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『獣』の影

 ぎしぃっ


 アイーダさんの体重を受けた木の板がしなり、光の届かない真っ暗な船倉がちらっと見えた。彼女が慌てて足を戻すと、(まぶた)を下ろすようにして黒い隙間は目を閉じる。


「危ないですから、俺が歩いた後を踏むようにして下さいよ」


「お、おぅ……」


 下を見て肝を冷やしたのか、生返事が戻ってきた。


 誰もいない幽霊船の上を、俺、アイーダさん、ケダルの順に三人で隊列を組んでゆっくり進んでいく。が、足元の甲板は所々穴が開いたり腐っていたりと、非常に心もとない。


 一つ間違えれて足を踏み外せば、船底まで真っ逆さま。

 

 でもそれを見越して互いの腰をロープで数珠(じゅず)繋ぎにしているので、誰かが落ちても別の二人がファイトすれば一発で引き揚げることができる、はず。


 足場が崩壊するかもしれないから、あんまりやりたく無いけれど。


「ところでスクナくん、だったっけ。さっき生存者を確認すると言ってたけど、どうするつもりなんだい?」


 列の最後尾で殿(しんがり)を務める3章で言うところのス○ットや○レンスみたいな臨時仲間、兼監視役のレザーアーマーを着た若い警備兵ケダルが尋ねてくる。


 こいつだけ革の(かぶと)に革靴、レッグプロテクターと廃墟探索装備は万全だ。並ぶと半袖チュニックに短パン、サンダルの自分が間抜けに見える。


「そうだよ!! 大体さ、もし誰かが生き残っているなら水や食料がある船倉近くにいるはずだぜ!! なのにさっきから入り口を全部素通りしてるし―――お前、本当に探す気あんのか!?」


 ああそう言えば、とりあえず甲板には昇ってみたものの俺の目的を話してなかったっけ。


 立ち止まり、後ろの二人に顔を向ける。


「悪いけど船倉は後回しになります。俺たちが向かっているのは、船尾部の居住区にある船長室ですから」


「船長室? でも生存者がいるとすれば、調べるべきは彼女の言う通り食料庫周辺じゃないかな」


 ケダルの疑問はもっともだ。けれどもそれは、最適解ではない。


「難破船や遭難船を探索する場合、最初にすべきことは航海日誌の確保。それを読めば難破の原因や状況、それに航路や生存者の数、船の食料事情なんかが全部わかります。例えば未知の病気が船を襲っていたとしたら? うかつに近づけば、助けられるものも助けられなくなる」


 なるほど……と感心して(うなづ)くケダルはともかく、アイーダさんはまだ不満そうな顔をしているが、とりあえず静かにはなってくれた。


 海底人の戦争に巻き込まれた青狸一行が映画でそうしてたから、というのが理由なんだけど、ここは黙っておこう。


 そもそも本格的に救助を行うのなら、最初に警邏隊が考えていた通りに、船の設計図を調べてから救助隊を組織するのが一番安全、ということは十分承知している。


 でも救助がいつになるか分からない現状では、せめて生存者の有無の確認くらいはしておきたい、という気持ちは本心だ。


 ……まあ自分でも若干暴走気味だとは思うけど。


 やや傾斜がついて下り坂になった甲板を、転ばないように注意しながらゆっくりと進んでいく。


 甲板にも船腹と同じように、所々丈の短い海草や小さなフジツボがこびりついている。


 波を被ってこうなっただけなら良いけれども、一旦沈んでいた船が浮上してきたんだとすれば、生存者は絶望的だ。


 そんなことを考えながら朽ちて田舎の電信柱みたいになったマストの横を過ぎた時、一つの異変に気が付いた。


「ケダル、ちょっとこいつを見てくれ……こいつをどう思う?」


 比較できるように自分の掌をそれの横で広げる。


「すごく大きい……何かの爪かな」


 マストの根元付近にはちょうど熊が縄張りを示す時につけるような、太い3本指の爪痕が木肌にくっきりと白く残されている。


 高さも丁度俺の頭の位置。この大きさのクマーに平手で叩かれたら、一発で首から上がパイルダーオフするだろう。


 触ってみるとその傷は昨日今日付いたものでは無いらしく、潮風に当たって変色を始めている。周囲にそれと分かる動物の毛などは見当たらない。


「俺はこの世界の事は良く知らないけど、こんな爪を持った生き物っているのか?」


 聞かれてしばらく顎に手を当て考えていたケダルだったが、


「分からない。少なくとも大陸だと飼育されている家畜以外は、大型の野生動物ってあんまり見かけないんだ。僕らが守ってやらないと、みんな(ワーム)に食べられちゃってたからね」


