ある魂の誤算 02
穏やかな波を見て、自分が波に理不尽に苛ついていると気付いたエスフォロスは、逸る気持ちを紛らわす様に船室へ戻る。無理やり乗り込んだ船の客室は満席だったが、三刻程で目的地のプルムの港へは到着するのだ。焦り苛ついても状況は変わらないので、とりあえず船内で落ち着く事にした。
〈巫女様は無事でしょうか・・・。私は自国でも王都以外から出たことが無く、南方の事はあまり知識がありません〉
エスフォロスの座る長椅子、その近くに立ったままのトラーは当て布越しに呟いた。男の顔は常に目だけしか見えないが、今は不安が滲み出ている。
〈まあ、港から出なければ問題ない。行き違いで赤の港へ戻っても、第六の砦の奴らが捉まえる手はずだからな〉
そう、問題は南方大陸の、プルムの港から出ていなければの話なのだ。間抜けで想定外の行動を取る少女メイは、エスフォロスに信用が無い。
〈プルムの港は、確かガーランドと北方の者達が出入りする宿場町と聞きましだが、広くはないのですか?〉
〈ああ、赤の港町と同じ位だ。大して広く無い。宿屋も割と立派なのが数件あるだけだし、探すのは問題ないな。・・・港に居ればな〉
歯切れの悪いエスフォロスに、トラーはその内容を問う。トラー自身、自分の失敗のせいで巫女の少女を見失い相当に焦っていた。しかもここは慣れたエスクランザ国内では無い。情報は些細なことでも全て手に入れたいのだ。
〈赤の港には、飛竜を入れない協定がある。南方でも、同じようにプルムの港町に飛竜は入れない。だが南方大陸ではプルムの港で人は絶対に守られる。それがあっちの大陸の協定だ。だがプルム以外にはその協定が及ばない。・・・確かあんたんとこも、同じだよな?死刑囚の連行場所〉
見上げたエスフォロスは、薄茶色の目だけしか見えないトラーへ犯罪者の末路を示す。それを察したトラーは悪い想定が頭を過ぎった。ガーランド国と北方では、南方大陸への国交の協定に死刑囚の送致がある。
国内外で犯罪を犯し死刑を宣告された犯罪者は、死刑場所として二国から南方大陸へ送られる。北方などは血の穢れを嫌うので、その制度をむしろ歓迎していた。地の下と呼ばれる騎士達も、それで必要以上に穢れないですむと。そしてプルムの港とは別の港へ送られる死刑囚は、全て南方人の食糧となるのだ。それは三国の協定が結ばれた遥か昔から変わらない。
〈まさか、脱走犯が居るのですか?〉
〈違う。プルムの港へ逃げ延びた犯罪者も、協定に保護されてガーランドへ送り返される事にはなってるらしいが、過去一度も、送り返された事は無いはずだ。南方の奴らは縄張りに入った部外者を只で逃がさない。問題は犯罪者じゃなくて、プルムの港から一歩でも森へ出てしまえば、協定が効かないってことだ〉
〈まさか、巫女様を犯罪者と同じに!?〉
頭の片隅にも無かった。トラーにとって考えられない現実は考えられないのではなく、考えてはいけない内容だった。
〈森へ出れば、獣人以外の人の扱いは死刑囚と同じ事だ。まあ、普通に貨物船に乗って、普通に港内を彷徨いてくれていれば、問題ない〉
[・・・・、]
エスフォロスの不安は、トラーにも経験がある。天上から降りてきた巫女姫は、エスクランザ国の常識が及ばない事が多々あった。アリアの膳を自分の物と取り替えたり、全裸で守護騎士達の前に現れて平然としていたり、挙げ句に穢れと言われるトラーに気軽に触れたりするのだ。
〈しかし、巫女様には精霊殿がついています。巫女様の守護者である水の精霊殿は、とても世情にお詳しい〉
