02 暗黒世界と夢の島
ふみふみふみ。
ふみふみふみ。
私は今、ようやく職という職を手に入れた。労働の喜びを肌で感じている。タダより高い物は無い。幼き頃より培われたこの無銭飲食に対する罪悪感。それからの脱出の機会を得たのだ。職種はマッサージ。南国スパリゾートマッサージである。
常連客の鳥男の腰に立ち、絶妙な力加減でふみふみするのだ。ぷるりん氏を装備中の私には、残念ながら言語チートにより異世界の罵詈雑言が理解できてしまう。踏む度に客は奇妙な声でうめき、更に時おり私を貶す言葉を発するが、それは笑顔で躱すのだ。おそらくこの鳥男、対価という物で縛られた店員にしか、愚痴を吐けないに違いない。たまに吐き出される愚痴くらい、まだ寛容に受け止めてやろう。
ふみふみ。ふみふみ。
〈ウォウ、そこそこ、この重さ、良い、〉
ふみふみ。ふみふみ。
客は満足すると、私に食べ物を与えてくれるギブ・アンド・テイク。中間管理職に手数料の搾取はされない個人経営。経営者の努力の有無でリスクは大きいが、理不尽な雇用主の圧力、先に入社しただけで先輩面をして新人をイタブル幼稚な暇人は一切居ない。実際、社会経験の浅い私のこの妄想の出所は、全てバイト先の美人二十八歳先輩からの受け売りだ。現場経験者の語り口調には重みが有る。私はそれに耳年増だけを重ねていたのだが、まるでネットでリスク情報だけを得てしまい、経験の無いまま危機管理だけが増していく現象と同じではないのだろうか。
ふみふみ。ぐり。
〈く!そこそこ!もう一回!〉
ぐりぐり。ふみふみ。
仕事に集中せずに妄想しながら踏み込んだ場所がヒットした。いけない。労働に集中しなければ。ここに至るまでには、ぷるりん氏のデンジャラスな交渉術があったのだ。次は妄想をせずにそれを思い返そうと思う。
ふみふみ。
〈う、ふぅっ!〉
ふみふみ。
にこにこと愛想の良い船乗りの男は、実は悪い奴だった。それをぷるりん氏がスルッと収めたまでは良い。冬の海へ飛び込んで、陸より水の中の方が温かかった事も大目に見よう。問題はその後だった。森の中で寒中水泳の事後処理をしようとしたぷるりんは、周囲の危機管理を怠り、でかいでかいと思っていた巨人より、更にでかい魔人と遭遇してしまった。
そう、私は魔人達の島へ単身乗り込んでしまったのだ。
しかも無謀にも、ぷるりん氏は私の身体で魔人に挑んでしまった。ビシビシとベルトで魔人を調教しようとしたのだが、逆にベルトを掴まれて私の体は放り投げられた。その時、無責任にも脱着可能な青い玉は、なんと遠心力で口から飛び出したのだ。柔道経験も無い、もちろん受け身なんてしたことの無い私は宙に哀れに舞った。柔道経験有無の後悔の走馬灯だけが一瞬かけ巡ったが、叩き付けられた場所は枯草の上で奇跡的にセーフだった。
そのまま間違えた熊遭遇対策の様に、死んだふりを続けて枯草の上に寝ていたが、やはり間違えていたようで目を開くと獣の魔人は怖い顔で私を見下ろしていた。
(牙、出てる、)
幻想に続く暗黒面は必要不可欠である。悪しき血塗られた暗黒世界、ついに、その扉がこの異世界で開かれてしまったのだ。
そう今では妄想出来るのだが、あの時の現場の私はやはり簡単に気絶なんて出来ずに、ただ魔人を見上げていただけだ。正にまな板の鯉。喰われる寸前のお肉である。かさかさとぷるりん氏が木の葉の上に現れて、奴は自ら私の口に入り込み起き上がる。すると数人の魔人の中から眠そうな魔人が進み出て、ぷるりん氏と何やら交渉し始めた。それで今に至るのだ。
鳥男と鳥の世界に入り込んだ私は、この仕事を与えられる事になった。マッサージの仕事に従事している時、ぷるりん氏は一切手を出さずに見守ってくれている。荒事や舌先三寸で大喜っているぷるりんだが、その他の細かいメンテナンスはしてくれない。だからこの場は私の出番だと心得ている。
