友達は、愛と勇気
秋の収穫祭、最大のイベントであるパン祭りの会場となる噴水のある中央広場は、昨日デューを襲った紙兵士が大暴れしたにもかかわらず、昨日以上の人混みでごったがえしている。ひっくり返されていた屋台や資材も片づけられ、少し開けた中心部には木箱と白い布で作られたステージが設置されていた。そしてその周りには決勝戦で使用する予定の簡易厨房と基本となる食材が、市場の見せ棚のように並べられている。上手く初戦を勝ちぬけられれば、ここが俺たちの戦場になるのだろう。
参加者は決勝進出が決まった時点で呼ばれる予定なので、俺とリーシャは観衆に紛れる形で少し離れた場所から最終準備が進むステージを見守っていた。
ついでにステージの後ろには、例の攻城兵器を改造したという山車のような姫様専用がそびえ立っている。近くだと威圧感が半端ないな。既にお姫様は会場には到着しているということか。
「あ~太陽の馬鹿……何で昇るんだよ。ちったぁ空気読んで休めよこんにゃろうにぁ……」
空を見上げる。本日も王都は凱風快晴。こちらの事情などお構いなく朝っぱらから眩しい光の矢を寝ぼけた網膜に容赦なく叩き込んでくる太陽に、思わず呪詛が漏れる。
この会場にいるかもしれない正体不明の敵の攻撃方向を制限するため、白い民家の壁を背にするようにして立っているのだが、いかんせん照り返しがキツイ。しかも顔を隠しながら、斬撃も防げるよう厚手のフード付きコートに身を包んでいるため、正直中はかなり蒸す。脱げば眩しく覆えば暑い、日光東照流は隙を生じぬ二段構え。南風さんには頑張ってもらいたい。
「眠いの、お兄ちゃん?」
俺のコートの中に収納もといすっぽり隠れて頭だけ出しているリーシャが、心配そうな声を上げる。傍から見たら股間から女の子が生えている状態だから、なかなかシュールだ。
「眠くないと言えば嘘になるけれども、大丈夫と言わなければならない自分の状況に少しの切なさと愛しさが心強さで……あふぁ……」
意識せず大きな欠伸が飛び出した。
いかん、空はこんなに青いのに脳味噌が微妙に茹ってしまってる。
「これ、眠たそうだったら食べさせてって、デューお姉ちゃんが言ってたの。はい、お兄ちゃん」
そう言ってリーシャが差し出した何かを、特に警戒せずそのまま口に放り込んだ。
途端、口の中に梅干しとレモンを酢で和えたものを濃縮させたような強烈な酸味が襲い掛かった。突然の刺激に大きくむせ込んでしまう。
「大丈夫?」
「ぶごふっ……ああ、おかげで目が覚めたよ。あとでデューにはお礼しないとな」
相撲部屋的な意味で。あいつ、絶対こうなること分かってて詳しく説明しなかったろ。垂れないように、こっそりと洟をすすり上げる。
そういえば彼女は今朝工房を訪れて俺たちのパンを試食した後、「これなら大丈夫、私は良く見えるところから監視しておくから」と言って去って行った。しかし俺たちがここに来てからも、まだその姿を確認できていない。身長が低いから雑踏のどこかに紛れているのだろうか。
『ただ今より秋のパン祭りを開催いたします。会場の皆様、ご静粛に!!まず審査員のご入場です』
「あ、始まるみたいだよ」
そうこうしているうちに、ステージに上がった司会者と思われる女性が祭りの開始を宣言した。マイクやスピーカーは無いため、羽の絵が描かれたメガホンを手に持って大声を張り上げている。
「手に持ってるあれ、何で羽のマークが描いてあるんだ?王家のマークなのか?」
「あの道具は、声を大きくする精霊魔法がかかっているの。羽は風の精霊が好きなものだから、精霊が言うこと聞いてくれやすくなるんだって」
ということは、彼女は風の精霊魔法を維持しながら喋れる、というスキル持ちなんだな。歌って踊れるアイドルみたいな感じで。
ステージの上の審査員席に、違う金銀の糸や鮮やかな染料で加工された豪華な服で着飾った4人の中高齢の男女が次々と座っていく。多分この街の重鎮たちなのだろう。
『そして本日の特別審査員であらせられます、我らがスノラダ姫のご入場です!!』
うおおぉぉっ!!と群衆から歓声が上がり、噂のお姫様がステージの上に姿を現す。それを見た瞬間、俺は息を飲んだ。
