現在の二人② 正則くんの呼び名テスト1
鏡野ゆうさまの、
お花屋さんとお巡りさん- 希望が丘駅前商店街 -第三十話 それぞれの呼び方
の、正則くん楓さん視点のお話になります。
……えーっと。それは私も行っていい案件なのだろうか」
『いい案件だと思う』
「正則にとってだけ”いい”んだろ」
『……』
珍しく日勤明けに電話が来たと思ったら、やっぱり珍しい正則のお願いから会話が始まった。初めて会ってから2年以上経っているからか、「お疲れー」からのすぐ要件に入るという中年夫婦もかくやという間柄を喜んでいいのか悲しんでいいのか。
「それにしても、おにいさんてば芽衣おねえさんの事を本当に大好きだよね」
『実の弟相手に、頼むからストレートな言葉にしないでくれ。照れを通り越して殴りたくなる』
嫌そうな顔をしているんだろう。日勤明けに爆睡して、起きたところを見計らうように康則おにいさんから電話が来たらしい。
曰く、芽衣おねえさん事をこれからは「お義姉さんと呼べと」。
「確かにおにいさんと芽衣おねえさんが結婚したら、正則にとってお義姉さんだもんね」
『それはそうだが……。あれは絶対、自分以外の男に芽衣さんって呼ばれたくないんだ』
「だろうねー。おにいさん、ホント芽衣おねえさん溺愛してるから」
『……否定しない。っていうか、本人目の前に言うのはできるけど、第三者目線で言われると身内的に恥ずかしいのはなんでだ!』
子機片手にごろごろと悶えているだろう正則を想像するのは面白いが、自宅破壊行動になっていないだろうか。
『……んぁ? あ、あー分かったー』
案の定、何か言われたらしい正則が電話の向こうで誰かに謝ってる。十中八九、お母様ですね!
「あはは、怒られてる」
『……まぁ、そういう事で。明日付き合え』
「何がどういうわけだ」
『いいだろ? 通学途中にちょっとだけだから、ほんのちょっとだけ』
……まずい、違うシチュエーションエロトークに聞こえてきた私の脳内を、誰か止めて。
脳内が薄い本状態になってきたので、誤魔化すように小さく咳払いをする。
ばれてる気がしないでもないけど、誤魔化すのが淑女のたしなみという事で。
「わかったよ……、で、何を持っていこうか」
まぁ、何言っても一緒に行ってあげようとは思うわけで、ここらで折れておこうとそう頷いた時だった。
『何って?』
……
「いや、おま……おねえさんのところに挨拶に行くわけだろうさ。何か手土産とか」
『……あぁぁっ!』
……まぁ、そんなもんだよな二十代男子。それにもう既に会って挨拶はしてるわけで、改まってっていうのも気恥ずかしい面があるだろう。
「何がいいかな。芽衣おねえさんの好きなものって、何?」
『いや、俺がいきなりわかるわけないだろ。でもそうだよなぁ、好きなものあげたいよなぁ』
「だよなぁ」
……
『やっぱ、花かな。芽衣さんが好きなのって。花束とか……』
「ちょっと待て正則。花屋のおねーさんに花束持っていくとかどんなチャレンジャー」
『……』
そーいう可愛いとこ、今は出さなくていいから!!
『じゃ、じゃあ……ハンドクリーム?』
「いやいや、手土産にハンドクリームってそれはそれでどーなの」
『……わかんねぇ』
お前の脳みそがわからんわ! 愛しすぎるだろ!
