負け犬王子はあきらめない
「ここなら邪魔は入りませんので、最初に僕の身分を明かしておきましょう」
地下大空洞の川岸に焚火を移して始まった俺とエルフと人魚の奇妙な三者面談は、いつも目深に被っていたフードを取ったグレリーの言葉から始まった。ぱちぱちと音を立て勢いよく燃える炎に、何かの文字を彫った入れ墨でびっしり覆われた彼の顔の左半分が照り映える。
「巷では『楽天王子』と呼ばれる王家の出来損ない……それが僕。スノラダ姫の兄王子ギュルフィです」
まぁ、うん、知ってた。
「知ってたよ~」
俺の背中にぴっとりくっついたイクナが白けた声を上げる。
せっかく突っ込まないでおこうと思ったのに、この人魚容赦せんな。
「……魚さんにバレていたのは仕方ないとして、意外とスクナさんも驚かないんですね」
「お前だって、途中から隠してなかったろ」
そもそも俺がこいつに違和感を持ったのは出会った日の夜、暴漢に刺されたイドルドさんを治療した時のこと。
異世界の医療技術を目の当たりにしたこいつの感想は、「凄い」や「珍しい」でなく「背景に未知の知識体系がある」だった。それを理解できる教養があるということは、高度教育を受ける機会があったことを意味する。
これだけなら裕福な貴族や商人の子弟でも条件を満たすのだが、イドルドさんを刺した犯人を捜すため独自の情報網を用い、さらに彼の密偵であるデューがお姫様付きメイドだったことから、雇い主のグレリーも王族関係者であることは容易に想像できた。
あとはピースをはめるだけの簡単な作業で、グレリーの正体が浮かび上がる。
「その上で俺が深入りして逃げられなくなるよう、ちょこちょこ裏から手を回してたろ」
「やはり気付かれていましたか」
「気付かんでか」
おかげで邪神と戦わされたあげく牢屋に放り込まれ脱獄と、今や立派なお尋ね者だ。なのに当のグレリーは全く悪びれた様子もなく、しれっと言い放つ。
考えてみればこいつが俺と一緒にいる時、ちょうどキンピカ軍団が酒場にやってきたのもタイミングが良すぎた。俺が捕まるのを直接確認するため、自分で自分を通報した可能性が高い。
「お前には聞きたいことが山ほどあるけど、一つだけ答えてくれ―――どうして俺なんだ?」
「……と、言いますと?」
「俺が王都に着いた日、お前は王都を離れようとしていた。船が駄目なら陸路でも何でも使って逃げればいいのに、お前は俺のところに来た」
言葉を紡ぎながら思考を整理していく。
人があえてリスクを選択する時、そこには必ず理由が存在する。
リスクを上回る利益――国外逃亡するより俺に出会うことが得だ、とグレリーは算盤を弾いた。彼が拾った俺の財布から得られる情報は僅かだったにも関わらず。
例えば俺が道端で財布を拾ったとしよう。中身は誰かの写真と、どこかの国の紙幣。持ち主が近くにいなければ警察に渡して終わりだ。自分の用事を放り出してまで落とし主を捜しに行ったりはしないだろう。
もしかするとそれは石油王の財布で、直接渡せば感激した石油王が油田をプレゼントしてくれるかもしれない。が、その可能性に賭けるほど脳味噌ハッピーセットではない。自分で動くとすれば、財布の価値を最初から『知っていた』場合。
「知ってたんだな。俺に出会う前から、俺が何者なのか」
答えは沈黙。焚火にかけられた古いポットが代わりにコトコト揺れる。
推測の域を出ないが、俺には不思議と確信があった。でなければグレリーが俺をパン祭りに出場させたり、デューを遣わして脱獄を助けたりする理由が無い。
「教えろ!! どうして俺なのか―――もしかするとそれが、俺が元の世界に帰る手掛かりに繋がるかもしれないんだ!!」
「ちょ、ちょっとスクナ、落ちちゃうよ~!!」
身を乗り出してグレリーの肩を強く揺さぶると、ずり落ちそうになった背中のイクナが悲鳴を上げる。
「……僕も自分の目が信じられませんでしたよ。『神々の決戦兵器』たる『神徒』が、のんきに敵地で大八車を引いているなんて―――貴方は自分に与えられた役割を理解しているのですか?!」
「謎単語はともかく、やっぱ事情を知ってやがったな!! いいからちゃちゃっと情報全部吐きやがれ、ってか情報源も教えろシスコン王子!!」
「せっかく全てを諦める決心がつきそうだったのに、何で僕の前に現れたんですか!?」
「逆切れかよ!!」
「んもう!! 二人とも落ち着いてよぉ!!」
だどっぱ~ん!!
