07 布石 07
オルヴィア・オーラ、クレイオル・オーラ。
二人の存在を自分の子供と示唆されたオルディオールだが、身体を保存出来る魔法をアリアから聞いた刻に、自分の身体の有無と子孫の事は既に可能性として頭に浮かんでいた。
見たことも会ったことも無いエミー・オーラとの子供。その内の一人は二度グルディ・オーサとトライドで会っている。
(確かに、色合いは似ていたが、まだそうだと決まった訳じゃない)
トライド国の立ち位置を確認し、アールワールとイストとの話し合いを終えた。相変わらずシファルとされるアールワールは明確な答えを出さなかったが、アラフィアの持参したトライド国王の署名により、水面下での大聖堂院解体協力を約束する事は出来たのだ。
オルディオールは今、散々酷いと周囲から揶揄されたメイの身体から抜け出して窓辺から薄暗い街並みを眺めている。女性的なイスト・クラインベールの仕草が勘に障ったのか、シオル商会の屋敷に入って彼と向き合う話し合いの中、妙に苛々と冷静さを欠いている自分がいた。更にそこにエルヴィーが挑発してきたのだ。自らの幼稚な失敗に青い玉の身体は溜め息に揺れた。
灯りの少ない街並み。そこには一つ一つの家庭がある。
(子供か・・・)
五十年前に家族を作ろうと約束した、愛する人の姿を思い浮かべた。
**
双頭鳥の片翼、左側の頭はファルド帝国建国よりエールダー公爵家のものとされている。特にエールダーがそう公表している訳ではないが、これは周知の事実なのだ。
見えない王冠を戴くエールダー公家は、常に人道的に人望を集め、ファルド帝国に都合の良い強権的な力を振りかざす右翼を諫める左翼である。非情に軍隊を押し進め、他国を取り込み蹂躙し統一してきたファルド帝国に於いて、情無き覇道の最後の良心、国民を護る盾として存在する。
だが頭が二つあるという奇妙な存在に、幼いオルディオールは疑問を持った。帝王学、騎士道、貴族の矜持を十一で既に修めていたオルディオールは、次期エールダー当主としての自覚が既にその頃にはあったのだが、国鳥の不自然さに、それを片方切り取って当主の父に意見をしたのだ。
ーー「頭が二つあれば、国が二つに分かれる危険性があります」
オルディオールは持論を展開し国鳥を強く否定したことで、三年の月日を塔に幽閉されて過ごす事になった。その三年は正しい思想を学ばされ、無心に身体を鍛える日々となったのだが、皇帝を支える教育の徹底を終えて塔から出ると直ぐに、今度は跡取りとして社交の場に披露目させられた。
メルビウス、ヴァルヴォアール、ディルオート、エスティオーサ、様々な力ある公家から息女との婚約を勧められる中、オルディオールにとっては女は全て同じものに見えた。
美しい容姿、美しい華やかな衣装、美しい所作、それらは全て家の飾りの一つに過ぎないのだ。婚約の件は全て家の意思に任せ、騒がしい庭園から一息つくために人気の無い噴水に行き着くと、そこでエスティオーサ公家の幼い跡取りに出会った。
「お初にお目にかかります」
まだ小さな少年は、少し前にファルド帝国が攻め落としたエスティオーサ公国の公主。エスティオーサ公国は水面下での脅しという交渉を経て、無血開城によりファルド帝国に屈した。国名を捨て先代の公主を隠居させ、幼い跡取りにすげ替えてファルド帝国の摂政がエスティオーサ公家を取り仕切る。
初めて戦争として蹂躙されなかったエスティオーサ公領に、オルディオールの中の不自然な双頭が燻った。
(戦わなくても東大陸の統一が可能なら、その方が有益だ。自国の兵も他国の兵も、共に財産を減らさないで済む。それにより、戦争被害者が減れば税収が増え、更に国力の増加が出来る)
思いを燻らせたまま年月は過ぎ、エールダー公爵、騎士団長として国を護る頂点に立った頃、いよいよガーランド竜王国への進軍の話が本格化する。ガーランド竜王国への侵攻、その通り道にある小国トライドは歯牙にも掛けずに今までそのままだったが、道を開ける為にトライドは不要だとの声が貴族院と軍議会で強くなっていた。
オルディオールは軍議会を非人道的だと左翼代表として諫め、水面下では単身トライド王国へ潜入する事にした。
