戦乙女地獄
お姫様の詠唱に反応し、山車の手すりにぽっと淡い光が宿る。それは外壁を伝って徐々に広がり、やがて山車全体が薄い光を放ち始めるまでになった。
「お姫様、打ち合わせ通りにリーシャを」
精霊魔法の制御に集中しているため、彼女は無言で頷く。俺は重心を落として下半身に力を貯めた。きっ、と顔を上げ山車から約20mほど先の空中に浮かぶ戦乙女を真正面に見据える。
「いきます!!」
「了解!!しっかり捕まってろよ!!」
「うんっ!!」
背中のリーシャが『狐の窓』を構えながら、両腕で精いっぱい俺の肩にしがみ付く。
『霊樹よ、天空を射ぬけ!!』
ざっ、とお姫様が指差すと、まるで蔦のように山車のあちこちから伸びた太い枝がその方向目がけて殺到する。一本、二本……どんどん増えていくそれは互いに絡まり合い、巨大な錐の形となって戦乙女に向かっていった。
すげぇ……お風呂場でデューの微妙な水の精霊魔法しか見ていなかったから大して期待していなかったけど、お姫様の精霊魔法、ちょっとした自然現象なんてレベルじゃない。これなら直接攻撃してもらっても良かったかもしれない。でも作戦は既に始まっている。変更は無理だ。ここからが俺の出番。
よーい……どんっ!!
一つになった枝を踏みしめ、敵の位置を捕捉しながら全速力で傾斜のついた天空の回廊を走り出す。
あと15m。山車から伸び続ける枝の速度が遅くなってきた。極端に物理法則を逸脱して、栄養補給も無い木材を無限に成長させることはできないらしい。
あと10m。足元の枝がどんどん細くなってくる。まだ半分だ、もう少し持ってくれ!!
あと6m――限界―――っ!!
「飛べ、リーシャっ!!」
俺の背中からリーシャがばっと手を離して離脱する。振り向きはしない。予定通りなら、お姫様が枝を操作して回収してくれるはず。
「だあああぁぁぁっっっ!!!」
右足に力を込めて思いっきり踏切り、錐の先端から虚空に飛び出す。ジャンプと同時に体が浮き上がり、最上点で一瞬静止。その後ふわっという感覚と共に落下が始まった。
念のために最初から飛び出す位置を少し上に設定し、横成分の速度を維持しながら落下しつつ目標に到達するよう調節していたけれども、走り幅跳びなんて高校の体育以来だ。その時の笑える記録が5m程度だったから、今はどれほど跳べるものだか。
つーか捕まえ損ねたら地上3階の高さから自由落下。死なないまでもこの世界で骨盤骨折を起こしたら、寝たきり生活になってもおかしくない。
リーシャの『狐の窓』が無い今、俺には戦乙女の姿が見えない。跳躍の直前に捉えた位置を脳内で現在の視界にプロットする。
「わぁりゃぁぁっっっ!!」
叫びながら両手両足を広げ、少しでも捕獲面積を確保。すれ違うであろうその瞬間、の一瞬前に認識の誤差を計算に入れて手足を閉じた。
がしっ!!
ギリギリで戦乙女の細いウエストにしがみ付くことができた。直接彼女に振れた途端、今まで肉眼で見えなかった彼女の姿が明らかになる。落とされまいと両腕の全力でさらにしがみ付く。
俺という質量が増えたにも関わらず、彼女の位置は空中にピンで留めたように変わらない。どんな謎技術で飛んでいるんだか。
「戦乙女!!」
無表情の彼女に呼びかける。
「死せる戦士たちを止めてくれ!!ここは戦場じゃない、今は神々の黄昏じゃない!!」
絶叫しているにも関わらず、彼女は唇の端一つさえ動かさない。
――なぜ俺の声が届かない?!
「戦乙女、聞いているのかっっ!!」
その時、俺は抱きしめている彼女の異常に気が付いた。
冷たいのだ、血の通った人間ではありえないくらいに。鎧の隙間から覗く素肌の色も、蒼白を通り越して土気色に近い。
ぴくりともしない彼女の冷え切った身体は、まるで死体を掻き抱いているかのような錯覚さえ覚える。
背筋に氷柱が刺さったような怖気が走り、全身の毛が逆立つのを感じた。
何だこいつは――本当に戦乙女なのか?!
「――っっ、ナルカあぁっっっ!!」
恐怖を振り払うように叫ぶ。
瞬間、上空から強烈な下降気流が吹き抜けた。思わず目を閉じる。再び目を開けると、視界の中に上空から舞い降りる黒い影があった。
すぐに輪郭が明らかになる。ナルカだ。
翼を広げ鉈を逆手に構えた彼女は、吹きすさぶ風の中、俺の方を見てその進路を微調整しながら戦乙女 に急接近する。さながら頭上から振り下ろされる黒い太刀のように。
「仕留める――!!」
すれ違う瞬間、ナルカが呟いた。
宣言通り彼女の刃は、俺の腕の中の戦乙女、その背中を真一文字に切り裂く。とはいえ手心を加えてくれ、という俺の要求を果たすため、かなり甘い握り方をしていたらしい。言葉は物騒だったけど。鉄板を研いだだけの粗末な鉈は、戦乙女の蒼穹の鎧を温めたバターのようにあっさりと切り分けていく。この鎧見かけ倒しか?
