04 観察 04
陽が暮れると、トライド王国は静まり返る。夜を照らす灯りが極端に少ないので建物は黒い影に変わり、ところどころに薄ぼんやりと夜の店と分かる標が浮かぶ。
しかし今日は暗闇の中に一ヶ所だけ、闇を明るく照らす場所があった。大通りよりも更に闇が濃い裏通り、その一つの店の軒先には、人々により多くの灯りが持ち寄られ未だ煌々と輝いている。
住民は集う光を囲み、いつもとは違う夜を祭りの様に賑やかに楽しげに声を上げていたが、柄の悪い男達の訪れにより楽しげな空気は一変した。十数人の彼等と対峙するのは、異国の天教院の信者の装束を身に纏う少数の者達。
トライド国民が決して逆らう事の出来ない破落戸達の組織に無謀にも立ち向かったのは、巫女を護る二人の従者だった。その従者は、あろう事かこの国の禍の名を発してしまった。
黒蛇、オルディオールの名を。
忌避すべき呪われし黒蛇、オルディオールの名に脅える者、唾棄する者それぞれが輪の中心を見つめる。遠巻きに囲む住民の輪を乱し、柄の悪い男達が更に四方の街道から次々に集い始め仲間を増やしていく。
厳つい破落戸達に囲まれた二人の従者を見て、不安を覚えたラーナが立ち上がったが王女の腕を引いた者がいた。それは異国より現れた少女、黒髪の天上の巫女メイだった。
「行かないと、私が彼等を止めるわ」
決意の王女に首を振った少女の足下からは、黒い猫がスルリと歩き去る。黒髪の少女はそれを自分が引き受けたと一つ頷くと、王女の前に進み出た。
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農耕を中心として国を維持していた穏やかなトライド王国は、利害関係に囚われず国を護る騎士と貴族の結束が強かった。家族会議の様な、奇譚の無い王制貴族会議で隅々まで国民の悩みに耳をかたむける。しかしファルド帝国という強大な力に屈し、搾取され、踏みにじられた五十年。過去の王政の失策は、ある男を信じた事だった。
強大なファルド帝国の双璧。
帝国の国旗、双頭鳥。王族の片割れと仰ぎ見られたエールダー公家、その跡継ぎとされる男に縋り、欺された事。
オルディオール・ランダ・エールダーは、トライド王の懐に入り甘言で唆した。大貴族が無欲にも、トライド王国の一貴族に過ぎない娘を愛する者と偽り、婚約の許可を王に願い出た事で純朴な王の懐に入ったのだ。エールダー公家とは、ファルド王族にも並ぶ大貴族。貴族院議会を代々仕切るのはエールダー公家であり、事実上のファルド帝国の支配者である。
その大貴族がファルド帝国との戦争の回避を餌に、属国となる事の承認をトライド王から奪った。そして迫る危機にトライド国民と騎士を、ガーランド竜王国の最前線に押し出し、ファルド帝国の盾に差し出したのだ。
あれから五十年。トライド王国は属国のまま、軍隊の放棄をし、ファルド帝国に恭順を示している。近衛騎士以外の軍隊の結成は、即反逆と見做された。
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凄み睨み付ける破落戸達に、アラフィアは腕を組み正面のシファルを見定め金の目を眇めた。トラーはただそこに立っているだけだが、旅装束の神聖衣を身に纏っていても鋭い殺気を放っている。数で圧倒する、並み居る破落戸を前にしても動じず、逆に威圧感を放つ二人の前にシファルは進み出た。
「ここが国に、見えますか?ここはただの通過点。ファルド帝国への通り道です」
整地された、ファルド国軍道よりも穴だらけの街道。瓦礫の街を指して、この国を護る破落戸は通り道と言った。背後からの耳打ちに、姿勢で彼等の素性が知れる。それに笑い声で周囲が呼応するが、アラフィアは更に目を眇める。