「じゃあ(ワーム)がいなくなったから現れたとか?」


「蟲が姿を消してまだ10日かそこらなんだから、普通はありえないよ」


 なるほど、筋は通っている。だとすると……


「アイーダさん、この船が動物を運んでいた可能性は? そもそも積み荷は何だったか知ってますか?」


「……あたしが聞いてた限りじゃ、荷物は服とか装飾品が中心だって言ってた気がする。海沿いに港町を廻って荷を売り(さば)いて、代りに重石(おもし)になる大理石とかの彫刻用石材を積みこんで帰ってくる予定だったとか」


 第一動物がいたら遭難中に食べてるだろ、と続ける。


 さもありなん。


 だとすると、なおさらこの爪痕が誰のものなのか分からなくなってきた。


 もしかすると未知の怪物がこの船のどこかに潜んでいるかもしれない。そしてそれが原因で遭難したのなら……。


 真昼間、炎天下だというのにひゅっと背中の汗が引いていくのが分かった。探索にあまり時間をかけずに、早めに終わらせてしまおう。


 の前に、すっと眼を閉じる。


 息を思いっきり吐き出し、呼吸を止めて直立不動で自分の足の裏に意識を集中。

 

 王都で手に入れた安物の薄っぺらな革サンダルを通して甲板の下、船倉の中の気配を探る。


 耳を(そばだて)て、磯の香りの中も含め、振動覚、聴覚、嗅覚を研ぎ澄ませ、何か異変があれば感じ取ろうと試みる。


 ……大きな動物が動く気配は、無い。足音も聞こえない。獣臭さも認めない。


 とりあえず大丈夫、か?


 集中を解除。少し苦しくなった息を吸い込み目を開けると、飛び込んできた太陽光が網膜を焼いた。


「スクナくん、今のは一体?」


「もしかして立ったまま寝てたのか?」


 さすがにそれは無い。苦笑いで返す。


「いえ、気配を探ってたんです。この爪痕を付けた奴がまだ船倉に隠れているかもしれないですから」


「ケハイ?」


 目に?マークを浮かべる二人。


 言葉の壁が無くなっても、やはり存在しない概念は伝わらないのか。その点『いただきます』は言葉通りの意味も含むから、『気配』に比べればイメージを共有し易かったのかも。


「説明すると面倒ですなんけど、精霊の声に耳を澄ますようなものです。風の動きや音、熱、その他諸々(もろもろ)の感覚を総動員して、見えない存在を感じ取る。俺の民族の固有スキルの一つ、なのかな」


 言葉にすると多分そんな感じ。よく自由騎士の奥さんがやってるやつに近い。


 ちなみに気配のスキルレベルを上げると、物理的な存在だけでなく霊的電子的なものも含め何でも察知できるようになる。自分の周りにも内線呼び出しがかかる前にそれが分かる、という連中が何人もいたものだ。


 なお、熟練の医者にはこのスキルから進化した『異変察知』持っている人が多い気がする。


 『理由は分からないけど、なにかおかしい』ことに気付けなければ、どれだけ勉強しても現場の臨床医としては一流になれない。そういう点も含めて、日本の医療は一種職人芸の世界とも言える。


「精霊の声を聞くって、お前も精霊魔法を使えるのか?」


「いえ、それっぽいことができるってだけで全然。そういえば、二人は精霊魔法は……」


 昨日お姫様やデューが使っていた精霊魔法は、圧縮空気弾を飛ばしたり、木材から大樹を育てたり水牢を作り出したりと、強力かつ多彩なものだった。あれほどでなくても精霊魔法が使えるのなら、一気に取れる戦術の幅が広がる。


 が、二人は首を振って否定した。


「あたしは無理だな。リーシャぐらいの(とし)ならともかく、二十も過ぎると精霊と関係ない生活に慣れちまって、そんなのもいたなって時々思い出すくらいだ。そっちの兵隊さんはどうだい?」


「僕? 僕は一応『(あわ)せ』はできるけど、そもそも魔法の発動自体が貴族出身の団長くらいしか許可されていないんです。結局精霊魔法は王侯貴族の専有物、僕らみたいな平民はその増幅道具でしかありませんよ」


