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アニー・マストダイ

「最初に理解してほしいことがある。」

 村人一人ひとりの顔を確認しながら語りかける。

「俺たちはこれから奴を狩る。そのためには、事前の準備が勝敗を決めると言っても過言ではない。直接武器を振るい、その身を危険にさらす必要はない。つまりここにいる全員で、奴が自動的に野垂れ死ぬ(・・・・・・・・・)状況を作り上げる。」

 孫子曰く、

『勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む』

 というやつだ。

 これを理解できたのは猿だけだったとか、異世界漂流中のノブさんがぼやいてたような。

 同じ人間なのだから、猿にできて人間にできないことはない……ん?

「準備をするからには徹底的にやる。罠を仕掛け、騙し、陥れ、封じ、弱点を曝け出させ、そこに我々の最大を叩き込む!!まさか化け物相手に卑怯と言う者はいないだろう」

 日本の男の子が○谷や東Aのヒーローから教わる、伝統的な怪物退治の心構えだ。

 村人たちは黙って俺の怪気炎に聞き入っている。少し悪い気もするが、一旦こちらのペースに持ち込めば純朴な村人は非常に御しやすい。

「では、これから準備の内容について具体的な説明を始める。質問は後で時間を取るから、今は聞くことに集中して欲しい」

 

 

 アニサキスは本来、イルカやクジラなどの巨大海獣の胃袋に生息する寄生虫だ。本来ならば人間とは関係の無い世界に生きていた彼らだが、その中間宿主であるアジやサバなどが漁獲対象になったことから悲劇が始まった。さらに加熱処理や冷凍保存で死滅してしまう脆弱な生物であった彼らは、生魚大好き民族の日本人と非常に相性が良かったというか、悪かった。

 幼虫の状態で生魚と一緒に摂取された彼らは、人の胃の中に入ると粘膜壁に頭を突っ込む。突っ込まれた部分でアレルギー反応が起こり、やがて腹痛などの症状が現れる。自然に壁から落ちて治ることも無いわけではないが、こうなったら基本的に胃カメラを使って、鉗子(かんし)で掴んで直接引きずり出す。また頭が壁に深く食い込んでいる時などは、胃粘膜ごとちぎって頭を潰す。欠片が残っただけでも痛みは残るからだ。

 あの化け物アニサキスがどういう存在なのか、結局正確なことは分からない。

 ただあれが生物だと考えれば、普通のアニサキスと同じ対処方法が有効となる。

 つまり、熱するか、凍らせるか、頭を潰すか、だ。

 液体窒素や冷凍庫も無い、しかも熱帯環境では、凍らせるというのは現実的ではない。氷の魔法を使えるジャナンさんのような人はいるが、ここにいる全員が使えるわけではない上、既に「薄皮一枚しか凍らない」という実験結果が出ている。これはこれで使いようはあるけれども、決定打にはならない。

 かといって頭を潰すのは、やはり危険が大きい。できれば近づくことなく仕留めたい。

 そこで俺が選んだのは、バウンさんが捨て身の攻撃でも使った『火』。

といっても、『燃やす』のではない。

 奴を『煮る』。

 アニサキスに対する加熱処理は、タンパク質が凝固する60℃で1分以上。この温度で煮てやれば、例えその場で息の根を止められなくても回復不能なダメージを与えることができる。最悪弱らせることができるだけでも充分だ。後でゆっくり止めをさせばいい。

焼き尽くすとか火の海にするとか、ファンタジー的なものに比べれば地味な手段だが、そもそも倒すことだけが目的なら過殺(オーバーキル)は要らないわけで。灰になるほどの威力の魔法があったところで、せいぜい死体処理の手間が省ける程度。

 俺たちには適殺(ジャストキル)で十分だ。

 あの夜デュナさんが命を落とした石舞台の上に立ち、アニサキスの住む沼を睨む。水面が照り返す昼を過ぎたばかりの太陽が眩しい。これだけ明るければ、作業の間に襲われることはないだろう。

