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多いと強い+合体すると強い

 甲板に開いた穴から差し込む光の下で、背嚢から取り出した放射機構(エミッション)式懐中電灯の万力部分を捻る。


 この懐中電灯、異世界アイテムの癖に形はホテルの部屋に常備されてる非常用懐中電灯と同じなのが笑える。とはいえ同じ人間が使うことを考えれば、自然に使いやすい形は似通って来るのは当たり前か。


 中心部品である魔法の石にギリギリ圧力をかけ、待つこと3秒ほど。


「おっ、点いた」


 金属製の笠の中で石がぼんやりと光を放ち始め、やがてそれはマグライトと比べても遜色(そんしょく)が無いくらいの明るさになり、船底へと続く下り階段を照らし出した。


 右手に先ほど入り口破壊に使った手斧、左手に懐中電灯を構えて、既に腐り始めている木の階段を一歩ずつ足元確認しながら降りて行く。気持ちとしては駆け下りたいところだが、それで階段が壊れたら話にならない。


 薄暗い船倉の中は思っていたよりも静かで、そしてしっとりと湿り気を帯びた冷気に満ちていた。船の外で騒ぐ野次馬たちの声、そして船腹を叩くぴたぴたという波の音がするくらいだが、それも遠い別世界の出来事のよう。


 林立する朽ちた柱に支えられた穴だらけの甲板からは、木漏れ日のような光の筋が何条も降り注ぎ、スポットライトのようにして船倉の床をまだらに照らしている。


 どこかでぴちゃん、と雫が水面を叩く音がした。


 やはり既に船倉の一部は浸水してしまっているらしい。となると、この船もいつまで浮いていられるか疑問だ。


 途中で一度踊り場を挟み階段を20段ほど降りたところで、やっと船の最深部に辿り着いた。


 こうやって下から見上げてみると、船倉は天井も高く外から見た感じよりも大分広い。


 つか、ここから手がかりもなしにケダルと、先に落ちた奴の二人を探し出すのはナカナカ骨だ。


 甲板に開いた大穴の場所を確認しようと視線をつい、と上に向ける。


ごそっ……


 ふいに少し先の暗がりで、何かの動く音が聞こえた。


「誰だっ!!」


 反射的に警戒して懐中電灯の光を掌で隠しながら、音のした方に問いかける。


 だが答えは無く、何やらごそごそ、と物置で探し物をしているような音。それに合わせてカラカラという、何本もの乾いた竹か木材がぶつかり合うような乾いた音が船倉に響く。


 あれがケダルや要救助者でなければ……生き残ったネズミ、もしくは例の『(ビースト)』?


 小さな手斧の柄をギュッと握りしめた。こんなものでも無いよりはマシか。


 しばし緊張の時間がながれる。


「ひぎゃぁっ!! ば、バケモノだっ!?」


 それをぶち壊したのは、暗闇を貫く若い男の悲鳴。


 ぱっ、と声のした方に懐中電灯を向ける。


 光の中に浮き上がったのは、皮の軽装鎧(ライトアーマー)を着たケダルの背中。その震える体を伝って彼の顔を照らし出す。


 血の気の失せ怯えた表情のケダル、汗で濡れた額にはぴったりと金色のくせっ毛のある前髪が張り付いている。


彼の眼前にあるものに光の輪が及んだ瞬間、俺は息を呑みこんだ。


 ……それは虎や豹など、ネコ科の猛獣を思わせる生物の巨大な頭蓋骨だった。


 今まさに獲物に噛みつかんとするかのようにがばり、と開かれた上顎には鋭い門歯が並び、懐中電灯の光を反射して白く輝いている。大人の頭でも簡単に食いちぎれそうだ。


 鼻のあった場所、鼻腔にはぽっかりと拳大の穴が開き、こちらを正面から見据える虚ろな第三の目のようにも見える。


 だが最も俺の視線を惹きつけたのは両眼窩のすぐ下から伸びる犬歯、いや剣歯とでも呼ぶべき俺の腕ほどもある長く太く、そして鋭い牙。


 これが『(ビースト)』?


 でもこいつは……


「た、たたっ、たっ助けっっ……」


「……お~い、どう見ても死んでんだろ、それ。落ち着いてよく見ろ」


 泡を食って理解力が追いついていないケダルに突っ込む。


 ケダルは蒼い顔のまま、腰の力が抜けたのか尻を下ろした状態でしばらく俺と『獣』の頭蓋骨を見比べた後、やっと俺が助けに来たことと、目の前の怪物がただの死体であることを飲み込んだらしく、皮鎧の上からほっと胸を撫で下ろした。


「ああ、びっくりしたよ。骨の化け物に食べられるかと思った」


 ファンタジー的には動く骨ってのもありえるかも知れないけど、骨が食べた栄養はどこに行くんだよ。消化器官も無いのに、進撃並に食べる意味が分からん。


「……そういえば、船に乗り込んでた『獣』を船倉に閉じ込めたって航海日誌に書いてたんだっけ」


「お前、そのこと忘れて飛び込んだろ……要救助者がいるからって、無鉄砲にもほどがあるぞ。あとさっきのベルタとか言う人、お前が勝手に先走ったから滅茶苦茶怒って甲板で叫んでたぞ」


