お義父さま、お赦し下さい!!
イドルドさんの傷の治療が終わってからも、夜だというのにしばらく工房は人の出入りが激しかった。
おむつを取りに戻った際アイーダさんが警邏隊の屯所に人をやってくれていたため、しばらくして革の軽装鎧を着た隊員3人が工房を訪れた。
……のだが、現場検証と言っても工房をざらっと見渡して明らかな物的証拠が無いこと、そしてイドルドさんが無事であることを確認すると、「んじゃ聞き込み調査をしていきま~す」とだけ言ってあっさり立ち去って行った。
薄情だな、とは思ったけれども、死者は出ておらず傷は治療済み。犯人は逃走して時間が経っているし、その上遺留品が無いとくれば、熱が入らないのも仕方がない。
そもそも系統だった捜査技術や鑑識という概念の無いこの街の文明レベルでは、現行犯逮捕以外は基本藪入りなのだろう。聞き込み調査は、今の彼らにできる精いっぱいなのだ。あとは情報屋や個人的なツテとか……。
ということで、ツテを使うと言って立ち去ったグレリーは、文化背景的に全く正しい。時代劇で八丁堀の旦那もやってことだし。
俺たちは、というと、治療と説明がひと段落したところで、そびえ立つ肉塊とも呼べるイドルドさんの身体を戸板に乗せ、手伝いの男たちと何とか二階にある彼のベッドへと運ぶことに成功した。藁のベッドは固いため、屋根裏部屋の柔らかい高級ベッドに、という話も出たが、万が一心臓マッサージをする場面になるとベッドが柔らかいと体が沈んでマッサージができないため、あえて固い方を選んだ。それ以前に彼の場合、柔らかい方だと自重で沈んでしまうのだけれど。
簡単な後片付けが済むと、俺はアイーダさんと手伝ってくれた男たちにお礼を言い、休むことにした。
不審者がいないことを確認してから工房の扉と窓をしっかり閉めて鍵をかけ、一階の放射機構の室内灯は点けたままにする。リーシャはイドルドさんのベッドと並んで置いてある自分のベッドで寝て?いる。ナルカは引き続き屋根裏を使い、ついでに時々窓から近づく者がいないかを確認してもらうことにした。半分寝ずの番みたいになるけれども、昼間しっかり眠ったせいか、はたまた黒羽の一族が夜行性なのか、本人は気にする様子も無く「ん」とだけ言って階段を上って行った。
俺はと言うと、イドルドさんが起きた時の説明係+状態が急変した時の対応のため、2階で父娘と一緒に夜を明かすことにする。
大通りから一本入ったところにあるこの脇道には、秋のお祭り、パン祭りと言っていたが実際は収穫祭なのだろうけれども、の前夜祭の喧噪も光もあまり届かない。時々調子外れの酔っ払いの歌声が聞こえる程度だ。
今、何時ぐらいだろう。俺のスマホはナルカに写真を見せるのに使ったので電池切れ、PHSは乳首と共に爆散し、残骸は土器片と一緒に村のごみ捨て場に捨ててきたため知りようがない。
並んで置かれた大小父娘のベッドの隙間に身体を潜り込ませ、擦り切れた古い絨毯の敷かれた床の上に腰を下ろす。ちょっぴり埃の匂いがするし、尻が冷たい。放射機構の光は熱を伴わない純粋な魔力の光なので、電球みたいに熱で天井が温まることも無い、ということか。それはそれで不便なような。
目の前には点滴を付けたイドルドさんが時々止まる肥満患者的な大きないびきを、俺の背中からはリーシャが可愛い寝息を立てている。父娘が前後で奏でるハーモニーを聞きながら、俺は暗い部屋の中でいつ来るともしれない夜明けを待つことにした。
ベッドにもたれかかったまま、うとうとして、目が覚めて、また船を漕いでを繰り返し、どれくらい時間が経ったのだろう。自分の後ろで何かが動く気配と、絹擦れの音に俺は目を覚ました。
「リーシャ、起きたのか?」
「え、お兄ちゃんどうして……私……」
首を巡らせて後ろを見ると、階下から漏れる光が照らす薄暗がりの中、ベッドから少し体を乗り出したリーシャが眠そうな目を擦っていた。布団で見えなかったが、いつのまにか普段着のエプロンドレスではなく、くたびれた白い木綿生地の子供用ネグリジェに着かえさせられている。
どうして、と聞かれても、倒れた父を見て動転したところをアイーダさんのツイン・ブレスト!!ストラーイクッ!!で轟沈させられてたとは言えないよな、やっぱ。
「驚いて倒れたのを、アイーダさんが運んでくれたんだ」
「姉ちゃんに後でお礼言っとかないと……。そうだ、お父さんは!?」
がば、と体を起こす。
「安心しろ、大丈夫だよ」
ほら、と向かいのベッドで大いびきをかいているイドルドさんを指差す。呼吸のたびに大きくお腹が上下しているけど、ガーゼ外れないよな。
「傷が落ち着くまで2,3日は寝ててもらうけど、すぐに元気になるさ」
「お父さん、良かった……」
ぽすっとベッドに腰を下ろすリーシャ。
