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今宵、あの手が戸を叩く

 宴の開始から既に3時間が経過し、酒場の中はさながら混沌の様相を呈していた。


「……だが、国境を越えお腹を空かせた子供たちにパンを配っていた彼にも、とうとう最期の時が訪れる……とある戦の真っただ中にある国の上空を飛んでいた時のこと。その姿が敵の襲来と思われ、なんと魔法の火矢で撃ち落とされてしまったのだ!! 哀れ炎の塊となった彼は真っ逆さまに墜落、地上に叩きつけられその生涯を終えた。 あたりには彼が子供たちに渡すはずだったパンが、彼を弔う花のように撒き散らされていたという……」


『あっ餡麺麭男(アンパンマッ)ー!!』


 酔っぱらった男たちは、汗と涙と洟水で顔をぐちゃぐちゃにしながらむせび泣く。


「あのパン祭りに現れた変人に、そんな悲しい物語が秘められていたなんてっ!!」


「なんていい奴なんだ、餡麺麭男(アンパンマッ)!! 見返りを求めない気高き心、孤独な愛と勇気の使者……どんな英雄よりお前が一番(ナンバーワン)だ!!」


 特にM字ハゲの琴線に激しく触れたらしく、目を閉じ涙を流しながら弁慶のように仁王立ちになっているベルタさん。


「しかし悲しむことはない。彼の、餡麺麭男(アンパンマッ)の物語は終わってはいないのだから。語り部は詠う……『餡麺麭男(アンパンマッ)はキミだ』と!!」


『なっ!?』


「これは紡がれる正義の物語……勇気を出せば、信じさえすれば、人は輝き放ち優しい英雄(ヒーロー)になれる!! そう、その時きみは、まぎれもない餡麺麭男(アンパンマッ)なのだ!!」


『うおぉぉぉぉっっっ!!!』


 決して狭くは無い酒場の中を、今夜一番暑苦しい興奮が駆け巡った。


 なんというか、流石は娯楽の少ない異世界。エンタメに耐性が無いというか、大人なのに反応が純粋過ぎて、逆にこちらが困惑してしまうほどだ。


「とまあこれが俺の国では大人も子供も知っている最も有名な英雄の一人、餡麺麭男(アンパンマッ)の話です」


 熱狂と絶叫がおさまるまで皆をしばらく好き勝手騒がせておいてから、俺は本題に入ろうとする、が。


「まったく素晴らしい!! 是非ともうちの班員だちにも聞かせてやりたいものだ。ふむ、場所が変われば単純な武芸の強さだけでない、色々な英雄がいるものだな。勉強になったよ」


