異種族交流最前線
お姫様たちと別れ、グレリーに従って城の隠し階段を下ること体感30分。
行き止まりの重い鉄扉を開けると、そこには白い石に囲まれた大空洞が広がっていた。俺が見とれているうちに灯りを持ったグレリーはずかずかと中に進み、ちょうど空間の中心あたりに据えられた児頭大の石に腰かけ手招きする。
なんとなく近くの壁に触れてみると、まるで石が汗をかいているかのようなぬるべっとりとした感触が掌に残った。
うわっネバキモッ!!
反射的に手を引っ込める。恐る恐る確認すると掌に粘性のある透明な液体がこびり付いていた。嗅いでみても特に嫌な臭いはしない。
試しにぺろりと舐めてみる。途端に苦味の混じったしょっぱさが舌を刺した。
塩だ!!
「お~い、何なんだここは?」
少し先の窪んだ場所で枯れ木を積み上げ焚火の準備をしているグレリーに声をかける。
岩塩でできた洞窟? 何でこんなものが王城の地下に?
「王族しか知らない秘密の部屋です。城が攻められた時のため、兵士分も含めざっと1000人が半年暮らせるだけの食糧が備蓄されています。水源もあるので、いざとなればここで籠城も可能ですよ」
どうやら点火に難渋しているらしく、こちらを見ずに答えてきた。
この世界には簡易発火装置はあるのだが、長時間の火が必要な場合は普通に薪が使われる。実際俺が世話になっているイドルドさんのパン屋でも、調理はともかくパンを焼くには竈で薪を使っていた。
ま、ここが何であれグレリーには今王都で起きていること、グレリー自身とお姫様について聞きたいことが沢山ある。けれど来る途中で何度尋ねてみても、「後で話します」とはぐらかされていた。
どうせ今城内に戻っても俺がドロップキック喰らわせた貴公子様が待ち構えているだろうし、パン屋に帰っても例のキンピカ軍団がまた踏み込んでこないとも限らない。こうなったら腹をくくって、洞窟内でも執拗にフードを取ろうとしないこの男が一体俺に何をさせようとしているのか、はっきりさせておく必要がある。
洞窟野営の準備にはしばらくかかりそうなので、邪魔にならないよう放出機構のランタンを借りて周囲を散策してみることにした。淡い光に照らされて、鑿を入れた跡の残る白い床と壁、そこかしこにタケノコのように生える巨大な塩の結晶が浮かび上がる。
日本は岩塩が取れない島国だから、俺もこんな光景を見るのは初めてだ。
「子供の頃から時々ここを隠れ家に使っていたんです。僕はお城の中に居場所が無かったので……」
「いいから黙って火ぃ点けてろって」
場繋ぎにそんなボッチ自慢されても困る。俺に聞く気が無いのを察したのか、再び薪との格闘を再開するグレリー。
そんな彼のことはうっちゃってふらふらうろついていると、耳が微かな水音を捉えた。
ああ、水源があるってったっけ。
音に誘われるようにして放出機構式小燭台を持ち注意深く進んでいくと、真っ黒な川にぶちあたった。
ひょい、と水面を覗き込んでみる。
墨を流したような地下水脈の流れは意外にもゆるやかで、漣も少ない表面はまるで黒檀製テーブルの天盤のように滑かで、反射した灯火の光がてらてらと怪しく輝いていた。
つ~か結晶の山がそびえて川が流れる地下空間って、始皇帝陵かよ。あっちは翡翠の山に水銀の川だけど、食べられる分こっちのが優秀か。
目を凝らしても対岸は見えないし、この暗さでは水深も測りようがない。
落ちたら危ないから今は近付かないでおこう。そう思って踵を返そうとした俺の視界の端で、ふと何かが光ったような気がした。
いや、気のせいではない。振り返って見た黒い地底川の中ほどには、ぼぉっと淡い明りが灯っている。赤白く燃える人魂のような冷たい光の玉が水中をふらふら移動していたかと思うと、突然向きを変えてこちらに近寄ってきた。
同時に黒い水面が盛り上がる。
水の中に何かいる!! 謎の洞窟生物か?!
反射的に最大光量に切り替えた小燭台を高く掲げると、威嚇するよう辺りに光をばら撒いた。白い岩塩結晶の濡れた表面が光を散乱して、シャンデリアのようにキラキラと輝く。
しかし謎の光はひるむことなく岸に迫る。
来るかッ!?
