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はじめての大八車

 王都の港に入った時には、日は西の空に大分傾いていた。石造りの灯台や監視台の脇を通り港の内側に入ると、そこは漁船、商船、軍船とそれらに群がる物売りの小舟で賑わっている。それらの船から出されたゴミやらなんやらで水はかなり汚く、所々に白い腹を見せた魚が浮いている。町の住人の生活排水も混ざっていそうな感じだ。港に近付かずに去ったイクナの気持ちが少し解かる。俺も正直ここで泳ぐ気にはなれない。にしても船が多すぎる。港ってこんなに密度が高い場所だったっけ。


 水上の喧噪を避け、堤防が切れた少しなだらかになった陸地に丸木舟を引き上げる。船の中で白衣をかぶったナルカはダウンしたままだ。水でも飲ませてあげたいところだが、さっきの霧のせいで腐った水と食料はゼロ。しかも振り落とされるに任せていたため、入れ物に使っていた土器も今頃海の底。汚染爆雷(ダーティマイン)でイクナが迷惑してなきゃいいけど。


 残った船の中の荷物に手を付けようとしたところで、


「おいおい、勝手に船を置かれちゃ困るな」


 俺の姿を認めた、湾港関係者らしきがっしりした体のおっさんが現れた。日に焼けた真っ黒な肌と汚れたシャツの隙間から覗く筋肉が、いかにも、という雰囲気を醸し出している。


「無いわぁ……」


「おい、何で俺を見るなりそんな残念そうな顔になるんだ?」


 (いぶか)しむおっさん。でも仕方ないじゃないか。


「何ではこっちの台詞だよ。その容貌でエルフとか、勘弁してくれ……」


 大きくため息をつく。いかにも肉体労働者然としたおっさんのその耳は俺のものより細長く、ぴんと空に伸びていた。おのれ空気を読まぬファンタジーめ。


「小僧、お前王都に来るまで長耳の一族を見たことが無かったのか?どんな田舎の出身だ」


 俺の視線が耳に向いてることに気付いたおっさんは、困惑したように自分の耳をいじる。


 長耳ね、エルフのことをそう呼ぶのか。他の種族もそうだけど、なんつ~身も蓋も趣もない呼び方だ。ある意味西洋的ではあるけど。


「え~と、この国にはその、長耳の一族が沢山いるってこと?」


「ぶ、ははははっ!!そもそもこの国は、我々長耳の一族が作ったものだぞ?王族も貴族も、それに国民の殆ども長耳の一族だ。」


 聞いてないよ!!というか、あまりに出発を急ぎ過ぎて、そこいらへんの情報を仕入れる時間が無かったのも事実だ。ナルカに話を聞くのも面倒だから後回しにしていたし。……半分くらいは自分のせいか。


「小僧、お前はどこの一族だ?黒髪だが羽は無いし、肌の色も俺たちとそう変りない。あとは……眼が翠色か?ふむ」


「翠色?俺の瞳は茶色のはずだけど」


 変なことを言うおっさんだ。でも正直、この世界で自分の顔を見たことが無いので、不安ではある。もし変顔になってたらどうしよう。


「ふむ、どうでもいいか。とにかく、ここは一般人が船を泊めていい場所じゃない。有料の船着き場を探すか、完全に引き上げて別の場所に持って行ってもらう必要がある」


 う~む、有料と言われても金は無し、引き上げても置く場所は無し。そもそも今日の寝床も決まっていないわけで、どうしよう?


「しかし今時こんな船で王都に来る奴がいるとはな。俺もこの仕事をして長いが、丸木舟なんて初めて見たぞ。王都で海の仕事をするつもりが無いなら、いっそこれは処分して新しい船でも買った方がいいんじゃないのか?」


 ぴん、と頭に電球が灯った。態度を改め、お仕事モードにスイッチを切り替える。


「そうだ、この船買ってくれる人を知りませんか?」


「はぁ?丸木舟を買いたいなんて好き者、いくら王都が広くても……」


「正確にはこの船を『(まき)』として買ってくれる人です。例えば食堂とか、宿屋とか、お風呂屋さんみたいな。濡れているのは表面だけですから、少し乾かせばいい燃料になりますよ。今なら運搬と薪割りはサービスしますので」


