村長クエストという名の苦行
夕食時の家々からは、白い炊飯の煙が立ち上っている。村の周囲に植えてあった堅果を調理しているのだろうか。
高き屋に登らずも見ゆる煙立つ民の竈はにぎはひにけり
異世界で古歌盗す、とな。現代だと電子炊飯器の湯気が立ち上るイメージだけど。
さて、日が暮れる前にさっさと情報収集をしてしまわなければ。日本国内なら問題ないが、外灯も何もない異国の夜を甘く見るほど阿呆ではない。昼間に見たボルボックス程度ならともかく、夜行性の巨大吸血アメーバなんかがいないとも限らないし。
お約束からすると、色々知っているのは村長か長老あたりか。こういう場面では、人間の情報量は単純に生きた年数に比例する。逆に情報が氾濫する社会では、老人は情報インフラに置き去りにされてしまい、若者に情報量で負けてしまうことがある。これを情報格差、別名情弱乙と呼ぶ。
とりあえず、先ほどマッスルおじさんことバウンさんが出てきた家から当たってみるか。
村の中心にある一際大きなその家は、近くで見ると竪穴式と言ってもかなり広い屋根を持ち、どちらかと言えば背を低くした白川郷あたりの茅葺家屋に近い印象がある。ここでも夕餉の支度をしているのか、屋根の隙間から盛大に煙を吐き出していた。
「すいませ~ん、ちょっと聞きたいことがあるんですが~」
大きく開け放った入口から、奥の方へ声をかける。すると、煙の中からバウンさんではなく、デュナさんより少し年上の女性が現れた。
「どなたです?」
その女性は、角やら羽やら大きな胸やら身体的特徴はデュナさんによく似ていたが、一つ大きな違いはそのお腹がぽっこり膨らんでいたことだ。てっきりバウンさんが出てくると思ったが、若い妊婦さんとは。しかしお腹丸出しだけど冷えないのかね。
「ああ、ナルカちゃんと一緒に来た旅の方でしたっけ。うちの夫に何か御用ですか?」
こちらのことが伝わっているのなら話が早い。
「お忙しいところすいません。この村のこととか、お話を伺えればと思ったんですが……」
「今夫は、お祭りの下準備で出かけたところなんです。私もご飯の支度がありますし。」
ありゃ残念。
「なるほど。あの、誰かこのあたりの事情に詳しい人とかいらっしゃいませんか?」
「それならうちの義父がおりますけど、少しお話されます?」
え、ここでいきなり出てくるのか村長。想定していなかったわけではないけれど、フランクというか何というか。
「いいんですか?」
「ご飯の準備をしている間でしたら。その方が私も助かりますし」
意味ありげな台詞だが、この機会を逃す理由は無い。是非とも、と頼み彼女の案内に従って煙の充満した竪穴式住居に潜り込んだ。
村長の家は流石に造りが違った。掘られた竪穴の広さは30畳の大広間ほど、深さも150cmほどはあるだろうか。しかも屋根を支える柱の太さはナルカの家とは比べ物にならず、本数も10本ほどが規則正しい感覚で並んでいる。一家族が住むには大きすぎるけれども、村の集会場を兼ねているのだろう。その中心に竈が4つあり、うち2つで赤茶色をした筒型の土器が火にかけられている。中を覗いてみると、よく分からない穀物と、切られたリンゴがぐつぐつと煮えており、アップルパイに近い甘い香りを漂わせていた。ポリッジやオートミールのようなものに思えるが、これはお祭りのごちそうなのだろうか?にしても煙たい。この広さでこれだけ煙たいのなら、ナルカの家の食事時はどうなるんだろう?
こちらです、と連れてこられた家の奥には円状に並べられた石があり、そのうちの一つに村長と思われる老人が座っていた。見た目的には70歳くらいだろうか、息子同様つるっと禿げ上がった頭には、枯れ木のような大きな角が生えている。あれって健康のバロメータなのかね。
「初めまして村長。私は旅の者で健那と申します。」
村長は煙の中で薄く目を開け値踏みするようにこちらを見たあと、ゆっくりと口を開いた。
「ジャナンさん、飯はまだかいのう?」
……ああ、異世界でもこのネタは鉄板なんだな。ちょっと懐かしい気持ちになったよ。
「あらお義父さま、私はこちらですよ。ご飯はもう少し待ってくださいね。」
「おおそうか、わしは魚が好きだからのう。」
若い妊婦さん、ジャナンさんは慣れた様子でスルーする。そして村長、今日のご飯は残念ながら魚じゃなくてフルーツ粥だ。
「では旅の方、スクナさんでしたか。私はご飯の準備あるので失礼しますね。」
竈の方に戻るジャナンさん。俺に世話を押し付けたな。中々茶目っ気のある人だこのやろう。
村長はしばらく目を閉じてうつらうつらしていたが、突然カッと目を見開いた。
「誰だお前はっ!!者ども出会え出会えぃっ!!」
どこの悪代官だ己は。
「初めましてっ村長っ!私はっ旅の者でっ健那と申しますっっっ!!」
耳元で同じ言葉を大声で叫ぶ。
「おお、お前があの、その、あれか……」
勝手に納得して頷く村長。俺はどのあれだよ。まあいい、聞きたかったことを聞いてさっさと退散しよう。