〈でも、なんでか船に乗っただろ?これが意味ある行動なら不安は無いが、港での目撃者とかの話では、海を何度も覗き込んでたって言ってただろ?あれ、まさかとは思うが、精霊、落としたとか・・・。無いとは思うが、はは、まさかな〉
[・・・・・]
空元気に笑ったエスフォロスに、それを完全に否定できないトラー。お互いの不安を募らせた二人の男は、窓の外、心を穏やかにするはずの波を見て、何故か理不尽に苛ついた。
******
見上げた大きな獣人に、オルディオールは素早く距離をとる。身構えた小さな少女に男は金の目を細めて、柔らかい肉の獲物をどう捌こうか想像に笑った。
〈ここ暫く、何処からも貢ぎ物が贈られて来ることはなかったし、北の浜にも船が入ってない。と、いうことは、プルム町から零れ出た極上品か。なる程、その不吉な臭いは飛竜の加護か。飛竜に護られる程の立場の子供か。素晴らしい〉
高揚する男の言葉に呼応して、木々の中から高い笑い声の様な鳴き声が響く。その声にオルディオールは囲まれた数を想定し、素早く腰から革の帯を外す。少女の行動に自ら屈服を表し衣類を解くと思った男は微笑んでそれを見ていたが、革の強度を確かめる様に木を叩き付けた姿に眉を顰めた。鞣す様に何度か大きな音を立てる少女の行動に、姿無く周囲を取り囲む者達も不審を募らせていく。
〈頭はここに居る?ここに呼べ〉
可愛らしい小さな唇からは、想像通りの澄んだ少女の高い声。しかし拙く話す言葉は生意気にも命令だった。しかも鞣した武器とも呼べない代物を、目の前の大きな男に突き付けたのだ。この滑稽な姿に周囲は笑い、男も困った顔で見下ろす。
〈早くしろ!ヴェクト!屈服の声を聞かせろ!〉
〈これは迷い人だろ?長達に引き渡せ!〉
〈ここは俺達の森だ!審議は無いぞ!〉
〈見つけた順番ならば俺達の海が先だ!〉
〈それを言うなら海より上から見ていたぞ。俺達が先だ〉
周囲から次々に声は響き、〈黙れ〉とヴェクトと呼ばれた男は静かに言い放つ。
〈それで撫でてくれるのか?やってみろ〉
男の腰に漸く背が届く程の少女。虚勢に掲げあげた憐れな革帯を、低い目線まで屈み慈愛の瞳で見下ろした。正面に見据えた少女の黒い瞳には揺れは無く、強がったままヴェクトの提案にはっきりと頷くと片手は上がる。
ーーービシィ!!!
空を切る音に続いた強い破裂音。躊躇いは一切無く打ち下ろされた革帯に、それをまともに左頬に受けたヴェクトだが、傾いだのは首だけで屈んだ姿勢はそのままだ。静まり返る周囲を余所に、ヴェクトは首を一つ回すと少女を見据える。金の瞳はもう笑ってはいなかった。
〈次は、どうする?〉
同じ様に強く見返す少女は、首を傾げて男に問う。そして手に持った革帯を、もう片方の手の平に軽く叩いた。生意気な少女の姿を同じ姿勢のまま見ていたヴェクトは、赤い筋から流れた血の付いた頬では無く、奇麗なままの右頬を顎を上げて差し出す。
〈やってみろ〉
頷いた少女はもう一歩下がると、今度は振りかぶらずに下から細い腕を振り上げた。革帯は空を鋭く裂き差し出された右頬を狙うかに思われたが、それにヴェクトは飛び下がった。そして空振りに打ち上げられて戻した帯を、素早く正面に据えた少女を睨みつける。
(なんだ?、このガキ、今、俺の急所を狙いやがった、)
少女はヴェクトに目線を向けているが、周囲の全ての気配を探っている。小さな全身から放たれる隙の無い気配に、それを影から見ていた男はあることに気が付いた。
〈ぶれを感じる〉
〈長?〉
木の影、地長の呟きを聞いた者が反応したが、長は小さな侵入者を眇めた細い目で見つめたままだ。その背後に空から大きな翼を持つ者が舞い降りた。