焦れたようなイクナの声と共に、いきなり大量の地下水が頭上から降り注ぐ。取っ組み合い開始直前だった俺とグレリーは一瞬で全身濡れ鼠になり顔を見合わせた。
せっかく沸きかけたポットは消えた焚火の上に中身をぶちまけて転がり、その隣で水難に巻き込まれた目の退化した洞窟魚が水を求めて白い体をぴたぴたくねらせていた。
「喧嘩は良くないの!!」
いつの間にか背中から降りたイクナが、下半身の魚部分で器用に直立しながら手で大きくバッテンを作っている。
「いきなり水ぶっかけるのはいいんかい!!」
「あたしは大丈夫だよ!!」
「知ってるよ!!」
人魚だもんな!!
しっかしどうやってこんな大量の水を……以前見た水中で泡を作る能力の他に、彼女たち鱗の一族には水を操る能力もあるのか。一瞬これを使えばウォッシュレットを再現できるかも、と思ったが、半尻状態で下水に吹き飛ばされる未来が簡単に予想できたので忘れることにした。
「まぁ濡れたせいで頭は冷めたよ。体はもっと冷たくなったけど」
「じゃあじゃあスクナ、くっついて温めてあげようか?」
「ええい体温低いくせに絡みつくな!! うわぉぬめぬるっ!!」
「……まず火を点け直しましょうか」
騒ぐ俺たちを尻目に濡れてない木を選んで組直すグレリー。すぐに新しい焚火が前以上に大きな炎を上げ始めた。
「8年前、妹のスノは僕たち『長耳の一族』の主神で七柱の創造神であるオーディンより直接祝福を賜るという栄光に浴しました」
「ああ、そこらへんの話は街で聞いた。で、オーディンさんは18歳の誕生日にもう一度お姫様の前に現れる、だっけ」
木のコップから白湯をすすりながら、パン祭りで見た人形劇を思い出しながら答えた。
北欧神話の主神オーディン。神槍グングニルを持ち片目を知恵の泉に捧げた戦争と魔術、詩吟の神。勇猛な海の民ヴァイキングの戦士たちに信仰されていた彼だが、略奪を止めたヴァイキングの土着化とヨーロッパ全体のキリスト教化により次第に忘れ去られ、今は物語や創作物以外で彼の名を聞くことはない。
「彼はもうスノの前に現れています。グリムニル辺境伯……僕ら兄妹の幼馴染みで、貴方が蹴り飛ばしたあの男こそ主神オーディンの化身。正確にはオーディンに寄生され、内側から喰われた操り人形ですが……」
「お姫様と結婚するため貴族の男に乗り移ったってことか。で、結婚式で正体を明かすつもりとか? 回りくどいこって」
「-――彼の目的はスノに自分を産ませることです。そして永遠の神王として王国に君臨し、民衆を直接支配統治する」
ぶっ!! 思わず白湯を吹き出してしまった。
しかしグレリーの真面目な顔を見て気を取り直す。
「僕は妹を助けたい!! このままだとスノは単なる神の苗床になってしまいます。オーディンの新たな肉体を産んでしまえば、彼女は用済みです。いつ始末されてもおかしくない……」
「ちょっと待った!! 事情は分かったけど、かなりぶっ飛んだ話だな。それが本当だって根拠は?」
確かにあの辺境伯とかいうキザ男と一緒になってお姫様が幸せになるとは思えない。オーディンと同じように片目が失われている、というのも怪しい。
でもあまりに突拍子が無いため、妹を取られそうになって嫉妬しているシスコン兄貴の妄想と言われてもおかしくないレベルだ。
するとグレリーは自分の義眼を外し、眼球の失われた虚無の眼窩を俺に向けた。
「スノが主神オーディンに出会う2年前、今から10年前にオーディンと出会った王家の男がいました。正確には彼に乗っ取られかけた男が、ですけど」
「なっ―――!?」
「今も時々夢に見ますよ。自分が少しずつ自分でなくなっていく感覚は、子供心にもとても恐ろしいものでした。とても……」
ははっ、と自嘲するように乾いた笑い声を上げた悲劇の王子は義眼を戻すと、自分のカップにお湯を継ぎ足す。
俺は言葉を失っていた。隻眼で常にフードをかぶっている、という時点で訳ありだろうとは思っていたが……
「僕が無事だったのは、途中で主神オーディンの記憶が流れ込んできたからなんです。魔術が完成するためには、乗っ取った後で片方の目を魔術に捧げなければならない。オーディンは隻眼の神なので当然ですね。ですから……」
