翠の瞳を持つ男
「昨日の夜、貴方たちと別れたグレリーは犯人を捜すため、すぐ”街の耳”に接触した。情報が集められ、そこから選んだいくつかの目撃場所に密偵が遣わされたの」
で、当たりを引いちゃったと。
その時を思い出すように目を閉じて、デューが話を続ける。
「夜明け少し前の薄暗がりの中、私は犯人と思われる影を追っていた。走り方は素人、簡単に捕まえられる、と疑わなかったわ。そして路地裏に追い込んだところに、奴らがいた」
「奴ら、ってことは、一人じゃなかったってことか?」
「それが、よく分からないのよ……」
目をつむったまま、う~ん、と顔をしかめる。
「暗くて見えなかったとか?」
「いえ、その頃にはもう空が白み始めていたから、見間違えることは無いと思うのだけれど」
「こんがらがってるなら、何でもいいからとにかく見たことだけを順に話してくれないか」
話している間に考えがまとまるかもしれない。そう勧めるとデューは目を開け、恥ずかしそうな顔で「笑わないで聞いてよ」とほんのり頬を桃色に染めて話し出した。
「まず私が見たのは、逃げる犯人の先、行き止まりに立っている大小2つの影だった。一人は背が高い男。筋骨隆々じゃないけれど、服の上からでも分かるくらい引き締まった体をしてた。もう一人は小さな男の子だったと思う」
「それで、そこに仲間でも現れたのか?」
「違うわ。信じられないけれども……背の高い男が私の目の前で、いきなり4つに増えた」
「最初から陰に隠れていたとか、動きが早すぎて何人にも見えたとか……」
目を開け、俺の眼を真っ直ぐに見つめながら激しく首を振って否定する。
「そんな小細工じゃない。まるで最初からそうだったみたいに、一瞬で4人になったの。4人の男が一斉に犯人に襲い掛かって、見たことのない形の剣で頸に左右から、そして両腕に、計4撃が同時に振り下ろされた」
どうしても男が増殖とか言われると、ちゅうちゅう列車の人たちを連想してしまう。確かにあの動きで襲いかかられたらひとたまりもない。主に腹筋が。
「その時顔は見えたのか?」
「少しだけ。貴方と同じ、黒髪に翠の目。でも一緒なのはそれだけね。褐色の肌に彫りの深い顔、整った黒髭をたくわえていて、年は少なくとも30歳はいってそうな感じだったわ」
黒髪で褐色肌、ね。日本人なら沖縄とか南の島出身だろうか。広がって地球全体だと該当人種が多すぎて、絞り込みできるレベルじゃない。
あと、一応俺も30手前なんだけど、全くそう扱ってもらえないのでいい加減あきらめました。
「犯人を殺した後、男はまた一人に戻った。その時向こうも私に気付いたみたい。一瞬動きが止まった隙をついて逃げ出すことができたの」
「その間、もう一人は何をやっていたんだ?」
「分からない。私が逃げようとした時には、もう姿を消していたような気がする」
となると、道術士は男の子の方か。分裂男より先にデューに気付き、目と耳になる護法鬼の札を彼女に仕掛けた。いつでも式紙兵で追いかけて、殺せるように。
姿を消す男の子を連れた、4人に分裂する成人男性……。
「もしかしてそいつ、てんしんは……いや、何でもない」
「?」
よく考えると髪の毛無かったな、あいつら。
「しかし俺と一緒かもしれないって言われても、共通点が髪と目の色だけだしな」
ちゃぽっと肩まで湯につかり、もやのかかった湯殿の天井を見上げる。もし彼らが俺と同じ世界から来たとして、彼らと違って俺には分身の術も道術も使えない。
考えてみれば多少の医療器具は持っていたけれど、徒手空拳でこの世界に放り出された割によく生きていたものだ、としみじみ思う。
一体彼らはどこでそんな力を手に入れたのだろう。そんな力が俺にもあれば、あの夜アニサキスを倒し、デュナさんを救うことも可能だったのだろうか。
考えてみても無いものねだり、気を取り直して湯で顔をじゃばじゃばっと洗う。
「増えた男のことは分からないけど、さっきのお札や呪術の兵士は、確かに俺の世界のものだ。ただ魔術理論が理解できれば、ある意味誰でも再現できる。そこで確認しておきたいんだけど、長耳の一族は自分の姿を分ける魔法、みたいなものは使えないのか?」
ピンク髪でくぎゅ声のツンデレ少女の許嫁(笑)みたいに、風の魔法で偏在を作るとか。
「聞いたことが無いわね。私たちが使う精霊魔法は、人の体の大きさをしたものを作って操作できるような、力も規模も精密さも持っていない」
そう言いながらデューは見てて、と自分の前の湯面を指さす。俺がそこに注目すると、彼女は呪文のようなものを呟いた。
「何をしたんだ?」
「いいから」
二人で水面を見続ける。1秒、2秒……沈黙の中、時間だけが過ぎていく。やがて30秒ほど経過したところで、何もなかった水面に、下からシャワーを当てた時のようなもこもことした隆起が生まれた。5cmほど盛り上がった水面はそれ以上何が起きるわけでもなく、ただもこもこと蠢いた後、数秒で波紋だけを残して元の水面に吸い込まれるようにして消えていった。
