若さって何だ
短い居住区の廊下を駆け戻り、さっき蹴倒した扉を踏みつけて甲板に飛び出す。
外に出ると大分西に傾きながらもまだ強い初秋の日差しが、顔面の皮膚を容赦なく灼いた。
「ケダル、何が起きたっ?!」
平手で目元に蔭を作りながら叫ぶ。
「あそこだよ!! 船の甲板が壊れてるっ!!」
彼の指差す先の床には、ちょうど畳一畳分ほどの大きさの穴が、ぽっかりと黒い口を開けていた。穴の脇には腰を抜かしているのか、二十代後半くらいのガタイのいい男がぺたんと座り込んでいる。
ん? こいつの顔、どっかで見たことがあるような……
「どうしたんです!? 何があったんですかッ!?」
俺の横をすり抜けて前に出たケダルが、放心している男の肩を叩きながら厳しい口調で尋ねた。
だが男は何かを言おうとしても言葉にならないらしく、あわあわと口を動かしながら穴の中を指差す。
『……ここだっ早く引き上げてくれ!! もう落ちちまうよぉっ!!』
俺の位置から暗くて姿は見えないが、大きく開いた穴の中から野太いのに弱々しい、恐怖に震えた別の男の声が助けを乞う。
「そのまま動かないで!! すぐに助けますからッ!!」
穴の中に声をかけながら、ケダルはその場で自分の背嚢を下ろして予備のロープを一束取り出した。
その背中越しに穴を覗き込む。
船倉の天井に突きだした梁にかろうじてぶら下がっていたのは、甲板にへたってる男と同じような年齢背格好、ただし顔は無精髭だらけの粗野な感じ青年だった。さっきの情けない声の主は彼だったのか。
そしてその足元には、船倉の奥へと続く真っ暗な空間が広がっている。
―――そうだ、『獣』は?
航海日誌に書いてあった謎の敵、アイーダさんの旦那さんたちが犠牲を出しながらもやっと船倉に閉じ込めたという『獣』はどうなった!?
だが暗闇の中には何も見えず、何かが動く気配も無い。
ぶら下がっている男を助けることで頭が一杯になっているのか、準備に必死なケダルは『獣』のことをすっかり忘れてしまっているみたいだ。
さっき俺たちが甲板を歩いた時には何の気配も感じなかった。そして今もだが、もしまだ『獣』が健在であったのなら、先ほどの衝撃で目を覚ましこれから活動を始める可能性もある。
『獣』の襲撃を警戒しながら、ぶら下がっている男を助けるのを“両方”やらなくっちゃあならないってのが、ちょっと辛いところだが……。
思案にふける俺の視界に、甲板に置かれたさっきまでケダルの背負っていた皮製の背嚢が映った。
「そうだ!! 悪い、少しお前の荷物見せてもらうぞ!!」
「ああ? いいけど……」
生返事が戻ってきたが、構わず背嚢を開ける。中には色々な防災グッズ的な物品がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
まず目についたガスバーナーっぽい形をした放射機構式着火装置と油。これは『獣』が出てきたら火で驚かせて牽制程度には使えるか。
同じく放射機構式の懐中電灯。マグライト型で、仕込まれた万力を締め上げることで発光する仕組み。
そして手斧に予備のロープ、蝋燭、危険と所在を知らせるための警笛―――なぬ、警笛!?
はたと気が付き、慌てて小さな棒の形をしたそれを引っ掴んで取り出し、吹き口を作業中のケダルの口に突っ込んだ。
「んむぐっ!?」
「良く考えたら、俺らで全部やらなくってもいいんだよ!! さっさと外にいる仲間を呼べっての!!」
俺自身も完全に忘れていたので、ばつの悪さを隠すように乱暴な声を出してしまった。
いきなり口に警笛を突っ込まれて目を白黒させていたケダルだが、やがて俺の意図を理解したのか、言われるまま思いっきり息を吹き込む。
ピーッ、っとヤカンの沸いたような音が空に響くと、すぐに渡し板の方からどかどかと皮ブーツの足音が聞こえてきた。現れたのは船に入る前、ケダルや班長と一緒に井戸端会議をしていたM字ハゲの男性。ケダルと同じ隊の支給品らしき皮のライトアーマーを着た彼は、生え際が絶賛登頂中の額に汗の珠を光らせながら、息を切らして早歩きでこちらに近づいて来た。
え、一人だけ?
