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出会ったあの娘は波打際系

コンコン


 殻を叩くと竹の胴を叩いた時のような高い音がした。どうやら中は空洞らしい。叩いた衝撃に驚いて、わさわさ蠢いていた足が殻の中に引っ込む。


「スクナ、本当にこいつ食べられるのか?」


「子孫は美味いから、一応食べても大丈夫なはずなんだが……」


 自信なさそうにぼやく。


 閉じた殻の隙間から、瞳孔だけの原始的な眼球がちらちらっとこちらを見つめている。無言の瞳は「眷属呼ぶぞ、海からSAN値直葬だぞ」と別宇宙の邪神チックな脅迫をしているようにも思えてきた。


「やっぱ止めとこう。思ったより身も少なそうだし」


「何だか気持ちが悪くなってきた……」


 せっかく捕まえたのだが仕方がない。10kg米袋と同じくらいの大きさ&重さの殻を掴んで、えいやっと海に帰す。


 ばしゃん、と水しぶきが上がる。元気を取り戻した彼は殻に海水を取り込み、その虚ろな瞳で俺たちに一瞥をくれた後、ゆっくりと海底に沈んでいった。何か、「兄ちゃん、命拾いしたのぅ」と言われたような気がする。


 ……アンモナイトを食べようとするのは諦めよう。俺もそうだが、特にナルカのSAN値がごりごり削られている。


「でも全然釣れないんだよな~、魚」


 船の中に放り出された釣竿を見る。せっかく入れてもらった釣道具なのだが、まず糸が短いし、そして骨製針が太すぎる。多分大きめの川魚を狙うために作られたものなのだろうが、海で使うのは難しかったわけで。大きな魚は警戒して水面下には近付かないし、小さな魚は針に食いつけない。おかげで今のところ釣果ゼロで、餌ばかりちまちま食われるという結果になっている。


 たまたまマンボウみたくぷかぷか日向ぼっこをしていたアンモナイトを捕えてはみたものの、結果はこのありさま。


「別に魚はいらない。食べるものは足りている」


「そうだけど、目の前に海があるのに魚を食べれないってのは、日本人にとって拷問に近いんだよ!!」


 そうナルカに力説するが、


「スクナの一族は面白い習性があるのだな。」


 興味なさそうに流されてしまった。


 日本人の魚へのこだわりは、自分でも異常だと思う。例えば外国人が撮影した海や魚の映画やヒーリングビデオは、美しいけれど単調でどうにも面白くない。反面、日本人が撮影した魚の映像は素晴らしく魅力的に見える。何故かといえば、そこに『食材としての視線』が加わっているからだ。どんな味がするんだろう、脂がのっているな、赤身が多そうだ……などなど。日本人にとって、美しい魚とは美味しそうな魚でもあるのだ。それはともかく、


「美味しい魚が食べたいです、安○先生」


 船出してから早二日。色々試してみたが、面白いように魚がかからない。正直もう試合終了だよもんしてもいいよね、と言いたくなる。


 かなりゆっくりと漕いでいるので、陸地は見えているものの、王都の港はまだ視界にも入ってこない。ここいらは水面も鏡のように凪いでおり、なおかつほとんど海流が無いので遭難の心配はないけれど、今のペースだと到着は明日の夜あたりになりそうだ。


 丸木舟の中に身を横たえる。船はちょうど俺とナルカが一緒に横になれる幅と長さだ。身を隠す場所のない海の上、あまりに直射日光が厳しいので、途中で拾った4本の流木を支柱にし、その上に脱いだ白衣を広げて日よけのテントにしている。


 仰向けに寝っ転がった状態で、両手を船べりにだらんと垂らす。指先が冷たい海水につかり、気持ちがいい。


 ナルカは俺のためにか、何とか魚を集めようと、食料の一部をちぎっては船の周りにばら撒いている。ありがたいけど、それで集まってくるのは小魚だけなんだよな~。


つんつん、つんつん


 餌につられて集まってきた小魚たちが、俺の指を突っつく。


 いっそまともな魚は諦めて、しらす干しとか魚チップスとか、そっちで攻めてみようか。邪道ではあるが仕方がない。そう思ってぼんやり白衣越しの太陽を眺めていると、


かぷり


 左手の中指に何かに噛みついた感触があった。いや、噛みついたというよりは咥えられたというか。噛む力はそれほど強くなく、甘噛みに近い。ナルカの撒餌で大きな魚が来たのか?びっくりして振りほどきたくなったが、ある意味これは魚ゲットのチャンスかもしれない。


「ナルカ、静かに」


 動かないよう指示し、積んであったナルカの手槍を手に取る。警戒心の薄い駄魚め、そのまま離すなよ……。


 ゆっくりと武器を構え、いざ左手に食いついた魚の正体を拝んでやろうと思った瞬間、指の感覚が変わった。


ぺろん、ぺろぺろぺろ……


「舐めったぁぁぁぁあああああっっっ!!!」


 食わえられた指を、生暖かい舌が舐めまわす。想定外の感触に無様な悲鳴を上げながら、くわえられた指ごと左手で魚の口を掴み、ざばあっと船の上に引きずり出した。


 火事場の馬鹿力的に抑制の外れた筋力で掴み上げたそれは、尺上どころかナルカと同じくらいの体長があり、上半分を引き揚げただけで船が一杯になってしまった。


「もう、いきなり何なのさ?エスコートにもやり方があるでしょ、ぷんぷか。」


 ずるべちょ、っと丸木舟を占領した魚影から抗議が上がる。


俺が自分の指を餌に釣り上げたのは、長い赤髪をふり乱した少女だった。びしょ濡れの頭から滴が垂れ堕ち、日の光を反射する。海中からいきなり現れるのもあれだが、それ以上に驚いたことに、彼女の腰から下は青黒く輝く鱗で覆われていた。上半身裸かと思ったが、薄いベージュ色の厚手の布がさらしのように胸に巻かれている。水の抵抗が少なそうな薄い双丘の間には、首にかかった紐で下げられた小さなガラス瓶のようなものが揺れていた。