 船の処分+現金収入+あわよくば宿泊場所も決めてしまえる一石三鳥の策。上手くいけばの話だけど。


「急に言われてもな……。」


 おっさんは少し困った顔で丸木舟を覗きこむ。そして中で寝ているナルカに気付いた。


「おい、この黒羽の女の子はどうしたんだ?」


 驚いた声を上げる。


「俺の義妹(いもうと)です。ちょっと船に酔ったみたいなんで、寝かしてます。」


 実際には、ちょっとどころではない。あの揺れに耐えられるのなら、一発で機動警察やら超重神のパイロットになれる。


「色々事情がありそうだな。ま、この港じゃ事情持ちなんてごろごろいるもんだが。」


「あはは」


 笑ってごまかす。彼はしばらくナルカをじろじろと観察した後、


「そういえば知り合いで薪が無くて困ってる奴がいたか。あいつのところなら、多分買ってくれると思うぞ」


 おおう、いい感じに話が動いた。


「それは僥倖(ぎょうこう)。っと、よろしければその場所を教えて頂けませんか?」

「待ってろ。簡単な地図を書いてやろう」


 おっさんは服のポケットから木炭片とくしゃくしゃに丸めた何かの包み紙を出し、もそもそと何かを書きつけて俺に手渡した。


「ドラッドからの紹介だと言えば、話が通じるはずだ。」


「ありがとうございます。あと申し遅れましたが、僕は健那(すくな)といいます。また何かあれば、よろしくお願いします。」


「スクナか。何だか鱗の一族みたいな名前だな。」


 先ほど本人にもそう言われました。それを知っているということは、港湾関係者とイクナたちには、何らかの関係があるのかもしれない。


 紙には大通りと目印になる建物、そこから脇道に入ったところにある目的地が描かれてある。どこかのお店らしい。と、紙に茶色いゴミのようなものが付いているのが気になった。顔を近づけて匂いを嗅いでみる。甘くて焦げたような刺激臭という、今まで経験したことのない香りが鼻に飛び込んできた。


「むぎゅふっ!ぶふっっ、ごほっ……にゃんじゃこりゃ!!」


「適当なのが無かったから、嗅ぎタバコの包み紙に描いちまった。言っとくが、お前らみたいな子供にゃまだ早いから、興味持つんじゃないぞ」


 涙目で咳き込む俺を、ドラッドのおっさんは笑いながら(たしな)めた。



ごろごろごろごろ……


 大通りの喧噪の中を、コンダラを引きずるような重い音がゆっくり通り抜ける


「……どこ?」


「おいっす、おはようナルカ。でもまだ寝てていいぞ~」


 ちなみに俺が引いているのは、港のおっさんが貸してくれた古い荷車、というか小型の大八車だ。勿論タイヤは金属でなく木製なので、石畳で舗装された道でも重いこと転がらないこと、この上なし。


「海は?」


 船の中で体を縮めたまま、ナルカが尋ねる。


「もう終わり。今から向かうのは、この船を買ってくれるかもしれない人のところだ」


 そう、とだけ答えて、彼女は再び船の中に身を横たえた。重症だな、これは。


 行き交う人たち、すれ違う人たちは、ほとんど皆長耳の一族、エルフ種族だ。個人差はあるものの、肌の色は白く金髪碧眼が多いので、どこかヨーロッパの道を歩いているような気がしてくる。服装は俺と同じような貫頭衣。建物は石積みに白い漆喰という質素なものが多いが、たまにレンガの家があったりと、結構いい加減だ。某風呂漫画に出てきた古代地中海の街並みを、でたらめに進化させた、といったところか。


 にしても凄い人混みだ。何かお祭りでもあるのか、というくらいの人出だけれども、俺には区別がつきかねる。治安レベルが分からないのでナルカの上にかけた白衣以外は、貴重品をまとめて風呂敷代わりにした三角巾に包み、首からぶら下げている。貴重品と言っても、俺が取られて困るという意味で、この世界では二束三文にもならないガラクタだ。


通りを歩き始めてからやたらと肩やら腕やらがぽこぽこぶつかってくるため、現在『人混みを自転車で走り抜けるモード』で移動中。実際はこんな時間帯に大八車を引く方が迷惑といえば迷惑なのだが。コンビニや商店でも、商品搬入は深夜早朝にやるわけで。


 周りの景色に圧倒されながら進んでいると、


「おおう」


 いきなり横道から飛び出してきた背の高い人影が目の前に現れた。だがそれも、高校時代に地元商店街で磨いた俺のスキルの敵ではない。ゆっくりと慣性を殺し、最短の制動距離で荷車を止める。しかし俺ではなく人影の方が、避けようとして体勢を崩してしまった。そしてこともあろうか、身体を支えようと俺の首から下がった三角巾に手を掛ける。


