死せる戦士たち
ナルカと一緒に広場を最短距離で突っ走る。
既に観衆のあらかたは逃げており、俺たちは彼らの残したゴミやらお土産やらを避けたり飛び越えたりしながら走り続けた。騎士団もヴァイキングもお互いの敵しか認識していないらしく、俺たちはノーマーク。首尾よくステージに近づくことができた。
走りながらステージを観察する。正面からは分からなかったが、ステージは背の高い民家の壁を背にしており、その後ろにお姫様専用山車が置かれている状態だ。これでは後ろ側から逃げることはできない。
ステージ脇にある階段が視界に入る。見ると近衛騎士団の防衛線を潜り抜けたヴァイキングの一人が階段を登ろうと、今まさに足をかけたところだった。騎士も、二つある階段の反対側にいるデューも間に合わない。
「ナルカ、俺に続けっ!!」
「んっ、分かった!!」
肩に担いだの角材を大きく横に振りかぶり、走りながらヴァイキングの延髄にすれ違いざまに強烈な横薙ぎの一撃を食らわせる。鉄兜に角材が当たって、ごいん、という鈍い感触が手元に伝わった。反撃を食らう前に俺はそのまま振り向かず、敵の横をすり抜け階段を3段飛ばしで駆けあがる。
倒すことはできなかったが、一瞬ヴァイキングの動きが止まった。
「私の――邪魔ッ!!」
そこに黒い疾風となったナルカが、ヴァイキングの革鎧を着た脇腹に、すれ違いざま鉈の一撃を叩きこむ。相手が普通の人間かもしれないのに、その刃にはまったく遠慮も迷いもない。
彼女は斬撃の効果を確かめようともせず、階段に足をかけてジャンプ。背中の羽を広げて空に飛び出し、俺より先にリーシャの元に舞い降りた。お姉ちゃんパワー、恐るべし。
「リーシャ、無事なのかっ?」
「ナルカお姉ちゃん……怖かったっ……!!」
お姫様の手を離れ、ナルカに駆け寄るリーシャ。
「遅くなった。悪かったな、リーシャ」
「お兄ちゃん!!ううん、来てくれるって信じてたから、わたし、泣かなかったよ」
そう言いながらも少し目元が潤んでいる。ナルカの服にしがみついたリーシャの頭をいい子いい子、と撫でた。
「あら、どなたかしら。土建屋さん?」
横からズレた質問をしてくるお姫様。角材だけで判断しないでほしい。と、そういえば顔を曝すのは初めてだったか。
「こんな時に失礼します。リーシャの兄のスクナです。こっちは妹のナルカ」
説明が面倒くさいので、そう紹介する。
「スクナ!!ナルカさんも、ここは危険なのに何で来たのよっ!!」
と、反対側の端で別のヴァイキングの顎を蹴り上げ昏倒させたところで、デューがこちらに後退してきた。
「それはもちろん――」
「兄」「お姉ちゃん」『だからっ!!』
ふんす、と二人で鼻息荒く宣言する。
彼女は一瞬、はぁ?という顔になったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「まあいいわ。……姫様、ちょうど手勢が増えました。戦線の維持は騎士団に任せて、私たちは後方へ撤退を考えましょう」
「わかりました。ではこれは邪魔ですね」
提案を了承するや否や、お姫様は自分の純白のドレスの裾を掴み、思いっきり引き裂いた。びぃっ、と布が悲鳴を上げ、ミニスカートほどの長さを残して破れる。その下から彼女のカモシカのような、すらっと伸びた両足が露わになった。
意外と体育会系なのか、この人。
「ところでデュー、応援要請はしているのか?」
「当然よ。護衛の騎士団が最初に信号用の煙矢を放っているわ。もうしばらくすれば王城の方から治安部隊が駆け付けるはず。上手くすれば撤退途中で合流できるかもしれない」
煙矢というのは多分、色つきの煙を出す信号弾のようなものだろう。
状況判断としては適切。文句の付けようがない。
「ただし連中が逃走を許してくれれば、だろ」
「ええ、だからそのきっかけ作りと足止めを、あなたたちにお願いしたいの。私と姫様が脱出すれば、あとは騎士団と一緒に応援部隊の到着を待つだけよ」
