もったいないお化けが出るぞ
「ごっはん、ごっはん♪お外でごっはん♪」
放射機構を利用した街灯の光の中、俺の手を握って石畳の通りを歩きながらリーシャが変な節で歌う。彼女の頭の後ろで、括った黒髪が尻尾みたいにぴょんぴょこ跳ねる。
「ごっはん、ごっはんが食っべ放題♪地獄のお釜の、底までさらえっ♪臓腑の隅まで、捻り込めっ♪」
「ははは、お手柔らかにね」
微妙に歌詞がおかしいのはともかく、問題はへらへら笑いながら後ろを歩く男だ。
工房に闖入してきたのはともかく、迷惑をかけたお詫びということで、何故か彼が俺たちに夕飯をおごることになったのだ。ナルカが屋根裏部屋で眠ったままなのでイドルドさんが店に残り、代わりに俺がリーシャを連れて外食、という運びになったのだが。
「んで、あんたもいい加減フード取ったら?」
男はまだ自分の顔を曝そうとはしない。つ~か名前も言わないし。
「まあまあ、こういうのは焦らした方が……」
「野郎の顔に期待する意味が分からん」
俺も軽口を叩く方だが、こいつも中々調子がいい。そういう意味では好感が持てる。
「こっこだよ~っ!!」
一軒の酒場の前でリーシャが立ち止る。照明に照らされたその店は、西部劇で出てくるバー兼宿泊施設といった感じの佇まいだ。もちろん煉瓦ではなく、メイン建材は石だけど。既に店の外まで喧騒が漏れ聞こえている。
俺の手を離れたリーシャが、スキップしながら入口のスイングドアの下を慣れた様子で通り抜ける。俺たちもドアを開け、その後ろに続く。
一歩中に入ると、そこは混沌溢れる異空間だった。主に長耳の一族の、様々な年齢層、職種の人々が、飲めや歌えの大騒ぎ。あれだ、田舎の町内会の祭りの打ち上げとかが、多分こんな感じなんだろう。祖父母が亡くなってからは田舎に帰ったことないけど。
リーシャの姿を探すと、彼女は既に奥のカウンターで、マスターと思われる頭にタオルを巻いた中年男性と話している。ラーメン屋の店主系エルフ?禿ではないけど、豚骨の匂いがしそうなビジュアルだ。俺たちが見ていると、リーシャが振り返りこちらに手招きした。
早くも酔いつぶれて寝っ転がってる人や、こぼれた料理、酒瓶の破片などを避けつつ彼女のところにたどり着く。
「ナズロおじちゃん、この人が今日からうちに泊まってるスクナお兄ちゃん。と、今夜のスポンサーの人」
「初めまして。リーシャのところにお世話になっております、健那と申します」
「僕も初めまして。賑やかなお店ですね、今日はよろしくお願いします」
マスターのナズロさんは、値踏みするように俺とフードの男を見ると、
「嬢ちゃん、またえらく行儀の良い優男を連れてきたもんだな。それも二人も。もしかして親父さんと交換でもしたのかい」
「そんなわけないじゃない。お父さんはお留守番してるよ。」
褒められた?のが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて答えるリーシャ。
「ま、兄ちゃんたち、楽しんでいってくれ。おい、アイーダ。お前も出てきて挨拶しろ!!」
ナズロさんがカウンターの奥にある厨房に声をかける。
「ちょっと待って、今手が離せないんだよ!!」
厨房の方からぶっきらぼうな若い女性の声が響く。
「すまんね、あんな感じで」
「アイーダ姉ちゃん、いつも忙しそうだから仕方ないよ」
「あれで昼間はイビキかいて寝てるんだがな」
ははは、と苦笑いするナズロさん。
「とりあえず、嬢ちゃんはいつものでいいかい?そっちの兄ちゃんたちも」
「うん、いつもの3つでお願い」
「よっしゃ、じゃあ好きなところに座って待ってな。水は好きに飲んでてくれ」
そう言って奥に引っ込む。
好きなところ、といわれたが、他の席はうるさい酔っ払い、でなければ静かな
酔っ払いに占領されているので、結局カウンターの席にリーシャ、俺、男と並んで座ることにした。
リーシャがカウンターに乗り出し、裏側からガラス瓶と人数分のコップを取り出す。勝手知ったる、というやつか。俺たちの前にコップを並べ、瓶から水をとくとく、と注いでいく。
「ここならフード取ってもいいんじゃないのか?」
「そうそう。けっこう暑いよ」
