家庭内ジニ係数問題
大通りは年に一度の祭りに賑わっていた。件のパン祭りとやらが催される明日が本番で今日は前日祭のようなものらしいが、例年に比べると人の数が段違いらしい。
定期船が運休したせいで出航待ちの人たちが溜まっていることもあるが、今年は美人で巨乳?のお姫様が参加するとのことで、街の人たちも観光客も気合が入っているみたいだ。あちらこちらから歓声と笛や太鼓などの音楽、調子外れの歌声が響いてくる。朝っぱらからもう酔っぱらっているのか?
俺とナルカでリーシャを挟むように手を繋ぎながら、人のごみをかき分け、色とりどりに飾り付けられた出店や屋台の間を進んでいく。普段は日用品を扱っているような店であっても、今日明日ばかりは特別といわんばかりに、菓子やら花飾りやら爆竹やらと、いかにもお祭り仕様な商品を軒先にずらりと並べている。
ただそこは文明レベルがどうやっても中世未満の悲しいところで、隣り合う店舗であっても扱う品物の差別化ができていない。まあ年に一度のことだから、採算がどうこういうのは野暮なのかもしれない。
ふと、一つの店の前で足が止まる。そこに飾ってあったのは王冠を被り白い髭をたくわえた、いかにも威厳のありそうな壮年男性の絵姿。隣には純白のドレスを纏い、流れるような銀髪にちょこんとティアラを載せた若い女性の絵姿が置いてあった。多分王様と、噂のお姫様のものなのだろう。確かに絵でも胸元の膨らみはかなり強調されている。実物を見るのが楽しみ、と口に出すのは不敬罪になるかもしれないので黙っておくか。
「皆お姫様の話ばっかりしてるけど、王様はどうしたんだ?」
俺の手を握るリーシャに尋ねる。
「王様?そういえば見たことないかも……」
彼女は言われて首をかしげる。露出が少ないってことは、引退寸前で存在感が無いのか。確かに絵姿だけでなく絵皿やらペンダントやら並べられている王族グッズは、その8割がお姫様のものだ。見栄えがするのは解かるけど、こんなに人気に差を付けられてるのを知ったら、王様泣いちゃうぞ。
「お兄さん、旅の人かい?」
「はぁまあ。大人気なんですね、お姫様」
商品に興味があると思われたか、店番のおばさんが声をかけてきた。
「最近はね、どうしてもそっちの方が売れるから。昔は王様と王妃様がほとんどだったんだけど、王妃様がお亡くなりになられて、王様もご病気で体調を崩されて、となるとね」
確かに、譲位が近いってことなら頷けるけど、後継者はお姫様なのか?
「それにしても姫様はお優しい方だよ。王様が床に臥せられてから、『時を告げる鐘が頭に響いて苦しい』とおっしゃられたら、すぐ神殿に命じてお父様が元気になられるまで鐘を鳴らすのを止めさせたくらいだからね。姫様が王位を継いでくださるなら、私らも大歓迎なんだけどねぇ」
「へ~、そうだったんだ。お姫様すご~い」
素直に感心するリーシャ。
……チョイマテ、さらっといい話にしてるけど、期間限定とはいえそんな個人的な理由で街の時報システムをぶっ壊したって、全然自慢できることじゃないぞ。
「あはは、でも鐘が無いと時間が分からないんじゃないですか?」
「それは大丈夫さ。もうすぐ来るはずだよ」
何が?と聞きかけたところで、道の向こうからお祭りの演奏とは明らかに違うコーン、コーン、コーンという高い音が近づいてくるのに気が付く。音楽というより機械的に鳴らされるそれの正体は、羽帽子に黒いマント、派手な色のタイツを着けた男が叩く木鐸の音だった。連続で三回叩き、しばらくしてからまた三回叩くことを繰り返しながら、俺たちの横を通り過ぎていく。
「鐘を鳴らさなくなってからしばらくして、ああいう『時告官』が現れるようになったんだよ。朝、昼、夜と3回ずつ、鳴らす数を変えて街を練り歩くのさ」
さすがに鐘が無いと困ることは理解しているらしい……けどそれを想像できる頭があるのなら、そもそもそんなことはやらないんじゃないのか?時告官とやらは代用にはなるけれども、鐘を鳴らすことに比べれば非効率この上ない。非常時とかどうするんだ?
「そういえば王子様もいるんでしたっけ?ここには商品が無いみたいですけど」
『王子』の言葉が出た途端、おばさんは何とも言えない微妙な顔をした。
え、何その反応。
「楽天王子ねぇ……そんなモノ飾ろうなんて酔狂な人は、この街にはいないよ」
急に俺たちに興味を失くしたらしく、買わないならさっさと行きな、とばかりに睨みつける。仕方がないのでその場を離れることにしたが、どうにも釈然としない。昨夜のどこかの村から来たという若者たちもそうだけど、その『楽天王子』とやらは王室のタブーなのか?