「村長、日本という国を知っていますか?」
「ニッポン……ニッポン……ニッポニア……いや、知らんな」
途中から朱鷺になってたぞ。知らないなら次だ。
「この村の近くに、人間の集落はありますか?角も羽も生えていない人間はいますか?」
「人間?人間とはわし等のことだぞ。人間には角があるし、羽も生えているものだ。尻尾が生えていたり、蹄が付いていたり、足が魚だったり、色んな人間がいる。人間……人間とは何だ……?」
村長の人間論はどうでもいいとして、村人たちのように悪魔っぽい外見をした者以外にも、様々な外見の種族がいるみたいだ。流石異世界。じゃあ普通の人間はいないのか?この話からは判断できない。
その後もしばらく言葉を変えてコミュニケーションを試みてみたが、どうにも話が通じず、疲労感だけが積み重なっていった。時間も結構経ってしまったし、次で最後の質問にしよう。真顔で聞くのはちょっと恥ずかしいが、相手がこの村長なら大丈夫。
「村長は魔法を使えますか?」
しばらくの沈黙の後、
「おお、無尽の業炎と呼ばれたわしの魔法を見たいか。ほれぃ!」
突然村長が立ち上がり、その掌に小さな赤い炎が生まれ、蛇のように空中でのたくる。
「地獄の灼熱に焼かれ悶えるがよいわっ!!」
「村長、名前変わってるっ!ってか分かったからっ!!」
こんな可燃物だらけの木造建築でそんな火種を振り回されたらたまったものではない。必死でハッスルしている村長を押しとどめる。
今にも炎が放たれる、と思われた瞬間、急に周りを冷気が包んだ。
「お義父さま、火遊びは止めて下さいって言ったじゃないですか。」
いつの間にかジャナンさんが横に立って、村長を冷たい瞳で見下ろしていた。
「……はい」
窘められた村長は、素直に石の椅子に座りなおした。調教済みらしい。空中では村長の出した炎がまだのたくっていたが、ジャナンさんがふっと息を吹きかけると、炎は小さな水蒸気を残してかき消された。
「スクナさん、お義父様のお相手ありがとうございました。おかげで支度もできましたし。」
「いえ、こちらこそ。」
やっぱり押し付けられてたワケね。
「さっきのって、ジャナンさんも魔法が使えるんですか?」
「夫とお義父様は炎ですが、私は冷気の魔法です。料理をするのには意外と便利なんですよ。もっとも、狩りや戦には使えませんけど。スクナさんは魔法をお持ちではないんですか?」
どう答えればいいのだろう。ここは隠す必要はないか。
「使えません。使ってるところも初めて見ました。この村の人は誰でも使えるんですか?」
「ええ、私たちみたいな黒羽の一族は、何か1つ魔法が使えるのが普通です。」
ああ、会話が通じるって素晴らしい。
「ところでスクナさんは、どちらの部族のご出身ですか?魔竜、獣人、人魚、邪霊……海を渡った大陸の方には色々な部族がありますけど、黒い髪をしているのは黒羽の一族だけと聞いておりますが……。」
それで比較的簡単に受け入れてもらえたわけか。茶髪にしなかった自分に感謝。
「多分そのどれでもないです。普通に人間の、部族は大和、になるのかな。」
「ヤマト?いえ、知らない部族名ですね。」
首をかしげるジャナンさん。人妻なのに仕草が可愛い。
「おうぃ、帰ったぞ」
と、野太い声と共に見覚えのある青い頭がのっそりと入ってきた。バウンさんだ。
「あらあなた、お帰りなさい。お祭りの食べ物の準備はできてるわよ」
「ああ、すまんな。もうしばらくしたら運び手の若い衆が来る手はずだ。」
もうそんな時間か。そろそろナルカのところに戻らなければ。
「客人、来ていたのか。俺に何か用事だったか?」
「お邪魔してます。ちょっとこのあたりのことを伺いたかったんですが、村長とジャナンさんに色々お話を聞かせてもらいましたので。」
「そうか。わざわざ来てもらったのにすまなかったな。」
門番の青年が言っていた通り、気さくな人物みたいだ。そういえばお祭りについて、デュナさんが嫁ぐことしか聞いていなかったけれども、どうなっているのだろう?
「バウンさん、今日のお祭りってどんなお祭りなんですか?」
「ナルカから聞いてないのか?あいつの姉のデュナが嫁に行く、そのための祭りだ。」
「聞いてます。でも具体的にどこの誰に、とかは知りません。ナルカもあまり意識していなかったみたいですし。」
一応想像はついている。異世界のお約束、政略結婚かどこぞの貴族の横暴で、望まぬ結婚を強いられている。だから詳しいことは知らせていないのだろう。そうでなくても自由恋愛による結婚が当たり前になったのは、日本でも戦後になってからの話だ。既に決まっていて、本人が納得していることに口出しをする気はないし、出せる権利も力もない。
しばらくバウンさんはこちらを見ながら考え込んでいたが、やがてゆっくり口を開く。
「客人、お前……ナルカと所帯を持って、ここに住むつもりは無いか?」
考えてもいなかった彼の言葉に、一瞬思考が停止してしまった。