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大人の事情と優しいウソ

「おぅ大国。また寝てんのか?」

 ぶっきらぼうな男の声が自分の名前を呼ぶ

「寝るんだったら当直室使え。疲れてたってな、誰が見てるか分からないんだぜ。そんなだから看護師(ナース)連中に、『大国先生って多いのか少ないのか分かんな~い』とかナメたこと言われるんだぞ。」

 声の主は、あいつみたいな大人しそうなやつに限って大きくて多いもんだ、ってフォローしといてやったからな、とぬけぬけのたまう。

 ああ、上級医の折山先生だ。このだみ声には聞き覚えがある。折山は、救急医としては尊敬できることも多いが、頭が薄く下ネタ好きで、妻帯者のくせに春が来る度新人看護師(ナース)に粉をかけることで有名な怪人物だ。そのため医局の皆も評価に困っている。そういえば、今日の救急当直は彼がバックアップだったのか。

「放っといて下さいよ、疲れてるんですから。」

 突っ伏しながら答える。

 身体が重い。力が入らない。動くのも億劫だ。

 ……何故だろう。特に何をしたという訳でもないはずだけれども。

 すると、すぐ傍に人の気配が近づいてきた。

「お前もしかして、昨日亡くな(ステ)った患者のことで落ち込んでんのか?」

 そういえば、大切な人を失くしたような気がする。

 突然のことで、家族は居合わせることができなかった。

 まだ若い人だったし、何とか助けたいと思ったけれども、全ては遅すぎた。

 最期の言葉は、「ありがとう」だった。

「おい、まさか本当にそうなのか?!は、お前、意外とユーモラスな奴だったんだな!!」

 げらげら笑いながら肩をばんばん叩いてくる。

「……可笑しいですか?」

 我ながら驚くほど低い声が出た。が、折山はひるんだ様子も無い。

「安心しろ、しっかり面白いぞ。そうだな、火事の焼け跡で野次馬してる消防士がいたらどうだ?笑うしかないだろ、こりゃ」

 相変わらず例えが分かりにくい。

「ついでにネットに写真をアップしてたりすれば、炎上間違いなしだな。うんうん。」

 そんなことをする奴がいれば、確かに笑える。

 火事の後であっても、原因解明やら防災やら、もっとやるべきことが沢山あるだろうに。

 ……そういうことか。

「さて、お前が使わねぇんなら、俺は先に当直室行くぞ~。洗い立てシーツは俺のもの~」

 言うだけ言って折山が立ち去ろうとした時、

るるるるるる るるるるるる……

 自分の胸ポケットのPHSが、古臭い単音の着信音を鳴らし始めた。確か電源を切ってナルカの家に置いてきたはずなのだが。

「ん、電話か?」

 折山が振り返って尋ねる。

「先生、先に行ってて下さい。」

「どうした、病棟で急変か?」

「違います。」

 喚き続けるPHSをぎゅっと握りしめる。

「まだ……いえ、これからやるべきことが、ありました」

「おぅ、だったらさっさと片してこい。まだまだ夜は長いんだ、初っ端からバテんじゃねーぞ」

 ひらひらと手を振って扉の向こうに消える折山。

 それを見送りながら、俺はPHSの通話ボタンを押した。



 冷たいプラスチック製の本体を握った感覚。それを無意識に頬へ押し当てたところで、目が覚めた。もちろんPHSの電源は入っていない。さっきのは夢だったのか。PHSを胸ポケットにしまい込む。

