05 再燃 05
ファルド帝国西領、嘗てのラウド城を改装して造られた城館は、今はファルド帝国大貴族の一つヴァルヴォアール公爵邸となっている。
壮麗な造りの城、暖かくなれば華々で彩られる庭園は貴婦人が集う社交の会場に変わる。城内の華やかな造りとは打って変わり、ヴァルヴォアール当主である未婚の騎士団長の寝室は、質素で飾り気の無い造りになっていた。
久しぶりの主の帰城に仕える者達は磨き上げられた城で出迎えたが、当主は客人と親戚の対応に終われ翌日には再び城を長く空けると申し付ける。仕える年頃の従者や給仕達は一様に肩を落とし、彼等の誇りの象徴である美麗と精悍を併せ持つ主人を切ない表情で見送った。
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「おや、お早いお戻りですね」
登城してすぐに出会した、全身黒色の部下はフロウを見るなり明らかに作り笑顔になった。
「休暇にならない休みは不要だ。どこで聞き付けるのか、主よりも先に親戚と見合い希望者が宿泊していて出迎えられたぞ」
「それはそれは、お疲れ様でございます」
意味深に頷く部下に、フロウは執務室へ直行がてら不在の報告を求めた。定刻連絡に変わり映えの無い国内情勢、最後に取って置きの最新情報をエスクが述べようと口を開いたところで、廊下先からフロウを呼ぶ声に遮られた。
「休暇からお戻りでしたか?たしか、西方最前線の編制慰労だと聞きましたが?」
体格の良い壮年の男は第七師団団長クルーストだ。公爵位ではあるが、癖のある性格で周囲からは警戒されている。そもそも騎士団を統轄している将軍のフロウには、軍内に於いて気軽に声を掛ける者は少ないのだがこの男は場所を選ばない。
「・・・・」
挨拶も無くフロウに目だけで用件を促されたクルーストは、内心自分よりも年若い将軍に舌打ちする。しかし慇懃に笑み返すと仕入れた情報を報告した。
「今回の大聖堂院の先走りにより、誉れある第九師団から空きが出たとの噂を耳にしました。精鋭第九師団には第一の者しか声が掛からないと聞きますが、是非、我が優秀なる第七の者にも、その機会を与えてやって下さい!」
豪快に笑いフロウに敬礼したクルーストは、後ろに待機したエスクを目にも入れずに去って行く。
「・・・・空き、ですか」
ガーランド竜王国に捕虜として捕らえられたステル・テイオンの事を言ったクルーストに、エスクは内心の憤りを飲み下す。第七師団長クルーストは捕虜となったステルを、もう死んだものと言ったのだ。
「続きを」
フロウに促され、我に返ったエスクは先を歩く上官を追う。頭から同僚の現状を封じると、思い出した報告内容に気を紛らわすことにした。
「グルディ・オーサ基地からの報告です。付近の小さな村を中心に、北方天上人の巫女の巡礼が話題に上がっています」
「天上の巫女姫?」
それにフロウは足を止め、エスクを意外な表情で振り返った。先ほどクルーストと遭遇した冷笑ではなく、グルディ・オーサ基地内で黒髪の少女によく見せていた間抜けな顔で部下を見る。
「意外にも戻って来ましたね」
「・・・・」
北方エスクランザ天王国から戻ったメアーより、少女の話題は貴族院議会でも取り上げられていた。フロウも個人的にエスクやメアーから問題の少女の詳細を聞いたのだが、状況的にガーランド竜王国から出て来るとは思っていなかったのだ。
黒竜騎士との婚約、北方天上人の巫女という地位、更に部下のエスクに、少女は不穏にもフロウへ宣戦布告をしたのだ。
国鳥、双頭鳥を示し、ファルド帝国騎士団への関与を匂わせた。これ程に不審な者は居ない。次に少女と対面するときは、その事を厳しく追求しなくてはならないのだが、それを想像したフロウは、何故か愉悦に口の端が上がる。
「更に朗報としては、巫女には奇麗な顔の男が供について居たとのこと」
「エルヴィーか」
エスクの肯定に、フロウはそれには内心ため息を吐く。誓約の決着。予定には無かったはずの、エルヴィーによる誓いの違約に彼の命を奪わなくてはならない。グルディ・オーサ基地内での規則に反したエルヴィーには、個人的に遺恨も何も無いのだが、これは誓約なのだ。