「ざっぱ~ん!!」
膨れ上がった水面を跳ね除けるようにして飛び出してきたのは、珊瑚色の長い髪を頭の後ろで括った少女だった。その下半身の魚部分が跳ね上げた川の水がスプリンクラーのように辺りに飛び散る。まるでホースで水でもぶっかけられたように、沢山の雫が雨となって俺の頭上から降り注いだ。
「うわっぷっ!?」
少女はそのままの勢いでボディプレスをぶちかます。俺は逃げるわけにもいかず、観念して彼女の濡れた体を抱き止めた。
ぬるっとした粘液に覆われた冷たい肌が接触した部分から体温を奪っていくのが分かる。さすがは変温生物。
「川の中からこんにちは~!! スクナ、何でこんなとこにいるの~?」
「それはこっちの台詞だ。え~と……」
抱かれたまま黒目の大きいくりっとした瞳を俺に向ける人魚少女の記憶を探っているうちに、彼女の胸元に揺れるガラスの小瓶に気が付く。
「『香水瓶のイクナ』、だったっけ? 久しぶりだな」
「うん、また会えたねっスクナっ!!」
首に回した両腕でぎゅっと抱き付かれる。まぁ正確にはぬめべちょっ、だけど。
恐竜島から王都に向かう途中で出会った『鱗の一族』と呼ばれる人魚の少女イクナ。秋刀魚を持ってきてくれたり、幽霊船から助けてくれて王都まで送り届けてくれた。
俺が餞別に渡した包帯は、今もリボンとして彼女の髪の毛を纏めている。その包帯の端には小型万力に挟まれた光る玉が括り付けられていた。
確か王都の近海に住む彼女たち鱗の一族は、放射機構の発光体を集魚灯にして夜の海で魚を獲っているんだったか。さっきの水中の人魂はその光だったらしい。
「そうそうスクナ、再会のお祝いにほら!! 途中で拾ったクモヒトデの親玉みたいなの、いる?」
はいっ、とにこやかに差し出されたイクナの手の上には、うじゅるうじゅると体をくねらせるイバラの塊のような触手生物。五角形の本体から生えた五本の足はクモヒトデと同じだが、その先端が無数に枝分かれしている。
お前は俺に手蔓藻蔓で何をせいと?
「いらんがな」
「あ~ん残念っ!! んじゃぽいぽいぽぽ~いっと!!」
宣言通りぽんっ、と投げ捨てられた憐れなテヅルモヅルは、無言で川に沈みそのままゆっくり流されていった。
人魚のイクナがいるということは地下水脈が海に繋がっているということだ。
彼が無事故郷に辿り着けることを祈ってやろう。なむなむ。
「しっかし海魚のくせにどこにでも現れるな。もしかしてこの川生まれで、卵でも産みに来たのか?」
「鮭の遡上かいっ!!」
魚ネタに的確に突っ込んでくれるのがありがたい。そしてなるほど、秋刀魚に続いて鮭もいるのかこの世界。
「じゃ~なくて変な霧と幽霊船団のこと、スクナも覚えてるよね?」
「ああ」
「あれからあいつらが王都近くに出るようになったせいで、仲間たちが皆引きこもっててつまんないんだ~。かといって、あたし一人で出歩く雰囲気でもないし……」
だから髪の塩抜きにここまで淡水浴しに来てたんだよ~、と包帯で括った紅い髪の毛の束を弄び、ぴちゃぴちゃ水滴を飛ばすイクナ。
確かに海水浴した後、手入れしないと髪の毛ゴワゴワになるしな。俺的には海の人魚が淡水でも生きられる汽水域生物だったことが驚きだ。
まぁファンタジーだし。
しかし……
「幽霊船団が前より近付いてる、っていうのは本当なのか」
「うん本当。最近はあいつら王都の入口で、霧に隠れていっつもぐるぐる回遊してるよ。まるで突入するタイミングを見計らってるみたい。スクナ、陸の方は何もなかったの?」
あったも何も、戦女神が死せる戦士たち引き連れてパン祭り襲撃するわ、|冥府の女王+冥界の番犬に変身して血人形ばら撒くわ、灯台兼監視塔が機能停止するわ、はぐれ幽霊船が入港するわでえらい騒ぎだ。
これが全部、あの時見た幽霊船団と関係しているかどうかは分からない。が、
「色々ありすぎて何も言えねぇ……」
「あちゃ~やっぱり。どうしたらあいつらいなくなるんだろうね~」
「水中には影響が無いのか?」
「一応ね~。でも魚は少なくなってるし、見つかるのが怖くて漁もできない。あたしたちが住処にしてる沈没船は漁礁を兼ねてるからしばらく保つだろうけど、このまま居座られたら別の海に移住を考える必要があるかもね~」