 眼の端に浮かんだ涙の珠を拭いながら、チョビ髭の警邏隊班長が感想を述べた。


「そんだけでねぇ。おらたち農家も餡麺麭男(アンパンマッ)と同じ、皆を飢えさせねぇように頑張る英雄だって言ってもらえたみたいで、嬉しかったべ」


「んだんだ。スクナどん、おめぇの故郷は良いところだな。芋があって、餡麺麭男(アンパンマッ)がいて……」


 ぱちぱちぱち、と自然に拍手がわき上がる。 


「あははは……気に入っていただけて何より」


 いかん、俺のせいでとんでもない日本観が広がり始めてるような気がする。


「それよりこの話の代わりに、という訳でもないんだけれど、できれば皆の知っている話を聞かせて欲しいんです」


 慌てて軌道修正。


 そう、せっかく酒場にいて、さらに皆ほろ酔いで口が軽くなっているだろうから、俺としてはついでに情報収集をしておきたい。


 木のコップに入れた生ぬるくなった井戸水で喉を湿らせる。


 ケダルの容体を見守る必要があるので、俺も今日は一滴も酒は飲んでいない。多少熱気で茹ってはいるものの、意識は清明だ。


 特に警邏隊の面々など、職務中は『異世界から来ましたので情報ぷりーず』と言っても、まともに取り合ってくれないだろうし。


 チャンスは無駄にしたくない。


「話、といってもスクナ君はどんな話がお好みなのかな? 王都の話や、昔の事件の話くらいならお安い御用だけど。何か興味のある話はあるかい?」


「そうですね……なら俺みたいに『見たことも聞いたことも無い国のことを語る人間』の話とか、『(みどり)の瞳をした人間』のこととか……」


 テーブルに身を乗り出し、さんざ翠と言われた自分の眼を指差す。


「はは、何だかスクナ君、自分と同じ仲間を探しているみたいだね」


 うぐっ、酔っていもさすがは警邏隊の班長。鋭いところ突いてくるな。


 確かにそうかもしれない。


 俺がこの世界を理解する糸口、そして帰還のための手がかりは、いるとすれば俺より先にこの世界に来た地球人が握っている可能性が高い。


「しかし、なかなか難しい注文だね。私はこれでも20年近くこの仕事をしているが、そんな奇妙な話は噂でも耳にしたことはないな」


 チョビ髭を捻って考えているが、思い当たるものは無いらしい。同じようにベルタさんとケダルも、手を振って否定している。


 情報収集第一日目にして上手くいくとは思っていなかったけど、これは望みが薄いか。


 恐竜島のタパヌさん、あのツンデレハゲ爺さんの『自称異世界人』目撃情報も、何十年も前の話だからな……。


 しかし俺が諦めようとしたその時、予想もしていなかったところから求めていた答えが返ってきた。


「そった話なば、おら聞いたことあるだ!!」


 なぬッ!?


 振り向くと『おら王都さ行くだ』三人組のうち、かろうじてアルコールに呑まれていない、若い癖に無精髭でおっさん臭く見えるアードが、得意そうな顔で俺を見つめていた。


「本当かっ!?」


 思わずテーブルの上に乗りだし、俺の剣幕に驚くアードに顔をずずい、と近づける。


「おわっ、近い近い!! 落ち着くんだスクナ君!!」


 彼の隣に座っていたベルタさんに止められ、傾きかけたテーブルから身体を退く。


「お、驚いただ……話を続けても大丈夫だか?」


「ああ、頼む」


 皆の視線がアードに集まり、彼は少しずつ話し始めた。


「おらの家は、村に一軒だけある宿屋も兼ねているだ。それで旅人から色んな噂話を聞くのが楽しみで、小さい頃はよく泊まりの客に王都の話なんかをせがんだもんだ……これはそんな中、もう10年くらい前に獣人の王国から来た行商人から聞いた話だべ」


「ま~たあの話だべか? 好きだなぁお前ぇも」


「どうせふかしだべ。そんなバカなことする奴、本当にいるわけねえべさ」


 仲間の村人B,Cことバラムとサンソンがちゃちゃをいれる。


 それはさておき10年前?


 場所も違うし、50年以上前に王都に現れた人物とは別の奴なのか?


「黙ってれ!! その話はな、行商人の親父さんが仕入れの帰りに道端に倒れでだ一人の男を助けたところから始ま……」


 思った以上に長ったらしい上に、語り手が酔っ払い。


 さらに横から友人二人のちゃちゃが入ったため、本筋があっちゃいきこっちゃいきして非常にややこしい。


 なので俺なりに彼の話を三行でまとめてみたところ、


『道で拾った金髪翠眼の男が(ワーム)の大攻勢から不思議な力で獣人の都を護り、


その勝利祝賀会で女王と王女の猫耳を心ゆくまで触り引っ張り舐め回し、


獣人の逆鱗に触れ遠く離れた大氷河洞窟の奥底に凍結封印された』


 ということだった。


 実際その頃、蟲により獣人たちの国土が脅かされていたというのは事実であり、当事者以外には事件について箝口令(かんこうれい)が引かれているらしい、ということも相まって、ひとまず内容については信用できそうだ。


 せっかくの英雄譚にも関わらず、主人公の行動が英雄らしからぬコメディカルなものなので、その行商人の話はアードの深く記憶に残ったのだという。


 なるほどなるほど。


 そういうことですか。


 俺はカウンターの後ろに戻り、真水を一口飲み下した後、無言でアードに向き直った。


 思いっきり長く深い溜息を吐き出し、その後に酒場の酒臭い空気で胸を一杯にした後、


「ど~このファッキン馬鹿野郎だその大馬鹿野郎はぁっっ!! 猫耳prpr(ペロペロ)して終身刑エンドとか、ファンタジー舐めてんじゃねぇぞっっ!!」


 周囲の目も気にせずに、腹の中の物を全てを吐き出した。


 俺がこんなに必死こいて生存戦略やってるってのに、ロイヤル猫耳母娘丼はさぞ楽しかっただろうなぁ!!


 断言しよう!!


 絶対そいつ、永久凍土ん中でにへらけてるぞ!!