心の内ではもう二度と、ファルド帝国に戻って来るなと思っていたフロウは、問題の少女を自分に引き合わせた戦争被害者の青年との再会に将軍としての自分の立場を思い出した。
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「そういや、よくあの場で名乗る気になったな?」
医者の目で少女を隅々観察しながら話すイストに反応を示したのは、正面に座る少女ではなく、イストの後ろに立ったままのアールワールだった。この国でオルディオールの名を知らない者は居ない。人々の怨嗟に晒される、あの場所を選ぶ必要は無かったのだ。
「この交渉に、名を伏せる事は誠実さに欠けるだろ」
「・・・・」
表情を変えず平静を装うアールワールに対し、イストは妖艶に嘲るように笑って少女を見返す。
「誠実な、お前の口からはほど遠い言葉だよな?グランサー」
「・・・・」
双頭鳥、ファルド帝国では誉れとして使われる国鳥は、トライド国内では揶揄の象徴となる。その国旗を幼少期に裂いた事のあるオルディオールは、黙殺してイストを見た。
「馬鹿で間抜けでお人好し。この三つは詐欺師のカモの必須条件だろ?欺しやすいよな、トライドの田舎者達は」
振り返り背後のシオル商会を悲しい顔で見上げると、アールワールは玉狩りのように無表情に正面を見つめている。
「幹部から、揃いもそろってお人好しめ。だから未だにビンボーなんだよ。この国は」
「ところで、獣人が同行していると聞きましたが、彼等の他にも?」
野次を逸らしたアールワールの示した先、壁際と窓際から警戒心に医者を睨む外套の子供達に注目する。だがそれに直ぐには答えずに上官を見たエスフォロス。アラフィアが足を組んだまま、更に腕を組みアールワールを見た。
「他に同行者が居たとして、それは私の預かりには無い者だろう」
おそらく田舎の村よりも人が増える王都であれば、大柄な獣人、真存在の彼等はとても目立つし注目の的になるだろう。アラフィアも女性としてはトライド国内では大きい方だが、移動中は深く被る外套により遠目からは男にも見える。だが、ヴェクトと大きな翼を持つフェオは、外套で身を隠せるものではない。
道中の血生臭い狩りの獲物に辟易していたアラフィアは、トライド王都に入ってから入り口で居なくなった彼らに清々していた。
(元より部下でもないし、完全に管轄外だからな。このままどっかに行ってくれ)
(姉さん・・・、お疲れさま)
メイはそんなアラフィアを横目に、彼女が獣人に胃を痛めていた心中を察した。トライド国に入る前、アラフィアから大獅子ヴェクトと鷹豹フェオに、婚約者として人間を食べないように頼んで欲しいと縋られた事を思い出す。もちろん二つ返事で引き受けたメイは、効力が有るかは分からない〔お願いします〕を一応言ってみた。
(あの時の魔人と鳥男の顔。仮にも巫女として、仮にも婚約者としてお願いしたのに、鳥男はヘラヘラ人を見下して、魔人に関しては完全スルーだった)
怒りはふつふつと込み上げたが、メイ自身今は身体の支配権をオルディオールに託したまま、漏れ出ない様に慎重に頷いている。
(慎重に、慎重に。ぷるりんは本気である。先ほどの脱衣発言は、今までになく本気であった)
宣言と共に、腰紐に手を掛けて脅されたのは初めてだった。更に語調に本気を感じて今は過剰に慎重になっている。しかしメイが意識すればするほど、緊張感が無意識に身体を支配して妙な頷きが増えていたが、オルディオールは大人としてそれは見逃してやった。
「話を戻すが、長年、落人を研究していると言っていたな?」
「俺より前の代からな。ほら、スズ爺さんの話しただろ?爺さん、空から落ちて来たって、初めは皆ボケの戯言だと思ってたんだが、実際トライドに運ばれて来た当初、大怪我してたらしい。身体中には木の枝による無数の裂傷、打撲痕、凍傷痕、更に運良く森の泉が緩衝になって一命は取り留めたが、運悪く打ちどころが悪くて足は殆ど使えなかった」
身を乗り出した黒髪の少女に、イストはそれに頷く。