隣の男に話しかける。
「場所の問題じゃないんです。……でも、取らない理由は説明してもいいかもしれ
ません」
そう言って男は、自分の顔にかかっているフードの裾を、少しめくってみせた。
陰になってはっきりは見えないが、銀髪に空色の瞳。年のころは20代前半。鼻筋のくっきり通っているが、西洋人といっても顔つきはデンマークかノルウェーあたりのような印象を受ける。中々の美形だ、と男の俺でもそう思う。最初出会った時は同じ世界出身かと思ったが、俺はこいつの顔に見覚えはない。
ただ、左眼の上に一目で判る大きな古傷があった。それを見てリーシャも息を呑む。
これがフードを被ったままの理由か。容貌を損なうほどではないけれども、確かにあまり衆目には曝したくないだろう。俺たちが理解したのを認めると、彼はまたフードを被った。
「なるほど、じゃあ次。名前くらいはいいだろ?理由があるなら偽名でもいいぞ。呼ぶときに困る」
「話が早くて助かります。なら、グレリーと呼んで下さい。基本これで通してますから」
やっぱり本名は言いたくない、と。怪しさ全開だが、この場所なら凶行に及ぶ危険は少ない。それを考えて安全に会話のできるよう誘導してくれたイドルドさんは、実は結構策士なのかもしれない。単に知り合いの売り上げに貢献しようとしただけなのだろうけど。
「最後の質問だ、グレリー。何で俺を誘ったんだ?財布を届けてくれたのはありがたいけど、お詫びというには少し強引だと思うが」
「オオクニスクナ、あなたに興味があったから。正確には、あなたが何者なのか、どこから来たのかに、です」
なるほど、そっちが本命ですか。ま~あの財布の中身を見たらそういう流れになるだろうね。
「あ、私も、私も聞きた~い」
「ですよね~」
横から首を突っ込んでくるリーシャと、それに同調するグレリー。いい性格してるな。
「おっけ、飯の分は話すさ。そうだ、これも聞いとかないと。俺の名前が分かった理由を教えてくれるか?」
「理由も何も、あの肖像画に書いているじゃないですか。氏名 大国健那って」
「そりゃ書いてるけど、あの文字が読めたのか?」
自分の財布から免許書を取り出す。日本で見た時と特に変わったところはないし、表記も普通に漢字のままだ。
「読めますよ。そこらの初等教育施設に通ったことがある人なら、問題ないと思いますけど」
「日本語を教えてるのか?そこいらで」
「それは聞いたことがありませんが、普通に読み書きは教えていますよ」
試しに、とリーシャの目の前に免許書を出して読んでもらう。
「氏名 大国健那。生年月日 昭和……昭和って何?」
「昭和の帝に代わってから何年目か、ってこと」
「ふ~ん」
内容はよく分かっていないらしいが、確かにリーシャも読めている。どういうことだ?俺がこの世界の文字を読めるのもそうだが、単なるファンタジー補正なのだろうか。
「スクナさんの国では、人によって使う文字の種類が色々違うんですか?」
「違うも何も、国や時代、民族で使う言葉が違うのは当たり前だろ。ここではそうじゃないのか?」
「僕たちは種族によって外見は違いますが、言葉が違うということはまずありません」
グレリーが説明する。
「別の言葉をそれぞれ覚えなければ会話もできないなんて、本当面倒くさいですね。どうしてそんなことになっちゃったんです?」
どうして、と言われても、歴史の流れと場所の違いで自然にそうなった、としか言いようがない。けれどもそう言って理解してもらえるかどうか。あとは、
「伝説では、昔は同じだったんだけど、ある時神様より立派な塔を作ろうとしたところ、神様が怒って言葉をバラバラにしちゃったんだよ。おかげで意思の疎通が出来なくなって、皆散り散りになってしまった。それで世界は幾つもの言葉の違う国々に分かれてしまったとさ」
有名なバベルの塔の話だ。
「なるほど、それが理由ですか」
しかしグレリーは何故か納得して頷いている。
「だから伝説なんだって。真に受けるなよ」
「いえいえ、スクナさんが驚いていた理由が分かりました。それは、何故僕らがスクナさんの国の言葉を読めるのか、の説明にもなりますし」
ほほう、それは?