それはともかく、気を取り直してお祭りを楽しむことにしよう。
街の中心を貫く大通りはなだらかな坂になっていて、一方は俺たちが丸木舟で辿り着いた港へ、もう一方は街全体を見渡すなだらかな丘へと続いている。グレリーが待ち合わせの場所に指定した噴水のある大きな広場は、その丘の頂上にあるらしい。
リーシャが俺たちの手をあっちこっちに引っ張るため、進むスピードはかなりゆっくりだ。あんまり商品に違いが無いっていうのに、そんなにはしゃげる理由がよく分からない。まあお祭りというだけでも嬉しいんだろうし、どうしても日本と比べてしまう俺が悪いのだろうけれども。
ちなみにナルカはといえば、街にも人ごみにも情報処理が追いついていないらしく、コートを奪われた某高速戦艦娘のようにあわあわ戸惑いながら、ただ手を引かれるだけの状態になっている。昨日みたいに商品の上を飛び回られるよりはましか。
坂の途中で振り返ると、それでもかなり登ってきたことが分かる。空は気持ちの良い秋晴れで、街だけでなくその先の港から水平線の向こうまで、視界を遮るものは何もない。照りつける太陽を水面が、そして立ち並ぶ家々の屋根瓦が反射して煌めいている。
こんなにいい天気なのに、船が出航できないというのも不思議な話だ。
なんだかんだで色んなお店を覗きながらも丘の頂上に辿り着く。大通りの終点にあたるそこは、話に聞いていた通り真ん中に大きな噴水と、その奥に大きな鐘楼を併設した白亜の神殿が見えた。
なるほど、この世界だとキリスト教の教会は無いから、代わりにこのような神殿が、情報局としての教会の立場にあるらしい。にしても一体何の神様を祀っているのだろう。
そしてこの街に来て初めて気が付いたのだが、神殿のさらに奥、山に囲まれた中にノイシュバンシュタインよりモンサンミッシェルといった風な巨大なお城がそびえ立っていた。王様とお姫様がいるなら当然か。それまで気付かなかったのは、大通りからはちょうど今いる丘の陰になっていたからで、ここからはその全容が一望できる。
お城から放たれる街、そして王都全体を見下ろすその威圧感は、何やら巨大な石の像に監視されているかのようだ。とはいえコンスタンチノープルに代表される大陸系の城塞都市と違い、王都全体が城壁で囲まれているということもないので、大分ましな部類とは思う。
ではお城が全く無防備かと言うとそうではなく、そこへ続く道にはちょうど関所のようにして、石を積んで作られた30mほどの城壁が2重に築かれている。超O型巨人には対抗できないが、人や獣相手なら十分なサイズだろう。
ちなみに2枚の城壁の間にあるのが、貴族や上級官吏の住む町なんだとか。言われてみると時々板屋根だったり、適当に積んだレンガでどこかいびつな構造をしてたりするこのあたりの民家と比べると、きっちりした石積みに鈍く光る揃いの瓦屋根と、いかにもお金がかかってます然とした家が多いような気がする。
「お兄ちゃん、あっちの小屋で人形劇やってるよ。見に行こ!!」
広場は明日のパン祭りの会場になるらしく、そのための資材や木箱がかなりのスペースを占めている。そして噴水を取り囲むように、主に軽食の屋台や見世物小屋、シーソーやブランコと言った子供用遊具などが所狭しと立ち並ぶ。
その中でリーシャが指差した広場の隅には、小屋と言うより仮設テントといった風体の、支柱に古布で覆いをしただけの即席小屋が建っていた。表に掲げた木の看板には白いチョークで、「人形芝居上演中、姫様ご託宣記念」とへたくそな字が書かれている。
「俺はいいけど、ナルカはどうする?」
「……人が多くて疲れた……休みたい……」
上京したての田舎の人みたいに、祭りの人混みに酔ってしまったみたいだ。小屋の中なら座って休めるかもしれない。リーシャは俺の手を離れて走って行ってしまったので、ナルカの肩を持ちながらゆっくりと追いかける。しっかし根っからの野生児だよな、この子は。一度新宿駅に連れてって、反応を見てみたい気もするけど。
「早く早く!今始まるところなんだって!!」
そう言ってリーシャはさっさと中に入ってしまう。
やっと小屋に辿り着いた俺は木戸銭を払おうと入り口に立つ若い男に話しかけたが、どうやら今回のお祭りは特別らしく、お客の寸志で、との説明だった。
首から下げた革袋から硬貨を取り出そうとしたところで、中から伸びてきたリーシャの手が急かして反対側の手を引っ張る。仕方がないので適当に指に触れた貨幣を一つ摘み出し、料金箱に放り込んでナルカと一緒に中に入った。俺が入れた硬貨を見て男が何やら驚いた顔をしていたけれど、大したことではないだろう。
薄暗い小屋の中は意外と涼しく、前日祭のためか幸い観客もまばらだ。リーシャはというと、最前列で地べたに座っている。辺りには椅子代わりに空の木箱が適当に並べられていたので、そのうち一つにナルカを座らせて休ませる。
リーシャの方に行ってくる、と伝えて、俺も最前列へと移動した。
さすがに地べたに座らせるのは良くないので、彼女の両脇を抱えて持ち上げ、一番前の席に並んで座る。
劇の方はというと、どうやらわざわざ上演を待っていてくれたらしく、俺たちが座ったと同時にじゃーん、じゃーんと銅鑼が鳴らされ、ゆっくりと舞台の幕が上がった。
『昔々のお話です……』
語り部がおごそかに語り始めると、簡素な木製の舞台にスポットライトが当たる。これもあの放出機構を利用しているみたいだ。
『この世界とは違う世界に、7御柱の神様がいらっしゃいました……』
言葉通りに現れる7体の糸から吊り下がった操り人形。その外見はこの世界の文明レベルのようにばらばらだ。意外と精巧に作られているが、肌の色、服装、持ち物など、一つとして共通点が無い。
けれどもそれ以上に気になった単語があった。
今、『違う世界』って言わなかったか?!