「トライド王より、全てはノイスの者に任せてあると言われたが、なる程。これがお前達の他国への礼という事だな?どうやら、自らの不幸に酔いしれる事で、客人の持て成し方も忘れたらしい」
「「!!」」
周囲を取り囲む住民達は、トライド王の名に驚く者と女騎士に嘲られたと怒る者と反応は様々だったが、対峙した破落戸達の空気は一変した。
軍隊の放棄による、ファルド帝国への恭順。それを強いられたが、真に国を護る者達は、飾りとしての王城近衛騎士には志願せずに、シオル商会という破落戸として身を落としたのだ。長年を費やし、今や本物の破落戸の代表格となっているが、シオル商会の幹部は元々は貴族の子孫、トライド王国を護っていた騎士の家柄である。
生まれ落ちてすぐに、親よりトライド王国の悲劇を身体に染み込まされる。貴族の誇りも立場も取り戻せずに、破落戸として戦争被害者の救済が本物の騎士と、それを矜持に国へ貢献する。
その彼等に、国を背負った他国の正規の騎士が自らの騎士の誇りを振りかざし、トライド王国の守護者達に騎士の在るべき姿を問う。ファルド帝国を否定するという意味の〔シ・ファルド〕。国を陥れたオルディオールを否定する意味の〔シ・オルディオール〕。シオル商会のシファルと、親よりその名を引き継いだアールワールは、目の前の他国の騎士達に傷付けられた、トライド王国の騎士達の怒りを解き放った。
「生憎、招待した覚えが無い。それに、私達の客人への持て成し方は、少々手荒いとは皆が知っている事だ」
殺気立つ男達は剣を抜き、名乗りも上げずに女騎士を斬り付ける。何度も躱され、続いて別の者が斬り付けるが、それは男の騎士に蹴り倒された。口火が切られた乱闘に、周囲からの怒号、悲鳴、脅える子供達を連れて騒然と逃げる親達。軒下でそれを見ていたラーナ王女が堪らず前に踏み出ると、この場に相応しくない少女の澄んだ高い声がそれを遮った。
「探り合いは無駄だ。交渉の場を用意してもらおう。それとも、この場で進めるか?」
喧騒の中進み出たのは、先程まで人々に見たことも無い食べ物を振る舞っていた少女。簡易の巫女装束は長旅様に誂えられて生地が厚い。頬の赤味も落ち着いて、少女はしっかりした足取りで二人の騎士の前に進み出た。その姿はまるで二人の騎士の主のように、貴族たる風格でアールワールと部下達を睥睨する。
「トライド王国、シオル商会、代表シファル。俺との交渉は、何かしらの成果によりと、話を保留としたはずだ。〔この成果〕を逃せば、お前達は本物の破落戸のまま、努力は全て無に帰すだろう」
神憑った巫女としての予言ではない。言われなくとも理解の出来る起こるべく未来の想定の一つに、シファルと呼ばれたアールワールは生意気な少女の顔を睨み付けた。少女の少し後ろには、この国を真に思う王族が不安げな顔で見つめている。
「シファル、以前は名乗らなかった、問われた俺の名を、今、名乗る」
「?」
シオル商会の本部の屋敷で、少女が以前に名乗った名前は〔メイ・ミギノ〕。意味深に、起こる全ての関係者だとそういった嘘でアールワールを翻弄したが、その後に調べた少女の裏は一切不明だった。
(推測するのは北方エスクランザ国の巫女。それも高位の巫女だろう。守護者として手練れの騎士を二人も付けている)
貴族にも王族にも、破落戸にも怯懦を示す事のない、天教院がお伽話で語る雲の上の天上人。
「オルディオール・ランダ・エールダー」
澄んだ声が発した名に、その場に居る全てのトライド国民は耳を疑った。黒髪の巫女の少女は、シオル商会頭取であるアールワール・ノイスを見据え、更に桜色の唇を開く。
「黒蛇オルディオール、お前達の禍とされる者。その者、本人である」
あり得ない。
誰しもが思うが、誰も否定をしない。それを背後で聞いていた、ラーナ王女でさえ理解が出来ずに小さく口を開いたままだ。破落戸の乱闘を恐れ逃げ出し、更に遠のいた人々は少女の声が聞こえたのか聞こえないのか遠巻きに眺めている。