「つまりですね、我々のところにはそういう嫌がらせをする神様がいなかったから、言葉や文字で困ることが無い、ということです」
うん、ファンタジー的な解説ありがとう。ただその荒唐無稽な仮説は、現にファンタジー世界にいる自分には、不思議とすんなり受け入れられた。
「ようリーシャ、よく来たな。しかも男連れたぁ、羨ましいこって」
奥から威勢の良い声がして、3人分の料理を持った若い女性が現れる。
「こんばんは、アイーダ姉ちゃん。言っとくけど、あげないかんね」
リーシャが俺の左腕をぎゅっと掴む。
さっきのマスターの娘だろうか。20代半ばくらいに見えるから、看板娘と呼ぶには少しと薹が立っているような。
父親と同じく長耳の一族だが、とにかく肉感的というか、出るところが出た、メリハリのついた体をしている。女性にしては比較的背が高く、赤褐色の長い髪を後ろに流し、健康的に日に焼けた肌。なんつ~か、美人さんではあるが、雰囲気としてはエルフというよりアマゾネスといった感じだ。別にマッチョじゃないけどね。
「んなこと言わずに、ちょっとくらいいいじゃん。リーシャが上半分で、あたしが下半分とか」
カウンターに身を乗り出しおどけながらも、俺たちに向けて濡れた唇の間から舌
先をちろちろっと覗かせる。色っぽいのは大歓迎だけど、下宿先の娘さん同伴でどう反応しろと。 隣のグレリーも、フードの下で苦笑いしているみたいだ。
「おっと、冗談はこれぐらいにしねぇとな。ほいさっ」
とんとんとんっと淀みない手つきで俺たちの前にトレーを並べていく。皿で出てくるかと思ったが、お子様ランチで使いような、全部乗せられる系の木製プレートだ。
「わーい、姉ちゃんありがと!!」
そして喜ぶお子様。
皿の上にはタラっぽい魚のフライ、小ぶりなジャガイモを茹でたものが一山、レタス系の野菜サラダ。プレートの隅の窪みには、芋と人参、玉ねぎが具のクリームシチューが入っている。要するにフィッシュ&チップス定食。ふかし芋とシチューで芋がかぶってしまってるけど、腹に貯まるからいいか。立ち昇る焦げた油の香りが食欲中枢を刺激する。
「いただきま~す」
手を合わせてからまずサラダに手をつける。オリーブ?オイルとワインビネガーが振りかけてあるそれは、まだ瑞々しさを保っており、噛むと同時にしゃきっとした触感が伝わった。しかし……やっぱ微妙に泥の香りが残ってる。日本と同じ衛生レベルは期待できないか。となれば、無理やり誤魔化すまで。
「すいません、もっとお酢ありますか~」
調味料を倍プッシュしようとしたところ、皆が手を止めて俺を見つめていることに気が付いた。
「どうした?」
「お兄ちゃん、さっき何やってたの?」
リーシャが口の端にフライのかけらを付けたままで尋ねる。
「何って、食べてるだけだぞ」
「じゃなくてよぉ、うちの料理前にして、こう、手を合わせてたろ。あれって何かの魔術か?」
さっき俺がやったように、自分の手の前で両手をぱん、と合わせて見せるアイーダさん。その拍子に連山が震度3で揺れる。危ない……この人が鋼な錬金術師でなくて本当に良かった。
「魔術じゃなくて、儀式というか、俺の国の礼儀作法というか……」
「どういう意味があるんです?」
「言葉にするのは難しいけど、簡単に言えば食べ物になった生き物と、料理に関わった人たちへの感謝を表しているんだ。あと、ご飯を食べられる幸せを忘れないためとか、食材への哀悼とか、そこらへんも色々混ざってる」
意味や理由はともかく、作法というのは『そういうものだから』やっている面が大きいわけで。俺も子供の頃からの習慣だからやっている部分が大きい。