「おい、スクナ。言われた通り、村の柵はあらかた解体して持って来たぞ」

 数人の若者を連れたバウンさんが、元柵の木材を担いでやって来た。よく乾いたそれは、肩の上でぶつかってからからと軽い音を立てる。

「あと、これも必要と言ったな。失くさないように気を付けろよ」

 村の火の見櫓で使っていた、半鐘代わりの鉄板を差し出す。叩かれ過ぎてべこんべこんになっているが、緊急警報として使うには充分すぎる。受け取って叩き用の木槌と一緒に長目の紐で肩からかける。ショルダーバッグみたいだ。

「ありがとうございます。じゃあ予定通り沼を取り囲むように、火を焚くための小さな四角い(やぐら)をいくつも組んで下さい。石舞台から近いところから造り始めた方が後で便利ですから。」

「任せろ。ところで他の連中はどうしている?」

 そう尋ねる後ろで、水辺に生えていた背の高い木がめきめきと音を立てながら沼に倒れ込む……が危うく水面に接触するというところでかろうじて止まった。

 びん、と張った太いツタのロープが木の幹を支えてくれている。

 今のは背筋が冷えたよ、ジョニー。

「お年寄り連中が動いてくれたおかげで、うまくいってるようです。」

頑張ってポーカーフェイスを維持する。幸い気付かれた様子は無い。

「なら、どんどん使ってやってくれ」

「そのつもりです。手の空いた者からこの舞台を解体して、石を組んだ櫓に放りこんでいってもらいます。指揮の方、頼みます」

 バウンさんはおう、と威勢よく返事をして作業に戻っていった。

「まったく、儂らの親父らが苦労して作り上げたというのに、若いもんは……」

 黒い翼を広げた人影が、ぼやきながら俺の隣に舞い降りた。

 会議で一番騒いでいた村の重鎮。名前は、確かタパヌさんだったか。老人がぐちぐち言うのはどこの世界でも同じらしい。アニサキスを倒してしまえば、この舞台も用済みだ。

「タパヌさん、作業は終わりですか?」

「儂の分はな。少し休んだらひよっこの手伝いをするつもりだ。」

「よろしくお願いします。それができるのは、魔法の扱いに熟練したあなた方だけですし。」

「は、言いよるわ。あれだけ儂らに暴言を吐いておきながら。」

 そう言いながらも彼の顔は、それも悪くない、といった感じだ。

 実際彼の風魔法は凄まじく、手刀に風を纏わせたその一撃は、下手な鉄斧の一撃より鋭い。おかげで伐採作業が(はかど)ること捗ること。

 理由はどうあれ、村の男全員での協力作業、世代間の交流と技能の伝承。皮肉にも俺の作戦は、本来の意味での『お祭り』になってしまっているのかもしれない。

 俺としては目的さえ達成できれば、それもまた良し。

「この村の男の人たちは、打てば響くと信じたからです。実際に皆、こうして動いてくれていますし。」

「バウンの若造が動いたからだ。それを忘れるなよ」

 当たり前だ。お手軽ファンタジーみたいに、登場人物が全員無条件で俺を崇め奉ってくれるのならともかく、俺一人では村人を動かすことなどできないのは重々承知。

 だからこそ最初にバウンさんを取り込んだ。

 いや、正確には最初に、バウンさんが俺を村に取り込もうとしたのが切っ掛けだ。あれで彼は、俺に負い目を作ってしまった。

 別に計算していたわけではないけれども、流れ的に俺が謀略家みたいになってるのが少し笑える。自分がそうならないよう気を付けよう。

「しかし、お前が別の世界から来たとは……」

 独りごこちるタパヌさん。

 あの集会の最後に、俺は自分が何者なのかを簡単に明かした。

『別の世界で医者をやっていて、気が付いたらここにいました』

 証拠としてPHSの着信音を鳴らして見せると、皆畏れ驚き、その後信じてくれた。

 医者という職業も、『医者(メディシャン)』でなく『魔術医(ウィッチドクター)』と勝手に解釈してくれたみたいで、一気に説得力が増したようだった。なんでやねん。

「タパヌさんは、俺みたいな別の世界の人間について見聞きしたことは無いんですか?」

「別の世界から来たかどうかは知らないが、若い頃大陸で似たような噂を聞いたことはあるかもしれん。そいつはさも当たり前のように、見たことも無い動物や乗り物、国や制度の話を語っていた。」

