兄と姉
空を飛んだのは一瞬。すぐに頭上から地面が近づいてきた。
落ちている……まっ逆さまに。あ~車田落ちってこんな感覚なんだ、とぼんやり考える。ならドグシャァッッ!!までがテンプレートか。やべ、死ぬかも。
しかし意外にも石畳に激突したはずの俺の体は、バサッ、メキメキメキッ、ぐにょんっという音と共に止まった。
「くっ、ぐあうっ……つつ……」
立ち上がろうとして頭を持ち上げた瞬間、猛烈なめまいと頭痛、そして吐き気が俺を襲った。堪え切れずに再びうつ伏せになって倒れこむ。ぐにょんっと弾力のあるウォーターマットのような褐色の何かに、再び顔面がぶつかった。
「ひゃっ、ひゃはははっ……やめっ!!」
笑い声と共にマットが動き、無理やり引きはがされる。が、こちらは体に力が入らない。すぐに三度目の激突。今度はマットの窪みに鼻の頭を突っ込んでしまった。
「わひぁっ!!な、ナルカ、ちょっ……こっち来て助けてくれぇっ!!」
ナルカ?
しばらくして後ろから誰かの手で引きっぱられ、やっとのことで上半身だけ起こすことができた。両膝をついて体を支える。俺の下にいたのはアイーダさん。しかし何故かいつもふてぶてしい彼女に似合わず、顔が上気して真っ赤になっている。
「ああ、アイーダさん、とナルカ……なんでここに?」
視界がぼやけて焦点が定まらない。かろうじて輪郭から、助け起こしてくれたのがナルカだとわかった。
「何でって、お前、覚えてないのか?」
呆れた声を上げるアイーダさんの剥き出しのお腹を、脳に霞がかかったまま見る。なるほど、さっきのマットは一児の母とは思えないほど引き締まった、彼女のウエストだったらしい。
自分の頭を触る。例の餡麺麭男の被り物は、衝撃でどこかに飛んでいったみたいだ。顔面に傷がないことから、無意識に顔を逸らした際に外れたのかもしれない。幸い頭からの出血などは無い。あとでたんこぶができるかもしれないけど。
「えと、どしたんでしたっけ?」
「馬鹿っ、お前はいきなりステージに現れた男に、思いっきり殴り飛ばされたんだよっ!!ちょうどあたしが飛んでく先にいたから、受け止めようと思ったらこのざまだ」
アイーダさんが自分の尻の下で崩れ落ちた小屋の残骸を指さす。彼女が体を張ってくれたおかげで、助かったということか。
段々と視界がはっきりしてくると共に、脳みその歯車がかみ合い始める。
「ありがとうござ……そうだ、リーシャは?!デューは、お姫様はどうなって……?!」
「落ち着きな。まだ大丈夫みたいだ。警備の親衛隊が押し戻してくれている」
彼女の指さすステージの方を見る。そこには30人ほどのむくつけき巨漢の集団 が、ちょうど一丸となってステージに押し寄せているところだった。しかしながら、お姫様専用山車から飛び出してきたであろう全身鎧の騎士たちが、機動隊のように盾を揃えて並べ、敵の進出を防いでいる。その後ろに守られるように、ステージの上にはリーシャ、デュー、お姫様と審査員たちの姿があった。
「あいつら、お前が殴られたのとほぼ同時に、いきなり広場のど真ん中に現れやがった。何が何だか、わけ分かんねぇぞ」
吐き捨てるアイーダさん。
「いきなりって……」
「ん、文字通り突然。でも、その前に何か白いものがぴらぴら落ちてきた、気がした」
ナルカが視線を空に向ける。俺もそちらを見たが、そこには青い空が広がっているだけだった。白いもの……例の道術士の仕業か?
