この道の先に待つ者 02
騎士団からの尋問が終わり、二ヶ月に渡る拘束期間を経た。想像よりも長く拘束されたことに憤ったが、爵位の保持と男の釈放には大聖堂院の関与があったらしい。そう教えてくれた友人は、もう自分とは縁を切ると言って去って行った。
土地と館は国に奪われ、一族はそれぞれ財産を持って離散した。それでも新しい家は用意され、既に家族はそこに移っていたが、出迎えもしない彼等は男を見ると顔を顰めて出掛けて行った。
これも全て、男の招いた所為だと詰り、吐き捨てながら。
平民の集う密集した区画に与えられた家。彼等の〔ふり〕が出来ない妻や娘は、直ぐに破落戸に目を付けられて裏街に引き込まれていた。与えられた物に対価を払う考えもなく、貴族の自分達には当たり前の奉仕と受け取り借金を重ねたらしい。結果、その支払いに身を売れと脅されたそうだ。
跡取り息子は家の再興を掲げて平民を使役しようと試みたが失敗し、今はよくない商家の息子と連んで博打に明け暮れている。
狭い部屋を濁った目で見回した男は、田舎の別邸に踏み込んできた騎士の言葉を思い出す。
彼は、奴隷法により自分の子供達が奴隷に落ちる事は無いと言ったのだが、男には今の惨めな自分と、裸にして並べた少年少女達の違いが未だに分からなかった。
そして、自分を捕らえた騎士への恨み言だけを支えに、男はまだ生きている。
******
熱い、アツイ、滾るものに焼かれる。
〈ハァッ、ハァッ、ハッ、〉
目頭が熱くなり、スアハの碧い瞳は血が滲んで赤紫に染まる。内から湧き出る衝動に牙が疼き、目の前の白い身体にそれを突き刺し、今すぐ引き裂きたくなった。
しかし、獲物は何故か怯えて逃げずに、こちらに向かって白い細い腕を伸ばす。
〈大丈夫?〉
〈めい、〉
頭の片隅で、これは自分が守るべき愛しい少女だと過ぎるが、それは直ぐに渇き、せり上がるものに押さえられる。スアハは引き止める何かを振り払い、白い身体に飛びついた。倒れた衝撃に上がる高い声に満足し、柔らかい肌を舐めて堪能する。
『こら!落ち着きなさい!かっぱちゃん!』
脳裏に蘇る不愉快な異国語に、スアハは何かを思い出した。白い身体は愛しい少女の柔らかい肌。そして、無力な少女は生意気にこちらを睨み付けていた。
〈また言った!スアハ、『かっぱちゃん』じゃないの!かっこよくなるの!〉
毛小鳥族と自分を同じ扱いにする、愛しくて生意気な少女は、自分を頼もしい番だとは認めていない。スアハは我に返り、自分の行動を見下ろした。押し倒した身体に躊躇するが、もがき動き回る白い身体に、また身の内がこれをひき裂けとざわめく。
ふつり、と何かが途切れてしまった。
スアハは少女の四肢を抑え込み、呼吸に激しく上下する白い胸、薄紅の突起、細い首に脈打つ動脈を見定める。何処を食い破れば血が吹き出るか、それは経験上わかっていた。
ーーー引き裂く。
頭はその事に支配され、大きく口を開くと歯茎から伸びた鋭い細い牙が零れ出た。
『*、****ーーーー!!!』
甲高い悲鳴は、獲物がスアハに屈した証。気持ちは高揚し、満足に目を細めると白い首に牙を打ち込もうと顔を下ろす。だが、鼻の前を異物が掠め咄嗟に避けた。奇妙な水が少女の口に滑り込み、それを訝しむ次の瞬間、強烈に左頬を叩き付けられた。反撃する間もなく蹴り上げられて、少女の踵は下腹部の急所を掠めて腹に叩き込まれる。だが、無防備だったそこを深く強打されたことにより、スアハの意識が蘇った。
〈ハァッ、ハァッ、ハァッ〉
蹲ったままのスアハは、自分が衝動的に何をしようとしたかを全て覚えていた。大切な少女の気配を探り、彼女が立ち上がった事を音で知る。
(青い水、オルディオールだ、)
少女は今オルディオールに支配され、スアハを仕留めようとしているのだ。だがそれが分かっても、スアハは蹲ったまま動かなかった。
(メイ、スアハ、メイを、殺しそうになった、)