「ぐえっ」


 いい感じに首が締まって、オシシ的な空気が喉から漏れる。なるほど、素人にこういう物の運び方は危険だ。行李(こうり)で市場に来る東北地方のお婆さんの凄さが実感できた。


 よろめいた人物は、俺の首を支点にしてぐるりと回って体勢を立て直す。


「っとと、すまないが急ぎの用でね。いつか機会があれば、じっくり謝罪の時間を取らせてもらうよ。じゃっ」


 若い男の声がそれだけを一方的告げ、すぐに俺たちが来た港の方向へと走って行ってしまった。何なんだ、一体。

とりあえず荷物をぶち撒かれなかっただけでも良しとするか。


 でもここはさ、逃亡中のお姫様や巫女さんやお嬢様や、もうちょっとそっち系の出会いでもいいんじゃないの?と思う。

 まあここいらの文明レベルだと、そもそも箱入り娘は『走る』という行為ができない可能性がある。女の子は宝物、一族の資産だから、大抵家から一歩も出さないし、もちろん外で身体を動かすことも許されない。その極端な例が中国の纏足(てんそく)だ。幼い頃から足を縛り、長じては小さな靴を履かせ、まともに歩けない状態にまでしてしまう。日本のような何となく男女平等、という感覚は、限られた国でごく最近共有されているに過ぎない。


 もし美少女が出てきても、超運動音痴で『私を背負って逃げて、42.195kmくらい!!』とか言われたら、自分なら素直に追手の黒服さんたちに渡してしまうかも。


 ……こんなこと考えてるから出てこないんだな、おしとやか系女の子。俺の周りはナルカにイクナと、狩人系ばっかりだ。あとは空の戦士がいれば、自衛隊が作れる。


 荷台のナルカに動く気配は無い。また眠ってしまったのだろうか。


 気を取り直して大八車の梶棒(かじぼう)を担ぎ、再び歩き出した。


「ここでのコーナーでインド人を右に、っと」


 あれからは何事も無く大通りを進み、地図に描いてある通り、風車マークの看板を掲げた粉屋の角を曲がる。粉屋は木でできた扉を固く閉ざしており、今日は営業していないみたいだ。


 脇に入ったところの小さな通りは、どうやら食材を扱っている店が集まっているらしい。粉屋の他にも果物屋、乾物屋、蜂蜜屋、他には種屋なんてのもある。窓から覗くとピーナッツやアーモンドのようなナッツ類が展示されていた。


 道を進むと目的地らしき店の前を、女の子が掃き清めているのが見えた。年の頃はナルカより若い、10を過ぎたくらいだろうか。手には何かの草を束ねて切りそろえた、土間箒のようなものを持っている。しかしそれとは別の部分に俺は反応してしまった。


「お、黒髪。」


 うっかり声が漏れる。そう、女の子の髪の色は一般的な街の人たちと違い、俺やナルカと同じ漆黒。それを首の後ろで二つに分けてくくっている。地元の小学生を見ているようで、少し懐かしい気持ちになった。


「え?」


 女の子は急に声を掛けられ、びっくりした様子で俺を見る。そして、


「あ、あの、うちのお店に何か御用ですか?」


 少し警戒しているようだ。箒を握りしめ、小動物のようにぷるぷる震える挙動が可愛いらしい。


「驚かせてごめん。誰か大人の人はいるかな?」


「はい、お父さんが。」


「じゃあ話がしたいんだけど、お父さん呼んできてもらえる?」

 

 その言葉で硬直状態から解放された女の子は、すぐに奥へと走って行った。


『おと~さ~ん!!なんかきた~っ!!』


 中から父を呼ぶ声が聞こえる。なんかってなんやねん。受信料?

 

 その間にゆっくりと店の外観を見渡す。店と言ってもショーウィンドウがあるわけでなし、ほとんど工房みたいな石造りの一軒家だ。ここで商品を作って、テントを張った軒下や市場で売るのだろうか。彼女の消えた入り口の横には、彩色が剥げ落ちた古びた木の看板が釣り下がっている。ファンタジー補正のおかげで何故か書いてある字が読めた。


『ドルドッドレイドのパン工房』


 ……ここのオーナーはどんだけドの音が好きなんだ。ロボアニメの方がマシなネーミングしてるぞ、GGGとかVVVとか。いや、そうでもないか。


 しかしパン工房というわりには、パンの匂いがしない。日本ならパン屋の周りには、あの独特の酵母の焼ける甘い芳醇な香りが漂っているものだが。ここもお休み中なのかね、粉屋が休みだったし。


