09 離郷 09
強い何かの力で引っ張っられ、オゥストロの腕から抜け出た少女は空中に投げ出された。
〈何だ!!〉
黒い飛竜に追従していた者達は、小さな少女が突然青空に舞い落下するのを見て手綱を握り腰を浮かす。素早く反転した黒竜が、誰より先に落ちる少女へ風の様に滑空した。
「ミギノだ!」
甲高い少女の悲鳴が宙を裂き、黒竜を追う様に灰竜達は首を返す。通常に物が落ちるより早い、明らかに地上から引かれる様に少女は落下する。それより早く滑空した黒い翼は小さな塊の下に入り込み、オゥストロは長い腕で少女を捉えた。だが。
〈く、!〉
想像以上の加重は竜の巨体ごと地上を目指す。黒竜ドーライアも羽撃く飛翔力を遮られ、大きな翼を閉じる事も出来ずに落下した。
〈何だ、これは、まるで地の錠だ、〉
オゥストロの呟きに、少女の中のオルディオールは目を見開いた。
「付けた覚えは、無いが、腹、腰を、強く、引かれている、」
重力による圧迫、二人騎乗をしていない者達が彼等の下に支えとして回ったが、それも同じ様に重なり地上へ引かれてしまう。
「離せ!」
共倒れ、兵士の無駄死にを想定したオルディオールは叫んだが、オゥストロは重く地上へ引かれる小さな少女を再び腹に抱え込むと、下の飛竜を足場に踏み切りドーライアの翼を羽撃かせる。
ーー〈グォァアアアア!!!〉
オゥストロに呼応したドーライアは叫び、大地の重力に反する力で数度強く羽撃つが、少しの抵抗にかしかならない。
「あれを!」
地上がぐんぐんと近くなり、引かれる圧力に呻きながらオルディオールは下を指さした。この先の地表に、エスクランザ国の大きな国旗が広げてある。天上の巫女と第二皇子の出国に、国が見送りに用意したエスクランザ国の紋章、下から見上げていた者達は、それを広げて声を張り上げていた。
〈離れろ!!〉
オゥストロの指示に周囲の飛竜が四方へ飛び散り、ドーライアは再度抵抗に強く羽撃く。
「お前も離れろ!俺があそこに、飛び降りる!」
少女の苦鳴にオゥストロは従わず、強く腕が引かれた事に、少女の腰を見下ろした。
〈帯だ、〉
衣服の違和感、抱きかかえる少女の腰に巻かれた物の重さに気付き、それを剥がすために外套から帯に手を掛けるが、複雑な折り込みに崩れたのは背中の飾り部分だけだ。断ち切る為に剣に手を伸ばしたが地表が既に目の前に迫る。
「!!」
ドーライアの羽撃きで引力が弱まった瞬間、小さな少女はオゥストロの身体を蹴り飛ばし、宙に飛び出した。
ーーーードオォン!!!
加重による直撃落下を免れた黒竜の巨体は、地表へぶつかる反動で宙に舞い何度も強く羽撃いた。
轟音と飛竜の咆哮、そして粉塵が舞い散るが地表寸前で飛竜から飛び出た少女は張られた国旗へ体当たりする。四方は強く縄で木と社殿の鳥居に括られて、受け止めた国旗には風の護りの呪文が描かれている。硬い地表にはぶつかることなく布から跳ね上がった小さな少女の姿に、息を詰めて見守っていた周囲から歓声が上がった。
[まだだよ!]