 あちゃぁ、と額にしわを寄せて困った顔になる。それくらいの余裕は出てきた、ということであれば、彼も大分落ち着いてきたようだ。


 なおベルタさんの怒りの内3割くらいは、ケダルに続いて飛び出した俺に向けられていたような気もするけれども、気にしたらダメだな。


「にしても……」


 懐中電灯で『獣』の骨を照らしながらケダルの元に近付く。


「どういう理由か分からないけど、こいつが勝手に死んでくれてて良かったな」


「そうだね。もし降りたところを襲われてたら、と思うと……」


 正直な気持ちを吐露し、改めて身震いするケダル。


 今目の前にある『獣』の頭蓋骨のサイズからすると、その全長は多分3-4m。


 成獣のライオンと同じか、それより一回りも大きい。


「で、も一度聞くけどケダルはこんな動物の骨、見たことあるか?」


「いや、やっぱり覚えがないね。さっきも言ったけど、陸の生き物は『(ワーム)』のせいで大きくなる前に食べられてしまうのが普通だったから……」


「となると、こいつは『蟲』のいない場所で暮らしてて最近人里に下りて来たか、『蟲』がいなくなってからいきなり現れたのか…」


 あるいは俺のように別の世界、別の時間から無理やり連れてこられたのかも。


 というのは、俺にはこの『獣』の頭蓋骨の形に見覚えがあったからだ。


 上野の科学博物館で全身骨格を、二次元的には機械生命体の跋扈する惑星で。


剣歯虎(サーベルタイガー)


 200万年前に繁栄し、やがて地球上から姿を消した、文字通り剣のような犬歯を持つネコ科の巨大な猛獣。


 四足で歩行し、肩の高さは1m、体長は3m程度。主にゾウなど動きの遅い巨大哺乳類を襲い、その鋭い牙で傷つけ弱らせて狩っていたと考えられる肉食獣だ。


 もしかすると船のマストに刻まれた爪痕だと思っていたものの一部は、こいつの牙の痕だったか?


 太く白い『(ビースト)』の象牙のような牙をこんこん、と叩く。思ったよりも牙の厚みは無いらしく、工事用のカラーコーンを叩いた時のような軽い音が返ってきた。


 ……この世界の生き物はサイズや手足の数に違いはあるものの、基本的には地球の生物をモデルにして創造されている。それは既に絶滅した生き物についても同じ。


 俺が知っているだけでも、ナルカたち黒羽の一族が隠れ住む島に生息していた恐竜たちやムカシトンボ、船で王都に渡る時捕まえたアンモナイトなど場所も時代もバラバラな古・中生代の生き物が、ここでは好き勝手に生きている。


 今さらそこにサーベルタイガーが加わったところで驚く話でもない。


 ……だが何故、今なのか? 


 それにただの絶滅動物であるのなら、とっくの昔に何らかの名前が付けられていて、今さら『(ビースト)』などという暫定的な名前で呼ぶ必要はない。少なくともアイーダさんの旦那さん含め船員たちやケダルが、皆その存在を知らないのはおかしい。


 さらに不思議なのは船員たちが『(ビースト)』に出会ったのは、本来獣人たちの港町があったはずの場所、生活圏のすぐ近く。


 なのに、これまで目撃情報が無かったというのも理解できない。


「港町の『獣人』が町ごといなくなって、そして代わりに『獣』が現れた……」


 誰に対してとなく呟きながら、一昨日のお祭りの日に見たこの世界の創世神話を思い出す。


 そういえば最後の場面、お姫様と主神オーディンのエピソードの前に何が語られていた?


 この世界が始まった時、舞台に現れたのはこの世界を創造した7柱の神と、彼らに連なる7つの種族。


 やがて時が過ぎ、人としての繁栄を謳歌するうち神を忘れた『蛇身』『獣頭』の種族が消え、そして代わりに『(ワーム)』が世界に姿を現した。


 ……嫌な、感じだ。ふと(よぎ)った自分の想像のおぞましさに胸やけがしたが、所詮妄想と割り切り、頭を振って気分を切り替える。


「まぁ何にせよ、『獣』の心配をしなくていいのは助かった。それで、落っこちたっていうもう一人は見つかったのか?」


「あはは、それがね……穴から飛び降りて着地に失敗したにも拘らず、あんまり痛くないな~と思っていたら……」


 ばつの悪そうに笑いながらケダルはゆっくりと立ち上がり、先ほどまで自分の座り込んでいた場所の床を指差す。


 そこには先ほど助けた『おら王都さ行くだ』ブラザーズと同じ背格好の若い男が、床にうつ伏せになる形で気を失い、ぐったり倒れていた。


「お前、助けに来て要救助者に止めを刺すとか……」


「いや、最初から気絶してたから大丈夫だよ、多分……」


「そーいう問題じゃないっての」


 着てたのが皮の鎧で良かったな、おい。鋼の全身鎧(フルプレート)なら中身が飛び出て潰れあんまんになってたぞ。


 俺がケダルの額にでこぴんをかますと、彼は痛っ、と言った後、「他の人には内緒にしてて」と顔に埃をつけたまま可愛らしくのたまいやがった。


 ……とりあえずこの案件は、利息が膨らむまで塩漬けにしておこう。


「と、それよりもあれだ。これ以上妙なことが起きないうちに、こいつを連れてさっさと安全なところに移動するぞ」


「分かった。じゃあ僕が右側を持つから、スクナ君には反対側をお願いするよ」


 言いながら倒れた男の上半身を起こし、その右腕を自分の肩に回してよっこいしょ、と持ち上げる。


 俺も右手に持っていた手斧を背嚢に仕舞い込み、左手の懐中電灯で辺りを照らしながらケダルのようにして男の左腕を担ぎ持ち上げた。


「あ、そうだ」


 と、思い出したかのようにケダルが口を開く。


「この『獣』の骨、せっかくだから持って帰れないかな?」


 おいおい、何を呑気な……。


「んな余裕あるかよ。別にほっといて無くなるもんでなし、どうせ船には見張りが立つんだろ? 後から来る正式な調査団に任せとけって」


 少し不機嫌さをアピール。そんなでかいもん、どうやって持ってくんだ。頭に(かぶ)ってくつもりかい。


「いや、怒らないでよスクナ君。今のはちょっと勝手すぎた。ごめん、ただちょっと捨てるのが惜しくて……この骨、石の彫刻みたいに綺麗だから、ついそう思っちゃっただけなんだ」