思う番を殺そうとした。その衝撃に身体が震え、悲しみに少女の顔が見れない。メイは当たり前の様にスアハを憎み、当たり前の様に殺すことに賛同しているだろう。そして同族に殺された無人の様に、スアハに怨嗟を喚くのだ。
「・・・・」
身を固め、縮こまったスアハは顔を上げる事無く少女の軽い足音を聞く。そして自分の後頭部に振り上げられた、少女の足に力を抜いた。
『ぷるりん!!』
強い叫びにメイの声を聞いたスアハは、耳鰭を逆立てて身体を強張らせる。振り上げられた片足は打ち下ろされる事無く、少女はスアハに近寄って来た。
(メイ、今のメイだ、メイ、)
ーーーごめんね。
〈ウウウ、うう、っ・・・〉
悲しみに咽が震え、嗚咽が零れる。
〈行こう〉
〈!?、?、っ、?〉
目の前に差し出された白い手、スアハを気遣う拙い南方言葉。それをそっと握り立ち上がるが、スアハはメイの顔をまともに見ることが出来なかった。
〈腕を上げる、足を上げる、〉
〈・・・・、・・・・〉
少女は身体の動きが鈍くなった少年の身支度を整えてくれると、手を引いて浴室から連れて出る。途中でフェオの気配を感じたが、スアハはそれに構う気力もなかった。
与えられた部屋に入り扉が閉まる。少女の黒い大きな瞳はスアハを下から覗き込んだが、少年はまともに見れず目を伏せた。
〈・・・・〉
個室は男だけの大部屋。初めは少女と同じ部屋が良いとごねたスアハだが、フェオに説得されて渋々この部屋になったのだ。だが、今はそれがありがたい。スアハは部屋の隅の寝台の隙間に挟まると、そこで身体を丸めて小さくなった。
**
〈よく堪えたと、言うべきか、〉
普通の子供が変異と同時に発情する事になれば、その場に存在する無人は、間違いなく殺されるだろう。あらゆる欲を刺激され、それが全て解放される。
(その年齢で、よく自制したよ)
オルディオールが叩き付けた事で目が覚めたが、精霊が辿り着くまで無人の少女を、殺さず耐えたのはスアハ自身なのだ。
スアハの変異の見届け、そして番候補が禁忌を犯す事の確認の為に待機していたのがフェオ。今の少女メイに手を出せば、他に番候補として名乗りを上げた者達が、罪人の断罪許可を得る。フェオは見えない場所からビリビリと気配だけ発するヴェクトの気配も感じていた。
恋する少女に性欲と食欲を強烈に発したスアハは、獲物を得る興奮を抑え、それに抗い耐え抜いた。正気に返った今、こみ上げる吐き気と罪悪感に嘖まれているだろう。今はもう、大獅子の殺気も何処かに霧散してしまっている。
(ん・・・?)
たたたたと、階段を上る軽い足音にフェオは顔を上げた。変異を遂げた少年を気遣い、黒髪の小さな無人が彼に食事を運んでいる。その姿に、鳥族の男は微笑みその場を後にした。
***
ーーートライド王国、南西の街道。
トライド王都に続く街道。古びた門扉には門番も居ない。石の瓦礫は朽ちた塀。舗装が穴だらけの道に壊れた空き家。小さな流民の村よりも悲壮感漂う町を見渡したガーランド騎士とエスクランザ騎士は、この国の現状に各々目を眇めた。
そしてこの現状に甘んずる、この国の王族と、彼等を支えるこの国の騎士団に何かを思う。
『この道通ったよね』、
「エルビー、ここ知ってます。私は」
「そうだね。たしか、王城へはあの橋を渡ると近道なんだよ。町を通らなくても行ける道」
少女に微笑むエルヴィーは、他にも壊れた建物を指さして町の説明をしている。
「詳しいな。お前」
エスフォロスの問い掛けに、玉狩りの男は「もちろんだよ」と頷いた。だが視線を素早く横にずらすと、エスフォロスもエルヴィーの目線の先に素早く構える。神官騎士に剣を突き付けられた男は、両手を上げて降参を示した。
瓦礫横の影から現れたのは、体格の良い厳つい人相の悪い青年だ。見覚えのある顔に、メイはぽかんと口を開けていた。
「何か?」
アラフィアの問いに、男は使いだと名乗る。メイの知り合いらしく、エルヴィーに用があると言った。
「この国の破落戸の一派だよ。前にミギノと来た日に絡まれたんだ」