「仕事帰りに、突然投げられたと言っていた。そして空から落ちて、落下中に上空で何かに襲われたらしい。無数の塊が爺さんの口に入ろうとしたが、それを拒んで弾き飛ばされた先が森だったそうだ。俺はそれをガキの頃、おもしれーと笑って聞いていたが、実際に空から人が落ちて来る姿を、グルディ・オーサの森付近で見た者が数人居る。もう爺さんは死んじまったが、俺達はファルドにバレないように探ってたのさ」
メイはイストの話に自分の強い鼓動を聞く。鈴木を姓とした男の話は教会で聞いた内容よりも具体的で、まるで自分の体験にとても酷似していたのだ。そして同じ被害者の彼が死んだと聞かされる度に、胸が掴まれた様にギュッと苦しくなった。
「・・・その爺さんを切っ掛けに、トライドでお前達が落人を調査し始めた。グルディ・オーサの森を探ったということは、必然的に塵も探ったということだな」
「そうだ。女子供は大聖堂院に魔物だって言われて恐がってたが、俺達にとってルルと呼ばれた彼等は、五十年前の大魔法から発生した何かの残滓だと怪しんでいた。トライド兵士の涙だって感傷は、ファルドへの当て付けだけどな。グルディ・オーサ領では、落人の被害が他の地域に比べて格段に多い。更に魔物が出ると言って、人々を大聖堂院が遠ざけている。疑うなって方がおかしんだよ」
軍隊の結束を封じられたトライドは、ファルド帝国に秘密裏にシオル商会を編制し、森を調査し研究していた。
「塵を体内に入れることを拒んだ爺さんは、そこのブスガキと同じように正気だった。むしろ彼の存在は、トライドで医療の技術の発展となって、皆を助けてくれた」
ズキリ、何故か脈打った心に少女を強く感じたが、オルディオールは反応せずに身体を渡さず言葉を続ける。
「体内に入れなかった、」
「俺は今まで爺さんは、塵を入れないことで正気だったと結論付けていたが、ブスガキによってそれは覆った。ノイスにお前が生意気にも、誓約を持ち掛けてきた変貌を聞いたのは耳を疑ったが、再会したブスガキを観察しても、初めて調べた状態と何も変わらなく見えた。だがさっき鉄鋼屋で、塵がブスガキの口に入り込んだのを見た。それから自分が禍のオルディオールだと名乗り出したことで、塵が大掃上の残滓、犠牲者だとの確信には再び至ったが、ここで塵による落人化説は不完全になる」
「・・・・」
「ブスガキ、なんで無事なんだろうな?」
オルディオールは壁際に立つトラーを見た。エスクランザ天王国、数百年に現れる天上人は常にエスクランザ国に貢献していて落人化していない歴史がある。
(何故だ。天上人と呼ばれる巫女の初代は、精霊を宿していた。むしろ本人は失い、身体を精霊が支配していたと、皇子は言っていたな。それでも狂ってはいない)
「落人化して狂う者と、正気を保てる者の差が、塵を体内に入れるか入れない事ならば・・・」
メイにあって、メイに無いもの。
「魔素か、いや、空から落ちて来る天上人、その全てに魔素が無いのなら意味が無い」
東グルディ・オーサ領では、空から落ちて来る落人は狂って人を襲うのだ。落人の症状と深く関わる数字持ち、エルヴィーが過去の記憶に触れた瞬間に狂ったと思ったが、その切っ掛けのハーメイラ・ラルドハートにはもう反応を示さないし、エルヴィーにも魔素はあるのだ。
(俺が入ったメイは、初めから狂っていないし、今もそうではないし、落人化の兆候も無い。運動不足と常識外れはこいつの怠惰と個性、)
「爺さんも、他の空から落ちて来た者からも、魔素が無いのは調査済みだ。魔素は関係ないだろう」
「いや、これは重要な事だ」
「今は手札切れだろ。大聖堂院が仕組んでるかもしれないが、あそこには入れない。だらだらとそこに立ってる数字持ち、そいつが一緒にいてもオメーは答えを出せてないのが証拠だろーが」
「・・・・」
エルヴィーは大聖堂院の秘密を拷問でも話さない。洗脳か魔法による強制が掛かっているのは間違いないのだ。溜め息を吐いたオルディオールは、疑問をとりあえず終了させる。だが不満は顔に出たままで、まだ腑に落ちない少女の顔に、イストは別の疑念を口にした。