〈空長は審議を要求します〉
〈フェオか、耳が早いな〉
翼を持つ青年を獣族の地長エイグは振り返る。空から舞い降りた鳥族の青年の後ろから、魚族の使いが来るの見て審議会の招集に了承を頷いた。
〈ただの獲物では無い。あれには〔ぶれ〕がある〉
エイグの聞き慣れない言葉に、周囲の者達はそれを確かめようと侵入者を再び見た。木々の切れ間、少女の背後の陽の当たる岩場の下は崖になっている。飛び込む海は遠く逃げる場所は無い。辺りを取り囲む木々からは、獣人達が目をぎらつかせて久しぶりの獲物を見ていた。
儚げで頼りない無人の少女は、想像よりも威勢が良い。獣人でさえ尻込みする大獅子のヴェクトを怖れずに、彼に手向かいまでしたのだ。地長の大獅子エイグが統治する地の部族は、地の頂点に立つ者たち。彼らに手を出す種族は殆どいない。
海の部族、空の部族も久々の侵入者に獲物を取り合おうと乗り出して来たが、今やヴェクトを叩き付けた無人の少女に別の興味を示していた。
南方大陸の浜から森に輸送されて現れる無人は、一様に汚く圧倒的に男が多い。彼等は陸に上がると形振り構わず逃げ出して、手向かう者は知性も品性も無く暴れ回る。中には媚びへつらって力有る者の庇護下に入ろうとする者もいるが、それは本当に希なのだ。別大陸で番として連れて来たり、獣人が気に入って故意に攫う以外で森で生きる無人はいない。
しかし、自ら森へ侵入した少女は、そのどれとも違う。獣人達は食糧として見ていた少女へ、違う興味を持ってヴェクトとのやり取りを見つめていた。
〈面白い。その自信、何処まで続くか見届けてやろう。だが、愚かな無人の子供。ここにはお前を護ってきた、飛竜は来ないと絶望を知れ〉
囚人では無い、育ち良い少女の全身にこびりついた飛竜の臭い。それはヴェクトが嗅いだ中で一番嫌なもの、力強い雄の竜の気配。飛竜と出会った事のあるものならば、この臭いだけで恐怖を感じるだろう。ずる賢い少女はそれを知っていて、獣人を甘く見たのだ。飛竜に縋って愚かにも地の部族が支配する森へ侵入した無知な者に、希望を絶ってやろうと言い放ったが少女は何の反応も示さなかった。
〈お前は頭では無い。早く、頭を呼べ。この地の王、呼べ。分かる?お前では無い。王。頭〉
ーー〈〈〈!!〉〉〉
少女が繰り返した言葉に、地の部族は息を飲んだ。ヴェクトは地長エイグの弟、最も長に近いがエイグに挑んだ勝負に負けて彼の下に甘んじている者なのだ。敗者の屈服に同情は無いし、その屈辱に鞭を打って蔑む事もしない。これが南大陸の暗黙の了解だが、敗者は常に屈辱を胸に秘めて生きるのだ。そして次の機会を狙う。他部族の、しかも最弱の無人にそれを言われて、生かして残す獣人はいないだろう。
〈・・・頭、な、〉
自分を蔑んだ少女をいたぶり殺そうと決めたヴェクトは、走り寄り背後に回ると軽く背を突いた。思ったよりも手応えがなかったが、少女は前方に転がり込む。そして素早く立ち上がり革帯をヴェクトへ打ち下ろした。渇いた破裂音が数度鳴って、それは全てヴェクトの腕に響いたが、攻撃というにはお粗末な当たり。再び大きく振りかぶった少女の革帯を捉えて掴むと、それを引っ張り放り投げた。
「ちっ、」
帯を放さない少女は宙を舞い、ヴェクトが軽く下ろした腕の先へ飛んでいった。その間、少女の口から水の様な青い塊が飛び出して、ぺしゃりと木の幹に当たり落ちる。地面に打ち下ろされた少女はピクリとも動かなくなった。
〈あれは!?〉