(なんだと、)
少しの間を置き辺りから笑い声や野次が漏れ出すが、アールワールは少女を愕然と見つめたまま動けないでいた。
「頭、」
アールワールの側近である男の一人が指示を仰ぐが、小さな少女を見つめたまま動かない頭に焦れて、周囲は再び野次と怒号が飛び交い始める。更に禍の名に触発されて火がついた様に「殺せ!」と声が上がり始めると、アラフィアとトラーは少女を庇い剣に手を掛けた。
〈メイは任せる〉
[はい]
「まだだ。まだ交渉に至っていない。あれと、少し、話をさせてくれ」
「おまえら、生きてこの国を出さねえぞ!!」
少女の示した貴族の男はアラフィアにもこの場を仕切る者だとは分かるのだが、いきり立つ現状に呑気にそれを確認することも出来ない。大勢の男達の低い声、大きくなる怒声に、再び破落戸の剣は中央の騎士達、禍を口にした少女へ向けられ振り下ろされた。
ーーー「うるせえぞ!!!能無しども!!」
新たな怒声に憤ったまま振り返った男達は、離れた人垣の中から男が一人歩いて来るのを見た。怒り哮る自分達の邪魔をした、許されざる者の姿、だが近寄った人物の正体が分かると、破落戸達は一様に口を閉じ怒号と喧騒が収まった。
「っくそっ!・・・なんだ?」
振りかぶった剣をアラフィアに叩き落とされた男は、突然消えた仲間の声に彼等が見つめる先を見る。つられて少女も、破落戸達の間を裂いて悠然と歩く女を目にとめた。背が高い、肩幅も女性にしては骨張っている。違和感にオルディオールが方眉を上げると、それに反応したメイが口からこぼれ出た。
「スズサン」
「ぁあ?」
片方の眉を上げた少女の表情を見たトライド王国の町医者は、それを不愉快だと逆に睨み返すと、更に目を細めてシオル商会の頭取を睨み付ける。
「おい。ノイスのガキ。いい加減にしろよ。こんなクソ共を纏められないなら、今すぐシファルの名を返却しろ」
「・・・・、」
薄汚れた白衣の町医者の言葉に、貴族姿の破落戸の頭取は本来の姿を取り戻す。表情は出さないままにアラフィアを見つめると、心のこもらない形式的な無礼の謝罪を慇懃に述べた。そしてオルディオールを名乗った少女へ向き合う。
「オルディオール、その名を貴方から聞くとは思いませんでした。取り乱したことを謝罪致します」
「構わない。だが、不必要な無駄は省きたい。それで交渉の続きは、ここでするのか?」
軽く首を横に振ったシオル商会頭取は、部下の男に屋敷への道を案内させると言って彼等はその場を後にした。店先を照らす灯りは煌々とそのままに、人々の影は一人一人と減っていく。
「片付けようか」
「あ、そうですね!」
最後に残された者は、この国の王女と彼女の友人である飯屋の給仕の女の二人だけであった。
***
ーーートライド王国、ノイス家別邸。
「あった、うふ、」
若い青年に案内された屋敷の一室。訪れたことのある貴族の屋敷の客間で、アピーは自分が足跡に付けた印を暖炉で発見した。その後も町を探索していた様に、部屋の中で匂いを辿りながら自分の付けた印を探している。
「あ、これ、イグのかな?ヤグかな?」
〈もう少し、穏やかに事を進めてくれよ〉
〈了解、〉
〈ここはトライドで、先行した奴らとはファルドで合流。助けに来ない〉
〈了解、〉
〈スアハでさえ、大人しく見てたんだぞ〉
〈了〈だって、オルディオールにとりあえず見ててって、言われたからね。スアハは大人だからね〉
〈了解。〉
長椅子を一人占領し、長い足を組んで背もたれに凭れるアラフィアは、部下の忠言に適当に頷く。騒動が収まり人々がそれぞれ帰路に着く中を逆行して、状況を見ていたエスフォロスとエルヴィーはメイ達に合流していた。破落戸へのアラフィアの挑発、彼女達が柄の悪い男達に囲まれた状況に辿り着いた二人は、途中で回収していた震えるアピーを横道に置き、メイ救出の機会を窺っていたのだ。だがそれに突然割り込んだ、薄汚れた白衣の町医者により救出劇を奪われた。