 そう言って名残惜しそうに『獣』の鋭い剣歯を擦る。つるつるの表面が彼の皮手袋と擦れて、きゅきゅっと心地よい音を立てた。


 言われてみれば確かに。


 この『獣』の頭蓋骨は芸術品と呼べるくらいに精巧で美しく、そして今、骨だけになっても元の獣の強大さが感じ取れる、そんな一種異様な存在感を放っている。


 見納め、とばかりに懐中電灯で『獣』の頭蓋骨、そこから首の骨――頸椎、胸椎と続く全身の姿を照らし出していく。


 そこには骨格標本と呼んでもいいくらい綺麗に磨き上げられた、一匹の『獣』の文字通り一糸まとわぬ姿が眠るようにして横たわっていた。


 そういえば医学部在学中、解剖実習前の骨学実習で一人に一体ずつ貸し出された骨格標本は、何十年前のものかさえ分からない古い木箱に入った人骨だった。しかも処理がいいかげんだったせいか、骨の表面は汚くミイラ化した筋肉や腱の断片がこびりついていた。中には頭髪ごと頭皮が残ったままの頭蓋骨を割り当てられ、心底微妙な顔をしてた奴もいたっけ。もっとも解剖実習本番が始まった後は皆慣れてしまい、その程度で文句を言うのも馬鹿らしくなっていたが。


 さっきケダルがもがいた時に蹴っ飛ばしてしまったのか、数の多い肋骨や手の骨はバラバラに散らばってしまっている。復元しようとすると大変そうだ。


 そして光の照らす範囲は胸から腰、足へと移っていく。


 ん?


 大腿骨のところまで進んだ光を一旦戻す。


 ちょうど背骨の腰のあたりの部分、腰椎と、そこから下の骨盤を改めてじっくりと見直した。


 この腰椎の太さと曲がり具合、それにネコ科動物にしては異常な骨盤の大きさ、外向きに付いた股関節の位置は……。


 そう思って改めて首から肩甲骨にかけて骨の形や大きさを確認する。


 するとやはり思った通り、そこには俺の知る『剣歯虎(サーベルタイガー)』との明確な違いが浮かび上がって来た。


 この骨格……もしかして『(ビースト)』は四足歩行じゃなくて、俺たちと同じように……。


「あ痛っ!!」


 突然、ぼんやり『獣』の骨格を眺めていたケダルが小さく短い悲鳴をあげた。


「どうした!?」


「っつつつ……足の指に何かが刺さったみたいだ。けど、多分大したこと無い。それよりもここには長居し過ぎた、そろそろ行こう」


 怪我をして急に弱気になったのか、たはは、と苦笑しながらずり落ちかけた男の肩を担ぎ直す。


「小骨でも踏み抜いたか? 外に出たらすぐ見てやるよ。変な菌でも入ったら後で怖いからな」


「変なキン? よく分からないけど、ありがとう……そういえばスクナ君って、お医者さんだったっけ。全然そんな気がしないから忘れてたよ」


「……良く言われます」


 実際、外で職業がばれたことは一度も無いからな。もっとも活動範囲が秋葉原周辺だからかもしれないけど。


 歩き始めたケダルに合わせて、俺も男の身体を支えながらゆっくりと向きを変える。


 と、一歩踏み出したその拍子に、俺の袖口から市場でもらった食べかけのリンゴがぽん、と飛び出した。船倉の板床に落ちたそれは、ころころと勾配に従い転がっていく。


「今の音は?」


「っと、驚かせて悪い。三時のおやつが逃げ出しただけだ、気にするない」


 何気なく見つめる俺の視線の先、紅いリンゴは天井から射す薄明かりの中をころりころころと転がっていき、やがてゆっくりと暗がりへ姿を消す―――その直前。


ヒュッ!!


 『獣』の陰から伸びた『何か』がリンゴを捕まえ、暗闇に引きずり込んだ。


「――ぁッ!?」


 それを見た瞬間、俺の呼吸が止まる。咽喉から漏れ出たのは、言葉にならない空気の欠片。


「はは、そんなこと言ってやっぱりおやつが惜しくなったのかい、スクナく―――」


カリッ―――


 笑いながら茶化そうとしたケダルの表情が途中で凍りついた。


 互いの視線が交差する。向こうから見て、多分俺も同じ表情をしているのだろう。


カリカリカリカリカリカリ――――


 一つではない、無数の『何か』が一斉にリンゴを(かじ)る、(むさぼ)る音が船倉に響き渡る。


 何だこれは―――何だこの音は―――


 混乱して考えが(まと)まらない。


 ただ一つだけ分かることがあった。


 それはこの『何か』がリンゴを食べ終わった時、次に食べるのは―――


「逃げるぞっ!!」


 言うが早いか俺は男の身体を無理やり引き()る様にして、階段目指して脱兎のごとく駆けだした。


「ま、待ってよスクナ君!!」


「待たん!! 死にたくなければ死ぬ気で走れ!!」


 後ろで情けない声を上げるケダルに、振り向かず冷酷に叫び返す。


 いや、待っても状況は変わらないし、そんなこと言ってる暇があればとにかく走る!!


 朽ちかけた木の階段を4本の足で乱暴に踏み鳴らしながら、俺とケダルは男を抱えたまま、肩を並べて一気に甲板まで駆け上がった。


 途中で何段か階段の踏板が壊れて落ちて行ったが、気にしている余裕はない。むしろ追撃を防ぐ意味ではグッジョブ。


『だぁぁぁっっ!!』


 ほぼ同時に出口から外の世界に飛び出した。


 途端に肌を刺すように容赦なく照らす太陽の光、だがこれほど待ち望んだことはあっただろうか。


「おおっ、無事だったかケダル!! それにスクナ君だったか、二人ともよくやったぞ。その様子だと、落ちた一人も無事に助けられたようだな」


 青息吐息な俺たちを出迎えてくれたのは、最初に俺が船に入るのを許可してくれたお髭がキュートな警邏隊(けいらたい)の班長だった。飛び出してきた俺たちに驚いたものの、満足そうな模様


 既に甲板の上に村人二人の姿は無い。


 そしてベルタさんが伝えてくれたのか、彼の後ろには俺の忠告通り鋼の鎧に身を包んだ重装歩兵が6人、全身を覆える鉄板のような分厚い盾と鋭い槍を構えて控えていた。


 この戦力はありがたい、が……


「そっそそそそれより早く出口を閉じないと!!」


 担いでいた男の身体を班長に預け、よろめきながら船倉に続く階段の扉へ急ぎ取って返すケダル。


「そんなに慌ててどうした? 報告にあった謎の『(ビースト)』とやらが出たのか?」


「いえ、『獣』はそれらしい死体を確認したから大丈夫なんですけど、それ以外に何かよく分からないのがいて、落ちたリンゴをカリカリ食べて……」


 慌てているせいか、自分でも何が言いたいのかよく分からない。


 班長さんも状況が呑み込めず首をかしげている。


 ああもう!!