 『わが生涯に一片の悔いなし!!』とか、『もう喰ったさ。ハラァ……いっぱいだ』とか、そんな感じのやり遂げた男の顔して、満足そうに甘い夢に浸ってるぞ!!


 封印したって、罰になんかなってる訳が無い!!


 ここはそう、俺にとっては自分以外の地球から来た人間の情報に、初めて触れる大事な場面。


 伝説の英雄として語り継がれてるとか、どっかで王侯貴族になってるとか、隠遁して賢者してるとか、惜しまれながら元の世界に帰って行ったとか、そういう王道展開が欲しいシーンなんだよ!!


 何でそういうことしちゃうわけ!?


 そんなに猫耳が好きなのか? 


 簡単に自分の属性力に呑み込まれやがって、少しは俺の紳士力を見習え!!


 リーシャに布団の中に潜り込まれても、デューに無毛の丘を見せつけられても、頑張ってお仕事モードで頑張って切り抜けてんだぞ!!


「ちくしょう……!! ちくしょおおおーーーっ!! 俺の、俺のトキメキを、キラメキを、ドキドキを返せ!! 戻せぇぇぇっっっ!!」


 完全体になり損ねた人工生命体みたいな叫びは、山彦となって虚しく酒場に響いた。


『じゃぁかましぃスクナっ!! せっかく寝たネムリスが起きんだろうがっっ!!』


 即座に二階に並んだ寝室のドアの一つが開いて、アイーダさんの怒号と一緒に赤ちゃんの湯浴用たらいが飛び出し、油断していた俺の脳天を直撃した。


 んぎゃもっ、と悲鳴を上げると同時に目の前をマンガみたいな星がちかちかと飛び回る。


 そのまま仰け反って倒れてしまいそうなところを何とかこらえ、背後に『ドギャァァァンッ』みたいな書き文字が似合う不自然な体勢からカウンターに手をやり、なんとか体を支えた。


「……皆さん、夜も更けて来たのでそろそろ終わりにしませんか?」


「そうだな。赤ん坊がいるというのに、少し長居し過ぎたかもしれない」


 班長がグレリーの提案に賛成する。


「あ~片づけは明日俺がやるからそのままにしといて下さい。今日は皆さんありがとうございました……今後とも当店にご愛顧(あいこ)をくぎゅぅぅぅ……」


 いかん。まだ衝撃が残っていたらしく、頭を起こそうとすると目が回る。


 しばらく休んでから寝室に上がるか。


「では班長、僕はこのままスクナくんたちと一緒に酒場に泊まりますので」


「うむ、例の船の報告書は、明日詰所で日誌の検証をしながら書いてもらうことにしよう」


「体を休めるのも仕事だぞ、ケダル。今日はゆっくり寝ろよ」


「はい、班長。ベルタさんもお気をつけて」


 ややふらつきながらも意外としっかりした足取りで、警邏隊の上司二人は明かりの無い夜の街へ消えていった。


 こう暗くては危険な気もするが、大通りに出れば放射機構(エミッション)の常夜灯もあることだし、まず大丈夫だろう。


「さて、そういえばグレリー、キミはどうするんだい?」


「そうですねぇ、少々スクナさんと個人的に話したいことがあったんですが、また後にした方が良さそうですかね」


 気遣うような視線を送ってくるグレリー。


 しかし、話したいことがあるのはこっちも同じだ。


「いんにゃ、すぐ復活するから少し待っててくれ。それとケダルはカサンドラだかの三人を連れて、先に上で休んでてくれないか?」


 ちらと横を見ると、既に村人3人はテーブルに突っ伏してうとうとし始めていた。


 こそこそ話をしようという時に、彼らがいるのは都合が悪い。


 なお村人組は、最初は怪我したサンソンだけを泊めるつもりだったが、それならばと他の二人もこの酒場に泊まることにしたらしく、先ほどオーナーであるナズロさんに話をつけたんだとか。


 まぁお祭り期間はナズロさんが自分が飲んだくれるため、元々宿泊設備を閉じることにしていたらしく、酒場には部屋が余っているし。ナズロさんにしても渡りに船の提案なので、謎ジャムマスターみたくあっさり『了承』してくれたとのこと。


「分かったよ。でもスクナくんも疲れてるんだから、あんまり遅くは―――」


 ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 ケダルの言葉の途中で突然酒場の扉が激しく叩き鳴らされた。


 びくん、と体が驚きで硬直する。


 その音でテーブルでまどろんでいた村人3人も飛び起き、眠そうな目をこすっている。

 

