厭魅・召鬼(えんみ・しょうき)
「なんなんですか、これ……」
崩れた芝居小屋の残骸を前に、ぺたんと座り込んだミミスが呟く。心情を表すかのように、彼女の茶縁メガネがずり落ちる。
「あんたら、何てことしてくれたんだ!!まだ前日祭だってのに、これじゃもう人も呼べやしないぞ!!」
怒り狂ったミミスの兄が俺の襟首を掴む。
いや、知らんがな。あの人も好きで突っ込んできたわけでなし、緊急避難で刑事は不起訴。やるなら追手の方に民事で頼む。
しかし、そうも言っていられない。
「修理費用と収入補填、さっきの金焔貨で足りません?」
「それは……一応足りるな」
頭の中でソロバンを弾く音が聞こえたぞ。ゆっくり襟首を掴む手が降ろされる。つ~か大黒字だろ、あんまり欲張るなって。服の乱れを直し、埃を払う。
「ナルカ、リーシャ、二人とも小屋の片づけを手伝ってやってくれないか?」
「わかった!!けど、お兄ちゃんは?」
「スクナ、行くなら私も」
腰に吊るした鉈の柄に手を伸ばす。
「いや、さっきの人が逃げるのを少し手助けするだけだ。危なくなったら俺も逃げるさ」
彼女を追った黒装束は5人。本格的に戦うには、俺とナルカの加勢では心もとない。ここは敵の全滅より、勝利条件達成を目指した方が攻略難易度は低いと踏んだ。
大体俺が攻撃力皆無の治癒術士ユニットだし。
「ということでミミスさん、この二人を置いて行きますので、好きに使ってください。後で迎えに来ますから」
「……はっ!!よく分からないですが分かりました、行ってらっしゃいませ!!」
まだ錯乱しているみたいだけれど彼女には兄弟もいるし、しばらくベビーシッターよろしく。
芝居小屋の跡を後に、グレリーの使いと名乗った女性を追って走る。お祭り会場の中央広場は既に大混乱に陥っていた。彼女たちが通った後は、テーブルがひっくり返り、飲食物が散乱し、花は落ち、鍋は倒れ、テントは破れ、と竜巻が通り過ぎた後のような惨状が広がっている。
これ全部をグレリーが弁償するのか?できるのか?
戦いながら逃げる彼女の足は遅く、今やっと小屋から対角線上にある噴水に辿り着いたところだ。
どうやら追跡者たちは彼女を一撃で仕留めるのは難しいことに気付いたらしく、集団で追い詰めて気力と体力をゆっくり奪う戦法に切り替えている。
彼らの一撃は重く、女性は先ほどのように両手の剣を二本使って受け流すのがやっとの状態だ。逆に彼女の一撃は、ひらりひらりと舞うように躱される。
何というワンサイドゲーム。例えるならロボット大戦の事務さんvsオーラ戦士。命中と回避が違いすぎる。噴水を背に、背水の陣で挑もうとしてもしても、当たらなければ意味が無い。
ここまでの逃避行でどれぐらいの時間がかかったのかは知らないが、既に女性は苦しそうに息を弾ませていた。さっきは俺に向かって軽口を叩いていたが、限界は近い。
広場の群集は、おびえた表情で遠巻きに眺めているだけだ。その背中に隠れながら接近に気付かれないように、気配を殺して戦場に忍び寄る。途中、倒れていたテントから折れた支柱を拾った。自由箒より一回り太く、握ると手になじむサイズ。ちょうど自分の身長より少し長い。即席の六尺棒としては十分だ
追跡者は噴水を背にする彼女を等間隔で半円状に囲み、時々散発的に切りかかりながら、彼女の衰弱を待っている。俺の接近には気づいていない。少しずつ距離を詰める。あと3m……。
円陣の一番端にいる黒装束に狙いを定め、両手両足の筋肉を引き絞る。別の黒装束から何度目かになる攻撃、彼女がそれを受け流す。今回も攻撃が失敗に終わり、追跡者が円陣に戻るその瞬間、
「―――っぜやッッッ!!」