「とにかく!! ケダルの言う通り、今は船倉への通路を封鎖してこの船から脱出―――」


ギシッ―――


 突如、階段の方から聞こえてきた木材の軋む嫌な音が俺の言葉を遮った。


 炎天下だというのに空気が凍りつき、全員の視線が船底へと続く暗い入り口に集中する。


ギシッ―――ギシッ―――ギシッ―――


 また同じ音。聞き間違いではない。


 そして音は一回鳴るごとに、確実に前よりも大きく、近くなってきている。


 今まさに、誰かが階段を上ってきているのだ。人間ではない、得体の知れない何者かが。


 皆が固唾を呑んで見守る中-――ふと、軋む音が止まった。


 それが切っ掛けで魔法が解けたようになり、正常な判断力が戻ってくる。


 逃げるのなら、今しかない!!


 班長に向かって頷く。その意図を理解した彼は無言で重装歩兵らに手を振り、撤退の合図を送った。


 気を失った男を抱えた班長が先に渡し板へと向かうと、それを守る様に盾を構え円陣を組んだ歩兵たちがじりじり、と後退していく。


(お前も早く来い!!)


 その姿を見届けながら俺は、声に出さず唇だけを動かし、階段の入り口脇に立つケダルに大きく手招きする。


 が、ケダルはその場を離れようとしない。


 階段の奥を見つめたまま、まるで彫像のように固まっている。


ギシリ―――


 また音が鳴り始めた。何者かはもうすぐそこまで来ている。


(何やってんだ、早くしろッッ!!)


 全身で急げとアピールするが、ケダルは動かない。


 いや――身体が(すく)んで動けないのか?


 はぁはぁと息遣いは荒く、額には大量の脂汗。開いた瞳孔、焦点の定まらない眼には階下の暗闇だけが映っている。


―――ギシッ――――ギシギシギシッ―――


 何の前触れもなしに、いきなり軋みのスピードが上がった。


 くそっ、もう時間が無い。


「ケダル逃げろっ!!」


 咄嗟に手に持ったままだった懐中電灯を、階段目がけて力いっぱい投げつけた。


 出鱈目なコントロールで宙に放り出された懐中電灯はいびつな放物線を描き、ケダルの鼻先を掠めて入口の柱にぶつかり、ガチャンッ!!とガラスが割れるような音と共に砕け、欠片が四散する。


 破砕音で我に返ったケダルは踵を返し、振り返ることなく一目散に逃げ出した。


ざざざっ―――


 一瞬遅れて先ほどまで彼がいた場所を、高さ2mはありそうな黒い巨大アメーバみたいな不定形の塊が通り過ぎる。


「う、うわぁぁぁっっ!?」


「走れ、ケダル走れぇっっ!!」


 間一髪で難を逃れ手足をばらばらに動かして必死に逃げる彼の後ろで、獲物を取り逃がした軽自動車大の黒い塊はもぞもぞと不格好に動き、方向を確かめるように一回転した後改めてケダルの背中に標的を定める。


 だが何故彼を狙う?


 理由はすぐに分かった。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら走るケダルの通った甲板の上に、まるでスタンプを押したかのような赤い指の跡が残っている。


 さっきケダルは足を怪我したと言っていた。その血の、餌の匂いを追ってきたのか!!


「二人とも、盾の後ろに下がりたまえ!!」


 俺とケダル、そして黒い塊との間に3人の重装歩兵が割り込み、行く手を遮る壁になるよう巨大な鉄の盾をぬっ、と突きだした。


「隊列、構え!! 突撃!!」


 中年くらいの渋い男の声が鉄兜の下から響き、それを合図に3人は鎧の音をがしゃがしゃと鳴らしながら勢いよく前へと進む。鎧の上からでも筋骨隆々と分かるくらい体格のいい彼らは、盾で身を隠しながらまるでTVで見たラグビーのタックルのようにして、ケダルを追いかけ迫る黒い塊に全体重をかけ、思いっきり身体ごと激突した。


 見事に三連シールドバッシュが極まり、その衝撃で黒い塊は盾が当たったところから潰れ、バラバラになって弾け飛んでいく。


 やったか?!


 だがそのまま盾で押しつぶしにかかるかと思った重装歩兵たちは、何を思ったのか途中で突撃を中止し、ささっと盾を構えたまま距離を取る。盾の端を伝って血と肉片と体液の混ざった汚い雫がぼたり、と落ちた。


「こいつぁ……」


 さっきの渋い声の男が舌打ちした。


「どうしたんですか? 勝てそうにも見えたのに」


「確かに。手ごたえはあった……だがどうにも押し切れる気がしない」


 ケダルの疑問に面には出さないが、彼は少し怯えたように答える


 血や肉をぶち撒けていることから、あれば生物であることは想像に難くない。


 ならファンタジー的には肉食スライムとかか? あんな不気味で意味不明な生物、図鑑でも閲覧注意系画像スレでも見たこと無いぞ。


―――ヂュ――ヂュヂュヂュ―――


 と、縁日で売ってる鳥形の水笛に三日間使いまわしたフライヤーの古油を入れて吹いたような、濁り湿った粘り気のある音がした。


 視線を巡らしその出所を探すと、先ほどの攻撃で飛び散った肉片の一つが鳴き声を上げている。ピンク色と黒が混ざったそれは一つの肉片にも関わらず、仲が悪いのか内部で綱引きをしているかのように色んな方向に行こうとして、結局動けずにぬたぬたと暴れていた。


