そんな家族、胃に穴が開くわ
「あ~たたたたたたたた、ほあたっっ!!」
嵐のような連撃が容赦無く叩き込まれ、その巨体を余すところなく蹂躙する。
最後の一撃が終わり、相手はぴくりとも動かない。俺は踵を返す。
もはや生死を確認する必要も、止めを刺す意味も無い。
「フッ、お前はもう死んで……」
「終わった~?」
「いふっ!!」
急に声を掛けられて、決め台詞を飲み込む。工房の裏口から漏れる光の中から、小さな影が姿を現した。
「リーシャちゃん。危ないから近づいたらダメだって、お父さんに言われたことは無い?」
「えとね、お父さんがやるのを見て、自分でもできるようになりなさい、って言われたことはあるよ」
何その脳筋教育。
この子には世紀末救世主ごっこを見られたかもしれない。別に困らないけれど、何となく気恥ずかしいのはどうしてだろう。
足元には、原型を留めないくらいバラバラに解体された丸木舟が転がっている。俺とナルカの他に、荷物とイクナを乗せられる大きい船だったたが、意外とさくさく作業が進んだおかげで、それほど時間もかからなかった。『てつのオノ』の攻撃力はさすがというべきか。むしろ破片を薪に揃える方が手間取ったし。30年近く生きていたけれども、まさか自分に船破壊の才能があったとは知らなかった。世界線が違えば深○棲艦相手にいい勝負ができたかもしれない。近付く前に撃沈されれるけど。
「まあいいや、割るのは終わったから。後は場所を教えてくれれば、薪を運ぶよ」
「わかった。こっちに来て」
そのまま彼女はととと、と真っ暗な中に走り出し、裏庭にあった物置小屋の扉を開けた。俺はその後ろをついて行き、その中を覗き込む。
そういえばリーシャちゃんは、俺たちが危険人物でないと知ると大分打ち解けてくれた。最初はお父さんっ子系引っ込み思案キャラかと思ったけれども、実際は意外と好奇心旺盛で活発な子らしい。
当たり前だが小屋の中は真っ暗で何も見えない。電灯も無いのにどうするのかな、と見守っていたところ、彼女は入ってすぐの暗がりをもぞもぞとかき回し、やがて小さな金属製の器具と火かき棒のような長い鉄の棒を取り出した。器具は回し手の付いた大きなネジと、二枚の金属板で構成されている。どっかで見たことがあるような。
「これでどうするの?」
「あれ、スクナさんは放射機構知らないの?」
「いんにゃ。」
聞いたことも無い。あれか、ファンタジーによくある魔せ木や魔てり屋みたいな謎技術。
彼女は懐からウズラの卵大の、くすんだ色をして石を取り出す。そして先ほどの器具の板の間に石を挟み、ギュッとネジを捻った。金属板の距離が短くなり、石を締め付ける。万力じゃん。
「こうやって力を掛けると……。おかしいな、まだ残ってるはずなんだけど。」
んしょんしょ、と言いながらさらにネジを捻り、締め付けを強める。
やがて石の中心にほんのりと暖かい光が宿り、小屋の中をぼんやりと照らしだす。リーシャちゃんは万力を鉄の棒の先に引っ掛け、天井に打たれた金具に吊るした。
「はい、これでよく見えるよ。」
即席の電灯というかカンテラは今にも消えそうな頼りない光を放っているが、運搬作業をするには充分だ。
裏庭に散らばった薪をかき集め、小屋の奥に運び込む。何度も往復する必要があったが、途中からリーシャちゃんも手伝ってくれた。最後の分を運び終わると、リーシャちゃんは天井から万力を降ろし、圧力を解除して石を回収する。小屋の中には再び暗闇が戻ってきた。
「お疲れ様、リーシャちゃん」
「リーシャでいいよ。その代り私もお兄ちゃん、って呼んでもいいかな」
これだよ、こういう普通の展開でいいんだよ。
見るなら詭道、やるなら王道。選ばれた勇者で、お姫様助けてハッピーエンドとかで。
「いいとも!!」
「あはは、変なお兄ちゃん。」