周囲の者達は、青い塊を見逃さなかった。拳ほどに纏まると、玉は動いて少女へ向かう。半透明の青い玉、中にはきらきらと金色の光が輝いていた。
〈精霊だ!〉
〈形に成っているぞ、珍しい、〉
〈長、あの無人の少女、精霊の使いなのでは?〉
〈希なる者!〉
倒れた少女を見下ろしたヴェクトは、明らかに寝たふりをして逃げた少女に嘲りを笑う。
『・・・・、』
〈・・・ん?〉
だがヴェクトは、そこで少女の些細な異変に気が付いた。見開かれた黒く大きな瞳は、恐怖に怯えて全身が震えだした。そして寝そべる少女の顔に青い塊が近寄ると、それは口の中に滑り込む。
〈精霊を、食べた?〉
〈ヴェクト、そこまでだ。その者は三部族で審議する〉
振り向くと長のエイグが進み出る。その後ろには空の部族と海の部族の長の使いの姿があった。逃した獲物に後悔を残し、進み出たエイグにヴェクトは一歩後ろへ下がる。
〈水の〔精霊〕、いや、外の呼び名は精霊か?〉
問われたオルディオールは、聞き慣れたそれにニヤリと笑った。
〈レリレウトとは精霊?分かった。精霊、俺は精霊〉
エイグは頷き、ヴェクトは怪訝に沈黙を保っている。周囲からは初めて目にした精霊付きの無人に驚嘆し、ざわめきが聞こえ始めた。
〈塊に成った精霊は初めて見たぞ〉
〈長の言う〔ぶれ〕とは、精霊付きの事だったのか、言われてみれば、確かに違和感があるな〉
〈ああ、微かだが、気配にずれを感じる〉
遠巻きに少女を見つめる者達は、飛竜の臭いにより気配の違和感に気が付かなかった。それをエイグは見ていたのだ。
〈精霊、何故ここに来た?無人との協定では、お前は侵入者として我々の領土を侵したのだ。それを罰しなければならない〉
オルディオールは南方とガーランド国の決まり事には詳しくない。南方へ来る予定も無かったので、敢えて学ぶ事もしなかった。しかし領土侵犯を問われてそれに納得する。
〈間違い。俺は売られる事から逃げた。これは間違い。すまない。すぐに出て行く〉
精霊の拙い言葉にエイグは首を横に振る。
〈簡単には出られない。お前は私と他の長で処遇を決める。森を侵した罪はそこで審議をする。付いてこい〉
エイグに背を向けられたオルディオールは、周囲の気配に逃げられない事を判断し、取り敢えずそれに従い歩き出す。だがプルムの港から一刻ほど歩き、集落が見えた頃に取り囲む者達から懸念の声が上がり始めた。
〈長、このまま入られるのは不味い。竜の臭いが強すぎる〉
頷く者達と共にエイグは少女を見下ろすと、空から男が舞い降りて来た。
〈地長、泉の集落はどうですか?あそこは三部族が出入りするし、鳥族は毛小鳥が多い。あの子達、多種族の臭いは気にしませんよ。聖なる水で洗い続ければ、この臭いも消えるのでは?〉
〈そうだな、あそこは蛇魚も出入りする。彼等は竜に強い一族だったな。ならば泉の集落で捕らえよう〉
〈俺は監視に付きます〉
〈蛇魚からも誰か付けよう〉
男達の納得に、少女の進む道は細い獣道へ変わる。更に一刻ほど歩いた所には、澄んだ泉と大きな木があった。
「凄いな、良い場所だ」
少女の東語の呟きに、それを知る鳥族の青年は振り返った。
「だろ?ここは聖なる泉。泉の中央の巨木は大精霊が居るんだ。彼等がこの土地を護ってくれる」
淀みない東語に、精霊付きの少女は目を見開いた。そして馴染み有る言葉に微笑む。
「今は役目があるけど、俺も別大陸に出るからな」、
[エスクランザ国にも行くつもりだ]
切り替わった北方語に、鳥族の青年の出国の熱意を知った。
「俺は・・・メイ・ミギノ」
「鷹豹のフェオ。それはどちらの名前だ?水の精霊?」