 この酒場は、営業中は西部劇でよくある両開きのスイングドアにしているのだが、深夜や貸切の日は防犯上の都合から内側にもう一枚ある扉を閉め、普通のドアのようにしていた。


 それなりに頑丈な作りをしている木の内扉の向こう側は、もちろん酒場の中からは見えない。


「おや、こんな時間に誰か来たんですかね?」


 意識してかは分からないが、グレリーがいかにもフラグめいた台詞をつぶやきながら入り口に向かう。


 いやいやいや、まさか外宇宙の邪神さんが来たわけではないだろうけど、深夜の来訪者に少しくらいは警戒しろっての。売上狙ってきた強盗かもしれないんだし。


「ちょっと待て、俺も行く!!」


 頭を振ってめまいを吹き飛ばし、カウンターの下から放射機構(エミッション)の懐中電灯を取り出してグレリーの後に続いた。


 扉に近付く。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 再び扉の叩かれる音。乱暴だがしかし、何かの符牒(ふちょう)にも聞こえる変にリズミカルな叩き方だ。


「はいはい、今開けますから」 


 グレリーは何のためらいもなく(かんぬき)に手をかける。


 ……もしかしてこいつ、外にいるのが誰なのか知っているのか? 夜の街の危険さを理解できないほどアホなわけは無いし。


 やがて扉が開かれ、酒場から漏れ出した光が石畳の小路の上を照らし出す。


 そこには、


「あれ? 誰もいませんねぇ」


 人影も形も無かった。


「いたずらだったんでしょうか?」


「こんな夜更けに? んな暇人いるのか?」


 首をかしげるグレリーに突っ込む。


 こんな時間にピンポンダッシュする子供がいたら、そっちの方が怖いわ。親の教育的な意味で。


 外に出て手に持った懐中電灯で周囲を照らしてみるが、それらしい人影は見えない。光に驚いた残飯あさりの野良猫が、さっと視界を横切り逃げて行った。


「いないな、やっぱり」


「ですね。何だったんでしょう?」


 中に戻り、閂を下ろす。


 心配そうな顔でテーブルにしがみつくケダルと村人三人に、何でもなかった、と首を振って伝える。


 が、その瞬間、


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 また扉が叩かれ、鍵代わりの閂が激しく揺さぶられた。


 慌てて扉を開け外に出る。


 周囲を確認。


 だがやはり、そこには何もない。誰もいない。


 ……だんだん背筋がうすら寒くなってきた。


 何だこれは?


 一体何が起きている?


 誰かの仕組んだ冗談にしては、たちが悪すぎる。


 あたりに気を配りながらゆっくりと扉を閉め、閂をかける。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 途端にまた叩かれる扉。


 今度は開けずに、グレリーと共に皆の待つテーブルへと急いで戻った。


「どういうことだおい!? 王都じゃこの手の悪質な冗談が流行ってんのか?!」


「知りませんよ!! 僕もこんなの初めてです!!」


 不安で自然に互いの語気が荒くなる。


 音は聞こえるのに姿は見えない、理解不能の存在が扉一枚隔てた向こうにいる。


 それだけでSAN値がガリガリ音を立てて削れていく気分だ。


「幽霊だ……」


 村人Bこと細身男のバラムが怯えた様な声で呟いた。


「幽霊船の幽霊が、おらたちのこと追いかけてきたんだべ!!」


 ひゅっと皆の間で空気が冷たくなるのが分かった。


「待て待て待て、ちょっと待った!! 幽霊船なら俺も中に入って調べたけど、変なネズミと妙な航海日誌はあったものの、幽霊なんかには遭遇してないぞ!! な、ケダル?!」


 同意を求めるが、当のケダルは押し黙ったまま蒼い顔をしている。


「どうしたんだ? まさか幽霊が見えてたけど俺が怖がるから言ってなかったとか、そういう話でも……無い、よな?」


「そうじゃないけど、実は船を降りた時からずっと気になっていたことがあるんだ……」


 おいおいおい、まさか本当に……


「船長室に入る前、扉の向こうで鳥の羽みたいな音がしてたよね。でも扉を開けたら羽音が止んだ。そして部屋を出て扉を閉めたら、また羽の音が聞こえ始めた……」


 その時の状況を思い出してみる。


「確かにそうだったな。でも、あれは風のせいで死んだ鳥の羽とか、書類がぺらぺら動いてた音だろ? 実際俺たちが部屋に入った時も、強い風が吹いてたし」


「それがおかしいんだよ!! もし本当に風のせいだとしたら、何で僕たちが部屋に入った時、音が止んでしまったんだい?! あんなに風が吹いていたに!!」


「うっ……」


 一瞬、誰もいない船長室の中を濁った瞳の腐りかけの鳥たちが飛び回る姿が脳裏に浮かび、言葉に詰まる。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 そうしている間にも、扉を叩く音は止むことが無い。