エルヴィーは表情無く使いの男を見ると、男は不思議そうに見返した。
「お前に会わせたい者がいる。昼の刻に広場の鐘塔の下に来い」
「会わせたい者?」
言われたエルヴィーよりも、男に反応したのはアラフィアだ。彼女は自国の諜報〔鳥〕の情報により入手していた、破落戸の組織シオル商会を男に見た。精霊オルディオールからトライド国でのやり取りの詳細も聞いており、彼等と接触する事も今回の任務に含まれている。瓦礫の隙間に消えていった男を見ると、無反応なエルヴィーを振り返った。
「行かないよ。興味ないよ」
「いや、行って貰う。奴等の所へは、どのみち顔を出さないといけないからな。あちらからの接触だ、お前が先に探っておけ。こちらからはエスフォロスを同行させる。昼の刻まで間が無いな、一旦ここで別れよう」
「えー、」
「私達は先に王城へ向かう。メイを危険に晒したくはないだろう?先に行って探れ」
「・・・えーっ。・・・」
ただでは動かないエルヴィーの操縦法は、少女メイを匂わせる事だと知っている。「早くミギノ、連れて来てね」渋々了承したエルヴィーにエスフォロスが付いていくと、何故かそれを聞いていたアピーが彼等に付いて行った。
「いいのですか?」
アピーの同行をトラーが振り返ったが、アラフィアは放っておいた。大方、メイにへばりつくスアハと合わないのだろう。少し前は喧嘩でもしたのか魚族の少年とメイは距離を置いて歩いていたが、直ぐに元通りになったようで、間に挟まれる様に気を使っているアピーは大変そうだった。
「既に獣人は別行動だ。アピーもここは来たことがあると言っていたからな。大丈夫だろ」
「精霊殿と猫も付いて行きましたが」
「何?、」
メイと精霊オルディオールを離すなと、強くオゥストロに言われていたアラフィアは焦ったが、既に遠離った姿に頭を掻くと「仕方ない」と呟いた。
***
ーーートライド王国、天教院教会。
王城への通り道、先に現れた教会を素通りするわけにもいかず、形式的に立ち寄った。整備が行き届いていない町中に比べると幾分ましな教会だが、古く立て直しはされていない。ひびの入った石造りの大きな教会の扉を進むと、祭壇に続く中央の足下の敷石だけは比較的新しく、円の中に葉の模様が組まれていた。
天井の硝子窓から陽が射し込み、ちょうど光がその葉の敷石を照らす。祭壇前の礼拝者が降り注ぐ光に照らされる形となり、厳かな雰囲気が演出されていた。
礼拝が終わり外に出ると、教会の敷地内の半分以上を占める森と畑の奥から土だらけの者が顔を出す。よくよく見れば、彼女が身に纏うものは天教院の巫女衣装で、あまり背の高くない少女は第四王女のラーナだと名乗った。アラフィアは驚愕に王女を見下ろしたが、直ぐに正式な礼を取る。王女は笑いながら父王が直ぐにやって来ると伝えると、メイとスアハを持て成すと連れて行った。
トラーは少し離れて警護に辺りを警戒している。様々な衝撃を一人でやり過ごしているアラフィアは、王女と同じく土まみれで登場したトライド王に礼をすると、彼は笑ってそれに応えた。
壮年の王は身体はがしりと大きいが、やはり威厳は全くない。更に国政は全て王城の貴族に任せてあるとの事だ。ガーランド国との同盟の意思確認の書状に目を通した王は、悩むことなく軽く頷くと、それを「ノイスの者に渡してくれ」と言った。
「国防は、彼の一族に任せてある」
牧歌的を通り越し何処か無責任を感じたアラフィアは、ガーランド竜王国とファルド国の戦争の気配を前に呑気な王を訝しむ。表情には出さなかったはずだが、それを見透かした様に王はガーランド竜王国の使者を見た。
「遠路遥々とご苦労。あいにく私はこんな有様だ。ファルドからの使者もそうは訪れない。ゆっくりとして行くといい」
**
(何なのだ、)
肩透かしを食らい、あまりにも情勢への関心の無さに憤りさえ湧き出たが、仮にも王族にその憤りを表すことはしなかった。だが脳裏にふと過ぎるのは、農村の娘の様な王女と戯れる巫女には見えない少女メイの姿。