イクナのノリは軽いが、思ったより状況は深刻だ。
異変を察知したためか、俺が王都に着いた日から新しい船は出港していない。
このままでは海運に頼っている物資から欠乏が始まり、生活にも支障が出るだろう。しかし無理に出港すれば漂着したあの幽霊船のように、謎の霧に包まれて幽霊船になる運命。
王都の人間は誰も気づいてないだけで、幽霊船団による海上封鎖が完成している。
陸路があるから大丈夫だろうけど、これまで暴れていた『蟲』の代わりに航海日誌に書かれていた『獣』が出没するようになれば、陸運も危なくなるかもしれない。
それに人魚たちも王都近海に居場所を失いそうになっている。
一体何が起きているってんだ。しかも全部同時にとか、誰かの悪意があるとしか思えん。
「あれ、スクナ頭抱えてどうしたの? 熱でもある?」
ぺとり、と水かきの付いたイクナの手が俺の額に当てられる。地下水脈と同じ温度であろう彼女の湿った肌が、すぅっと知恵熱を吸い取ってくれた。粘液に覆われて適度なネバネバ感もある。まさに天然冷え○タ。
「もしかしてスクナ、あたしたちのこと考えてくれてたの?」
「ん、まぁ」
「ありがとね。でも大丈夫だよ。海は広いからどこででも生きていけるし、それが『鱗の一族』の強みなんだから」
ぬるぺたぬるぺたと俺の頭を撫でてくれるイクナ。
喜んでいいかどうかはともかく、こんな感じの種族を気にせず気安いところが彼女のいいところなのだろう。
悩んでどうにかなるもんでなし。何をするにもとにかく、今は情報を集めていこう。そうすれば中には使えるものがあるかもしれない。
「ってことで準備はできたか?」
焚火を熾し終え、いつの間にか俺の後ろに立っていたグレリーに声をかける。
「また勝手に魚が入り込んでいたのですか」
「ぶぅ~魚ってゆ~な!! 別にいいじゃん。普段誰もいないんだし」
「スクナさんはこの魚と面識があるのですか?」
「王都に来る時ちょっと。つ~か魚って……知り合いなら名前で呼んでやれよ」
俺の胸元でもイクナが「む~し~す~る~な~!!」と可愛らしく抗議の声を上げる。
「必要以上に魚と慣れ合うつもりはありませんよ」
しかし意外にもばっさり切り捨てるグレリー。もっと頭が柔らかい奴だと思っていたけど、種族の違いに関しては別件なのかもしれない。
「鱗の一族とは習慣も文化も違いすぎるんです。水中で暮らしている彼らとは接触が無い。何より感性が相容れません。魚を生のまま、時には生きたまま食べるなんて……」
ありえない!! 野蛮人だ!! と口に出さずとも彼の眼がそう語っている。
うん、それ日本人がよく言われるやつだ。
最近は日本食ブームのおかげで大分忌避感が薄まってきているけど、まだ日本の生食文化は外国人に誤解されることが多い。
なんせ卵かけご飯でさえ無理って人がいるくらいだし。
「悪いが俺も魚を生で食べる国出身だぞ」
「えっ――」
「別の世界から来た人間が未知の文化を持っているのは当然だろ」
「そ~だそ~だ!! スクナはあたしたちと同じくらいのお魚大好きさんなんだよ、って別の世界から来た!?」
「あれ、イクナには言ってなかったっけ?」
「聞いた気もするけど忘れてた!!」
あっけらかんと笑う人魚少女。ま、そんなもんだ。
一方のグレリーは少々衝撃を受けたらしく、俺とイクナを交互に眺めながら何ともいえない微妙な顔をしている。
異世界カルチャーショックってこっちが受けるばかりかと思いきや、向こうが受ける場合もあるんだな。
と、それを見てピンと閃く。
「提案だ、グレリー。せっかくだからお前の話、イクナにも聞いてもらおう」
「はぃっ!? この魚をですか?」
「別にお前を信用してないわけじゃない。でもこの世界の常識を知らない俺には、お前の言う事を理解できるだけの知識も分別も無い。だから第三者であるイクナに助けてもらいたい」
「それは……」
「鱗の一族は陸の人間と接触が少ないんだろ? なら話が漏れる心配も無い。イクナもそれでいいか?」
「い~よ~!! 何のことかイマイチよく分かんないけど」
面白そうだとでも思ったのか、尾鰭をびたんびたんと動かしてアピールするイクナ。
俺は、断るワケないよな、とばかりにわざとらしい笑顔を作ってグレリーに向けた。