むしろこっちがカルチャーショック
匂いというものは、たとえそれが良い匂いだったとしても、強すぎると悪臭と感じてしまう。その反対に薄めることで芳香に変わる悪臭もある。
前者が厚化粧オバハンの香水、後者は麝香が代表的か。
つまりどういうことかというと、案内されて入ったナルカの家は、結構臭気がキツかった。
むき出した地面の土の匂い、建材の草木の匂い、かまどに残った炭の匂い、年ごろの女の子の匂い。別のシチュエーションで嗅げば良い香りにもなりえたそれらは、薄暗い4畳半程度の広さの家の中で濃縮&熟成されたおかげで、実体を備えたブイヨン的なものとして顔の全ての穴から侵入してきた。
思わず息がつまる。
もちろん換気用の窓など無いし、他の竪穴式住宅と違って大きく開いた入り口は、耐久性の問題でかオミットされている。
腐敗臭や排泄臭がしないだけでもましだと考えなければ。急性腸炎やら褥瘡やらを診た時に比べればなんのその。悪臭は慣れれば気にならない、と自分に言い聞かせる。
姉がいると言っていたが、今は不在のようだ。立って半畳寝て一畳ならギリギリ2人はいけるけど、やっぱり狭い。
地面に直接植物を編んだゴザみたいなものが敷いてある。先に入ったナルカは荷物を隅に放り投げて座り、ちょいちょいと手招いてこちらにも座るよう促してきた。自分も荷物をゴザの隅に置き、ナルカの横に座る。ゴザが薄くて尻が痛い。半端ながらも竪穴式なので、掘り下げた地面がそのまま壁になっているから、もたれかかっても大丈夫みたいだ。
臭気はともかく、やっと体を休めることができたせいか、急に疲れを感じてしまった。
ナルカもゴザの上に身体を伸ばし、くつろぎモードに入っている。
白衣のポケットからスマホを出して電源を入れる。時間表示は午前5時。あの恐竜の森においでよされてから、6時間程度が経過していた。電池は52%。思ったより自然放電のペースが速い。充電池はあるが、こちらも自然放電が予想されるので安心はできない。充電器が太陽電池タイプでないのが悔やまれるが、仕方がない
「それは何だ?」
半身を越したナルカが手元を覗きこんできた。
どう説明したらいいか悩んだが、結局ファンタジー的に噛み砕くことにした。
「魔法の石版だよ。カミナリの力で動いている」
「スクナの故郷にはそんなものがあるのか。それで、何ができるんだ?」
「例えば……」
スマホを含め、通信インフラ端末は、あくまでインフラが整備された場所でのみ意味を持つ。ネットも衛星も無いこの場所で、果たして何に使えるものだろう?写真とメモ、既に取り込んだアプリぐらいしか用途が無いことに今さらながら気が付いた。
というか、魔法という表現はナルカ的に理解できるのか?ここにはあるのか、魔法?
「ほりゃ」
フラッシュを焚いて写真撮影。いきなり携帯が光ったことに驚いたナルカは、何が起こったのか理解できずに固まっている。
「ほら、ナルカの絵ができた」
撮影した写真を顔の前に差し出す。おずおずと目を開いたナルカは携帯の画面を見つめ、その顔はすぐに驚愕へと変わった。
「すごいな、魔法の石版は!」
いい反応をありがとう。スレまくった日本の子供たちには、こんな純真な反応は期待できない。
ナルカはもっとスマホを見たがっているが、あまり電池を消費したくないのだけれども。
と、急に入口の方からオレンジ色の陽光が差し込んだ。
「あら?お邪魔しちゃったかしら」
光の中に浮かび上がった人影が、可笑しそうに笑う。
「わわぅっ!!」
「姉様っ!!」
奇声をあげて体勢を崩した俺を乗り越えて、ナルカが人影に飛びついた。
「もうナルカったら」
姉様と呼ばれた女性は、その豊満な胸でナルカを受け止め、頭を撫でてやりながら家の中に入ってきた。流れからすると、彼女がナルカのお姉さんで、今日の祭りの主役、といったところだろうか。
ナルカの時もそうだったが、ボディラインにメリハリのある女性がナルカと同じ格好をしているとさらに目のやり場に困る。
お姉さんはこちらに「村の者から話は聞いております」と言って、隣に座った。香水だろうか、南国の花のような甘くて濃厚な香りふんわり漂ってきた。
彼女の膝の上にはナルカが座り、姉を堪能している。今日から別れ別れになるにしても、懐きすぎのような気もするが、あまり表情を変えず口数も少ないナルカの別の一面を見れた気がして少し微笑ましい気持ちになった。
それにしてもお姉さんの方は、さらにテンプレな悪魔っ娘的外見をしている。青白い肌と少しウェーブのかかった長い黒髪、金色の瞳。そしてナルカと違うのは、羊のそれのように大きく育ってネジ曲がった2本の角。大人になると角も大きくなるらしい。
非現実系成年コミックに出てきそうな、いかにもサキュバス然とした見た目なのだけれども、本人は純朴系オーラを纏っているという非常にアンバランスな魅力をもった女性だ。