オゥストロの上空に飛来した、テイファルに同乗したアリアは叫んだ。粉塵の中、鳥居の上に弾んだ小さな影が一つ。ドーライアの抵抗と風の呪文に直撃は免れたが、弾んだ少女は再び地表へ叩きつけられる力で腰を引かれた。
呪いによって縛られた地の精霊は解放され、怒りと喜びと共に地表を目指す。文字通り土に帰る為に。
「くそ!」
衝撃を和らげる掴む木の枝も何も無い。宙に投げ出された少女の頼りない身体を、オルディオールは衝撃の受け身に丸める事しか出来ない。だが意に反して引かれた腰は、それを砕くように受け身の体勢を崩して落ちた。
「メイ!!」
オルディオールの叫び、少女を攫うために更に黒い飛影は滑空したが、オゥストロのすんでのところで小さな影はすり抜ける。掴み損ねた少女は、横合いから飛び出たものと歪んだ国旗の中に飛び込んだ。
〈誰だ!〉
宙で旋回したオゥストロは着地するドーライアから飛び降りると、再び粉塵の舞う国旗へ向かって走り寄る。周囲の神官騎士達も大きな布をかき分けて、そこに落ちた天上の巫女の救出に走り寄った。
〈貴様は、〉
倒れるメイと少女の上に跨がる全身が黒色の男。肩で息をする少女は、男に手際よく帯を解かれ紐を裂かれて蹌踉めきながら上体を起こした。見下ろすと裂かれた帯の隙間から、美しい組紐が地面へ落ちる。それは次々に淡い光を放ち、土に溶ける様に消えていった。
最後の一本が消える。想像よりも痛みの無い身体を見下ろすと、見上げた少女は疲れた顔で男に呟いた。
『黒豹、・・・ストーカ・・・?』
(何故ここに?、二度あることは、三度あった。・・・偶然と必然を通り過ぎると、もはや恐怖、)
彼に特別な嫌悪を持った事はない。そして毎回の窮地を救われた感謝はあるが、この場に居るはずの無い存在の出現に、メイの中にはその言葉が浮かんでしまう。
極度の恐怖、動悸と胃の腑の持ち上がりにより、それ以上の失礼な思いは出せなかった。だが地面にぶつかる寸前に、横合いから飛び出て救ってくれたエスクを見て、メイは混乱の中で冷静に不審者を見上げる。
「・・・はあ、」
無意識に漏れ出たメイは、オルディオールの安堵の溜め息と共に沈黙した。懐かしいグルディ・オーサ基地、そこで出会ったエスク・ユベルヴァールは、トライドでもメイを追って来た。それにオルディオールはファルド騎士団長の少女への執着心を訝しみ、メイと同じ様に冷静な判断で恩人を不審者だと見定めた。
開けた着物、その帯を切り裂いて破り捨てた男は未だに少女の上に跨がっている。それをオゥストロは近寄るだけで引き離すと、共に駆け寄った女官に少女を引き渡した。
「よく帯だと分かったな」
話し掛けられた東共通語に、エスクは悟られた出身を隠さずにそれに答える。
「はい。抱えた重さの違和感と、ミギノから帯だと申告があったので、切り裂きました」
手にした小刀を手前に置くと、立ち上がり自分を取り囲む兵士を目で確認する。突然の不審者の飛び入りに、それを巫女姫の恩人とするか不審者とするかでエスクランザ国では戸惑いが漂っていた。しかし、その迷いを断ち切る低い声が落ちる。
「魔戦士急襲の報復戦は、いつでも構わない」
背の高い黒竜騎士の黒い瞳は、目の前の少女の恩人を見据えている。大使として宴に招待されたメアーには言わなかった宣戦布告、それをオゥストロは目の前の正体不明の男に言い放った。エスクランザ騎士が息を飲み、全身黒色の男の出自を理解し身構えると、澄んだ少女の声が緊張の只中に割って入った。
「お前の上官に言伝を頼む」
殺気漂う男達、その間に小さな少女は迷いなく進み出た。言葉と共に小さな白い片手は、大きな黒竜騎士を制するように上がっている。整えられた着物の上には、女官の外套が掛けられていた。
「今は誰が仕切っているのかは分からないが、ガーランド竜王国との和平交渉がしたいのならば、先に誠意を示せ。目に見えるものとしては、グルディ・オーサ基地からの撤退が望ましい」
「!?」
突然に東共通語を淀みなく話し出した少女を、エスクは目を見開いて見つめる。
「あの場所は元々、トライド王国のものだ。トライド王国はファルド帝国よりも、ガーランド竜王国の庇護に入るぞ」
理不尽で身勝手な内容に、エスクは少女の不審を思い出した。敵国の間者と疑心させる剣捌きと物言いを。
「了承しかねます。帝王の情けによる属国は、全て我が国の領土。他国へ譲るつもりはありません」