〈〈!!〉〉
突然スアハとアピーが扉を睨んで後退る。二人の不審な行動に扉を警戒して身構えた。
〈おいおい、壁に耳があるぞ。デカい声で、機密情報をペラペラ喋んなよ。了解?〉
合図も無しに開いた扉から、女の様な顔の男が客間に我が物顔で侵入する。それを怪訝と振り返ったエスフォロスは「機密では無い」と、憮然と言い返した。
「そ?、別に構いやしないけど。ここにもガーランド語を話せる者は居るからな。有難い忠告はおまけだよ」
小卓を囲む椅子。その一つにどかりと座り、スズサンと呼ばれるイスト・クラインベールは、改めて正面に座る黒髪の少女の全身を見回した。
「なる程なる程な。確かに。〔奴〕が取り憑いた落人と言われれば、全てに納得がいく」
初めて少女が白狐によって、彼の診療所に運ばれて来た日に既に少女の身体を全て調べている。そこで魔素の感じられない違和感に気付いたが、少ないものと見逃した。
「俺の落人の見解。空から落ちてきた人の考察と、お前らが相手にしようとしてる数字持ち、その関連をここで披露してやろう」
「!?」
白衣に染みた悪臭に室内の客人達は眉を顰めていたが、町医者の言葉にオルディオールはメイの身を乗り出した。
「なんでお前が、」
「この男は我が国の軍医、クラインベール家の者。長く落人と魔戦士について研究している」
現れたこの家の当主、破落戸の頭取であるアールワール・ノイスは、町医者の背後に立つと少女を見下ろした。
「軍医、クラインベール家、」
アールワールと見つめ合った少女は一つ頷くと、イスト・クラインベールの協力をシオル商会との交渉の進捗と見た。短い足を椅子から浮かして、必死に身を乗り出す少女を見て笑ったイストは、次に少女の後ろに表情無く立っている美しい男に目線を移す。
「大魔法、大掃上により発生した魔物ルル。トライドでは兵士の涙の結晶と言われる彼等を、大聖堂院では塵として、それを数字持ちの失敗作、廃棄を使い塵拾いをさせている」
「・・・・」
「廃棄が塵と呼ばれる魔物を回収することで、今や玉狩りと認識されているが、大聖堂院の見解は廃棄が正解だ」
廃棄と呼ばれたエルヴィーは、それを知っても表情は変わらない。玉狩りと呼ばれる者は皆、既にその認識があるのだから。
「そしてお前、〔全てに関わる者〕とは、よく言ったな。黒蛇、オルディオール。天教院風に言うところの空から落ちて来る、天上人の身体に取り憑いて、それを落人化させる要因はお前の様に人に取り憑く魔物と俺は考える。まさに塵め」
イストに吐き捨てられたオルディオールは、自分の推測と照らし合わせ、それをほぼ確信とした説明に口の端が上がる。
「だが、お前の考察には欠陥がある。この身体、メイは何故、落人化もしないし狂いもしないのか。その答えはあるのか?」
(私、落人・・・。そういえば、ぷるりんて、オルデオールって名前なんだよね。オル・デ・オール?まさに、オルの申し子。オル好き。オル重ねすぎ。どんだけオルが、好きなんだ?親は、オルをネタにオル・デ・オールと名付けたのか?落人の私との出会いを見越した先行投資?まさか。オルがオールでオルが全てって事?・・・オール・デ・オール!モリモリ。盛りすぎ)
プスッ。
「今出て来たら、今、全裸になるからな。」
(!!!)
鼻笑いの後、黒目は本気でイストを見つめたまま少女の口が吐き捨てた。その脈絡の無い発言に、周囲は黒髪の少女を怪訝と注目する。目を丸くして可愛らしい顔でメイを見ていたイストは、鼻笑いに中身の少女を見た。
「ブスガキ、スゲーな。黒蛇を鼻笑いかよ」
「・・・・」
(・・・・)
憮然と口を引き結んだままの少女を見て、町医者は更に声を上げて笑い出した。