「あの、援軍はベルタさんだけなんですか? 他の隊員は……」
ケダルも俺と同じ疑問を持ったらしく、訝しげにM字ハゲに尋ねる。
「すまん。さっきこいつらが船に落っこちたせいで、野次馬が騒ぎ出してしまってな。隊の皆はそれを抑えるのに手いっぱいなんだ」
言われてみれば群衆ともみ合った時に引っ張られでもしたのか、ベルタと呼ばれたM字ハゲの服は裾が伸びたりしてかなり乱れている。残った貴重な髪の毛、引っこ抜かれなくて良かったね。
「……ところで落っこちたって、この人たちどうやって船に乗り込んだんです?」
「上を見てみろ」
尋ねると、頭以外は若いベルタさんは空を指差した。
そこには船の上に伸びた一本の梁のような構造物、そこから太いロープが垂れ下がっている。ロープの先は何かが括り付けられていたのかもしれないが、今は千切れたようになっていて、飛び出た何本かの繊維が頼りなく風に揺れていた。
「あれは……」
「貨物積み込み用の起重機だ。こいつら、柱を伝って入り込むつもりだったらしいんだが、マストに飛び移ろうとしたところでロープの先の鉤が外れてこの有り様、というわけだ」
よく見てみると、起重機―――多分手動クレーンのロープは所々ほつれており、そもそも劣化していて交換する予定だったのだろう。
『お前ら何やってんだぉぉ、早く助けてくんろぉぉ』
田舎者丸出しな台詞が穴の中から聞こえてきた。
ぶら下がっている彼にも体力の限界がある。無駄話をしている余裕は無い。
「ベルタさんどうしましょう?」
「ふむ、まずはロープで自分の身体をどこかに結びつけろ。そうしたらお前が穴の中に手を伸ばすんだ。私たちが後ろに備えて引っ張り上げる」
「了解です!!」
そう言うが早いかベルタさんは、ケダルに括り付けられたロープのもう一方を持ってマストの所に走り出し、硬く結びつけた。
急いでいるからか、結んだその上につけられた『獣』の爪痕に気付いた様子は無い。
すぐにロープがぴん、と張られ、俺たちの見ている前でケダルはそろそろと穴の中に降りて行った。
やがて……
「捕まえました!! 引き上げて下さい!!」
「よしきた!! スクナだったか、キミも手伝ってくれ!!」
「あ、ああ」
最初から俺も頭数に入っていたような気もするけど。
各々自分の足場を確保すると、思い切り踏ん張ってベルタさんと一緒にロープを引っ張る。
「うぁ重っ!!」
「大人二人分だからな!! 気合入れろよ少年!!」
ちょっと弱音を吐くとすぐに体育会系な激励が飛んできた。
仕方ないので彼に合わせる形でよいせ、よいせ、と掛け声をかけながら縄を手繰り寄せていく。
やがて皮鎧を着たケダルの背中と、それに続いて落とされまいとケダルの体にタコのようにぎっちりとしがみつく若い男の姿が穴の縁から現れた。
男―――仮に村人その1は、落ちた衝撃でか所々かすり傷は負っているものの、目立った大きな外傷は無い。陽に焼けてくすみ、灰色に変色しかけたくせのある金髪が、恐怖による冷や汗を吸ってかぐっしょり濡れて彼の額に貼り付いている。
ん、んん?