「わたしもやってみる!!」
「ではせっかくなので僕も」
リーシャとグレリーは俺に倣って自分のプレートに向かい、両手を合わせて『いただきます』と唱和した。酒場で合掌するエルフってのも奇妙な光景だな、おい。
「……そっか、このお魚もお野菜も、ちょっと前まで生きてたんだよね。それを私が食べちゃうんだ。今まで考えたこと無かったよ」
「といっても、食べないと俺たちは生きていけないからな。だから感謝しながら、出されたものは大事に食べる」
感慨にふけっているリーシャに人差し指を伸ばし、口の端に付いた欠片をつついてその薄い唇まで誘導する。気づいた彼女は、それを俺の指ごとぺろんと舐め取った。
なにこの可愛い生き物。
「僕も方々(ほうぼう)旅してきたつもりでしたけど、世界にはまだまだ面白い風習があるもんですねぇ」
「そりゃ知らなくて当然。そもそも俺は別の世界から来たからな」
一瞬場の空気が固まる。
やべ、島で村人の説明した時は簡単に納得してもらえたけど、街中でそんなこと言う人がいたらまず神経疑うわ。救急外来にそんな奴が来たら、俺もまず精神科にコンサルトを考えるし。
と、いきなりカウンターの向こう側から手が伸びて、そのまま豊かな胸元に無理やり押し付けられた。柔らかい感触と、少し強めの香水とどこか甘ったるい汗の匂いが混じる、性熟した女性の香りに顔全体が包まれる。
「むぎゅふっ!!」
「だはははははっ、お前面白いこと言うな」
ちょ、バルジが、バルジに圧殺されるっ。役得だけどっ。
「あ~姉ちゃん、だめって言ったのに~」
「ぶるはっ!!」
リーシャが腕を引っ張ってくれたおかげで脱出できたが、もうちょっとそのままでいたいと思わせるなんて、俺にもこうかはばつぐんだ。
「しっかしリーシャんとこも、面白いの拾ったな」
「別の世界、とは。また大きくでましたねぇ」
コップの水で喉を潤しながらグレリーが歎息する。
「でも、あの肖像画を見せられた後ですから、あながち嘘ではないのかもしれませんけど」
「凄かったもんね、あれ。私、あんな綺麗な絵、初めて見たもん」
……意外とすんなり受け入れるな、おい。
「なんだなんだ、そんな物があるんならあたしにも見せてくれよ」
アイーダさんも興味があるみたいなので、再度財布から免許書を取り出して手渡す。彼女はラミネートされた免許書を突いたり撫でたりと弄り回したあと、写真と俺の顔を何度も見比べた。
「へえ、確かにこんなの、見たことも聞いたこともないな。……にしてもこれ、本当にお前か?」
写真の顔を見ながら尋ねる。
「2年くらい前のだけど、間違いなく俺だよ」
「でも2年前にしては、大分老けて見えるぞ」
当たり前じゃん、と思ったが、彼女が指さしているのは写真の方だ。2年前の方が老けているとでもいうのだろうか。俺と写真の間を視線が往復する。
「やっぱり今の方が若い気がするな。瞳の色が違うし、兄貴か何かの肖像画じゃないのか?」
「んなこと言われても俺は一人っ子だし、瞳の色を変えた覚えも無いしな」
そこでふと、昼に港で言われたことを思い出す。
「ところで、俺の眼って何色に見える?」
ぐるりと3人の顔を見渡す。
「翠じゃん」
「翠だね」
「翠、でしょうか」
満場一致で翠。いつの間にそんなことになったのだろう。瞳の色が変わる病気であれば、体に銅が貯まるウィルソン病だとか、目玉の圧力が高くなる緑内障だとかがぱっと思いつくけれども、体はいたって健康だし、目も痛くない。日本人でも東北地方では、結構な割合で青や緑の瞳をした人がいるというが、うちの家系にそういう親戚がいたという話は聞いたことがない。