「ふむ、そうか」
慇懃に語ったエスクに少女は生意気な顔で見返すと、不機嫌に睨み返してきた。その凄みの無い少しつり上がった黒目に、エスクは目線だけで否定を表す。大人が我がままな子供を制した状況に、オルディオールは片方の眉を上げると更にエスクに向き合った。その表情は厳しく真摯なままに。
「トライド王国が〔人〕として、生きれる場所は、現状ガーランドの方だ」
「・・・・」
言い切られたファルド帝国騎士は、目の前のミギノと呼ばれた少女の真意を探る。その強い騎士の視線に少女は応えた。
「ヴァルヴォアール騎士団長に伝えてくれ。〔天が地に落ちる事は無い。進む道は違えど、翼は一つ〕だからお前はこの身を追わずに、果たすべき正規の職務へ戻れ」
「!!」
ーーシャリン。
短い金属音と共に隠された中刀は、少女に突き付けられた。エスクは内心愕然と、目の前の得体の知れない者を見る。自分に突き付けられた刃に、少女も大きな黒目を驚愕に見開いた。
「ミギノ・メイカミナ、何者だ。何故〔それ〕を知っている」
声を張った訳ではない。だが、叫ぶよりも強い音は静かに少女に放たれた。
「・・・・」
ファルド帝国の国旗は双頭の鳥、そして今の一説は、嘗ての騎士団長オルディオール・ランダ・エールダーが残した第九騎士団、選ばれた者にしか開示されない誓い。
大陸統一を主命とするが、それは大聖堂院の実験ではなく、それに反してそれを否定し、人として帝国を統一する騎士となる。
過去に偽りの中央第九師団を作り上げ、大聖堂院を探り始めた。トライド王国の為に、嘗ての同志達に去り行くオルディオールが示した誓い。それを国旗の守護聖獣の双頭の鳥に譬えたのだ。
ーー行き先は違えるが、思いは一つであると。
それを引き継いだ中央第一師団の騎士達は、誓いの本の冒頭にこの言葉を書き記している。
現在第九師団を名乗るエスク・ユベルヴァールは、知らないはずの少女が、軽々にそれを口にした事にただ憤ったのだ。この敵地で、命を賭けて矜持を示そうとする誇り高いファルド騎士を、オルディオールは見た。
「そうだな・・・、言い出しは、俺だからだ」
「?」
いつものように過去の自分を尋ねられただけだが、オルディオールは彼には笑わなかった。置き去りにする仲間にオルディオールが身勝手に誓った言葉を、第九師団として形に残した騎士達は彼の思いさえ受け継いでいた。
ファルド帝国の国旗に譬えた言葉は、現在の騎士団長にも言伝として通じる内容だと改めて誓った。謎かけの様な言葉を、エスクはただ持ち帰ると思っていたが、それを誇りを馬鹿にされたとメイに刃を向けた。その事にオルディオールは嬉しさと哀しさに若い騎士を見つめる。
「冗談だ。この場は天上人の巫女が収拾する。お前はとっとと、あの医者と帰るがいい」
少女の背後にはこの場を支配する黒竜騎士。そしてそれを取り囲むのは天上人を守護する神官騎士と弓を構える天弓騎士。上空には少女へ刃を向けた男に向けて、投擲態勢の竜騎士。
「・・・・」
オルディオールの理想の為に、愚かにも全てを敵に回した自分の跡継ぎを救う。強い意志で振り返り、オゥストロを見上げた少女は晴れやかに笑った。
「婚約者様の命乞いだ。これくらいで揺らぐ、ガーランド竜王国と天の天王国ではないよな?」
既に同じ立場の捕虜を一人、ガーランドに捕らえてある。精霊の虚勢をオゥストロは冷たい黒い瞳で見下ろし、揺らがない少女の強い瞳を見つめる。
〈・・・・〉
オゥストロは、刃を丸腰の少女へ突き付けたままの男を見据えると、上空を見上げて首を少し傾げた。空に浮かぶ影が動き出すと、少女は改めてエスクを見る。
「行け。ガーランドの温情を無駄にするな。そして、今の言葉を騎士団長に確実に届けろよ」
オルディオールは少女の顔でぎこちなく笑うと、大きく一歩下がりエスクの敵であるオゥストロの真横に立った。
「・・・・」
辺りを目だけで確認し、宙に浮いた刃を仕舞う。もう一度ミギノと呼ばれる少女を見たが、何も言わずにファルドの騎士はその場を去った。その去り行く背を、上空の飛竜の上から悲しげ見守る者が一人。
港でエスクに声を掛けられたアピーは、緊張と嬉しさのあまり問われる全てを話したのだ。内容の一つに今日の出発刻があり、正確にエスクはメイの後を追っていた。
「キュウン、」
ーー飛竜が怖いなら、船に乗るか?
