旅立ちと現実と4
森小屋と村とを行き来する日が続いて五日。
実りが増えて来る夏の終わり頃であるため、食べる物に困らないこの季節は毎日森に行く事は無い。
だからある意味、毎日森へ行く事だけでもすごく新鮮だった。
この五日間では期間限定ではあるが日課も出来た。
それは、フェルラートとともに弓の稽古をする事である。
そうするようになった理由は単純で、私の射形、つまり、長弓(ここで言う長弓は和弓を示す)を使用するための射形をフェルラートが覚えたいからという事による。
現時点で既に恐ろしいほど美しい射をする彼が、何故新たな射形を覚えたいのかと尋ねたら、「奇麗だから」と、わかるようでわからない答えが返って来た。
あと、自分の射を見つめ直すためとも、用途に応じて使い分け出来れば便利だとも言っていた。
だが、一番最初に答えた言葉が「奇麗だから」というのは何故なのだろうか――――?
とにかく私は、彼がここに滞在している間に長弓の引き方を教える事になった。
気温や湿度、自身の体調に合わせて使用する弓を選んで使う私には、自身の身体に合わせて造った弓が三張ある。
本当は、彼の身体に合わせた弓が有れば良かったのだけれど、さすがにこの世界には無い、あるいはあったとしても極稀な形の弓なので、三張ある弓の中で最も強い弓を彼に貸し、それで稽古をする事にした。
(反則だよこれ……)
教えてすぐに、私はフェルラートの腕前を見て、心の中で涙した。
(確かにコツを掴むのは早いと思ってたけど、教えてすぐに出来るとか、ふざけてんのっ!?)
努力して努力して今の腕前になった自分は何なのだろうか?
どこまでも凹みそうになる気分をなんとか抑え込みながら、まだ慣れない動きに時々戸惑っているような部分をより自然に出来るようにと細かな指摘をして稽古は続く。
きっとすぐに自分の腕前を越えていくんだろうなと思い、思わず「なんかズルイ」と呟けば、彼は無言で小さく笑う。
相変わらず破壊力のあるその笑みに、毎回いちいちドキドキしなくちゃならないから大変だ。
心臓に悪いからやめて欲しいのだけどと文句を言っても良いだろうかと都度思う。
そうこうしながら暫く稽古を続けていると、賑やかな声がやってくる。
弓には慣れているロズリーだが剣はまだまだ慣れないということで、ラスティとパーシヴァルが稽古を付けており、その面々が戻って来たのだ。
静かな稽古場が一気に賑やかになる。
弓と剣の稽古を同じ場所では出来そうも無かったので、剣の稽古はこことは別の場所でやっている。
剣の稽古で汗を流しているのはもっぱらパーシヴァルとロズリーで、ラスティは口頭での指導にあたっているらしく、今のところ汗をかいた姿を見た事が無い。
余裕のパーシヴァルと、疲れたような充実した様な雰囲気の弟が先に現れ、無駄にキラキラで爽やかな笑みを浮かべたラスティがその後に現れる。
「おつかれさまです」
何時も通りにそう言いながらも、ちょっと何かを残念に思っている自分が居る事に気付き、心の中で首をかしげた。
ここ五日間の昼食は森小屋で取っていた。
料理をするのはもっぱら弟のロズリーだ。
最初は単に一番の下っ端だからという理由かと思ったのだが、どうやらロズリーの料理の腕が一番上手だからと言う理由で抜擢されたらしい。
なんでも皆旅には慣れているため最低限食べられる程度の料理はできても、美味しくは作れない、とのこと。
お陰で食事の時だけはロズリーが一番権力が強くなるそうだ。
怒らせた揚げ句に作ってもらえなくなったら一大事とまで言っていたから、料理の腕は何となく察する事が出来ると言うものである。
弟の作った昼食をとりながら、騎士達の話を聞くのは楽しかった。
知らない世界を聞いているようで心が躍る。
話の中、一年前、ラスティ達が巡回で隣町に来ていた時の話になった。
その話に出て来た言葉の中で、意味が理解できない言葉があった。
「王の目とは一体なんですか?」
「ああ。王都ではよく使われている言葉なので普通に使用していましたが、王都以外ではあまりこの言葉はつかわれていないのでしたね」
ラスティが食べ終わったばかりの器を置いて答えた。
「『王の目』の話をするには、まず王宮騎士団の事を少しお話する必要があります」
私も食べ終わった器を置き、カップにお茶を注いで、それを冷ましながら続く言葉の耳を傾けた。
「国を統べる上で必要なのは国内に今何が起きているかを知ることが最も重要。ですが王が自ら国中を見て回る事は到底不可能。そこで、国の様子、状況を見聞きし王へ伝える人間が必要になりました。王の足となり国内を巡り、王の手となりその手を民に差し伸べ、王の目となり国を見る。それが、王宮騎士団が設立された当初のあり方。それからお分かり頂けるとは思いますが、元々王宮騎士団は国の様子や状況を国王の変わりに見聞きするための組織でした。王宮騎士団が定期的に巡回をしているのはその名残です」
「……名残、なんですか?」
「ええ。少なくとも今は、名残だと言うくらいの物になってしまったと私は思っています」
ラスティがちょっとバツの悪そうな笑みを浮かべて頷いた。