弓から放たれた一本の矢のように、一足一刀の間合いから、渾身の力でターゲットの黒装束に、予備動作の無い全力の「突き」をお見舞いする。
狙いは面積の広い背中。自分の力量は過信しない。倒すことは考えず、一撃お見舞いして気を引き付ける。それで充分だ。
が、
くしゃっ
どすっ、とかごんっ、といった音を想像していた手の中に、丸めた新聞紙をつついた時のような感触が伝わった。
「えっ……?!」
棒が、黒装束の体にめり込んでいる。それだけならいいが、めり込んだ棒が体を貫いたかのように、前半身が棒の形に変形していた。
ありえない光景。
「こいつらっ!!」
動揺する俺の目の前で歪な形になった黒装束は、そのままサーベルを持った右手を振り上げ、自分を貫く背面の棒に叩きつけた。
まるで背中が前面であるかのように、肩、腕、手の関節を逆方向に曲げながら。
棒の先端が切り落とされ自由になった黒装束は、人形が人間のふりをするように、不自然な動きで俺の方に向き直った。
来る!!
「ちぃっ!!」
風を切り振り下ろされるサーベル。とっさに棒を引き、女性がやっていたように斬撃を横に受け流す。刃筋を逸らすことはできたが、インパクトを殺しきれずに、衝撃が棒から体に抜ける。重い。こんなの何度も受けていられない。
そのまま押し込まれるかと思ったが、意外にもサーベルが引かれた。
意図は分からないが、チャンス!!蹴りを放つが、バックステップで避けられる。そこに追撃で棒を横薙ぎに叩きこんだ。が、それもひらりと躱された。
「余計なことをするなっ、このすっとこ!!」
脱出の隙を作ったつもりだったが、女性は残り4人の黒装束に囲まれており、状況は変わっていない。
「すっとこ言うな!!それよりこいつらはどういう生き物だ。身軽だし、攻撃しても効かないし、何より動きがきもい!!」
「知るか!!私だって、見たことも聞いたこともない。オオクニスクナ、異世界から来たというのなら、この手の連中はお前の方が詳しいんじゃないのか?!」
仲間が俺を攻撃し始めたにも関わらず、黒装束は加勢するどころか、彼女に対して先ほどまでの攻撃パターンを繰り返している。
……俺の世界?
ロボットでこれだけの高度な自律運動ができるとしたら、本田さんが泣くわ。
大体未来ならしょぼいサーベルでなくビームサーベルを使え!!いや、そもそも近接武器でなく光線銃、最低でも手話ちゃんみたいに拳銃にしろ!!
頭の中でツッコミを入れている間にも、俺の上に容赦なくサーベルが振り下ろされる。それを棒で受け止め、受け流しながらじりじりと後退していく。とりあえず倒せなくても、引き離せればいいか。
容赦なく打ち付けられる攻撃を受けながら、一つ気づいたことがある。こいつらの攻撃は強力だが、振り下ろした後はすぐに剣を戻す。
試しにこちらから打ち掛かり、鍔迫り合いの力勝負に持ち込もうとしたのだけれども、受けさせてもさっと引いて逃げてしまう。真っ向からの押し合いを意図的に避けているようだ。
そして、あの軽やかな身のこなし。まるで体重が無いみたいにも思える。
しかしそういう目で動きを観察すると、さらに異常なことに気が付いた。いや、既に異常だらけなのだけど。
奴らの攻撃には、溜めも力みも踏ん張りも、何もない。ただ重さと勢いに任せて、剣を振り回している印象だ。まるでそう、俺が黒羽の一族に教えた、力のぶつかり合いを避け、速度と武器の重さだけを叩きつける戦い方。
敵の正体が少しずつ絞れてきた。
体重が軽く、自律行動が可能、普通の人間の弱点が弱点にならない、未来の百貨店で売ってる不思議道具ではなさそう。そしてここはファンタジー世界……。
機械でないとすれば、ゴーレムか!!
