14.泥棒さん
14 2013/09/05
剛流さんとサシで酒を飲んだのは、彼女がオレの担当になって半年以上たって、今回がはじめてだった。できればシノブなんかのことではなく、もっと楽しい話題で飲みたかったものだ。
剛流さんはふつうにイイ女だった。頭もいいし仕事もできる……だが、オレはヘンな気を起こすつもりは毛頭なかった。
彼女自慢ではないが、オレにはキヌエ以外ありえないと思っている。キヌエのように楽天家で度量のでかい女性でなければ、オレみたいなセコい男はダメなのだ。
「……さん。山元さん!」
剛流さんの呼ぶ声でふと我にかえった。
「あ、はい、すいません」
「もー、彼女さんのこと、考えてたのかな?」
彼女は意地悪そうに訊いた。
「いえ違いますよ。シノブのことです」
「シノブ? ……別の女かあ?」
「だから違うって。松垣シノブ」
「あ」
剛流さんは、けっこう酔っ払っているようだ。すでに生ジョッキが五杯空いている。
「山元さんも、怪盗メックスの正体は松垣さんだと思いますか?」
「えっ」
いきなり彼女が核心を突いてきたので、オレは面喰らった。
「ほら、あの後頭部の古傷。松垣さんとお会いしたのは、彼と一緒に客先の面談にうかがった一度きりだけど、アタシはっきり憶えているもの」
「……やっぱり、剛流さんもそう思いますか」
「それにアタシ、もっとすごいもの見ちゃった」
今度はなんだというんだ。もうやめてくれ。
「彼、面談の直前になって、急にトイレに行きたいって。それでアタシは、なるべく早く戻ってきてくださいね、って言ったの。で、彼がトイレに行っているあいだに、面談してくれる部長さんが先に来ちゃった。アタシはその部長さんに挨拶しながら、廊下の奥のトイレに目をやった。ちょうど松垣さんが出てきたところだった。そしたら、」
剛流さんはここぞとばかり溜めをつくって言った。
「ほんの一瞬で彼があらわれたの。廊下の奥からアタシのいるところまで、優に二〇メートルはあったのよ。……瞬間移動ってやつ?」
その話を聞いてオレは凍りついた。ヘンな笑いがこみ上げてきた。
「うわー、マジっすか」
「まだあるの」
おいおい、まさか、酔ったうえでのヨタ話じゃないだろうな……。
「アタシも、とうとうやられちゃいました……下着ドロ」
「えーっ、シノブのやつ、そんなことまで?」
オレが身を乗り出すと、彼女はうふふ、と笑った。興奮しすぎだオレ。
「まあ、シノブさんかどうかはわからないけど、怪盗メックスなら可能かもね。あ、シノブさんも同じか」
最低だなシノブ……じゃなくてメックス。まあ、一緒か。
「マジですか……」
「しかもベランダに干してあるやつじゃなくて、洗濯する前のやつよ?」
オレは言葉をうしなった。
「それって、つまり、ヤツが剛流さんの部屋を自由に出入りできるってこと……」
「メックスなら朝飯前でしょうね。もちろん姿は見えないから、それほど怖いって感じはしないけど。でも、現物がなくなっているのは、たしかよ」
頭がクラクラする。思考が上手くまとまってくれない。
「剛流さん、あなた狙われているんじゃないですか」
「まあ、殺されたり預金を奪われたりしてないだけ、マシかもね」
そう言って彼女は一気にジョッキを呷った。どうやら、ここにも豪傑がひとりいたようだ。
「ねえ、シノブさんって、どんなかたなの」
剛流さんは興味津々だった。オレは迷ったが、適当に端折って説明することにした。ただ、ダーツのことだけは、いくら剛流さんといえども話すわけにはいかなかった。
オレとシノブはもともと、システム・イー社の現場で同じ印刷業務をやっていただけの関係で、ほとんど口を聞いたこともなかった。
それがあのバスの事件がきっかけで、急に因縁めいた関係ができてしまった。
バスの事件を境に、シノブの奇行がはじまった。彼は現場の上司ともめて、会社をクビになった。そして彼はマンパラさんに派遣登録にきて、あとは剛流さんの知るところだった。
「結局彼はウチの現場を辞退したあと、システム・イー社の元上司のお宅を襲ったのね。そうしていま、行方がしれず指名手配中と」
剛流さんは真剣な面持ちでなにかを考えていた。彼女は酔っていなかった。それが逆に怖かった。