「もしかして今のが……」
「そう、長耳の一族に与えられた力、精霊魔法よ」
なんつ~か……
「しょぼいな」
「言わないで。使い方にもよるけれど、直接的な攻撃力はほぼ皆無と考えていいわ。さっきみたいに精霊に呼びかけることで自然現象を少しだけ引き寄せる。それが精霊魔法」
例えば火を起こしてくれ、と頼んでも、場所も時間も大きさも、結精霊の気分次第。その気にならなければ10年20年後ということも可能……ということか。
「こんな程度よ。実戦では先制攻撃で動きや飛び道具を封じるくらいにしか使えない。戦いが始まったら、それこそ誰に当たるか分からない危険な道具でしかないわ」
位置が目まぐるしく入れ替わる戦闘で、発動はできるけどそれ以外はサプライズとか、無差別攻撃してくる機雷みたいなものだ。はっきりいって邪魔でしかない。
「じゃあ長耳の一族以外で、そういうことができそうな一族はいないのか?」
「まず外見が違うから当てはまらないけど、私の知る限り無いわね」
「となると、その黒髪褐色肌の男が持つ特殊能力、と考えるべきか……」
頷くデュー。この話を俺に伝えるよう彼女に命じたグレリーも、多分同じような結論に思い至ったのだろう。
「一応言っておくと、俺にそんな力は無いぞ」
分身能力があったら、夏冬のお台場聖戦で一人ファンネルをやっている。
「でしょうね。まあ、あったとしてもひけらかすような人では無いみたいだし」
少しのぼせてきたわね、とデューは自分の顔を手扇で仰ぐ。その動きに合わせて形の良い彼女の双丘が水面に当たってちゃぷちゃぷと音を立てた。
「グレリーからの伝言、ってのは、その件を俺に確認することだけか?」
相変わらず潜水艦ごっこを続けているリーシャを横目で探すふりをしながら尋ねる。
「もう一つは……さっき襲われたことを考えると、状況が変わったから取り消してもいいかもしれない」
「話すだけなら別にいいんじゃないか?」
「……この件はあなただけ、というわけじゃない。周りの人も巻き込む形になるから」
どういうことだ、と聞く前に、デューは近寄ってきた黒クラゲ、もといリーシャの両脇を抱えてすくい上げる。
「わ、捕まっちゃった!!」
「楽しんでいるところ悪かったわね。あなたがドルドッドドっつっ……言いにくい……」
あ、舌を噛んだな。気持ちは分かる。
「うち?ドルドッドレイドのパン工房だよ」
「そう、ドル……パン工房のマイスター、イドルドの娘さんでよかったかしら?」
どうやら諦めたらしい。
「そうだけど……そういえばお姉さんって誰?お兄ちゃんと一緒にお風呂に入ってるから、てっきり恋人さんなのかな、って思ってたけど……」
長い黒髪から大量の滴をしたたらせながら、無邪気に尋ねるリーシャ。
その瞬間デューの顔から冷静さが吹っ飛び、湯沸かし器にかけたように茹で上がって真っ赤に染まった。言うなればそう、タコさんウインナー状態。ただのタコと呼ぶには、彼女は可愛い過ぎる。
「そ、そんなわけないじゃないっ!!何を言っているのやら……」
「え~、だってお父さんが、大人が一緒にお風呂に入るのは恋人か結婚してるかのどっちかだ、って言ってたよ。……あ、もしかしてお姉さん、お兄ちゃんの’いいなずけ’っていう人なの?」
「だから違うのよ!!私がこんな……こんな……こんな、す……すっとこと……」
弁解しながらもデューの声はどんどんトーンダウンしていき、最後には顔を赤らめながら湯の中に沈んで行ってしまった。鼻から上だけを水面に出し、こちらをちらちらと見ながら何やら独り言を呟いているが、言葉は泡になってぶくぶくとしか聞こえない。
口が悪かったりぶっきらぼうだったりするけど、こういう反応をされるのなら、少なくとも嫌われてはいないのだろう。
見てて面白いけど、このままだと話が進まない。そろそろフォローが必要か。
「リーシャ、実は俺の世界では、男女関係なく一緒にお風呂に入ってもいい、っていうことになっているんだ。このお姉さん、デューもそれを知ってたから一緒に入ってくれたんだよ」
概ね間違ってはいない。ただし混浴してるのはジジババがほとんどだけどな。
「リーシャの髪を洗ってもらおうと思って、俺が頼んだんだ。な、デュー?」
分かりやすくウインクして見せる。
「そういうことよ。女の子の体のお手入れは、同じ女じゃないと分からないからね」
意図を理解したデューは潜望鏡深度から勢いよく立ち上がり、これ幸いにと俺の言葉を捕捉した。が、
「あ、お姉さん、大人なのにつるつるなんだ。わたしと同じだね」
目の前に出現したデューの股間について、リーシャが率直な感想を述べる。
「―――――――っっ!!」
「こらリーシャ、女の子がそんなこと言っちゃダメだぞ」
「そうなの?」
デューが顔を真っ赤に爆発させて急速潜航する横で、俺はぺしっ、と軽くリーシャの頭にしっぺを食らわせた。