感染や他のトラブルがなければ、の話だけれど。脂肪はくっつきにくいし、腹部肥満の人はお腹に力がかかるためか傷が開きやすい。無いとは思うが、凶器に毒が塗られていた可能性も否定できない。
やれることはやったので、後は天命を待つのみ、だ。
「あの変な道具、あれってお兄ちゃんの?」
「ああ、俺の世界の治療道具」
点滴を指さされたので答える。血圧が落ち着いていたので、点滴を落とす速度はラインのチューブが詰まらないよう、キープできる程度のゆっくりしたものにしている。そして脇からもう一本、100ml程度の小型の点滴ボトルに続くラインが伸びていた。後から追加した抗生物質の点滴だが、正直どの程度感染予防になってくれるかは分からない。この世界の細菌が地球のそれと同じだといいのだが。もしそうなら抗生物質に耐性が無いため、著効してくれるはずだ。
「そっか、お兄ちゃん、お医者さんだったんだ」
「元いた世界で、ってだけだけど。言ってなくて悪かったな」
最近は虫を退治したり、船を漕いだり薪を割ったりと、関係ない仕事ばっかりやってるし。
「ううん、お父さんを助けてくれてありがとう」
リーシャは俺の右手を取り、そこに自分の手を絡める。細くて小さな彼女の指が俺の手の指の間にもぐりこみ、子供特有の高い体温と女の子の柔らかい肌の感触が伝わって来た。おおう。
「私、お医者さんってずっと怖い人たちだって思ってたから」
「……お母さんのことか?」
こくり、と頷く。
「最初は黒羽の一族は見ない、病気がうつる、っていう人がほとんどだったの。やっと探してきたお医者さんも、色んな高いお薬を買え買えって言って、お父さんそのためにずっと働きっぱなしだった」
「大変だったんだな」
「でも、やっぱりお薬も効かなくて、お母さん……死んじゃった……」
きゅっ、と握る手に力が込められる。
この世界でも病気と人との関わりは、地球とそれほど大きく違わないのだろう。
そういえばアイーダさんが帰る時、治癒魔法みたいなものが無いかをに聞いてみたけれど、一笑に付されてしまった。ファンタジー世界でも人体はそう単純ではない、ということか。
後ろを振り返り、ベッドの上に乗り出してリーシャの顔を覗きこむ。彼女の固く瞑られた瞳には、水滴が弱い光を反射して鈍く輝いている。どうやら母のことを思い出してしまったらしい。
何か言葉を掛けようかと思ったが、今はどんな言葉も陳腐になるような気がした。その代り握られている方とは逆の手で、優しく頭を撫でてやる。艶のある長い黒髪は梳る人がいないためか、ところどころ指に絡まる。
母親代わりとはいかないが、このまま眠るまで傍にいてあげよう。
父であるイドルドさんは健在だが、母のいない大変さというのはこの年代の女の子にとって想像以上なのかもしれない。
生病老死は人の常、とはいえ、その重荷をこんな子供に背負わせるのが正しいとは思わない。かといって、代わってやることもできない。
俺たち大人にできることは、子供の横で見守り、時々支えてやることぐらいだ。いつか子供たちが、自分の力でその重荷に立ち向かえるまで。
……ナルカはどうなんだろう。
いつしかリーシャは俺の手を握ったまま、小鳥のような寝息を立て始めていた。その髪を漫然と梳きながら、ぼんやり考えてみる。
『ずっと一緒に』という彼女の姉デュナさんの言葉を、俺は額面通り捉えているわけではない。時間が経てばいずれ俺とナルカの関係も変わっていくだろうし、最終的に彼女がどんな道を選んでも祝福してやりたい。
じゃあナルカが、それでも俺の傍にいたいと言ったら、俺はどうするのだろう。
それはそれで嬉しいけれども、正直なところデュナさんが期待するような意味で彼女を幸せにできる自信は無い。
俺は”異世界の人間”なのだから。
このまま元の世界に戻る方法を求めて旅を続けていると、決断の日はナルカでなく、俺自身に来るのかもしれない。
その時、俺は……
翌朝、部屋の中が大分明るくなってから、おれは隣から響いてくるけたたましい物音で目を覚ました。
どうやらリーシャの髪をいじりながら、彼女のベッドに突っ伏して眠っていたようだ。
しかし「絶対許さん」とか「埋める」とか聞こえるけど、何の話だろう。朝っぱらから物騒だな~。
「おいスクナ、さっさと起きろっ!!おいってばっ!!」
誰かに呼ばれてやっと意識が戻ってくる。その声には聴き覚えがあった。
「あれ、アイーダさん、朝早くからどしたんすか……ふぁふ……」
「いいから、さっさとそこからどけっ!!」
そこ?何だか分からないけど、起きろというなら起きるか。
と、自分の目の前にリーシャの寝顔があるのに気が付いた。ちょうど上半身をベッドに乗り出し顔を近づけて、片手は彼女の頭に置いたまま、という格好。
……やべ、後ろから見たら完全に、寝てるリーシャに無理やりキスしようとする変態の図じゃないかっ!!