「いや、メイは宿主、俺はオルディオールだ」
それにフェオは「なら今はオルディオールだな」と、頷いた。大きな木の泉を過ぎると小さな集会場と小さな民家が数件並ぶ。この場所は地の部族、空の部族、海の部族の三部族が泉を訪れると立ち寄る中立の場所だとフェオは説明した。
「ここには立ち寄る程度で殆ど皆は居着かない。長の審議はもっと森の奥で行うし、聖なる木の力が強いから木に酔う奴は来ない。この場所に好んでいるのは力の弱い毛小鳥族くらいだな。あとは海の部族の子供達は成人までは遊びに来る」
話しながら案内された場所は木で造られた小屋、手狭だが少女が一人滞在するには十分だ。
「長の決定が出るまでは、ここに居てもらう」
「どのくらいかかるんだ?」
「分からない。まあ、花が芽吹く前には決まるだろ」
今はまだ年を越した天起月の末月頃、花が芽吹く次の春生月までは五十日以上かかる計算になる。それにオルディオールは焦燥したが、表には出さずに状況の見極めに沈黙した。
「あそこに実が生ってるだろ?食っていいからな」
突然フェオから一つの木を指され、そこに生る実の収穫を許可された。それを機に鳴り出した少女の腹に笑うと、フェオは木の登り方に手を差し出す。
「この枝は落ちないから、ほら、飛び乗っても大丈夫。手を出せ」
言われるままに鳥族の手を掴むと、少女を引き上げた男は驚きに目を見開いた。
「重いな、」
「お、おい、」
女性に対して失礼な発言。だがメイは意外にも沈黙したまま出て来ない。オルディオールは、驚愕に少女の身体をしげしげと見つめるフェオを横目に、撓わに生った瑞々しい果実の一房を千切ると木から降りる。
少女は木の実を貰う感謝の会釈を目線ですると、甘い実を皮を剥いて一つ完食した。その全てをフェオは興味深げに見つめている。
「もういいのか?一つではその重みは維持できないだろう?」
「構わない。残りは後で頂く」
度重なる失礼なフェオに、オルディオールは自分の身体では無い少女の無言の憤りを感じる。いつ何処で、おかしな爆発により、おかしな行動に出るかは分からないのだ。それは最近の北方での、皇子を虫のように踏もうとした事実がある。突然の身体の支配権の交代、これは全てメイという少女の心の匙加減に因るのだが、人の心情や弱味を見透かす事が得意なオルディオールにも、未だメイの沸点だけは分からない。現状、ここまで体重を異性に揶揄されているのに、不気味な程に沈黙を保っている事も理解が出来ない。
(俺は女では無いが、これは普通、男でも肥満は丸いと直接言われて、いい顔をしない内容だと思うが・・・)
ガーランドでは年明けの宴席で、メイが第二砦の隊長を〈丸!〉と連呼した事により場が荒れた。肥っていると公に罵られたフランシーは笑いでその場を収めたが、本人は傷付いていたとオルディオールは観察していた。
(・・・・・・・・)
漏れ出る鼻歌も怒りも感じない。もちろんオルディオールが起きているので寝てもいない。メイにオルディオールが訝しんでいると、不意にフェオは手を打ち合わせた。そして小屋に入ると寝台に寝転んで背中を踏めと言ってくる。
「・・・何でだ」
さすがに意味が分からない。疑惑の目でうつ伏せに寝転がる鳥族を睨み付けると、フェオはいそいそと大きな羽の重なりを広げて腰を出した。
「腰骨を軽く踏んでみてくれ。フミィ達、女の子の毛小鳥だと軽すぎて意味ないし、かといって男だと重すぎなんだよね。女の子で重みがあるって貴重だよ」
「・・・・」
(・・・・大丈夫なのか、こいつ、え!?あれ!?)