 音はそのピンク色の表面で閉じたり開いたりしている無数の小さな黒い穴から、まるで断末魔の呻き声のように絞り出されている。


 うっわキモ、これだからファンタジーは……大体何の意味があってあんなにつぷつぷ穴が開いてんだ、蓮コラかよ。


 ヂュヂュヂュ―――ヂュウ―――ヂュウヂュウヂュウヂュウ―――


 穴の一つ一つから紡ぎ出される穢れた音が耳障りなシンフォニーを奏でる。


 眉をひそめながらそれを見ていた俺の中で、何かがカチリと噛み合った。そして襲ってきた怪物の正体に気付き戦慄する俺の前で、船倉でそうやったように黒い塊本体から伸びた触手が肉片を回収―――いや、食べた(・・・)


 鋭く尖った三角形の齧歯(げっし)、上下4本で1セットになったそれが無数に生えた肉の塊が、リンゴよりも幾分か湿った咀嚼音(そしゃくおん)を上げて元は自分だった肉片を(かじ)ってゆく。


 それだけではない。塊本体の方でも表面が陽光を反射して白く輝いた。牙、そして開いた数えきれないほどの口は、傷ついた部分を辺縁から貪り始める。


 喰われる者の悲痛な叫びと、喰らう者の随喜(ずいき)の叫びが混然一体となって甲板を満たす。


 誰もがしばらく、魂を抜かれたようになってその光景を眺めていた。


「なあケダル、お取り込み中悪いけど、も一つ聞いてもいいか?」


「……手短に頼むよ」


 ヂュウヂュウと不快な音を上げ、不定形の身体をくねくねと揺らしながら食事を楽しむ黒い塊を指差す。


「この世界のネズミってさ、共食いして合体変形する習性でもあるのか?」


 俺のズレた質問にケダルと、それに3人の歩兵は『無い無い、絶対ありえ無い』と思いっきり首を振った。


 そりゃそうだろうな。


「僕も子供の頃、白い手乗りネズミを飼ってたことがあったけどそんな……っていうか、アレがネズミだっていうのかい!!」


「俺も信じたくないけど、どう考えてもネズミなんだよ!! 全体じゃなくて一部を拡大して良く見てみろ!! 黒い毛皮に尖った歯、何よりチュウチュウ言ってんだろ!!」


 そう、襲ってきた黒い塊はネズミ――正確には『群体ネズミ』とでも呼ぶべき怪物だった。


 元々ネズミの怪物が乗り込んでいたのか、例の謎の船に出会った影響でこうなったのかは分からないが、黒い塊の中で数えきれないほどのネズミが肉と肉、皮と皮で融合し、まるでクラゲかボルボックスのように一つの生き物として振舞っている。


 傷口の死んだ仲間の肉を食べた『群体ネズミ』、表面が黒い毛皮と数えるのが面倒になるくらい沢山の黒い目玉に覆われたそれは、しばらくすると体のあちこちがぽこぽこと盛り上がり始めた。よく見ると盛り上がったところから皮を割る様にして、新しいネズミの顔が次々と浮かび上がってきている。その部分だけ毛が生えておらず皮膚だけなので、おそらく食べた死肉を材料にして生んだ子供だろう。群体を構成する個体が減ったらこうして補充するのか。


 だがそれだけでは漂流する船の中で、半年間も生き残れるはずが無い。


 船倉で見つけた『獣』の骨の表面は磨き抜かれたように綺麗だった。どのタイミングであの怪物が死んだのか定かで無いが、最終的に『獣』の身体はこいつに美味しくいただかれたのだろう。


 その後この『群体ネズミ』は、次の獲物が来るまでの間、言わば休眠モードに入っていた。可能な限りエネルギー消費を抑え、構成個体数を減らし、足りない分は自分の身体から出る老廃物や排泄物、時には自身の肉さえ餌にして、あのくらい船倉で息を潜めて待っていた。


 そして俺のリンゴかケダルの足をかじったことをきっかけにスイッチが入り、爆発的に増殖し次のエネルギー源を求め活動を再開した、と。


 皮肉にもあの『獣』の骨が次の獲物をおびき寄せるため『群体ネズミ』の仕掛けたブービートラップになっていたとは、この俺の眼をもってしても……って、毎回分かるかこんにゃろ!! 


 やっぱりこれだからファンタジーはファンタジーだぜ、フゥハハハー!! 


 はぁ……。


「で、結局このバケモノはどうやったら倒せるんだ? お前何か知恵は無いのか?」


 傷口と飛び散った肉片を食べ尽くし回復した『群体ネズミ』を睨みながら、第二波に備えて盾を構え直した重装歩兵のオジサマが焦ったような声で尋ねる。俺に向かって。


 いや、何で俺に聞く。つか全員期待するような目で俺を見るな!!


 まぁこの世界に来てから妖怪バスターみたいなことばっかりしてるから、対バケモノの症例数は豊富かもしれないけど。マジで嬉しくない事実。


 仕方ないので改めて『群体ネズミ』に向き直り、その姿を観察し直す。


 ……先ほどの兵士たちの攻撃に対する自己回復を見ると、打撃や斬撃は効果があっても決め手にならないように思われる。


 確かにロスした肉の分大きさは縮んでいるようにも感じるが、全部の個体を倒しきるまで一体どれくらいの攻撃を加えなければならないだろうか。しかも俺たちの方は少しでも齧られると感染症の危険がある上、こちらを食った分だけ相手は肉の量を増やすという超無理ゲー。接近戦はしたくない。さらに退治に手間取って日が暮れると、ネズミは夜行性だからルナティックモード確定だ。


 だがこの『群体ネズミ』がネズミの合体によってできたと考えれば、ネズミと同じ生物としての弱点を残している可能性もある。そこを突くことができれば……。


 そういえば医学実験でネズミを殺す(サクリファイス)時にはどうしてたっけか? 確か最近では動物愛護の観点から、密閉しての麻酔ガスが基本。でなければ用手的(ようしゅてき)頸椎脱臼(けいついだっきゅう)で必殺な仕事人ぽくコキッと……。


 うん、物理的にむ~りぃ。


 じゃあ単純に害獣として駆逐してやる!!場合には?