 なるほど、デューがお姫様と二重詠唱していたのは、デューがお姫様に(あわ)せた、ということなのか。でもデュー単独でも精霊魔法は発動できていたから、あいつはケダルと違って特別なんだろうか。


 彼は貴族の専横に少し不満そうだが、武力の占有は反抗を未然に防ぐ意味もあるのでコメントしずらい。対人戦では詠唱時間の問題で使いにくい、とのことだが、大規模戦闘となれば精霊魔法で範囲攻撃のできる貴族側が圧倒的に優位だ。


 明確な身分の違いの存在。でもそれが良いか悪いかは、目に見える害が無い限り俺が口を挟む問題ではない。


 王都の人たちはお姫様も含め、普通の感覚で接することができているけれども、現代人の俺では理解できない価値観を持っている部分もあるんだろうな。


「分かりました。でしたらなおさら安全重視で行きます。今いる3人だけで、もしこんな爪痕を付ける奴と戦いになったら勝ち目はありませんから」


 現在のパーティ構成員は『白魔導師(魔法禁止)』『戦士(軽装備)』に『非戦闘員(女将)』。


 これでベアー三毛別級の猛獣と戦えって、どんな縛りプレイだ。


 TASさんも裸足で逃げるわ。


 ようやく自分の置かれた危険な状況を飲み込み始めたのか、やや血の気の失せた顔でごくりと唾を飲み込むアイーダさんと、ぶんぶん激しく頷くケダル。


 うん、特に彼には俺たちのわがままに付き合ってもらってるわけだから、気持ちは分からんでもない。


 腕で額の汗をぐいっと拭い、気を引き締め直して探索を再開する。


 マストの傷のような痕跡が無いかどうかを確認しながら、少し進んでは気配を探り、を繰り返し、やっとのことで居住区の扉に辿り着いた。


「スクナ、これは……」


 アイーダさんに言われなくても分かる。


 一枚板で作られた木の扉、そして扉を囲む板壁にも無数の傷が刻みつけられている。


 いや、付いている傷は二種類。一つはマストに付いていたのと同じ爪によるものだが、それより細い傷が混ざっている。


 これは、刀傷か。多分応戦した時に付いたものだろう。


 さらに注意深く扉を観察してみると、薄くなっているがどす黒い血痕がいくつも認められた。


 それが襲撃者のものか船員のものか区別はつかないが、この場所で戦闘があったことは紛れもない事実。


 扉のノブに手をかける。内側から鍵がかかっているらしく、少し押してみたくらいでは(きし)みを上げるだけで開かない。だが蝶番(ちょうつがい)部分は潮風で()びついているらしく、その気になれば簡単に蹴破れそうだ。


 傷だらけの戸板に耳をつけて中の気配を探ってみるが、動くものは無いように思われた。だが何かが風に(あお)られるような、何かが羽ばたくばさばさという音が聞こえた様な気がした。


 ……鳥、だろうか。


「俺が扉を開けます。ケダルは俺の後ろでいつでも剣を抜けるように。アイーダさんはすぐに逃げられるよう準備してて下さい」


「ああ、分かった」


 ロングソードの柄に手を伸ばし、腰だめに構えるケダル。その陰にアイーダさんが隠れる。


 鍵がかかっているということは、中は無事なのだろう、と思いたいけれど確証は無い。


 それにここはファンタジー世界。


「開いた途端、ゾンビが(あふ)れ出してきたら嫌だな……」


「ゾンビ?」


 通じないらしい。いないのか、起屍鬼(ゾンビ)


 なら安心だけど、代りに『東京じゃない屍食鬼(グール)はいるよ』とか言われると困るので、気は緩めない。


「それじゃ、行きます!!」


「ああ!!」


 ケダルの声を背中に受けながら右足に全体重を載せ、扉に向かって全力のヤ○ザキックをかます。


 一回、二回―――三回目で錆びだらけ蝶番が弾け飛び、扉が勢いよく倒れた。


「メダラスっ!! あんたっ!!」


「え?!」


 突如アイーダさんが叫び声を上げ、ケダルの身体を突き飛ばし、放たれた矢のように勢いよく開いた扉の中に飛び込んだ。


「ちょ、まっ……おわわっ!!」


 キックの後で体勢を崩したところをぐいっと引っ張られる。女性とは思えない凄い力だ。火事場の馬鹿力という奴か。


 床に倒れ込んでしまった俺と、転びこそしなかったものの意表を突かれたケダルは、まるで野球部のタイヤかコンダラのように繋いだ腰縄に引っ張られる。


 俺は起き上がることもできず、そのままずるずると体で雑巾がけをしながら居住区の廊下を進んでいく。


 男二人の身体重量をものともしないアイーダさんは脇目も振らず真っ直ぐ走ってゆき、だがすぐに一番奥の扉の前で立ち止まった。


 通り過ぎた廊下の両側には三つずつ、計6枚の船室の扉が閉まった状態で並んでいる。しかしこの突き当りの扉は、女神の彫刻が施さた表面にニスを塗った後黒光りするまで磨き抜かれており、明らかに他の扉よりお金がかかっているのが分かった。