「揃わない手掛かりを探るより、俺にはお前と出会えて気になる事が、他にあるよ」
身を乗り出して、膝に肘を掛け顎を支える。女性であれば男を誘う艶があるが、口元は皮肉に笑い目元は嘲りに歪んだ。
「五十年前の兵士の肢体の実験、それに成功し実働した数字持ち、兵士の魂としてお前が存在する今、ここで気になる事はないか?禍の黒蛇、」
「・・・・」
〈なんだ?〉
勿体ぶり焦らすイストに対する黒髪の少女は、別の様々な疑問が浮かび選び出せずに沈黙するが、代わりに苛ついたアラフィアが話の催促に女の様な顔の医者を睨み付けた。
「〔こいつ〕の身体の回収だ」
〈!〉
「・・・・」
指された少女は、正面の男を平静に見つめる。イストの疑念に気付いた周囲はそれぞれに、嘗て英雄と言われた騎士団長を思い浮かべた。
「確かに、だが、」
アールワールは少女の背後に影のように立つ、数字持ちの男に目線を移す。
(ハーメイラ・ラルドハートという老婆の弟かもしれない、その情報と軍医クラインベール家が提出した数字持ちの資料を照らし合わせて、エルヴィーを件の老婆に会わせてみたが反応は何も無かったとの報告を受けている)
ファルド帝国で魔戦士の家族と思われる者から、大聖堂院が不自然に遠ざけた理由。その答えが出るかと期待したが、涙を流す老婆にエルヴィー自身は直ぐに立ち去っただけだった。
魔戦士、五十年前の兵士説は、正直アールワールには半信半疑のままだ。しかし禍のオルディオールと名乗る少女が居る以上、そのままにも出来ない。内心は首を捻る中、イストの話は続いた。
「数字持ちが五十年前の身体を、大聖堂院の魔法か実験で、動かした事の成功物証とするのならば、その使用目的として肢体回収に優先順位がつけられたはずだ」
「・・・・」
「俺が大聖堂院の者ならば、雑兵よりも指揮官と、ガーランド竜騎士の回収を優先させる」
眉間に皺を寄せたアラフィアとエスフォロスは黙殺し、イストは正面の少女を見据えた。
「だがまず、真っ先に愚かにも戦地に乗り込み率先して死にに来た、有名な騎士団長を探すなぁ、」
「・・・・」
「情婦ミルリー・プラーム嬢を射止めた男は、褐色の肌、黒の髪、珍しい朱金の瞳のいい男だったそうだ。ファルドでは珍しい色彩の公爵家が、この特徴を色濃く繫いでいる。なあー、黒蛇。お前が彼本人だと宣うならば、今のは噂通りなのか?」
オルディオールではなく、話が全く見えない少女の身体の主は沈黙し片方の眉を上げてしまうのみだが、彼等の話を聞く騎士達はイストの想定に息を飲んだ。
「精霊殿の、身体が魔戦士として利用されているかもしれない、ということか?」
零れたアラフィアの言葉に、エスフォロスとトラーは黒髪の少女を見る。だが、オルディオールと呼ばれる精霊が取り憑いたままの少女の表情は何も変わらず医者を見つめていた。
「そう、この懸念が頭に入ったが、こいつらのファルドの情報からも、残念ながら一切その噂が無い。俺がエミーちゃんなら、この黒蛇を真っ先にいじくり回してぎたぎたに切り刻んで捨ててやるが、英雄様の再来の情報はチンピラ連中からも宗教信者からも一切出て来ていない」
更にイストは、腕を組み不穏な表情の女竜騎士を見ると「それに竜騎士の噂もな」と、付け加えた。
「そこで一つ、玉狩りに質問だ。お前達は子供を作れるのか?」
(ルデア、エルビー?)
無意識に振り返ったメイは、彼女を見下ろした美しい青年の頬が少し赤く染まったのを見た。
「・・・作った事は無いけど、まあ、頑張れば出来るのかも」
少女に微笑んだエルヴィーに、オルディオールは顔を顰めてゾッとする。そしてこの状況に何の巫山戯た話だと、女男の医者を凄味無く睨んだが、会話の意図に気付いてつり目の黒目を見開いた。
「まさか、」
「英雄様の再来の噂は無いが、その落とし胤の噂は存在する」
オルディオール自身、珍しい自分と同じ色の瞳、褐色の肌、黒い髪を二度見た。
「大聖堂院、聖導士、オルヴィア・オーラ、そして同じく聖導士、クレイオル・オーラ。大聖導士エミー・オーラの父親の分からない娘と息子だ」