軽く言ったエスクの話を真に受けたアピーは、それを試みようとしたがエスフォロスに遮られた。エスクにとっては子供から情報を引き出す為の飴だったが、アピーは彼が自分を覚えていてくれた事が本当に嬉しかったのだ。
メイの落下にエスクの窮地。次々に起こった出来事にアピーの心は麻痺しそうだったが、それでも少女は黒い人が無事だった事に安堵して、去って行く姿に悲しみ俯いた。
〈和平交渉に、ファルドが何を差し出すのか見物だな〉
低い声に告げられたオルディオールは、背の高いオゥストロを振り返る。魔戦士のガーランド国急襲により、二度とその機会は無いだろう。結果的にメイの身体の負傷を和らげた敵兵に、オゥストロはそれを温情と見逃したのだ。精霊に請われたからではない。
[無事で良かったね。僕の出国の門出にけちを付けた礼は、あちらに着いてから頂くよ]
頭上から降り注いだ声を見上げれば、テイファルの飛竜から涼しい顔で全てを見下ろしていたアリアだ。オルディオールもメイも怪訝に片方の眉を上げるが、オゥストロは飛来した黒竜ドーライアを見上げると自分の相棒の無事を再確認した。
ドーライアは無理をして、何度も地へ帰る精霊に逆らい落下速度を緩めたのだ。その行為は翼や胸筋を痛めてもおかしくはない。オゥストロによく似た相棒は、何事もなかった様に澄まして騎乗を促す為に体を降ろした。
軽く首を叩いて労うと、オゥストロも少女を振り返り手を差し出す。黒竜騎士の手を取って天上の巫女が振り返ると、女官たちは不安そうに見つめ第一皇子が進み出てきた。
[御無事で、本当に良かった、]
オルディオールは皇子に一度頷くと、引かれる強い力に従い黒い飛竜に乗り込む。
[アリア様!その者は空から落ちたのです!天上人ではありません!お気づき下さい!!]
飛び立つ寸前、悲鳴の様な女の声が辺りに響いた。女官達に腕を引かれた一人の巫女は、上空の飛竜に向かって叫び続ける。
[ただの人の女です!翼も神気もありません!ただの女!私と何が違うのですか!!アリア様!アリア様!アリア様!!]
皇子の門出を真に穢した巫女は、止めようとした騎士達を穢れと言って塵の様に振り払う。だが第一皇子の命令で地の巫女と崇められた女の腕には、騎士達により地を剋す神木の錠が嵌められた。
[やめて!穢らわしい!私に触れるな!!、アリア様!お戻り下さい!!]
巫女は空を仰ぎ見て、喉が切れ血を吐くまで一人の皇子の名を叫び続けたが、名前の主はそれを見ることもなく上空に舞い上がり続ける。そして東の空、雲の中に溶け込むと飛影は完全に見えなくなった。