となると、やはりこの世界に来た影響か。五次元から来た連中みたいに分裂したり太ったりするよりはマシだけど、理由が分からないと不気味だ。
「くらぁっ!!アイーダ、何油売ってんだ。ネムリス泣いてんぞ!!」
マスターの怒鳴り声が厨房から響く。
「やっべ、もう起きたか。リーシャ、また今度な。あと別世界の兄ちゃんも、ゆっくりしてってくれよ」
じゃっと手を振って、アイーダさんは厨房の方に姿を消した。
忙しないこって。
「ところでネムリスって誰?」
「姉ちゃんの赤ちゃん。小っちゃくて可愛いの。まだ1歳ぐらいだったかな」
「へ~、結婚してるんだ。旦那さんは見てないけど、仕事なのか?」
俺が尋ねると、リーシャは少しばつの悪そうな顔をした。
「ううん。姉ちゃんの旦那さん、漁師さんだったんだけど、半年くらい前に船が戻って来なくて……」
おおう、地雷原再び。本人がいなくて良かった。
この世界に来てから、大抵の人が誰か大事な人を、事故や病気で亡くしているような気がする。
俺のいた日本に比べ、この世界の人たちにとって『死』というのは、思った以上に身近なものなのだろう。というか、日本人が平和ボケ過ぎるというか。他の国では今でも出産で命を落とすのは当たり前だし、風邪や虫歯をこじらせただけでも死んでしまう。本来人間というのは、それくらい脆弱な生き物なのだ。今日出会った人が、明日も無事という保証はどこにもない。
「お二人とも、冷めないうちに食べませんか」
横で芋を口に放り込みながら言うグレリー。そう、死が身近だからこそ、ある程度成長したら彼くらいドライになるのが普通なんだろう。一々ウェットになれるのは、子供と異世界人の特権か。
「そうだな」
自分のプレートに再び手を付ける。あ、お酢貰い忘れた。
しばらくしてそれぞれの食事を終えた俺たちは、店内のバカ騒ぎをBGMにしながら適当に駄弁っていた。
フィッシュ&チップスは、フライの衣にビールが入っていなかったので、どちらかというと白身魚フライといった感じだったが、特にイギリス料理のように大きな外れもなく、美味しく食べることができた。
リーシャはデザートにフルーツの盛り合わせを、俺はオレンジジュースを頼み、それを水で薄めながらちびちびと飲んでいる。グレリーといえば、いつの間にかワインを開け、一人手酌で楽しんでいた。保護者の俺が飲めないってのに、まったく遠慮が無い。まあ気が置けないヤツ、と好意的に解釈しておこう。
「にしても、スクナさんの国は不思議なところですねぇ」
少し赤くなった顔でグレリーが呟く。
「何百年も前に作られた魔術障壁の中にある都で2千万人が生活し、その中心で世界最古の皇帝兼司祭が統治と祭礼を行っている、でしたっけ。国土のほとんどを山と海に囲まれながら、しかしそれさえ数ある町の一つに過ぎない……」
手に持ったグラスの中身を飲み干す。
「もしそんな国があったのなら、お伽噺の巨大帝国、とでも呼ぶべきでしょうか。現実感がありません」
「変わった国だとはよく言われるよ、俺の世界でも」
ファンタジー世界でエルフに言われるとは思ってなかったけど。
「そういや俺の国にはリーシャが喜びそうなものも沢山あるぞ。お菓子に玩具に服にアクセサリーに、勿論パン屋も」
あとガチで殴り合う美少女戦隊とか、友人を強制労働させる宝石動物とか。
「いいな~、わたしも行ってみたいな~」
目を輝かすリーシャ。そうだな、俺も帰りたい。方法分からないけど。ヤケ酒気味にオレンジジュースを煽る。