日の光を受けて輝く白みを帯びたクリスタルガラスのような長い銀髪を、翠の宝石が嵌った可愛らしい黄金のティアラが嫌味なく飾る。きめ細かい純白の肌に小さくて上品な真紅の唇は、初雪の上に落ちた椿の花を思わせた。意志の強そうなやや太めの眉毛と、相対的に少し目尻の下がった大きな瞳に、柔和な笑みが湛えられている。花嫁衣裳にも似た袖の短い純白のサマードレスに、しなやかな細い手を覆う長い白手袋、そして装飾品らしいものといえば小粒の真珠を細い銀鎖で連ねたネックレスくらいだ。
……おおう、これぞおとぎ話のお姫様。全ての国民が愛し憧れるのも無理はない。例の無かったことにされている楽天王子がどれほどのものかは分からないが、並大抵の容貌では彼女とは勝負にならないだろう。このお姫様、離れてても感じられる”輝く風”とでも呼ぶべき清々しい後光みたいなオーラが放たれてるし。
足元でお姫様を見ようとリーシャがぴょんこぴょんこ跳ねていたので、その小さな体を持ち上げ肩車してやる。
「わぁぁ、お姫様綺麗……」
「そうだな。絵で見たのなんかより、本物の方が100倍綺麗だ」
自分の頭の上で感嘆を漏らすリーシャに、そんな幼稚なコメントしか返せないほど、初めて見るお姫様のインパクトは大きかった。
会場はいつの間にか怒涛の姫様コールで満たされていた。人々の声は大きなうねりとなって駆け巡る。
『姫様っ!!姫様っ!!』
『おっぱいっ!!おっぱいっ!!』
……何か変なコールが混じっているような。指摘を受け、改めて該当部分に視線を向ける。確かにお姫様は、ドレスの上からでも形が分かるくらい胸が大きい。しかも歩く時のぶるんぶるんした上下左右の揺れ幅からすると、ノーブラの可能性が高い。ちゃんと固定しとかないと垂れるぞ、この世界にブラジャーがあるかは知らないけど。そういえばアイーダさんは触った感じノーブラだったような。
ステージに上ったお姫様は、司会の女性からメガホンを受け取って群衆に向けた。嵐のように割れんばかりのコールで一杯だった会場が、すぐに静寂で満たされる。
『親愛なる国民の皆さん、今日は伝統あるこの秋祭りにお集まりいただき、ありがとうございます……』
ガラス製の鐘を鳴らしたような、高くて軽やかな声が蒼天に響き抜ける。さっきまで騒いでいた群衆は、その声に聞き惚れているかのように一言も発さない。
『私の父である国王陛下は今も病に臥せっております。しかしこういう時だからこそ、このお祭りを盛大に盛り上げることで、皆様の活力と平癒の祈りを、お城の父王へと届けることができれば、と私は考えております』
おお……、と群衆からため息のような声が上がった。
『僭越ながら本日は私も、このパン祭りに特別審査員として参加させていただくことになりました。ご列席の審査員の方々にご迷惑をお掛けしないよう、頑張って公明正大な審査を行いたいと思います。出場される方も、ここにいらっしゃる方々も、今日は最後までご一緒に、また存分にお楽しみ下さい』
お姫様は一礼してメガホンを司会者に返し、舞台袖に拵えられた一段高い貴賓席へと進み、横に立つメイド服の侍女が引いた椅子に深々と腰掛けた。
『それでは只今より、秋のパン祭り、始まりです!!』
司会者が改めて宣言すると、会場は再び大歓声の渦に包まれた。
「お兄ちゃん、あれデューお姉ちゃんじゃない?」
「デュー?どこにいるんだ?」
あれ、あそこ、とリーシャが指差す方向は、先ほどお姫様が座った席、の隣に立つメイドの女性。確かに小柄だし、切れ長の目にやや紫がかったポニーテールには見覚えがある。
「本当だ。何やってんだ、あいつ」
確かに一番近くで出場者を監視できる特等席だけど、どうやって潜りこんだのやら。彼女はてっきりグレリーの私的な密偵だとばかり思っていたが、それだけではない、ということか。メイド服でお姫様に付き従う彼女は、いかにも高貴な方にお仕えしています然とした、執事のような品格を醸し出している。その姿は一幅の絵のようだ。とはいえ砕けた姿しか見ていない俺からすると、とても違和感がある。
貴賓席の後ろには例の山車があり、中には警備の兵士が控えているということだから、あの場所はデューにとっても安全地帯というわけだ。
『それではまず、事前に行われた予選の結果を発表させていただきます。名前を呼ばれた参加者は予選通過ですので、ステージ前に集合して下さい。パレンバンパン店、クルクラックラン工房、モントマルトル窯……』
次々と予選を突破した参加者の名前が読み上げられる。しっかしイドルドさんの店もそうだけど、この世界じゃパン屋に頭の痛くなる名前を付けるのが当たり前なのか。