「お待たせしました、店主のイドルドです。当工房に何の御用で?」


 少しして店の奥からまだ30代くらいの、こちらは典型的なエルフの特徴を持った青年が、シェフっぽい帽子に前掛けエプロン姿で現れた。何かの作業をしていたところだったらしく、そこかしこに小麦粉と思われる白っぽい粉がくっついている。身長180cm程度、昔はイケメンだったであろう整った顔立ち。しかし何より圧倒的だったのは、その胴回り。明らかに内臓脂肪がぎっしり詰まっているであろうウエスト周囲長は、俺の手で抱えられるかどうかわからないほど太い。工房で炭水化物ばっかり食べてたら仕方がないのかもしれないけれど、白人の悲劇はエルフにも健在だったということだ。


 先ほど掃除をしていた女の子は、父親の陰に隠れている。隠れるスペースには不自由しなさそうだ。にしても、親子なのに似て無い。義理の関係なのだろうか?


「初めまして。自分は健那(すくな)という旅のものです。こちらで薪を必要とされている、と港のドラッドさんが仰っていたので、不躾ながら伺わせていただきました。」


 そういやあのおっさんもドが多いな。ド仲間?


「ドラッドの紹介ですか。確かに薪ならいくらでも必要だけれども……。その薪、というのはどれだい??」


 俺は大八車に視線を向ける。


「後ろの丸木舟が薪になります。斧でも貸していただければ、加工も自分がやります。いかがでしょう」


「いいね。これならしばらく燃料には困らなそうだ。よし、買わせてもらおうか」

 イドルドさんは丸木舟を一瞥すると、即断即決した。


「ありがとうございます。」


「で、値段の方はどれくらいになるんだい?」


「え~と、それは……」


 やべ、考えて無かった。そもそも相場も分からないし、どうしよう。


 俺は言葉に詰まって視線を宙に舞わせる。いつの間にか日は沈んでおり、わずかに夕暮れの光が残った空を、カラスが列をなして飛んでゆく。なんか羽が6枚あるけど、カラス……だよな。


「おと~さん、中に女の子がいる!!」


 さっきの黒髪の少女が、いつのまにか荷台に上って中を覗き込んでいる。


「……着いたのか、スクナ」


 その声で目が覚めたナルカは上体を起こし、白衣を打ち掛けたままゆっくり立ち上がろうとした。が、


「あ……」


「危ないっ!!」


 膝に力が入らなかったのか、船の上でバランスを崩す。


 俺は彼女を支えるべく手を伸ばしたが、それより先に俺より太い腕が差し出される。倒れかけたナルカを抱き上げたのは、イドルドさんだった。


「大丈夫かい?具合が悪そうだけれども」


「ん、平気……」


 自力で立とうとするが、足元が覚束(おぼつか)ない


「とてもそうは見えないな。黒羽の一族は瞬発力はあるけれど、あまり持久力は無いはずだ。良かったらうちで少し休んでいくかい?」


 確かに。売ったお金で泊まれるところを探すつもりだったが、思ったよりナルカの身体は弱っているみたいだ。既にこの辺りにも夕闇が近づいてきている。脱力した彼女を連れて動き回るのは、正直キツい。

 しかしこの人黒羽の一族であるナルカを見ても、あんまり反応が変わらないな。港のドラッドさんは大分驚いていたのに。


「お願いします。慣れない船旅が(こた)えたみたいで。」


「分かった。リーシャ、屋根裏のベッドを準備してくれないか?」


「うん、すぐに片づける!!」


 黒髪の娘さん、リーシャちゃんは元気に答えると再び店の奥に消え、とんとんとん、という階段を上る音が聞こえてきた。やがて屋根の下の小さな窓に、ぽっと暖かい光が灯る。


「もう日が落ちた。少しと言ったけれども、せっかくだから今日はうちに泊まっていくといい。ちょうど空いた部屋もあるし、この子の容体も気になるしね。」


「何から何まで、ありがとうございます。」


 元イケメンなんて思ってごめんなさい。あなたは今もイケメンです。と、ここで一つのアイデアが浮かんだ。


「それで、さっきの薪の値段の話なんですけど」


「ああ、どうするか決まったかい?」


 ぐったりしたナルカをお姫様抱っこで家に運びながらイドルドさんが尋ねる。


「お金は結構です。その代り、しばらく部屋を使わせていただけませんか?」

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