昨日今日とは思わざりしを
「あかとんぼ」という山田耕筰の童謡がある。
その二番、「15で姐やは嫁に行き」の姐やは、数え年だと13歳になってしまうのだ。
さてどうしよう。
「客人。いや、スクナよ。俺は冗談で言ってるわけじゃねえ。」
こちらとしては冗談で済ませてくれた方が気が楽だったのだけれども、向こうはそうはいかないらしい。
「いやいや、何でそんな話が出てくるのか分からないです。だってナルカとは今日あったばかりですし、そもそも年齢が離れすぎてます。」
昨今監視の目が厳しいのに、都条例に引っかかったらどうする。
「そうなのか?デュナと同じ18歳くらいだと思っていたが」
18歳?童顔だと言われることはあるし、日本人は年の割に若く見えるけれども、18歳は無い。せいぜい20代前半が関の山だ。となると、自分とナルカとは一回りほど年齢差があることになる。
「それなりに年を取っているのなら、それはそれで話早い。ナルカも危険な下の森で狩りをしたりと粋がっちゃいるが、まだ14歳だ。そんなガキが一人で生きていけるほど、世の中甘くないってことは理解できるだろう。あいつには庇護者が必要なんだ。」
「村に誰かいないんですか?同い年の男の子とか、親代わりになってくれそうな人は」
バウンさんは無言で首を振った。
「ナルカちゃんとデュナはね、5年ほど前、あなたと同じように大陸の方から流れてきたの」
代わってジャナンさんが続ける。
彼女の話によると、ナルカたち姉妹は大陸にある別の黒羽の集落に住んでいた。しかしながら黒羽の一族は、その外見から何かと迫害を受けることが多く、おまけに集落が大国同士の戦争に巻き込まれたせいで各地を転々と逃げ回っていたらしい。その途上で家族を次々と失い、最後にこの島、大陸から魔の島と呼ばれるこの地の同族を頼って海を渡ってきたということだ。ジャナンさんはデュナさんと同世代だからか、親しいらしく、彼女の言葉にも熱がこもっている。
「デュナがいなくなったら、ナルカは一人っきりになる。でもあいつは、村の連中には懐かない。挨拶や最低限の会話はするけどな。だから今日ナルカがお前を家に泊めるって言った時には、自分の耳を疑ったもんだ」
……そんな事情があったのか。打ち解けてもらえるのはありがたいが、別にナルカに気に入られるようなことをした覚えはないのだけれども。
「事情は分かりました。でも、自分にはやらなければいけないことがありますので、やはりお受けするわけにはいきません。」
自分がなぜここにいるのかは分からない。でも、自分には帰る場所がある。
忙しくて薬臭くて、でも懐かしいあの病院が、町が、国が自分の本来の居場所だ。それを再び自分の手に取り戻すことが、現状の最優先事項なのだ。
ナルカのことは同情できるし、優しい彼らが心を痛めているのも理解できる。
ただ、それはまた別の話だ。自分がここに来なければ、彼ら自身の力で解決しなければならなかった問題であり、突然現れた安易な解決策に目を取られているだけ、だと思う。
俺は、ナルカの人生に責任を持てない。自分の明日さえどうなるか分からない現状ではなおさら。今の俺が背負えるのは、俺の命が精いっぱいだ。
「そうか……。」
こちらの意志が固いことを察して、二人は押し黙った。そろそろ失礼するタイミングだろうか。
「お頭、手伝いに来ました。」
いいところで来てくれた。入り口から顔を覗かせたのは、昼間に入口のところで会った門番の青年の一方だった。
「あれ、ナルカのところの客人じゃないか。もしかして祭りに参加するのか?」
「いや、俺は……」
「ああ、そのつもりだ。」
否定しようとしたが、それをバウンさんが遮った。どういう心算なのだろう。
「おれはこいつを案内するから、お前らは先に料理を運んで行ってくれ。」
「分かりました。じゃ持ってきます。あ、外に輿も来てますから。」