無駄に力の入った返答になってしまった。二人で小屋の戸を閉め、裏口から店に戻る。
「そういえば、さっきの『放射機構』って何だったんだ?」
「うんとね、圧縮装置っていう特別な機械を使って、魔法の石に光や熱を集めて閉じ込める技術なんだって。それで石に力をかけると、中にある光や熱が飛び出すの。私もよく知らないんだけどね」
「それって危なくないか?」
そんなことが可能なら発想としては面白いが、光だけならともかく、熱を放出する石なら火事がぽんぽん起きそうだ。
「大丈夫だよ。さっきみたいに強い力を掛けっぱなしにしないと、中の力は出てこないようになってるの。ちょっと押したり落としたりじゃ、びくともしないから。」
「へ~凄い技術だな。」
「でしょ!」
圧力に有効値でも設定してあるんだろうか。このアナログなファンタジー世界で、安全域とかスイッチ機構とか、そういう科学的な発想をする人間がいるということに素直に驚きを感じた。
「あ、おと~さん。薪割り終わったよ~」
「お疲れさま。スクナ君、リーシャも。ずいぶん早かったね」
店の中戻ると、パン焼き窯の隣にある厨房でイドルドさんが何かを鍋で煮ていた。鍋の下のコンロには3つの赤い炎が見える。よく観察すると手元につまみがあり、そこから長いネジがコンロの中に向かって伸びていた。これが先ほどの話で出た、熱や炎を出すタイプの放射機構なのだろう。
「今、ナルカくんのご飯を作っているところだ。もうすぐできるから、君も上で待っているといい」
「ありがとうございます。あの、手伝うこととかありますか?」
「いやいや、きみの労働の正当な対価なんだから、気にしなくていいよ。それに、これでも食べ物のプロだからね。安心して任せてくれたまえ」
そういって笑うイドルドさん。
だが、多分それだけではない。ちらっと話を聞いたところ、彼の妻、つまりリーシャの母親に当たる人は黒羽の一族だったらしい。ナルカを見た時の反応もそうだけれど、何か感じるものがあったのだろう。奥さんは5年ほど前に流行り病で亡くなったため、その後は父子二人でこのパン工房を切り盛りしてきたという。
黒羽の一族は明確に差別を受けているわけではないけれども、定住場所が無い、表情が分かりにくいなどの理由から誤解を受けやすい。そういった特徴から10年ほど前に大きな戦乱があった際、黒羽の一族はどこに逃げても追い出される、というのを繰り返し、散り散りになってしまった。ナルカやデュナさんはあの島に辿り着いたが、イドルドさんの奥さんは王都に住むことを許された数少ない黒羽の一族だった。
リーシャは両親の特徴を半分ずつ受け継ぎ、黒い髪、短いながらも長い耳、と、いわばハーフエルフ的な外見を持って生まれてきた。とはいえ、大抵は片親と同じ表現形質になるため、彼女は珍しいケースなのだとか。
なお都条例に抵触するため、彼女の服の下に羽があるかどうかは確認できていない。
「お兄ちゃん、先に行こ」
「ああ」
手を引っ張られ、リーシャと一緒に店の奥にある階段を上る。狭く簡素な木製の階段は踏みしめる度にきし、きしと不安げな音をたてた。イドルドさんの体重を支えられるから大丈夫と考えるか、そのせいで壊れかけと考えるか、判断の分かれるところだ。
父娘の寝室がある2階を通り過ぎ、普段は物置として使っているという3階の屋根裏部屋へ。蝶番のゆるんだ扉を開けると、埃っぽい空気が流れ出してきた。
部屋の明かりは、屋根に開いた小さな窓から差し込む町の光だけだ。その光の中に、ナルカの眠るベッドが浮かび上がる。
「おねえちゃん、大丈夫?」
リーシャがナルカの傍に駆け寄る。
「ん、よく寝たから。」
ぼんやりと目を開けるナルカは、相変わらず口数少ない。しかし碧い肌にはいくらか生気が戻ってきているような気がする。