 確かにそれっぽい。しかし、

「その人が別の世界から来た証拠、みたいなのはありましたか?例えば俺が見せたような……」

「それはわからん。ただそいつは大陸の人間の内、誰も使えないような魔法を披露して見せたという。この世界に来るとき神から与えられた力だ、と言ってたらしいがな。」

 意外にこんなところで情報ゲット。しかし異世界人が魔法を使うのか? そして神?意味が分からん。よくある転生チートとかそういう系だろうか。この件、もっと知りたい。

「他には何か知りませんか?」

「いや、儂も王都で小耳にはさんだ程度。お前に聞かれなければ思い出さなかったしな。それも大昔のことだから、噂の主もどうなったことやら」

 そろそろ行くか、と翼を広げるタパヌさん。

 また新しいキーワードが出てきた。王都、か。そこに行けば何かしらの情報が得られるかもしれない。ところで神と言えば、

「この村の神様って、どういう神様なんですか?」

 飛び立とうとする彼に質問する。

 一瞬変な顔をしたタパヌさんは、

「今から(ほふ)るんだろう?」

 そう言って自身に風魔法を使い、優雅に天空へ飛び立った。

 虚を突かれた俺はしばらくぽかん、と空を眺めていたが、そりゃそうだと気を取り直して石舞台の解体指揮を始めた。


 辺りに夕闇が忍び寄る頃、巨大アニサキス退治の準備が整った。

 25mプール3レーン分くらいの小さな沼の上には、根元に切れ目を入れられた何本もの巨木が水面ギリギリまで倒れ込み、ツタ一本で支えられることでもっさりした緑のドームを形成している。もしこれらの木々が喋れれば「殺るんなら一思いに殺せ!」とか喚きそうだけど、不許可。その時が来るまで焦らしプレイを堪能してもらおう。

 さらに沼の周囲には、半円状にいくつもキャンプファイヤー的なやぐらが組まれている。

 舞台はというと、石はきれいに取り去られており、残っているのは土台の湿った土だけだ。

 作業の途中、下の方の石には赤黒く変色した血がこびり付いたものが沢山あった。あの化け物の犠牲者が流した血だ。そこにデュナさんのものも含まれていると思うと、やりきれない。アニサキスに赤い血は無いが、それならこの借り、相応の体液で(あがな)ってもらう。

 俺はバウンさんと一緒に祭壇のあった場所に立つ。狙われる確率も高いが、ここからなら沼全体を見渡せる。それに言い出しっぺがこそこそ隠れているわけにもいかない。

 万が一のために、逃走用の仕掛けも作ってあるし。

「にしても遅い……」

 村の青年の一人、最初に会った門番の一人でもあるギプワという名前の彼に、少々個人的な頼みごとをしていたのだが、未だに帰ってこない。途中で何かあったのだろうか?

 これ以上時間がかかるのなら先に始めるしかない。そう考えてバウンさんに合図しようとした矢先、

「お、遅くなりましたっっ……!!」

 息も絶え絶えになった件の青年が飛び込んできた。

「おっそーい。けど、無事で良かった。頼んでた物は見つかった?」

「はい。赤い箱に入ってたのと、家にあった荷物、持てるだけ持ってきました。」

 風魔法を使える彼に、俺が崖下の恐竜ランドに隠していたのと、ナルカの家に置きっぱなしだった治療器具を取りに行ってもらっていたのだ。本当なら救急カート丸ごと持ってこれれば良かったのだが、貴重な人手を割くわけにはいかないので仕方ない。

 持ってきてもらったものをざっと確認する。これがあれば最悪の事態は避けられる。

「ご苦労さま。これはどこか安全なところに隠しておいて、君も自分の割り当てに就いてくれるか」

「わかりました」

「それと……」

 一応確認しておこう。

「ナルカは家でおとなしくしていたか?」

「えと……ナルカは、何か気が立っている感じでした。はは……」

 その問いかけに彼は少し言葉を濁しながら答えた。

 よく見ると、彼の二の腕には爪でひっかいたような痕が残っている。ナルカが引っ掻いたのかもしれない。そんなことをする娘には見えなかったのだが。これが終わったら、ちゃんとフォローをしてあげないと。

