葉、テルイドは仮装では無い確信に更に驚き、ソーラウドは怒りを困惑に変えた。
〈スアハ、食べるのは駄目。約束、メイとしていた〉
オルディオールの静かな声にスアハは沈黙したが、咽からは低い唸り声が怒りに漏れ出たままだ。ソーラウドはそのやり取りに黒髪の少女を見下ろし、彼女が大きな仕事を抱えていたと思い出した。
「ガーランドはどうだった?」
真摯な赤い瞳に少女は頷き返す。シファルはガーランド竜王国との交渉の結果、それによってシオル商会が大きく左右されると言った。その要に少女ミギノは存在するのだ。
今後のシオル商会の在り方、全てが大きくひっくり返るかもしれないと。
「問題なしだ」
頷く少女の背後には、見たことも無い獣人、そして少し後ろにこちらを鋭い瞳で見つめている、顔を半分隠した北方の男。
「そっちは?ずいぶん派手にやられたな。大聖堂院の奴らの事は、何処まで調べた?」
アミノーサというソーラウドの手下から、大凡は聞いている。彼等を襲った魔戦士へ報復を考えて、大聖堂院を調べていると。
だがソーラウドから出た言葉は、玉狩りから魔物を奪ったが、水の様に逃げてしまい意味が無く、捕らえようとした玉狩りも思いのほか強く、手下は全て返り討ちにされたという事だった。
「魔戦士は、ここしばらく下町には現れていない」
「・・・そうか」
ソーラウド自身もシオル商会として、他の破落戸組織とのやり取りがある。彼自身はそちらを優先し、不可侵、不透明な大聖堂院への介入は後手になっていた。
「やはり、先に北のオーラ公領へ行こう」
オルディオールの言葉にトラーは頷く。スアハは変わらず唸り声を上げたままソーラウドを睨んでいたが、戸口からアピーとアルドイドが現れた。そして睨み合う異種の二人に少年少女は身を固める。ソーラウドは自分を睨みつける珍しい魚族を見つめていたが、不意にある噂を思い出した。
「ミギノ、この魚のガキ、連れて歩くのか?」
スアハにとっておかしな疑問に唸り声が響いたが、黒髪の少女は問題ないと軽く頷く。それに白狐は面白くない顔をして、赤い口は嫉妬と共に忠告をもらした。
「本物の魚の獣人、こいつの価値はけっこうデカい。良い屋敷が建つくらい払う奴も居るだろう」
「?」
「貴族の奴は、裏で珍しい獣人を集めてる。そこのガキは、最高の値段が付く」
「なる程。確かに、その危険性は考慮していなかったな。気を付けよう」
奴隷保護法、それをすり抜けて貴族の収集家は未だ珍しい品種を集めている。ソーラウドの話しは更に続く。
「大聖堂院に居る奴の中に、珍しい獣人の皮を高値で買い取る奴がいるらしい」
「・・・・」
続く言葉は言わなかったが、オルディオールはソーラウドが思いついた計画には、即座に首を横に振った。
「・・・そうか」
獣人に限らず、人を商品として見定めるソーラウドは、スアハを大聖堂院に売り込み、それを足がかりに内部への接触を考えたが、黒髪の少女は即座に否定した。
**
久しぶりの再会、この古びた教会での少女の滞在にソーラウドは喜び、明日の夜には食事の約束をさせられた。名残惜しそうにその場を後にする破落戸達の背を見ながら、少女は口には出さなかった続きを告げる。
(それは、手立てが全て、断たれた手段だ。まだ、他に大聖堂院へ繋がる道がある)
奴隷保護法の発案者、人道的な人々へ最後の良心として存在するエールダー公家。そのオルディオール・ランダ・エールダーは隣に寄り添う銀色の少年へ視線を移さなかった。
***
ーーーファルド帝国、貧困街、裏通り。
アラフィアとエスフォロス、そしてエルヴィーは外套を深く被って裏通りを進む。少年イーファより軍が通らない道を教えられ、地下を進み街の貧困街にやって来た。