既に奴隷被害者救済法案の発布により、オルディオールは国民より強い支持を得ている。貴族院議長としての立場も利用して騎士団長を統轄し始めてからは思うように行動出来た。トライド王国へ単身の訪問は、エスティオーサ公国の様に自分が主導で無血開城を成せるとの自信を抱いていたからだった。
「小国であれば、なおさら交渉は楽に捗るだろう。トライド王国になど関わらず、ガーランド竜王国への対策に集中するがいい」
自分が全てを取り仕切る。皇帝を支える家柄でありながら、帝王学を身に刻む。皇帝に仕えると頭を垂れて、軍部と貴族院を掌握する。最後の良心と善行を公然と掲げる事で、巨大な力と邪な野心を封じ込めてきたのがエールダー公爵家だ。
二十代半ばを過ぎても未だに正式な婚約者が決まらない。候補者達の家柄の力の拮抗により、オルディオールの正妻の位置を争っているそうだ。
(どうでもいい。女は飾り。そして俺も国の飾りでしかないのだから)
だが、交渉という名目の脅しにトライド王国を訪れたオルディオールは、その地で初めて〔個人〕として認められる事になる。
*
「近く想定されるガーランド竜王国との戦争に向けて、トライド王国と我がファルド帝国との併合を考慮致します」
一国の王への言葉ではないのは承知だが、下手に出ることも出来ない。失礼な使者に対してトライド貴族はこぞって反発した。貴族議会とオルディオールに挟まれた国王は、トライド王国騎士団長のイエール・トル・アレをオルディオールに紹介すると言って病に伏した。
「悪いな手伝ってもらって。今、耕しとかないと明日困るからな」
(・・・・)
大柄で無骨な騎士は豪快に笑う男で、無礼な使者を自分流に持て成した。初対面の他国の使者に、鍬を持たせて広大な農地を見渡す。
「あんた、ファルドで力あるんだろ?なら、こんくらい耕すの、訳ないよな?え?まさか、人を使わないと出来ないとか言わないよな?ああ、そうか、そうだよな。ファルドだもんな」
(・・・・)
横柄な使者への横柄な持て成し。
二本の長剣しか握った事の無いオルディオールは、挑戦的なイエールに受けて立った。しかし結果は歴然で、初めて鍬を持った者との差は大きい。オルディオールは自分の足跡を不満に睨み、奇麗に耕された隣の足跡と見比べて腕を組んだ。
「エールダーってさ、よく我慢してるよな」
「我慢?」
「だってさ、外から見てる感じだと、エールダーの者が王様だろ?王族は国政より社交って印象だ」
「我慢など、我が家ではしたことなどない」
「でもあんた、初めて挨拶した刻は、野心の塊の目つきだったじゃん。一人でトライド王国を獲れると思ったんだろ?そんな奴に双頭の、しかも影になる立場は目障りだろ?」
「・・・、」
片田舎の騎士からの忌憚ない指摘。ファルド帝国ではオルディオールには思っていても口には出すことの出来ない言葉を、イエールは嫌み無く笑った。
「ありがとな。出来れば、今、耕したここを戦地にしないでくれると助かる。それが、我がトライド国王の本意だろう。議会や王族はトライド王国を残したがって声を上げているが、我が国にファルドとやり合う力は無い」
そしてイエールは、オルディオールと耕した広大な土地を見つめた。
「俺たちは、これを維持する為に日々頑張ってるだけだ」
再び不出来な痕跡を見たオルディオールは、それを誇らしげに眺める男に朱金に輝く目を眇めた。
「・・・・ありがとう?俺は耕してなどいない。土をひっくり返しただけだろう?」
見るからにイエールとの差がある、自分が作った不様な道。ひっくり返したというよりも掘り散らした畑の道に、オルディオールはこんな簡単な事も出来ないのかと自分に眉を顰めた。
「しょうがないよ、素人だから」言って笑った豪快な男に苛ついて、何故か翌日もそれを行うと宣言してしまった。
「俺が自ら耕した、その地をファルドが荒らすことはない。だからここは形としてやり抜く。俺が手を出したのに、お前の方が立派に実れば分が悪いからな」
「・・・なんか、生きるのが大変そうだな?エールダー」