「分かった。大変だったな。」

 彼は力無い薄ら笑いを浮かべながら、風魔法で持ち場である森の中へ飛んで行った。


 太陽が沈む。

 澄み切った空が藍色のグラデーションに染まる。

 もうすぐ夜が来る。 

 昨日の俺も、一昨日の俺も、今日の自分がここに立っているなんて想像もできなかっただろう。着た切り雀の手術着一枚の肌に、空気が凍みる。

 胸ポケットのPHSの電源を入れ、時間を確認。表示はpm10:16。

 よく考えてみなくとも、俺自身の問題は全く解決していない。何故ここにいるのかも分からないし、どうしたら帰れるのかも霧の中だ。

 PHSの電源を落とし、息を思いっきり吐き出す。ひたすら永く、限界まで。

 最後の一滴を絞り出したところで、息を止める。

 そして解放。

 胸郭(きょうかく)が自然に動き、新しい空気が一斉に肺の中へ殺到する。少し冷たい黄昏時の夜気が、肺胞(はいほう)一つ一つの隅々まで染み透った。

 今はこの空気が、この世界が俺の現実。

 全ては、この闘いが終わってから。

「やるぞぉぉらぁぁぁっっ!!!!」

 自分でも驚くほどの大声が、腹の底から飛び出した。

 音は森を走り抜け、空に届くばかりに思われた。

『オオオオオオッッッッっ!!!!』

 俺の声に応えて茂みのそこここから男たちの雄叫びが上がり、一つの怒号となって天を貫いた。

 バウンさんがすっと手を上げると、やぐらに次々魔法の火が放たれ、燃え上がる。

 それを合図に、沼の上で吊るされていた木々が一斉に倒れ込む。葉が、枝が、幹が沼の水面を叩き、ばしゃばしゃと水鳥が飛び立つような音がした。

 作戦の第一段階、『森zoの怒り』。

 奴の活動領域を制限する。

 自分でも石を投げて確認してみたが、沼の水深はかなり浅い。ではアニサキスはどこに隠れているのかというと、その下にある泥の層らしい。

 さらに昨晩もそうだったが、基本的に奴は光を嫌うようだ。実際のアニサキスがどうだったか忘れたけれど、それならその習性を利用するまで。

 上から蓋をしてしまい、出てこれないように火を焚く。

 木が全て水面に落ちてから、しばらく時間が経過した。煌々と燃えるやぐらの光の中で、何十本もの木々が圧し掛かった沼の水面に動きは無い。

 知覚できていないのか、気にもとめていないのか。どちらにしてもこの時点で動きを封じるという目的は達成されたものと考えていいだろう。

「そろそろ石が焼けてきた頃だぞ」

 火魔法使いばかりで固めたやぐら係りが、バウンさんに報告してきたようだ。

 ならばメインの作戦に移行する。

「各自、真っ赤になった石から沼に投げ入れろ!!」

 第二段階、『磯鍋地獄』。

 要するに石鍋戦法。熱した石を鍋に入れることで瞬間沸騰が起き、一気に過熱された素材の身が引き締まり旨味が引き出される豪快な調理法、を応用したものだ。沼の水を直接熱するのは非効率的だが、この方法なら水に接した瞬間以外はじっくりじわじわ奴を茹で上げることができる。まあこれも効率的にはあまり褒められたものではないが、他に代替手段(だいたいしゅだん)が無いので仕方ない。

 燃え上がるやぐらから赤く禍々しい光を放つ石が取り出され、次々と沼に放り込まれると、派手な爆発音と共に蒸気が立ち昇った。

 焼石をものともせず素手で作業できるのは、火耐性を持つ火魔法使いの強みだ。

さて、ここからは持久戦。

 このまま奴が大人しく茹で上がってくれればいいのだけれど、楽観はできない。

 ちなみにこのまま出てこなければ翌朝まで一晩じっくり茹で上げる。その後は土木工事に移行し、沼を埋め立てて上から要石を載せてしまえば封印(物理)の完成だ。

「怖くなるほど順調だな」 

 いつの間にか傍に来たバウンさんが話しかけてくる。

「ここまではね。俺はむしろここからが怖い。」

 夜は始まったばかり。火が消えた時、皆が疲れた時に出てこられたら、どうなることやら。

 勝利の女神は意地悪だ。あれこれ無茶な要求を出し、その全てを乗り越えた者にのみ「微笑んであげてもいいかも」と少しだけデレる。

 そんな彼女の十八番な試練が、忍耐だ。

 時間のかかる準備、先の見えない戦況。緊張感を持続させ、最後まで勝利への執着を捨てない。そんな諦めの悪さが勝利を手繰り寄せる。

 人は何かと早く結果を求めるものだが、目先の分かりやすい餌に食いついた結果の敗北例なぞ、古今東西語るに易い。耐える人間に耐えられない人間が勝てないのは自明の理なのだから。