 強張った身体をよじると、足先に誰かの柔らかい体が触れた。

「ん。起きたのか、スクナ?」

 薄暗い竪穴式住居の中、目をごしごし擦るナルカの影が浮き上がる。

「ああ……おはよう、ナルカ。ところで、俺はいつの間に帰ってきたんだ?」

「明け方ハゲ頭が持って来た。目を覚まさないから、そのまま寝かせてた。祭りだからってはしゃぎすぎだ。とくに日は登っているぞ。」

 まあ祭りが終わってから3日の間は狩りが禁止されるから、皆昼も寝て過ごすのだけれども、とあくびをしながら続ける。

 俺が石舞台の前で気を失った後、バウンさんたちが村まで運んでくれたということか。状況的にはそのまま沼に沈められていてもおかしくなかったが。

「そっか、後でお礼を言わなきゃな」

 そして、今度は事情をしっかり説明してもらう必要がある。

「ならちょうどいい。スクナが目を覚ましたら、話があるとハゲが言ってた。顔を洗ったら行くといい」

 ナルカが水を貯めた厚手の壺のような土器を部屋の隅から引きずり出す。直接手を入れるのが躊躇われたので、倒して中身を手に受け、ちょぴちょぴと顔を湿らせた。拭くものを探すが、ハンカチは昨日、デュナさんに渡したままだ。あの時は何も考えず反射的に差し出したが、その後どこに行ったのか尋ねることは、永遠にできなくなってしまった。代わりに着ていた手術着を捲り上げ顔を拭う。手術着の前面には、乾いた沼の泥水が血痕のように広がり大きな褐色の染みを作っていた。洗うか代わりの服が欲しいけれども、これからのことを考えると、しばらくは必要ないだろう。

 ナルカは隣で上体だけを起こして、うつらうつらと船を漕いでいる。

「そういえば昨日の夜、俺たちが出かけてから、ナルカは何をしていたんだ?」

「私?ご飯食べて、お腹一杯になったら、眠くなって寝てた。それがどうかしたか?」

 言われたことはしっかり守っていたらしい。

「いや、何でもない。ナルカは健康的で良い子だなって。」

「健康?分からないけど、褒められたなら嬉しい。あと、私はもう少し寝る。ハゲのとこの叔母様に、ありがとうって伝えておいて」

 そう言ってナルカはまた筵の上に身体を横たえた。

 姉を失った後だ。いや、彼女は昨日の出来事を知らない。文字通りデュナさんを失ってしまったのではなく、生き別れて別の空の下にいるだけ、と信じているのだ。

 今はそっとしておこう。

「じゃ、ちょっと行ってくる」

「ん、いってらっしゃい」

 立ち上がり、家の外に出ようと壁の隙間をこじ開ける。眩しい光がぶちまけられ、泥だらけの全身を洗った。空は雲一つ無く澄み渡り、昨日の悪夢がまるで嘘のように思えた。散々働いて疲れ切っているはずの筋肉は、文句の一つも言わず、むしろ前より調子がいいくらいだ。昨日の酒に、健康になる未知の成分でも含まれていたのだろうか。

 入り口を閉じようと振り返った時、

「……スクナ……スクナは帰ってくるよね……」

 ナルカがこちらに背を向けて呟いた。

「当たり前だ。ナルカとの約束だからな」

 そして、デュナさんとの約束でもある。

 納得したのか、ナルカはそのまま小さな寝息を立て始めた。邪魔をしないよう静かに入り口を閉じ、家を離れる。

 約束……俺がこれからやろうとすることは、その約束を破ることになるかもしれない。

 太陽の光の下を歩きながらでも、自分の中に赤黒い焔が燃え上がっているのが分かる。

 それが義憤なのか憎悪なのか、はたまた憤怒からなのかは分からなかったけれど。


「さあ、全部説明して下さい。」

 バウンさんの巨大竪穴式住居について、開口一番そう告げた。

 その剣幕に驚いてジャナンさんは手に持った土器製の高坏を取り落とし、バウンさんは押し黙った。長老は中空を見つめながら口をもごもごさせている。

「……全部とは、どういうことだ?」

「分かりにくければ箇条で言います。一つ、あの化け物は何なのか。一つ、なぜ祭りだと偽ってあのような人身御供を行っているのか。一つ……」

「待てっ、待ってくれ……」

 やっと口を開いたバウンさんが、立て板に水と質問を重ねる俺を押し留める。

「答えるから、少し待ってくれ。ジャナンが聞いている。」

 失念していた。この話は村の成人男性だけの秘密だった。彼としてはジャナンさんに知られるわけにはいかない、ということだろう。

「すまん。ジャナン、俺はこいつに話さなければならないことがある。しばらく外で待っていてくれるか?」

 だが、ジャナンさんは割れた土器の欠片を拾いながらゆっくりと首を振った。

「デュナちゃんのことでしょう?私はもう大丈夫。私も、スクナさんに聞いてほしいことがあるし。一緒に聞かせてくれる?」

「……分かった。だが気分が悪くなったらすぐに言え。お前一人の体じゃないんだからな。」

「はい、あなた」

 意外にもバウンさんはあっさりと妻の同席を了承した。女子供には話しちゃダメなんじゃなかったのか?皆が石の椅子に座ったところで、バウンさんはぽつりぽつりと話し始めた。