「その前に、捧げられるべき片目を自分で潰したんだな」
オーディンは最初から隻眼だったわけではない。だから乗り移る前から隻眼の人間には成り替われない、という理屈で魔術から逃れたのだろうが……。
「大変でしたよ。助かる為とはいえ、ナイフの刃を見ながらそれを自分の目に突き立てるなんて。何度も躊躇ったせいで、大きな傷跡が残ってしまいました」
「……」
「結果、オーディンは僕を諦めました。その代り僕は顔の傷が理由で王家の公務から外され、厄介者として捨て置かれることになったわけですが……後悔はしていません。むしろ僕の乗っ取りが完了していたら、オーディンは僕の体で妹のスノに対してもっとおぞましいことをしでかしていたかもしれませんから」
敢えて明言を避けていたが、グレリーの言いたいことは分かった。
神々は近親婚に対して認識が甘い。日本神話の伊邪那岐と伊邪那美は兄妹婚だし、オーディンも自分の娘ヨルズとの間に雷神トールをもうけている。
吐き気がしてきた。
10年前ならグレリーもまだ子供だ。幼い王子に妹を守るため片目と未来を捨てることを決断させ、今また成長した妹を奪い去ろうとしている。
それが―――仮にも神のやることか!!
自分の中に巨大アニサキスと戦った時と同じ、黒い憤怒の炎がぼっと灯ったのが分かった。
「話題を変えて先ほどの質問にお答えしましょう。オーディンの記憶の中に『神徒』と呼ばれる存在がありました……世界を創造した七柱の神々が元いた地球から召還した『生きた神話の力』を持つ者たち。神々が互いを殺し合うための『神話兵器』……それこそ、僕がスクナさんに着目した理由です」
「へぇ~スクナってそんな凄い人だったんだ」
「へ? いやいやいや、なんだそれ?!」
面白そうにケラケラ笑って茶化すイクナを静かにさせようとするが、掴もうとする度に粘液に覆われた彼女の体はつるぬる滑って逃げていく。こいつ、前世はウナギか。
じゃなくて!!
俺をこの世界に呼び出したのが、あの人形劇で見た神様たち!?
大体『生きた神話の力』って何だ!? んなもん一度も使えたこと無いぞ!!
「俺がその『神徒』だって理由は? んな大層な存在じゃなくて、ただこの世界に来ただけかもしれないぞ」
動揺して声の上ずった俺に、グレリーは義眼でない方の眼を指す。
「瞳の色ですよ。『神徒』は皆、召還者たる神への隷属の烙印として翠の瞳を刻まれているんです」
無意識に自分の眼元に触れていた。確かに明茶色だった俺の瞳は、この世界に来てからエメラルドのような翠色に変わっている。
この眼こそが奴隷の刻印だというのなら、なんと嫌らしい話だろう。
『翠眼の怪物』――Green Eyed Monster。シェイクスピア四大悲劇、戯曲『オセロ』に出る嫉妬の別名。求めても得られず内なる憎悪の業火に焼かれ続ける、求不得苦の象徴。
「でもスクナがその『神徒』なら、スクナのご主人様って何神様なの~?」
「一柱の神に一人の神徒なので、オーディン以外の誰かなのは確実です。詳細は分かりませんが。けれど彼の行動を見る限り、スクナさんが誰かの支配下にあるとは到底思えませんでしたね」
「思い……出した!! 翠の眼が特徴なら、デューを襲った分身男も『神徒』だったんだな?!」
一緒にいた子供は分からないが、分身男と『オラ王都さ行くだ』三人組の話にあった猫耳マニア男も『神徒』なのだろう。しかも王都で活動している分身男は、状況的にオーディンが直々に召還した神徒の可能性が高い。
つまりグレリーはパン祭りを巡る事件の裏で彼の主神が動いていることを知り、その陰謀に俺をぶつけた。
本当に神徒か、使い物になるか、誰かの指令を受けていないかどうか確認するために。
そして確信を得たからこそ、王子は王城に凱旋した。俺という主神に対抗できる武器を携えて。
つ~かデューを使って親近感を抱かせ、脱獄させて恩を売り、事前にお姫様と接触させてから最後は身の上話で取り込む。しかも俺が元の世界に帰りたいことも知っていて、情報をちらつかせる、と。
知恵の神に乗っ取られかけたせいなのか、こいつは思った以上に策士だ。ただ根っこにあるのが私利や悪意でないためか、利用されたとしてもそこまで不快ではない。
もっとムカつく奴の存在も分かったしな!!