 そうしている間にも作業は続く。

 空にはいつの間にか、満月を過ぎたばかりの月が昇っていた。

 刻々と時間が過ぎてゆき、夜は段々と深くなる。

火を焚く、石を取り出して沼に投げ込む、の繰り返し。

 特に焼石を投げ込むのは火耐性を持つ者にしかできないので、途中から彼らに交代で休んでもらい、その間は火の番だけ他の人にやってもらうことにした。

 ……時間がゆっくりと、だが確実に過ぎてゆく。

 再度PHSの電源を入れて時間を確認すると、am5:21と表示された。明け方は何かと救急搬送が多かった気がする。早起き、高齢者、病気がセットになっているからかもしれない。

 こちらの世界では、現在丑三つ時といったところか。

 焼石の投下はまだ続いているが、ペースは大分ゆっくりになった。休みを取りながらなのと、石の数自体が減ってきたからだ。

 沼は煮え立ってはいないものの、湯気を漂わせる程度には全体が温まっている様子だ。

「お前は休まずともいいのか?」

 急に上から声をかけられる。

 見上げると同時にタパヌ爺さんがばさりと空から舞い降りた。肌が青っぽいと夜空が保護色になるらしい。全然分からなかった。

「全部終わるまで起きているつもりです。タパヌさんこそ、夜風は体に滲みますよ」

「余計なお世話、と言いたいところだが、先ほどまで休んでいたところだ。これからまた見張りに戻るさ。」

 ほれ、と柑橘類みたいな果物を投げ渡してくれた。見た目は普通にミカンだ。これなら「愛媛」と書かれた箱に入っていても分からない。せっかくなのでコタツでやるように尻から剥いて目立つ筋を取った後、一房をぽいっ、と口に放り込む。疲れと緊張のため甘さよりも酸味が強く感じられたが、おかげでいくらか目が覚めた。

「不思議なものだ。あれほど恐れていたというのに、この光景を見ていると、奴に勝てるのではないかとも思えてくる」

「……当然です。そのための作戦ですから」

 どこぞの司令みたいな台詞だったことに気づき、照れ隠しに沼を監視するふりをして、ミカンの残りをまとめて口の中に投げ入れた。やはり酸っぱい。

 と、不意に水面に浮かぶ木の一つが不自然に動いたような気がした。

 目を擦って見直すが、何も変化は見られない。照り返される焔も、ゆらゆら漂う木々も。

「どうした?」

「いえ、何でも……」

 無い、と言いかけたところで唇が止まった。

 この感覚、前にも感じたことがある。

 研修医の頃、交通事故で頭をぶつけて搬送された患者を元気だからとしばらく待たせていたところ、急に患者が倒れて大騒ぎになってしまったことがある。幸い一緒にいた中級医師(チューベン)が対応してくれて事なきをえたが、後でこってり絞られた。

 患者は急性硬膜外血腫(きゅうせいこうまくがいけっしゅ)だった。

 脳の外傷では受傷後に|意識がはっきりした時間(ルシッド・インターバル)があることは常識だが、場の流れに任せて見過ごしてしまったのだ。自分の対応がどこかおかしいと思いながらも。

 心に何かが引っ掛かっているにも関わらず、賢しらに気付かない振りをする。

 大人の対応、と呼ぶのかもしれない。

 だから、

ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガガンッ!!!!

 半鐘をやたらめったら打ち鳴らす。

「全員起きろっ!!奴が来るぉっっ!!!!」

 こんなところで気取ってどうする!!

