3.刑事さん
事態は思わぬ方向へと進んだ。警察が介入してきたのだ。
病院内でキヌエと別れてから、オレは彼女に面会することができなかった。警察のかたが来るから待合室にいてくれ、と言われた。
夜勤明けで頭がぼうっとするのと、予想外のことがたて続けに起こったのとで、オレの思考能力は著しく低下していた。
やがて刑事と名のる男があらわれ、
「ちょっと、いいですか」と言ってオレをコーヒーの自販機脇のベンチまで連れて行った。
「どれにします」
コーヒーをおごってくれるらしい。オレはホットのブラックを選んだ。カフェインで脳を叩き起こしたかった。
「怪我をされた女性の、お知り合いだそうですね」
「そうです。彼女の婚約者で、山元といいます」
刑事がオレを見る。
「じつは、担当の医師から通報があったわけです。女性の怪我、あれは転倒によるものじゃない。暴力をふるわれた可能性がきわめて高いと」
コーヒーをひと口すすって、刑事は続けた。
「すると救急隊員から医師が聞いた、山元さんの話と食い違うわけです」
オレは唖然とした。オレが疑われているのだ。
「待ってください、ボクは彼女を殴ったりしませんよ。彼女に聞いてみてください」
「被害者が事実を語るとはかぎりません。報復を危惧してとも考えられます」
「待って……」オレは泣きそうだった。「彼女が転倒したのは事実です。ただ、」
「ただ?」
「彼女がバスに乗ろうとしたとき、ほかの客となにかあったみたいです」
「みたいです、というのは?」
オレはカップに口をつけた。冷静になれ。
「ボクは、タバコを吸うから先にバスに乗っていてくれ、と彼女に言いました。彼女は、わかったと言って、バスに乗り込もうとしました。そこへ会社の同僚の男があらわれて、どうも、割り込もうとしたみたいです」
「みたいです、か」刑事は不服そうだ。
「ボクは喫煙場所にいましたから、はっきりと彼らのやりとりを見てはいません。そのあと、急にキヌエが倒れたんです、バスの入口のところで」
「すると、彼女を殴ったのはその男ですか」
「わかりません。同僚の男はすでにバスの中へ入っていて、見えませんでした」
「ふーん」
刑事は大きく鼻で息をした。
「結構です。その同僚のかたにも、話を伺うとしましょう」
2日後、オレは病室でキヌエとの面会を許された。そこには刑事もいた。
彼女はオレを見るなり、泣きながらオレに抱きついてきた。顔の大半を覆った包帯が痛々しい。
オレも泣いた。なんだかもう、よくわからなかった。
刑事が口を開いた。
「同僚の松垣シノブさんから話を伺いました。どうも、彼は糸川さんとバスの入り口で接触してしまったようです。悪気はなかったものの、大怪我をさせて申し訳ない、と言っていました」
「いいえ……わたしも、不注意でした」
キヌエは、か細い声でそう言った。刑事が退出する素振りを見せる。
「糸川さんは告訴しないとおっしゃいました。でしたら、あたしらの出番はありません。どうぞお大事に」
今回の件でオレは職場をクビになった。逮捕されなかったことを考えれば、この程度で済んでよかった。
オレの罪状。
ひとつ、部外者である彼女を会社の送迎バスに乗せようとしたこと。
ひとつ、事故とはいえ、松垣氏および派遣先の会社に多大なご迷惑をおかけしたこと。
だが、いちばん重要な罪はけっして取り沙汰されることはなかった。あのダーツのことだ。