(こちらも、他国の事は言えないか・・・)
それに笑いが零れると、向かう先には王女の姿はもうなかった。トラーの見つめる少し先、彼に警護される少女メイの傍にはスアハも居なく、魚族は不自然に少し離れている。
(珍しいな、魚のガキが離れるなんて)
碧い瞳が睨むのは女の様な顔の男。メイの隣に立つ者、染みだらけの医療衣に身を包んだ彼の職業は分かったが、男に近寄り異様な臭いにアラフィアは眉根を顰めた。
(なんだ、この臭い、)
王の前では無いので今は変装に天教院の口当て布をしているが、それでも異様な臭いは鼻につく。薬のような、強い香水の様な、身体が拒絶をする臭い。
「メイ様、こちらの方は?」
「スズサン、お医者様です」
女の様な顔の男はアラフィアを見て目を眇めると、挨拶もせずに行けと少女を手で払った。仮にも天上の巫女に対して失礼な態度に憤ったが、獣人に関わるアラフィアの心は今は相当に広くなっている。装う従者のままに礼をすると、無礼な医者を構わずにアラフィアはメイを連れて教会を後にした。
***
ーーートライド王国、花の鐘塔下。
昼の刻を知らせる鐘が鳴り響く。
大きな広場の沿道では、出店がぽつりとぽつりと点在する。活気があるわけではないが、沈んだ空気が漂う町の中では人が居る方だ。その中、鐘塔の下に開かれる茶屋の一席に座っていた老婆は、美しい青年が現れると曲がった腰を椅子から上げた。
ガタンと倒れる音に周囲の客も振り向いたが、老婆の蹌踉めきだと分かると直ぐに関心を無くす。だが老婆に手を貸した連れの男も、無表情な美しい青年の顔を食い入るように見つめていた。
「グライド兄さん?」
中年を過ぎた男に兄と呼ばれたエルヴィーは、それに何の反応も示さない。僅かな無言の刻が流れたが、皺だらけの顔の中で、自分と同じ色の目を見開いて熱心に見つめる老婆にエルヴィーは口を開いた。
「僕に要件があるとか。何ですか?」
無感情に放たれた言葉に、男はがっかりと口元を下げたが老婆は青年の姿を見つめたままだ。
「・・・、・・・・」
「あんた、いや、その、グライド・ラルドハートさん、知りませんか?」
飲み込んだ言葉、話さない老婆の代わりに男が質問を返すが、答えにエルヴィーは首を横に振る。
「ハーメイラ婆さん、この人だよ、聞きたいこと、ないかい?」
老婆は言葉を発さずに、ただ青年を見つめるだけ。焦れた男はまた代わりに質問を繰り返す。
「この人は、ハーメイラ・ラルドハートさんて言うんだ。昔、貴族の屋敷で働いてたんだけど、あんたの親戚に、ラルドハートって人はいないか?」
またエルヴィーは首を横に振る。そして過ぎた刻に「もう、いいかな?」と、踵を返した。
「あの!あんたの名前、四十五ってあだ名だよな?名前はなんて言うんだ?」
振り返ったエルヴィーは少し考えた様な顔をしたが、足を止めて男を見た。目が合った男は、見れば見るほど思い出す昔の記憶と、優しかった青年の表情の違いに落胆する。
(やっぱり、全然、似てねえかも)
男の知るグライド・ラルドハートは、気の弱い人の良い青年だった。顔の良さで悪い女に騙される、とても頼りない青年。だが、誰にでも優しくいつも穏やかに笑っていた。
目の前の青年の様に、人形の様な目を他人に向けた事は無い。
「確かに、四十五はあだ名だね。他に名前もあるけど、教える意味、無いよね。・・・まあ、ラルドハートでない事は確かだよ」
昼食の鐘が鳴っても風通しの良い茶屋。立ちながら話していた青年は、注文をすることなくその場を後にする。だが不意に止まった足は、青年を見つめたままの老婆に向かった。
「・・・・・・・・」
腰掛けた椅子。手すりを握りしめた老婆の皺だらけの手の上に、美しい青年は自分の若い手の平を重ねる。驚いた付き添いの男を余所に、老婆は懐かしい青年の顔を、涙目に焼き付けた。
「・・・・・・・・」
言葉は無く、表情も変わらず、離された手は老婆を置き去りにすると、風が通り抜ける店を後にした。