慌てて体を起こし、ベッドから離れる。
「あはは、おはようございます。え~と、これは誤解といいますか……」
反対側のベッドには、無理に起き上がろうとするイドルドさんと、それを必死で押さえつけているアイーダさんの姿があった。
「スクナくん……傷の手当てをしてくれたのには感謝する……だが、それがリーシャに手を出してもいい理由にはならない……私の言ってること……分かるね……」
背景に怒怒怒怒怒怒ッ!!みたいな擬音が書いてありそうな顔でゆっくりと、というか感情を噴出させないように、自分を抑えながら言葉を絞り出すイドルドさん。
「あのいやそれは……」
自分で言うのもあれだが、そんな大それたことをする度胸があるわけがない。
紳士たるもの、Yes,ロリータ、No,タッチは守らねば。
「ほら、だから違うって言ってんだろ。イドルドも変な想像は……」
と、アイーダさんが喋るのを止めた。二人の視線が集中する場所に俺も目を向ける。そこには俺の右手を、自分の顔近くで握りしめているリーシャの姿があった。ただ問題は俺の人差し指と中指が、彼女の小さな唇に触れていることだろうか。改めて意識すると、指先からぷにぷにっとした感触が伝わって来た。
「……スクナ……くん……?」
「あ~と、リーシャも甘えん坊ですね……すんません今どけますごめんなさい許して」
慌てて手を引き離そうとするが、その途端、
「……あふゎ……」
布団に隠れていた彼女の幼い身体が引きずり出され、その口から年不相応な甘い声が漏れる。
何がどうしてそうなったか知らないが、いつの間にか俺の右腕はリーシャのネグリジェの中に潜り込んでおり、彼女が握りしめていた手はその襟口からのぞいていたものだった。まだ眠いらしく布団から出た後も俺の右腕に、まるで抱き枕にするように全身で抱き着く。密着した彼女の素肌から、その体温が伝わって来た。
……俺は既に紳士試験失格だったようだ。
「貴ィィ様ァァァァッッッッ!!」
イドルドさんの顔が娘を奪われた(誤解)怒りと悲しみで、鬼を通り越して血涙を流すベ○リット状態になっている。このまま蝕とか起こせそうな勢いだ。
「何やってんだバカ、さっさ手をとどけなっ!!あと、イドルドも動こうとするなっ!!」
アイーダさんの制止も聞かず、うごごご、と再び山のような重量級の体を持ち上げようとするイドルドさん。あれが襲いかかってきたら、北○神拳伝承者でない俺に勝ち目はない。
どうする?
「うるさい。騒ぐと埃が落ちてくる」
そこに一階からナルカが口をもごもごさせながら現れた。食事中だったのだろうか、小脇に中身を穿られたパンを抱えているが、正直その食べ方はどうかと思うぞ。
「そうだ、ナルカだったか?とりあえずスクナの顔を思いっきり引っ叩けっっ!!」
へ?
「何故?」
俺もナルカも、突然の指示にアイーダさんの意図を掴みかねる。
「いいからはやくしろっ、間に合わなくなっても知らないぞっっ!!」
「分かった」
ナルカが空いた平手を振り上げる。即決かいっ!!
スパーンッ
朝日の差し込む寝室に、乾いた音が高く鳴り響いた。