と、後ろで呑んでいた酔っ払いの一団が俺の背中にぶつかった。ジュースが気管に入って一瞬むせる。酔っ払いどもはは気づいていないようだ。
「つ~か、大通りも店も人多すぎ。この街っていつもこんなもんなのか?」
入店時よりさらに混沌の度合いを深めた酔っ払いワールドを眺めながら呟く。
「前に来た時はそうでもなかったんですけどね。今日は船が出ませんでしたから、いつもより人が溜まってるんだと思います」
言われてみれば俺たちが着いた時の港も、こんな風に人と船で危険なくらい混みあっていたように思う。
「そういや昼に会った時急いでたけど、大丈夫だったのか?」
「僕も船に乗るつもりだったんですよ。でも、風読みが不吉な気配がするとかで、出航便を全部止めちゃったんです」
おかげでスクナさんに会えたので、怪我の功名といったところですか、とグレリーは杯をあおった。
不吉、と言えば俺の脳裏に例の幽霊船の姿が浮かんだ。あれは通り過ぎただけだったけれど、もし街に近づいてきているとしたら、誰かに警告した方がいいのかもしれない。帰ったらイドルドさんか、もしくは明日港のドレッドさんに相談してみよう。
「あとは、週末にお祭りがあるらしいので、周囲の村やなんかから人が集まってきているみたいですね」
嫌な記憶が蘇る。お祭りねえ……。生贄の儀式とかでなければいいけど。
「そうだよ。毎年やってる秋のパン祭りなんだけど、今年はお城の姫様が来るから、普段来ない人も来てるみたい」
スイカっぽい果物の種をフォークでほじりながらリーシャが教えてくれた。秋のパン祭って、シール集めたらお皿がもらえるあれかい。
「あれ、でもリーシャの家ってパン工房だろ。出店とかしなくて大丈夫なのか?」
「一応登録はしてるんだよ~。でも小麦があんまり穫れなかったから、他のパン屋さんたちと相談して、今年は余裕のある人だけが出店する、ってことになったの。うちはお店に並べる分で手いっぱいだから、諦めたんだよね。でもお父さん、去年は準優勝だったから、本当は出たかったみたい」
なるほど、どこも大変だな。
「でもわたしは姫様が見れるから、実はちょっと良かったかなって思う。いつもなら、お父さんのお手伝いで全然お祭り楽しめないもん」
ぷくっと頬を膨らませる。それを人差し指でつんつん、と突くと、リーシャはにぱっと笑った。
「へえ、姫様か。俺も見てみたいもんだな」
ネットやTVでうちの皇女様はちょくちょく見てたけど、生でファンタジーのお姫様が見られる機会なんて、こんな境遇でもなければありえない。それにナルカに本当の楽しいお祭り、というのも体験してもらいたいし。
「よう兄ちゃん、お前も姫様を見に来た口だべ?」
突然後ろから首に腕が回され、酒臭い息が吹きかけられた。20代後半くらいのすっかり出来上がって真っ赤な顔をしたエルフの青年が、俺によりかかってきている。
「ええ、そんなとこです」
「ええよな、姫様。おいらも2日かけて村からここまで来たんだど、その価値はあるべ。美しく、気高く、賢く、お優しく……」
と言ったところで男は俺の耳に口を寄せ、
「……その上巨乳だべさ、巨乳。もうたまらんべな、おい」
「はは……」
鼻の下がだらしなく伸びている。好きな理由の大部分がそれだろ、お前。
「実際は分かりませんけどね。ああいうタイプは、意外と人目の無いところではキャンキャン煩かったりしますし」
グレリーが横槍を入れる。酔っ払い相手にいらんことを、と、そういえばこいつも酔っ払いだった。
「もしかしてそっちの兄ちゃん、楽天王子の側だべか?」
楽天王子って何だ。まーくん?