人気の無い路地に男が一人現れるとアラフィアはそれに近寄り、エスフォロスはエルヴィーと立ち止まる。そして少し離れた場所で周囲を警戒した。
「なんで僕も君たちと出歩くの?別に大聖堂院の人達と、こっそり会ったりしないのに」
「黙って教会に居たって意味無いだろ?メイの手伝いしたいなら、お前も何か、考えろよ」
「・・・はあ無理だね。僕、まだ首、痛いんだけど」
アラフィアはファルド帝国に長く潜入している諜報部隊〔鳥〕の男を見定める。普通のファルド国民、特に特徴の無い顔立ちの男だが、彼は獣人との混血だ。ガーランド竜王国の諜報部隊は特技を活かせる獣人との混血の者が多い。見た目に特徴の無い雑貨屋の男は、通りの先に立つエスフォロスとエルヴィーに、人より良く聞こえる耳を傾けて二人の会話も聞いていた。
〈あの男が、例の〉
頷くアラフィアは、更に声を潜める。
〈大聖堂院への潜入、それが上手くいかなければ、私の判断で例の作戦へ移行する〉
精霊憑きの巫女の計画は、ファルド国の大聖堂院への潜入、非人道的な戦士の製作に打撃を与え、更に脅威の大魔法を阻止する事が目的である。だが今回のファルド国への潜入には、オルディオールの知らない作戦もある。アラフィアを隊長とする潜入部隊は、精霊憑きの天上人の巫女とは別の目的も持っていた。
第一目的は大聖堂院へ潜入し大魔法の脅威を防ぐ事、そして魔戦士と同様の不安材料である玉狩り四十五番を、ファルド国内で魔戦士化することだ。ガーランド国境線の二つの砦を襲った魔戦士、その報復に天上人の巫女メイに従属しているエルヴィーを利用し、ファルド国騎士団を急襲させよと軍会議で決定していた。
だが魔戦士化計画には不安定な要素が多く、現場に同行しているアラフィアに判断は一任されている。現状ファルド国内に入り、諜報部隊からも大聖堂院の有力な情報は得られなかったのだ。情報交換が終わり、作戦の難航に眉をひそめたアラフィアは、ふと金の瞳を目の前の男に向けた。
〈そういえば、お前達の隊の隊長は近くにいるのか?〉
所在不明、正体不明の諜報部隊〔鳥〕は、ガーランド国でも彼等の本名は明かされない。敵国ファルド国に潜入する者達は、より秘密が多くなる。名前も知らない目の前の雑貨屋の男も、ここから離れれば別の職業へ変わるだろう。
アラフィアの問い掛けに、男は首を傾げると少し笑った。
〈我々は連絡に多くの人や物を挟みます。アラフィア殿と会うのも、次は私ではなく別の者でしょう。鳥の隊長となれば、挟まるものが多そうです〉
聞くだけ野暮な話しだったが、敢えてそれを聞いたアラフィアも慎重に頷く。そして男に背を向け、振り返ることなく歩き出した。
***
ーーーファルド帝国、天教院、ファルド東本院。
ファルド帝国内でも一際古く小さな教会は、見栄えが良くないと一部の貴族達や大きな教会に取り壊しを仄めかされている。だがそれに負けずに存在し、難民や裏町の親の居ない子供達へ手を差し伸べていた。
来る人を拒まず、破落戸達にまで手を差し伸べる教会。
その小さな教会には、最近柄の悪い男達が頻繁に出入りしている。昨日またもや外套を被った怪しい者達が訪れた。帝国の日陰に暮らす者達の小さな光、大好きな神父やおばあちゃん達が何かされないかと、裏町の子供達は教会の中に居座ったり、外から様子を窺っている。しかし子供達が見守る教会は、その日の午後、想定外の大変な事態となり町は騒然となった。
**
朝から調査にエスフォロスは出かけ、朝食後にアピーも周囲を見てくると居なくなった。古びた教会内は神父や老いた巫女達もそれぞれ仕事に忙しく動き回っている。