女の子の足で逃走できるのだろうか、と疑問に思ったが、お姫様の方を見ると、既にヒールを脱ぎ捨てて足のウォーミングアップを始めている。
走る気満々ですかい。
「いいんじゃないか。あと階段は俺たちの来た方が比較的……」
そう言って視線を向けると、先ほど通りすがりに攻撃を食らわせてきたヴァイキングが、まだ階段のところで棒立ちになっていた。
「まずあいつが邪魔だな」
「ん、今度こそ仕留める」
ナルカが自分の眼前に鉈を構える。
と、俺はヴァイキングの変化に気が付いた。逸るナルカの前に出て、彼女を抑える。
ヴァイキングは持っていた盾と剣を取り落し、周囲を見回している。
目と目が合う。
その瞳には戦意でも闘志でもなく、困惑の色が満ちていた。
「……お……俺は、なんで……父よ……」
そう言った瞬間、彼の姿はちょうど立体映像が止まったかのように静止する。
あっけにとられる俺たちの前で、ヴァイキングの体は光の粒子を放ちながらどんどん色が薄くなっていき、やがて彼がいた証拠は完全に掻き消えてしまった。
「……スクナ、何が起きた?」
ナルカが尋ねる。
俺にも分からない、と言うのは簡単だが、分かるかもしれないのは俺一人。必死に北欧神話系の中二知識を思い出す。
『ヴァイキング』、『戦士』、俺のようにこの世界に飛ばされた連中かもしれない思っていたが、彼らは『本当の意味で生身ではない』。これらのキーワードに合致する存在は……。
ぴん、と頭に電球が灯ったような気がした。
「わかった!!こいつらの正体は『死せる戦士』だ。勇者の魂を媒介にして、戦いの時だけ顕現する戦士たち。彼らは例え殺しても、本当の意味では殺しきれないんだとか」
「不死身の兵士……ってことね。確かに私も、何度か剣で斬ったり刺したりしてみたんだけど、全然効いた様子も無いから打撃に切り替えたわ。でも、だとすると何でさっきは倒せたのかしら?」
納得いかない、という顔でデューが呟く。
「悪い、それ以上のことは分からない……」
言葉を濁す。デューの攻撃は通じず、ナルカの攻撃だけが通った理由は見当もつかない。
ただそれ以上に気になったのが、先ほどのヴァイキングの様子だ。どうして戦意を失ったのだろう。俺たちの攻撃が、当たりどころ悪かったとか。
「あの襲撃者たち……彼らは勇者の魂を持っているというのですか」
「え?」
お姫様はステージの上から戦場を俯瞰している。俺もそれに倣う。
「だとすれば、あまりにお粗末です。ただ力任せに押し寄せるだけ、これでは豚の群れと変わりません」
また辛辣な表現を。しかし、確かにそれは正鵠を射ている。言われてじっくり観察してみると、本当に彼らは『押し寄せている』だけだ。お姫様を狙っているであろうことは想像に難くないが、戦略も戦術もあったものではない。
盾を持ってはいるものの、防御を忘れ全てが攻撃、全てが全力。彼らの眼には戦意、敵意、そしてそれらを塗りつぶす真紅の狂気が宿っている。
『狂戦士』
そんな言葉が頭をよぎった。
「私の時みたいに、どこかで操っている奴がいるんじゃない、のっ!!」
盾の隙間から伸ばされた手を蹴っ飛ばしながらデューが疑問を口にする。
「俺の世界で死せる戦士は、戦乙女に導かれると伝えられている。指令を出している奴がいるとすれば、そいつなんだけど……」
ざっと辺りを見回すが、それらしい人影は見当たらない。
戦況を監視するなら高い位置に隠れている可能性もあるため、空はもちろん屋根の上や鐘楼の後ろも目を皿にして探したのだが、何も見つからなかった。
「スクナ、逃げるなら急いだ方がいい。押されてる」
リーシャを自分の陰に隠しながら、ナルカが急かす。
疲れを知らない敵に対して、騎士団は決定打を与えることができず、今は反撃よりも盾を構えることに専念している。じりじりと後退する防衛線。その隙間からステージに届く剣や斧の斬撃の数が、明らかに増えてきた。
ん、疲れを知らない?
