2.作戦決行
作戦決行の日がやってきた。オレもキヌエも、いい緊張感を保ったままこの日を迎えられたと思う。
準備は万端、というか、準備することなど基本的になにもない。いつもどおり夜勤が終わって、いつもどおりシノブが動いてくれればいい。
作戦時間はごくわずかだ。シノブが職場の建物を出て、バス・ロータリーに着くまでおよそ2分。
その限られた時間内にきっちり仕事を果たす必要がある。
送迎バスの発車時刻は9時30分。その15分前にはキヌエが現場にやってきている手筈だった。彼女には市営のバスと徒歩でここまで来るよう伝えてある。
9時19分。オレは仕事を終えると急いで職場を出て、バス・ロータリーまでたどり着いた。
キヌエが待っていた。
送迎バスもすでに到着していて、ドアは開放され、運転手の姿もなかった。とりあえず、ここまでは完ぺきだ。
タイム・リミットまで、あと10分を切った。もうすぐ、いつもどおりシノブが勇んでやってくる。それを願うしかなかった。
オレは優しくキヌエの肩を叩いた。
「もうすぐだよキヌエちゃん、用意はいい?」
「う……うん。ヤバい、超キンチョーする」
彼女はそう言って、ポケットから幸運のダーツを取り出した。
来た、シノブだ。オレは30メートルほど先にヤツの姿を確認した。
「来たよキヌエちゃん。もうすぐ眼鏡をかけた五分刈りの、見ず知らずのAさんがバスに乗り込むからね」
オレはとん、とキヌエの背中を押した。
「う……うん。あの眼鏡かけてる五分刈りね、茶色いパンツの」
「グッド・ラック!」
親指を立てながら彼女にそう伝え、オレは灰皿が設置してある場所まで7、8メートルほど移動した。
バスの入口のドアから1.5メートルほど離れてキヌエが待ち構える。彼女の高まる鼓動が聞えてきそうだ。
シノブがバスの入口のステップに足をかけると同時に、キヌエがぴたりと彼の背後についた。
一瞬、なにが起きたのか、わからなかった。
キヌエの小柄な身体が吹き飛ばされ、背後にある金網のフェンスに叩きつけられた。
シノブの姿はバスの中に消えていた。
オレは急いでキヌエに駆け寄った。フェンスを背にして彼女は尻餅をついていた。
ひどい、顔面が血だらけだ。鼻が折れているかもしれない。目を閉じたまま彼女はうんうんと唸る。
携帯電話で救急車を呼んだ。そうするしかなかった。
バスの発車時刻が近づき、運転手が戻ってきた。彼はすぐに異変に気づいてオレたちに声をかけてきた。
「どうしたの、それ」
「急に倒れて、顔を打ったみたいです」
咄嗟にウソをついた。
「会社の人?」と運転手。
「ええ……いま救急車を呼びましたから」
「そうか、困ったなあ」
運転手は頭を掻いた。
「ボクが看てますから、バスを出してもらって結構です」
「うーん、それじゃ、気をつけてね」
送迎バスが発車した。とりあえずシノブと離れたかったのでホッとした。
オレはキヌエを抱き起こしてベンチに座らせた。彼女はぐったりとオレにもたれかかり、まだうんうんと唸っている。
救急車の到着を待つあいだ、オレは彼女の髪を撫でていた。