自給自足の小さな庭の畑、洗濯、掃除、料理、刻が経つとどこからともなく貧相な子供達が現れて、彼らに食事を与え始める。子供達はアラフィア達や外套を脱がないスアハを怪しげな目で見つめ、露骨に敵だと睨みつける子もいた。そんな中、いつもはしないお手伝いを今日は良くすると、巫女達は食事が終わっても纏わり付く子供達に優しい笑顔を見せている。
「これも巫女様のお陰です」
ここに存在しただけで、神女の老婆に印を組まれて礼拝される。それに黒髪の少女は、神女の気持ちを汲んで深く頷いた。
**
「拠点をこの教会に据えるとして、直ぐにでも北のオーラ公領へ向かおう」
黒髪の少女はアラフィアへ、大聖堂院の足下ではあるが進捗の無い王都に居るよりも、手掛かりを探しに移動する事を提案した。少女の案に了承したアラフィアだが、一つの懸念を口にする。
「だが精霊殿、貴方はこの国の大貴族の一つ、エールダー家の縁者だと言うが、そこはこのままでいいのか?」
実体は不明、青い精霊体は自称エールダー公家を名乗る。精霊信仰を信じるアラフィアは、オルディオールの存在を否定はしないがエールダー公家を名乗る部分に半信半疑もある。
道徳的、国民の盾となり弱者を護る貴族の代表であるのならば、彼等からの接触を待たずに嘗ての英雄オルディオールを名乗れば良いのだとアラフィアは思うのだ。
「この国にはガーランド国やエスクランザ国の様な、精霊信仰が無い。俺の存在は彼等には受け入れがたいだろう」
〈・・・・〉
想像は出来るが理解は出来ない信仰の違い。天上人を落人や魔物と位置づけているファルド国。アラフィアは二階窓からその異国の街を見下ろして、軽く溜め息を漏らした。
〈・・・ん?〉
先程までは教会前の通りには小さな子供達がうろちょろと走り回って遊んでいたが、今は不自然に人が居ない。軒下の箱に腰掛ける老人も、昼間から飲み歩き道端に転がる者も誰も居ない。
不自然に静まり返った周辺。アラフィアは窓の外の周囲に目を凝らし息を詰める。
(・・・・これは、やばい空気だ)
寂れた裏町の路地裏、通りの先を注視すれば枯草色の隊服が見えた。
「囲まれたぞ」
アラフィアの低い声にエルヴィーが素早く別の窓の外を見る。更にトラーは部屋の外へ走り出て、再び戻ると首を横に「裏も全てです」とアラフィアに告げた。
「ファルドはずいぶんと隙間だらけだな。早すぎる」
シオル商会の複雑な逃げ道を使用してこの教会に辿り着いた。未だ騎士団から逃げ続けている破落戸達の手を借りて、逃げた痕跡は全て断っているはずなのに一日で突き止められた。
密告された、と誰しも頭に過ぎったが、今はその追求をしている場合では無い。素早く荷物を整え部屋を出るが、窓の外を見下ろした黒髪の少女は、制止の声で急ぐ周囲の行動を止めた。
「精霊殿、なんだ!?」
逃げ道を考える者達、呑気に窓を見つめる少女を急かしたアラフィアを黙殺し、黒髪の少女は椅子を使って窓枠に足をかけると、遠くに現れた黒く大きな箱車の紋章に目を凝らす。扉に大きく記された交差された金の穂を確認すると、黒く大きなつり目を見開いた。
「あれはエールダー公家の者だ」
縁者のはずの少女は、その紋章に好戦的な顔をした。
「ならば、精霊殿の言っていた、良心ある天上人の巫女を迎えに来たわけか?その作戦は、ヴァルヴォアールに追われて逃げた事で頓挫したはずだが?」
実際に教会巡りなどしていない。北方派の教会では、神父に下町の各地を訪問すると告げてはいたが、噂だけが先に軍に広められたのだ。ヴァルヴォアールは不審なメイを犯罪者とはせずに、何故か自分が救った婚約者だと新聞号外で触れ回っている。
「いっそのこと、ヴァルヴォアール殿と話をするのはどうですか?巫女様への婚約話を本気で持ち出したというのなら、天王国としては見過ごせません」
