食べもの以外は獲っちゃだめ
「なんだお前、人間だったのか」
悪魔っ娘が残念そうに発した言葉が均衡を崩した。
「なんだとはなんだ、危うく脳天に胃瘻ならぬ頭蓋瘻ができるところだったんだぞ!!あれか、無人島生活見て自分も獲物を獲りたくなった口か!?俺が魚に見えたか!?」
「白いのがばたばたしてたから、珍しい鳥だと思った。変な声で鳴いてたし。ちょっとおかしいな、とは感じたけど」
さっき救急カートを見つけた時の叫びが、このはた迷惑な悪魔っ娘を呼び寄せてしまったらしい。
「変だと思ったら確認しろよ、そこは!」
「もし鳥だったら、逃げられると困る。」
「ああもう」
ため息が漏れる。言葉は通じるが意思の疎通ができていない。
「この森は村の大人も滅多に立ち入らないし、だから私が狩場にできるのだ。そこに人がいるなんて想像できるわけがない」
「……ここはお前の森だから、勝手に入った俺が悪い、ってことか?」
「違う。誰のものでもない。」
「入会地、里山みたいな場所なのか?」
「言っている意味がよくわからないが、多分それも違う」
どうにも要領が掴めないが、この子の狩場に迷い込んだせいで起こった事故なのだろう。先ほどは瞬間湯沸かしになってしまったが、落ち着いて考えると誤解でしかないし、相手の言い分も理解できる。ということにして無理やり納得することにした。
しかし、狩り?少なくとも彼女は日本語を喋っているから、その珍妙な格好を除けば、日本人と考えてもおかしくない。羽は説明がつかないけれども、渋谷原宿あたりには彼女よりもっと変なのがうじゃうじゃいるし。
だが子供がこんな原始的な道具で狩りをする場所が、現代日本にあるとはとても考えられない。狩りと言えば犬を連れた老人が、古びた村田銃を担いで熊やら猪やらを追いかけているイメージがある。体力的にも未成年に勤まるものではない。
「まあいいや、見ての通り俺は人間だ。取って食べても美味くないぞ」
「当たり前だ。男の肉は固くて筋が多いと聞いている。」
……冗談で返されたんだよな?
「で、ここは一体どこだ?村と言っていたが、近くに村があるなら案内して欲しいのだが」
「この場所に名前は無い。この先にある崖を登ったところに私の村がある」
「分かった。そこまででいいから連れて行ってもらえるか?」
少女は逡巡した後、
「今日はお祭りの日だから、外の人が入れるかどうかは、聞いてみないとわからない。」
「ダメならダメでいいさ。とりあえず人がいるところまで行きたいんだ」
「……わかった。付いてきて」
広げた翼をばさりと仕舞う。どういう構造になっているのか分からないが、翼は器用に畳まれて、正面から見ても分からないくらいに小さくなった。
そして手に持っていた金属製の鉈のようなものを腰の鞘に仕舞う。
そう、今さらながらに気付いたが、彼女の右手には武器が握られていたのだ。
投げ飛ばすのがあと数秒遅ければ、あれが自分の背中に振り下ろされていたかと思うと背筋に冷たいものが走る。
「こっち、早く」
「ああ」
幹に突き刺さっていた手槍を抜き、道を指し示す。
さっきの襲撃で散らばっていた荷物をかき集め、歩き始めた少女の背中を追いかけた。しばらくは足元の蔦や木の根っこに注意を取られていたが、段々歩くコツが掴めてきた。先を行く少女との距離が縮まったところで、悪いと思ったが改めてその背中をじっくり観察。
白人美少女で透き通るような青白い肌、という表現をしたりするが、目の前の少女の肌は比喩表現でなく本当に青い。とはいっても某3D映画のような気持ち悪い完全な真っ青ではなく、許容できる範囲で”青”白いのだ。ラピスラズリの顔料を薄めて肌に溶かしたような感じだろうか。
そしてまだ幼さを残す凹凸の無い体は、程よく引き締まった筋肉に覆われている。例えるなら高校総体の女子陸上選手が近いだろうか。
服装ははっきり言って簡素。胸には緋色に染めた布をさらしのように巻き、さらにその上からワニかヘビの皮みたいなものを胸当て代わりに巻いている。ただ、こんな鮮やかな鱗の爬虫類は動物園でも見たことが無いので、確証は持てない。
腰にも同じような爬虫類の鱗皮を短いパレオにして巻き、鉈を収めた鞘を紐で腰に提げている。パレオの下がどうなっているか興味が無いわけではないが、追求するのは紳士的にNGなので諦める。ついでに靴も同じ皮を足に巻いているだけみたいだ。
この皮万能だなおい。そして肩甲骨のあたりからは、折りたたまれた翼が文字通り生えている。コスプレのように服にくっつけているわけではないらしい。一体どうなっているのだろうか。
「ところで君、名前は?」
「ナルカ」
少女は振り返らずに答える。奈留香?今時そこまでおかしい名前ではないか。戦闘民族や光の戦士やらで溢れかえるうちの小児科病棟に比べれば。同期の小児科医が泣いてたっけ。
「俺は健那、よろしく」
「ああ」
それっきり黙々と歩き続ける。なかなかコミュニケーションを取るのが難しいが、ここは押すべきか、引くべきか。
「あのさ、ナルカって……」
「黙ってっ!!」
言い終わる前に振り返ったナルカがこちらの口を塞ぐ。正面から密着されたため、汗の匂いの中にかすかに漂う女の子の香りを意識してしまった。……いや、俺はロリコンじゃないぞ、うん。
口を動かすのをやめ、ナルカの指差す方向を見ると、巨大な茶色の山が20mほど先の木立を横切って行く。促されるままに視線を上にずらすと、そこには見知った顔があった。
ティラノサウルスレックス!!
危うく叫んでしまいそうだったが、口を抑えられていたため声を出さずに済んだ。そうしている間に白亜紀の恐竜王は、足元の木々をばきばきへし折りながら、こちらに気付くことなく泰然と歩み去った。十分な時間が経過した後、ナルカが囁いてきた。
「あの大トカゲに見つかると厄介だから、森を出るまで静かにしてて」
恐怖と驚きと、子供の頃に憧れた存在に会えてしまった興奮がないまぜになった脳味噌はうまく動いてくれず、彼女の言葉にただ頷くだけしかできなかった。
と、ナルカは手を放してあたりを警戒すると、ティラノサウルスになぎ倒された一本の木の根元に駆け寄った。木の根元には少し不自然に盛り上がったシダの葉の山がある。ナルカが葉を取り除くと、そこにはキジのような生き物が2匹、明らかにおかしい方向に首を捻じ曲げて倒れていた。彼女は羽毛に包まれたそれを掴みあげ、こちらに見せつけてくる。
……鳥のように見えたそれは、始祖鳥だった。
なぜ分かったかというと、明らかに顔がトカゲ。しかも翼の先に鉤爪が付いてるし。
少し引いてしまったが、すごいね、と褒めるとナルカの表情が柔らかくなった。
それを見て、肌が青白くても照れると分かるんだな~と、どうでもいいことに感心してしまった。