急に男の声色が変わり、近くにいた仲間に声をかける。なんだか険悪な雰囲気になってきた。
少しして同じくらいの年代の男が二人、先ほどの酔っ払いの横に並ぶ。
「お前か、姫様をバカにした不届き者さは」
「別にバカにした覚えはないですね。知らないことを知らないと言っただけですから」
「それが不敬だべ。姫様に賞賛以外の言葉は必要ないべさっ!!」
「そだべそだべ!!」
たちの悪いアイドルオタクに捕まった気分だ。そのうち「姫様はトイレに行かない」とか言い出すんじゃないのか?
3人のうち、後から来たガタイのいい男が、グレリーの襟首を掴み上げる。
「ちょっと、止めてくれませんか。他のお客さんにも迷惑ですし。ここにいない人のことで言い争うのは、建設的でないというか……」
表情はフードで見えないが、少し苦しそうな声でグレリーが言う。
正論だが、酔った上に頭に血が上った相手には逆効果だ。
「お前、余裕かましてんじゃねえっっ!!おらたちはな、北にあるカッカレアの村から来てるんだ」
「ああ、あの地滑りのあった……」
俺の服の裾を誰かがぎゅっと掴む。見なくても分かる、リーシャだ。この状況をどうにかできるのは、俺だけ、なんだろうな。
あ~怒った酔っ払いとか怖い怖い。
でも、あのアニサキスほどじゃない。
「手は出すなっ!!」
男が締め上げているグレリーの襟首を手で打ち払い、開放する。
「何だお前、関係ない奴が邪魔を……」
「関係なくないっ!!例えどんな理由があっても、子供の目の前で大人が暴力を振るうなんて間違ってる。それにあんたらの言う姫様は、そういうことを許す人なのか?」
必殺、虎の威を借りる狐の術。相手は黙る。スイーツ(笑)。
男は俺と、俺の後ろに隠れるリーシャを見て、自分の行為が敬愛する姫様を穢すと理解したらしく、振り上げようとした拳を降ろした
「そうかもしれねぇ。だがな、おらたちは……」
お、ここで説明入るか?と思った瞬間、
バンッ
店のスイングドアが跳ね飛ばされるように開き、小さな黒い影が店の中に飛び込んできた。影は酒や料理の載ったテーブルの上に着地。盃や皿やらが跳ね上がり、中身が周囲の酔っ払いどもに降りかかる。それには構わず、影は俺たちの方へ跳躍し、グレリーを掴んでいた男を二度目の着地点に選んだ。
ぐげっ、とカエルが潰れたような音を出し、男がカウンターに押し倒される。
「スクナ、すぐに来てくれっ!!」
影の正体はナルカだった。まあ予想してたけど、食べ物を粗末にするのは良くない。後で注意しておこう。
「ナルカ、もう大丈夫なのか?」
「私のことはいい。それよりデブが……」
相変わらずストレートな表現をする。
「落ち着け。デブ、じゃなくてイドルドさんがどうした?」
俺に促され一度唾を飲み込むが、落ち着けた様子もなくナルカは続けた。
「デブが刺されたっっ!!」