 むしろ、だんだん強く激しくなってきているような気がする。


「ったく、あんたらいい加減騒ぐのやめな!! いい大人がそろってガキみたいなこと……」


 白いワンピース型の寝着を纏ったアイーダさんが、目尻と眉尻を吊り上げて二階のテラスに姿を現した。寝乱れた裾から日焼けした健康的な肌が覗いて蠱惑的だが、そんなことを意識しているような状況ではない。


「出てきちゃダメです!! 今、外で変な奴が扉を叩いてて……」


「あぁ? 何言ってんだスクナ、飲み過ぎて頭に酒がまわったか?」


 呆れ声のアイーダさんは俺が止めるのも聞かずに階段を降り、その途中で足を止める。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 彼女の視線の先、酒場の扉が音に合わせて暴力的に揺れ動いている。


「……メダラス……」


 ぽつり、と紅い唇から彼女の夫の名前が漏れた。


 へ?


「……間違いない。この叩き方……あの人が、メダラスが帰って来たんだ!!」


 2段飛ばしで勢いよく階段から降り立ったアイーダさんは、そのまま扉に駆け寄ろうとする。


 だが彼女の手が閂に届く直前に、人影がしがみついた。


「何すんだよっ、邪魔すんな手前ぇっ!!」


 くびれた腰にタックルしたグレリーは、アイーダさんを行かせまいと必死で彼女を押し留める。


「皆さん、見てないで手伝ってください――っ!!」


 その言葉で金縛りが解けたのか、まだ動けない俺の眼の前で、ケダルと村人三人が次々にアイーダさんの体に飛びついた。


「くっ、このっ!! どけっ、離せってんだよっ!! あんたぁぁっっっ!!」


 押しつぶされて動けなくなったアイーダさんが、扉に向かって愛する人を叫ぶ。


 と、その声が届いたのか、扉を叩く音が止まった。


「やっぱりあんたなんだね。信じてたよ、ずっと……あたしのところに戻ってきてくれるって……」


「嘘……だろ……」


 動かなくなった酒場の扉をまじまじと見つめる。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!

ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!

ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 突然これまでにない激しさで扉が叩かれ始めた。木の棒の閂がぎしぎしと悲鳴をあげる。


 いや、叩かれているのは目の前の扉だけでは無い。路地に面した二つの窓、鎧戸が閉まったそこも、人間が叩いているかのようにがたぴしと震えている。


『気付いてくれたかい?』


『ならば開けてくれ』


『さあ早く!!』


 まるでそう言っているかのように。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


 今度は調理場の奥、井戸に続く勝手口も同じように叩かれ始めた。


 大勢の群衆に囲まれているみたいだ。しかし戸を叩くリズムは皆同じ。


ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!

ダダダッ!! ダンダンダンッ!! ダダダッ!!


「どうしたっ、暴動でも起きたかっ!?」


『ウワァーン!! アアーン!!』 


 先に休んでいたオーナーのナズロさんが寝間着のまま飛び出し、目を覚ました赤ん坊が泣き叫ぶ。振動でカウンターの上の調味料が転がり、床に中身がばら撒かれる。


「な、何だよ……どうしちまったんだよ、あんたぁ……」


 力が抜けたようにへたりこんだアイーダさん。


 今ここで起きていることが信じられない、といったふうな彼女の瞳から、ぽろり、と一雫の涙がこぼれた。


 ……くそっ、どうなっているんだこれは?!


 パニックホラー映画なんて今まで腐るほど見てきたし、それ以上の修羅場も医療現場で経験してきた。今さらポルターガイスト一つでびびってたまるか!!


 ……仮に相手がアイーダさんの旦那さん、メダラスの幽霊だとして、単に酒場に入るだけならさっき俺とグレリーが扉を開けた時、一緒に中に入れば良かったはず。


 なのにそのチャンスを見過ごしたあげく、今もこうしてドンドンと戸を叩いている。


 理屈に合わない行動。幽霊に理屈もくそも無いけど。


 ……もしかして、さっきは入ろうとしたけれど入れなかったのか?