笑うイエールとの土作業、翌日の途中からオルディオールの背後に一人の女が付いてきた。耕すオルディオールの後ろに付いてぽとりぽとりと種を落として土を被せる。振り返ると、必ず照れて笑う女がミルリー・プラームだった。
彼女はイエールの知り合いの娘で、この地の農作業を手伝っているらしい。驚いたのはミルリーが、貴族の令嬢だったということだ。オルディオールには着飾るだけの貴族の女が、土まみれで畑に入っていることに衝撃を受けた。
その後は暇を見つけてはトライド王国へ足を運んだ。もちろん名目は偵察と交渉だ。トライド貴族議会はファルド帝国を受け入れず、国王は病に伏したままとされている。あくまで交渉を先延ばしにしたいのだ。
その間にオルディオールは、他国を学んだ。
イエールやミルリーと共に過ごす刻が増える。貴族として情を繕い殺してきたオルディオールには、遠慮の無い田舎者のトライド騎士はとても新鮮でトライド王国で食べた温かい肉に衝撃を受けた事もあった。
もちろんファルド帝国でも、幼い頃から散々温かい肉を食べてはいたが、切って焼いて塩を掛けただけの無骨な肉は、笑うイエールと食べるととても旨いのだ。共に食事をする者が違うというだけで、オルディオールの味覚は変わった。
次のトライド王国訪問は部下を連れ、無理やり農耕作業に参加させる。初めは嫌々付き合っていた者達も、日が経つ毎に自分の蒔いた種に実がなるか確認に自主的に付いてくるようになった。
農作業の無い日は、アレと彼の部下である朴訥な副官と共にトライド城下を巡り、ミルリーとお茶をする。
そして他国見聞として、トライド領土を回る。進軍ではなく人の住む隣国のトライド王国をミルリー・プラームの案内で巡る道中で敵国の少年と出会したが、彼を助けて突き放さなかったのはミルリーが共に居たからだった。
傷を負い助けた少年に剣を教える。その少年がトライド王国領を攻める事になったとしたら、ミルリーの未来を救う布石を誓約した。
広がる青空、大地に新緑の絨毯が敷き詰められる。丘陵からそれを見下ろし、ミルリーは日の落ちる稜線が美しい場所にオルディオールを連れて行った。
朱色に染まる美しい稜線。粟実穂と同じ栗色の長い髪、緑色の大きな瞳。頬を染めるミルリーは、見惚れるほどとても美しい。
「なんにもなくて、恥ずかしいわ」
それがトライドを示す彼女の口癖で、ファルド帝国と田舎のトライド王国を比較して恥ずかしがる。しかし、人の心の内を見抜く事に慣れていたオルディオールは、無力なミルリーのオルディオールへの最大の抵抗を、この稜線で理解してしまった。
ーー何も無い、この土地を攻めないで。
作為的ではない。会う度に照れて笑う国の自虐は、国を守りたい為に漏れ出ていた。心からの願いが訴えかけていたのだ。それを汲み取ったオルディオールは、既に惹かれていた女に交渉を持ち掛けた。ミルリーが生涯をオルディオールと共に居ることによって、トライド王国への戦火投入を回避出来ると。
「この国ごと、お前も俺が守ってやる」
(その力が俺にはあるのだから)
このオルディオールの驕りは、双頭の片割れによって遮られる事になる。
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「鳥さん、何処ですか?」
メイの言葉にふるふるとアピーの首は振られる。
「姉さん、遅いですね」
旅の道中、気ままに居なくなっていた鳥族と獣族の二人は特に気にならないが、シオル商会を仕切るアールワールに単身面会に行ったアラフィアは本当に心配だ。用があると出て行き未だ戻ってこない。夜も更けあと数刻で朝となるが、ノイスの屋敷で仮眠を取ることになったメイ達は、まだ戻らないアラフィアを不安げに待っていた。
「アピーちゃん、先に寝ましょう」
椅子の上、うつらうつらと首を揺らし始めていた獣人の少女に、メイは声を掛けて寝台に促す。自分も広い寝台に潜り込み、振り返ったメイは青い玉が夜空を見るため、窓辺に張り付いているのを確認した。
(ぷるりん、今日はエルビーとの仲を拗らせて反省中?)、
「寝ます我々は、ぷるりんは寝ます?」