「何だとっっっ!!」

 その瞬間、水面が大きく波打った。波紋が沼のあちこちで生まれ、浮いている木々が幹と幹を擦り合わせて不気味な悲鳴を上げる。木々の蓋の下で、巨大な何かが外に出ようと蠢いているのだ。

 眠っていた鳥たちが殺気に驚いて一斉に飛び立ち、動物たちは泣き喚きながらてんでばらばらに逃げ出す。森は一気に喧噪に包まれた。

「タパヌさん、次の作戦の準備を!!」

「おおっ、お前も気を付けろ!!」

「先刻承知!!」

 飛び立つタパヌさんの代わりに、バウンさんが駆け寄ってくる。

「スクナ、やはり現れたぞっ!!」

「まだ(ゆだ)って暴れてるだけです。奴が顔を出す前に、やぐらの火を急いで消して下さい。」

 水から出てくるのであれば、もう火は役に立たない。夜目に頼ることになるが、月が出ているから大丈夫。

 起きだした村人たちが、(おき)の火花を散らす焼け残りのやぐらを、葉っぱをつけたままの木の枝を濡らし、叩いて消して回る。

 やがて明かりは蠕動する水面を照らす月の光だけになった。火を消した村人たちも森に隠れ、息を潜める。

「来るっ!!」

 ざばぁっ、と水面が一際大きく盛り上がり、木々が坂を転がる丸太のようにごろごろと音を立て沼に落ちる。

 太く、長く、白く輝くその姿は、まさしく昨夜デュナさんを襲ったあのアニサキス。

 その姿を認めた瞬間、自分の中に再び赤黒い焔が燃え上がるのが分かった。

 アニサキスは全身から湯気を放ち、その動きはどこか精彩を欠いているように見える。長時間加熱されたおかげで、全身程よく茹で上がっているようだ。沼を貫く電柱みたいに立ち上がったアニサキスは、ゆっくりと体をくねらせ始めた。

「攻撃開始っっ!!」

 間髪おかずに叫ぶ。

 逃げようとして、溜め行動などさせるものか!

 俺の声を合図に、村人が二人一組で水面から縦に長く伸びたアニサキスの胴体に襲い掛かる。その手に持っているのは、これも柵を解体して作った大人の腕サイズの杭だ。

 急降下爆撃の要領で直前に杭を離す。杭は剣も斧も通さないはずのアニサキスの肌をあっさりと貫き、肉をかき分けて進み、その体幹に深々と突き刺さった。杭と肉の隙間からは時間をおいて、黄色がかった透明な液体がぼたぼたと零れ落ち始める。

「いけるぞっ、いけるぞっっ!!」

「どんどん刺してしまえ!!」

 村人の声の大きさが、彼らの驚きと喜びの大きさを表している。

 彼ら黒羽の一族は体重が軽い。

 剣や斧のように、『力』と『重さ』を攻撃力に変える武器は本来不得手なのだ。それは自分より重い相手と戦う時、覿面(てきめん)に効いてくる。

 だから重く太い杭を空から使うことで、『速度』と『位置エネルギー』と『武器の重さ』を攻撃力に変えることにした。さらにアニサキスの皮膚を貫くため、鋭く尖らした杭の先端は火で(あぶ)り、しっかりと焼き固めてある。

 加えて二人組である理由。一人は速度を得、飛翔するための風魔法使いを選んだ。そしてもう一人はジャナンさんと同じ、氷魔法使い。

 それを実践して見せるため、俺は皆の前で熟したイチジクの実を使った。最初はそのままイチジクを指で突っつく。イチジクの皮はぷにぷにと柔らかく動き、傷つくことは無い。次にジャナンさんにイチジクの表面を軽く凍らせてもらった後、再び指で突っついた。表面が凍ったイチジクに、指はシャリっと音を立ててめり込む。その瞬間村人から歓声が上がった。

 氷魔法使いの村人が杭を刺すべき部位に冷気をぶつけ、薄皮一枚を凍らせる。茹で上がった上に凍って弾力を失ったアニサキスの肌は、あっさり杭に打ち負ける。

 村人が舞う。杭が打たれる。繰り返される一方的な攻撃に、アニサキスの体にはまるで釘バットのようにどんどん杭の林が生えていった。流れ出した体液は幾条もの川となって体躯を伝い、沼にぼたぼたと滴り落ちる。