考えてみれば彼女は自分が目覚めた後ずっと俺の看病をしていたわけだから、疲労の蓄積は俺の比ではなかったのだろう。傍にいて気付いてあげられなかったのは間抜けな話だが、しばらく休めば元気になるはず。
「スクナ、何が起きたのか分からないけど、ありがとう」
実は俺も基本流れに任せてたから、よく分かってない。ドレッドさんとイドルドさんの好意があったからこそ、なわけで。つか名前がドだらけだな、おい。
「簡単に言えば、今はしっかり休んでてくれればいい。明日のことは、また明日考えるさ」
「そう。……こんなに柔らくて温かい場所で寝たのは生まれて初めて。気持
ちいい。」
もぞもぞとシーツの中で体を動かす。
「おねえちゃん、ベッド知らなかったの?」
こくりと頷く。
なるほど、物心ついてからずっとあの島で暮らしていたナルカには、この町やこの家にあるものが全て、初めて触れる存在だ。
幸い俺にとってこの世界は、生物にしても文明にしても、でたらめながらその多くが本や写真で見たことのあるもので構成されている。
実はカルチャーショックという意味では、ナルカの方がストレスを感じてしまうかもしれない。つか、野生少女のお約束で勝手に店の商品を食べたりしないよう、社会ルールなんかについても注意が必要だな。
「そういえばこのベッドは来客用なのか?ずいぶんいい作りみたいだけど」
逆に先ほどちらっと見えたリーシャのベッドは、マットから藁が飛び出しているのが見えた。それに比べてこのベッドは、綿でも使っているのか、軽いナルカの身体で窪むくらいに柔らかい。
「違うよ。このベッドは昔お母さんが使ってたんだ」
いかん、地雷を踏んだ!衛生兵!俺だ!
「……だから、どこか懐かしい匂いがするんだな」
枕に顔を埋めてナルカが呟く。
「うん。いつもはお父さんと一緒だけど、私も時々ここで寝たりするの。ああ見えてお父さん、寂しがり屋だし」
ナルカもリーシャもいい娘だな。あの島の人たちもそうだったが、黒羽の一族は基本的に素朴な感性の持ち主だと思う。ある意味、古き良き時代の日本人に近いのかもしれない。
「それにしても、お父さん遅いね」
「確かにそうだな。どうしたんだろ」
と、下から2種類の男の声が聞こえたような気がした。リーシャと顔を見合わせる。
「あれ、こんな時間にだれか来たのかな?」
立ち上がって扉に近づこうとするリーシャ。
ダメだ、それは色々とヤバいフラグだ!!
「リーシャはここで待っててくれ。俺が下を見てくる」
「でも……」
「いいから。代わりにナルカに付いててくれないか」
そう言って扉を開け、先ほど上がってきた階段を降りる。
1階に近づくほど、声は大きくなってきた。一つはイドルドさん。そしてもう一つは若い男の声だ。
しかし言い争っている、というよりも、イドルドさんの声は困惑している
ように思える。
「だから、僕はオオクニスクナに用事があるんです。少し話をするだけでもお願いできませんか?」
「何度も言うようだが、見ず知らずの人を入れるわけにはいかない。例え用事があったとしても、日が沈んでから訪ねてくるなんて非常識だ。盗賊と思われても不思議でないぞ」
「そこは僕にも色々ありまして。取り次いでくれるだけでいいんです」
「明日来たまえ。それが礼儀というものだ」
イドルドさんの言葉は、夜でも町が眠らない世界から来た俺からすると、頭の固い物言いに聞こえる。しかし昔は、そして海外では今でも、見ず知らずの人間が夜訪ねてくる、というのは異常事態だ。アメリカならいきなり銃殺されてもおかしくない。
にしても、若い声は俺のフルネームを呼んでいたような気がするが。
「お~い、オオクニスクナさ~ん。聞こえてたら返事して下さ~い」
「こら、近所迷惑だろ!!」
間違いない、俺の名前を呼んでいる!!名字を含めた名前を呼ばれたのは、この世界に来て初めてだ。
もしかして、俺のことを知っている誰かがこの世界に来ているのか?