 毒餌(どくえさ)なんかは魅力的だけど、殺鼠剤(さっそざい)を売っているホームセンターは異世界には無い。意外とホウ酸団子なら作れるかもしれないけど手持ち無し。


 なら後はネズミ取りで捕まえてからの……


「安全にかつ完全に倒すのならば、水没させるのが一番だと思います」


「水没……海に落として溺れ死にさせるということか」


 頷く。


 『群体ネズミ』が生物なら、活動には酸素が必要だ。チュウチュウ言ってることから、その表面に浮き出した顔に開いた無数の口で呼吸をしているのだろう。


 ならば海に落として沈めれば、いずれ全個体が溺死する……はずなのだが……。


「むっ来る―――全員構え!! 打撃を繰り返しながら、奴を水際まで追い込むぞ!! 突撃!!」


 オーッ!!


 重装歩兵は勇ましい声を上げ再び3つの鉄の盾を一枚の壁のように合わせ、『群体ネズミ』が飛びかかってくる前に自分たちから再びシールドバッシュの一撃を喰らわせた。


プヂュヂュッ!!


 盾の当たった面のネズミたちが押しつぶされ、血と体液を撒き散らしながら悲鳴を上げる。『群体ネズミ』本体へのダメージは分からないが、黒い塊は甲板を後ずさった。


「下がれ!!」


 攻撃を終えた兵士たちは、号令の元すぐ距離を取る。


 そして敵が傷口の個体を食べ回復モードに入るのを確認すると同時に、


「突撃!!」


 陽光を受け白銀に輝く盾が一斉に繰り出される。


 打撃を受けた『群体ネズミ』の表面個体が圧殺される。


 再び距離を取る。攻撃する。その繰り返し。


 黒い塊が少しずつ船縁に追いやられると共に、潰された個体の分、その大きさ自体も縮んできているようだ。


 これは勝利パターン入ったか?! 


「おい、このまま海に突き落とすのはいいが――別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」


「いいですとも!!」


 喜々として答えると、リーダーらしき中年男性は仲間に指示して攻撃の向きを微妙に変えた。佐官コテで押し固めるように様々な方向から突撃し、効率的に『群体ネズミ』の表面個体を潰しにかかる。  


 流石は熟練戦闘職、こういう機転がきくのは頼りになる。


 重装歩兵たちが敵を追い詰めつつある今、取り残された俺とケダルは彼らの後ろでやんややんやと(はや)し立てるしかすることが無く、完全な応援モードに移行していた。


 この調子でいけば盾メインで勝つる!! そう思い始めた時、


 ―――ヂュウ――ヂュ――シーシーシーシー


 『群体ネズミ』の鳴き声が変わった。


 さっきまでの汚らしいながらもネズミらしさを残したチュウチュウというのではなく、まるでストローを(くわ)えて呼吸した時のような空気の動く音に。


「ぬっ!?」


 勢いよく繰り出されていた盾の動きが止まる。


 見ると鋼鉄の盾は『群体ネズミ』の表面にぴったりと貼り付いたようになり、屈強な兵士たちが押しても引いてもびくともせず、体液滴るネズミの体から離れようとしない。


 さらに本体から盾を迂回(うかい)するようにして伸びたピンクと黒のマーブルな肉触手が、今度は必死で盾を引き剥がそうとする兵士たちに狙いを定める。


「盾を捨てろ!!」


「クッ、全員退避!!」


 俺の叫びにリーダーのおっさんが呼応、兵がその場を離れるのと浸蝕してきた肉触手が盾を飲み込むのはほぼ同時だった。肉に絡め取られた盾はそのまま固定され、胴巻のように『群体ネズミ』の腹を守る鎧となっている。


 こちらは武器兼防具を取られ、逆に向こうは盾を手に入れた。


 一手で形勢が逆転。甲板に残った俺たち5人は、もはや一方的に狩られる側に追いやられてしまった。


「な、何が起きたんですか?」


「……分からん。急に盾が奴の肌に吸いついたようになり、全く動かなくなった……」


 まだ現実感が無いのか、装備を奪われ狼狽している兵士たち。


 ……さっきのは多分、空気圧を利用して盾を吸着したのだろう。直前に呼吸音が変わっていたことから、盾の当たった面のネズミたちが息を吸い続け、反対側で息を出す。そうすることで吸盤のようにぺっとりと盾を吸いつけた。一つ一つの吸引力は小さくても、その数が数えきれないほどであれば、あれくらいのことは可能だ。全体が繋がっている怪物だからこそできる芸当。


 盾を取り込み、自己修復を終えた『群体ネズミ』がこちらに一歩足を進める。


 みしり、と老朽化した甲板が悲鳴を上げた。


「こうなったら道連れにするつもりで、あいつと一緒に海に飛び込むしかないのか」


 悲壮な覚悟を決める兵士たち。


 確かに王都を守るためにはそれくらいの犠牲が必要かもしれない。でもそれは……


「いえ、そんなことをしたら事態はさらに悪化します」


「ならどうすればいい!! このままではあの怪物の上陸を許してしまうのだぞ!!」


 リーダーの男が俺に詰め寄る。


 だがここで引くわけにはいかない!!