 突然、アニサキスが杭を振り払おうと大きく乱暴に体を(よじ)った。

 村人たちは危険を察するや素直に杭を捨て、風魔法で飛び去る。

 杭は、外れない。

 ただの杭ではない。予め先端を削ったり、棒を括り付けたりして、ちょうど釣り針のような『返し』を付けているのだ。

 言わば極太の『(もり)』。肉に食い込んだら、肉ごと(えぐ)らなければ外れない。

 このシンプルな技術でアニサキスの何十倍もの体重を持つクジラと戦っていたのだから、リアル怪獣狩り人(ハンター)だったご先祖様方の勇気には頭が下がる。

 杭を振りほどくのを諦めたアニサキスは、今度は体を丸め、勢いをつけて飛び出そうとした。

 が、いくつもの張りつめたツタのロープが、アニサキスの体に急ブレーキをかける。

 このロープは、最初に木々を水面に吊るすため使っていたロープだ。一方は杭に、そしてもう一方は今も水面を漂う木の幹に、それぞれ括り付けられている。水面の木々は葉っぱにしこたま水を含み、重りとしての役割を果たす。こうして重石をつけて魚を疲れさせるのは、今でも南方で使われる漁の方法だ。

 アニサキスが暴れる。その度に肉が(えぐ)れ、体液が飛び散り、杭に繋がったロープで引き戻される。単調な繰り返し。

 後はこのまま奴の体力が尽きるのを待つだけだ。

 俺たちが止めを刺す必要は無い。

 (みじ)めに(きたな)らしく体液を撒き散らし、自動的(オートマチック)に野垂れ死ね。


 どれくらい時間が経っただだろう。

 最期にアニサキスは体をぴん、と伸ばした後俺の方を向き、(こうべ)を地面に打ち付けて動かなくなった。どうっ、という地響きと、水しぶき、砂埃が上がる。下半身はロープを巻き込みながらも、筋肉の収縮に合わせてくるくると丸まった。 

 やった、のだろうか。

 よくある『やってないフラグ』を立てるつもりは無いが、つい口に出そうになる。

 村人たちは皆、森の中に控えている。

 アニサキスからは自分が一番近い。

 生死を確認したいが、それが死亡フラグなのも承知だ。窮鼠(きゅうそ)に噛まれる趣味は無い。

 奴は茹で上がり、傷つき、体力も失っている。放っておいてもじきに死ぬだろうし、そうでなくても回復に時間がかかる。

 可能な限り状況を把握した後は、見張りを立て、こちらも体制を立て直すべきだ。

 石舞台のあった場所から、アニサキスの元へ慎重に歩を進める。その間に半鐘代わりの鉄板を自分の胸元に垂らす。即席のプレートメイル、というには寂しいが、無いよりはましだ。

 アニサキスの頭まで10m。新しい動きは無い。

 どうやったら生死を判断できるのか考える。動物であれば呼吸や鼓動、意識が基準になるが、線虫の死亡診断など考えたこともない。一応指標としては、自発活動と体液の拍動だろうか。

 8m。まだ動かない。杭の穴から流れ出す体液は、重力に従っているだけのように見える。

 6m。近づくのはこれが限界だろう。少なくとも積極的な生命活動は確認できない。後は見張りに任せて俺たちは退散しよう。

 そう思った瞬間光が途切れ、暗闇が深くなる。月が雲に隠れたのだ。

ずるっ

 微かに湿った音がして、ゆっくりとアニサキスの頭が(もた)げられる。

 やはり生きていたのか!!

 今背を向けるのは危険だ。バックステップで距離を……。

 と、視界の隅に白いものが映った。

 白?

 白は生贄になったデュナさんが着ていた色だ。

 仲間を求めるつもりなのか、あのアニサキスは白色を優先的に襲う。

 だから白は、生贄の色に選ばれた。

 だから村は、生贄以外に白を許さなかった。

 だから俺は、白衣を脱いでこの戦いに挑んだ。

「誰だっ!!」

 自分の眼で確かめるため、危険を承知で振り返る。

 その正体を認識した俺の精神は、そのまま固まってしまった。

 鈍い金属光沢を放つ、鉄片の(なた)

 夜風にはためく、この世界にはあり得ない鮮やかな白。

 それは、(あお)い肌に直接俺の白衣を纏い、夜叉の形相を浮かべて立つナルカだった。

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