騎士団と交戦中の男たちを観察する。
紙で作られた呪術兵にしては皆筋骨隆々で、肉感が凄い。
いや、それよりも俺の目をひいたのは、男たちの格好だった。
水牛のような角を生やした鉄の兜。竜やら鳥やらが極彩色で描かれた、鉄の鋲が打たれた円盤状の木製盾。剣に斧。くすんだ色の金髪、もじゃもじゃと生える髭と体毛。
「あいつら……ヴァイキングか?」
シルエットクイズにされても一発正解するくらい、分かりやすい特徴が見て取れた。
「でも何で?ヴァイキングは長耳の一族と同じ、オーディンを信仰しているんじゃなかったのか?」
それが何故この異世界で、オーディンの寵愛を受けたはずのお姫様を襲っているんだ?
「いやぁっ!!私の人形小屋がっ……って、あれ?もしかしてスクナさん、ですか?」
突然どこぞの紫豚みたいな悲鳴が上がる。この声は……
「ミミスさん!!」
小屋にあたふたと駆け寄ってきた若い女性のぽやんとした声と、眼鏡をかけた図書委員チックな彼女の顔には見覚えがあった。昨日広場で会った、兄姉弟で創世神話の人形劇をやっていたミミスさんだ。
「やっぱりスクナさん、お久しぶりですね。いえ、それより何で小屋がまた壊れて……」
アイーダさんの尻の下にあった廃材は、どうやら元・彼女たちの人形劇小屋だったらしい。昨日は呪術兵に襲われたデュー、そして今日は俺と、連日で誰かに飛び込まれるなんて、来年からは場所を変えた方が賢明だと思う。
俺はよろめきながら立ち上がり、ずり落ちかけたメガネを直しているミミスさんに詰め寄る。
「ミミスさんって、この国の神話に詳しいんですよね!?」
「はっ、はい……少しばかり、ですけど……あぅあぅ……」
緊張してか、顔を真っ赤にして言葉を濁す。
「教えてください。どうしてヴァイキングがお姫様を襲ってるんです?彼らはオーディンの信奉者。同じ神を信じる者が、何で戦っているんですか!?そもそも戦乙女に導かれ、オーディンの戦士の館に集うことを誇りとする彼らが、何でオーディンの寵児に剣を向けるんだっ!!」
「えっ、えっ……」
最後は半分怒鳴りかけてしまったため、驚いて委縮するミミスさん。
「すいません、興奮しました。でもミミスさん、知っていたら何か、教えてください!!」
「ちょ、ちょっと待ってください。その前にヴァイキングって何ですか?戦乙女?戦士の館?私そんな言葉、聞いたことが無いですよぅ……」
「聞いたことが、無い――?」
今度は俺の方が言葉を詰まらせる。ヴァイキングは仕方ないとしても、戦乙女を知らない……この世界のオーディンの神話は、俺の知る北欧神話とは違うのか?
「じゃあ神々の黄昏は?世界樹は?トール、フレイ、フレイヤ、ヘイムダル、ノルン、ロキ、フェンリル、ヨルムンガンド、ヘル、ガルム……この中に知っている名前は?そもそもアース神族とヴァン神族のことは?」
「知らないです……何なんです、それは?」
「神話だよっ!!俺の世界の、オーディンとその眷属たちのっ!!俺は、オーディンが元いた世界からここに来たんだっっ!!」
自分の中のもやもやをぶつけるようにして、怒気と共に吐き出す。
「ひぃっ……だから知らないんですよぅ。オーディン様は、この世界と私たち長耳の一族を作ったお方……知恵と力に溢れ、私たちを護り導いて下さる。あとは槍を持ってるとか、六本足の馬に乗ってるとか、左眼が無いとか。私が知ってることなんて、それくらいなんですぅ……」
眼鏡をずり落ちさせ涙目になりながら、もう勘弁してください、と鼻声になるミミスさん。
「スクナ、もうそこらへんにしときな。それ以上やるなら、あたしが引っぱたくよ」
立ち上がったアイーダさんが俺の肩を引く。
ミミスさんは座り込んでしまい、ひっく、ひっくと半泣きから全泣きに移行し始めていた。