「まずは昨夜お前も見た沼の神についてだ。断っておくが、俺はあれを神とは認めていない。食うことと暴れることしか知らない、下等な化け物だと思っている。」

 それならなんで、と立ち上がりかけた俺をジャナンさんが押し留める。

「これを見てくれ」

 と、バウンさんはいきなり自分の大きく曲がりくねった角を引っ張った。あっけにとられる俺の目の前でそれは、かぽっ、と間抜けな音と共にあっさり抜けて取れた。取れた角の断面を見ると、中心に四角い木釘のようなものが入っており、それが頭側に開いた穴に入ることで支えられていたらしい。

「折れてたんですね、角が。でもそれと何の関係が……」

「これはね、この人が私を助けてくれた時に折れてしまったの」

「助ける?」

 どういう意味だろう。

 一呼吸おいて、バウンさんが苦々しく告げた。

「俺も同じだったんだよ、スクナ。俺は昔、祭りでジャナンがあいつに嫁ぐことになった時、村の若い男たちを連れて、あの化け物を退治しようとしたんだ。」

 少々面喰ってしまった。てっきり若い女性を人身御供に捧げて、自分たちの安全を守ろうとしているのだと思っていたからだ。尤もそうであっても彼を軽蔑する気は無い。ファンタジーな世界ではこの行為に意味があるのかもしれないし、あんな化け物アニサキスを前にして正常な判断を下せる自信は自分にも無い。

 

 彼の話をまとめるとこうだ。

 元々この村はナルカたち姉妹と同じく、大陸で迫害された黒羽の一族が作ったものだ。

この島自体は手漕ぎ船で3日程度と、大陸からそれほど離れているわけではない。しかし一部を除き海岸が崖になっていることと、あのティラノサウルスをはじめジュラシックな面々のおかげで、敢えて立ち入ろうという者は少ないことから、黒羽の一族はここに安住することができた。実際島で暮らしてみると危険地帯は限られており、気候は温暖湿潤。食料となる動植物は豊富で、外敵は天然の要害となる外輪山が阻んでくれる。

 彼らが住み始めてから長い時間が経った。

 約60年前のある日、平穏は突然破られた。

 あの巨大アニサキスが現れたのだ。

 どこから来たのかも分からないそれは、災害としか表現する他なく、アニサキスはその巨体を振り回し、存分に暴れまわった。生きるためでなく、食べるためでなく、ただただ無為な暴力の嵐。村人たちは武器を取り、魔法を駆使し戦ったが、てんで歯が立たなかった。剣や槍は弾き返され、矢は刺さらない。炎も氷も薄皮一枚を撫でるだけ、雷は水気で散らばってしまう。手をこまねいていた彼らに村の占い師が告げた。化け物に若い娘を差し出し、その怒りを鎮めるべし、と。

「皮肉なことに、それで化け物の暴走は収まったんだ。生贄の娘を貪った奴は、大人しくあの沼へと帰っていった。村人たちは喜んだ。だがそれは、さらなる悲劇への第一歩に過ぎなかった」

 吐き捨てるバウンさん。

「その場しのぎが成功してしまったおかげで、村人全員が闘志を失くしてしまったのさ。」

 生贄を差し出すことで難を逃れた村だったが、それ以降、アニサキスが暴れる度生贄をささげることが習慣化してしまった。村を守るためという建前のもと、ある時は甘い餌で、ある時は脅迫して、生贄となる若い娘を求めた。時には稀に来る旅人を差し出したこともあるという。

「スクナ、もしお前が若い女だったら、俺たちは喜んでデュナの代わりにお前を差し出していただろう。」

 この時ばかりは自分が男で良かったと思った。

 ……そしていつしか生贄の儀式がお祭りへと名前を変え、女子供に真実を知られぬよう祭りは男たちで行うようになった。そうは言っても男たちも正気ではおられず、祭りの夜はアニサキスが出てくる前に、皆正体を失くすほどぐでんぐでんに酔うようになっていった。