「そういえば、お名前は伺っておりませんでしたっけ?私はナルカちゃんの姉のデュナと申します。」
「自分は大国健那、スクナでいいです。下の森に迷い込んだのを、ナルカに助けてもらいました。」
「本当なの、ナルカちゃん?」
「ん、私の槍を避けた。ハシリトカゲより素早かった。」
二つの胸に埋まった奥から声が聞こえた。ええ出会いは最悪でしたよ、お姉さん。そしてハシリトカゲが何なのかは突っ込まないようにしよう。ベロ木さんだったら死ねる。
「もうナルカちゃんたら、またこっそり危ないところに行ってたのね。」
「そのおかげで助かりましたから、怒らないでやって下さい。」
「ありがとう、スクナさん。」
デュナさんが自分の胸元のナルカを撫でる。傍から見るとナルカが吸収されているように見えなくもない。
「お姉さん……デュナさんは、今日お嫁に行くって聞いていますけど……」
ふっと彼女の表情が暗くなる。
「ええ、先ほどまで川で体を清めていました。婚礼の衣装に着替える前に、最後にお家に寄らせていただいたんです。」
「姉様、やっぱり行かないでほしい。私、一人になりたくない。」
ナルカが駄々をこねた。まだ年若い少女に、唯一の家族が自分から離れてしまうことは耐えかねる苦痛なのだろう。
「無理を言わないで、いい子だから。」
「でも……。」
突然デュナさんがぎゅっと抱きしめたため、ナルカは言葉を継げなくなった。
そのまま時間が経過する。美しい光景だが、部外者には居辛くて仕方がない。
「わかった。……姉様、お嫁に行っても私のこと忘れないで」
言葉を使わずともあっさり懐柔されてしまった。恐るべし巨乳の母性。自分も味わってみたいが、それはナルカと新しい旦那の特権だろう。少しうらやましい。
「デュナさん、俺ちょっと村の中を散歩してきますんで」
昔の日本でもそうだったが、女性は一度他家に嫁いでしまえば、二度と家族に会えないことも珍しい話ではない。これが姉妹の最後の時間になるかもしれないのだ。邪魔するのは野暮、としても少々ワザとらしかったかも。
「そうだ、スクナ。魔法の石版。」
「ん?」
ナルカが引き止める。
「魔法の石版って?」
「スクナが持ってた。光って絵を描く不思議な石版だ。」
デュナさんは顔に?マークが付いているが、こちらはナルカの意図が分かった。離れ離れになる前に、記念写真を撮って欲しいのだろう。印刷もデータ移動もできないので意味が無いような気もしたが、この村に滞在している間なら時々ナルカに見せてあげてもいいかもしれない。スマホを取り出し、先ほどのナルカの写真を見せる。デュナさんは凄いわね、と驚いてくれた。
「それじゃあ二人とも、笑って~」
スマホを構える。画面の中には柔和な笑みを浮かべるデュナさんと、その横ではにかむナルカ。うん、いい構図だ。
シャッターを切ろうとした瞬間、急にデュナさんが手を伸ばしてきた。
「スクナさんも一緒にはできないんですか?」
できないことはない。二人の邪魔をしない方がいいかな、と気を使っていただけだ。
しかしデュナさんがしきりに勧めてくるので固辞できず、結局皆で写真を撮ることになった。
柱の瘤にスマホを立て掛け、位置を調整。タイマーをセットする。
「二人とも、石版の方を見て笑って~」
自分もデュナさんの横に座り、レンズに目を向ける。やがてフラッシュが焚かれシャッター音が鳴った。ナルカは2回目だが、デュナさんは急な光にびっくりしているようだ。
写真を確認したところ構図は良いのだが、全員目が光って映っていた。二人は黄色だが、俺の目も緑色になっている。角度が悪かったのだろうか。少し位置をずらして、もう一度タイマーをセットする。
「よろしければ、ナルカちゃんの隣に座っていただけませんか?」
特にこだわりもないので、勧められるままに腰を下ろした。と、反対側からデュナさんが手を伸ばしてきて、俺の肩を抱きしめる。結果、ナルカに体を密着させる形になってしまったが、ナルカは特に気にしていない様子だった。
やがて2度目のフラッシュが焚かれ、撮影が終わった。
「見て、姉様と私が石版の中に。」
俺が動く前にナルカがスマホを手に取って、デュナさんに見せる。
「あらあら本当、すごいわね」
嬉しそうなナルカと、楚々と笑うデュナさんは好対照だ。これだけ喜んでもらえると、こちらも嬉しくなってしまう。スマホを返してもらい、電源を切る前に自分でも画像を確認する。今度は目が光ったりもせず、並んで座った3人が笑顔で映っている。でも
やっぱり、自分とナルカの密着度が高すぎるような気もするけど。
「じゃ、ちょっと出てきます。日が暮れる前には戻りますんで」
「はい、お気をつけて。」
「うん、行ってらっしゃい。」
二人二様に送ってくれる。家から出ようとしたところで振り返ると、早速ナルカはデュナさんの胸の間に顔を埋め直していた。あそこが定位置なのか?
仲睦まじい姉妹を背中に、俺は夕陽に染まった村を探検しに歩き出した。