魔人の島はコスプレとは言えない世界。むしろ、コスプレをしていない私がコスプレ。そう、私こそコスプレ・マイノリティーなのだ。もちろんここは我が国が誇る異郷アーキィーバーでは無い。ケモミミやリアル羽毛、動く尻尾は当たり前。有名テーマパークでケモミミカチューシャを普通に装備してしまう、あれと同じ現場なのだ。だが、親切なカチューシャ売りは存在しない。マイノリティーは常に異質なものを見る目に晒される。
魔人の世界ではヒソヒソでの疎外は無い。ヒソヒソでは無くガン見。ガチで見る。見続ける。そう、観察だ。私は外を歩く度に観察されている。大変に心地悪いのである。
そんな私の魔人の島での癒しはエナガ。あのシマエナガに似たエナガシスターズを発見したのだ!仕事が終わり、鳥男との接待メシ、その後は夢のエナガシスターズタイムが始まる。
巨額が動くペットビジネスの闇。愛玩動物とされる動物達の命が物と位置付けられ、殺されても器物破損という扱い。一方では鳥獣保護を掲げ野鳥は飼うことも捕獲する事も禁じられている。その保護対象にエナガはいる。
雀よりも小さいらしい。エナガ情報は全てネットで見たことしか無いのだが、一目惚れである。ズキュンである。黒粒の瞳、丸いふわふわの体にアンバランスな長い尾。その憧れのエナガちゃんに似ているエナガシスターズ。
もちろん人なのだが、細い手足にモコモコとした白い羽毛ワンピ。背中には白い羽、おそろいの衣装の彼女たちが、一列で体育座りで眠る間に私はイン。
(ふわふわ、モコモコ、至・福)
〈ヴォゥ!なんか混ざってる!〉
(知ってる知ってる。だって、それ、ワ・タ・シ)
かっぱちゃんに発見された。彼女は私と背が同じ位の魚系の子供。別にヌルリとしてはいない。耳が魚の鰭みたいになっていて、かっぱちゃんと呼んでいるが禿げているわけでも無い。髪は背中までのサラサラ銀髪ロングである。鳥男と同じ様に私に話し掛けてくれるかっぱちゃん。エナガシスターズと戯れていると、どこからともなく現れて私は水辺に連れて行かれるのだ。
森に囲まれた澄んだ水、大きな泉の中央の小島には大きな大きな木が一本。まるでこの森の守り神みたいに大きい。その水辺でかっぱちゃんとお話をする。
かっぱちゃん十一歳には瞼が無い。藍色のような青い瞳は瞳孔だけで白眼は無いのだ。だがとても整った美しい顔をしている。小船に乗り込んできた男の様に、腕も全身も鱗で覆われてはいない。二本足もあり陸で生活しているが、鰭や眼が渇くと水辺に保湿しにやって来る。だからかっぱちゃんと呼ぶのだが、私は保湿に同行させられるのだ。
(女の子には、乾燥は天敵だものね)
学生時代に欠かせないアイテムとして、リップクリームがあった。可愛いケース、良いにおいのメーカー、様々を吟味して自分の唇を保護する事に力を注いだあの頃の私、懐かしい。
(今はリップクリームなんて塗ったことない。・・・それにたまにおしゃれしても、巨人にぷるぷるグロスをぐりって拭かれた)
ーーぱしゃん!
『・・・ぷっ、』
かっぱちゃんに水をかけられた。
〈メイ!よそ見しないでね、スアハを見ていてね〉
〈スアハちゃん、見ています。見ています〉
自分の水遊びを観察させたがるかっぱちゃん。同じ位の背丈の私は、かっぱちゃんにとって同類の子供なのだろう。
(まあ、仕方が無いのだ。付き合ってあげよう。あの子はきっと、エナガシスターズのように群れる兄弟姉妹が居なくて寂しいのかもしれない)
群れるエナガシスターズと戯れる私を見て、いつも悲しげな顔で走ってくるかっぱちゃん。兄弟姉妹にやきもちを焼いているのだ。
水遊びの後、かっぱちゃんと魔界巡りをして小鳥の広場へ戻ると眠そうな魔人と怖い魔人が待っていた。彼らが出てくるとぷるりんが私の身体を動かしてしまう。おそらく危険なのだろう。
〈スアハちゃん、気をつけろよ。帰り道〉
〈・・・メイ、〉
不安そうなかっぱちゃんに別れを告げて、私はぷるりんへと入れ代わった。