正則の身内になるわけだから意見を聞こうと思ったけど、これはやめておこう諦めた方が良かろう。
「じゃぁ、お花も入ってて疲れも取れてリラックスできてお肌にもいいものにしよう」
『そんな回復薬みたいなのってあるのか!』
ゲームじゃないから、何その驚き方。
「ハーブティだよ。ローズヒップとか選べばお肌にもいいし、他にも紅茶のお店行って色々選べるしさ」
『……はーぶてぃいー? あれ、てぃーなの紅茶なの? 俺には味が……』
「文句あるかね」
『ないです』
明日の朝は一限始まりだから今日の内に買っとくと伝えると、なら迎えに行くと電話が切れた。問答無用で切れた電話の音を聞きながら、やっぱり好きだなぁとかニヤニヤしてしまってあとから恥ずかしさに悶えた。
その後迎えに来た正則と一緒に希望が丘商店街の紅茶屋さんに行って「あれがいい」だの「これはまずい」だの一悶着しつつ手土産をゲットする目的でもデートできたので、おにいさんに心の中で感謝なのだ。
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そして翌朝。
「お前、なんで寝坊するかな」
「断じてしたくてしたわけではない」
アパートのドアを開けた瞬間の、二人の会話である。
思っても見なかった突発的なデートに浮かれていた私は、翌朝、駅の公衆電話から掛けてきた正則の電話で起こされることになった。
丁度正則が最寄駅を出る頃に私がアパートを出ると丁度駅で落ち合えるからこその連絡なんだけど、あっさりその時間に起きたのだ!
電話の音で飛び起きたね、人生最速のジャンピングダッシュだったわ。
慌てまくり言葉にならない呻き声をあげる私に事態を察したのか、『バイクでアパートまで行く』そう電話は切れた。
さすが分かってらっしゃる正則大明神……いや大魔神か?
迎えに来てもらうというのに怒られそうな事を考えながら、間に合うか微妙な一限の準備と二限の教科書を鞄に突っ込んだ。
そして冒頭に戻る。
「楓、ヘルメット」
「んー」
玄関の下駄箱上に置いてあるヘルメットを正則に渡すと、一緒に廊下に出て鍵を閉めた。肩掛け鞄をリュックのように背負うと、ヘルメットを再び受け取ってがぽりとかぶろうとして怒られた。
「ただでさえ何もないところで転ぶお前が、階段降りる前にヘルメット被るな」
「おっしゃるとおりで」
ふざけても怒られないところをみると、今日何のために私が正則と朝出掛けるのかちゃんと覚えているようだ。
そうだぞー、正則の為に行くんだぞー。恥ずかしがる筋肉とドヤ顔する筋肉を愛でに行くんだ……あ、しまった本音が出た。
正則の後ろから階段を降りると、ここ二年で見慣れたバイクが停まっていた。
最初は私を乗せることを渋っていた正則だったけど、もともと田舎生まれの私にとっては原付なら16歳から乗ってたし慣れてる事をアピールしまくってやっと乗せてもらえるようになった。半年くらいかかったけど。
まぁ、2月にバイクとかホントは寒いんだけど、ほら、ねぇ?
内心ニヤニヤしながら、バイクの後ろにまたがる。既に乗っていた正則の腰に両手をまわした。
ぎゅっと抱き着けば、物凄くあったかい。いや乙女フィルターとかじゃなく、マジで物理的に暖かい。
筋肉は発熱するんですよ奥さん! 温かいからね! 夏はアツイケドネ!
しかも普段外で触らせてもらえない筋肉を、これでもかと愛でられる。なんて素敵な乗り物なんでしょうか!!
「……不穏な空気を感じる」
「大丈夫! 運転中は我慢するから!」
不穏な空気は肯定しましたけど何か(笑
職業柄っていう事もあるんだろうけれど、正則の運転はとても丁寧で落ち着いている。だからこそ私の妄想脳も華麗に膨らむわけだけど、さすがに運転中に抱き着く真似はしませんよ。
すっかり忘れていた手袋をはめてくれた正則が、私の手を掴んで腰に持っていく。
「筋肉好きは、今だけ捨ててろ」
「へーい」
捨てないけどねっ。
正則に教えてもらった通り正しいバイクの乗り方で、ちゃんとおねえさんちを目指しましたとも!