「ごめん、興奮しちまった。立てるかい?」
「はいぃぃ……」
手を差し出すと、彼女はそれを掴んで立ち上がる。
「スクナさん、あの、オーディン様と同じ世界から来たって……」
「そういうことらしい。言う機会が無かったけど……さっきの話、助かったよ。参考になった」
「……なら良かったです……えくっ……」
ぐずっ、と鼻をかむ。メガネは斜めにずれたままだ。
「で、これからどうするのか、あんたの結論は出たのかい、スクナ?」
アイーダさんがハンカチ代わりの布きれをミミスさんに渡しながら尋ねる。
「ええ、俺の知ってるオーディンの神話とこの世界のオーディンの姿はかなり違う、ということが分かりました。ですので……」
実際、オーディンが創造神役に徹している本当の理由は分からない。世界を越えるところで何か変化があったのか、人々に知らせていないだけか……他の北欧神話の神々がいないことや、今ヴァイキングたちがお姫様を襲っていることと何か関係があるのかもしれない。しかし、
「要するに広場にいるあの男たちは、オーディンとは無関係。やっつけても誰も文句は言わない、ということです」
「そんなこと気にしてたのか。相変わらずよく分からないね、あんたの考えることは」
表向きは、と腹の中で続ける。真実は分からないが、向こうがそういう体裁を取るならこちらもそれに乗っかるまで。
そんなことは知らないアイーダさんは、こりゃあの子たち苦労するね、と言いながら頭を掻いた。何のことだか。
「ナルカ、みんなを助けに行くぞ」
「ん」
いつもと変わらず言葉少なく、ちゃきっ、と腰の鉈を抜く。
アニサキスを屠った彼女の鉈は、別段研いだわけでもないのに関わらず、王都に降り注ぐ陽光を反射して鈍く輝いている。
「アイーダさん、あとミミスさんも、周りの人たちの避難誘導をお願いできませんか」
「いいけどさ、大丈夫なのかい?二人とも荒事に向いてるようには見えないけれど。スクナなんて、さっき吹っ飛ばされたばっかりじゃないか」
実際まだ頭は痛い。そして見た目からしても、俺の膂力はヴァイキングや騎士団に及びそうにない。彼女の疑問は当然だ。
確かに今は、騎士団に戦闘を任せて逃げるという選択肢がある。
アニサキスと戦った時、俺はデュナさんを殺されたことに激高して、自分の中の憎悪の焔を、その命じるままに叩きつけた。
しかし、あの時とは状況が違う。騎士団は戦闘のプロだ。俺たちが行っても足手まといになる可能性が高い。
再度ステージを見る。
ヴァイキングと騎士団は数も実力も拮抗しているらしく、一進一退の攻防が繰り広げられているようだ。
デューはメイド姿のまま、どこに隠し持っていたのか例の二本の直刀で、騎士団が捌ききれずに時折飛んでくる斬撃を弾き返している。お姫様はデューの後ろで、リーシャを護るように抱きしめていた。
俺が見ていると、お姫様の腕の中で怯え震えていたリーシャが、俺たちに気付きこちらに視線を向ける。そしてその小さな唇が微かに動く。
『お兄ちゃん……助けて……』
錯覚かもしれないが、俺にはそう見えた。リーシャの声で、そう聞こえた。
「――妹に助けを求められて、見殺しにする兄がいるか、ってことです!!」
「そう。お姉ちゃんは妹を護るもの!!」
ナルカも勇ましく同調する。
今ここで、俺たちが戦う理由はそれだけで十分だ。
石畳の上に転がる廃材から、手ごろな2mくらいの角材を拾い上げて武器にする。大きくて取り回しが難しいけれども、傷つけるのでなく暴徒鎮圧が目的なら問題ない。
「はあ……言ってもきかないか。だったらしっかり妹に、格好いいとこ見せてきな!!」
「はいっ!!」
勢いよく答えると同時に、俺とナルカはステージ際の戦場へ駆けだした。