「んで、俺は何をすればいい? 『神徒』だとしても実際戦闘力は一般人並みだし、お前が色々お膳立てしくれたおかげで外に出た瞬間お尋ね者なんだけど」
「『神徒』が僕の手元にいる。それだけで牽制としては十分です。また今後のことですが、父である現王が病に臥せっていることはご存知でしょうか? 夜を待って父の寝室に行き、スクナさんのことを父に紹介しようと思っています。スクナさんはお医者さんですから、僕が外遊先から連れてきた臨時の御典医、という身分で動けるよう取り計らってもらいます」
そういやそんな話もあったか。
「父上がまだお元気であれば、スノも婚姻を急がずに済んだかもしれないのですが……」
「それはいいけどお前はどうなんだ? 別に公務に出てなかったからって、王位継承権が無くなったわけじゃないんだろ? ここで自分が王位を継ぐ、って宣言すれば、また状況が変わるんじゃないか?」
一気に敵も増えるだろうけど、何を今さらって感じだし。
「僕は……そんな器ではありません」
んじゃ妹だけ助けても王位空っぽで王国はどうなるんだ、と突っ込みを入れたくなったが、そう言ったグレリーの横顔があまりに辛そうだったので口を噤む。
御典医の立場なら王様の診察もできるだろうし、もしかすると現代医学の知識でどうにかなるものかもしれない。それなら後継者問題は急務ではなくなるから、しばらく時間的な猶予ができるはず。
あくまで上手くいけば、の話。
「で、陸はともかく幽霊船はどうするの~? あいつら放っといていいの?」
いい感じでまとまりかけてたのに、さらりと爆弾投下するな!!
「幽霊船、ですか?」
「そそ、さっきもスクナとその話してたんだよ~。このままあいつらに居座られると、あたしたち別の海に移住しなきゃダメかもね~、って」
「気にはなるけど海上封鎖の影響が出るのは陸も海もまだ先だろうから、俺はグレリーの要件から片付けようと思ってる。んだが、陸には幽霊船団の情報は入ってきていないのか?」
「難破船が王都に入港してきて、船の調査に当たった警邏隊がネズミの怪物と遭遇。撃退に成功するも追加調査は危険であり生存者はいないと判断。船は廃ドックに曳航され解体待ち……までですね。報告主は先日酒場でお会いしたケダルさんという方でしたか」
「その船じゃなくて、海の上の話だよ~。あんなに近くに幽霊船団がいるのに、誰も気づかないなんて変なの」
ホント、陸の人って海のこと気にしないんだから、とぶ~たれるイクナ。
「あの幽霊船団は条件が揃わないと陸から見えないのかもしれない。あんまり無茶言ってやるなよ」
「スクナがそ~ゆ~なら仕方ない? かな? うん、許してあげよう!!」
「それでイクナ、悪いけど水中から監視は続けて欲しい。あいつらに動きがあったら教えて欲しいんだ」
「い~よ~!! どうせ最近やること無いし」
「それとグレリー、難破船から回収した航海日誌は一度直に目を通しておいてくれ。幽霊船団の目的も何も分からないが、オーディンの記憶の中に手掛かりがあるかもしれない」
「分かりました」
まったく、海でも陸でも問題が多すぎる。それでも俺が召還れた理由の一端が明らかになったのは大きな進展だった。
大きめの岩塩結晶に背中を預け、光の届かない洞窟の暗い天井を見上げる。すると横にイクナがぴっとり寄り添ってきた。その様子をグレリーが不思議そうに眺める。
「随分さか…イクナさんに気に入られているんですね、スクナさんは」
「まだ会って二回目だけどな」
「広い海で二回も会えたら必然なんだって、この前言ったじゃない。それにスクナはあたしたちのこと、分かってくれたんだもん!!」
ぎゅっと腕に抱きつかれる。彼女の肌が触れた場所からシャツに染みが広がっていった。この子の近くにいる限り、毎回濡れることは覚悟しないと駄目らしい。
あと俺は別にいいけど、人魚が岩塩に接触したら塩漬けにならないんだろうか。
「にしても『神徒』、か」
俺以外にも地球から来た連中がいる。
しかし目的が違えば、彼らと戦わなければならないだろう。実際に分身男とその仲間は、デューを殺そうと襲ってきた。
でも、
「話が通じればいいな……」
言葉が通じるのなら、命の取り合いなんてしたくない。けれど俺の呟きは地底川のせせらぎに飲み込まれ消えてしまった。