「ったた、て――アイーダさん、危ないから下がっててって言ったじゃないですか!! 何でいきなり―――」


 倒れた拍子にぶつけた頭を抑えながら文句を言う。だが彼女は、それを蛙の面に小便とばかりに無視し、扉に掛けられた金属製のプレートを無言で眺め続けているだけだ。


『船長室』

 エッチングで刻まれた文字は、ここが目的の場所だと告げていた。


 先ほど聞こえた鳥の羽音のようなものが一層大きくなる。


 割れた窓から入り込んだ陸鳥が、中で巣でも作っているのだろうか。その割に鳴き声一つ聞こえないのが不気味だ。


「変だと思わないかい……」


「何が?」


 腰縄が食い込んだ腹が痛いのか、(しか)めっ顔のままでケダルが口を開く。


「居住区の中が綺麗(きれい)すぎるんだ。外はあんなに荒れ放題なのに」


 言われてみれば、甲板がザ・幽霊船といった様相なのに対して、扉一枚入ったこの廊下は、山手線沿線の安いビジネスホテル並には整頓されている。


 要するに『遭難して大変でした感』が全く感じられない。まるで船員たちが何らかの理由で突然姿を消してしまったかのように。


『マリーセレスト号』


 そんな単語が頭をよぎると共に、何ともいえない嫌な寒気が貼り付くようにして肌を刺した。


「……さっきケハイって言ったっけ。違うかもしれないけど、僕にも何となく分かったような気がする」


 すぐ後ろからケダルの声。俺と同じように寒気を感じたのか、彼は皮鎧の隙間から覗く自分の素肌を、皮手袋をはめた手で擦って温めている。


「嫌な感じだよ。言葉にできないけど、この船は何かがおかしい。ここには生きた人間がいちゃいけないって、肌を通して感じるんだ。僕が言うのもなんだけど、用件を済ませたら、やっぱりできる限り早く外に出た方が良い」

 

 それはどっちかというと霊感に近い気がするけど、その提案には大賛成だ。


 ならばさっさと船長室を調べてしまおう。


 ぐずぐずしてると横の扉が開いて、スケルトン兵とかが現れるかもしれないし。


「開けますよ」


 答えは聞かないとばかりに言い放ち、直立したままのアイーダさんの前に割り込んで扉のノブを回す。


 鍵は掛かっていなかったらしく、ガチャリ、と音を立てて扉は開く。


 ――――途端に、けたたましかった羽の音が止まった。


 湿気を含んだ重い空気に獣の匂いと血の臭いが混ざり合ったものが、気圧差で生み出された風に乗ってどうっ、と室内から流れ出してくる。


「うぐぅッ―――」


 一瞬息が詰まりそうになるが、服の裾を口に当てて呼吸を再開。


 だが目の前に現れた光景の凄惨(せいさん)さに()てられて、すぐに再び息を呑みこんでしまった。


 船長室―――天井の低い八畳ほどの部屋の中、木製の椅子と机、そして書類を詰め込んだ作り付けの本棚以外に目立つ家具は無い。


 壁には海図が掛けられているが、そこに描かれた大陸沿岸は見たことの無い形をしている。しいて言えばフィヨルドみたいな浸食地形だろうか。


 人影は、無い。


 そして人型の何かが転がっている様子も無い。


 ただ一つ異常だったのは―――部屋の中一面に散らばった海鳥の死骸。


 机の上にも床の上にも、本棚や外套掛けにかかったコートのポケット中にさえ、硬直し羽が抜け、半分七面鳥みたいな姿になったカモメやウミネコのような鳥たちで満ち溢れている。


 そして一頻(ひとしき)り吹いていた風が止むと、視界を覆い尽くさんばかりに飛んでいた白い羽根が、ゆっくりと敷き詰められたベージュ色の絨毯の上に舞い降りた。

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