『最後にザザイザルザンム商会。以上4組が決勝進出になります』
「……うちのお店、呼ばれなかったね。わたしたち、あんなに頑張ったのに」
「ああ、そうだな……」
肩車したままの俺の頭上で、リーシャが悲しそうにため息をつく。結局司会の女性が読み上げた参加者の中に、イドルドさんの工房の名前は無かった。自分たちとしては最善を尽くしたつもりだったが、やはりプロの職人たちには今一歩及ばなかったということか。
「勝つも負けるも兵家の常、勝負ってのはそういうものさ。あんまり気を落とすなって」
俺としても残念だが、可能性としてこういう事態も考えていなかったわけではない。グレリーには悪いが、こうなったら仕方ないのでお祭りを楽しむだけ楽しませてもらおう。そう思って、慰めるためリーシャを肩から降ろそうとしたところ、
「ちょっと待って、デューお姉ちゃんが何かやってるみたい」
「何かって、これ以上何を……」
言われて貴賓席のデューに目を向ける。彼女は座ったお姫様に何やら耳打ちをしていた。内容は聞こえないが、お姫様はしきりに頷いている。そしてそれを確認したデューが手を上げると、運営係の一人と思われる若い男性が沢山のパン切れが入った籠を持って壇上に現れた。
『ここで突然ではございますが、予選を突破できなかった残り15組の参加者の方々にも姫様に提出されたパンを召し上がっていただき、直接ご感想をいただける、とのことです』
司会の女性がそう言って、メガホンをデューに渡すと、『なんとお優しい……』だの『姫様サイコー!!』だのといった歓声が沸き起こる。しかし小さいとはいえ15切れって、結構量あるぞ。さっきのやりとりからするとデューの提案なんだろうけど、見かけによらず鬼畜だな、あいつも。
お姫様は参加者の名前が書かれた紙を受け取り、パン籠に手を伸ばす。その横でデューが食べる邪魔にならない程度の距離で、お姫様の口元にメガホンを構えた。
『最初は、ドルドッドレイドのパン工房、ですね。……あら、とっても白い。私、こんなに白いパンは初めて見ました。それに何だかいい香りがします……』
はむ、と俺たちのパンを口にくわえる。
自分たちが作ったものを公衆の面前で評価される……俺とリーシャは興奮しながらお姫様の反応を、固唾を飲んで見守った。
『これは……何と柔らかい……そして頬張っただけでも口の中に広がる甘くて深みのある懐かしい香り……まるでふかふかのベッドでお母様に抱きしめられているかのよう……』
おおっ、と会場がどよめきに包まれる。
『こんなに素晴らしいパンが予選を通過できないなんて、決勝に進んだパンは一体どれほど極上の逸品たちなのでしょうか……これは決勝戦に期待が膨らみますね』
ん、何やら審査員席が騒がしいような。見ていると審査員たちの手元にも、俺たちのパンが配られているみたいだ。彼らも次々にパンにかぶりついたかと思うと、その姿勢のまま硬まり、冷や汗を流し始めた。
何が起こっているんだ?
『え~誠に申し訳ありません。運営の手違いで、本来予選を通過していたはずのパンが落選しておりました。先ほどの4組に加えまして、ドルドッドレイドのパン工房、予選通過です。代表者はステージ前に集まって下さい』
「えっ、えっ?!」
「よっし、予選突破!!やったな、リーシャ」
司会の女性が訂正すると、俺は目を白黒させるリーシャを担ぎ上げ、高い高いの要領で祝福した。よく分からないけど、これはデューにお礼をしなければ。もちろん非・相撲部屋的な意味で。
その後も一つ一つ予選落ち参加者のパンを食べてコメントしていくお姫様。しかし俺たちのパンほどインパクトが無かったのか、美味しいですね、頑張ってください的な無難なものに留まっている。
「お兄ちゃん、どうしよう……私、本当に姫様にパンを作るんだ……」
緊張でわなわなと震えるリーシャ。その両手をしっかりと握りしめる。
「大丈夫、リーシャのパンが美味しいってのは、お姫様が認めてくれたんだ。もっと自信を持っていいんだ。それに、俺も付いてるから……」
リーシャの身体の震えが止まる。そしてきっと顔を上げると、
「うん、わたし頑張るっ、美味しいパンを作って、もっと姫様に喜んでもらうっっ!!」
そう宣言した。
「よし、強い子は良い子だ。一緒に優勝目指そう」
頭を撫でようと思ったが、こんな時まで子ども扱いするのは止めよう。戦うことを真正面から受け止めた彼女は、今や一人の戦士だ。