「今の盾を奪った行動から、あいつには体の形を自在に変えるだけでなく、臓器や器官を好きに移動させる能力があると考えられます。なら水に入っても鼻先だけ伸ばせば溺れ死にさせられない。一緒に飛び込むということは、結局あいつに餌を与えるだけです」


 レミングの例もあるように、ネズミは泳ぐことができる。一匹でも取り逃がし陸に上がられてしまったら……『群体ネズミ』は市民を襲って指数関数的にその構成個体数を増やし、冗談抜きで王都を喰いつくす怪獣に育ってしまうかもしれない。


「無駄死にでも構わん。『次の一手』に繋げられるだけの時間が稼げるのであれば、この命惜しくは無い」


 そこまで言われて、俺は言葉に詰まる。


 ……彼らの気持ちを甘く見ていた。


 俺の世界の軍隊は、既にその役割の多くを抑止力に移している。


 国家間で軍事力が拮抗している間は突発事態以外で戦争が起きることは無く、ロシア空軍の東京急行や中国海軍の尖閣侵入のように、出撃側も迎撃側もどちらも威嚇(いかく)が目的となる。だが(ワーム)など怪物を相手に戦っているこの世界の兵士にとって、出撃は必ず戦闘とセットであり、今日元気で笑っていた者が明日は物言わぬ死体になるのが普通なのだろう。


 文字通りここは、『常在戦場』の世界。


 でも、だからって俺の眼の前で無駄な犠牲を出させてたまるものか!!


 焦る頭を空回りさせて、必死で策を絞り出す。


 船ごと沈める?


 今からでは時間がかかりすぎる上、この手の木造船に自沈用のキングストン弁があるわけ無いので却下。


 丸太に持ち替えて撲殺?


 あいにくどっかの島みたいにぽいぽい丸太は生えてないし、肉が飛び散るとそこから新しい個体が生まれるかもしれないので危険。


「そうだ、魔法は? 正規兵なら精霊魔法を使える人がいるんじゃないですか?」


 デューやお姫様の使っていた水牢や樹霊操作、距離を取れるなら空気弾でもいい。


 が、皆揃って首を横に振る。


 ああもうこれだからファンタジー貴族主義は!! 最初っからそっち側に生まれるか強力な後ろ盾でもない限り、足を引っ張る要因にしかならん!!


 時間がかかってもデューを探すか、とも思ったけど、今さらながら連絡方法を知らないことに気が付いた。


 あれか、駅の掲示板にメッセージ書いときゃいいのか?


 だったらそれよりパン工房に戻って、うちの最終雷撃兵器ナルカに出張ってもらうのが一番現実的だろう。


 理由は分からないがナルカの電魔法は怪物、昨日の戦闘で見た限り不浄な敵に高い効果があるから、『群体ネズミ』を丸ごと焼き尽くすことができるかもしれない。問題は彼女を呼んでくるまでの間、人的被害が出る可能性が非常に高いということだが。


 ん、『焼き尽くす』?


 そういえば荷物にあれがあった!!


 背嚢(はいのう)の中を漁り、目的の物を取り出す。


 二合瓶くらいの大きさのガラス製ボトルに入った黄色い透明なオイル。適当な木に布を巻きつけて油を垂らし、簡易松明を作るためのものだろう。中身の量は多くないが、これなら失敗した時のダメージも少ないだろうから丁度いい。


 そして着火装置。懐中電灯と同じく、圧力で魔法の石に封印された火が解放される放射機構(エミッション)方式だ。形も万力と手元の炎避けに小さな金属製の傘が付いている、いわばミニランタンのような簡素なもの。


 この二つが勝利の鍵だ!!


「よっし、んじゃネズミ退治と行きますか!!」


 ってか合体しようが分裂しようが、人間様がナメられたままでたまるか!!


 あっけにとられて見ているケダルと兵士たちの前で、オイル瓶のコルク栓をぽん、と抜き放つ。中から古いサラダオイルのような香りが解き放たれ、俺の鼻腔をくすぐった。


 植物性油か……燃やすなら灯油みたいな鉱物油の方が良かったけど、精製技術がまだ無いのだろう。それ以前に化石燃料があるかどうかも謎だけど。


 だったら予定変更、プラン2発動!!


 勢いをつけて瓶の中のどろっとした液体を、思いっきり『群体ネズミ』に向かってぶちまける!!


 ぱしゃっ、とネズミの全身にかかった油は、その黒い毛皮をしっとり濡らす。


 そのままぽい、と瓶を自分の手前に投げ捨てる。ごろりと転がったオイル瓶の口からは、残った油がとろりと(こぼ)れ出た。


 ヂュウヂュウ―――ヂュ―――


 ネズミたちの声が止んだ。


 やがてぺちゃぺちゃと一斉に何かをすするような音が聞こえ始める。


「油を()めてる……そうか、あいつが食事に夢中になっている間に逃げるんだね!?」


「それもいいけど、そうじゃない」


 はしゃぐケダルを(たしな)める。


 油を食べたことで『群体ネズミ』は、その形が少し大きくなってきたような気がした。だが先ほど回復フェーズで見せたように、新しい個体が生み出された印象は無い。


 読みが当たった。後は、


「ちょいとそこの兵隊さん、持ってる槍、貸して下さいな」


「何に使うつもりだ?」


 重装歩兵のリーダーの男性に頼むと、(いぶか)しがりながらも彼は持っていた長さ2mほどの鋼の槍を手渡してくれた。槍の柄は中空構造のため見た目より軽く、穂先は刃渡り20cm程度。勇者が序盤後編あたりの町で購入しそうな量産品だ。


 これなら取り回しも問題ない。


 着火装置の万力部分を渾身の力でねじ上げる。数秒待つと圧力を受けた中心部分の魔法の石にぽうっ、と赤い光が宿った。光は懐中電灯の時と同じように強さを増し、やがてガスバーナーのような紅い焔を勢いよく吹き出し始める。限界まで万力をひねったためか、金属製の覆い傘も赤熱している。


 炎を噴き出す着火装置の取っ手を槍の先端に掛けてぶら下げた。


「細工は流々仕上げを御覧じろ、とね」


 ミシリ……


「動いた!? こっちに来るよ!!」


 (あせ)ったようなケダルの声。


 自分の体の油を無数の口で舐め取りながらも、『群体ネズミ』はさらなる餌を求めて甲板を軋ませながら俺たちの方にゆっくりと歩を進めた。


 そうだよな、半年間断食してたんだからリンゴ一個じゃ食いたりないよな。でも、


「慌てない慌てない、一休み一休み……永遠のなっ!!」


 さっと槍を伸ばして穂先に着けた着火装置を『群体ネズミ』の天辺に近付け、吹き出す紅蓮の炎でじっくり脳天を(あぶ)ってやる。


 小さいながらも高出力の炎はじりじりと表面を焦がしていく。毛皮がちりちりになり、しばらくして炎が油のかかった部分に及ぶと、そこから一気にばっと『群体ネズミ』の全身が燃え上がった。


 キーキーとかチーチーとか小さな悲鳴が数限りなく上がるが、聞こえんなぁ!!