「分かりました。踏みます」
(・・・漏れた。メイが出てる、)
ふみふみふみ。
ふみふみふみ。
〈はあっ!いい!腰!この重み!〉
「・・・・」
(・・・・はぁ、まあ、やらせとくか。いつ鳥の腰骨を踏み砕くかは分からんが・・・)
謎な少女にこの場は任せ、オルディオールはこの後を考える。獣人の長の決定に関わらず、速やかにこの国からガーランド国へ戻らないとならない。今は年を明けてまだ一月ほどだが、ガーランド国へ魔戦士を投入したファルド帝国の状況は、着々と東大陸統一へ進行しているはずだ。
(騎士団長のフロウがどうなっているか分からないが、水面下でのガーランド国との和平交渉はしている。捕虜になったフロウの部下も魔戦士投入を知らなかったとエミハールが言っていた。なら少し様子見があるか、どうか、)
年内に再び大聖堂院は大魔法を使ってくる。その刻が不明の今、オルディオールは早くファルド帝国へ戻りたかった。ファルド国外では、極端に情報が少なすぎるのだ。
(ガーランド国との交渉後は、速やかにトライド国かファルド帝国へ戻るつもりでいたが、予定外に北方と南方に遠出する事になってしまった。早めに軌道修正をしなければならない)
内心の焦りはあるが、オルディオールにとっては南方大陸も獣人も未知の領域である。東大陸では奴隷として貴族に飼われる事が多い獣人だったが、ガーランドの港や現地の南方の獣人達は、ファルド帝国で見かけた従順でか弱い者達と大きく全てが違う。そして一番気をつけなければならない事は、彼等の規則の基準が分からない事だ。迂闊に行動し、取り返しのつかない事態になりかねない。
(いや、もう既に、なにやら焦臭くはあるが、即死刑とならなかっただけましか)
少女に踏まれ奇声を上げる、ファルド帝国では見たことも無い鳥の獣人。そして背の高いガーランド人よりも大きい凶暴な獣人達。数日間は大人しくフェオと行動を共にしていたが、その内に魚族のスアハと名乗る少女が現れメイに興味を示すようになった。
〈メイ!!ダメダメ!こっちにきて!〉
スアハは毛小鳥に夢中なメイを見つけると、それから引き離し手を引き集落を回る。子供の遊びの様なやり取りの数日間、その間にも地の部族は現れてメイと精霊オルディオールを監視していた。
何もしない。
彼等はただ精霊付きの少女を観察しているだけだが、オルディオールは気を抜かずに様子を見ていた。
**
〈お前の処遇が決まった〉
その日は観察では無く、現れたエイグとヴェクトは集落の集会場までやって来た。地の部族から距離を置いたスアハにメイが別れを告げると、オルディオールは毅然と二人の前に進み出る。
臆すこと無く二人の大きな大獅子を見上げた少女は、本人の意思確認の無い理不尽な決定に耳を傾けた。
〈精霊付きの無人の子供。お前は地の部族の俺の庇護下に入れる。成人すれば、三部族で決闘し勝者にお前を与える事にする〉
それに晴れやかに微笑むと、軽く一つ頷いた。エイグは自分が与えた慈悲に感謝したのだと微笑み頷く。付き従ったヴェクトは、歯向かうことなく笑う少女を訝しんで見下ろしていたが、彼は長の決定に意を唱える事は無い。立ち去ろうとするエイグに、少女は〈ここに住みたい〉とだけ口を開いた。
〈お前はこの場所で、聖なる木に竜の気配を完全に消してもらうのだ。宿る水の精霊も、泉の浄化で本来の力を取り戻すだろう。今は無人の気に塗れて自然の力を感じない。花が芽吹く頃には地の部族の集落で住めるだろう〉
言われた少女は微笑み返し大獅子を見送った。地の部族が遠離ると不意に手を握られた黒髪の少女は、同じ様に笑顔で見つめる蛇魚の少女の不思議な瞳を見た。
「お前、まだ居たのか?早く帰れよ。親が心配してるぞ」
〈よかった。大獅子に独占されなくて。海長頑張った〉
〈よかった?〉
良くは無い。オルディオールはこの場を笑顔でやり過ごしたが、先ほどの宣告は生涯この南方から出さないというものだった。
(さて、どうやって、逃げるかだが、)
〈スアハも決闘するね!メイは海で一緒に暮らそうね!大獅子の弟なんかにあげないよ!〉
((・・・・ん?))
キラキラと青い海の瞳はメイを見つめている。それを思春期にありがちな気の迷いだと頷くオルディオールは、温かい目で微笑み返すと本格的な脱出に向けて計画を練り始めた。