 そんな中、バウンさんはか弱い女性を犠牲にする村の大人たちに疑問を持っていた。ちなみに若い頃は今のようにハゲてはおらず、ジャナンさん曰く「つむじ風の巣」のようなもじゃもじゃパンチパーマだったとか。

 バウンさんは一度結婚していたが、前妻との間には子供に恵まれず、その妻も流行り病で亡くしてしまい、村長と二人で暮らしていた。ジャナンさんは前妻の妹、つまり義妹に当たる。姉が亡くなった後も頻繁に村長宅に出入りしていたらしい。彼女は同じ病気で両親も失くしていたから、バウンさんが親代わりになっていた。

 そしてある日、アニサキスが再び暴れる兆候が見られた。その時若い娘はジャナンさんしかおらず、天涯孤独の彼女はうってつけだった。

「けどな、俺はそれを許せなかった」

 ジャナンさんを本当の妹か娘のように可愛がっていたバウンさんは、父親である村長をはじめ、村の長老たちに猛反対した。だが代替案が無いのも事実。そこで彼は村の若い男たちを集め、無謀にもアニサキスに挑むことを決意した。その結果は、

「散々だった。言い伝えの通り、剣も槍も、斧も弓も石も、もちろん魔法も通じない。20人近くいた仲間たちは次々と跳ね飛ばされ、押しつぶされ、引き千切られて死んでいった。そして俺一人が残された。」

 アニサキスがジャナンさんを貪ろうとした一瞬の隙を突いて、バウンさんはアニサキスの首筋に組み付いた。

「腕の中で奴は、ぬるぬる逃げ出そうと必死で身を捩った。俺はもう破れかぶれで、魔法を自分に使ったんだ」

 バウンさんの魔法は村長と同じ炎の魔法。しかし魔法をぶつけても、アニサキスの産毛を焦がすことしかできない。ならば、と自分に魔法を使い、自分もろともアニサキスを焼き尽くそうとしたのだ。勝算が無いわけではない。黒羽の一族が使う魔法は、自分には効きにくくなっている。ゲーム的に言うと、炎術師が炎耐性を持っているようなものだ。自分が焼け焦げる前に相手を焼き尽くせる、そう思ったからこそできる賭け。実際にバウンさんという焼きごてを押し当てられたアニサキスは、苦しみでのた打ち回ったという。

「だがそこまでだった。先に俺の方に限界が来ちまった。息ができなくなり、意識が朦朧としたところで振り解かれちまったのさ。」

 だが作戦は半分成功した。思いがけないダメージを受けたアニサキスは、ジャナンさんを食べることなく沼の底に去って行ったのだ。そうして彼女は命を長らえた。

 しかし村の被害は甚大だった。

 ジャナンさん一人と引き換えに、村の働き盛りの男たち全員の命が失われてしまったのだから。もちろん捨て身の攻撃を行ったバウンさんも無事ではない。全身の毛が焼け落ち、皮膚は煮え崩れて溶け、筋肉は茹で上がり、息をしているのが不思議な状態だった。しかも一族の象徴である大きな角は、石舞台にぶつけられた拍子に折れてしまっていた。