さっき彼の仲間を見た時の違和感が、もう一度鎌首を擡げてきた。
こいつの顔も、やっぱり……。
「ひぃっ、ひぃぃっ……た、助かったっっ……ありがてぇありがてぇっ!!」
無事に甲板に引き上げられた男は、いい年こいて涙と洟水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、それでもまだ怖いのかケダルにしがみついたままその腕を離そうとしない。
「よし、救助は無事終了だ。早く船から降りて班長に報告しなければ……しかし、でかしたぞケダル!! 私からも特に、お前の勇敢さについては伝えておこう。もう一人前の兵士だな!!」
「はっ、ありがとうございます!!」
先輩に褒められて、まだ少年のようなあどけなさを残した顔に一杯の喜色を浮かべるケダル。
魔界大冒険ならここでBGMが変わってカメラが遠景になり、空に大きく『おわり』の文字が浮かびそうな雰囲気なのだが、そこに冷水をぶっかける。
「いや、喜ぶのはちょっと待った」
「スクナ君?」
俺は救助された男―――村人その1の前に回り込み、自分の顔を見せつける。
「あんたさ、前に酒場で会ったの覚えてないか?」
村人その1はしばらく俺の顔をまじまじと見つめていたが、やがてハッ、と何かに気付いたような表情になった。
「お前、あの時姫様を馬鹿にした奴と一緒にいた、黒髪の……」
そうだ。この男たちの顔にどこか見覚えがあるかと思っていたのだけれども、俺が王都に来た日にアイーダさんの店でグレリーに突っかかっていた地方出身らしき酔っ払いの男たち。
確か地滑りが名物のカレリアだかガルガンティアとかいう村から来たんだっけ。
「思い出してくれて何より。で、聞きたいんだけど、あの時確かあんたたち3人で店に来てたよな。あと一人はどうした? 今日は一緒じゃないのか?」
「そ、そうだ!! 兵隊さん助けてくれ!! 一緒に乗り込んだ仲間が一人、船の底まで落ちちまったんだ!!」
「なっ!? まだ中に人が!?」
男に肩を掴まれ必死の形相で懇願され、思わず声が裏返るケダル。
「この奥の船倉にか……しかし助けを求める声も聞こえないとなると、中で怪我をして気を失っているかもしれないな」
しげしげと甲板の穴を覗き込むベルタさんは、ロープの長さも足りないし、救助に向かうならもう少し人出が欲しいぞ、と呟く。
「いや、ちょっと待った。航海日誌に書かれていたんだが、船倉には……」
「自分が行きます!! 誰かが助けを待っているのに、悠長にしてなんかいられませんよ!!」
そう言うが早いかケダルは止める間もなく腰に結びつけた命綱をロングソードで断ち切り、援護お願いします!! とだけ頼んで穴の中に颯爽と飛び込んで行った。
取り残された俺とベルタさんはケダルが姿を消した穴を見て、そして顔を見合わせた後、
「あのお調子者、少し褒めたらすぐこれだっ!! あれほど無謀と勇気は違うと……」
「ってかそれよりも、あいつやっぱり『獣』のこと完全に忘れてるっ!!」
「『獣』!?」
「航海日誌に書いてあった、船を襲った怪物です!! 倒せなくて船倉に閉じ込めたって!!」
ベルタさんの表情がさっと曇り、そして思案顔に変わる。M字ハゲのおでこに光る汗の珠数が増えたのは、暑さのせいだけではあるまい。
どうする!?
ここでさらなる警邏隊の応援を待ってもいいが……いや、考えようによってはある意味これはチャンスだ。
船倉を調べ、『獣』の正体を知る機会。そしてこの船を襲った謎の霧の正体に近付くための。
皮肉にもケダルの蛮勇が俺の背中を押してくれた形になった。
甲板の上に置いて行かれた彼の背嚢を拾い上げ、その中から手斧を取り出す。
よくビルの緊急ガラス割り用に設置されているやつみたいな形をした手斧は、2,3回振ってみても手になじみ、使い勝手には問題ないみたいだ。
「俺がケダルに続いて下に降ります!! ベルタさん、あなたはこの二人を船の外に連れ出して、代りに戦闘可能な武装兵を部隊単位で連れて来て下さい!!」
「待ちたまえ、それは私の役目だ!! これ以上民間人を危険に曝すわけにはいかん!!」
「俺じゃ戦力を引っ張ってこれないから言ってんですよ!! 見て下さい、このマストの傷を!! こんな鋭い爪を持った怪物がいるとすれば、下手を打つと群衆に犠牲が出るぞ!!」
マストに大きく刻まれた『獣』の爪痕を指差す。
ベルタさんの喉がごくり、と鳴った。
この船から獣が解き放たれ野次馬の群れに飛び込まれでもしたら、大惨事は必須。
それに航海日誌に書かれていた犠牲者の数は4人。少なくともそれ以上の人数がいなければ、『獣』には対抗できない。
逡巡する彼の決断を促すかのように、俺は手斧を握って船倉へ続く階段、その入り口を塞ぐ木製の格子戸の前に走り寄った。
湿気にやられて既に崩れかけの木材、そこに向かって思いっきり手斧を振り下ろす。
5回ほど振り下ろしたところで格子の真ん中に人一人通れるだけの大きさの穴が開いた。
「それじゃあよろしく頼みますねっ!!」
振り返らずに言い放ち、俺は手斧を構え直すと暗闇に満たされた船倉に飛び込んだ。
ああこれだから若いもんは人の言うことをっ、どう報告すればいいんだ私は!! という残されたベルタさんの愚痴とも取れる悲痛な叫びが、俺の頭上を通り過ぎて行った。