青年は軽い調子で言い、ジャナンさんから料理の入った土器を受け取ると、あちあち言いながら外に運んで行った。
「どういうことです?」
勝手に決められて少し面喰らい、バウンさんを見つめる。
「お前の言い分は分かった。俺たちも勝手なことを言っているのは分かっている。だが……」
彼は一瞬言いよどんだが、決意して口を開いた。
「俺と一緒に、お前も今夜の祭りに参加してくれ。この祭りは、主役と、大人の男しか参加できないが、お前なら問題ない。その後でもう一度尋ねる。それでもお前の気持ちが変わらなければ、もうそれ以上無理強いをするつもりはない。」
そんなことを勝手に決められても困るが、その言葉には有無を言わせない力があった。
「それで納得してもらえるのなら、ご一緒させていただきます。」
「……すまんな。」
祭りに参加して何かが変わるとは思えないけれども、何かのケジメのつもりなのだろうか。
ジャナンさんと、夕食をむさぼる村長を残して、バウンさんに連れられて外に出た。外はいつのまにかとっぷりと日が暮れており、空には丸い大きな月が浮かんでいた。
村長の家の前には、村の家々から集められたのだろう料理の入った土器がいくつも並べられており、その真ん中に木の枝を組み合わせて作った簡素な輿が置いてある。周囲には10人ほどの若い男たちが控えており、昼間の門番二人もその中に混ざっているようだ。
「頭、あとは祭りの主役だけです」
集団の中の、比較的年上に見える青年が進み出て告げた。
「ご苦労。」
短く答えたバウンさんが、こちらに向き直る。
「スクナ、きみがデュナを連れてきてくれないか。男衆みんなで行っては騒がしいし、それでナルカを頑なにさせても良くないからな」
断る理由もない。祭りに参加するのならその前に一度戻っておきたかったのも事実だ。
これをナルカちゃんに、とジャナンさんがバナナっぽい葉に包んだナンのようなものを渡してくる。それを受け取って、俺は家路についた。
月明かりが照らしてくれたおかげで、村の中を歩く分には問題なかった。ほどなくしてナルカの家に辿り着く。
途中の他の家々と異なり、ナルカの家は明かりも無くひっそりと静まり返っていた。
「ナルカ、デュナさん、ただ今戻りました。」
声をかけてから、静かに入り口を開く。
差し込んだ光の中に、壁にもたれかかってうとうとするデュナさんと、その膝を枕に熟睡するナルカの姿があった。
「おかえりなさい、スクナさん。もうそんな時間なのね」
目を覚ましたデュナさんは、ナルカの姿を確認し、優しく頭を撫でる。
「はい。バウンさんからデュナさんを呼んでくるよう頼まれました。あと、今日のお祭りに俺も参加することになりました。」
「そう……。」
目を伏せるデュナさん。そうだ、ナルカが寝ているのなら都合がいい。先ほどの話をデュナさんに伝えてみよう。
「それから、変な話なんですけど……バウンさんに、ナルカと結婚してこの村に住まないか、って言われました。可笑しいですよね。」
これには彼女も驚いたみたいだ。けれども、何かを納得した様子で、一人で頷いている。
「スクナさん、私からも一つだけ、お願いがあるんですけど、聞いていただけますか?」
え、まさか貴女もナルカと結婚して欲しい、とか言い出すんですか?美人に育つ素質があるとはいえ、現時点ではデュナさんの方が好みですし。それとも、もしかして私を連れて逃げて、系ですか?状況的には結構詰み、なんですが。
こちらの懸念を察したのか、デュナさんはくすくすと笑い、
「いえ、ナルカちゃんと結婚して欲しい、みたいなことを頼むつもりはありません。それも一つの手段ですけれども。」
「じゃあ?」
一呼吸間をおいてから、デュナさんは改めて真剣な顔で、俺の目をしっかりと見つめた。
「ナルカちゃんとずっと一緒にいてあげて下さい。家族でも、友人でも、恋人でも、その形にはこだわりません。戦ってくれなくても、守ってくれなくてもいいです。その代り、どんな時でも、ただ一緒にいてくれるだけで十分です。」