 バウンさんは文字通り、三日三晩死線を彷徨った。その間ずっと看病してくれたのが、助けられたジャナンさんだった。

 やっと意識を取り戻したバウンさんは、自分の仕出かしたことの結果に愕然とした。そしてその後始末と、村を守っていくことを改めて決意したという。

「一軒一軒、俺が殺した若い衆の家を回って謝ってきたんだ。ジャナンと一緒にな。家族は悲しんだけれども、それ以上俺たちを責めないでくれた」

 村人たちも苦悩していたのだろうか。たった一人に全てを背負わせる自分たちの業に。

そういえば、とバウンさんが続ける。

「スクナ、祭りに出てた男連中が皆年若かったのを覚えているか。」

「そう言われればそうでしたけど、何か理由があるんですか?」

「あいつらの今の嫁が、その時の未亡人たちだ」

 一瞬訳が分からなくなったが、要するにこういうことらしい。

アニサキスに殺された男たちの妻は、20代前半から30代前半がほとんど。未産婦も経産婦も混ざっているが、十分に妊娠出産が可能な年齢だ。このままにしておいては世代に大きな穴が開き、人口が減少して村が維持できなくなる。そこでバウンさんは男衆のリーダーとして敏腕を振るい、そうした未亡人たちに、積極的に成人前後の若い未婚男性をあてがったのだ。初めは一回り以上年上の姉さん女房に難色を示す若者もいたが、2度3度と逢瀬を重ねるうちすっかり蕩けさせられ嵌ってしまい、めでたく存亡の危機は免れたんだとか。ちなみに最初村を歩いた時女性と出会わなかったのは、この村の女性がほとんど妊婦だったからだ。まあ、正直これはあんまり知りたくなかった。

 ジャナンさんはというと、元々バウンさんに懐いていた上、命を救われた経緯から完全な恋色一色に染まっていた。そして彼の怪我が治ったころから積極的攻勢を仕掛け、年が離れすぎているからと渋る彼を捻じ伏せ、晴れて正妻の座を勝ち取ったらしい。例の折れた角は、二人の結婚式に合わせて直したんだとか。


「スクナさん、私たちがナルカちゃんとの結婚を勧めたのは、ナルカちゃんを守るため。そしてそれは、デュナちゃんとの約束なんです。」

「デュナは化け物に嫁ぐ代わりに、村でナルカを守って欲しいと言った。ナルカが成長し、結婚し、子供を産み、その子が育つのを眺めながら年老いて死ぬ。そういう当たり前の人生を、自分の代わりにあの子に与えてやって欲しいと。その願いはできる限り叶えたい。だが、今のナルカには後ろ盾となる者がいないというのも事実だ。」

 つまり、ナルカに後見人が付かない間にもう一度アニサキスが暴れだしたら、天涯孤独のナルカが生贄の第一候補に挙がってしまう、ということだ。

「……フザケんなっっ!!」

 バウンさんの襟首を掴み、宙に持ち上げる。俺より2回りほど大きい巨体が片手一本で浮かび上がった。体感として50kg程度だろうか。ジャナンさんが止めてと言いながら俺の腕を引っ張るが、腕はぴくりとも動かない。

 やはり思った通りだ。謎の超腕力に目覚めたのではなければ、彼ら黒羽の一族は体格に比べて異様に体重が軽い。翼で飛ぶことを想定した特殊な構造になっているからだろう。こんな軽い人間が切りかかっても、あのアニサキスに刃が通るはずもない。

「昨日俺を祭りに参加させたのは何故だ?!あんたと同じ罪悪感を共有してほしいからか?」

「否定はしない。お前にも村の仲間に入って欲しかった。」

 あれが仲間?ナルカを餌にデュナさんを生贄に仕立て上げ、自分たちは恐怖を忘れるために酔いつぶれる、それが仲間のやることなのか?

「あんた達は、自分たちの子供が生贄に選ばれても、そうやって達観していられるんだな?」

 しばらくの沈黙の後、

「……ああ。俺たちにあの化け物は倒せない。だが村は守らなければならない。仕方がないんだ。仕方が……」

 うっ、という嗚咽と共にジャナンさんが泣き崩れる。

 無理もない。

 自分の夫が、自分のお腹の中の子供を化け物の餌にすると言い切ったのだ。母親としての意味を全否定された瞬間だった。

 それはナルカにしても同じだ。例え俺がナルカと一緒にこの村の住人になったとしても、いつ暴れるかも分からないアニサキスがいる限り、幸せな人間としての一生なぞ望むべくもない。

 腕の力を緩め、手を放す。バウンさんは地面に足を付けると、その場に座り込んだ。そこにジャナンさんが駆け寄り、縋り付いた夫の肩にはらはらと熱い涙をこぼす。

「気がすんだか、スクナ」

「すむわけないだろ。」

 だろうな、とバウンさんが呟く。

「でも安心したよ。」

 足元にいる二人を睨めつけながら言葉を続ける。

「思った以上にあんたたちが情けなくて。」

「……どういうことだ?」

 俺の言葉を訝しむバウンさん。

「この村の男があんたみたいな腰抜け揃いなら……」

 視線に力を籠め、腹の底から赤黒い焔と共に言魂を叩きつける。

「俺の化け物退治を邪魔されなくて済むからな」


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