 まさか、吸血鬼みたいに『内側から招かれ』なければ建物の中に入れないとか……いや、十分ありえる話だ。でなければ家族しか知らない叩き方で、自分だとアピールする必要など無い。


 だったら対処方法は決まっている。


 呼びかけられても決して招き入れてはならない。


 そして、この怪奇現象を終わらせる方法は……。


 及び腰になっていたのを、背筋をしゃんと伸ばし、男たちに取り押さえられているアイーダさんのところに近付く。


「聞いて下さい」


「…………」


 すっかり怯えた子供の表情になってしまっているアイーダさんの顔を覗きこみ、ゆっくりと話しかける。


「今扉を叩いているのは、アイーダさんの旦那さんではありません」


「でもっ……」


「昼間、幽霊船の航海日誌を読みました……最後の記録は、半年ほど前で止まっていました。俺が言ってることの意味……分かりますね?」


 もう一度、でも!!と否定の言葉を口にしかけた彼女の瞳をじっと見つめる。


 そうしているとアイーダさんはふいにぎゅっと目を閉じ、やがてこくり、と弱々しく頷いた。


 航海日誌は例え遭難していても書き続けるものであり、書き手に何かあれば別の誰かが引き継いで書くことになる。船長が倒れた後、副船長のメダラスさんが日誌を書いていたように。


 それが書かれなくなったということは、書くことができない状況になった……生存者がいなくなったということ。


「ならさ、でもさ、スクナ……だったらどうして外の奴は、旦那がやってたみたいに扉を叩いてるんだ?」


 それに関しては説明しようが無いけれども、


「あれは誰かが旦那さん、メダラスさんのふりをしてここに来た、と考えて下さい」


 操られている、取り込まれた、乗っ取られたと言いたいところだが、ただでさえ衰弱している彼女に負担はかけられない。


 よくナルカやリーシャにしていたように、ぽん、と軽くアイーダさんの頭に手をのせる。


「……ぁ……」


 そしてすぐに立ち上がり、がたがた揺れる入り口の扉をきっと睨んだ。


「みんな聞いてくれ!! 俺はこれから、あの扉を開ける!!」


「正気ですか、スクナさん!? 何が起きているのか分からないというのに!!」


 グレリーが困惑した声を上げる。


「俺の予想が正しければ大丈夫!! その代りアイーダさん、扉を開けた先に誰がいても、決して『招き入れ』たりしないで下さい!! 外にいる奴は『招かれないと中に入れない』、そういう制約を負う存在です!! 多分!!」


 だから、扉を叩けなくすれば相手は大人しくなるしかない、という単純な発想。


 もちろん勝算が無いわけではない。


 吸血鬼もそうだが、招かれなければ建物に入れないタイプの怪物は、たとえ招かれても『入り口』からしか侵入することができない印象がある。


 招かれた瞬間10tトラックで壁をぶち抜いて現れるような古典吸血鬼の話は、見たことも聞いたことも無い。


 暴力的に揺れ踊る扉の前に立つ。


 ふと、足元に転がる塩壺が目に入った。中身は無事の模様。


 塩か……どうせならついでだ。効果があるかどうか分からないけど、外の幽霊野郎に相撲取り顔負けのソルトシャワー、浴びせてくれる!!

 

 動きが止まった一瞬を突き、さっと閂を外す。


 そしてすかさず扉に渾身のヤ○ザキック!!


 外開きの扉はばぁん、と音を立てあっさり開く。


「らっせいらぁっ!!」


 同時に蓋を開けた塩壺の中身を、路地に向かって思いっきりぶち撒けた!!


「ぶわっ!? なっ、ぐわっ!?」


 あれ? もしかして塩攻撃が効いた?


 入り口から漏れる光、今度はその中に立つ男の影がはっきりと浮かび上がった。


 ヨーロッパのお城の宝物館に飾ってそうな、銀色に鈍く輝く全身鎧(フルプレート)を纏った長身の男性。一際目を引くのは、銀色の鎧に対して兜だけが光を反射し、燃えるように煌めく金色だということ。