「やっぱりダメだ。逃げたら絶対追いつかれる」
逃走案は却下だ。
「どういうこと?」
「走るとなったら、あいつらは腱が切れても足が折れても、休むことなく全力で追いかけてくるはずだ。そんな化け物を相手に、生身の人間が逃げ切れるわけがない」
「そんな……だったらどうすればいいのよっ!!」
デューが悲鳴を上げた。
「俺たちも騎士団に加勢して、なんとか援軍が来るまで持ちこたえるのが一番現実的としか……」
語尾がトーンダウンする。
既に押され始めている騎士たちが、あとどれほど持ちこたえられるだろう。籠城なんて下の下策、現実的どころか悲壮的だ。
『伝令です!!』
俺たちが落胆しかけたところに、騎士団と同じような全身鎧を纏った青年が走り込んできた。そして包囲網から少し離れた場所から声を張り上げる。
『現在王城より、グリムニル伯が手勢100を率いてこちらに向かっております!!また治安部隊も後に続いております!!』
おおっ、と疲労困憊の騎士たちからどよめきが上がる。100人も味方が増えるのなら、文字通り100人力だ。
「姫様……グリムニル様がいらっしゃるそうですよ」
「ええ、彼が、グリムが来てくれるのね……私のために!!」
お姫様は少し頬を染め、嬉しそうに眼を細める。
あ、何だその惚気た反応は。
流れからして、どうせお姫様の許嫁か幼馴染の貴族なんだろうけれど、いきなり出てきて美味しいところをかっさらおうなんて……まあ助けてくれるなら文句は無いんだが。
なんかムカついたから、実際会ったら携帯ゲーム会社みたいな略称で呼んでやろう。
『――しかしながら第二城壁を出たところで突然の強風に襲われ、砂塵で視界が確保できず、到着は未定となっております!!』
それを聞いた瞬間、お姫様とデューの表情がさっと曇った。
うおぃ、勝手に落ちをつけるな!!
言われてみると伝令の青年は、馬が使えないから全力疾走してきたのだろう。全身ホコリだらけで息も絶え絶えだ。
護衛の騎士たちも、援軍は当分望めないという事実に失望したらしく、次々と上がる諦めと絶望の呻き声が波のように広がっていく。それがいけなかった。防御の手が緩んだ隙をついて、一気に防衛線が押し込まれる。
人垣が崩れ3人のヴァイキングが騎士の盾を踏み台にして、ステージの上によじ登ってきた。ひぃぃっ、と隅で縮こまっていた審査員から悲鳴が上がる。ああ、そんなのもいたんだっけ。
「登りきる前に落とすっ!!」
「はぁッ!!」
俺の角材の一撃と、鞭のように撓って唸るデューの猛蹴が、立ち上がろうとしてまだ体勢の不安定な2人の顔面にヒットした。2人のヴァイキングはそのままバランスを崩してステージから転落したのだが、俺たちの硬直時間が完全に切れない間に、3人目がステージに上り切ってしまう。そいつは低い姿勢のまま、いきなりお姫様に向かって弾丸のようなタックルを繰り出した。
とっさに角材を盾にして、進路上に割り込む。受け止めた瞬間、まるで牛に突進を食らったような衝撃が走り、ぐふっと肺の空気が吐き出される。それでも勢いは完全に止められず、俺の身体は後方に吹っ飛んでしまった。
「きゃんっ!!」
弾き飛ばされた先でお姫様でなく、リーシャを巻き込んで倒れてしまう。
「何をする!!」
激高したナルカが横から男の首筋を薙ぎ払う。刃が深々と食い込んだ……はずだが、やはり傷口から血は出ない。男は先ほどのヴァイキングと同様、頭を下げたタックルの姿勢のまま固まり、やがて光を放ちながら消えてしまった。
「リーシャ、すまない。大丈夫か?」
先に立ち上がり、俺の腕の下敷きになっていたリーシャを助け起こす。
「うん、平気だよ……」
伸ばした手を掴ん立ち上がろうとする。
と、リーシャがあれ?と声を漏らした。そして不思議そうな顔をして、少し開いて立つ俺の二本の脚、その間と外でしきりに頭をいったりきたりさせる。
「どうした、リーシャ。どこか痛いところでもあるのか?」
「ううん、お兄ちゃん。あそこ、お空に誰かいる」
そう言って彼女は俺の両脚の隙間に顔を突っ込みながら、広場の何もない空を指差した。