窓辺に張り付く寂しげな姿に、気を利かせて声をかけたが無視される。メイは玉に目を眇めると『お休み』と、言って布団に潜り込んだ。
『・・・やっぱり外れない』
慣れない他人の家の布団。その中でメイは手に嵌まる外れない腕輪をさする。最近では異物の違和感はなくなったが、やはり身に付けていることが気になって気が付くと触ってしまうのだ。
(・・・・)
腕輪から、指に嵌めたままの繊細な模様の美しい石の指輪に目を移す。アピーに背を向けそれを見ていたメイは、再び窓辺の青い玉がそこにあるかを確認した。
(いるいる。よし、・・・こっち見てないよね)
そしてまた指輪に目を落とすと、素早くそれにチュッと口付けた。染まる頬、手を握り込むと隠すように胸に当てる。自然に緩む口元はそのままに、メイは深い眠りについた。
***
ーーートライド王国、ノイス家、当主の部屋。
見るからに柄の悪い厳つい男達が並ぶ廊下を通り過ぎる。扉の前に護衛に立つ二人の男は、真夜中の怪しげな訪問者を睨み付けた。
「おい。女が真夜中に、男の部屋に来てんだぞ?気が利かないのは顔だけにしろよ」
「っんだと?、」
放たれた女騎士の強い言葉に、アールワールの部屋の警護は顔を顰める。廊下の不穏な空気に問いかけた部屋の主に扉は開くと、眉間に皺の消えない男は頷いて移動した。女騎士を睨み付けた警護の男は顎を上げると、部屋の中への侵入を許可した。
深夜だというのに部屋中が暖かい。書斎から出て来たアールワールは、疲労を隠さず客人を出迎えた。
「ご用件は?ガーランド竜騎士殿。私の寝室を使いたいのですか?」
慇懃な部屋の主にアラフィアは、口の端を上げて貴族の優男を見据える。
「トライド国王からの指名。一国の防衛を管理しているお前に会いに来た理由が、閨ごとだとでも思うのか?」
不敵な長身の女騎士は笑い、腰に手を当てると部屋の中を見回した。それに居心地の悪さを感じたアールワールは、訪問の目的を問う。アラフィアは一通り部屋を見回した後に金色の瞳をひたりと男に合わせた。
「ファルド帝国、その元騎士団長を名乗る精霊殿を、抜きでトライド王国と話をしに来た」
**
翌日、昼に差し掛かる前にトライド王国を移動する事になったメイ達はノイス家の前に集う。門前の当主の横には、薄汚れた白衣の医者が見送りに立っていた。
「主が教会でお待ちです。こちらからは同行に五人付けます」
申し出された警護の破落戸達に、少女の身体に入るオルディオールは眉を顰める。
「お前達からの手荒い歓迎も受けていない。更に警護とは、気味が悪いな」
言われた破落戸達はへらへらと笑い、だらだらとそこに立っているが、アールワールは表情を変えずに黒髪の少女を見下ろした。
「これが本来国を護る者としての、我等の礼儀です。使者殿」
更に瞳はアラフィアへ移る。それに軽く頷くと、女騎士は身を翻した。後に続く者達は、トライド王国を旅立つ前に王領地の教会を目指す。
「じゃーなー。ブスガキー、」
遠ざかる白衣に振り返り、メイは左から右へ、大きく手を振った。
**
ーーカシャン。
広い道から脇道へ、案内の男が近道だと更に裏道を示す。トラーとエスフォロスが薄暗い裏道を先行しよう前に進み出ると、メイの目の前に何かが落ちてきた。
〈あっぶねえ、〉
[ご無事ですね?]
軽い音は土で焼いた陶器の花瓶。足元に散らばったそれを見て、落ちてきた上空を黒目は追う。寂れた住宅、古い窓から階下を見下ろすのは中年の女。直撃すれば無事ではない。不注意な女を注視していると、逆に罵声と共に別の何かを投げつけられた。
『わわっ!』
「早いな、」
「走れ!!」
周囲の破落戸達が突然辺りを警戒し、少女達と騎士の背を強く押す。
「なんだ!?」
エスフォロスが身構えて、トラーも守護する少女を庇いながら駆け出すが、路地から次々に人が沸いて出て来た。
カツン!
「キャン!!」
小石がアピーにぶつかって、更に横を走るメイにも当たる。次々に石や物が飛んできて、怒声と罵声が飛び交い始めた。
「呪われし者!!」
「返して!!兄さんを返せ!!」
「出て行け!!黒蛇!」
「黒蛇はどこだ!!」
「オルディオール!!!」
ーーーーーーーーーーー「殺せ!!!」