 もっとも俺のソルトスプラッシュが見事に極まったため、彼の前面には塩の結晶がこびりついている。


「え~と、もしかしてお客さん……とか?」


 だが彼はそれには答えず、顔を塩だらけにしたまま俺を、そして店の中をざっと見渡して叫ぶ。


「扉が開いたぞ、逃がすな!! 全員突入、確保ッ!!」


「へ? え、えええええっ!?」


 すぐに鎧の男の後ろから似たような銀の全身鎧を身に纏った騎士たちが、抜き身のロングソードを掲げて一斉に酒場に押し入ってきた。思わず取り落とした塩壺が、石畳に落ち甲高い音を立てる。


「ちょっ、ちょちょっと待てって!? 何だお前ら、いきなり!!」


 止めようとするが抵抗叶わず、首筋に剣を突き付けられ引っ立てられ、他の面々と一緒に並んで立たされた。


 てっきり幽霊が相手だと思っていたのに、どうなってんだこの展開は。

 

 皆驚いてはいるが、扉の向こうにいたのが普通の人間だと分かり、少し安心したようにも思える。

 

「ケダル、こいつら騎士みたいだけど警邏隊の仲間か?」


 ぶるんぶるるんと、すっぽ抜けるくらい激しく首を振って否定された。


「全然違うよ!! 揃いの銀の鎧に隊長は金の兜……この人たち、グリムニル伯の銀館騎士団(ヴァラスキャルヴ)だ!!」


 グリムニル?


 そういえばお姫様の恋人だか許嫁だかが、そんな名前だったような気がする。


 広場でヘル=ガルムが暴れた時、助けに来るとか言いながら結局来れなかった奴だっけ。


 つまりは貴族の私兵、ということなんだろうけれども、ただの私兵の割には装備も練度も非常に高いように思われた。


 やがて隊長……俺が塩をぶっかけた金兜の男が、部下に体に付いた塩を払わせながらこちらに近づいて来た。


 まだ年若く20半ばあたりなのだろうけれども、とにかく顔がごつい。具体的にはげんこつ煎餅くらい。


 そして鎧の上からでも分かるくらい筋肉質で体格がいいのと合わせて、ZOCが見えるくらい強烈な威圧感を放っている。地球で生れていたらきっとアメフト選手になっていただろう。


「剣を納めろ」


 低く重い声が一喝すると、首筋に添えられていた刃が引かれた。


 金兜はそれを確認すると、ちゃっちゃっと金属音を上げながらゆっくりと歩いてグレリーの前に立つ。


 銀の小手を着けた手で、グレリーがいつも被っている頭のローブをばさっと払うと、今まで隠されていたその顔が光の下に晒された。


 以前ちらっと傷のある左目は見せてもらったが、こうやって彼の顔をしっかり見るのは初めてだ。


 肩まで伸びたお姫様と同じ長めの銀髪と、意志の強そうな空色の瞳。端正な顔立ちから漂う高貴なオーラは、刻まれた大きな(きず)にも全く曇らされてはいない。


 しかし気になるのはその肌。左頬から首、鎖骨、そして上半身にかけて、壊したナイフに彫られていたようなルーン文字の刺青(いれずみ)が、まるで耳なし芳一のお経みたいに刻みつけられている。てっきり目の傷を気にしてローブを被っているのかと思ったが、どうやらこれを隠したかったらしい。


 彼の顔を見た酒場の何人かは、その正体に気付きあっと息を呑んだ。


「城で妹様がお待ちです。我々にこれ以上手間をかけさせて下さいますな、ギュルフィ殿下」


「……たかが一辺境伯の私兵が王都で兵を動かすことの意味。重々承知しているのであろうな、金鶏将(グリンカンビ)よ?」


 ふっ、と金ピカ男はそれを鼻で笑う。


「なに、新王と新女王の護衛騎士団が自分の領地を見回っていただけです。そしてたまたま放蕩者で知られた王兄が、酒場で飲んだくれているのに出会った……」


「……もう王になったつもりなのか、あの男は」


「何を仰います殿下。あなたが『王にならなかった』からこそ、我々はここにいるのです。順序を間違えては困りますな」


 グレリー……スノラダ姫の兄、楽天王子と皆に笑い蔑まれる第一王子ギュルフィは、悔しそうにぎりっと唇を噛んだ。


 その様子をにんまりと笑って見届けた金ピカ男は、酒場の面々を見渡す。


「さて楽天王子はいいとして、もう一人。王子の協力者とかいう黒髪の若い男がいると聞いていたが」


 兜の庇の下から、鋭い眼光を俺に浴びせてきた。


「まさか塩をぶっかけられるとはな……どこの蛮族の出身だ、小僧?」


 うわ、やっぱり怒ってる。


「初っ端から人を蛮族呼ばわりとは、グリグリ太郎は飼い犬の(しつけ)も満足にできない無能、ってことでいいのか?」


「……なるほど。口のよく回るやつと聞いていたが、想像以上だ」


 気にした様子も見せない。


 ちっ、この程度の挑発には乗ってこないのか。


 隊長を務めているくらいだし、意外とこいつ、できる奴なのかもしれない。見た目はバスケやってそうなゴリラっぽいけど。


 しかし『口のよく回る』?