それも軽い材料を使ったとなると、ウッドゴーレム。サーベルだけは別に鉄で作っていると考えれば納得できるけれども……
どん、と後ろがつっかえる。横目で確認すると、焼き肉串の屋台だった。店員は既に逃げたのか姿はなく、材料の肉と、火の放射機構で作られた携帯コンロが置いてあるだけだ。
もしこいつらがウッドゴーレムだというのなら、ファンタジー的に火に弱いはず。違和感は残るが、ものは試しだ!!
むちゃくちゃに棒を振り回す。先ほどと同じように、黒装束は距離をとって避ける。そこに棒を投げつけ、さらに距離を開けさせた。
その隙に屋台の内側に回り込む。手早くコンロを取り外したところで、火力のつまみを回して全開にする。しばらく圧力をかけなければ発動しない、とリーシャは言っていたが、間に合うのか?
そこに追いついた黒装束が俺に止めを刺すべく、大きく剣を振り上げる。
「うわっっ!!」
とっさにコンロを眼前に突き出して防御。コンロにサーベルが当たり、火花が散った。二度、三度……このまま打ち続けるつもりか?!
コウッ
瞬間、コンロから真紅の焔が噴出して襲撃者の顔を舐めた。そしてそのまま、一瞬で全身が焔に包まれる。
俺が唖然として見守る中、黒装束はそれでもサーベルを振り上げようとした。が、その手から剣がこぼれる。まるで一本の藁が燃え落ちるように、黒装束の姿はへなへなと崩れ、後には一つまみの黒い炭と、サーベルの形をした小さな金属片が石畳の上に残された。
ウッドゴーレム……ではなかった。
この燃え方は、紙で作った式神か?にしても日本の式神は動物型がメインで、紙の人型は依代に使うことが多いはずだけど。
まさかこれは……。
「きゃっ!!」
遠くから女の人の悲鳴が上がった。見ると、とうとう限界を迎えたのか、使いの女性が剣を取り落し、石畳に片膝をついている。せっかく敵の正体が分かっても、あの人がやられてしまったらお終いだ!!
「噴水の中に逃げて、早くっ!!」
大声で叫ぶ。女性は一瞬迷ったが、意を決して最後の力で水の中に飛び込んだ。
ざぶんと水しぶきが上がる。さあ、どうだ?
「これは一体……」
やはり思った通り、彼女が水に入った途端襲撃者は追撃をやめ、円陣を組んだままその場で留まっている。
「どういうことだ、オオクニスクナ?!」
「まあちょっと待ってって」
質問を遮り、焔を吹きあげ続ける携帯コンロを持って、残りの黒装束にゆっくりと近づく。こちらから攻撃しない限り、標的にはされないようだ。
「ふぁいや~っ!!」
のっぺりした体の尻の部分に着火する。先ほどと同じように一瞬で焔が全身に広がり、黒装束はすぐに燃え落ちた。
こうまで簡単だと、防戦一方だったさっきまでのうっぷんも相まって、逆にテンションが上がる。
「ば~にんら~っ!!」
調子に乗って変なセリフを叫びながら、次々と尻に火をつけて回る。4体の襲撃者は、ほどなくして4つの焼け炭に姿を変えた。
「倒したのか?あれほど苦労した奴らを……こんなに簡単に……」
呆然として女性が呟く。
「まあ正体が分かれば、対処法も分かる、ということで」
「結局何だったんだ、こいつらは」
「呪術で作られた紙の兵士。俺の世界で、道士と呼ばれる術者が使役するものです。多分……」
人型の切り紙に命を吹き込む中国大陸の仙術、剪紙成兵術。
当たり前だが俺も実物を見るのは初めてだ。
読んでて良かった封神〇義。やってて良かった〇華封神。