「もしかして……人魚?」


「そっおで~す!!正解したキミにはプレゼント。ほいな」


 髪の毛の中から何かを取り出し、俺に手渡す。それは俺の掌の上で、うじょうじょと5本の長い脚を動かして逃れようとしている。


「……なぜにクモヒトデ」


 ヒトデはヒトデでも、これを選ぶ意味が分からん。

「私のヘアーアクセ兼おやつ。美味しいかどうかは微妙。でも足をちぎって噛んでると、お腹すいても気分が紛れるの。しかも食べてもまた勝手に生えてくるし。自給自足?みたいな」


 そう言って早速足を(つま)もうとする。


「ちょ、実演しなくていいから!!」


「そう?ああ、足5本同時になんて食べ方するんだね。贅沢~」


「食わんっての。ナルカも、食べようとしない!」


 俺の手からクモヒトデを取ってしげしげと眺めるナルカを注意する。彼女にとって海の生物は珍しいらしく、しばらく自分の腕の上を這わせて遊んでいたが、やがて興味が失せたのか、船の外にぽいっと投げ捨てた。ヒトデは水面でぽちゃんと音を立てた後、泳ごうともがくも虚しく、先ほどアンモナイトが消えた海の底へ沈んでいった。


 ヒトデの次に、ナルカの関心は人魚に移ったらしい。しげしげと頭から尻尾の先までを眺めた後、


「魚だけど、こいつも食べるの?」


「いや、流石に人型はちょっと……。喋ってるしね。」


 下手に人魚の肉など食べて、不老不死属性など付けられても困る。まあ種族的にファンタジーの定番だし、個人的に人魚の生態やらに興味が全く無いと言えば嘘になるけど。


「え、なになに私食べられちゃうの?煮物?揚げ物?あ、やっぱり生がいいとか?このエロナマコ~ん」


 前言撤回。こいつウザい。圧倒的にウザい。


「誰がナマコだ、このピンク魚。」


ぺすっ、と人魚の頭に軽いチョップをかます。


「あうんっ」


「……それは置いといて、何でいきなり俺の指に食いついて来たんだ?」


「う~ん、強いて言うなら美味しそうなミミズに見えたから。(おか)の生物なんて久しぶりだったからね。じっくり味わって、たっぷり舐め回してから、ぱっくりいく予定でしたぁっ!!」


 怖っ!!危うく指を喰われるところだったとは。


 つ~かナルカといいこの人魚少女といい、どうしてこの世界の女の子は初対面で俺を狩りに来るんだ?今の俺には少なくとも女難の相(物理)が出ているに違いない。


「ミミズ……しばらく細長い生き物は見たくない」


 ナルカが顔をしかめる。アニサキスと死闘を演じた後だから、俺としても同感だ。


「塩味が効いてて、ナカナカ美味でした。うまうま。」


「そりゃ海だからな」


 魚類として基本的なところが大丈夫か、こいつ。


「で、お兄さんたち、変な組み合わせだけど兄妹?手漕ぎ船でこんなに沿岸から離れたところにいるなんで、もしかして流されたとか。」


「一応義理の兄妹みたいなもんだな。あと、別に遭難してるわけじゃないぞ。のんびり釣りをしながら王都に向かってるところだ。」


 そして坊主で不貞腐れて絶賛充電中。凄い外道は釣れたけどな。


「スクナが魚を食べたいって動かないんだ。」


「……米も醤油も味噌も無いまま1週間、しかもいつ食べられるかも分からない。せめて魚くらいいいじゃないか!!俺の日本人の血が、大和民族の魂が、何より俺の胃袋が魚を求めているんだよ!!」


 その情熱がナルカには通じないのが寂しい。


「へえ、お兄さんスクナっていうんだ。あたしと同じだね。」


「解かってくれるか!!」


「うんうん!!私も魚が食べられないで貝や昆布ばっかりだと、イライラしてくるしね。」


「ああ、俺も回転寿司で赤貝とミル貝ばっかり流れてきてキレかけたことがあるから、その気持ちはよく解かる。」


 異世界で魚食へのこだわりを理解してくれる存在がいたとは。それが人間でなく人魚だったとしてもささいなことだ。そもそも日本人の魚へのこだわりは、同じ人間である外国人にも理解してもらえないわけで。


「よぉし、魚を食べたい、でも食べられない。そんなスクナくんのために、あたしがひと肌脱いであげよう!!ちょっと潜って取ってくるね」


「あ、おい」


「行ってきま~す!!ざっぷ~んっ!!」


 止める間もなく人魚の少女は、身体をゆすって丸木舟から転がり落ち、そのまま一気に蒼い海の底へと急速潜航して見えなくなってしまった。後には彼女の体表から分泌されたと思われるぬるぬるした粘液と、跳ね返った水飛沫だけが残された。


「名前を聞く暇も無かったな」


「どうする、スクナ?」


「……とりあえず、船乾かそうか」


 そう言って俺は覆いの白衣を外し、船体を太陽に晒すことにした。彼女が飛び込んで出来た大きな波紋は丸木舟を数回左右に揺らした後、穏やかな水面に吸い込まれるように消えていった。

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