期待に胸が膨らみ、階段を駆け下りる足が速くなる。
「オオクニスクナさ~ん」
「はいっ、大国健那ですっ!!自分に何か御用ですかっ!?」
最後の1段を飛び下り、工房の中を見渡して声の主を探す。
放射機構で作られた電球のような明かりの下で、一人の若い男がイドルドさんに組み伏せられていた。あの体重に圧し掛かられては、容易には逃げられないだろう。
「スクナくん、出てこなくても良かったのに。」
こちらに尻を向けながらイドルドさんが言う。その尻の下の男は、フードを被っていて顔までは見えない。しかしその姿には見覚えがあった。
昼間、大通りで俺の前に飛び出してきた上、首を絞めて立ち去った若い男だ。
「やっと会えました。オオクニスクナさん、ですね」
「ですけど……あなたは誰?ってか、どうして俺の名前を知ってるんですか?」
「その前に、上の方にはどいていただきたいのですが」
俺はイドルドさんに視線で合図すると、彼は頷いて男の上から尻を退けた。
「ふう、危うく中身が出てしまうところでした」
立ち上がった男は、ぱんぱんと服のほこりを払う。
「軽口はいいです。それより何故俺の名前を……」
そう言いかけたところで、若い男が何かを持った手を差し出した。
一瞬警戒するが、その手の中のものを見て驚く。それは俺の財布だった。茶色い革製の2つ折り式で、ブランド名を書いた小さな金属プレートが打ち付けてある。
「泥棒っ!!」
「何ぃっ!!」
イドルドさんが再び尻を構える。
「ちょちょ、ちょっと待って下さい!!むしろ逆です。昼間ぶつかった時、こちらの袖の中に転がり込んで来たので、それに気付いてお返しに来たんですよ!!」
慌てて弁解する男。確かに工房に着いてから、荷物を放り出してすぐ薪割りを始めたから、中身が足りなくなっていることに気付いていなかった。
「ちょうど貴方の似顔絵が入っていたので、それを使って人に尋ねながらここまで来たんですよ」
免許証のことか?一応説明は付くけれども、すぐに財布を受け取るのは判断を迷う。
「どうやら害意は無いみたいです」
「ならいいが」
俺の言葉に、少し警戒を解くイドルドさん。
「ね~、どうしたの」
と、俺の後ろから声がした。
「リーシャ?出てきちゃだめだ。上で待ってなさい」
「え~、でもお姉ちゃんまた寝ちゃったし」
父親の言葉に反論する。ナルカがまた眠ってしまい、一人で待ちくたびれて降りてきたらしい。
「じゃあ俺の後ろにいていいから、おとなしくね」
リーシャの小さい体を自分の背中で隠し、男に相対する。
「わざわざ持ってきて下さって、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらの不手際です。財布が無ければお困りだろうと思いまして」
無駄に丁重な言い回しをするな、この人。
「それにしても、スクナさん。ご両親の絵姿を財布に入れているなんて、まだお若いのに尊敬します」
「両親?」
何のことだろう。そんなものを入れた記憶は無いけれど。
「いえいえ、とぼけなくても結構ですよ。特別な技術で加工した絵姿を、何枚も持っているじゃないですか」
男は俺が受け取るのを躊躇した財布を慣れた手つきで開けた。俺とイドル
ドさん、それにリーシャの視線が集まる中、彼はその絵姿、というのを取り出す。
「ほう、これがスクナくんのご両親か。なかなか大人の風格があるじゃない
か」
「でも何だか怖そう」
父娘がそれぞれ感想を述べる。威厳があるのも当然だ。
「その二人が、俺の両親なんかであってたまるかっっ!!」
彼が手に持っていたのは、日本を代表する文化人にして歴史的偉人。樋口一葉と福沢諭吉の肖像画。
つまり、五千円札と一万円札だった。