「戦争を繰り返して行くうちに、王宮騎士団には武芸の達者な人間ばかりが集まるようになりました。国王に近い存在でしたし、何より国のあらゆる事を知っている者たちが多かったので、自然と戦場に赴く回数は多くなりますからね。そうなるのも自然です。無論、水準の高い教養を受けて居る者が多いので、単なる荒くれ者の集団になる事はまずありませんでしたが、考えるより先に体が動く者の比率が徐々に増えて言ったのは確かです。だから次第に、集められる情報の質は下がって行きました。今では巡回に出た所で得られる情報は国を統べるために必要な情報が十分に得られない状態にまでなっています。これでは、王宮騎士団設立当初の役割を、十分には果たせているとは言えないでしょう? だから、名残だと」
「なるほど。ああ! ではもしかして『王の目』とは……」
「恐らく、ご想像通りでしょう。王宮騎士団が元々担っていたそれを代わりに担う人の事を『王の目』と、王都に住まう人々は呼んでいるのです」
お分かりいただけましたか? とラスティは微笑んだ。
「まあ、正式に『王の目』という役職があるわけでは無いんですけどね」
そこでパーシヴァルが口をはさむ。
「ちなみに『王の目』だろうと言われている代表的な人は、うちの団長と魔女クリスティーヌ、詩人のファルセット、この三人だ。噂好きの王都の人間が、何かあれば嘘か本当かわからなくても、大抵この三人の名前を出して噂するのが今の流行りらしいぜ」
らしいという言い方は、正式に役割が無いという事から断定できないので仕方が無いのだろう。
王宮騎士団の団長が任命されている理由は明確すぎるくらい明確で、王宮騎士団の騎士達を支持する事が出来る立場だからだろう。国王の信頼は十分すぎるほどあるので噂になるのは納得できる。
魔女クリスティーヌはその存在自体が災いだと言われるくらいに悪名高い魔女として知られている魔法使いだ。そんな人が『王の目』なのだと噂になるのが不思議ではあるものの、逆に言えば何でも噂の種にしやすいとも言える人物ではあると思うので、これも理解出来る。
詩人のファルセットは男とも女ともつかない中世的な容姿をした最も美しいと噂される吟遊詩人だ。
流れ者と言う意味では確かにうってつけな人だし、女性は好き好んで噂しそうな人でもあるので納得。
「凄い面々ですね」
「本人を知ってる人間からすれば、色々な意味でぶっ飛んだ連中だそうだが……」
さすがにそこまで言われているあたりの事は、私もなんて答えていいかわからないので無言になるしかなかった。
「それにしても、まさか一年前の偶然的な出会いが、こうしてともに食事をするくらいの深い縁になるとは思いもしなかったねえ。ねえ? フェルラートもそう思わないかい?」
何故そのタイミングでフェルラートに話を振ったのか。
無言で物凄い冷やかな目線をラスティに返していた彼の表情は、やっぱり大迫力な恐さだった。
森小屋から帰宅したのは昼食を終えて直ぐだった。
家の仕事を手伝い、最近森にばかり行っている私にじゃれつくリズの相手をして自室に戻って一息つくと、昼食時に聞いた話が頭をよぎった。
「『王の目』か……」
村と隣町しかまだ知らない自分。
普通に暮らして居れば特に困る事の無い現在の生活。
平穏そのもので、どこも嫌な所は無い。
なのに、何故かその言葉が気になった。
「何でこんなに気になるんだろう……」
その時、過去の記憶がよみがえる。
『好きな事を好きなだけやれる事って、幸せよね!』
よく、友人と話していた中で言い合った言葉。
何故、このタイミングで思いだしたんだろう。
「好きな事を好きなだけやる……王の目になればそうなると思ったから? 違うよなぁ」
ベッドにあおむけになって寝転がり、天井を見上げる。
変わらぬ場所。変わらぬ風景。
落ち着くけど、物足りない何か。
「昔の私は、本当は何がしたかった?」
仕事の忙しさに忙殺された色々なもの。
きっと、物凄く多かったに違いない。
でも、それが一体どんなものだったのか、どういった存在だったのか、今でもまだ気付けていない自分がここに居る。
「私は、どうしたい? 何がしたい? 何を求めてる?」
考えても考えても見つからない答え。
でも、その答えが『王の目』という言葉に、あるいはその存在に、何かがある様な気がしているのかもしれない。
だから、こんなにも気になっているのだろうか?
「うー……。わから~ん!」
不貞寝気味にベッドの上で丸くなる。
「私は結局、この世界で何がしたいのよっ」
この世界は確かに現実。
何度目を閉じ目覚めても、日本人である自分に戻る事は無い。
なのに、何処かで今の自分は自分じゃないんだと思ってしまっている自分が居る。
だから、どうしても現状に甘えて変わらない日常を選んでいるような気がしてしまう。
考え疲れているせいか、瞼を閉じれば即座に眠気が襲ってきた。
(この世界を現実だって、そう思える何かが欲しいなぁ)
その時一瞬頭をよぎった人物に、私は思わず心の中で叫んだ。
この世界が現実だと教えて――――って。