と、女性が噴水の中に崩れ落ちる。緊張感が途切れ、一気に疲労感が襲ってきたのだろう。足元が濡れるのにも構わず、俺も噴水の中に入って小柄な彼女をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。ナルカほどではないが、軽い。さて、どこか静かなところに連れていきたいところだけれども。
そこで自分に集まる視線に気が付いた。こんな大立ち回りを演じれば、注目を集めるのは当然か。
「……神殿横にある鐘楼の裏手に回って。そこに扉があるので、中で休みましょう」
女性が俺の耳元で弱々しく囁く。
よし。
彼女を抱えたまま、くるりと踵を返して神殿に向かって走り去る。関わり合いになりたくないのか、それとも虚を突かれたのか、幸い追いかける者はいない。
二人でぽたぽたと水滴をしたたらせながら、何とか鐘楼の裏に回る。白い壁の中に黒い木製の小さな扉があった。彼女は抱かれたままで自分の懐をまさぐり、古い金属製のカギを取り出した。それを扉のカギ穴に差し込んで回すと、軋みながらゆっくりと扉が開く。
「入って」
言われるがまま、中に足を進める。そして扉を閉めると、ガチャン、と音を立てて自動的に鍵が降りた。
鐘楼の中は外界から完全に遮断されていた。外側と同じ白に塗られた四角い石が整然と積み重ねられており、天井近くに四方に切られた窓から真昼の太陽が差し込んでいる。
そして何より目を引くのは、荒縄でぐるぐる巻きにされた鐘。お姫様が鳴らさないようにした時報の鐘は少しかわいそうな外見になってしまっている。
俺が女性を降ろすと、彼女はふらつきながらも自分の足で立ち、そしていきなりローブを脱ぎ始めた。
「ちょ、何してんだ!!」
「何って、濡れたんだから乾かさなければ、風邪をひくじゃない」
当然、といった風に言い放つ。
そしてローブの下の姿が露わになった。と同時に、俺はぶふっ、と吹き出してしまった。
「おかしいことでもあったのですか?」
「いや、その服がさ」
「?」
これまでの話の流れから、グレリーの密偵であろう彼女の服は、身体にぴったりとフィットして余計な飾りもついておらず、暗闇の色に染めてあって何の問題もない。ただその見た目が、学校指定のスクール水着に似ている、ということ以外は。
身長が俺より頭一つ低い彼女が着ているため、良くも悪くも非常に似合っている。ちょっとコスプレ臭いけど。
俺の方に視線を向ける。初めて顔を見たが、可愛いというより綺麗系。気の強そうな切れ長の瞳に細い眉。鼻や口などのパーツは小さくまとまっており、白い肌と相まってひな人形のお姫様のような造形だ。髪の毛は紫がかったショートポニーで、尻尾の先から滴が落ちていた。
口調がきついのにも納得だが、デレてくれると別の魅力があるのかもしれない。
「そうだ、自己紹介が遅れたな。私は……」
話し始める彼女を制する。
「と、その前に脱いだローブを調べます。どこかに居場所を知らせる装置が付いているかもしれない」
盗聴器が付いているかもしれな状況で個人情報を漏らすのは危険だ。またGPSのような道具で場所を知られて、閉鎖空間で襲われたらおしまいだ。
俺の意図を察した彼女から、湿ったローブが手渡される。
ひっくり返したり手で触れたりしてローブを丹念に調べる。が、どうも怪しいところは無い。
「もしかしてこれのこと?見たことのない絵と文字が書いてあるけど」
彼女がスク水の上から付けていたウエストポーチのような物入れから、一枚の紙を取り出す。仕舞われていたため、濡れていはいない。
「ふん、『遠い目』に『良い耳』?変な名前ね」
手渡された紙片に目を通して、俺は言葉を失う。
そこには大陸風の服装をした2匹の護法鬼の絵姿と、彼らの名前が漢字で書かれていた。
『千里眼』
『順風耳』