ぐらり……
今まで空中に静止していた戦乙女の身体が揺れ動き、ぷつん、と吊るしていた糸が切れたみたいに自由落下を始める。
うおいおいっ――
「デュー、援護をっっ!!」
再び助けの声を張り上げた。今日はこんな役回りばっかだな。
と、いきなり耳鳴りがして鼓膜が痛み始める。周囲の気圧が急速に変化しているのだろう。
「おでゅふっ!!」
突然横殴りに見えない空気の塊が叩きつけられた。サンドバックでぼごす、と殴られたような衝撃。それをもろに無防備な脇腹に喰らったため、思わず変な声が漏れた。
嘘つき。戦闘で使い道が無いなんて、遠距離攻撃なら充分実用レベルじゃないか!!
俺の身体は戦乙女にしがみ付いたまま、一緒に弾き飛ばされる。
デューの意図はすぐに明らかになった。
眼前に空を映した噴水の水面が迫り、俺と戦乙女は盛大な水柱を上げて着水する。
そこは色々やりようがあるだろ、ファンタジー的に空気でクッションを作るとかさあ。まあ見える目標が俺しかいなかったって事情は分かるけど。
「ぷはっ……と、戦乙女は……」
浅い噴水の池から立ち上がり、視線を巡らす。探し人は直ぐに見つかった。兜が脱げたのか、戦乙女は俺の真横で、そのウェーブがかった長い金髪を水面に広げて仰向けに浮かんでいる。しかし水に浸かっているにも関わらず、その頬にはさっきまでなかった血の気のようなものが戻っている。
急いで彼女の上体を助け起こす。先ほどは良く見えなかったが、いかにも北欧美人といった、すっと鼻筋の通った顔立ちをしている。こんなに綺麗なのに、何でさっきはあんな不気味さを醸し出していたのだろう。
「戦乙女、大丈夫か?」
「う……うぁ……ん……」
長いまつ毛のくりっとした瞳をしばたたかせながら、彼女はゆっくりと目を開く。そして俺の姿を認めると、自分に何が起こったのか理解できないのか、きょとんと不思議そうな顔をした。
なんだ、そんな表情もできるんじゃん。
「スクナさん、ご無事ですか?」
「お兄ちゃ~ん!!」
山車の天辺からリーシャを抱いたお姫様が、ふわりと舞い降りてくる。つーか山車から伸びた枝がそのまま放置で超アンバランスなんだけど、どうしよう。
「何とか上手くいったみたいね」
「ん、やった?」
鐘楼の陰からデューが、そして俺みたいに噴水に落ちず、しっかり着地を決めていたナルカもこちらに近寄ってくる。最近気づいたけど、二人とも遠慮無い系だよな。絶対B型かO型だろ。
「とりあえず戦乙女は確保できたけど、暴れてたヴァイキング……角兜の男たちはどうなった?」
デューに尋ねる。
「それなら大丈夫よ、憑きものが落ちたみたいに静かになってる。一体何だったのかしら?」
彼女の指す方向、山車まであと一歩のところまで騎士団を追い詰めていたヴァイキングたちは武器をもったままぼんやり立ち尽くしている。さっきまでの狂気はどこへやら、皆状況が把握できずに困惑しているようだ。
しかしそれは彼らと戦っていた騎士団も同じこと。直前まで目の色を変えて襲い掛かってきた巨漢の戦士たちが、今は迷子の仔犬のように戸惑っているのだから。ただ暴れていないのであれば、何とでもしようがあるだろう。
「ふぅ、とりあえず一件落着ってことで」
自分の腕の中の戦乙女の、サファイアのような青い眼を覗き見る。
「詳しいことは、彼女が落ち着いてからゆっくり聞かせてもらおうか」
軽い放心状態のようだが、どこか静かな場所で休めば、じきに回復するだろう。
と、突然戦乙女が顔をしかめた。
「っ、痛い……」
そういえばナルカが背中に傷を負わせたのだった。力の入り具合からそれほど深くは無いと思うが、緊急事態だったとはいえ女性の肌だ。神族の彼女に傷が残るかどうかはともかく、手当は必要だろう。
「デュー、この近くで、手当てするためのベッドを借りられる場所を知らないか?」
「いいけど……」
彼女の方をみると、何やら不貞腐れたような顔をしている。俺、気に障ることでもしたか?
「痛い……痛い……」
「ほら、戦乙女も痛がってるんだから、早く移動しないとな」
機嫌が悪いようなので、無理やり笑顔を作って頼む。デューはやれやれ、といった表情をしていたが、その顔が急に驚いたような顔に変わった。
「スクナ……その人、何をやってるの……」
「何って、傷が痛むんだろ」
視線を腕の中の戦乙女に戻す。俺の想像以上に傷が悪いのだろうか?
そこには……
イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイイタイイタイイタイ……
虚ろな瞳で一心不乱に、手甲を外した自分の左手を掻きむしる戦乙女の姿があった。既に珠のような白い肌には、爪によって幾条もの赤い線が刻まれ、血が噴水池の水面に滴り落ちている。それでも彼女は手を止めようとはせず、線の数はどんどん増え続けていく。
「馬鹿っ、何やってんだ!!」
戦乙女の右腕を掴んで押さえつける。だが彼女は掻くことを止めようとしない。男の俺が跳ね除けられそうになるくらい強い力で。やがて血だらけになった左腕はどす黒く変色してく。そこだけが腐敗しているかのように。
彼女の左の眼球だけが、彼女の意思とは関係なく何かを探すように上下左右に動き、やがて青い瞳を覆う角膜が白く濁る。
こいつ、戦乙女じゃない!!
「逃げろスクナ!!そいつ、何かおかしいっ!!」
ナルカが叫んだとほぼ同時に、俺は手を離してその場から飛びずさる。
瞬間女性のスカート下から現れた黒い何かの牙が、さっきまで俺がいた場所の空気を噛み砕いた。