「デュナさん……」
俺は言葉に詰まってしまった。彼女は続ける。
「ごめんなさい。それが結婚なんかよりもずっと、酷い重石になってしまうことは分かっています。でも…」
金色の瞳に大粒の涙が浮かび、頬を伝ったその雫は月光を反射してきらきら輝きながら、ぽたっとナルカの上に落ちた。
「でも……わたっ、私には……、もうできないことだからっっ……!!だから……」
嗚咽交じりではあったが、彼女は最後まで言い終えた。そしてひたすら号泣しながら、ごめんね、ごめんね、と繰り返しナルカの髪を撫でる。
……大人のように考えていたけれども、彼女は18歳。日本では高校を卒業する年齢だ。そんなまだ少女でしかない彼女が、自分だけでなく他人を思いやり涙を流している。俺はどうだっただろう?18歳の俺は。受験が失敗して、なんとなくの流れで予備校に行って、共働きの両親に迷惑をかけてまでそこで費やした時間は、全部自分のためのものだった。
敵わないな、これは……。
泣き続ける彼女に、ポケットからハンカチを差し出す。きょとんとしていたが、やがて用途を悟ったのか、ハンカチを受け取り涙の後を拭った。
落ち着くのを待って、口を開く。
「分かりました。俺が、ナルカと一緒にいます。貴女の代わりに、ずっと見守ります。」
「ありがとう、スクナさん」
また新しい涙がぽとぽとっとナルカを濡らす。デュナさんは少し笑いながら、慌てて頬を拭った。
我ながら、勢いに任せた感はある。この世界で自分は無力だ。でも、そんな自分にもできることがあるのなら、と思ってしまうのは、平和ボケ国民ゆえの慢心だろうか?
「姉様、泣いているの?悲しいの?」
さすがに気が付いたのか、ナルカが眠い目を擦りながらゆっくり起き上がる。
「ううん、ナルカちゃん、これは嬉し泣きっていうの。嬉しいときにも涙が出るのよ」
「そうなんだ。やっぱり姉様は物知りだ」
ジャナンさんの話が本当なら、ナルカはこれまでの流浪の人生の中で、嬉しくて涙が出る、なんて幸せな経験をしたことが無いのかもしれない。
「そろそろ行かなくちゃ。皆待ってるわね」
立ち上がるデュナさんだが、流石に足が痺れたのか、少しよろけそうになったところを手を出して支えてあげた。ふふっと笑った彼女は、同じく立ち上がったナルカに正面から向き合った。
「ナルカちゃん。私がいなくなった後のことは、スクナさんにお任せしました。スクナさんの言うことをよく聞いて、決して離れないで。」
ナルカは不思議そうに姉と俺の顔を何度か見比べ、
「わかった。姉様がそう言うなら、そうする」
と、素直に頷いた。
それを見届け、デュナさんは自分の妹を最後に強く、ぎゅっと抱擁した。
「いい子。幸せにおなりなさい、ナルカ。」
「……姉様も。」
ナルカも力いっぱい抱擁を返す。
愛別離苦、一期一会。人と人とは、本来そういう関係なのだ。交通手段や電信技術の発達で忘れそうになるけれども、現代日本でさえ、一度別たれた人と、本当の意味で次も無事出会える保障はない。つい数十年前までは、当たり前だった光景だ。
「行きましょう」
別れを終え、デュナさんが家から出てきた。薄暗い闇の中に、ナルカが一人残されている。
「これ、ジャナンさんから。ちょっと冷めたけど、食べてくれって」
バナナの葉の包みを差し出す。ナルカが受け取るのを確認し、
「じゃあ、俺もお祭りに行ってくる。デュナさんはちゃんと見送ってくるから安心しろ」
そう告げる。どこか釈然としない表情のナルカだったが、やがて包みを開けて中の白っぽいナンのようなものを食べ始めた。それを見届け、先に行くデュナさんを追いかける。
遠くに俺たちを待つ松明の炎が揺らめいている。
それに向かって、光の中をりんと歩くデュナさんは、青白い光の中に溶け込んでいきそうなくらい儚く美しかった。