エスクランザの天上人の巫女の守護、神官騎士であるトラーの称号は、ファルド国の位に置き換えれば将軍であるヴァルヴォアールと同等のものである。ヴァルヴォアールも公に認めている天教院の巡礼の旅、意図は分からないが交渉の余地があるとトラーはアラフィアに進み出る。
「駄目だ。ヴァルヴォアールは貴族院を抑えられない。それでは大聖堂院の言いなりだ」
アラフィアではなくトラーに向き合うのは、椅子から飛び降りた黒髪の少女。
「オーラ公領行きは変更だ。エールダーが来たのなら、思ったよりも早く大聖堂院と接触出来る。だが、」
一同を見回した黒髪の少女の表情はいつになく硬い。不敵に笑う事も無く、引き結んだまま重い口を開いた。
「窮地に追い込まれた。あの迎えは、断頭台に続く可能性がある。計画は全て変更だ」
「何だと?」
息を詰めたアラフィアに、見上げる少女の目線は強く揺るぎが無い。
「エールダー公家は最後の良心とされているが、苦しめず息を断つ良心も併せ持つ。生殺与奪、王族とこの権利を二分している」
詮議はない。そのままエールダー公爵の判断が判決となる。
「計画は頓挫して、善なる巫女を演じたわけでも実績も無い。俺達はただの不法侵入者だ。巡礼実績が無ければ、天教院信者の目も届かない。ただの噂話で終わる。道徳的エールダー公家が、味方の居ない巫女をただ迎えには来ない」
「虫の逃げる隙間もないね」
窓の外を見つめるエルヴィーの呟き、それに続いて外を見たアラフィアも、寂れた路地に不釣り合いな軍用の馬犬の整列を見た。その間を黒の箱車が二頭の馬犬に引かれてゆっくり近づいて来る。
「この場所を密告されています」
トラーの再びの指摘に少女は頷く。
「お前達、ガーランドの者達もヴァルヴォアールに既に筒抜けだ。だが、ここでエールダーが出て来た事が問題だ。慎重に運ばなければ、本当に断頭台行きとなる」
繰り返された不吉な言葉に、アラフィアは腹をくくってそれを見下ろす。
「ならば、力で押し切るしかないな」
「逃げ場は無い。ここまで強行に反応したということは、思ったよりもガーランドへの進軍が早い可能性がある」
密告による包囲網、しかし不審者とはいえ巫女の立場の少女にエールダー公家が自ら処断に出て来るとは思えない。ヴァルヴォアールにアラフィア達の素性が知れたとして、捕虜とする事が定石のはずだ。
(何故この機会に、エールダーが?)
オルディオールの想定外の出現。しかも味方として取り込もうと思ったものが最悪の形で現れた。窓の外を見下ろした黒髪の少女は、突然のエールダー公家の訪問に、階下が騒然とし始めた音を聞く。
「こ、これは、どういったご用件で、ございますか?」
軍靴の音高く踏み込んで来た兵士達。開け放たれた古びた玄関の壁面に整列した彼等に、震える神官は勇気を持って声を掛けた。整然と並ぶ兵士達の間を、悠然と壮年の紳士が歩いてくる。胸にはエールダー公家にしか与えられない双頭鳥の国章紐が飾られていた。
『あー、なるほど。あの頭が二つある鳥、ところどころで見るーーげほんごほん!
何を言ったかはっきり分からなかったが、場違いに漏れ出た間抜けな声をオルディオールは咳払いで遠ざけた後に、ふとメイに気が付いた。
(そういや、こいつと誓約してるんだったな、)
無責任な自分の発想に、ふと笑みが零れる。柄に無く、血縁の登場に懐かしさと動揺を感じて思考が後ろ向きになった。
(ここで、何もせずに終わらせる訳にはいかない)
整えられた黒い髪、黒い瞳に褐色の肌。高い鼻梁に精悍な顔立ち。階段をゆっくり降りるオルディオールは、自分を見上げた懐かしい顔立ちに晴れやかに笑った。