「そういえばナルカとアイーダさん、そろそろ来てもいい頃なんだけど……」
「お~い、スクナ!!こんなところにいたのか」
タイミング良く、ナルカを連れたアイーダさんが息せき切って現れた。お姫様に負けず劣らずの二つの果実が、ばるんばるんと上下に揺れる。改めて見てもやっぱりノーブラだな、この人。
「予選はどうだった?」
「少し揉めたみたいですけど、何とか無事に通過できました。アイーダさんの方は?」
「おう、準備万端。言われた通り材料は先に搬入してきたぜ。あとは例の被り物だけど……」
そこで後ろからナルカが少しばつの悪そうな表情で、何やら大きな紙包みを差し出す。
いや、紙包みではない。それは紙を貼り合わせて作った、半ドーム状の大きなパンだった。外見はドイツのカイザーゼンメルだったか、パンの上は星状の裂け目が描かれている。が、
「何で食べかけなんだ?」
「……この方が美味しそうに見えると思ったから……」
そう、本来東京ドームのような円状のはずのパンの、1/3程度が齧られたように切り取られ、空洞の中身が丸見えになっている。これだと顔も丸見えだ。
「ぬむむむ……どうしたもんだろ」
『ドルドッドレイドのパン工房代表者、至急ステージ前に集まって下さい!!』
悩む時間も無く、司会者が集合を促す。
「一応顔を隠せるように、布の端切れは持って来たんだけど……」
そう言ってアイーダさんがズボンの中から黒っぽい布を取り出す。パンなのに、何故に黒?そして今までどこに仕舞ってたんだ、それ?まさかパンツじゃないよな。
「仕方ないです、それでお願いします」
アイーダさんがピンで布を止めると、俺はすぐにパンの被り物を頭に乗せた。布には空気穴が開けてあり、そこから外の様子も見ることができる。キグルミによくあるように被り物も臭いかと思ったが、あまり使っていなかったためか変な匂いはしない。むしろ覆い布の方からアイーダさんの下半身の甘く熟した汗の匂いが漂ってきて、じっとしていると変な気持ちになりそうだ。
「行くよ、リーシャ」
「うんっ!!」
手を取って人混みをかき分け、ステージに向かって走り出す。後ろから頑張れ~、とアイーダさんが、それと小さく頑張れ、とナルカが応援の声をかける。
視界が悪いので、時々観衆にぶつかりながら、ごめんなさい、すいませんと謝りつつ進む。ぶつかった人たちは嫌な顔、変な顔をしても、次の瞬間皆笑い顔になってしまう。ええ、自分でも凄い光景だと思います。女の子の手を引きながら、齧りかけの巨大なパンが走っていくとか、珍百景に応募されそうだ。顔が見えないのがせめてもの救いか。
恥を忍んで人垣を走り抜けると、ステージの前には既にほかの4組の参加者が待っていた。皆イドルドさんに負けず劣らずのいい体格をしたおっさんたち。その中に一人だけ若い男が混じっていた。おっさんたちが頑固ラーメン屋店主みたいなのに、若い男はパティシエとでも呼ぶべき、何やら繊細そうな雰囲気を漂わせている。パン勝負なら菓子職人が混ざっていてもおかしくない、てか。
彼らは皆、俺の姿を認めると一瞬ぎょっとした表情になった後、次の瞬間全員が同時に破顔した。笑い声がステージに響く。
ええ、楽しんでいただけて光栄です。その悦楽、俺の自尊心と等価交換ですけど。
『ドルドッドレイドのパン工房、代表の方、ですよね?』
必死に笑いを抑えながら、恐る恐る司会の女性が尋ねてきた。
「はい、リーシャといいますっ!!」
『それで、そちらの方は……人間?』
そうですよ、今この瞬間だけは全力で否定したい気持ちだけどな。
「面白い頭をされているんですね。どこかの村の風習ですか?」
と、壇上から声がかけられる。見ると、わざわざ席を立ったお姫様が近づいてきて、ステージから俺たちを興味津々といった顔で覗きこんでいた。
横に立ったデューはポーカーフェイスを崩していないが、良く見ると自分の手の甲を抓っている。本当は爆笑したいだろうに、宮仕えも大変だな。
絶対同情してやんないけど。
「俺は……」
答えに詰まる。
彼らの前で本当の名前は言えない。下手に誤魔化すとぼろが出る。時間にして数秒、頭の中にいくつもの選択肢が浮かんでは消えていく。
そして最終的に俺は、
「私は……あどけない少女の涙に心打たれた男、餡麺麭男!!」
ネタに走ることにした。徹底的に。