 汚物は消毒、大事、とても大事。ちぃ覚えた!!


 しかもこの『群体ネズミ』は表面に浮き出た鼻や口で呼吸しているので、ある意味ミミズなどの皮膚呼吸生物に近い。それが体表を炎に包まれたものだから、鳴き声を上げていた顔は、酸欠や火に咽喉(のど)を焼かれて次々と押し黙る。


 『群体ネズミ』は逃れようと身体をよじるが、その都度鼻先に火を突き付けることで妨害する。普通の火と違って放射機構(エミッション)の魔法の火は、圧力が解除されない限り風が吹こうが雨が降ろうが、さらには乱暴な扱いをしようが消えることは無い。まさにファンタジーの炎万歳。


 ……しっかしよく燃えるな、こいつ。


 長期の飢餓生活で全身が程よく乾いていたのか、それともさっき取り込んだ油に火が付いたのか。何にしてもこの状況は大歓迎!!


 槍を操りながら適度に『群体ネズミ』の全身を炙り続けていると、その表面がぼこぼこと盛り上がり暴れはじめた。小さな瘤が生まれては消えるそれは、まるで意思を持った鳥肌が勝手に立ったり戻ったりするよう。


「こ、これは一体何が起きている?!」


「……さっきも少し見られましたけど、多分綱引き、というやつです。危険を感じた個々のネズミが必死で沈む船から逃れようともがいている」


 ビッチ声の寄生生物的説明が通じたかどうか、炎を眺めながらほうほう、と頷く歩兵リーダー。


 要するにこの『群体ネズミ』は見た目こそ群体生物だが、結局のところ某政党みたいな寄り合い所帯でしかなかったということだろう。本体が危険に曝されれば構成個体は我先に逃げ出し、しかし逃げられず死んでゆく。


 炎の中で溶けるように崩れゆく黒い体は、最初の軽自動車大からオート三輪、ハーレー、ナナハン、原付サイズと次第に小さくなってゆき、自転車、三輪車、キックボード、そして最終的にはスケボー程度の消し炭の塊になった。その横に奪われていた3枚の鉄の盾が、がらん、と音を立てて(すす)だらけの体を横たえる。


 ……いやいやいや、油をかけてたからとはいえ、いくらなんでも燃え過ぎだろ!!


 たかがサラダ油1瓶で、灯油ぶっかけた藁束(わらたば)みたくこんなにあっさりメ~ラメラ燃え尽きちゃうとは。


 もしやあのネズミ怪獣も以前の式神兵士みたいに紙で作られていたとか?


 あの肉感からすると絶対ありえないけど。


「やったね、スクナ君!!」


 不意に槍を持った手をぎゅっと両手で握りしめられる。


 見るとケダルがなにやらキラキラした視線を俺に投げかけていた。


「あ、ああ、そうだな……」


 実際は火を点けて終わりでなく、ここから分裂とか狂暴化とかグレムリン的な展開も警戒していただけに、こんなにあっさり倒せてしまったことに当の自分が一番驚いている。


「でかした小僧!! だが、よくあいつの弱点が火だと気付いたな」


「……まぁ動物は火に弱いですから。槍、ありがとうございました」


 礼を言ってまだ炎を放っている着火装置を外し、中年兵士に槍を返した。


 しかしあの燃え方、やはり尋常では無かった。あの『群体ネズミ』が滅茶苦茶火に弱い逆火鼠だったとか、そういうのでもなければ理由がつかない。


「それより早く、今のうちに船を降りましょう。また別の怪物が出てくるとも限りませんし」


「そうだね、こんな思いはもうこりごり……痛っ!!」


 渡し板に向かって歩き始めたケダルが顔をしかめた。


「ったた……そういえば足、怪我してたっけ。安心したと思ったら急に痛くなってきたよ」


「そういうもんだ。船を降りたら約束通り見てやるよ。どうせさっきのネズミに噛まれたんだろ?」


「多分ね」


 ならばなおさら感染症には注意しなければ。


「あ、もしかしたら噛まれたところから毒が回って、明日の朝起きたらケダルは怪奇ネズミ男に変身してるかもな」


「え、そんなことになるの? どうしよう……助けてよスクナ君!!」


「ははは、冗談だよ」


 半分本気だけど。ぶっちゃけファンタジー世界なら何が起きても驚かん。


 足を引きずって歩くケダルに肩を貸しながら甲板を通り過ぎ渡し板を降りると、先に撤退した班長と歩兵たち、その他に例のM字ハゲたち警邏隊(けいらたい)の人らが待っていてくれた。


 とん、と動かない船着き場の地面を踏みしめると、やっと戻ってきたという実感が生まれる。


 ……しかし結局、あの『群体ネズミ』は何だったのか。『(ビースト)』は、そして影も形も痕跡さえ見当たらなかった、アイーダさんの旦那さんを始めとした船員たちはどうなったのか。彼らが出会った謎の船は……。 


 ふと雲一つない青空を見上げる。


 風の無い王都の港の上には『群体ネズミ』の焼け跡から立ち昇った黒い煙が、俺の困惑を象徴するかのように、いつまでも消えずにふらふらと漂っていた。

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