 王都に来てから、そんなに人前でペラペラ話してたっけ?


 あるとすればパン祭りにリーシャを出場させられるよう、イドルドさんを説得した時くらいか。知っているのはリーシャ、イドルドさん、ナルカ、アイーダさん、そして……。


 あ、そういうことか!!


 このゴリラに俺たちのことを密告した人物が見えてきた。


 それでグレリーは最初、扉が叩かれた時無警戒に開けようとしたのか。


「グレリー、お前……」


 デューを使ってわざと俺を巻き込みやがったな!!


 俺がジト目で睨むと、彼はばつが悪そうに頭を垂れた。


「ですから、その、すいませんでした……」


 要するに最初、酒場に入ってきた時うじうじ言い訳してたのはこのことか。


 後できっちり締め上げて、事情は一切合財吐かせてやる。


「酒場の者、騒いで済まなかったな……王子殿下を丁重に城へとお連れしろ!!」


 後ろに立つ銀鎧の兵士が背中をとん、と突くと、グレリーはよろよろ歩き始めた。


 その姿はドナドナされる仔牛のように惨めで哀愁を誘う。が、彼の空色の瞳には、どこかしてやったり、という満足そうな色が浮かんでいた。


「それから黒毛は多少手荒に扱っても構わん!! そいつも城まで引っ立てろ!!」


 忌々(いまいま)しそうに言い放つと、金鎧は踵を返して肩をいからせながらグレリーの後を追う。


 やっぱり怒ってたんかい!!


 つか、人を和牛みたいに呼ぶな!!


「オラ、隊長がお待ちだ!! とっとと歩け蛮族!!」


 突然兵士の一人が俺の尻を思いっきり蹴とばした。


 相手は脚甲を付けているため、硬い金属部分が肉にめり込み骨を揺さぶる。


 ぐっ……落ち着け(カルマート)俺!! 昔先輩に連れて行かれたオカマバーで、髭の剃り跡も生々しいおっさんに尻撫でられたのに比べれば、こんなのどうってことないぞ!!


「チッ、声は出さないのか……蛮族が気取ってんじゃねぇぞっ!!」


 もう一撃、今度は背中にブーツを履いた足の裏が飛んできた。


 衝撃で思わず転びそうになるが、何とか踏みとどまる。


 今は我慢だ、我慢……我慢我慢我慢……んでもって後で絶対泣かしちゃる!!


 特に俺を蹴ったお前!! お前は、鎧着せたままナメクジ風呂に沈めちゃるけんな!!


「スクナ……」


 心配そうに俺の名を呼んだアイーダさんと目があった。


「大丈夫です。どうせ誤解ですし、すぐ帰ってきます。それとアイーダさん。すいませんが、ナルカとリーシャには適当に説明しておいてください」


 よろしくお願いします、と言付けすると俺は、アイーダさんやケダルたちが見つめる中、先ほどの兵士に小突かれながら酒場の外に出た。


 空は暗く、深夜の街は人通りも無く静まり返っている。


 半袖のチュニック一枚しか着ていないので、少し夜風が肌に凍みた。


 いつの間にここに来たのだろう、目の前には囚人護送用の窓の無い馬車が一台止まっていた。


「おい、あんた」


 促されるままに馬車に乗り込むべくその頑丈な木の扉に手をかけながら、さっき俺を蹴とばした兵士に話しかける。


「あんたたちは何で、突入前あんなに激しく扉を叩いてたんだ?」


 しかし彼は質問の意味が分からない、と言った風な顔で、


「はぁ? 俺たちが踏み込む前に、いきなりお前が出てきて塩をぶち撒いたんだろうが」


 そう答えた。


 ほとんど箱みたいな馬車の中に押し込まれる前に振り返り、もう一度酒場の方を見る。


 既に入り口の戸が閉じられたそこは、灯りが点いているにも関わらず、宴会をしていた時とは違い妙な寒々しさともの悲しさが漂っていた。

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